東方正教とローマンカソリック 知られざる交流史

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1 
相当初期に、交流が無くなっていたのかと思いきや、公会議は共通だったと
知って驚いた。

公会議ではどのような綱引きが演じられたのか?
いつまで公会議を共催していたのか?

語り合いましょう。
2世界@名無史さん:02/08/18 13:34
2
3世界@名無史さん:02/08/18 13:46
交流史というか、むしろ、主導権抗争史だろう。
4かんかん:02/08/18 14:02
いや、東方教会は教会分裂前の公会議しか認めていない。
教会分裂以前の公会議を東方教会では、全地公会と呼ぶ。
東方教会では全地公会だけが公会議。
5世界@名無史さん:02/08/18 14:06
>>4

教会分裂って1077年のやつ?
逆に言えば、11世紀までは公会議を共催していた?
6世界@名無史さん:02/08/18 14:06
だいたい東西教会分裂って、1054年だよ。相当、初期っていつのことを想定しているの。
7:02/08/18 14:08
>>6

カール戴冠あたりから、公会議は別かと思ってた
8世界@名無史さん:02/08/18 14:08
いやいや1077年はカノッサの屈辱。
9世界@名無史さん:02/08/18 14:16
5
共催もなにも教会そのものが分裂していなかったのです。
10世界@名無史さん:02/08/18 14:26
>>9

主導権はどっちにあったの?
皇帝を擁するコンスタンチノープル司教?
ペテロを初代法王とするローマ法王?
11 :02/08/18 14:34
公会議での言語は何語だったんだろう?

ギリシア語か、ラテン語か。
12:02/08/18 14:38
スレタイ変えたいな。

『知られざる抗争史 ローマ法王対コンスタンチノープル大司教with皇帝』
13世界@名無史さん:02/08/18 19:00
10
11
正直に白状します。勉強不足で分からないです。
そのうち調べます。
14世界@名無史さん:02/08/18 19:02
11
に関してはおそらくラテン語だと思う。
15≠9:02/08/18 19:08
>>10
>主導権はどっちにあったの?
>皇帝を擁するコンスタンチノープル司教?
>ペテロを初代法王とするローマ法王?

公認後の公会議は最初はローマ皇帝(東ローマ皇帝)の意向で開催されました。

が、そのうち蛮族の侵出で混乱してくると、
わけのわかんない公会議も起きたりするんですけどね。

歴史上「盗賊会議」と呼ばれた公会議とかは、コンスタンティノープル総主教が
皇帝とローマ教皇と両方出し抜いて開いた(笑)、とされてる。
16世界@名無史さん:02/08/18 19:21
15
間違い。最初の二ケア公会議でコンスタンティヌス大帝が召集している。
この時点(325年)でローマ帝国はまだ分裂していない。
1716を訂正:02/08/18 19:22
15
間違い。最初の公会議は二ケア公会議でコンスタンティヌス大帝が召集している。
この時点(325年)でローマ帝国はまだ分裂していない。


18 :02/08/20 06:34
全地公会議が続いていた間は、ローマ法王もビザンツ皇帝を神聖ローマ皇帝
より権威ある者として認めていた、ということ?
19梵阿弥:02/09/08 23:47
>>10
主導権というのとはちょっと違いますが、451年のカルケドン公会議で5大主教(エルサレム、アンティオキア、
アレクサンドリア、ローマ、コンスタンティノポリス)のうちローマの首位権が定められました。1054年に
コンスタンティノポリス大主教ケルラリウスがローマとの対等を主張し相互破門の一因となったので
東ローマ教会もそれまではローマの首位権を一応認めていたことになります。
破門したからには当然自称「ローマ教皇」は異教徒、となったことでしょう。
相互に破門を取り消したのは1950年代です。破門の理由は、色々ありまして。
20世界@名無史さん:02/09/08 23:54
今でもコンスタンティノープル総主教はおるんだな。
「世界総主教」という名前でな。
21世界@名無史さん:02/09/09 01:29
東方正教は、民族単位に分裂してしまったから、ローマンカトリックほどの力は
ない感じがするね、今では。
22世界@名無史さん:02/09/27 00:31
age
23世界:02/09/27 00:53
うむ たてのつながりより横の連帯関係
>21
24梵阿弥:02/09/30 00:05
>>21
どういう訳か共産圏と重なっていて、弾圧されてましたが政変により信仰の復興が盛んだそうです。
25YP:02/09/30 00:28
>>24 梵阿弥サン
その「どういう訳か共産圏と重なっていて」の理由は解明出来ないのですかね?
‘スラヴ、正教会、共産国’の重なりは只の偶然という事はないと思いますが。
26世界@名無史さん:02/09/30 00:46
東欧の覇権を握っていたロシア帝国をそのまま引き継いだのが
ソビエト連邦だったからではないのか?戦前のポーランド、
チェコスロバキア東部は正教圏に含まれる。(現在は白露西亜,ウクライナ領)
27世界@名無史さん:02/09/30 00:48
   
