ペルシア〜イランを語るスレ

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1世界@名無史さん
最近は地味になってしまったこの国を語るべし
2世界@名無史さん:02/09/02 12:49
どうでもいいけど、
昨日の模試でイランについて書けというのがあった。
一日スレのたつのが速ければ。。。
3世界@名無史さん:02/09/02 14:22
パルティアとか、ササン朝とか、中世のイランについてはあまり
語られないね。
とくにパルティアは資料が少ない!
4世界@名無史さん:02/09/02 20:11
アルシャク朝とかササン朝ってどうして中世に区分されるのですか?
古代イランという言う方はしないのですか?
誰か教えてください。
5世界@名無史さん:02/09/02 20:12
唯一ローマとガチで張り合えた国
6世界@名無史さん:02/09/02 20:14
>>4
古代はアケメネス朝までじゃないのかなあ。
7どとうとしや:02/09/02 20:17
旧約聖書にも、日本書紀にも登場する国。
日本書紀に「波斯」という国名がでてくる。
8世界@名無史さん:02/09/02 20:22
パルティアは中国史料では「安息国」とよばれてますね。
中国史に「安」という姓の人が出てくるけど、これはパルティアが
滅亡した後東に亡命した人々の子孫なのかな?
9世界@名無史さん:02/09/02 20:40
パルティアのコインをみると、ギリシア文化の影響をつよく受けてるね。
ミトリダテス1世は、「フィルヘレネ」(ギリシア文化愛好者)と呼ばれてるけど。
10世界@名無史さん:02/09/02 20:42
>>7
旧約聖書に出てくるのは、アケメネス朝のキュロス大王ですよね?
バビロンに捕囚されていたユダヤ人を解放したことで有名。
11世界@名無史さん:02/09/02 22:12
>>10
ハホ(コ)マネシュ朝のクーロシュ大王
12世界@名無史さん:02/09/02 22:13
イランなんて要らん
13世界@名無史さん:02/09/02 22:35
うーん 面白い!
14世界@名無史さん:02/09/02 22:36
>>4
言語学的な話をすると、
ハカーマニシュ朝に使われていたパールサ地方の言葉=支配階層の言葉を、
古代ペルシア語と言い、
アルシャク朝からサーサーン朝までに話されていた言葉は
パルティア語、及び中期ペルシア語又は中世ペルシア語(パフラヴィー語)、
イスラーム時代以降のものを近世ペルシア語等と言います。
このように、
イラン語の中でもペルシア語は、おおよそ、
古代→中世→近世=現代と言語的変遷が判明している数少ない例だとか。

あ、答えになってないか。スマソ
15世界@名無史さん:02/09/02 22:41
>>11
“ハカーマニシュ朝”というのは、
どうやらパールサ族のダーラヤワウ大王がでっち上げたものらしくて、
クル大王は本来全然関係ないエラム系の大王様らしいとの噂が・・・
16アマノウヅメ:02/09/02 22:42
どうでもいいけどパーレビ国王の贅沢ぶりはすごかった。
一番得したのは子供が生まれなくて離婚された最初の妃でしょうね。
ソラヤ妃といいましたっけ。すっげー美人。
莫大な手切れ金もらって、フランスの財閥の御曹司と再婚したそうな。
17世界@名無史さん:02/09/02 22:45
>>16
得したというのは確かだけど
でももう二度とイランには帰れないでしょうね。
故郷に二度と帰れないというのはちょっと悲惨。

イランに帰ったら頃されそうだ。
18世界@名無史さん:02/09/02 23:48
19世界@名無史さん:02/09/03 00:08
キュロスは、「旧約」でも、ヘロドトスの「歴史」でもカッコイイね。
大城壁を誇るバビロンを陥落させた話とか好きだよ。
20世界@名無史さん:02/09/03 09:20
>>19
ヘロドトスの記述では、メディアの辺境の従属国ペルシアの小領主であった
カンビュセスと、メディア王アステュアゲスの娘マンダネの間に生まれた
子ということになってますね。
父の死後出身部族であるパサルガダエ族を中心に反メディアの軍をおこす。
21世界@名無史さん:02/09/03 12:00
ソグド商人について詳しい人いませんか?
世界で一番強欲なイメージがついてまわるんですけど。

安禄山もイラン系の血が入っていたというし(禄山=ロクサーヌは杉山御大が言ってたなあ)
王世充も西域系の商人だったというし
どうもユーラシアでのイラン系の動きは興味深い
22世界@名無史さん:02/09/03 14:17
>>21
ソグド人=強欲というのは、彼らと商業上のライバルだった中国人が
書き残しているので、多少割り引いたほうがいいかも。
ソグド人の社会は、王(イフシドまたはアフシン)、大地主(ディフカーン)、
一般貴族(アザト)、商人(フワカル)、自由な農民・手工業者(カーリカル)、
奴隷(男はワンダク、女はダーイア)から成り立っていて、奴隷は共同体に
含まれなかった。
ソグド商人は中継貿易だけでなく、ソグドの産物を西アジアや中国に輸出していた。
もちろん国内市場も活発で、ペンジケントの遺跡からは数千枚の銅貨が出土している。
ブハラの定期市は年2回開かれ、サーマーン朝のころ、その取引額は5万ディルヘムだった。
23世界@名無史さん:02/09/03 15:33
イスラム化以降の
ホラサーン・ルネサンスとかいってる
文化興隆の中核的な担い手は、
ソグド系ではないかと、
野生の勘でワタスは思ってます。
24世界@名無史さん:02/09/03 18:31
>>16
http://www.mideastnews.com/reza02.gif
ソラヤ王妃って、この左側の人ですか?
25世界@名無史さん:02/09/03 20:21
>>21
安禄山の「禄山」がソグド語かパフラヴィー語の
“ロクシャン”か“ロフシャン”のことだろうと言う話ですな?

ギリシア語ではシュ音が表記できないので、イラン語の“クシャ”とか“フシャ”の音は
ξで代用するしか無かったとか。クセルクセスの“クセ”もそう。

ちなみに近世(現代)ペルシア語では、“ロウシャン”になって
これは“輝き”の意味。
26世界@名無史さん:02/09/03 21:13
>>25
アレクサンドロス大王の妻になった、バクトリアの王女ロクサネーも
同じ語源?
2725:02/09/03 23:14
>>26
>アレクサンドロス大王の妻になった、バクトリアの王女ロクサネーも
>同じ語源?
そのように聞いております。
神戸外大の吉田豊先生が何かのコラムでこれらのことを触れておられました。

蛇足ながら某田中○樹の『アルスラン戦記』に出てきた
中書令‘ルーシャン’も同じ意味のものでしょう。(笑
28世界@名無史さん:02/09/03 23:48
>>15
紀元前640年、アンシャン王クラシュ(テイスペスの子)が長子アルックを
人質としてアッシリアに送ったという記録があるけど、いちおうこのクラシュが
キュロス1世とされています。
テイスペスはダレイオス大王が自分の曽々祖父と呼んでいる人物。
キュロス大王(2世)もアケメネス(ハカーマニシュ)を家祖としていますが、
この人物の系譜は不明。
ということはやっぱりエラム系?
29世界@名無史さん:02/09/04 21:04
カンビュセスって本当に暴君だったんだろうか?
ヘロドトスはえらく彼のことを悪く書いてるけど。
30世界@名無史さん:02/09/05 03:48
<<29
カンビュセスって高校世界史Bで言うところの
アケメネス朝第2代王カンビュセス2世のことですか。
自分は高校世界史Bまでの知識しか知らないもので、ちがったらすいません。m(_ _)m
世界史Bによると彼はエジプトを征服したらしい。
 その次のダレイオス1世はすごい名君らしいがこれって本当なのでしょうか。
自分の業績を碑文に書いたらしいが、ちょっと怪しいなあ。
といっても何の根拠もないけどね。見当違いだったらすいません。
謝罪と反省をします。m(_ _)m 補償はしないけど。
31世界@名無史さん:02/09/05 09:08
ダレイオスが名君であることは間違いないがカンビュセスが暴君かはあやすぃ
32世界@名無史さん:02/09/05 09:55
ヘロドトスがペルシャの歴史を書いているのは、ほとんど
某国の人が日本の歴史を書いてるようなもんでは(w
いやまあ、そこまではいかなくても、バルバロイ(非ギリ
シャ人)に対する偏見は多少はあるんじゃない?
暴君的な記述は、割り引いて考えた方がいいかも。
33世界@名無史さん:02/09/05 11:04
兄である韓国が兄弟を論評するのは当然ですよ。
34世界@名無史さん:02/09/05 11:44
>>28
もともと“ペルシア帝国”はエラム、マダ、パールサの諸部族が
連合して出来た国だと聞きました。

