中国は宋王朝について

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701世界@名無史さん
>>698
>だから隋とか唐だとかの科挙の基準だかの具体例を挙げて下さい。
あーたはなにかね、2CHの書き込みやコメントのために新唐書を毎日
持ち込んでいるとでも思っているのかね。
702世界@名無史さん:04/06/30 14:46
どうやらどこぞの学生が読み終えたばかりの宋代科挙制度の本の内容を
誰かに言いたくて誰にも相手にされなくてしょうがなくて
2chにレジュメと要点を書いたんじゃないかな。
666の登場の仕方が唐突で内容も間違いだらけで文章もへたくそ。
703世界@名無史さん:04/06/30 16:06
現代日本で進士に及第しようと頑張っている受験生ならここにいますぞ。
でも、及第しても半分しか採用されないのが日本の科挙(というより官庁訪問という殿死で落ちるのか)。
704世界@名無史さん:04/06/30 16:12
702
ご要望にこたえて
705世界@名無史さん:04/06/30 16:19
科挙(かきょ)中国の試験地獄 宮崎一定・著 中公新書 15
p2
序論
・・・・
これは実にすぐれたアイディアである。
そしてこの科挙制度が成立したのが、
いまから一四〇〇年ほど前の五八七年だということは、
驚くべき事実である。
・・・・
※註 587年:隋−文帝−即位581年・中国統一589年・煬帝−即位604年
p4
が、この官吏有資格者を製造するために科挙制を樹立したのである。
すなわち年々中央政府が全国から希望者を集めて試験を行ない、
種種の科目に及第した者に、
秀才・明経・進士などの肩書をあたえて有資格者と定め、
必要に応じて各地の官吏に任用するのである。
中国では官吏登用のことを選挙というが、
試験には種種の科目があるので、
科目による選挙、それを略して科挙という言葉が唐代になって成立した。
その後、宋代に入ってから科目は進士の一科だけに絞られたが、
依然として科挙という言葉を使って清朝の末年に及んでいる。
このように科挙なるものは、
がんらいは天子が貴族と戦うための武器として案出されたものであったが、
その任務はおおよそ次の唐代三百年ほどの間にほぼ果たされたと見てよい。
次の宋代になるともはや世上には天子に刃向かうほど強力な貴族はいなくなり、
科挙の全盛時代に入る。
天子は自分が思うまま自由にこき使える官吏を、
科挙によって十分に補給することができたのである。
宋一代、科挙出身の政治家が自由に手腕を揮うことができ、
中国史上はじめて見られる文治派の政治が完成されたのであった。
・・・・
706世界@名無史さん:04/06/30 16:20
世界史リブレット9 科挙と官僚制 平田茂樹 山川出版社
p005
@−科挙を理解するための視点
 試験制度としての科挙
中国の歴代王朝は、「察挙」(漢代)「九品官人法」(魏晋南北朝時代)、
「任子」(唐代)、「科挙」(隋唐〜清代)といった官吏登用のための
さまざまな選挙制度を実施してきた。
漢代の「察挙」は、一般には「郷挙里選」としてしられている。
・・・・
p007
・・・・
唐代の科挙は、詩賦(作詩)に代表される文学の才を問う進士科と、
明経科に代表される経書の暗記能力を問う諸科に分かれるが、
受験時の待遇・合格後の出世などの面から進士科が尊重された。
進士科を受ける受験生は二つのタイプに分かれた。
州県から出願して考査を受けたのちに中央に推挙される郷貢進士と、
首都長安にある官僚の子弟が学ぶ各種の学校から推挙される学館進士である。
両者は首都に集まり、礼部による帖経・雑文・時務策の試験を受けた。
ところが・・・試験の成績よりも・・・合否は・・・
・・・だれから推挙されたかに大きく影響された。そして、合否の決定も・・・
・・・知人の有力高官に相談して決める「通傍」といった慣行にもとづいておこ
p008
なわれた。
つまり、有力高官との人脈の有無が合否を決めるうえでの大きな要因となった。
707世界@名無史さん:04/06/30 16:21
世界史リブレット9 科挙と官僚制 平田茂樹 山川出版社
p009
唐代の科挙制度
 定科(定期的に実施される試験)−−−−−−−−−−→@
 制科(皇帝が詔を下して臨時におこなわれる試験)−」
 @−→明経等諸科(主として経書の暗記能力を問う)
  L→進士科(詩賦に代表される文学の才を問う)→A
 A−→郷貢進士(地方から推挙)−−−−→礼部試→吏部銓(身言書判)→官僚
  L→学館進士(中央の学校からの推挙)」

