西ローマ滅亡後のゲルマン人国家とその王たちを

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1世界@名無史さん
はるかアフリカまでの大移動を成し遂げた、ヴァンダルの覇王ガイゼリック。

西ローマにとどめを刺した西ゴートのオドアケル。

東ローマ皇帝の命を受け、オドアケルを打ち滅ぼし、イタリアからイリリアに
またがる王国を築いた東ゴートのテオドリック。

東ローマに滅ぼされたヴァンダルや東ゴート、イスラム帝国に滅ぼされた西ゴ
ートを尻目に力を蓄え、ついには「西ローマ帝国」となったフランクの王たち、
メロビング朝のクローヴィス、カロリング朝のピピン、カール大帝。

西ローマ滅亡後、混迷を極めた、ゲルマン人諸王の時代を、詳細に語り尽くそう。
2世界@名無史さん:02/09/02 03:23
ゲルマンってどっから来たの?
3  :02/09/02 03:30
>>2

一般的にはバルト海沿岸あたりと言われている。
4世界@名無史さん:02/09/02 03:53
なんでそんな栄養の悪そうな所に住み着いたんでしょうね
5  :02/09/02 04:00
>>4

だから、気候変動を機に、一挙に食糧難に陥って、移動を始めたのでしょう。
6世界@名無史さん:02/09/02 04:27
>>5

それはそうとして、なぜ、最初に、バルト海沿岸なんかに?
7世界@名無史さん:02/09/02 04:35
米、不法滞在の韓国人を大挙取り締まり
http://japanese.joins.com/html/2002/0814/20020814182023400.html

米国で不法滞在する韓国人らが、不安に震えている。
米移民局(INS)が、彼らを集中的に探し始めたためだ。

移民局の集中的な取り締まりは、今年5月、バージニア州の
ある米国人弁護士が韓国人らに対し、虚偽の永住権を大量発給
した事実が明るみになったことで始まった。

当初の目標は、虚偽の永住権の所持者だったが、取り締まり
の過程で、既に国外退去を命じられた韓国人までが、続々と
検挙されている。

この2週間で、不法滞在の韓国人200人余りが捕まった。
取り締まりが拡大すれば、酒場やマッサージ業といった遊興
施設で不法に働く女性らも対象になる可能性が高い。


8世界@名無史さん:02/09/02 05:26
テオドリックの墓はすごい。
直径11メートルの一枚岩のドーム。
しかも、石の産地は、アドリア海の対岸のイリリア地方。

彼の権力の大きさが分かる。
9世界@名無史さん:02/09/02 06:18
>>6 多分、長ーい年月をかけてロシア平原を北上。
10東ゴート王トティラ:02/09/02 07:33
ちょっとマイナーだが東ゴート王トティラがカッコイイ。知らないヒトのために以下簡単に紹介
する。

6世紀前半、東ローマ帝国のユスティニアヌス大帝は腹心の名将ベリサリウスに命じてイタリア
および西方属州を奪回しつつあった。西暦 534年にはヴァンダル王国が滅ぼされ、余勢を駆って
北上するベリサリウスは540年にはラヴェンナも陥して東ゴートの王ウィティギスを拘束し、ここ
に東ゴート王国は滅亡に瀕した。しかし、イタリア北部で抵抗を続けていた東ゴート族の将軍達
は降伏を拒み、西ゴート王の甥に当たるヒルデバドを新王に選出した。しかし新王は即位して間
もなく暗殺され、後を継いだのは、トティラだった。時に西暦541年。

翌年、新王トティラはファエンツァに於いて、倍の兵力を有する東ローマ帝国軍に大勝した。更に
フィエゾレ付近に於いても帝国軍を壊滅させて南進し、ローマ、ナポリを席巻した。残るはイタリ
アにおける帝国の根拠地ラヴェンナ攻略だったが進軍中にがら空きのローマを再上陸したベリサリ
ウス将軍に奪回されてしまう。

しかし 548年、ベリサリウスの後ろ楯のテオドラ皇后が亡くなり、ベリサリウスはコンスタンティ
ノープルに召喚される。この機逸すべからずとトティラ王は攻勢に出て帝国海軍を打ち破り、 550
年にはローマを再占領し、コルシカとサルディニアも占領する。

これに対し帝国は新将軍ナルセスをイタリアに派遣した。552年再度ラヴェンナ攻略を企図する
トティラ王はフラミニア街道沿いのブスタ・ガロルムにおいて、帝国軍とが激突した。ナルセス将軍
の弓兵部隊が、突撃する東ゴート族の騎兵部隊を打ち破り、この戦いにおいて、東ゴート王国の希望
の星であったトティラ王は戦死しまう。ブスタ・ガロルムの戦いを生き延びたテヤが、東ゴートの
新王に選ばれるもナルセス軍の追撃にあって新王は戦死しここに東ゴート王国は滅亡した。

東ゴート滅亡間際に輝いた英雄王。10年余りの転戦で帝国軍を再三にわたり敗走させ、一時は半島
の覇権を握るかに見えたものの あえなく戦場の露と消えた。その波瀾に満ちた生涯は小説や映画の
題材になってもおかしくないと思う。

11世界@名無史さん:02/09/02 07:49
トティラはかっこ良いと思う。
残念なのはトティラを倒した東ローマもしばらくして撤退する事だね。
ハンニバルVSスキピオみたいに勝った側の国がこれを機に覇権を取ると、
小説などの題材になったと思う。

それはそうとその東ローマを追い出したロンバルディアについて語られる事が
少ないのは不満ですね。ロンバルディアの影響はものすごく長く続くのに、
これを意識して無視しているように感じる。
イタリア人は自分達がローマ人の純粋な子孫と信じたいからなんだろうけど・・・
12世界@名無史さん:02/09/02 15:26
言われてみれば、みんなどこ行ったんだろうなあ。
土地の領主になって王や皇帝から封じられてるケースもあると思うが。
13世界@名無史さん:02/09/02 18:16
11世紀、南伊を支配したギスカールが戦った領主の多くは、
ロンバルディア起源が多いと思った。
ピピンに倒されてからも300年も生き残っていた訳だから、
イタリアに与えた影響は非常に大きかったと思われる。

そういえばイタリアに肉食の習慣が根付いたのは、ロンバルディア時代が大きいと思う。
何度も言うけど影響を受けた期間が長かったからそう思うんだ。
14世界@名無史さん:02/09/02 19:49
ゲルマン民族大移動って何?
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1006065831/

ゲルマン人が大移動
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1029942047/
15世界@名無史さん:02/09/02 20:13
>>13
「ロミオとジュリエット」はロンバルディア地方が舞台?
16世界@名無史さん:02/09/02 21:34
イベリア半島の西ゴート王国もあまりとりあげられないねえ。
トゥールのグレゴリウスのような歴史家がいなかったからかな?
17世界@名無史さん:02/09/02 22:18
>>16
確かにとりあげられないね。
弱かったのがいけなかったのじゃないかな。
フランク王国に圧迫されるし、国内は教会がのさばって王家の権力は弱いままだし、
最後にイスラム軍に滅ぼされてしまうしね。