「キュロス」も「カンビュセス」なども名前自体古代ペルシア語で
意味がさっぱり分解できない言葉なので、
彼らダーラヤワウ大王以前の王統は、
恐らくエラム系なのではないか?という話でした。
35世界@名無史さん:02/09/05 13:16
36世界@名無史さん:02/09/05 16:15
エラムの行政制度や官僚機構はメディアやペルシアに取り入れられたし、
アケメネス朝ではエラム語は公用語のひとつだった。
古代ペルシア語の、特に制度や行政の用語には、メディア語(北西イラン語)
の語形が入っている。
37世界@名無史さん:02/09/09 17:54
アケメネス朝における王権概念だけど・・・
王はアフラ・マズダの地上における代理人とされていたの?
38世界@名無史さん:02/09/13 15:29
イランはイスラム国ではあるがアラブ圏じゃないという罠
イランとサウジアラビアは同じ文化だと思ってる人が多いがまったく違う
39世界@名無史さん:02/09/13 15:33
>>38
言語も違うしね。
40世界@名無史さん:02/09/13 15:56
そもそもあそこらへんは商人と言っても
イラン系からアラブ系、ソグド系とか色々いるからなあ
イスラムとは一種の商人ネットワークなのか?
41世界@名無史さん:02/09/13 18:10
>>38
それにパーレビ国王の時もイラン・イラク戦争の時もそうだけどイラン人は「おまえらアラブ人と違って古く誇りにできる歴史がある」という気概を持っているみたいだしね。
42世界@名無史さん:02/09/13 18:12
イランは韓国領土。
43世界@名無史さん:02/09/13 20:01
>>41
いわゆる「イラン人の中華思想」というやつ?
44世界@名無史さん:02/09/13 20:42
>>43
イブン・ハルドゥーンもイスラームの諸学問は
ペルシア人の功績に殆ど依拠していると言うようなことを白状してますね。
45世界@名無史さん:02/09/13 20:52
ベルベル人てのは完全にアラブ化してるんですか?
だとしたら独自性保ってる民族はトルコ人とペルシア人だけ?
46世界@名無史さん:02/09/13 21:04
>>40
イスラームとは一種の文明体系と認識すとりますが?
47世界@名無史さん:02/09/13 21:08
イランの歴史は朝鮮人が文化を伝えたから。
48世界@名無史さん:02/09/13 22:06
>>45
マグリブにはベルベル語を母語とする者もまだ多く残っている。
しかし、そもそも中東には他にも、
クルドなどアラブ・ペルシア・トルコの三大民族とは
別民族とみなされる少数民族が多数いることを忘れちゃいかん。
イラン全体の人口比で見るとペルシア人は案外少ない。
49世界@名無史さん:02/09/13 22:43
カンビュセス王と聞くと「カンビュセスの籤」しか思いだせません
50世界@名無史さん:02/09/15 21:50
カンビュセスは自分の姉妹と結婚したけど、こういう近親婚はオリエントでは
珍しくない習慣。
エジプトでもエラムでもそうだった。
51アマノウヅメ:02/09/15 22:24
日本でも7世紀までは、異母兄弟の結婚は普通です。
伝承されてきたタブーの中に「おやこたはけ(親子相姦)」はあるけど
「はらからたはけ」は無いので、古くは同父同母のきょうだいでも
結婚してもかまわなかったようだと言う説もあります。
52世界@名無史さん:02/09/16 13:49
まあ不思議な民族ですね
トルコ人移住以前、アラブの大海のなかで民族性を守って
イスラムに改宗してもシーア派という少数派を選択
古代から悠久の歴史的伝統を持つ
やっぱりアラブ人に対して優越感情があるんでしょうか?
53世界@名無史さん:02/09/16 13:53
>>52
>やっぱりアラブ人に対して優越感情があるんでしょうか?

優越感(栄光の大ペルシアの歴史と文化)と劣等感(宗教はアラビア起源)の混在。
54世界@名無史さん:02/09/17 18:53
アケメネス朝における近親婚はゾロアスター教がそれを奨励していたことによると思いますよ。
アケメネス朝で近親婚はある程度確認されているけどパルチアやササン朝では確認されていないみたいですね。
近親婚とは別にイラン系遊牧民のエフタルは一妻多夫制で妻の子供は親種が誰であれ、長男の息子にされ、既婚者の女性は角のついた帽子を被る。その角の数が夫の兄弟の数だそうだ。
5554:02/09/18 17:57
スマソ 
× 息子   ○ 子供
56世界@名無史さん:02/09/19 20:11
ササン朝ではボーラーンとアーザルメードゥフト、二人の女帝がいましたね。
イスラーム化する以前のイランではそれほど男尊女卑は厳しくなかったのかな?
57世界@名無史さん:02/09/20 01:17
>>56
以後も実際は・・・
58ヘレニズム狂:02/09/20 02:05
>>54
パルティアでは一度だけあったんだよ、紀元2年ごろに。母子婚の例が。
もっともそれをやった皇帝フラーテス5世は、その後すぐに殺されたけど。
まあこいつの母后(つまりは結婚相手)がローマの奴隷上がりだったのが
嫌われたんだろうけど、それにしてもこの後は母子婚の例は無い、確かに。
59世界@名無史さん:02/09/20 04:13
偉大なペルシア文明がイスラムに飲み込まれてしまって悲しい。
いや、イスラム化した中世ペルシアもすてきだが。
60世界@名無史さん:02/09/20 10:24
そういえば、パルティアのアルサケス朝もアケメネス朝と同じく、初期の
ころの系譜がはっきりしないんだよな。
歴代の王はすべて初代と同じ「アルサケス」(アルシャク)と呼ばれているので、
アルシャクというのは個人名ではなく王を意味する普通名詞だという意見もある。
初代アルサケスについての記録があまり残ってないのに比べて、2代目のティリダテス
(アルサケスの弟とされている)はセレウコス朝との確執、砦や新都市の建設など
具体的な事績が残っている。
61世界@名無史さん:02/09/20 18:32
でもパルティアってアケメネス朝やササン朝のオアシス農耕民系イラン民族国家と違って当初はヘレニズム継承国家的な性格を持っていますよね。歴代皇帝も「フィルへレン」を自負しているし。
BC1Cあたりからイラン的要素が強くなり、ローマとよく争っていたけど、ササン朝に滅ぼされて王侯・貴族の一部がローマに亡命し、かなり後々(ビザンティン時代)まで子孫を残しているのは驚異的ですね。
62世界@名無史さん:02/09/20 19:50
>>61
確かに初期パルティア美術はギリシア美術そのまま。
おそらくギリシアの職人がパルティアまで来て製作したんだろうけど。
63世界@名無史さん:02/09/26 17:08
中公新書で「物語 イランの歴史」が出たんだけど、内容は期待はずれ
アケメネス朝とササン朝の古代イラン史はなんと20ページのみ
パルティアについての記述はおまけ程度
現代史が本の2分の1を占め、しかもパーレビ国王時代の記述は1行もなし
これじゃあイランの現代史と改名した方が・・・
64世界@名無史さん:02/10/02 15:00
>>63
その本、本屋で立ち読みしたけど63さんのいうとおりイマイチだった。
いっそ欧米で書かれた、中世イラン史についての本を翻訳してくれた
ほうがいい。
65世界@名無史さん:02/10/03 20:42
>>63 >>64
まあ、あんまり期待してなかったけどね
中公新書の「物語〜史」シリーズは当たり外れが激しいな
662チャンネルで超有名:02/10/03 20:45
http://www.tigers-fan.com/~xxccxxc

http://www.tigers-fan.com/~kaaax

ヌキヌキ部屋に直行
  コギャルとヌキヌキ
  全国地域別出会い
67世界@名無史さん:02/10/03 21:11
>>65
たしかに
68世界@名無史さん:02/10/03 21:13
そもそもどうして宮田が選ばれたんだ?
69世界@名無史さん:02/10/03 21:13
はっきり言ってホメイニ以降のイランは本来のイランっていう感じがしないんですよ。
そう思いません?
70世界@名無史さん:02/10/03 21:18
>>69
思わない。
だいたい本来のイランってなんだ?
君の脳内の?
71世界@名無史さん:02/10/03 21:44
パーレビ時代には古代ペルシアを強調してたからね。
古代ペルシアを本来のイランというならたしかに>>69の言うとおりだ。