※身言書判: 四6ベンレイ体の美辞麗句を書き上げる試験。

宋代の科挙試験
 定科−−−−−−−−−−→@
 制科−」
 @−→諸科(王安石の改革により廃止)
  L→進士科→経義進士科(経義・論・策)・詩賦進士科(詩賦・論・策)の両科並立A
 A→解試→省試→殿試→合格B
 合格B(授与される肩書き)進士及第→官僚
    (授与される肩書き)進士出身→官僚
    (授与される肩書き)同進士出身→銓試→官僚
 試験場所[いわゆる貢院](試験内容・受験者数):
             本籍の州(経義・論・策・数十万人)→C
             C中央・礼部貢院(経義・論・策・一万人)→D
             D皇帝の面前・集英殿(策・数百人)
明清時代の科挙制度
 学校試[県試→府試→院試]→@
 @郷試(省都の貢院)→会試(北京の礼部貢院)→殿試(皇帝の面前)−合格→官僚
 (各試験すべて共通)試験科目:経義・詩賦・論策
708世界@名無史さん:04/06/30 16:22
世界史リブレット9 科挙と官僚制 平田茂樹 山川出版社
p035
●−宋代進士合格者分布図
宋代行政地名(現在省名)北宋での合格者数・南宋での合格者数
永興軍路・秦鳳路(陝西省)__129・9
河東路(山西省)________67・0
河北西路(河北省の西半)____32・1
河北東路(河北省の東半)____45・2
京東東路(山東省の東半)_____5・0
京東西路(山東省の西半)____35・0
京西北路(河南省の東半)____73・1
淮南東路(江蘇省の北半)___188・106
------------------------------------------(金と南宋の国境)
京西南路(河南省の西半)_____7・2
淮南西路(安徽省の長江北岸)_124・104
江南東路(安徽省の長江南岸)_958・1738
江南西路(江西省)_____1225・2636
両浙西路(江蘇省の南半)__1444・2202
両浙東路(浙江省)______911・3900
福建路(福建省)______2600・4525
四川3路(四川省の北東)___548・1396
成都府路(四川省の中央)___788・1133
荊湖北路(湖北省)_______81・80
荊湖南路(湖南省)______200・416
広南東路(広東省)______124・259
広南西路(広西省)_______71・175

※ 南宋での合格者数で国境北側は金国占領下で脱出受験者の数か?
709世界@名無史さん:04/06/30 16:30
唐代の名ばかりの科挙って、説明文の中身からして「八百長」だよね。
「任子」の説明や「節度使や門閥貴族」が「有力高官との人脈の有無」と
どう関係して来るかで、創始なんだ。というか
前身とか試験段階。といえるか。にかかっているよね。
710世界@名無史さん:04/06/30 16:33
表のように合格者数比較だと福建省って思ったよりお勉強家だろう。

湖北とか?間違え記憶でカキコだったが。スマソ。
711世界@名無史さん:04/06/30 16:34
>>698
> 李白?が科挙官僚だったと言う生涯年表や解説本をトンと聞かないのも事実。

大体どうして韓愈、白居易じゃなくて李白なの?韓愈は吏部侍郎、
白居易は刑部尚書にまでなっている。二人とも進士だよ。李白に
関しては、西域出身の胡人でそもそも入試資格を持っていなかった、
という説が有力。岩波文庫の『李白詩選』の松浦友久氏の解説に自
身その他の論文も引いての説明がある。
712世界@名無史さん:04/06/30 16:37
試験で決めてないのって名ばかりでしょ。
名前が出たから創始だ。といえば。謝りますけど。。。
ぼくが資料を出すべき事でないと。。。本来はね。

このカキコは昨日あたりからだしね。
学生・現役の方が時間があり、片暇にペラペラ調べられるハズだし。
専門課程ならゼミ生なら得意分野なハズで。
卒業してもう16年経つが記憶がアヤフヤは否めない。
耳学問で単語を思い出し、調べたのを引っ張ってくるのは結構大変なんだ。
713世界@名無史さん:04/06/30 16:46
役職なら。
漢代や三国時代だってある肩書きですよね。六部の役職は???
「進士」は確かに「科挙」の肩書き。

わたしは明・清時代(約1360−約1910ほど、約560年間)の
科挙が頭にあって専攻だったもんで。
阿Q正伝で・・・旦那が「科挙」に受かり「挙人」にまでなりなすった。から
宋代の「科挙」まで遡ったんですよ。
宋代は「進士」ですし、清時代も正式名?は「進士」なんでしょうけどもね。

唐代は明らかに「有力者」の一存ですよ。
試験で受からんのに「科挙」?って頭がよぎりましたので。
それで唐代で創始とはガン張って認めなかったです。
714世界@名無史さん:04/06/30 16:50
すまん。
また恥をかいた。六部は唐代から清末までの行政担当であった。。。。
715世界@名無史さん:04/06/30 16:50
>卒業してもう16年経つが

ずいぶんいい年なのに日本語がおかしいね。外国人なの?
716世界@名無史さん:04/06/30 17:05
>714 補足。

・・・
漢代以降、行政を総理する尚書省は
4ないし6の官署を特設して、政務を分掌していたが、
唐は尚書省を吏・戸・礼・兵・刑・工の六部とし・・・確立した。
六部の制が
このように永続したのは《周礼(しゅらい)》六官の伝統の影響であった。

しゅらい 周礼 中国の古典。《周官(しゅうかん)》ともいう。
経書の1.
古くは周王朝創設の功労者,周公の作で,周代の官制をしるしたものといわれたが,
・・・
実際は戦国時代に作られたと考えるのが最も妥当であろう。
・・・
天・地・春・夏・秋・冬の六官府によって構成される。
天官は大宰・小宰以下の諸官で,天子や宮中に関する庶務・・・つかさどる。
・・・土木工事,工業一般をつかさどる・・・
この六官府の構想は北周以来,実際の行政組織に多大に影響を与えている。
・・・
平凡社 世界大百科事典より。。。
717世界@名無史さん:04/06/30 17:05
>試験で決めてないのって名ばかりでしょ。
>名前が出たから創始だ。といえば。謝りますけど。。。

やっぱり、日本語が変だよ。この人。
718世界@名無史さん:04/06/30 17:19
長恨歌は
白楽天だ。唐代の詩人。
進士・・・勉強を・・・28歳で地方試験・・・中央試験・・・
・・・制挙に応じ・・・官吏・・・親試・・・翰林学士左拾遺となった。
自ら香山居士と号し・・・白氏文集は70巻に達する・・・

李白。唐代の詩人。酒中の八仙。

よく読んでいなく申し訳ない。。。
719世界@名無史さん:04/06/30 17:20
で、何がしたいのこの人。
720世界@名無史さん:04/06/30 17:20
蛍の光・窓の雪であった。。。かなり忘れていた。
721世界@名無史さん:04/06/30 17:24
>・・・制挙に応じ・・・官吏・・・親試・・・翰林学士左拾遺となった。