でもその後のスペインの歴史を理解するには西ゴートを知ることが必須と思うんだ。
もっと取り上げられるべきだよね。
18世界@名無史さん:02/09/02 22:25
>>15
ベローナが舞台ですからロンバルディアで良いはずです。
19世界@名無史さん:02/09/02 23:09
ゲルマン人たちがローマの文化と伝統を破壊したというイメージがあるけれど、
実は、ローマの文化を尊重したゲルマン人王は多かった。

西ローマ帝国の版図を荒廃させてしまったのは、ゲルマン人の侵入以上に、東ロ
ーマ帝国との200年に渡る抗争。

罪深きは、ユスティニアヌス。
そして、ユスティニアヌスに、彼には不釣合いなほど名将だったベリサリウスと
ナルセスを与えた運命。
20世界@名無史さん:02/09/03 09:21
>>19
ナルセスって、宦官でありながら武勇の人。
21世界@名無史さん:02/09/03 09:37
BAIERNのタシロ3世…ランゴバルトとフランクに血縁関係を持っていながら
カール大帝によって監禁された
22:02/09/03 09:43
ランゴバルト王国はローマ文化を最初は尊重せず
ローマ人地主から土地を取り上げたりすることも多かったようだが
次第にローマ文化を吸収、カトリックにも改宗

ランゴバルトの王も、最初はアルボイン、あとリウトプランドとか
いかにもゲルマン風の名前なのだが、最後の王はデシデリウスという名前で、
ラテン語系の名前になっている
やはり最後になるとローマ文化に慣れてしまったということかな?
23転載ですが参考に:02/09/03 09:45
ガリアを征服したフランク人は、人口的にはガロ・ローマ人に対して劣勢だったので、
独自のゲルマン系言語を次第に失い、ラテン系というかロマンス系言語を採用して
いったのだが、反面、人名のつけ方については、逆にガロ・ローマ人に影響を与えたそうだ。
特にフランク人の影響の強かった北部と中部では、ローマ系住民がゲルマン系人名を
つけるようになる度合いが極めて大きかったという。

教会記録などを調べると、北部と中部では、5世紀には、人名の中のゲルマン系氏名の
比率は1/4未満なのだが、6世紀にはほぼ半数になり、9世紀になると、ほとんどゲルマン系人名だけになる。
一方、ローマ文化が根強く残った南部では、マルセイユの記録によれば、9世紀でも
半数近くはギリシア・ラテン系人名が用いられていたという。

9世紀を超えると、次第に聖人崇拝が広がった関係から、キリスト教系(語源的には
ヘブライ・ギリシア・ラテン)の人名が広がっていく。

なお、人名の中には、稀に、
ラテン語とゲルマン語を合体させた「ハイブリッド人名」も生まれたという。
たとえば、現代のフランスにも残っている「ボナール=Bonard」は
ラテン語のBonus(=善い、勇敢な)とゲルマン語のHard(=強い、鋭い、勇敢な)を
あわせて生まれた名前であった。
24世界@名無史さん:02/09/03 12:33
>23
面白い記事ですね。
サンクスです。
25世界@名無史さん:02/09/03 15:11
>>22
ランゴバルト人は、パヴィアに法律学校をつくったりして、なかなか法的な
部族だったようです。
ローマ法に関する知識もありました。
6世紀イタリアの東ゴート王国で、テオドリク大王の宮廷で活躍し
最後は失脚して処刑されたローマ人哲学者ボエティウスが獄中で書いた
「哲学の慰め」を古い岩波文庫版で持っています。

この中でボエティウスは、当時権力を濫用した人物としてトリグヴィラという
ゴート人について言及しています。「ィラ=ila」という語尾はゴート語の
愛称みたいな感じでよく用いられますので(例:ウルフィラ、トティラ、アッティラ)
語幹は「トリグヴ」ということになります。

一方、時代が飛びますが、国際連合の初代事務総長はノルウェー人のトリグヴ・リー氏
でした。つまり、現代ノルウェーの人名に、遥か昔のゴート族の人名と同じ形が残って
いるというわけです。まあ、ゴート人がもともとスカンディナヴィア半島からきたのだと
すれば、それほど不思議でもないわけですが・・
27世界@名無史さん:02/09/03 21:22
ヴァンダル族が北アフリカに残した影響って、ほとんどないのかな?
ガイセリックの孫のゲリメルの代に滅んだけど・・・
28世界@名無史さん:02/09/03 22:08
>>27
アルジェには近代までヴァンダル人の子孫が残っていて
フランス併合時に優遇されたときいた。
29世界@名無史さん:02/09/03 23:35
>>27
ギボンの『ローマ帝国衰亡史6』(ちくま文庫)に、
「好奇の旅人は今日の時代のムーア人部族の中心地においてさえ、北方民族の
白い顔付と亜麻色の長髪を発見している」
という記述があります。
30世界@名無史さん:02/09/04 01:22
>>28
彼らはどんな言葉を使っていたのかな。
習俗は維持できていたの?
残していたのは容貌だけだったのかね。
31:02/09/04 05:53
中身の深いレスが沢山ついていて感動です。
みなさん、ありがとう。

そうそう、1で情けないミスが。
(誤)ガイゼリック→(正)ガイセリック
32世界@名無史さん:02/09/04 07:56
ローマ文明の遺産で、巨大な柱とかありますよね。
そういうのを意味もなく壊して楽しむ輩もいたのでしょうか?
33世界@名無史さん:02/09/04 08:10
>32
そんな暇な事は滅多にしないでしょう。
34世界@名無史さん:02/09/04 14:13
だねえ。
柱壊してる暇があったら隣の財宝を漁るか、逃げまどうねーちゃん方を追い回すんじゃない?
俺ならそうする。
35世界@名無史さん:02/09/04 15:34
>>32
エフェソスのアルテミス神殿はゴート人によって破壊されました。
36世界@名無史さん:02/09/04 15:37
ローマ市の古代からの建築物荒廃でいえば、
意味も無くゲルマン人が壊したというより、

・6世紀の東ゴート王国と東ローマ軍の戦争
・ローマの住民自身が、近代以前は古代建築を珍重する発想がなかったので
 建築物を平気でバラして新しい建築に流用
・16世紀の神聖ローマ帝国軍のローマ略奪

が大きかったんじゃないでしょうか
37世界@名無史さん:02/09/04 19:00
38世界@名無史さん:02/09/04 20:04
Vandalism
#n ヴァンダル人風; [v‐] 文化芸術破壊; [v-] 《暴徒・学生などによる施設・学校などの》破壊(行為), 《公共物などの》汚損.
39世界@名無史さん:02/09/04 20:59
西ゴート王国の場合、初期の段階では支配者としてやってきたゴート人には
ゴートの慣習法が、もとから住んでいたイベロ・ロマノ人にはローマ法が
適用されていました。
そして西ゴート王国の統一が整ってからは、すべての市民に対して同一の法律が
適用されたということです。
「エウリック法典」「アラリック抄典」「改正法典」「リベル法典」などが
公布されています。
40参考転載:02/09/04 22:16
ガリアの場合・・
フランク人とガロ・ローマ人が最終的には10世紀末に混合が終了したと見られている
そうです。というのは、10世紀末に、法の適用で民族ごとの区別がなくなったからです。
(それまでは、ローマ法とフランク法など、個々人の所属で適用する法が分かれていた)
言語的にはラテン系言語がゲルマン系言語を駆逐していきました。