漢字漢文文化も呉服も儒教も仏教も流入する以前の邪馬台国時代を本来の日本と言ってるようなもんだろう。
72アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/10/03 21:55
パーレビは西洋かぶれの快楽主義者という感じだったと思いますが。
当時は。
73世界@名無史さん:02/10/03 22:00
パーレビが古代ペルシアを強調したのはイスラムを抑えるため。
74世界@名無史さん:02/10/03 23:31
パフレヴィ朝の親子よりもハタミの方がペルシャっぽい気がする。
血筋的にも神の代理っぽいし、面も威厳あるしな.
75m(=_=)m長文スマソ:02/10/05 13:27
ナビゲーター世界史Bという参考書に、
 イラン人はインド=ヨーロッパ語族に属し
        ―――中略―――
 「イランという言葉はペルシア語の「アーリヤ人」(高貴な人)という言葉から
 きていて、イラン人自らはこのように呼んでいたのに対し、「ペルシア」
 という言葉はイラン南部の「ファールス」と言う地方名からきています。
 外部からイラン(人)を呼ぶ場合には後者が使われることが多かったですね。
とあり、
 前1800年ころ、インド=ヨーロッパ系のアーリヤ人が西北インド方面から
 インドに侵入してきました。
とあるんですが、
ということは ★イラン人=ペルシア人=アーリヤ人★ ってことですか?
何かごちゃごちゃしててイマイチわかりません。
そしてどうして表記を統一しないんだろう・・教科書・・・
よかったら誰か解説キボーン!
76世界@名無史さん:02/10/05 13:38
>>75
まずいかなる意味での「イラン人」かを言って欲しい。
現在のイラン・イスラーム共和国のイラン人なのか
それとも中世や前イスラーム期のイラン人なのかでも随分違ってくるし。
77m(=_=)m長文スマソ:02/10/05 15:24
>>76
えっと、はじめのほうのイラン文明とかそのへんなんですけど
いろんな意味のイラン人があるんですね
知らなかった。
あんまり詳しくないもんで・・・
78世界@名無史さん:02/10/05 19:56
王朝を作った武人はトルコ系が多い?
よって、ペルシャはイラン系・トルコ系の2民族国家ということができる?
79 :02/10/05 20:33
>>77
ご参考までに、サーサーン朝の話になりますが、
始祖のアルダフシール1世は自身のことを「エーラーンの諸王の王」と名乗りました。
息子のシャープフル1世は領土を現在のイラクや中央アジアまで拡大し、
自身を「エーラーンと非エーラーンの諸王の王」と名乗っています。

これは前代のアルシャク(アルサケス)朝パルティアでの言い方を引き継いだものです。
中期イラン語の、パルティア語では「アルヤーン」、
パフラヴィー語では「アイラーン」→「エーラーン」となり、
現在のイランの国語とも言える近世ペルシア語では、
この「エーラーン」が「イーラーン」となりました。
この「イーラーン」を私たちは慣習的に“イラン”と呼んでいます。
80世界@名無史さん:02/10/05 20:50
>>78
確かにセルジューク朝からイルハン朝、ジャライル朝、ティムール朝、
白羊朝、黒羊朝、アフシャール朝、カージャール朝…と
トルコ系民族の侵入以来ほとんどの王朝がトルコ・モンゴル系の出自だね。
サファヴィー朝はペルシア系とされるが実際はおそらくクルド系で、
しかも母系で白羊朝の血を引いているからトルコ系に近い。

でも、その言い方を採用するなら
「イランはペルシア系・トルコ系の二民族国家」という言い方のほうが良いかと。
「イラン人(イーラーニー)」は多様な民族を含むイラン・イスラム共和国の国民、
「ペルシア人(ファールシー)」はペルシア語を母語とするグループ、
「トルコ人(トルキー)」はアゼルバイジャン語を母語とするグループ、
といったように用いられているから。
81世界@名無史さん:02/10/06 10:49
唐の時代の西域にいたイラン系の住民は金髪碧眼の人が多かったらしいけど
ササン朝時代のイラン人も今みたいにアラブ人・トルコ人と見分けがつきにくい容貌でなく、金髪碧眼が多かったのかな?
82世界@名無史さん:02/10/08 21:32
今のイラン・アフガンに金髪碧眼無い
83世界@名無史さん:02/10/09 00:45
>>81
金髪碧眼だと暑い所に居辛いので中国に逃げますた
84世界@名無史さん:02/10/10 20:08
>>82
ごくまれにいるらしい。
85かきつばた:02/10/10 20:15
>>82
パキスタン、モンゴルにもいるし、東北では、先祖伝来、非混血なのに碧眼(金髪ではない)がいるらしいですよ。
86世界@名無史さん:02/10/11 21:20
六角形のくぼみで這い回るイランの伝統的な格闘技があったようです。
87世界@名無史さん:02/10/11 21:25
>>86
考古学上最古の格闘技の記録はイランのカファジェ・ニントウより
出土した石板に描かれたレスリングとボクシングだそうですが。
88世界@名無史さん:02/10/12 19:46
サーサーン朝の場合、ローマ帝国のほかに、北の遊牧民(エフタル、突厥)にも
脅かされてるけど、パルティアの場合そういうことはなかったのかな?
まあ、彼ら自身が遊牧民の出身だけど。
89世界@名無史さん:02/10/15 20:20
王制時代はイランもアマレスは世界的に強かったんだよ
昔、自分が総合系格闘技やってた時(90年代中頃)、某道場にイラン人が複数在籍していたこと覚えている
まあ、そこの道場、右翼みたいでみんなにイヤがられていたけどね
90世界@名無史さん:02/10/15 20:22
 おい、ペルシア語読める奴いるか?
 どうやって身につけたか教えて! 辞書は、文法書はどんなの使ってるの?
教えてください。
91世界@名無史さん:02/10/16 00:29
毎日ザムザム・コーラを一日一本飲むことです。

http://www.ne.jp/asahi/eden/kanata/iran/tehran/09.jpg

学習書なら、藤本先生のエクスプレス(白水社)、
辞書は、黒柳恒男大先生のやつ(大学書林?)で
十分だろ。
92世界@名無史さん:02/10/16 00:34
何かと評判の悪い黒柳辞書の改訂版が出るらしいでつよ
収録語が(確か)80000語くらいで価格は80000円・・・
著者割引で2割引出来ると言われたけど手が出ねーよ・・・
93ヘレニズム狂:02/10/16 01:17
>88
パルティアの場合、メソポタミアを領有して『諸王の王』を号した直後、…
だからミスラダテス1世(大王)の死後に、サカ族の侵入を受けている。この遊牧民
との戦闘で、フラーテス2世、アルタバノス2世が相次いで戦死している。
最終的にサカ族の脅威が無くなったのは、ミスラダテス2世(大王)の治世
だな。
94世界@名無史さん:02/10/16 12:11
>>93
ありがとうございます。
アケメネス朝の記録にも、サカ族というのがでてきますね。
中国では「塞」という漢字を当てましたが。
遊牧民を外部の人間が呼ぶ場合、かなりいいかげんな呼び名(たとえばアジア系の
遊牧民のことを何でもタタールと呼んだりする)をつけたりするので、
別の集団との区別がつけにくかったりすることが多いです。
95世界@名無史さん:02/10/16 16:03
サカ族=シャカ族(お釈迦さまの出身部族)でOK?
時期的にちょっと自信が無いが
96世界@名無史さん:02/10/16 23:49
デマヴァンド山は実在するの?
97世界@名無史さん:02/10/16 23:56
>>95
シャカ族は漢字の音読みで梵語ではシャーキヤだよ。
サカ族はスキタイと同じとすればイラン系遊牧民だし、
直接関係はないと思われ。
98世界@名無史さん:02/10/17 00:37
>>96
実在するもなにもダマーヴァンド山はイランの最高峰
99世界@名無史さん:02/10/17 01:47
>>96
蛇王ザッハークも実在した?
100世界@名無史さん:02/10/17 02:01
るくなばーとわ川の名前
101世界@名無史さん:02/10/17 02:19
ルクナバートと言う宝剣は田中芳樹の、全くの創作なの?
(『シャー・ナーメ』に典拠の無い)
102世界@名無史さん:02/10/17 02:28
ゾロアスター教は今でも進行されているのでしょうか?
アレクサンドロスも関心を持ったと聞いたことがありますが。
103世界@名無史さん:02/10/17 02:35
だからイランにある川の名前だって。
104世界@名無史さん:02/10/17 02:36
場所はパルーサ地方
105世界@名無史さん:02/10/17 02:37
イランに川があったの?ワジ?
106世界@名無史さん:02/10/17 02:39
いらんは砂漠の国といふわけではありませぬ
107世界@名無史さん:02/10/17 06:17
パーレビ王朝の初代国王は、元コサックだと書いてあったけど、ロシア人だったの?
初代国王は何民族の出?
108世界@名無史さん:02/10/17 06:33
>>102
 イスラム帝国にササン朝がほろぼされた時にインドに逃げた人々の子孫は
「パールシー(ペルシャ人)」と呼ばれ、今もゾロアスター教徒。
インドのタタ財閥のトップがそうだね。