制挙って??? 科挙の誤植なのかな??? 平凡社の。。。辞典で。。。

722世界@名無史さん:04/06/30 17:56
制挙 : 確か唐の科挙の種類の一つだったか。詳細忘。
723世界@名無史さん:04/06/30 17:59
>721 つづき。

かんりんいん 翰林院 唐代以降の官署。唐初,天子の諮問に備えて,
文詞・経学の士から僧,道士,卜者,医家に至るまで
もろもろの士をそこに集めていた。
玄宗のとき翰林待詔(かんりん・たいしょう)をおいて上奏文に対する
天子の返答その他の文書を立案させ,また翰林学士と改称,
さらに翰林院のそばに学士院をおいて
宰相の任免その他重要な詔勅を管掌させた。
724世界@名無史さん:04/06/30 18:00
かきょ 科挙
 ・・・隋の初めに九品官人法(三国の魏の九品中正)が廃止されると,
秀才制度が再び独立したので,普通にこれを科挙の開始とみなしている。
隋代には秀才のほかに,経明,進士などの科ができた。
漢代の秀才は地方からの推選に重点をおき,
隋以降のそれは中央で行う試験に重きをおくのが根本的な違いである。
唐は隋の制度をほとんどそのまま受けつぎ,
ただ秀才の科がすたれ,進士と明経の科が盛んで,
とくに進士からは有名な人物が多く出た。
進士は文学を主とするが,明経は経学を主とする。
ほかに法律専門の明法や書,算などの科があった。
・・・
【日本】奈良時代・・・養老令・・・
・・・貢人を出したが・・・廃れ・・・なくなった。
【朝鮮】宋と同じ時代の高麗の時に始まった。・・・続いた。
・・・

-------------------------------------
やはり
隋は秀才制度で
唐は進士の科で「制挙」に繋がったのですね。「選挙」とかね。
科挙の名称が出たから創始ではなかったわけです。
科挙の前身。
725世界@名無史さん:04/06/30 18:01
なぜ「創始」にこだわる?
726世界@名無史さん:04/06/30 18:14
九品官人法・北魏(北朝)は間違い。三国の魏が始め。ごめんなさい。

---------------------------------------------------------------------
漢代: 秀才制度,別途に郷挙里選(察挙)

魏: 九品中正(九品官人法)

隋: 秀才制度
   秀才科,経明科,進士科

唐: (任子・制挙[礼部試(地方試・中央試)→吏部銓(親試)])
   秀才科(帖経・雑文・時務策),経明科(経学),進士科(文学・詩賦),
   明法科(法律専門),書科,算科

宋: (科挙[解試→省試→殿試])
   経義進士科(経義・論・策),詩賦進士科(詩賦・論・策)
---------------------------------------------------------------------
727世界@名無史さん:04/06/30 18:20
創始。。。に。こだわったのは。。。

ゼミの先生が、科挙を唐代に出来たとは聞かなかったから。
宋代に太祖の趙匡胤が科挙によって部下の節度使の兵力を皇帝直轄にし
更に兵員の為に使う国の費用を浮かす為に削減した。
そのかわり天子が直に命じられる官僚を置き。
官僚を置かんが為に「科挙」を始めた。

という講義を。間違いない。と記憶していたからだ。
なにか有名先生でも間違いがある
かのような話を別の所でも聞いた後だったんで
科挙は唐代に無い。という記憶が鮮明であった。

それがこだわりの原因。。。
728世界@名無史さん:04/06/30 18:25
日本語おかしい。自分でもわかる。

訂正。

宋代に太祖の趙匡胤が
科挙[官僚]によって[節度使をなくし]
部下の節度使の兵力を皇帝直轄[の兵力]にし
更に兵員の為に使う国の費用を[、]浮かす為に[兵員を]削減した。

[節度使]のかわり[に]天子が直に命じられる官僚を置き。
官僚を置かんが為に「科挙」を始めた。

という講義を。間違いない。と記憶していたからだ。
729世界@名無史さん:04/06/30 18:29
長々と付き合ってくれて、申し訳ない。

さて宋代のお話に戻って下さい。。。。。。。
730世界@名無史さん:04/06/30 18:31
大丈夫、誰も付き合う気はなかったはずだから。

次に電波を受信した時は2ちゃんで発散しないで自分でホームページ作ってそこでやってくれや。
731世界@名無史さん:04/06/30 21:20
>宋代に太祖の趙匡胤が
>科挙[官僚]によって[節度使をなくし]
その間違いも改めるべし。
732世界@名無史さん:04/07/01 01:02
訂正。

前 科挙[官僚]によって[節度使をなくし]
後 [節度使をなく][す事]によって 科挙[官僚][を置き]

???
733世界@名無史さん:04/07/01 01:23
あと中国での時代区分で
夏〜殷・周〜秦・漢までは「古代」
魏・晋〜隋・唐までは「中世」
五代十国(広東(南漢)曹渓山に6祖慧能の南宗禅)・宋〜明・清までは「近世」
民国・人民中国が「近・現代」
という頭があった。

それで
「郷挙里選」が「古代」
「九品官人法」が「中世」
「科挙」が「近世」
ココは作っているが「鉄砲から政権が生まれる(毛沢東語録?)」なので
「軍閥(武装)・共産党(入党)」が「近・現代」
という思い込みがあった。

まあ今回。恥をかきつつも調べた結果。その違いが解明できたのだが。。。
734世界@名無史さん:04/07/01 01:48
ageまくって電波まきちらしているキチガイは消えろ
735世界@名無史さん:04/07/01 01:54
>試験で決めてないのって名ばかりでしょ。