なお、フランク語=ゲルマン系言語が理解できなかった最初の王は、ユーグ・カペーで、
ゲルマン語で書かれた文書を訳してもらわねばわからなかったことが史書に書かれてる
そうです。
41アニメネタ:02/09/04 22:19
ゴート族はダムを築いてローマの町を水没させ、密かに受け継いでいるんです。
42 :02/09/04 23:57
>>41
カリオストロか(w

そういえば、語学で有名な大学書林で「ゴート語の聖書」という本が
出ていた
ギリシア語聖書原典と、それに対応するウルフィラが4世紀に訳したゴート語聖書を
(もちろん一部の文章だが)対比させたもの
43世界@名無史さん:02/09/06 18:53
>>22
西ゴート王国の王も、最後の王はロドリゴというスペイン風の名前です。
宗教会議も全部で18回も開かれているし、滅亡寸前のころはローマの法治文化と
キリスト教による文治政治のおかげですっかり穏和になっていました。
44 :02/09/06 22:25
>>43
ロドリゴは、ロデリック(Roderic)とも表記され、語源的には
ゲルマン語で、Hroth(栄光ある)+Ric(支配者、王)です。

もっとも、伝承では、当時ロドリゴと対立した人物でフリアン伯というのが
いたそうですが、これはJulianですので、ラテン系人名であり、そっちの祖先は
ローマ系住民だったのかも知れませんね。

西ゴートはおっしゃるとおり、カトリックを採用して、ゴート系住民とローマ系
住民の結婚も自由にされ、融合していたのでしょう。
45世界@名無史さん:02/09/06 22:33
Rodrigoは、ゲルマン人の名前であるRoderich(Roderick)のスペイン訛りだよ。
神聖ローマ帝国とは名前から笑わせてくれるよね。西ローマを滅ぼしたゲルマン民族が自らローマ帝国を名乗っているなんてね。
しかし、あの時代の宗教は絶対だったからね。
47世界@名無史さん:02/09/06 23:01
>>44
フリアン伯は東ローマ帝国に仕えていたのではなかったのかな。
当時のイベリア半島は、北西部にスエボス王国、中央の大部分が西ゴート王国、
南部が東ローマ帝国領でしたけど。
48世界@名無史さん:02/09/06 23:06
>>46
君の憧れるヒトラー率いるナチもローマを憧れてたよ…
彼らの趣味と映像よく見ろ…
ローマ式敬礼、鷲を飾ったフラッグポール、ローマ式建築
49世界@名無史さん:02/09/06 23:08
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50世界@名無史さん:02/09/06 23:19
フランク王国の場合、大陸国家で、周辺のゲルマン系異民族の侵入を
常時受けていたので、隣国との紛争によって、フランク族はゲルマン人の
風習をそれほど風化させずに残していたそうです。
西ゴート王国の場合、ピレネー山脈と海という天然の防壁によって
守られていたため、急速にゲルマンの野性を失っていったのかもしれません。
フランク王国の場合、トゥール・ポワティエの戦いでイスラム軍を撃退
しますが、西ゴート王国はイスラム勢力による支配を許してしまいます。
51世界@名無史さん:02/09/06 23:33
>>46
>神聖ローマ帝国とは名前から笑わせてくれるよね。西ローマを滅ぼしたゲルマン民族が自らローマ帝国を名乗っているなんてね。

認識が間違っているよ。西ローマを滅ぼしたのはゲルマン人だが西ローマに使えていたオドアケル、
ゲルマン民族の民族的な活動によるものではない。
東ゴート等のゲルマン民族からすると、西ローマ内部の権力闘争で勝手に西ローマが滅びたように
感じたであろう。
52世界@名無史さん:02/09/06 23:39
一応オドアケルは東ローマ帝国代官として西ローマを統治するという
形をとっていたはず。
53世界@名無史さん:02/09/06 23:40
>>46
中国なんてモンゴル人が支配しても共産党になっても、ずっと中華ですが。
54世界@名無史さん:02/09/06 23:50
西ローマ滅亡後のゲルマン人諸国家はけっこう通婚を繰り返しているね。
例えば西ゴート王アタナギルドの娘たちのうち、次女のブルンヒルドは
アウストラシア王シギベルト1世と、三女のゴイスウィンタはネウストリア王
キルペリク1世と、それぞれ結婚している。
(後にキルペリクがゴイスウィンタを殺したので、シギベルトと争うことに
なるんだけど)
55世界@名無史さん:02/09/07 00:39
>>52

当時の東ローマ皇帝ゼノンは、正式には任命しなかったけど、手紙の中では、
オドアケルのことを「パトリキウス」と呼びかけてるね。

もっとも、少し後に、東ゴートのテオドリックにオドアケル追討令を出して
いるが。そして、そのテオドリックも、オドアケル軍殲滅の後、半独立国を
イタリアに気付きながらも、東ローマ皇帝を上位においていた。

ゲルマン諸侯と古代の勢力を維持していた時代の東ローマ皇帝の関係は面白
いね。
56 :02/09/07 23:06
7世紀前半、メロビング王朝のクロタール2世(キルペリクの子で、ブルンヒルドを処刑)と、
その子のダゴベルト1世の時代には、宮廷に、有力なフランク人とガロ・ローマ人の子弟が
若い頃から王と共に学び、王の信頼できる仲間として政策を担う存在となった。

フランク人の例としてはダドン、ヴァンドリル、ファロンなど
ローマ人の例としてはデシデリウス、ルスティクス、シアグリウス(クロヴィスに倒された
シアグリウスの子孫)、エリギウスなどがあげられる。

彼らは宮廷で要職を占め、また司教職に就いたりして、王の体制を支えたのである。
特に、ガリア南部出身のガロ・ローマ系有力者が、進んで北部の宮廷まで人材を提供し
フランク人と交流していったのは、支配層において、フランク要素とローマ要素が
入り混じっていった過程で極めて重要な意味を持った。
57世界@名無史さん:02/09/07 23:37
46 :ベンゼン中尉 ◆fjTeojqQ :02/09/06 22:47
神聖ローマ帝国とは名前から笑わせてくれるよね。西ローマを滅ぼしたゲルマン民族が自らローマ帝国を名乗っているなんてね。
しかし、あの時代の宗教は絶対だったからね。


ハァ?宗教が絶対だった?意味不明。 相変わらず馬鹿丸出しだなw
58世界@名無史さん:02/09/08 09:06
批判するなら、論理的に間違っているところを説明すれば。
感情的に意味不明と言ってお茶を濁すあなたは、ただ単にベンゼン中尉を叩きたいだけ。
59世界@名無史さん:02/09/08 10:44
私は57ではないが、宗教が絶対というなら
「ルム・セルジューク」とか「ルメリア」といったイスラム教統治下の地名を
どう説明するのか聞いてみたい。
60世界@名無史さん:02/09/08 10:56
ルム・セルジュークとは名前から笑わせてくれるよね。東ローマを滅ぼしたトルコ民族が自らローマ帝国を名乗っているなんてね。
しかし、あの時代の宗教は絶対だったからね。