28世界@名無史さん:02/09/30 01:22
東方正教会は東ローマ皇帝の教会に対する優位を認めてしまったから
現実政治に対して容認的になってたんでは?<共産主義化阻止し得ず
29梵阿弥:02/09/30 01:29
>>25
解明されている、という話は聞いたことございません。私が知らないだけかもしれませんが。例えば共産圏でも
西スラフ人のポランドはローマ普遍宗(カトリック)
      チェコは普遍宗+ボヘミア兄弟団(フス派、抗議宗=プロテスタント)
      スロヴァキアは普遍宗
南スラフ人のスロヴェニヤ、クロアティアは普遍宗
      ボスニア・ヘルツェゴビナは4割程がムスリム
      セルビアはセルビア正統教会(オーソドクス)総主教座あり
      モンテネグロとマケドニアはセルビア総主教座管轄
東スラフ人のロシアは正統協会モスクワ総主教座あり
      ベラルシはモスクワ総主教座管轄
      ウクライナは元来西部(旧ポランド王国領)が普遍宗、
              中・東部がモスクワ総主教座管轄、近年自称ウクライナ総主教座あり:続く     
30世界@名無史さん:02/09/30 01:37
戦前のポーランド東部とチェコスロバキア東部はそれぞれ白露西亜人、
ウクライナ人が多数派を占めていて、正教圏と言って間違いない。
戦前の国境線が戦後の国境線より東にあるのに注意してくれ。
31梵阿弥:02/09/30 01:40
続き:
非スラフ人では
ラテン系?(恣意的)のルマニアは正統教会ブカレスト総主教座あり
ギリシャ系    のギリシャは正統教会で「ギリシャ教会」を名乗り
?系       のグルジアは確かモスクワ総主教座管轄
南スラフとトルコ系ブルガル合成のブルガリアは正統教会ソフィア総主教座あり
という訳で必ずしもスラフ人の分布とぴったり重なってはいません。歴史的にエーゲ海と黒海の帝国
だった東ローマ帝国の勢力圏ですね。なお>>29で協会は教会の誤りでした。
一応最高位は>>20のコンスタンティノポリスの正統教会世界総主教座ですが、他の総主教座管轄域に
何の権限も無く、この点がローマ教皇との違いです。
32世界@名無史さん:02/09/30 01:43
正教圏と共産圏が重なっていることに、因果関係はなくとも相関関係はあるのでは?
地理的要因や文化的要因により、そのあたりで各種の境界線が生まれやすい初期条件がもともとあった…とか。
33梵阿弥:02/09/30 01:44
>>30
はい、ですから王国領、と書いたんですが、しかし第一次分割以後の領土、ですね。
これは説明不足でした。>>26さんが「東部」とされていたのは解っていた積りです。
34世界@名無史さん:02/09/30 01:45
正教圏と共産圏の相関関係か。初めて聞いたけど、面白いテーマだね
35パシッチ ◆YugocC.c :02/09/30 01:50
旧共産圏大好き人間としては、簡単に「重なってる」とか言って欲しくないです……。
梵阿弥氏(どうでもいいけど独特な書き方されますね)が指摘しているように旧共産圏といっても多種多様ですし、
世界総主教座になんの権限もないので独立的ですし。
旧共産圏と言っても国によって様々な面を持ってます。
ちなみに補足しておきますと、アルバニアはムスリムが多いですね。
>      セルビアはセルビア正統教会(オーソドクス)総主教座あり
>      モンテネグロとマケドニアはセルビア総主教座管轄
ベオグラードは総主教座ではなく府主教座です。
また、ユーゴの分裂後、スコピエの総主教座がマケドニアを、ツェチニェの総主教座がモンテネグロを管轄してます。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナはよく知られているように正教徒・カトリック教徒・ムスリムが入り乱れてます。
サライェヴォにはカトリックの大司教座とセルビア正教の総主教座があります。
36世界@名無史さん:02/09/30 01:53
>>35
>旧共産圏大好き人間としては、簡単に「重なってる」とか言って欲しくないです……。