ゾロアスター教は、もはや爆発的拡張はできないにしても、安定した勢力がある。

イラン本国でもほそぼそと残っていて、インドの信者達と連絡をとりあっているらしい。
109世界@名無史さん:02/10/17 09:21
>>102
イランのゾロアスター教の中心はヤズドのあたり
110世界@名無史さん:02/10/17 09:28
>>108
ターター家がある限りゾロアスター教は不滅だろう。
111世界@名無史さん:02/10/19 16:46
ヤズドのゾロアスター教徒の女性の写真見たことあるが全員スカーフしているけど、
あれってイスラムの強制?まあ色・柄はいろいろあるらしいが
112世界@名無史さん:02/10/19 17:13
タジキスタンではソロアスター教の勢力が内戦に絡んだ事もあったね。
あくまでも中心はイスラムと共産党だったけど。
113世界@名無史さん:02/10/19 19:29
>>105
ワディ!
114世界@名無史さん:02/10/19 22:47
>>107
カージャール朝の末期にロシア人の軍事顧問が入って
作ったイラン人による洋式精鋭部隊がコサック。
レザー・ハーンの出自は農民らしいから
おそらくペルシア系かアゼルバイジャン系だろう。
115世界@名無史さん:02/10/20 16:19
ホメイニはインド人らしい。
116世界@名無史さん:02/10/21 07:17
あげ
117世界@名無史さん:02/10/22 22:14
イランには苗字無いようで、
出身地にイ〜(〜出身の)で形容詞にして、苗字の代わりにするの?
118世界@名無史さん:02/10/22 22:26
ホメイニは、ルスランが名前で、ホメイン村で
インドから来た父から生まれたのでは?
119世界@名無史さん:02/10/22 23:17
>>117
レザー・シャーの時代に苗字をつけることが義務付けられますた。
ただしイラン人は苗字がなんなのかよくわからなかったようで変なもんが多い。
120世界@名無史さん:02/10/23 22:17
ホメイニはムハンマドの子孫?
121世界@名無史さん:02/10/23 22:22
ササン朝の都クテシフォンはどうなったの?
122世界@名無史さん:02/10/24 00:19
パーレビ王朝はコサックの血筋だと読んだ事がありますが、本当でしょうか。
同じアーリア系でもインドは黒く、イランは白い。
不思議です。
「ローマとガチで勝負」には笑わせてもらいました。
123世界@名無史さん:02/10/24 00:37
パーレビー家の人々は今何処にいらっしゃるのでしょうか?
124世界@名無史さん:02/10/24 00:39
>>123
聞いた話によるとシャーの双子の姉のアシュラフ王女は
フランスだかどこだかの半島を丸々買い切って入り口に厳重な警備を敷いているらしい。
125世界@名無史さん:02/10/24 04:20
>>97
訛ってるだけで語源は同じだって

スキタイ=サカ=蒼海=塞=サキャ=釈迦=シャーキャ
126世界@名無史さん:02/10/26 01:58
127世界@名無史さん:02/10/26 03:01
128世界@名無史さん:02/10/26 06:19
インドとイランはお互いにどう思っているの?
イランのが格上?
129世界@名無史さん:02/10/28 16:39
イランの中にはアフガンも旧ペルシアっていう認識あるみたいだけど
英仏露が引いた国境はおいといて世界史的にまっとうな国境線てどうなんですかね?
シーア派地域=イラン?トルクメンとかタジクとかは??
130世界@名無史さん:02/10/28 18:16
ホラーサーン地方(イラン西北部+トゥルクメニスタン+アフガニスタンのヘラート周辺)と
アゼルバイジャン地方(アゼルバイジャン+イランのタブリーズ周辺)、
それにイラク東部(シーア派が多い)は
イラン高原を中心とする国家の領土だった期間が長いから
歴史的な意味での「イラン」に入れることができそう。

でもアゼルバイジャン人はシーア派だけど
アフガンもトルクメンもタジクもスンナ派。
131世界@名無史さん:02/10/28 19:11
↑ペルシャ湾岸にもシーア派が多いのは名瀬だらう?
132世界@名無史さん:02/10/28 19:32
>>131
もともとイラク地方は長らくアッバース朝の首都としてバグダードがある以前に、
ナジャフやカルバラーとったシーア派最大の聖地を二つも抱えているので、
湾岸のシーア派住民ももしかしたら、その地理的な要因が関係してるのかも。
133世界@名無史さん:02/10/28 19:45
てか歴史的に見ればシーア派の中心地は現在のイラク南部で
イランでシーア派が支配的になるのはサファヴィー朝以降だし。
あと歴史的な意味でのイランは大体サーサーン朝の領域と重なるんじゃないかな。
134世界@名無史さん:02/10/29 14:03
ササン朝だとイラクまでイランになってしまうぞ。
サファヴィー朝の領域じゃないの?
135世界@名無史さん:02/10/29 14:15
サ-サ-ン朝やパルティアは「イランと非イランの」帝国なんじゃなかったっけ?
だとしたらどこまでがイランでどっからが非イランなんだ。
136世界@名無史さん:02/10/29 16:45
>>134
おおよそ古のメソポタミア地方を、イラーク・アラビー、
ザグロス山系一体をイラーク・アジャミーなどと申しますが。
137世界@名無史さん:02/10/29 17:53
俺、イランに行ったことあるんだけど、田中芳樹氏の「アルスラーン戦記」の
ディテール描写の正確さには正直びっくりしたよ。もちろん、
根幹のストーリーはフィクションだから比べようがないけどね。

俺の知ってる限り、歴史物を書いてるS野さんやI沢さんなんか
より遥かに歴史を知ってる。

138世界@名無史さん:02/10/29 21:49
>>134
サファヴィー朝はイラクを領有してましたが…?
139世界@名無史さん:02/10/30 02:01
イランとイラクは根が深いね。
サファヴィー朝はかならずしもイランとは言えないかも。
イランではなくアゼルバイジャン系との意見もあるようです。
140世界@名無史さん:02/10/30 02:10
>>136
イラーク・アジャミーってどういう意味ですか?
141世界@名無史さん:02/10/30 07:47
>>140
「異邦人(ペルシア人)のイラク」。
142世界@名無史さん:02/10/30 13:46
>>139
支配層が非イラン系だからといって「イラン」では無いとか言ったら、
ここ千年近くの東方イスラーム世界で培われたイラン的な文化は無いっ
て言ってるようなもの。

支配層と保持される伝統文化は一致するとは限らないので、
それを民族的に無理に一致させようとするのは、いかがなものか。
(イラン人自身がそこをかなりこだわってるとは耳にするけど・・・)
143世界@名無史さん:02/10/30 14:30
「イラン」はペルシア人だけの文化・国家じゃない、ってことだな。

http://www.worldlanguage.com/Japanese/Countries/Iran.htm
このサイトによれば、
ペルシア人 51%
アゼルバイジャン人 24%
マーザンダラーニー人 8%
クルド人 7%
アラブ人 3%
ルリ人 2%
バローチ人 2%
トルクメン人 2%
その他(アルメニア人等) 1%
とあって、
アゼルバイジャンとホーラサーンの失われた現代イランですら
ペルシア人は人口の六割に満たないことがわかる。
144世界@名無史さん:02/10/30 17:06
>>142
ではどこまでが「イラン」だとお考えでしょう?
145世界@名無史さん:02/10/30 21:48
>>144
とりあえず16世紀(サファヴィー朝)以前のイラン語圏全域が
「歴史的イラン」になるのではないかと。
おおよそアーゼルバーイジャーン周辺からマー・ワラー・アンナフル、アフガーネスターン周辺まででしょうか?