と説明するのでは?
61世界@名無史さん:02/09/08 13:21
>>58
ベンゼンの文の方がより感情的に書き殴ってるとしか思えないが(w
62 :02/09/09 00:25
ガリア南部で、北方から来たフランク人に対抗意識を持っていた
ガリア・ローマ系有力者層の多くは、イスラムの侵入と、それに対する
カール・マルテルたちの反撃で、重大な打撃を受けて没落したのでは
ないか
63世界@名無史さん:02/09/10 20:48
『ロランの歌』『わがシッドの歌』『ニーベルンゲンの歌』といった文学も、
ゲルマンとローマ(キリスト教)の結合から生まれたのかな。
64 :02/09/12 00:41
6世紀末、ユスティニアヌスによるゴート戦争が終わって
イタリアが荒廃した時代にローマ教皇になったペラギウス2世は
ローマ生まれの残存ゴート族出身だというのも
なかなか興味深い
65世界@名無史さん:02/09/12 05:05
つーか、オドアケルは西ゴートじゃねーだろう。
6651:02/09/12 07:49
>>65
>つーか、オドアケルは西ゴートじゃねーだろう。

すまん、教えてくれ。
どこのスレにそんなことが書いてある?
67世界@名無史さん:02/09/12 08:52
↑あのな、、、>>1に書いてあるだろ、、、
68世界@名無史さん:02/09/12 09:12
オドアケルはスキュリア族ですな。
オドアケルの父エデコ率いるスキュリア族はアッティラに仕えてたけど
アッティラ死後の敗走中の殿軍をつとめて
壊滅。オドアケルとその兄(名前忘れた。)
は放浪の後、オドアケルはたぶんリキメルに拾われ、
頭角をあらわす。

はー・・・・>>1を見て誰かツッコんでないのかと全レス見ちったよ。
最後の最後にようやく・・・・・。
69世界@名無史さん:02/09/12 09:18
スキュリアという言い方はあまり見ないね。別名スキール。要はゲピデ同様、ゴート系なのか?
70世界@名無史さん:02/09/12 10:05
聖書をゴート語に翻訳して、ゴート語の貴重な資料を残した
司祭ウルフィラは「狼ちゃん」という意味の名前ですね
71世界@名無史さん:02/09/12 12:24
>>70
聖書をゲルマン人の言葉に翻訳するとき、ラテン語にない発音があった
ので、新しいアルファベットを2,3個つくったという話をきいたけど、
この人(ウルフィラ)のことかな?
72 :02/09/12 22:09
>>71
ウルフィラはゴート文字(ルーン文字とギリシア文字を参考にして
作ったもの)で翻訳聖書を書いたから、それは違うと思うな

ひょっとしたら、6世紀メロヴィング王朝のキルペリク王が
やった話じゃないかな?
73de:02/09/12 22:20
Loeb古典叢書で、プロコピオスの「戦史」の3〜5巻(ゴート戦争部分)を
買った
ギリシア語原文と英文対訳
ギリシア語は読めないので英語部分で読むことにする
74世界@名無史さん:02/09/12 22:30
ラテン語アルファベット:ABCDEF HI KLMNOPQRST V XYZ
現在のアルファベット: ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZ
75世界@名無史さん:02/09/13 10:40
>>74
Gはローマ時代からあったのでは?
でないと、
「グラエキア」「グラックス」「ゲルマヌス」「ウェルキンゲトリクス」などの
表記ができないことになる
76アフリカ太郎ジーモン:02/09/13 10:58
ローマ貴族の貴婦人・美青年もゲルマンの美女・美青年も
犯してやる!
77世界@名無史さん:02/09/13 11:54
>>75
前4世紀に【g】の音を表すためにGが作られた。
それ以前はCは【g】【k】の音を表していたのだが、
これによってもっぱら【k】を担当するようになった、ということらしいです。

GaiusやGnaeusの省略形に、C、Cnなどを用いたり、
あるいはCaius Julius Caesarなどと書いたりするのはその名残です。
78世界@名無史さん:02/09/13 11:57
「C」から「G」が派生し、
「I」から「J」が派生し、
「V」から「U」「W」が派生しました。

「グラエキア」 MAGNA GRAECIA←MACNA CRAECIA
「グラックス」 GAIUS SEMPRONIUS GRACHUS←CAIVS SEMPRONIVS CRACHVS
「ゲルマヌス」? GERMANICUS←CERMANICVS
「ウェルキンゲトリクス」 VERCINGETORIX←VERCINCETORIX(?)
「カエサル」  GAIUS JULIUS CAESAR←CAIVS IVLIVS CAESAR

「C」を「G」と発音するのは、今の我々には奇異に感じますが、
今でいえば「S」を「Z」と発音し、「X」を「Z」と発音することと同様と思えばいいのではないでしょうか。
79そういえば:02/09/13 11:57
プロコピオスの「戦史」のギリシア語原文を見ると
「ヴィティギス」「ラヴェンナ」「ヴィーターリス」などの
「ヴ」の発音は、「β」で表記されています。
6世紀には、ギリシア語の「β」は「B」ではなく「V」の発音に
なっていたんですね。
(現在もそうですが)
80世界@名無史さん:02/09/13 12:03
>>77
>前4世紀に【g】の音を表すためにGが作られた。
後4世紀と覚えていましたが、はて?

ローマに旅行して遺跡に刻んである字に、例えば
「CAIVS IVLIVS CAESAR」
というようなスペルになっているのを見ます。
81そういえば、そういえば:02/09/13 12:19
>>79
キリル文字を作るとき、ギリシア文字をベースにしたため
その「B」を「v」と発音するのがそのまま取り込まれ、
本来の「b」の発音には「Б」がつくられたんですね。
82世界@名無史さん:02/09/13 12:32
77>>80
ラテン語の歴史自体はよく知らないんです。すみません。
ただC.T.LewisのElemenntary Latin Dictionaryの附録部分に
「B.C.312年に」とあったので。
まあ、いきなり取って代わったという話ではないと思います(推測)。
83世界@名無史さん:02/09/19 19:56
「th」の発音は今はもう英語にしか残ってないのかなあ。
84世界@名無史さん:02/09/19 20:22
>>83
スペイン語のカスティリャレオンに近いものは残ってます。ceceo.
>>82
その辞書、僕も使ってます。何ページの記述ですか。
8584:02/09/19 20:26
講談社現代新書の「はじめてのラテン語」p32によると
前218年ごろ「G」は発明されたとあります。
発明者も特定されてます。根拠は謎だけど。
86世界@名無史さん:02/09/20 07:00
>>83 スペイン語の「z」は「θ」の発音ではなかったか?
87世界@名無史さん:02/09/20 10:21
ランゴバルト王国の歴代の王の名を
初代アルボインから末代デシデリウスまで調べてみたが
やはりラテン語起源の名前を持っているのは、デシデリウスだけだった。
あとはゲルマンっぽい名前ばかり

ところで、「東ゴート興亡史」にも出てくるが、東ローマ軍が東ゴート軍と
戦ったときに、フン族出身のムンドという将軍を起用している。
ところが、このムンドの息子の名は、マウリキウスといって、これまた
ラテン語系の、ローマ人にありそうな名前なのだ。