そうはいっても、巨視的にみたら、やはり重なりが気になる。
否定する側からしても肯定する側からしても十分面白いテーマだと思うけどな。
37梵阿弥:02/09/30 01:55
総主教座と府主教座は総主教座の方が上ですよね。とするとセルビア正統教会の本山は
サライェボ、つまりボスニア・ヘルツェゴビナにあるという事になってしまいますが。
 <ユーゴの分裂後
これはよく知りませんでした。ウクライナもそうですが、自称をどこまで認めるかも難しいですし。
38世界@名無史さん:02/09/30 01:59
西ウクライナにはギリシャ典礼カトリックが一大勢力を誇っている問題もあるぞ。
39パシッチ ◆YugocC.c :02/09/30 02:00
あぎゃ。
サライェヴォは総主教じゃなくて大主教座でした……ごめん。

>>36
おもしろいテーマだと思います。
そういえば以前、「ユーゴスラヴィアのカトリック/正教の境界は、東西ローマの分割の境界にほぼ等しい」という文を見たことあります。
こっちはすんなり納得できますね。
40世界@名無史さん:02/09/30 02:03
マスードスレを荒している梵阿弥はいつになったら世界史板から消えるの?
41YP:02/09/30 02:08
>>36
付いて行けるか心配になったので助かります。 спасйбо

ちょいスレ違いになるかも。
正教会諸地域にオスマンという共通なプレッシャーが無くなった事も、
ロシアにイニシアティブを委ねてしまった原因だったりしますよね? 
自分達の民族の国のありようを考える間も無くレーニン登場なら当
然の成りゆきなんかな。
42世界@名無史さん:02/09/30 02:18
確かに東欧諸地域の多くの被支配住民が民族としての自覚を
持ち始めたのが19世紀ぎりぎりか20世紀に入ってからだから。
レーニン登場に間に合わなかったのは言えると思う。

43世界@名無史さん:02/09/30 02:29
ドイツやイタリアは「遅れてきた民族国家」だけど、
東欧諸地域の多くはさらに遅れた「間に合わなかった民族国家」なんだね。

でも、どうして民族意識の興隆が遅かったんだろう?
それと、どうして正教はカソリックに比べて統一性がないんだろう?

この2つは、おんなじ要因からきているんじゃないだろうか?
44世界@名無史さん:02/09/30 02:46
>>43
でも考えてみたらわれわれの日本も支配者階級の武士が日本人として
覚醒し始めたのがペリー来航以降だからね。
国学派の学者や尚歯会みたいな例外的な先覚者はいるにしてもさ。

45世界@名無史さん:02/09/30 02:53
>>44

戦国〜江戸初期の武士は、十分に日本人として覚醒していたと思うよ。
46世界@名無史さん:02/09/30 03:02
明治維新の成功は、維新以前から、日本人に「日本人」という意識があって、
容易に国民国家になれたからだ、という指摘がある。
47世界@名無史さん:02/09/30 04:32
ペリー来航後の尊皇攘夷の高まりの中で国民としての意識が形成されたんじゃないのかな?
戦国時代は地域によって違うと思うわれ。
48パシッチ ◆YugocC.c :02/09/30 09:57
戦国期とか江戸時代は、支配者はともかく人口の多数を占める農民の行動範囲は狭く、
「日本」というものの存在は知っていても実感として認識していただろうか、という疑問がありますが。

>でも、どうして民族意識の興隆が遅かったんだろう?
政治的な境界と文化的境界が一致しないこと、
それからこの地域を支配したオスマンやハプスブルクが少数民族に寛容であったこと。
が原因として考えられますね。
クロアチアで民族主義が高まるのは、オーストリア−ハンガリーが二重帝国になってからですし。
あと、民族の分布が複雑すぎて、ナショナリズムに走りにくかったのではないかという指摘もできると思います。
セルビア人とクロアチア人の違いは宗教・地域的なものですが、
方言分布で分けるとザグレブとベオグラードの住民は同じ方言を話していたとか。
そうなると「セルビアナショナリズム」「クロアチアナショナリズム」というのを言い出しにくい。