もっとも明確な領域の線引きはしづらいですが。
146世界@名無史さん:02/10/31 01:19
ダイラム=ギーランなのですか?
147世界@名無史さん:02/10/31 02:25
>>145
地名がファ-ルシ-表記ですね。
148世界@名無史さん:02/10/31 10:06
マー・ワラー・アンナフルってイラン語圏?
149世界@名無史さん:02/10/31 10:17
ペルシアとイランとイラクと
どれか民族で言語で地名なのか概念がわからん。
150世界@名無史さん:02/10/31 10:19
イラクは地名だからフセインが「イランの一部もイラクだ」と言った場合
民族や言語を越えて地名で国家を作ることを指向してることになるのだな。
151世界@名無史さん:02/10/31 19:20
>>137
おいおい、どこが今のイランがペルシャにそっくりなんだよ。
これだから田中信者は始末に困る。
教祖の発言を批判しないでそのまま飲み込むんだから。
152世界@名無史さん:02/10/31 19:35
>>149
言語としてのイラン語はイラン系諸言語の総称、
ペルシア語は近世ペルシア語、
特に(タジク語やダリー語と区別して)イラン・イスラム共和国公用語を指す、
というように使いわけられるような気が。
民族としてはイランの最大民族は「ペルシア人」と言うのが普通でしょう。
彼らを「イラン人」と呼んでしまうと
アラブ系やトルコ系にしてイラン国民たる者をも含めた
国民としての「イラン人」と混同してしまう恐れがあるだろうし。
イラクは純粋に地名。

>>151
137は田中芳樹スレからのコピペ煽りじゃないの?
153世界@名無史さん:02/10/31 19:36
>>137>>151
おいおい、凄まじいデジャヴュが
田中スレのコピペか?
154世界@名無史さん:02/10/31 20:05
>152、153
いま見てきたらそのようだね。
しかし全く決着ついて無かったようだけど。
155世界@名無史さん:02/10/31 20:22
サマンガンという場所は実在するの?
王書にも出てきたようだが
156世界@名無史さん:02/11/01 06:47
↑アフガンにあったような・・・?

王書に、ザッハークの子孫であるカブールの王というのがでて来たような
157世界@名無史さん:02/11/01 15:59
>>146
ギーラーン州はアゼルバイジャン共和国の南方、カスピ海南西岸一帯を指します。
ちなみにマーザーンダラーン州は同南東岸にあり。
>>148
「マー・ワラー・アンナフル」という言葉自体はアラビア語。
アラル海以南の平原部やオアシス諸都市は、古のソグディアナにあたり、
イスラーム時代はフワーリズム(ホラズム)やホラーサーン地方のそれに該当します。
イスラームのあらゆる諸学に大学者を山のように輩出し、
イブン・スィーナー、ウマル・ハイヤーム、フワーリズミーなどがその代表です。かれら全てはペルシア語を母語としていました。
158世界@名無史さん:02/11/01 21:59
ダイラムはナルサスの領地だった
159世界@名無史さん:02/11/01 22:16
>>157
マー・ワラー・アンナフルは「川の向こうの地」という意味でアムダリヤとシルダリヤの間の地域だから
ホラーサーンはマー・ワラー・アンナフルとは別でしょ
あと細かいことだがウマル・ハイヤームは他の2人とは違ってホラーサーンのニシャープールの生まれだな。
まあホラズムはマー・ワラー・アンナフルとは別に語られることも多い独立した地域だが。
160世界@名無史さん:02/11/02 13:01
>>148
神学や大学で使われてた言葉はペルシア語だが
住民はチャガタイ系のトルコ語が多かったんじゃなかったっけ?
161世界@名無史さん:02/11/02 19:36
>>160
サマルカンドのほうでは現代でも
日常会話をタジク語でこなしてる「ウズベク人」が多いとか聞きますけど。
162世界@名無史さん:02/11/02 22:49
マー・ワラー・アンナフルの多数派はトルコ系の言葉を喋る人々だけど
サマルカンドやブハラなどの都市では先住のペルシア語系の言葉を用いる人々が多数派を占めるという逆転現象がある。
それが全部ウズベク人ということになっているのは1924年に共産党がやった民族境界確定のせい。
民族問題の解決というよりは分割統治の思惑の方が濃かったのではないかと。
現在ウズベキスタンの国民ということからウズベク人とされるタジク語住民の間では分離運動も存在する。
163:世界@名無史さん:02/11/07 15:54
メソポタミア文明時にイラン地方を支配した民族で「エラム」人
っていましたよね。イランとよくにているのでこれが「イラン」
の語源なのではと思っていたのですが、やはり関連性はないので
しょうか?
164世界@名無史さん:02/11/11 00:33
「エラム」はシュメールと同様、言語系統不明の民族。
165世界@名無史さん:02/11/11 07:39
国民国家の枠組みはイスラムだとだいぶズレがあるってことだな。
結局イスラム圏て基本はインターナショナルだし、
EUみたいにイスラム圏ぜんぶ統合したほうが案外うまくいくのかもしれん。
166世界@名無史さん:02/11/11 14:05
>>165
やはりイスラーム圏にウェストファリア・システムはなじまないと?
167世界@名無史さん:02/11/11 18:12
オスマン帝国の時点で、てゆーかイスラムそのものがEUみたいなもんだからな。
168世界@名無史さん:02/11/15 02:24
イランてのはイラン民族というよりシーア派、ってことでよろしいか?
169世界@名無史さん:02/11/15 12:19
今、活動しているかわからんが、昔、アラブ連盟っていう組織あったね
シーア派とスンニー派は統合できんとちゃいますか?
シーア派はアフガン、アゼルバイジャン、イラクにも多少いるけど
170bloom:02/11/15 12:26
171世界@名無史さん:02/11/15 18:13
>>169
アラブ連盟なら今も普通に活動してますが…。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20021111-00001006-mai-int
それに加盟国中にスンナ派以外が政権を取ってる国はいくつもあるんですけど。
172世界@名無史さん:02/11/25 09:37
>>169
それも国民国家として分かれてるからモメるのでは?
173世界@名無史さん:02/11/25 13:53
タジク語やダリー語とイラン語ってどれくらい違う?
イタリア語-フランス語レベルか、オランダ語-ドイツ語レベルか。
互いに意志の疎通は出来るの?
174世界@名無史さん:02/11/25 14:22
>>173
意思の疎通はかなりできるが
お互い相手の言葉がひどく訛ってると感じるらしい。
イタリア−フランスやオランダ−ドイツよりは近いんじゃないか。
もっともタジク語のキリル文字表記は読めないけど。
175世界@名無史さん:02/11/25 17:49
津軽弁と鹿児島弁はオランダ語-ドイツ語より遠いって良く言うね。
それより近いとなると四国と東北で話してる感じかな。
176元青森県人:02/11/25 21:16
>175
>津軽弁と鹿児島弁

どちらもネイティブが知り合いにいるんですが、本当に同じ日本語とは思えませんね。
177仙台人:02/12/01 11:53
同じ宮城県内にもかかわらず気仙沼で話されてる俗称気仙語が分かりません。。。
178世界@名無史さん:02/12/01 12:45
それは地域語というより本来の地元の言葉がわからないというだけだろう。
179アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/12/01 12:53
国語学の先生から昔聞いた話だけど、鹿児島のナントカいう刑務所は
鹿児島県の中でも特に特殊な方言圏にあって、脱走してもすぐに捕まるそうな。
一言でもしゃべったらヨソモノだとわかるので。
その先生は、鹿児島弁で話してもネイティブと区別がつかないのが自慢でした。
朝鮮語やモンゴル語もできるんですけどね。
180世界@名無史さん:02/12/05 17:33
ホメイニ体制になってから古代ペルシャの歴史文化は
異教徒のものとされて破壊されたのですか?
181世界@名無史さん:02/12/05 19:45
>>180
ペルセポリスの遺跡は残ってるけど・・・
182世界@名無史さん:02/12/05 20:50
特に破壊はされていないと思うが。
むしろなにやらいろいろ作ってるような印象が・・・
183世界@名無史さん:02/12/06 02:05
実はイランのイスラム政権て結構いいことやってるんだよね。
ホメイニ政権以来の悪の巣窟のようなイメージってどっから来てるんだろ。
イラクはまあわかるが、具体的な事例がいまいち思い浮かばん。
184世界@名無史さん:02/12/06 02:08
ほとんどは革命とそれ以後のその反米的・反近代的{ヨーロッパの)言動のせい
具体的な事例としてはアメリカ大使館占拠とラシュディへの死刑宣言くらいだな
もっともアメリカがやられるのには自業自得的な面があることも事実だが
185世界@名無史さん:02/12/06 09:00
>>183
どうやれば「イスラム的でない」としてしょっぴかれないで済むか分からないので、
ホメイニのイスラム解釈本が飛ぶように売れる、
なんてブラック・コメディ的な面もあったがね。