やはり、もともと異民族出身でも、ローマ人的名前をつける事例は
結構あったということか。
88世界@名無史さん:02/09/21 19:52
>>87
アルボインてアヴァール人と組んでゲピダエ族を滅ぼしたんだっけ。
ゲピダエ王クニムンドの娘ロザモンドを見初めて求婚したけど、断られた。
以前アルボインは戦場でゲピダエの王子を倒した憎い仇だから、当然かも
しれないけど。
ゲピダエ王クニムンドが死んだ後、アルボインはその頭蓋骨から酒盃を
つくったとか。
その後アルボインはロザモンドを妻にする。
89世界@名無史さん:02/09/26 17:09
北イタリアにはフィアットなど、輸送機械の企業が多いけど、これは
ゲルマン文化の影響なのかなあ。
90世界@名無史さん:02/10/01 00:48
東ゴート王国で、テオドリック大王の娘・アマラスンタが暗殺された後、
大王の甥のテオダハト(テオダトゥス)が王位に就くが、テオダハトは
ラテン語で詩を作ったりプラトン哲学をかじったりする趣味があり、
金もうけにしか興味がない男だった、とプロコピオス「ゴート戦史」は
語っている
91世界@名無史さん:02/10/06 18:07
>68
オドアケル=スキラエ族出身。
たしか、オドアケルに殺されたオレステスもスキラエ族じゃなかったっけ?
教えて。
ちなみにオレステスは最後の西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスの
親父だから、もしオレステスがゲルマンなら最後の西ローマ皇帝ロムルス
も実はゲルマン人だったってことになるよ。最後の西ローマ皇帝がゲルマン
だったんなんて興味深い。
 
92世界@名無史さん:02/10/06 18:10
>87
4世紀半ばにもシルヴァヌスって名前のフランク人出身のローマ将軍
がいるよ。ローマ皇帝コンスタンティウス2世の部将。
93世界@名無史さん:02/10/06 18:30
>>90
プラトン哲学をやったり、ラテン語の詩を作ったりする男が
何故 金儲けしか興味がない俗物ということになるの?
94世界@名無史さん:02/10/06 22:46
いずれにしても、ユスティニアヌスに滅ぼされたときの
東ゴート族は、古典文化に興味を持って勉強する者も
いっぱいいたということですね。
95世界@名無史さん:02/10/07 17:56

ところで大移動時代のゲルマン人って角付いたカブトかぶってたのかな?
ローマ軍はウルトラセブンの頭みたいなカブトしてるのは知ってるけど。
ローマ文化の擁護者を自認した東ゴートはどうなんだろう
96世界@名無史さん:02/10/08 14:28
4世紀に始まる大移動時代に比べて、6世紀頃になると
ゴート人はもうそんな格好をしていなかったかもね
6世紀になると、ユスティニアヌスの再征服で王国が滅び
ゴート人の大半がイタリアから去ったあとも、
残存したゴート人からローマ教皇が出たりするくらいだから
すっかりイタリアに馴染んでしまって、溶け込んでいったのでしょう
97世界@名無史さん:02/10/22 16:56
カール大帝のカロリング・ルネサンスですが、「ルネサンス」という言葉が
ついているのでどうしても学芸の復興というイメージが強いですね。
実際にはゲルマンの森から出てきた人々をどうやってキリスト教化するか、
ということが一番大事だったわけですが。
98世界@名無史さん:02/10/22 18:27
>91
東ローマ皇帝ティベリウス3世(7世紀末)はゴート人だよ。
99世界@名無史さん:02/10/23 12:11
トゥールのグレゴリウスの「フランク史」(6世紀後半)は
「歴史十書」という邦題で訳されて東海大学出版会から出ていた
ラテン語と日本語対訳だが、何万円もするので買えなかったw

グレゴリウスはガリアのローマ系貴族の生き残りの家系で
トゥール司教を務め、フランク族の王や有力者とも交際があった人物で
有名で、「フランク史」を書いたことで歴史に貢献したわけですが
自分でも認めているように、こういう旧ローマ系の支配層の人でさえ
ガリアでは既にラテン語の文章をまともに書くことが困難になっていました。

岩波文庫「メロヴィング王朝史話」を読んだ方にはおなじみですが
ちょうど同じ頃、東ゴート王国末期のイタリアから、詩人のヴェナンティウス・
フォルトゥナトゥスという人物がガリアに旅してきて、フランク族の王侯に
詩を献じたりして飯を食っていたのですが、この人の詩は一応まともな
ラテン語文法になっているそうです。

つまり、6世紀後半、ガリアではラテン語文法がまともに伝わらなくなって
いた一方、イタリアではさすがにまだ保たれていたということのようで。
100世界@名無史さん:02/10/23 12:20
部外者だけど、100ゲット。。
101世界@名無史さん:02/11/01 14:38
キルペリクは神学や語学に関心を持ち
論争を行ったりアルファベットに文字を増やそうとしたり
していたそうですね
102世界@名無史さん:02/11/15 16:14
>>101
彼はこの時代には珍しく、教養のある人物だったらしい。
カール大帝もそういう意味では例外的。
103世界@名無史さん:02/11/17 19:51
>>102
ゲルマン系の有力者の中では・・という意味ではそうでしょうね
旧ローマ系の有力者は、まだ古典的教養を持つ人間もいたのでしょうが
次第に野蛮化(?)し、ゲルマン人との混血も進んでいったものと
思われます

ちなみに、イタリアの東ゴート王国では、ゴート人とローマ人との結婚が
禁じられ、ローマ人は武器を持つことを禁じられていたそうですが
フランク王国では、宗派の違いがなかったこともあり、両者の結婚も進み
さらにガロ=ローマ人も将兵として従軍させられたりしたそうです

「メロヴィング王朝史話」(岩波文庫)を読むと、メロヴィング王朝期の
フランク王国の旧ローマ系将軍として、ムモルスとデシデリウスという2人の
名があげられています。
もっとも、この本には触れられていませんが、この両名は、のちに王国の内紛で
クーデター計画に参加して失敗し、殺されてしまうのですが。
104世界@名無史さん:02/11/18 11:40
スポレト公国とベネヴェント公国に関して教えてください。
105世界@名無史さん:02/11/21 13:04
突然ですがオドアケルって何者ですか?
ゲルマン人傭兵隊長っていう肩書きしか教科書に
出てこないし、西ローマを滅ぼして
オドアケルの王国っていう一代の国を
作ったぐらいしか知識がないです。
末路や、出自など詳しいことが知りたいのですが
どこにも載ってません。彼に漠然とした憧れが
あるんで誰か教えてくださーい。
106世界@名無史さん:02/11/21 13:12
オドアケル(434頃〜493)はゲルマンのスキリア族の名門の出で、
彼の父はアッティラの宰相であった。オドアケルは西ローマ皇帝の
親衛隊に入り、その司令官となり、475年の皇帝交替の際にゲルマ
ン人傭兵隊長に推され、ゲルマン人傭兵にイタリアの土地を要求し
て拒否されると、翌476年に最後の西ローマ皇帝となるロムルス=
アウグストゥスを追放してイタリア王を称した。

 オドアケルは東ローマ皇帝から総督の称号を受け、イタリアとダル
マティア(旧ユーゴスラヴィアのアドリア海沿岸地方)を支配したが、
東ローマ帝国の内政に干渉したため、東ローマ皇帝は東ゴート族の
テオドリック大王にオドアケル追討を命じた。オドアケル軍は各地で
敗れ、オドアケルはテオドリックに暗殺された(493)。
107世界@名無史さん:02/11/21 13:22
>>105
スキル族(カタカナ表記は他にもいろいろあるようだ)という
ゲルマン民族の一集団の出身。ローマの傭兵隊長として勤務。