試験で決めたといっても、名ばかりでしょ。

>名前が出たから創始だ。といえば。謝りますけど。。。

名前が出たから創始だ、というなら、謝りますけど…

>ゼミの先生が、科挙を唐代に出来たとは聞かなかったから。

ゼミの先生から、科挙が唐代に出来たとは聞いていなかったから。


みなさん、とりあえずこんなもんでよろしいでしょうか?
736世界@名無史さん:04/07/01 02:01
もう手遅れ
737世界@名無史さん:04/07/01 05:58
>>732
前後を入れ替えたって間違いは間違い。
738世界@名無史さん:04/07/01 10:00
殿試は宋代からじゃなかった?
739世界@名無史さん:04/07/01 16:43
傍観してた者の感想として、
スレ違いだけど、個人的には面白かった。
科挙史の勉強になったよ。
タイプさんありがとう。

でも、日本語添削には他の誰も興味持ってないから
タイプさんもその辺で切り上げたら?
740世界@名無史さん:04/07/01 23:51
ここは創始と完成を区別しないいんたーねっとですね
741世界@名無史さん:04/07/02 13:17
科挙の完成は
明代(北京の永楽帝以後。南京の太祖は科挙を否定していた。)だと思っている。

科挙の創始は
宋代で
節度使(武人・軍人)の寄り合いが皇帝に対し優越する事を否定し
シビリアン・コントロール(文民統制・王安石の保馬法など)による
完全に試験採用官僚による中央集権の近世時代の開始。

科挙の前身の
隋の秀才制度の一分野の進士科が
科挙の実験的段階の中世末期。近世への過渡期。

読んでいる。
742世界@名無史さん:04/07/02 13:26
>殿試は宋代からじゃなかった?

すまん。”殿試”ではなく”欽試”だったと思う。

明治憲法は、欽定憲法。の”帝”による”の意味の”欽”。
聖書でキング・ジェームズ版・英語翻訳・聖書の事を”欽定訳聖書”と呼ぶ。
カトリックは原語の意味を損ねて聖書を誤読するのを恐れて
日常生活語の諸言語への翻訳を代々否定していた。

第二次世界大戦後に
民主主義や共産主義が伝統を圧倒してしてしまって
しぶしぶ
典礼改革(1960年代)して
プロテスタントの諸言語聖書−翻訳事業に参入し
カトリックとしての
伝統的な原語交じりの注釈つき聖書を発行するに至った。
743世界@名無史さん:04/07/02 14:04
ちなみに
関羽様が関帝様崇敬として中国全土に広まったのは
門閥貴族(有力氏族)が黄巣の乱(塩密造商人のシンジケート)や以後の
貴族・名門の虐殺による時代的な背景によった。

関帝の斬刑で亡くなった近辺の玉泉寺のある湖北は
摩カ止観という弟子記述の書の師匠の中国天台宗第三祖チギの系統の座禅地域で
禅宗僧は
武人の守り神・カンフー(功夫[少林寺拳法など])の伽藍神として敬い
中国全土に広めた事と思う。

中国全土に本格的に崇拝されるようになったのは
明の時代の三国志演義の任侠の流布と
清王朝の時に中国統一の霊験があったと御上の宣伝で
民国時代まで小さい祠から大きな霊廟まで中国各地に出来たのだが。

それは
山西省の岩塩の塩密売シンジケートが
山西省生まれの関羽の信奉者だったからだという。

密売だから商売の神様で
塩の含有量の高い塩密売だったから庶民には密売人の方がありがたく
御上によって売買禁止ではあったが
反抗して匿い、官兵に対し武力反抗もした。
それで守り本尊としての武人としての関帝の信仰もあった。
また、その生活は黒社会の一分野ともいえた。
744世界@名無史さん:04/07/02 14:08
>743 つづき

中国の塩売りは、砂混じりの塩を売って
王朝の役人は、それに税金(消費税)をかけて国庫の税収としていた。

昔の中国の庶民は
砂混じりの岩塩をお湯に溶かし、塩分を取って料理に使っていたのだ。

塩の含有量が高いほど庶民にとっては有り難いが
王朝の役人には面白くない事であった。弾圧は熾烈を極めた。
それゆえ、あぐらをかく名門貴族一族は庶民には赦せなく。
虐殺の反動は大きかった。

門閥貴族が居なくなった宋王朝から近世・科挙制度が始まる。は
妥当な歴史観だと思う。

道教の本格流布も宋代からである。
745世界@名無史さん:04/07/02 14:10
そして、その漢民族の庶民の願望や夢・期待は
宋代の岳飛や
明時代の庶民小説(白話小説)で
宋代を題材にした梁山泊の水滸伝に繋がっていく。
746世界@名無史さん:04/07/02 14:17
>>741
>科挙の完成は
>明代(北京の永楽帝以後。南京の太祖は科挙を否定していた。)だと思っている。
思うのは勝手だが間違いは間違い。
思うにしても、
「隋朝の皇帝や役人、受験者は、隋の制度を『科挙制度の前身』と認識していた。」
「宋朝の皇帝や役人、受験者は、宋の制度を『科挙制度の創始』と認識していた。」
「明朝の皇帝や役人、受験者は、明の制度をもって『科挙制度の完成』と認識していた。」
が成立するかどうかにまで及ぶべし。
747世界@名無史さん:04/07/02 14:21
>武人の守り神・カンフー(功夫[少林寺拳法など])の伽藍神として敬い