イラン・イラク戦争はイランの国内不満そらしだった説もあるね。
186世界@名無史さん:02/12/06 13:59
>>183
ホメイニ・カダフィー等、欧米人の利権を没収した
革命家は皆残虐で極悪非道な独裁者ってイメージを外部に植え付けられています。

>>185
イライ・イラク戦争ってシャトルアラブ側の国境線を不満として
アメリカの黙認の下にイラクが仕掛けたんじゃありませんでしたっけ?
187世界@名無史さん:02/12/16 00:16
素朴な疑問なのだがペルシアってカスピ海に海軍はなかったの?
実際アストラハンはペルシア貿易の拠点だったはずだが、
あっさりロシアに渡しちゃったのかね?
トルコは黒海北岸をめぐって相当な攻防戦を繰り広げてたが、
ペルシアがカスピ海北岸に関して丸腰だったとはどうも腑におちないのですがどうなんでしょう。
188世界@名無史さん:02/12/18 21:26
あげ
189世界@名無史さん:02/12/21 04:46
黒海の話は良く出て来るけどカスピ海の話しって聞かないね。

中東の油田だけでなくカスピ海の油田を欧米に輸出するにはアフガンがあんな調子な以上
ロシア経由か、コーカサス〜トルコ経由か、イラン経由かしかなく
チェチェン戦争やアメリカの悪のイランイラク宣伝の本当の狙いはこのへんにあるようだ。
190世界@名無史さん:02/12/21 08:16
>>187
第1次イランロシア戦争(1804-1813)で善戦したもののアスランドゥズの戦い(1813)で大敗してゴレスターン条約を結ぶ。
この条約でカスピ海におけるロシア軍艦の独占的航行権を認めた。
 
それ以前は、、、カージャール朝の軍隊は遊牧部族が主で、統治体制も中央集権なんて夢のような遅れた国だったので、海軍なんて無かったのではないかと。
191世界@名無史さん:02/12/21 21:26
ブワイフ朝以前の10世紀前半のダイラム人・ギール人傭兵隊長の活動        柴山 滋
 
10世紀前半のイラン北部の地域はアッバース朝カリフの権力が
衰退し,様々な地域の利害関係者が互いに競いあった,
イラン史上の「ダイラム人の幕間」と呼ばれる時期であった。
9世紀末にエルブルズ山脈西部の山岳民であるダイラム人と
その麓のギーラーンの農耕民であるギール人の大部分は,
アリー家のハサン・アル・ウトルーシュの宣教に応じて
イスラームに改宗し,タバリスターンとグルガーン地方の
アリー家国家の再建に協力し,917年のハサンの死後は宗教の
影響が薄まった国家を建設した。この地域は935年以降,
ブワイフ朝によって統合されていくが,その前段階で
活躍するのが,リーリー・ブン・アル・ヌウマーン,アスファール・ブン・スィーラワイフ,マーカーン・ブン・カーキー,マルダーウィージ・ブン・ズィヤールの4名のダイラム人・ギール人の傭兵隊長である。
 
リーリー・ブン・アル・ヌウマーンについては,多くのことが
知られているわけではない。彼はハサン・アル・ウトルーシュ
の息子達に仕えた指揮官の一人であった。彼はハサンの義理の
息子で,かつ後継者であるハサン・ブン・アル・カーシムに
より,920年にグルガーンの代官に任命された。921年,
ハサンはダイラム人・ギール人に略奪のはけ口を与えるために
リーリー指揮の下,当時サーマーン朝の配下にあった
ホラーサーンに派遣した。彼はダームガーンを占領し,
さらにニーシャープールとメルブまで手中に入れたが,
サーマーン朝の大軍によりトゥースに追い込まれ,敗死した。
 
192世界@名無史さん:02/12/21 21:27
アスファール・ブン・スィーラワイフは,923年,
前述のハサン・ブン・アル・カーシムとハサン・アル・ウトルーシュの息子達の紛争の中で台頭した。
最初,彼はハサン・アル・ウトルーシュの息子のアブー・アル・カーシムと結んだので,マーカーンに追われ,サーマーン朝の
ニーシャープール総督の支配下に入った。925年のアブー・
アル・カーシムの死により彼の甥のアブー・アリーをもりたて,
927〜28年にマーカーンをタバリスターンから追放した。
しかしアブー・アリーの死後,マーカーンはタバリスターンを
回復し,アスファールはグルガーンに戻り,サーマーン朝から
そこの知事に任命された。その後,ギール人のマルダーウィージの援助で,再びタバリスターンの支配者となった。
彼の勢力はグルガーン,ライ,カズウィーン,その他のジバール地方の諸都市に拡大した。彼はサーマーン朝に貢納することで
彼の権威の一層の拡大を図り,次第に独裁を強化した。
しかし931年,配下のマルダーウィージの反乱を招き,アラムートに逃れる途中で,殺害された。

193世界@名無史さん:02/12/21 21:27
マーカーン・ブン・カーキーは,タバリスターンのアリー家の
王子達の配下で実力を伸ばした。彼はハサン・ブン・アル・
カーシムと同盟し,アスファールと対立した。
928年にアスファールに敗北し,一時ダイラムへ逃れたが,
勢力を挽回し,930年までにタバリスターン,グルガーン,
ホラーサーンのニーシャープールに至るまで支配した。
しかしマルダーウィージの躍進を止めることはできず,
彼はタバリスターンを失い,ホラーサーン地方のサーマーン朝
の領内に撤退し,同朝からキルマーンの知事に任命された。
935年のマルダーウィージが殺害された後,彼はサーマーン朝下
のグルガーン知事となった。その後サーマーン朝から自立したが,同朝の討伐を受け,940年12月にライ郊外で敗死した。
 
ズィヤール朝の創始者であるマルダーウィージの活動が
明らかになるのは,前述のアスファールに仕えた後のことである。彼は主君の殺害後,その領地であるダイラム,ギーラーン地方を受け継いだ。その後,931〜32年までにディーナワール,
イスファハーン,ハルワーンに至るジバール地方の大部分を
獲得した。933年,マーカーンを破りタバリスターン,
グルガーンを支配下に置いたが,貢納と引き替えにサーマーン朝と和解した。この時,ブワイフ家の兄弟が彼の配下に入った。
934年,ブワイフ家のアリーの反抗を抑えるために軍隊を
アフワーズに派遣し,そこを支配下に入れた。このように
マルダーウィージは,短期間でダイラム,ギーラーン,
タバリスターン,グルガーン,ジバール,そしてアフワーズに
至るまでの広大なイラン西部の諸地方を征服した。
さらに彼はバグダードに進軍し,カリフ制を廃止し,
ペルシア帝国復興を意図していたといわれるが,935年1月,
イスファハーンで配下のトルコ人親衛隊の一部に殺害された。
 
マルダーウィージの死により,その配下から自立した
ブワイフ家三兄弟のアリー(後のイマード・アッダウラ)は
ファールス地方,ハサン(後のルクン・アッダウラ)は
ジバール地方,アフマド(後のムイッズ・アッダウラ)は
キルマーンとフージスタンをそれぞれ支配した。
これがブワイフ朝の始まりである。
194世界@名無史さん:02/12/31 00:36
すいません、質問なのですが、今のイラン国民がイラン人としての民族的な自覚を
持つようになったのは、何時頃と考えるのがいいんでしょうか。

サファヴィー朝をイランの国民国家と見なす考えもあるようだけど、そもそもそれは
今的発想のようにも見えるし、あるいは19世紀後半から20世紀前半のイギリスや
ロシアの帝国主義に対する反発の中から生まれたと考えていいのか。

ペルシア人として、古代ペルシャ系王国の誇りみたいなのがあって、もともとある程度の
民族的連帯感はあったのかなぁなどとも思ったのですが。

知ってる方居ましたら、教えて頂きたいです。
195世界@名無史さん:02/12/31 01:13
>>194
パーレビ王朝は古代ペルシャ系王国の誇りを持ち出し、イスラムを蔑ろにしたから、ホメイニ師の反発を食らった。
イスラムのお坊さんにとって、イスラムこそ至高で、古代ペルシアの伝統は忌避すべき存在。
196:02/12/31 01:21
>>195
>イスラムのお坊さんにとって、イスラムこそ至高で、古代ペルシアの伝統は忌避すべき存在。