当時西ローマの実権を握っていた軍司令官オレステスに対して
ゲルマン傭兵への土地の割り当ての問題で不満が高まっていたのに
乗じて、オドアケルはオレステスを殺害。オレステスの息子で
皇帝であったロムルス・アウグストゥルスを476年に退位させた。

そして、後任の皇帝を立てることなく、帝位をコンスタンティノポリスの
東ローマ皇帝に返納し、自分は東皇帝の代官の名目でイタリアを治めることを認められた。
(名目上は、東西ローマ帝国は一人の皇帝(東皇帝)によって統一的に統治された
形式になる。)
しかし後に、東皇帝はオドアケルを倒すことをもくろんだ。ちょうどバルカン半島に勢力を
伸ばして東皇帝の政府と対立していた東ゴート族の王テオドリクに対して、イタリアに
攻め込んでオドアケルを倒すよう指示。
テオドリクはイタリアに攻め込み、首都ラヴェンナを包囲。やがてオドアケルとテオドリクは
教会の仲介で和平を結んだが、結局テオドリクに殺害された。

イタリアはそののち、東ゴート王が、東皇帝の代官という名目で統治したが、
6世紀に東皇帝ユスティニアヌスによって滅ぼされた。
108105:02/11/21 18:04
>106 107

なんて親切な人だ!
何のお礼もできませんがどうもありがとうございましたm(__)m
下克上って感じではなく名門の出身だったんですね。深謝。
109世界@名無史さん:02/11/21 23:12
>>108
やっていることは普通の簒奪者とほとんどかわらないんだよね。
いつのまにかなくなっていた西ローマ帝国が、どの時点でもって
なくなったかと認定するのに、ちょうど都合がいい事件だったから
ここまで有名になったのかもしれない。
110世界@名無史さん:02/11/22 00:53
西ローマにはまだ亡命中で自分が正統の皇帝だと
主張していた元皇帝がいたんで、この時点ではまだ
西ローマは滅びていないとする説もあるにはある。
まあ、これが定説だから、いいんだけど。
111 :02/11/22 04:31
>>109
そう考えれば、末期の皇帝たちはそれなりに名前が知られているだけラッキーだね。
 
シャルルマーニュの皇帝位なんてイタリア王に受け継がれて、カロリング家が断絶した後は有力豪族の争奪の的に。
で、皇帝位そのものが途絶えて、数十年ぶりに復活したら、名前が神聖ローマ皇帝とか変わってるし。
112世界@名無史さん:02/11/22 07:56
この頃の戦闘ってかなり規模は小さいというか
離合集散繰り返してていまいちパッとしませんね。
113世界@名無史さん:02/11/22 11:05
結局オドアケルって皇帝位を東に返上したの?
何かそういう話を聞いたけど。
114世界@名無史さん:02/11/22 18:36
>>113
いや、最初から皇帝を僭称しなかったはず。だから西ローマ帝国滅亡とされている。
皇帝を僭称していれば、オドアケルは普通の簒奪者として扱われ、
西ローマ帝国は名目上は存続していたはず。
115113:02/11/23 12:49
>>114
いや、そうじゃなくて、ロムルス・アウグストゥルスを引きずり下ろしたときに、東に皇帝位を返上したと聞いたんだけど。
116世界@名無史さん:02/11/23 22:38
>>115
そう。って >>107 に書いてある罠。
117113:02/11/24 11:22
……。

スマソ。逝って来るよ。
118世界@名無史さん:02/11/25 10:29
西ローマ帝国がいつ滅亡したかはいろんな見方があるけれど
476年以前にすでにゲルマン国家が西にできあがってた時点で
滅んでいたともいえるし、イタリアでは古代の社会・文化構造が
476年以降も、オドアケルや東ゴート王テオドリック支配下でも存続は
していたと考えれば、まだ残っていたとも言える。

イタリア半島で、西ローマ帝国以来の社会・文化構造が実質的に崩壊したのは
6世紀、東皇帝のユスティニアヌスがイタリアを東ゴート族から奪回するため
征服戦争を起こして以降でしょう。
長年の戦いで飢饉と疫病が起こり、さらに支配層だった元老院貴族の多くが
敗残寸前の最後のゴート王テヤによって殺害された。
これに加え、ゴート族が駆逐されたあと、北方からランゴバルト族が侵入して
イタリアを支配したので、これがイタリアにおける実質的な古代ローマの終わりと言える。
119世界@名無史さん:02/12/13 19:48
age
古代名、所謂ラテン語地名っていつまでなの?
121世界@名無史さん:02/12/25 12:57
テオドリック大王の物まねしてくれ。
122山崎渉:03/01/11 13:19
(^^)
123世界@名無史さん:03/01/20 03:24
保守しときます。
124世界@名無史さん:03/02/05 02:13
良スレage
125中華@名無史さん:03/03/04 17:40
テーマは凄く良いと思うのでageます。
空ageもなんなので、話題も振っておきまつ…

西ローマ滅亡から、フランク帝国のカール大帝載冠までの間って、
この地域には、どれ位の国が打ち建てられたんですか?
126世界@名無史さん:03/03/04 18:38
なんせ、国家と呼んでいいものやらって感じの部族集団だらけだからね…。
127世界@名無史さん:03/03/04 18:56
>>125
一応、主だったものをあげますと、
西ゴート王国、ヴァンダル王国、ブルグント王国、東ゴート王国、ロンバルド王国、
メロヴィング朝フランク王国、アングロ=サクソン七王国など。

ヴァンダル王国と東ゴート王国はビザンツに、ブルグント王国とロンバルド王国は
フランク王国に、西ゴート王国はウマイヤ朝に滅ぼされます。
128世界@名無史さん:03/03/04 19:42
ブルグント族はなんであんな勢力拮抗地帯に王国をつくったんだ?
129世界@名無史さん:03/03/04 21:38
>>128
ブルグント族が東がリアに落ち着いた後に、フランク族やロンバルト族が
北部ガリアやイタリア半島にやってきたので、結果的に勢力拮抗地帯に
なってしまったのかも。
130世界@名無史さん:03/03/04 21:43
ゲルマン民族ってどれくらいの数だったのでしょうか。
ガリア人やローマ人の遺伝子が遺伝子プールから駆逐されるぐらいですか?
131KKK:03/03/04 22:45
スレ違いかも知れんけど・・・

フン族に連れてこられて(?)最終的にイベリア半島にたどり
ついた
アラン人ってその後どうなったの?中央アジアに残ったのはオセット人として現存しているようだが。

バスク人とは混血したのかな?
132世界@名無史さん:03/03/05 04:01
>>127に加えて、パンノニアのゲピデ王国、ガリシアのスエヴィ王国、南スコットランドのロージアン王国、国とは言えないかも知れないがアラマン、かなり遅れてテューリンゲン、バイエルン。
133世界@名無史さん:03/03/05 04:57
>>10
半島を支配したから呪いがかかった。
あの国の法則ですね。
朝鮮半島はすごいや。
134世界@名無史さん:03/03/05 18:23
>>104
>>スポレト公国とベネヴェント公国に関して教えてください。