仏教(禅家・西方教)は、漢民族の国粋の儒家(儒教)と違って
胡族と徒党を組む反乱が多く、反体制的な宗教と見なされる事が多かった。

その心はカンフーで、カンフーの根性は
曹洞宗系統に繋がる少林寺拳法のみならず
臨済宗の
臨済の渇(黄龍派)や
黄檗(徳山・楊岐派)の棒(警策)に繋がり
座夜・点心の生活サイクル・食生活に繋がっていく。

また儒家が弾圧した、香や茶や書の心に繋がっていく。
真言宗は牛頭禅から禅宗との繋がりを持っている。
弘法も筆の誤りの日本コトワザを生むように。
748世界@名無史さん:04/07/02 14:27
毛沢東(マオ・ツオトン)の
御母上は仏家(禅家?・禅籍読み)であり
御祖父は風水師(道家・民間伝承派)である。

老害の走り”批林批孔”運動の”林彪を否定し孔子を否定”する。は
プロレタリア”革命精神”や
母思いの育ちや江西人の血筋からして、必然だったのであろう。
749世界@名無史さん:04/07/02 14:35
訂正

× 座夜・点心の生活サイクル・食生活に繋がっていく。
○ 夜座
750世界@名無史さん:04/07/02 15:25
いい加減にしろ、キチガイageバカ。
751世界@名無史さん:04/07/02 15:41
言葉のキャッチボールができない人がいるスレはここですか?
752世界@名無史さん:04/07/02 16:05
>>746

>>明代(北京の永楽帝以後。南京の太祖は科挙を否定していた。)だと思っている。
>思うのは勝手だが間違いは間違い。

中国歴史人物選 第9巻 明の太祖 朱元璋
 檀上寛・著 竺沙雅章・衣川強・監修 白帝社
p198
・・・科挙がわずか三年で廃止された裏では・・・
753世界@名無史さん:04/07/02 16:21
中国歴史人物選 第9巻 明の太祖 朱元璋
 檀上寛・著 竺沙雅章・衣川強・監修 白帝社
p126
小明王の救出
・・・大宋国・・・小明王 韓林児(紅巾党の首領)・・・
p135
八 最後の決戦
 朱呉国と張呉国
・・・張士誠・・・

※ 士誠は小人なり(孟子)。とは「文字の獄」の言われ。
征伐した張士誠は陛下と周りにおだてられ得意であったが
南人の文人達が陰では、表向き誉めて贈った称号は
陰では笑いや嘲笑の命名だったという事を
後に朱元璋が聞いて文人(儒家・科挙教養人)への
不信感や憎悪をあらわにしたした事だった。

p148
紅巾党との決別
・・・元璋は紅巾党を「妖賊」と・・・

ほか参照:
 超巨人 明の太祖 朱元璋 運命をも変えた万能の指導者
 原作・呉[日含]:ゴ・ガン 堺屋太一 志村嗣生 志村三喜子
p16
・・・明教または弥勒教と・・・広まって・・・
754世界@名無史さん:04/07/02 16:24
宋王朝の趣旨に外れるけどね。。。勘弁してくだハイ。。。

755世界@名無史さん:04/07/02 16:28
>>752
>科挙の完成は
>明代(○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○。)だと思っている。
思うのは勝手だが間違いは間違い。
756世界@名無史さん:04/07/02 16:28
>>754
キエロ
757世界@名無史さん:04/07/02 16:31
>「隋朝の皇帝や役人、受験者は、隋の制度を『科挙制度の前身』と認識していた。」
>「宋朝の皇帝や役人、受験者は、宋の制度を『科挙制度の創始』と認識していた。」
>「明朝の皇帝や役人、受験者は、明の制度をもって『科挙制度の完成』と認識していた。」

隋は「秀才制度」と認識。だから「前身」呼ばわりした。
宋は「詩賦・論策の進士の試験」と認識。だから「創始」呼ばわりした。
明は「科挙の合格者を挙人(科挙の人・つまり進士)」と認識。だから「完成」呼ばわりした。

で、OK???
758世界@名無史さん:04/07/02 16:53
隋書に「科挙」という言葉が出ていないことを証明せよ。
759世界@名無史さん:04/07/02 17:01
>758

逆に「科挙」という言葉があるんだね。引用をカキコして欲しい。
わたしは随分と出典を明かしているのにアンフェアではないか。

もしもであるが。。。
隋唐時代の解説書からの引用で「科挙」という言葉の出現を解説だとするのと
「隋書」に科挙という言葉がありそれを引用するのが正しいか
は同一でないし
「隋書」の編纂が今まだ調べてないが、唐代以降とか宋代以降なら
唐代(多分。中唐や晩唐の時期?)や宋代に「科挙」の言葉が出来て
歴史の後知恵で当時は無かった言葉だが、編纂時に遡って名づけたなら
これ(遡った昔にあってそれ)を創始と出きるかは判断の難しい所だ。
760世界@名無史さん:04/07/02 17:09
5時だ。帰ろっと。
761世界@名無史さん:04/07/02 17:13
>>758
宮崎師定「科挙」という本を古本屋でみかけたが、
存在しない制度を俺のような厨房でも知っている大学者が
本にするとはおもえんが。
762世界@名無史さん:04/07/02 17:22
平凡社の百科辞典の引用が、秀才制度・・・云々が
その宮崎先生なんだよ。。。

先生だって
生きている時代や風潮や年いって後で知ったり
逆にやり込められて
後の方が金もらったり
恥かきたくなさで取引でウソ説を書いて広めてしてしまう。
だって有り得るだろう。
だから出典とか引用を第一資料とか解説書の第二資料の判別をして
教えて欲しいといっている。

大先生だから。は大本営発表だから。にも聞こえてくる。
学問をする人としては、理由にならない。
政治屋や宗教屋なら、間違い解説でも支持者の喜びや自尊心の維持のために
金儲けで広めもするし迎合もするだろう。
でも学者はソレをしてはイケナイ。と言っている。

私も恥をかいたが、非は認めただろう。出典も明かしている。
理由や根拠・判断基準が資料的でない。
権威の人の・・・誰々さんだから・・・は学問的でない。
763世界@名無史さん:04/07/02 17:25
人には、つい間違いもあるし。
昔は正確に覚えていたが、記憶違いの思い込みで間違ってしまう事もある。
764世界@名無史さん:04/07/02 17:28
まあ。こだわってもショウガナイ部分はあるが。。。
765世界@名無史さん:04/07/02 17:33
>>762
平凡社の引用かい!