中世ギリシア人の古代ギリシア否定に似ているなあ・・・
197世界@名無史さん:02/12/31 01:41
>>196
んで、イラクでもバース党はバビロニアを持ち出していたけど、
最近はイスラムに傾いているね。
198世界@名無史さん:02/12/31 01:55
ということはやっぱりシーア派の国がイラン、てことになんのかいな?
シーア派でペルシアを乗り越えた、みたいなとこもあるもんな。
199世界@名無史さん:02/12/31 04:31
>>198
でも、サファヴィー朝の支配地域はシーア派地域よりかは狭い。
オスマン朝の支配地域だった現イラクの東南部は完全なシーア派地域
なわけだし。
200世界@名無史さん:02/12/31 05:49
イラクはクルディスタンにメソポタミアをくっつけたもの説もあるし
イラクはもう解体したほうがうまくいくのかな。
201世界@名無史さん:02/12/31 06:22
>>200
クルディスタンを作るのはトルコが猛反対するのは確実。イラン・シリアも反対する
だろうからなぁ。クルド人だって内部があれだけばらばらだと、まともな政府を
作れるとは思えん。
202194:02/12/31 10:40
なるほど、あんまり西洋のナショナリズムのパターンで考えてはいけない面も
あるようですね。ありがとうございます。
203世界@名無史さん:02/12/31 18:06
結局どこのスレでもイスラム圏はスンナ派でEUみたいに統合したほうがいい説になるな。
204世界@名無史さん:03/01/09 06:24
冬休みはイスラムスレが沈むなあ。
205山崎渉:03/01/11 12:56
(^^)
206世界@名無史さん:03/01/22 12:24
あげ
207世界@名無史さん:03/01/22 12:42

ショタ&ゲイビデオを好きなときに手に入れる方法
★重要なのはお金をかけない事と家族にもバレない事★
※リンク集でもランキングサイトでもなく入手方法を紹介するページ

http://www2.free-city.net/home/aliceya/shota.html


208世界@名無史さん:03/02/08 04:38
参考文献

http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/2001/akasu.html

誰も知ろうとしなかったクルド問題の全体像を明かす
書評:中川喜与志著『クルド人とクルディスタン』(南方新社刊 3800円)

>本書の著者はこの一〇年間ほど、「週刊金曜日」や「京大新聞」において、クルド問題に関わる文章を断続的に発表してきた。

あの週刊キム曜日の執筆常連だとなると、ちょっと注意が必要だろうがね。

209世界@名無史さん:03/02/15 14:22
>>201
素朴な疑問なのだが、イランでは、いわゆる民族的な繋がりと、
シーア派であることによる宗教的な繋がりと、どちらがより強固なのだろうか?
それによってクルド人問題への見方も変わってくるような気がするが。
210世界@名無史さん:03/02/15 15:05
>>209
以前は宗教的な繋がりを重視していましたが、最近は民族的な繋がり
を重視する考え方も強くなってきているようです。
同じイラン系であるタジク人に肩入れしたりとか。
211世界@名無史さん:03/02/16 02:47
それでもシ−ア派であることというほうが強固でしょう。
212世界@名無史さん:03/02/24 14:17
とすると、イランのクルド人は、仮にクルド人国家が誕生したとしても、
それへの編入を望まない人が多いのではないかな?

また、イラク南部のシーア派は、イラクが弱体化すれば、
これ幸いとイランへの編入を望むのではないかな?
213世界@名無史さん:03/03/01 21:14
イランは、首都はペルセポリス、ゾロアスター教の国・ペルシアとして続いていたら、
カッコいい国なんだけどな。人口も一億を突破するそうだし、他国に何らコンプレックス
を持つこともない。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教はゾロアスター教の影響を受けているし。
ただ、顔が濃いのが難点かな。
214世界@名無史さん:03/03/01 23:58
 イランの国教はシーア派のなかの一派十二イマーム派だけれど、
これもゾロアスター教の影響受けてると考えている学者がいるよう
です。
 ゾロアスターの水の神アナーヒタが、十二イマーム派の三代目
イマームの従姉妹に姿を変えたとか、本で読みました。その内容は
東洋経済新報社刊「イスラーム世界の人びと」一巻(1984年出版)
のP169にあります。
 書いた人は経歴を見る限り、文化を専門に研究しているといった感じで、
歴史的検証は欠けているのですが。文化人類学にありがちの独断に満ちています。
215214:03/03/02 00:00
すいません、「三代目イマームの従姉妹」ではなく「三代目イマームの異母兄弟」でした。
216世界@名無史さん:03/03/05 23:29
>>214
イラン以外のイスラーム世界でも、聖者信仰など、イスラームの正統教義から
外れたものがありますからね。
メッカのカーバ神殿の黒い石、あれもイスラーム以前から存在していたのでは?
217つるめそ:03/03/06 01:55
飛び入りですが
>>216 カーバはその通りです
シリア、レバノンのドルーズ派
シリアのアラウィー派(アサド大統領の出身宗派)などもちょっと変わり者
スーダンのマフディー信仰とか
218世界@名無史さん:03/03/07 00:36
イランの本音は「我々こそ中東の正当な支配者」なんだろうな。
蛮族のアラブやトルコ、クルドはすっこんでろ、って感じで。
219七資産:03/03/07 15:17
国名をペルシャからイランに変えたのはイメージ的に失敗だったな
220レザ・カーン(パーレビの父):03/03/13 14:09
余じゃ。

「イラン」=アーリア(高貴な人々という意味)だぞ。
いい名前ではないか。
221世界@名無史さん:03/03/13 20:58
>>220
「イラク」の意味は?
222つるめそ:03/03/13 21:08
>>221
イラキ-アラブ=低地アラブの意味です
ティグリス-ユーフラテス川の河口付近を中心に指す言葉
223世界@名無史さん:03/03/13 21:31
>>222

多謝。
224世界@名無史さん:03/03/13 21:44
イラク→バビロニア共和国
イラン・イスラム共和国、アフガン→ペルシャ共和国
でイスラムを捨てれば良い
225世界@名無史さん:03/03/13 21:53
>219
 ペルシャは他称、ヨーロッパ人がそう呼んだだけ。イランが自称。
226世界@名無史さん:03/03/13 21:56
イーラーンとかいってアケメネス朝にさかのぼる雅号なんだろ?
227世界@名無史さん:03/03/13 22:51
>>226
ペルシアは、ギリシア神話のペルセウスから来た。
228世界@名無史さん:03/03/13 22:52
>>218
中東の支配者は一貫してトルコです。
アラブもイランも脇役。
229世界@名無史さん:03/03/13 22:54
イラン史の最高の概説書を読みたいので教えてください。
230世界@名無史さん:03/03/13 23:38
ペルシアの語源って、ファルス(ペルセポリスのあったあたり)
じゃなかったっけ?
231世界@名無史さん:03/03/13 23:50
ホラサーン地方だろ
232つるめそ:03/03/14 08:58
イランの語源は>>220のとおり
サンスクリット語の高貴な人「アリアナ」の転訛
ペルシアは、「馬に乗る人」の意味
233つるめそ:03/03/14 09:03
追加
ギリシア語の「馬に乗る人」がパールス
「馬に乗る人の土地」ペルシス(現在のイラン高原あたり)
ファールスはその転訛か?
「馬に乗る人の国」がペルシア
「馬に乗る人の都市」がペルセポリス
つまり、現イラン(あるいは古代ペルシア)の一地域を指す他称だった
それで、イラン(ペルシア)全域を指す自称として新たに「イラン」が選択された、ということらしい
234世界@名無史さん:03/03/14 12:15
「イーラーン」「トゥーラーン」という言い方があるね。
235レザ・カーン:03/03/15 14:50
余じゃ。
国名についての解説ご苦労である。

あとは余がナチス・ドイツと通じていたという濡れ衣も晴らしてくれ。
236世界@名無史さん:03/04/02 14:48
レザ・カーンについてのサイトは殆どないなあ。
日本財団のサイトとここだけ?

http://www.oct.zaq.ne.jp/poppo456/index.files/b_oil.htm
237世界@名無史さん:03/04/02 16:20
ttp://www.fujilight.co.jp/pc/info/info_main.htm