ランゴバルト族が南下してきて北イタリアを占拠し、パヴィアを王都に定めました。
しかし、彼らは全イタリアを制圧するには至らず、統治能力の不足と内部分裂の結果、
中部イタリアにはスポレト公国が、南イタリアにはベネヴェント公国がそれぞれ
生まれます。
カール大帝によってランゴバルト王国が滅ぼされた後も、もともとパヴィアとは
緩いつながりしかなかったベネヴェント公国は生き延びます。
しかし、中世初期の政治的混乱で公国は瓦解し、サレルノとカプアの両伯領が
小さな独立国として分離します。
135世界@名無史さん:03/03/15 02:22
保守します
136世界@名無史さん:03/03/17 21:15
カール大帝が他のゲルマン人の王達と違うのは、キリスト教を全世界に広める
という理念や使命感をもっていたことですか?
他のゲルマン人の王達もキリスト教に改宗してはいたけれど、これほどはっきりした
ビジョンは持ってなかったような気がする。
137世界@名無史さん:03/03/17 21:36
理念や使命感みたいな神がかったもんじゃなくて利用してただけなんだけどね
138世界@名無史さん:03/03/25 21:48
ザクセン人の大量虐殺はカール大帝の治世における汚点。
139世界@名無史さん:03/03/26 09:35
かなり乱暴なイメージだとは思うけど
ゲルマンの社会ってどうだったの?
成人男子は基本的に戦士だったのかな?

で、旧帝国内に彼らが定住した際どう変化したのだろう。
帝国の旧民族(旧ローマ市民?)とともに農民になったりもしたのか、
それとも支配層がゲルマンで、農民層が旧ローマ市民みたいな感じだったのか。
140世界@名無史さん:03/03/26 20:02
>>139
戦士兼農民だったと思いまつ。
タキトゥスが、ゲルマンの自由民について、戦士としては勇猛・勤勉、
農民としては怠惰で、大部分の仕事を弱者(女性・老人・奴隷)に任せている、
という意味のことを書いていますが、
農業生産性の低い時代にあっては、戦争による略奪が、重要な経済行為だった
という理由もあると思います。
中世の「農業革命」により、農民は農業だけで十分食べていける条件が整い、
豪族や大領主層は専業的戦士になり、兵農分離が進んでいきます。
141世界@名無史さん:03/03/26 20:40
ふむ

で、当時のたとえばフランク王国において、
侵入者たるゲルマンと元々のガリア人?の階級というか
そのような差はなかったのかな?
あったとしたら?

ゲルマン(フランク人?)が支配層だったとしたら、
彼らはだいたい貴族あるいは領主だったとは言えないのかな?


さらにそうだとした場合、ガリア人?らはすでに農奴的だったのか、
それとも一応独立自由民としていたのだろうか。
142世界@名無史さん:03/03/29 10:07
ゲルマン人の侵入およびゲルマン国家の建設後、ローマの元老院たちはどうなってしまったのか?
143(V)o¥o(V):03/03/29 10:28
>>141
5世紀末から6世紀初頭のガリアには、ガロ・ローマ系聖俗有力者、
ローマの辺境駐留軍、ローマ領に居住する軍役負担者がいたが、
いずれも フランク貴族同様にフランク王に対して誠実宣誓を行い、
軍事的奉仕関係に入っている
膨張期のフランク王国が獲得した征服地は軍事的に制圧されただけで、
アレマニエン北西部北部を例外として支配民族としてのフランク人の入植や
フランク王国の王制への編合といった施策が行われた形跡は殆ど認められておらず、
在地有力者との和平によって軍事的均衡が保たれていたに過ぎない
144山崎渉:03/04/17 09:54
(^^)
145世界@名無史さん:03/04/18 21:54
ヴァンダル王国ってさあ、ガイセリック以後の王達はあんまり大したことない
ってイメージだけど。
北アフリカへ移住して三代目ぐらいになると、すっかりローマ式の贅沢な生活に
染まっていたようだし。
146山崎渉:03/04/20 04:37
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
147 :03/05/04 03:32
この時代を題材にした小説とかないかなー
「大王」クラスの教科書に載るような人物乱立してて楽しそうなのに
148パシッチ ◆mWYugocC.c :03/05/06 11:02
わけわからんから触らない&知らない、という人が多いんでしょう。
ギボンぐらいしか見たことないな。
149山崎渉:03/05/21 22:45
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
150山崎渉:03/05/21 23:51
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
151山崎渉:03/05/28 15:28
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
152世界@名無史さん:03/06/06 12:00
     
153世界@名無史さん:03/06/09 01:41
結局、大移動したゲルマン人はほとんど移動先の先住民と同化しちゃったんですか?
154山崎 渉:03/07/15 12:55

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
156世界@名無史さん:03/09/15 12:52
    
157世界@名無史さん:03/10/02 23:38
>>147
東ゴートのテオドリックは「大王」と呼ばれてるよね。
ラヴェンナに彼の墓と、宮廷付属聖堂(サンタポリナーレ・ヌオーヴォ)
が残っている。
テオドリック自身はアリウス派だったけど、正統派に対しても寛容だった。
158世界@名無史さん:03/10/03 00:42
ヴァンダル族の子孫がフランス統治下で優遇されたとは!
幾年月を越えて面影を残していたのですか?
どこかでそれに関する資料を探せると良いのだけれど。
159世界@名無史さん:03/10/03 11:35
東ゴート王国、西ゴート王国、ブルグント王国はすべてアリウス派でしたな。
それがクローヴィスのフランク王国がアタナシウス派に改宗したことで、
その後の歴史が変わる。
160世界@名無史さん:03/10/03 11:58
  >>112
惨禍は小さい方が良い
161世界@名無史さん:03/10/03 12:04
  >>22
その子孫がロンバルディア人、北イタリアのミラノを中心とした地域に住む
ロンドンに渡ってロンバルドストリートの名を残す
ロイドという保険組合の設立にも関わりがあったはず
162世界@名無史さん:03/10/03 14:50
この時代のヨーロッパって、
現在の内戦や民族紛争が続くアフリカ大陸みたいな感じだったのかな。
ゲルマン人同士の争いに加えて、東ローマ帝国も関わってくるから。
163世界@名無史さん:03/11/02 19:24
>>118
4世紀から6世紀までを、一括りの時代として「後期古代」として理解する
ということですか。
そして西欧初期中世は7世紀に始まると。
164世界@名無史さん:03/11/02 19:33
>>32
ブリテン島では、ローマ人のつくった道はアングロ=サクソン人の
石材採取場に成り果てました。
165世界@名無史さん:03/11/02 21:23
亀レス流行中
166世界@名無史さん:03/11/02 22:04
ゲルマン諸王というなら、アングロサクソン七王国も語るべきでない?

たとえば、ウェセックス王家のアルフレッド大王はラテン語の素養もあり、
シャルルマーニュよりも教養人だったとさえいわれている。

デーン人との戦いで戦死したイースト・アングリアの王エドモンドはのちに
聖人に列せられている。
167世界@名無史さん:03/11/02 22:05
ところでシャルルマーニュって確実にゲルマン人なの?
ベルギー人と話してたらローマ人だと言われたよ。
168世界@名無史さん:03/11/03 20:03
>>167
シャルルマーニュの戴冠は、西ローマ帝権の「復興」(レスタウラティオ)
ではなく、「革新」(レノウォティオ)という言葉で表現されていたんだけど、
そのへんの事情をいっているんだろうか?