正教が統一的ではないのは、ビザンツが滅ぼされオスマンに取って代わられるという出来事と関係があるようです。
オスマン帝国の政策かなんかだったような気がしますが……誰か詳細希望。
49パシッチ ◆YugocC.c :02/09/30 09:59
長い上にユーゴの話しかしてないし……鬱。

スラヴ・旧共産圏だけどカトリックな諸国、つまり
チェコ、スロヴァキア、ポーランド、スロヴェニア、クロアチアの5カ国は、
冷戦終結後どんどんEU加盟・NATO加盟へと向かってますね。
なんだか「俺たちはもともと東欧じゃねーんだよ」という意識を感じるのですが。
50世界@名無史さん:02/09/30 10:22
東方教会では、もともとビザンチン皇帝が頂点に立つ仕組みであり
皇帝が求心力だったところに、ビザンチン帝国が消滅し、しかも
支配者になったのがトルコという異教徒であったことも、
求心力の無さの原因では?
51世界@名無史さん:02/10/01 19:17
それから?それから?
52世界@名無史さん:02/10/15 22:22
age
53世界@名無史さん:02/10/16 13:17
692年に、コンシュタンティノープルで開かれた公会議で、「キリストの肖像画」
というのが認められたんだっけ。
54梵阿弥:02/10/20 23:23
えー、>>33はひどく間抜けな事書いてしまいました。お詫びします。忘れてください。
何か寝ぼけてたみたいで。
>>40
私は忘れた頃にやって来ます
>>38
そう、それが問題なんですよ。合同教会、帰一教会、東方典礼カトリック、と呼びます。
大雑把に言って、典礼に代表される慣行をそのままに、ローマ教皇の首位権と無謬性を認めた派ですね。
イスラムの攻勢に東方諸教会が動揺した所に十字軍を通じてローマが一本釣りしたのが多い。
ポランド東部、ウクライナ西部、大戦間期チェコスロバキア東端(ルテニア、現ウクライナ領
ザカルパチエ州)の主流はそれなんです。元々キエフ・ルシ崩壊後モスクワ管轄正統教会優越地域
でしたが1595年にリトアニア大公国を吸収合併したポランド王国が「ブレスト合同」を行い、強制的に
合同教会としました。その後ロシア帝国時代はゆっくりと合同解消も進みましたが、スタリンが
ソビエト領は強制的に合同を解消させ、モスクワ総主教座管轄としました。しかし司祭や信徒は
地下活動を続け、多数の投獄者を出しています。ソ連邦崩壊後、ウクライナ合同教会も公認され、
総本山はリウィフにあります。尚、典礼様式はギリシャでなくロシア式、つまり中世ブルガリア
起源の教会スラフ語です。
55世界@名無史さん:02/10/20 23:29
おおやっぱりこれもキチガイ梵阿弥タンは降臨してたねクスクス
56世界@名無史さん:02/11/04 20:13
age
57この種のテーマでは:02/11/04 20:51
森安先生はお亡くなりになってしまったのが
惜しい
58へー:02/11/06 07:41
洩れは梵阿弥の博学は参考になるがね。
59世界@名無史さん:02/11/06 07:44
なんか宗教を資源に替えたら
現代の情勢と似ているな。
60世界@名無史さん:02/11/19 00:08
age
61世界@名無史さん:02/12/04 00:44
age
62世界@名無史さん:02/12/13 19:18
l;
63世界@名無史さん:02/12/13 20:41
>>54
現在のポーランドはギリシャカトリック(ポーランド名)は極めて少いぞ
まとまった信者がいるのはプシェミシルとその周辺のみだし、現在の
信者も爺婆ばかり。
今年の夏に逝ったときはローマカトリック教会は盛況だったが、
ギリシャカトリック教会では閑古鳥が鳴いていた。
しかしミサは実に面白い。神父の聖衣が羅馬式で教会スラブ語のミサは
かなり違和感が有った。おまけにゴシック様式教会に装飾が正教で信者が
ミサのとき椅子に坐っているのも不気味だった。
64世界@名無史さん:02/12/13 20:45
彼等はウクライナ人、ルテニア人どちらなのだろうか?
質問すればよかったな。
65世界@名無史さん:02/12/15 12:39
1054年の相互破門を解いたのは20世紀に入ってからと聞いたのですが
いつだかわかりますか? 
よほどのことがないかぎり900年もつづいた破門を解くことはないと
思うのですが、どういうきっかけがあったのでしょうか。
66世界@名無史さん:02/12/15 14:38
きっかけは1962年から開かれた第2ヴァティカン公会議でしょう。この会議で
全てのキリスト者に開かれた教会を目指す方針が決められました。例えば各自
の民族の言葉で典礼の聖歌を唄うことを認め、また分裂したキリストの教会の
再一致を目指す教会統一運動が始まります。
1964年にはローマ教王パウルス6世と東方教会総主教アテナゴラスが会談し、
翌年、1054年の相互破門をお互いが撤回して911年ぶりに和解しました。
背景までは知りませんが、当時続いていた冷戦の影響もあるのでしょう。。。
6765:02/12/16 02:15
>>66
ありがとうございます。
冷戦ですか。関わりがありそうですね。