パフラヴィー朝(1925〜79)
首都・・・テヘラーン

1921年、クーデターを起こしたレザー・ハーンは、25年末自らレザー・シャー
(1926〜44)と称し、26年戴冠式を行い、上からの近代改革を推し進めます。
35年には、国名をイランとし、絨毯産業の発展などを図りますが、第2次大戦の
連合軍の圧力で、南アフリカに亡命、1944年死去します。その後、王位は皇太子の
モハンマド・レザー・パフラヴィー(1945〜79)が継承、米ソの冷戦と石油国有化問題の中、
アメリカの支持のもと国権を維持、57年治安機構(SAVAK)の設立、58年パハラヴィー財団の設立、
60年ファラハ王妃との間に皇太子誕生、63年白色革命が国民投票で承認されるなど、
王制の高揚を図りますが、1979年イラン革命で国王は国外へ脱出、王制は打倒されます。
238ハタミ大統領:03/04/07 17:52
さあてそろそろイラクのシーア派支援のために動くとするか。
239世界@名無史さん:03/04/07 22:22
シーア派はイスラムに古代の呪術的要素を内包したものなんだそうです。
誰が言っているのかと言うと、何かと話題のあの田中宇さんなんですが。
http://tanakanews.com/d0124iraq.htm
240世界@名無史さん:03/04/07 22:51
>>239
確かに共通点はあるけどね。
イランがシーア派(十二イマーム派)になったのはサファヴィー朝時代からで、
それまではスンナ派の国だったんだよな。
イラクのシーア派は十二イマーム派ではなかったと思うが。
例えばバスラの多数派はアフバーリー法学派。
むしろサファヴィー教団がそういう呪術的要素を持ってたんじゃないの?
241世界@名無史さん:03/04/08 10:13
田中宇はデタラメが多くて評判悪いぞね
242世界@名無史さん:03/04/08 14:40
>>241
陰謀論にとりつかれてるしね。
243世界@名無史さん:03/04/08 16:31
イラン大使館のホームページなんだそうですが、ちょっと校正が甘いみたいですね
http://www2.gol.com/users/sjei/econo-j.htm
244世界@名無史さん:03/04/11 14:06
こんなページをみつけたんだが……
http://www.oct-net.ne.jp/~rfield/newpagephlv-3.html
245世界@名無史さん:03/04/12 01:26
>243
スラム国家ってあんまりだよw
246世界@名無史さん:03/04/13 22:31
イランで石油の国有化に踏み切ったモサデクは、カージャール朝の血筋を
ひく名門の出身。
地主であり、テヘランにもかなりの土地を所有していた。
戦前の在テヘランの日本公使館はモサデク家からの借家だった。
247世界@名無史さん:03/04/15 00:18
20日から始まるNHKスペシャル「文明の道」で、ペルセポリス神殿へのアレクサンドロス大王
の入場をCGで再現。
見応えありそうな予告だった。

248世界@名無史さん:03/04/17 00:44
>>239
確かにそういう面もあるがそれはたぶんにスーフィーと混同していると思われ。
249世界@名無史さん:03/04/17 00:49
つぎは、シリアじゃなくてイランだ!
250山崎渉:03/04/17 09:13
(^^)
251世界@名無史さん:03/04/17 12:57
4イーワーン式モスクはイランが起源?
252山崎渉:03/04/20 04:41
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
253世界@名無史さん:03/04/20 09:24
ほほう、大西がこんなことをやっていたとは。

デイリー自民【平成14年 7月18日】

■ ピースウィンズ・ジャパンからヒアリング NGO小委員会

 国際的NGOに関する小委員会は18日、非政府組織(NGO)ピースウィンズ・
ジャパンの大西健丞代表から、破綻国家・紛争地域での取り組みについて
ヒアリングを行った。大西代表は現在、イラン北部クルド人自治区での人道支援に
取り組んでいるが、クルド人指導者とのパイプ作りについて「政府が正面から
交流することは難しいので、議員外交に期待したい。米国や英国はそのようにして
パイプを作っている」として、わが党議員の積極的な参画に期待感を示した。
254世界@名無史さん:03/04/20 12:00
>>247
http://www.nhk.or.jp/bunmei/interview/index.html
NHKのHPに、イランのダーウッド・ミールバーゲリ監督のインタビューが
載ってますね。
255世界@名無史さん:03/05/06 13:42
http://www4.osk.3web.ne.jp/~jlg/Review/circle.html
イラン映画史&現状の記述あり
256世界@名無史さん:03/05/06 13:49
ゾグト人の子孫ってどこにいるの?
257世界@名無史さん:03/05/07 00:36
生まれる前から皇帝だったシャープール2世燃え
258世界@名無史さん:03/05/07 13:42
>>257
あれで女子が生まれていたらどうなったんだろう。
イラン初の女帝になったのか、それともどっかの赤子と密かに替えてしまうのか。
259m:03/05/07 13:43
260世界@名無史さん:03/05/07 14:49
居和多あげ

この頃の中国とペルシアの関係も気になるな
261世界@名無史さん:03/05/07 21:28
>>256
ソグド人の残党は、タジキスタンの山奥に数百人くらい
ヤグノブ人という名前で住んでいるらしい。
262世界@名無史さん:03/05/07 22:58
>>260
遠交近攻政策をとったので、関係は良かったらしい。
サーサーン朝滅亡後、大勢のペルシア人が中国に亡命しているし。
263世界@名無史さん:03/05/08 11:42
>>260
カワード1世って結局何がしたかったんだろうね…

マニ、マズダク、ゾロアストル
どれも似たようなものだと思うけど
264世界@名無史さん:03/05/08 22:21
>>258
それは大いに興味がある。
なんか田中芳樹の某シリーズにそんな設定があったような
265世界@名無史さん:03/05/08 23:53
5月22日から28日くらいまで赤坂ツインタワーでイラン文化週間とかいう催し物があるらしい。
266世界@名無史さん:03/05/12 12:31
アケメネス朝は楔形文字なんて採用してたんですか
アラム語も公用語の一つでアラム文字とかも入ってきてたはずなのに
267世界@名無史さん:03/05/19 22:30
ソグド人の子孫はウイグル人
268世界@名無史さん:03/05/21 23:29
やっぱ楔形文字はシュメール時代より伝わり伝統ある文字だからでしょう。
それ以前に岩に刻み込むんだったらアラム文字よりもやり易かったからかな。
269世界@名無史さん:03/05/22 00:10
>>264
もしかしてアルスラーン?
あれは男だからノー問題じゃあ。
270世界@名無史さん:03/05/24 03:08
古代ペルシア語は、ダーラヤワウ1世制定の楔形文字に属す古代ペルシア文字でかかれてますな。
後、公用語のアッカド語やエラム語も楔形文字。
アラム語が行政言語使われてたのはアッシリア帝国の影響だとか。
271世界@名無史さん:03/05/24 11:49
>>270
力で制圧しても、領内の文明人を無碍にはできんだろうて。
言語も含めてインフラだから、利用しない手は無い。当時のアラム語圏は
一級の文明先進地帯だろう。敢えて破壊するのは得策ではない。
272世界@名無史さん:03/05/25 23:25
>>269
本当は女が生まれたので闇に葬って代わりに部下の息子として生まれた
アルスラーンを引っ張り出してきて王子であると偽ったとかいう設定のはず。

そういえば中近東文化センターでサーサーン朝のコインに関する特別展示がやってるな。
273山崎渉:03/05/28 15:05
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
274世界@名無史さん:03/05/28 23:51
アメリカはイランに戦争を仕掛けないように・・・
275世界@名無史さん:03/06/01 06:30
異教徒の我々がイスラム以前の無明時代を語ったりしたら
イスラム教徒に暗殺されるだろう
276世界@名無史さん:03/06/02 23:55
>275
A.D.622以前は何も語れねえな。
大化の改新はセーフだが聖徳太子はアウトかよ。
277世界@名無史さん:03/06/04 01:12
んじゃ、近代現代イラン史でも語るか。

ホメイニが革命起こしたのは結局保身。
パーレビ国王の土地改革で寄進地を奪われそうになったから。


と言ってみるテスト
278世界@名無史さん:03/06/05 21:17
アルダーシールは、正確にはアルダフシール。
すると
シャープールは、シャープフルとシャーブフル、どっちが正しいだろ?
279世界@名無史さん:03/06/05 21:31
ShahpurはShahpuhrとも書くからシャフプフルでは?
280世界@名無史さん:03/06/07 20:31
そのhは発音するの?
281世界@名無史さん:03/06/08 14:19
ホメイニはイスラム以前のイランを「暗黒時代」と呼んだらしいね。
イスラム革命時に、急進分子がキュロス王の墓を爆破しようとしたのは、さすがに止めさせたけど。
282世界@名無史さん:03/06/09 17:34
>>237
今のイスラム世界は暗愚の中世みたいなものなのに
283世界@名無史さん:03/06/16 14:06
イスラム保守派にとっては確かに「暗黒」だったろうな。>281
284山崎 渉

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