一応フランク族だよ。
もっとも、フランク族自体、シャマヴィ、ブリュクテリ、シカンブリその他の
小ゲルマン部族の混成集団だけど。
彼らはユリアヌス帝への勤務を通じてローマ世界に受け入れられ、4世紀の末には
執政官を務めるものが出るほどだった。
そのうちの一人だったバウトの娘は、コンスタンティノープルの宮廷で教育を受け、
皇帝アルカディウスの妃となり、テオドシウス2世を生んでいる。
169世界@名無史さん:03/11/20 21:47
近代民主主義は、ゲルマン人の民会がその起源ですか?
170世界@名無史さん:03/11/20 23:05
革新=革命だ。東洋の言葉で言う、易姓革命だ。
つまり、支配者の系譜が入れ替わることだよ。
禅譲によるローマ皇帝が絶えていたものが、カロリング王朝にとって代わった
という単純な事実だろうて。
171世界@名無史さん:03/11/20 23:08
むしろ中世の身分制議会では。

英国の上下両院、フランスの三部会から派生した国民議会
172テオドリック大王:04/01/05 23:17
ディートリッヒ・フォン・ベルン。
173世界@名無史さん:04/02/03 04:35
>>172
テオドリック大王がモデル、とか言われている。
174世界@名無史さん:04/02/09 20:19
西ゴート王アタナギルドの娘で、アウストラシア王シギベルト1世に嫁いだ
ブルンヒルデという女性がいるけど、
これはゲルマン人の女性にはよくある名前なのですか?
『ニーベルンゲンの歌』にも、ブリュンヒルトという名前の女王が
出てきますが。
175世界@名無史さん:04/02/09 21:37
>>1
過去ログ(もしかしてガイシュツ?)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/973/973607755.html
176世界@名無史さん:04/02/27 22:53
>>142
>ゲルマン人の侵入およびゲルマン国家の建設後、ローマの元老院たちはどうなってしまったのか?

西ローマ帝国が滅亡し、イタリア半島がオドアケル、ついで
東ゴート王テオドリックに支配された後も、それなりに元老院は有力な
存在ではあったようです。
元老院貴族の哲学者ボエティウスやカッシオドルスは東ゴート王国でも
政治家として活躍しました。(前者は後に謀反の疑いをきせられて処刑
された。後者はイタリアが戦乱に陥ったあと、田舎に隠棲し修道院を作った)

しかし東ゴート王国が東ローマ帝国の再征服戦争の標的となると
混乱の中で元老院貴族たちも没落したり、コンスタンティノポリスに
移住したりして離散していったようです。
東ゴート族最後の王テヤは、東ローマ軍に圧倒されて崩壊する中、
人質としていた元老院貴族の子弟を皆殺しにしたといわれています。

元老院貴族の家系にはそのあともわずかに生き残ったのはいたとは
思います。大教皇グレゴリウスもその一人でしょう。
177世界@名無史さん:04/02/27 23:45
正直言ってゲルマンの野郎どもにマワされたローマのメス貴族はハッピー&ラッキィじゃん!
さぞ気持ち良かったんだろうなぁ。


178世界@名無史さん:04/02/28 01:23
カクカク ,; ヘ⌒ヽフ  ブヒブヒ
    / (  ・ω・)) -=3
 ε//   し ∧∧
  ( (  __ノ( ;´Д`)アアン
   し(___人__,つ 、つ ←177
179世界@名無史さん:04/03/01 17:23
>>176
>元老院貴族の家系にはそのあともわずかに生き残ったのはいたとは
>思います。大教皇グレゴリウスもその一人でしょう。

グレゴリウスは最初ローマ市の行政官で、父の死後修道士になり、その後
助祭に任命されたそうで。
ランゴバルド族が北から侵入してきたときも、傭兵を雇い、ローマの防衛に
乗り出している。
591年と593年には、ランドバルド族に金を払って略奪行為をやめさせる。
180世界@名無史さん:04/03/01 19:54
このときを境にラテン系からゲルマン系にはっきりとヨーロッパの主役が
交代するっていうのも不思議だよね。それ以来現在に至るまでゲルマン人
の経済的、軍事的優位は揺らいでないし。
ドイツ>イギリス>フランス>>>イタリア>スペインだしな。
アメリカもアングロサクソンでくくればゲルマンの一部だし。
181世界@名無史さん:04/03/01 20:39
>>180
ベネチアって知ってる?
182世界@名無史さん:04/03/01 21:55
>>180
スペインやポルトガルの全盛期は大航海時代に
訪れるんだけど?
フランスの絶対王政の全盛期は17〜18世紀だけど?
183世界@名無史さん:04/03/17 14:21
マッドマックス的世界を想像すると間違いっぽいのかな。
古代文明の衰退はかなり緩やかになされたわけかな。
184世界@名無史さん:04/03/17 17:17
まぁモヒカン刈のヤシが走り回って、おまえはすでに死んでいるの中の人はいないわけだが。
185世界@名無史さん:04/03/21 00:41
>>183
そんな感じでしょうね

たとえばフランク王国では、メロヴィング王朝では
ローマ系の貴族階級や軍人も重用され、
ゲルマン系の支配層とともに宮廷で活躍、
融合していったようです
186世界@名無史さん:04/05/05 19:52
ルーン文字
187世界@名無史さん:04/05/30 22:45
保守
188sage:04/06/11 21:15
ランゴバルド王国についての本って日本語でないね。ヴァンダルも。ほしい。
ゴートは史学専門家いないのに本はあるから、人気の問題?
1. ゴート族 / ヘルマン・シュライバー[他]. -- 佑学社, 1979.12
2. 西ゴート王国の遺産 / 鈴木康久. -- 中央公論社, 1996.1. -- (中公新書)
3. 西ゴート王国の君主と法 / 玉置さよ子. -- 創研出版, 1996.2
4. 東ゴート興亡史 / 松谷健二. -- 白水社, 1994.5
5. 東ゴート興亡史 / 松谷健二. -- 中央公論新社, 2003.4. -- (中公文庫)

189世界@名無史さん:04/06/17 23:54
>>188
ヴァンダルはあります。
東ゴートと同じく松谷氏

ヴァンダル興亡史 / 松谷健二 -- 白水社,1995.9
190世界@名無史さん:04/06/21 05:21
あげ
191世界@名無史さん:04/06/22 22:41
清王朝の皇帝の姓は最初から「愛新覚羅」なの?
どっから姓を使い始めたり、別の姓を使っていたりは、しなかったの?
192世界@名無史さん:04/06/30 03:06
保守
193世界@名無史さん:04/07/13 21:51
ランゴバルド族の名は、「長い髭」という意味ですね。
ゴート族は、現代英語で言えば「Good」と同じで
「善良な」という意味があるらしいです。
194世界@名無史さん:04/07/13 22:35
同じゲルマン系でアングル族は「angel」
「天使」なんですが 
サクソン族は なんでしょう
195カラジチ ◆mWYugocC.c :04/07/13 22:36
アングルは「釣り針」ではなかったかと。
サクソンは「短剣」。
196世界@名無史さん:04/07/13 22:43
>>193
全然善良じゃないね。
戦以外では温厚だったんだろか
197世界@名無史さん
ゴート語ちょっとかじってみたが、
ドイツ語ってやっぱし古いゲルマン語の名残りがかなり強い言語だとつくづく感じる