公会議って325年のニケーアの公会議以来今までに
21回しか開かれてないんですね。
68世界@名無史さん:02/12/16 12:48
アレなロシア人
http://nanikaya.jp/itsuki_diary.html
69世界@名無史さん:02/12/22 20:03
>>68
かわいいの〜
やりたいの〜
70世界@名無史さん:03/01/05 01:19
age
71山崎渉:03/01/11 13:07
(^^)
72世界@名無史さん:03/01/15 22:24
age
73世界@名無史さん:03/01/17 12:43
1054年より前にもいろいろと小シスマがあったとかで、
当時のヒトは「またか、でもじきに仲直りするだろう」という感じで、まさかこれが1000年も続くとは思ってもいなかったとか。
74世界@名無史さん:03/01/17 17:14
オーソドクス
75梵阿弥:03/01/27 01:01
東西分裂が議論されてないのでなんか落ち着かないんですが。直接のきっかけはノルマンだそうです。
76世界@名無史さん:03/01/27 13:46
>>75
是非詳しくお願いします。
77世界@名無史さん:03/02/11 10:25
age
78世界@名無史さん:03/02/26 20:10
すいませんが、
カソリックとオーソドックスの違いを素人にもわかるように
教えてください。
また、ギリシャ、ルーマニア、ロシア、ブルガリア正教などの
違いについても教えてください。
現地の人に聞いても、いまいちよくわかりません。

よろしくお願いいたします。
79Peak:03/02/27 09:01
>>78
もしもキリスト教の教義に詳しくない人から見れば、カトリックとオーソで
教義の上で基本的なことはほとんど違わないとかんがえていいとおもう。
同じキリスト教だからね。
用語が違う、式文が違う、習慣が違うなどはありますが、
それは長い間(1000年)地理的にも違う環境で独自に歩んできたからね。

教義面での細かい違いについてはこのサイトを見て下さい。
http://plaza15.mbn.or.jp/~fnagaya/frOrth-Catho.htm
ただしここでは「正教が正しくカトリックが間違っている」ような
記述がされているが、もちろんそれは正教側からの見方なので、
ようするにそこが「違っている」点と言うわけですわ。

正教会は各地の教会が独立して伝統を守っているので、
こうした地域教会があるのですが、ほとんど違いはないです。

これ以上は宗教板の東方正教会スレいってきいて。
いちおうageとくんで、もっと詳しい人が来るかもだが。
80世界@名無史さん:03/02/27 11:21
東方正教会
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1043341395/

東方正教会スレなら一応世界史板にもあるぞな。
81世界@名無史さん:03/02/27 17:02
どうも大変ありがとうございました。
日本でも、外国人に曹洞宗と日蓮宗の違いは?何て聞かれると
専門家でない限り、よくわからないのと同じようなものなんですね。
ど素人ですいません。
82世界@名無史さん:03/03/12 22:24
age
83世界@名無史さん:03/03/12 23:24
さてセルビア共和国のジンジッチ首相が暗殺された訳だが
84山崎渉:03/03/13 12:49
(^^)
85名無しさん@XEmacs:03/03/15 00:39
保全
86世界@名無史さん:03/03/26 00:22
age
87世界@名無史さん:03/03/26 11:36
>>83
火薬庫ですから
88世界@名無史さん:03/04/07 08:59
age
89コンジローマ:03/04/08 19:35
シドッチ取調べは成功しました。
90世界@名無史さん:03/04/14 21:16
ttp://member.nifty.ne.jp/ryp/kurihon/kurihon18.htm
ここもけっこう参考になる。
5本山のうち東方教会に属した4つは衰退したと思ったから、
驚いた。アレクサンドリアはアフリカ全体が教区だそうな