どー暇だし師定の科挙を250円でうっていたから買ってこよう。
766世界@名無史さん:04/07/02 17:51
IDが導入されていれば気持ちよくNG設定ができるんだがなあ。
767世界@名無史さん:04/07/02 18:15
宋史選舉志第一
乃詔曰:「科舉舊條,皆先朝所定也,宜一切如故,前所更定令悉罷.」

すいません。スレ違いだったらごめんなさい。訳してくれませんか。
768世界@名無史さん:04/07/02 19:15
>767

近代中国語が出来ないのにあえてであるが。。。

これミコトノリとして[皇帝が]言えらく。
「科挙は[法の]個条として古きに成立しこと。みな先の王朝の定めたる所なり。
宜しく、この故に一切[の政務]をなすべしと。
前の定むる所は、ことごとく更に罷[免]され[ざ]る[法令]なり。」

言った所か。意訳が過ぎるかもしれんが意味は通る。

先の王朝は、唐か五代十国の趙宋の一代前の王朝かは定かでないが。

これ[科挙の成立]はね。確かに先の王朝「先朝」に掛かっている文ですよ。
でもね。唐の誰々帝の時に定めたる条とあえて書かない場合は
昔に権威を当てこすった最近成立の権威付けと見るべきだと思うよ。

唐の玄宗の定めたるの条にて。。。
[科挙以条?,唐玄宗所定也]・・・とかない場合はね。
私は、そう思う。
「・・・隋文帝所定也・・・」があれば確実だけどね。
769世界@名無史さん:04/07/02 19:20
>宋史選舉志第一

と題名からして
宋史の「選挙」志なる第一。とあるからには最近成立の法令ですよ。
しょっぱなから「科挙」と命名して紹介していない。

宮崎先生はこの「選挙」から「科挙」が出てきたと説明でしょ。
宋代の創作と読めるんですよ。
770世界@名無史さん:04/07/02 19:24
万暦帝と共に苦難を乗り越えていくスレッド

349 :世界@名無史さん :04/06/27 19:06
>>> 萬暦帝 <<<
               __
             /;;;;;;;;;;;;;\
            /;;:::::::::::::::::::::::\
       ∈=━/,,;;:::::::::::::::::::::::::.;ヽ━=∋
            L::;;,__     ..:::ゝ
          //;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;ヽ
          / ;;;;;;;;:::::::::::;;;;;;;;;;;;;::::::::;;;;; ヽ
         /j/三三三三三三三三三三ヾ、
         l::||::::              |l  
        / ̄\  (●)     (●)  ||  
      r┤    ト::::: \___/     ||     
     /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ   
      |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
      |   _)_ノヽ\  ハ // /    ヽ   
     ヽ____)ノ      ̄ ̄ ̄   /     ヽ、

董一元クン!
倭の固城を陥とし損ねて、晋州に逃げるとは、何をやっとったのかね。
罪は免れんぞよ。
同僚の徇クン?とともに一元クンに斬刑を命ず。
両名をひったてい。

>倭・・・築金海,固城・・・
>十月,董一元遣将四面攻城・・・忽営中火薬崩・・・兵遂大潰,奔還晋州。
>帝聞,命斬二遊撃以徇,一元等各帯罪立功。
『明史』巻三百二十 外国一 朝鮮 八二九八頁 −抜粋−
771世界@名無史さん:04/07/02 19:38
767さん:

引用紹介。ありがとう。

で。
先生なり。先輩なりに。私の読み下し能力の評定をしてもらいたい。
題材はレス770の「明史」の原文からの和訳(意訳)で。
あまりに的外れでダメなら正解を出して頂きたい。

>倭・・・築金海,固城・・・
倭は・・・金海(キムヘ)と固城に[倭城]を築くなり。

>十月,董一元遣将四面攻城・・・忽営中火薬崩・・・兵遂大潰,奔還晋州。
十月に、董一元という将軍を遣わし、[倭]城を四方より攻めたるなり。・・・
たちまちにして[倭軍の]火薬により[明・朝鮮の陣]営の中[壁]が崩れたり。・・・
[明・朝鮮の]兵は[倭軍の攻撃に耐えかね]遂に大いについえたり。
[明・朝鮮の兵は]奔走して[朝鮮の]晋州[城]に[逃げ]かえりたり。

>帝聞,命斬二遊撃以徇,一元等各帯罪立功。
[明の萬暦皇]帝が[この戦況]を聞きたり。
[明の皇帝が]命ず。斬[刑]を。二遊撃たる一元,徇たち、をもって
おのおの、の罪を立[証]する功[績なからんがゆえに]。

>『明史』巻三百二十 外国一 朝鮮 八二九八頁 −抜粋−
772世界@名無史さん:04/07/02 19:39
>>768
近代中国語は関係ないと思うけど。あと誤訳してるよ。
773世界@名無史さん:04/07/02 19:42
で、コイツはこのスレを乗っ取って何がやりたいの?

知識はその辺の本を読み流しての薄い受け売りで、あげくに間違いも山盛り。
どうやら漢文もまともに読めないみたいだし。
774世界@名無史さん:04/07/02 19:49
引用文は
旧字体であるが「科挙」ではない。
「選挙」とある。

宋代は近代中国語で無い。しかし文法的には近い。

そして貴方が近代中国語も読み下しも出来ないのであれば。
さらに私への評定の話も出来ない。
どう間違いかも言えない。つまり理解が出来ない。
まともに読んでいるからこそ書き下しができる。
あなたは読めないから正解文を載せる能力が無い。
775世界@名無史さん:04/07/02 19:51
近代中国語が出来るなら。
ローマ字と四声の記号をつけて答えて見てください。
それと現代日本語訳を添付して。
776世界@名無史さん:04/07/02 20:00
おや、いっちょ前に反論か。じゃあ読み下してやる。


乃詔曰:「科舉舊條,皆先朝所定也,宜一切如故,前所更定令悉罷.」

乃ち詔して曰く、「科舉の舊條は、皆先朝の定むる所也。宜しく一切を故の如くして、
前に更定せし所は悉く罷めしめん。」

詔して言った。「科挙の古い規定は、すべて先の王朝が定めたものである。一切を
元(先朝の旧例)のようにして、以前に変更した部分は全て廃止せよ。」


さて、>>774の暴言を撤回して詫びいれてもらおうか。
777世界@名無史さん:04/07/02 20:03
>>774
「宋史」が宋代に書かれたと思ってるの?ほんとに物知らないね。
778世界@名無史さん:04/07/02 20:04
少し気になったので。

>知識はその辺の本を読み流しての薄い受け売りで、

「宋史」「明史」など中華書局の本は
日本の大学の図書館や台湾・中国と取引の書店でしか手に出来ません。
大学でなら・・・ですので、決して「薄く」ない知識です。
さらに
明の太祖は一般の日本人は勉強しません。
一般書店にも棚に載ってない専門レベルです。
大手書店の専門書コーナーに有るか無いかの代物です。

>あげくに間違いも山盛り。
間違いを直す能力を身に付けてから言って下さい。
自分で治す能力も身に付けてから。
正解を知ってカキコできれば間違いか否か判明します。
正しいものを間違いと言うのは無知も甚だしい。

>どうやら漢文もまともに読めないみたいだし。
漢文の読み下しは簡単ではないです。
レ点や一二点や上中下点を既に打ってある参考書を読むのは誰でも出来ます。
しかし正史25巻ないしソレ前後の歴史書などで
真読の漢文は、読み下しの点がもともと付いていません。
仏教の大蔵経も読みの点は基本的にないのです。
簡単のようですが読み下しのできる仏教の坊さんは偉いのです。
これを自分で読み下しの点を打って読むのは、並でないのは判らないのでしょうか?

ところで貴方はどれくらいの読解力がありますか。
出身学部と専攻と中国語能力と、その論文の程は???
779767:04/07/02 20:08
みなさん、私の釣りが成功したと考えてよろしいでしょうか?w
780世界@名無史さん:04/07/02 20:12
>>779
GJ。
781世界@名無史さん:04/07/02 20:44
>777
「宋史」が宋代に書かれたと思ってるの?ほんとに物知らないね。
----------------------------------------------------------------
私は宋代に書かれたといっていない。
>759

歴史の後知恵で当時は無かった言葉だが、編纂時に遡って名づけたなら
---------------------------------------
「明史」は清代に編纂。
殷周が記述の「史記」は漢代に編纂。
朝鮮の新羅などの「三国史記」は高麗に編纂。
「高麗史」は李氏朝鮮で編纂。
782世界@名無史さん:04/07/02 20:47
>776

これミコトノリとして[皇帝が]言えらく。
「科挙は[法の]個条として古きに成立しこと。みな先の王朝の定めたる所なり。
宜しく、この故に一切[の政務]をなすべしと。
前の定むる所は、ことごとく更に罷[免]され[ざ]る[法令]なり。」
-----------------------------------------------
宜しく、××××一切[の政務]を−古い例−に−戻す−べしと。
前−に変更して−定むる所は、ことごとく××−廃止−され×る××−べき−なり。」

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

なるほど意味が真反対だと。釣りとしては面白い文節だな。君は確かに正しい。

>[法の]個条として古き・・・こと → 古い規定
>この故に・・・なすべしと → 故の如くして 
>前の定むる所 → 以前に・・・した部分 
>更に → 変更
>ことごとく・・・罷[免] → 全て廃止

>「旧条」を−古い例−「古い規定」。「更」を−に変更して−「変更」。
>「罷」を−廃止−され×る××−べき−「廃止」と読めない。

読みが出来ていない。詫びるよ。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

ところで。古い規定と違った、以前に変更した部分は何なのか???
選挙と科挙の違いは。
783世界@名無史さん:04/07/02 20:49
780 GJ。

グッド・ジョブ → うまくいった。
784世界@名無史さん:04/07/02 20:54
なんだ、この人本物の電波か。誤訳の指摘したら「釣り」だってよ。話にならん。
まあこの程度も読めないようじゃお話にならないね。

>ところで。古い規定と違った、以前に変更した部分は何なのか???
>選挙と科挙の違いは。

おいらの関心は魏晋南北朝なので、科挙については知識も関心もありません。
ただろくに漢文も読めないのにスレを乗っ取っておかしな知識を垂れ流してるヘンな人が
いるから突っ込みいれてみただけ。

そういうことは自分で漢文勉強して「宋史」でもお読みになればいいんじゃないですか。
785世界@名無史さん:04/07/02 20:55
>>762
要は市定は嘘を書いていると主張したいのだな。
具体的に