あと東方教会のトレードマークはひげだな
91山崎渉:03/04/17 09:40
(^^)
92山崎渉:03/04/20 04:55
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
93世界@名無史さん:03/04/28 08:53
age
94世界@名無史さん:03/05/15 01:09
age
95山崎渉:03/05/21 22:22
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
96世界@名無史さん:03/05/26 23:38
age
97世界@名無史さん:03/05/29 22:28
age
98世界@名無史さん:03/06/05 04:45
日本カトリック司教協議会
子どもへの性的虐待に関する司教メッセージ
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/c_abuse/

日本のカトリック教会において聖職者、修道者による子どもへの性的虐待があったことが判明いたしました。

99世界@名無史さん:03/06/10 23:54
age
100 ◆OabJU8b1b. :03/06/11 06:41
100
101山崎 渉:03/07/15 12:55

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
103世界@名無史さん:03/09/21 21:41
>>90
エジプトでのギリシア正教の勢力はたいしたことないよ。
エジプトのキリスト教の代表は、500万人を越えるコプト教会。
コプト教皇シェヌーダ三世の尊敬のされぶりは凄い。
昔は、エチオピア教会の総主教もコプト教会が決定してたくらいだし。
20世紀になってやっとエチオピア人が総主教を決めるようになった。
104世界@名無史さん:03/09/21 21:50
シリア単性論教会が一番ですね。
105世界@名無史さん:03/10/08 17:47
シリアにあったマロン派教会は、殆どカトリックと合同した。
106世界@名無史さん:03/10/08 19:39
>>105
それはフランス支配の影響?
107世界@名無史さん:03/10/08 19:48
  それじゃマロン派のレバノン移民はほとんどカトリック?
  道理でカルロス・ゴーンさん揉めなかったわけだ
108世界@名無史さん:03/10/08 19:58
キリスト時代にインドに布教されたときのキリスト教徒って、どうなったんでつか?
109世界@名無史さん:03/10/08 20:13
   家系が断絶したのでは

   インドの移住したアルメニア人もそうだし

   日本だって戦前白系ロシア人いたけど見ないよね
110世界@名無史さん:03/10/08 20:28
>>108
今もどこかの州にまとまって居住
111世界@名無史さん:03/10/08 20:30
>>106
そいう訳でもない。
もともとマロン派単性論教会は、ビザンティン下でも圧迫され、イスラムにも圧迫されていたから、
カトリックの合同に他の東方教会に比べて最もよく参加した。
おかげで、今のマロン派教会の典礼はラテン要素が一杯。ローマ典礼と似てまくり。

>>108
最近知ったけど、シリア単性論教会と同じ系列の教会が南インドに残ってる。
112世界@名無史さん:03/10/09 12:27
マロン派は正確には単性論とも違う「単意論」が教義だったと思うがどうでしょうか?
マロン派は完全にカトリックに吸収されたのでは?だから、アラブの中では最も親西欧的で、
その右派はイスラエルの手先?
113世界@名無史さん:03/10/09 15:11
>日本だって戦前白系ロシア人いたけど見ないよね
俳優の大泉幌さん(故人)とか、ちょいまえは結構見ましたが。

114世界@名無史さん:03/10/09 16:20
>>113 太田幸二 健在!! 
115世界@名無史さん:03/10/09 18:57
>>19
五つの総本山のうちローマは特別な地位を占めてきましたが、
コンスタンティのポリスの宮殿内の「円蓋の間」で開かれた東方主教による
クイニセクストゥム会議(691〜692年)において、コンスタンティノポリスを
ローマと同等の地位におく決議がなされ、6世紀頃より始まっていた東西教会
の確執を深めることになります。
116世界@名無史さん:03/10/10 00:05
http://homepage2.nifty.com/kenkitagawa/Palermo-Martorana-KingRoger.jpg
キリストより冠を戴くシチリア王・ロジェール2世

キリストと王の風貌を似せて描いています。
王がまとっているのはビザンティン特有の「ロロス」という祝祭装束。

南イタリアは11世紀以降、東西の教会勢力および東西の各修道院派の
駆け引きの場となり、複雑な政治・宗教事情にさらされてきました。
117世界@名無史さん:03/11/05 09:20
 
118世界@名無史さん:03/11/26 09:27
119世界@名無史さん:03/11/26 21:48
120世界@名無史さん
α〓〓〓マリヤ崇敬の間違いを聖書で正す〓〓〓ω
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1072703264/

カトリック批判の決定版