後の方が金もらったり
恥かきたくなさで取引でウソ説を書いて広めてしてしまう。
だって有り得るだろう。
だから出典とか引用を第一資料とか解説書の第二資料の判別をして
教えて欲しいといっている。

の根拠は何?
先生の著作で嘘と思われる個所は何?
786世界@名無史さん:04/07/02 21:02
>そういうことは自分で漢文勉強して「宋史」でもお読みになればいいんじゃないですか。
宋史よう
787世界@名無史さん:04/07/02 21:03
先生自身が百科事典で
・・・秀才制度・・・と説明し・・・科挙・・・の始まり。
としたから。

科挙は・・・進士・・・と説明しているのに
秀才制度は・・・秀才科と進士科がある・・・
とも説明している。
科(試験科目)が別なのだから「科挙(進士科)」と
「秀才制度(秀才科から進士科を分派)」は別物だろう。

自ら別の制度と百科事典に投稿しているのに
同じ投稿の文で、別物を同じ制度と言う矛盾にウソさを感じる。
788767:04/07/02 21:09
>>784
実は私の関心もそっちのほうで、むかし「如故」を「ゆえのごとく」と読んで
意味わからなくて質問したことがあります。だから、素人が間違いやすいだろうということでw

しかし、中文の学部生で中国語もさっぱりで、論文の一つも書いたことがない私より(ry
789世界@名無史さん:04/07/02 21:12
大学院は・・・博士・・・と説明しているのに
履修コースは・・・修士科と博士科がある・・・
とも説明している。
科(試験科目)が別なのだから「大学院(博士科)」と
「修士コース(修士科から博士科を分派)」は別物だろう。

自ら別の制度と百科事典に投稿しているのに
同じ投稿の文で、別物を同じ制度と言う矛盾にウソさを感じる。
790世界@名無史さん:04/07/02 21:15
>>788
いやいや、それを言ったらおいらなんか法学部卒で専攻は少年法で卒論は「少年事件に
おける一事不再理原則」ですからねえ。中国史は本当にただの趣味ですし、現代中国語も
ビタイチ分かりませんよ。
791世界@名無史さん:04/07/02 21:32
選挙は、広い概念としての人材選抜制度でしょ。漢代の郷挙里選なんかも含めたさ。
科挙は、手段が「試験による」と特定された人材選抜制度。

『宋史』選挙志とあるからといって、科挙じゃないという論法は通用しないよ。
問題の人は分かってないのかもしれないけど、776でもう決着がついてるよ。
「科舉の舊條は、皆先朝の定むる所也。」
科挙制度は唐代に定まったってさ。
792世界@名無史さん:04/07/02 22:45
相変わらず無駄なことしてるなぁ

ヽ<`Д´>ノ隋唐の科挙は捏造ニダ
793世界@名無史さん:04/07/02 22:53
煽りうるさいよ。捏造だという根拠示せよ。
『旧唐書』や『新唐書』にも進士の例はなんぼでも出てくるぞ。
794世界@名無史さん:04/07/02 23:07
ヽ<`Д´>ノ『旧唐書』や『新唐書』の進士もぜ〜んぶ後世の挿入ニダ
795世界@名無史さん:04/07/03 00:38
ageて電波を垂れ流す包茎の知能障害者はどうにかならんかね…
796世界@名無史さん:04/07/03 06:03
でたらめの箇所ほか「詮」と「欽」の間違いがある。
李白の百判文ではなく「白居易」の「百道判」。

身言書判は
身(身なり威風どうどうか)言(言葉使いが正しく訛りが無いか)
書(筆使いがうまく字がきれいか)判(法律上は正しく裁判ができるか)
といったものであった。

--------------------------------------------
詮試(あるいは吏部試)で身言書判の試験をし
官(進士)が官吏として採用され、役職(ポスト)に就く。

吏部試(身言書判、後の殿試のテスト科目?)の前に
礼部試で「帖経・試賦・時務策(昔の秀才制度の秀才科の科目に相当?)」の
試験をする。
礼部試の前に、試験を受けさせる
中央の学校からの推挙(学館進士)・地方からの推挙(郷貢進士)がある。

-------------------------------------------------
唐代には殿試がない。
門閥や貴族主義が横行していて
師弟の契りを結ぶ曲水流觴(きょくすい・りゅうしょう)の遊びを行っていた。
曲江の宴ともいわれ宴会場があった。教坊の妓楽を貸し与えられていた。
797世界@名無史さん:04/07/03 06:07

宋初の官制は実務に適応するように編成されていたが
官名と実職は一致していなかった。

王安石の新法党によって
神宗の元豊3年(1080年)に官制の改革が行われた。

それは唐制に復して
三省・六部・九寺・五監などの官名と その実職とを一致させ、
俸禄や序位をあらわすために 別に新しい官階を設けたのであった。

中書省・門下省・尚書省の三省が復活され

同平章事・参知政事がやめられ・・・
・・・三司・審官東西院・太常礼院・審刑院などがやめられた。
枢密院は残された。

----------------------------------------------
ひょっとして くだんの宋史の文は
この王安石の新法の改革で
 科挙試験ではなく??? 三省など役所の肩書きや役割を
唐制に復すの説明の文では???

思うのだが。。。。。。。。
798世界@名無史さん:04/07/03 06:11
>708
>永興軍路・秦鳳路(陝西省)__129・9

永興軍路(陝西省)
・秦鳳路(甘粛省)
799世界@名無史さん:04/07/03 06:13
20 宋史 托古托(元)
800世界@名無史さん:04/07/03 06:28
托古托??? たっこたく? タコ??? タコおたく??? はぁ。。。