1 :
世界@名無史さん:
なんでもあり。
メロヴィング、カロリング、ヴァロワ、カペー、ブルボン。
2 :
世界@名無史さん:02/08/18 07:36
とりあえずフィリップ4世について教えて。
やることはえげつないが、中央集権的で国家形成にはよい働きをしたと思うんだが。。
人権という発想もあったようだし。
歴史的評価はどうなんでしょ?
3 :
世界@名無史さん:02/08/18 10:01
アンリ5世ってその後どうなったのでしょうか?
4 :
世界@名無史さん:02/08/18 11:08
>>2 王権強化と領土拡大、財政増収に成功し、近世国家・絶対主義王権の
基礎を築いたことや、最初の全国三部会を召集したのは評価されてると
思います。
ただ、なにぶんやったことがアレだからなあ・・・
悪評は免れないでしょう。
5 :
世界@名無史さん:02/08/18 11:14
アナール事件。教皇を拉致監禁。
6 :
世界@名無史さん:02/08/18 11:27
>>5 アナーニ事件じゃなかった?
ttp://www.hi-net.ne.jp/~ikds5287/d4v2.html アナーニという町に避暑に来ていた法王はここでフィリップ4世を破門
するための勅書を仕上げようとしていた。しかし、そこにフィリップ4世の
宰相ギョーム=ド=ノガレの率いる傭兵とコロンナ家の私兵による特殊部隊が
突入した。彼らは、法王の頭を飾る三重の冠をむしりとり、衣服をはぎとり、
「退位しろ」と迫り、さらに、法王が貯め込んだ財産を奪った。その後も、
退位を拒否する法王は土牢の中に裸同然の格好で放り込まれ石による拷問に
かけられたり、鉄製の手袋で殴られたりと散々な目にあった。シラミが体を
這いまわる土牢の中で、法王はただ泣くのみだったという。のち、法王は
市民の救援部隊に助け出され、ようやくローマに帰ったものの、精神に
異常をきたし、宮殿の部屋の壁に自らの頭を打ち続け亡くなった。
7 :
世界@名無史さん:02/08/18 11:41
>>6 ネタですよ・・・。
でも、アナーニ事件に詳しくなったよ。
フィリップ4世は鬼畜だなぁ。
漏れはカノッサの屈辱の頃の偉そうな教皇のほうが嫌だけどね
メロヴィング朝はフランス王って扱いじゃないんじゃない?
俺はカペー朝以降をフランスと認識している
>>10 私もそう思っていたが、調べるとシャルルマーニュの子ルイ1世敬虔王からのようである。
シャルルマーニュはアーヘンが居城だったが、ルイ1世はランス。
パリがフランス王の居城になったのはユーグ・カペーから?
>>11 ロベール1世或いはユーグ・グランの頃からじゃないの?
>>11 フランス領内に居を構えたらフランス王という認識だったらそうなるだろうね
フランス革命の始まりはいつ議論と一緒であんまり重要じゃない議論かもしれないけど・・・
西フランクが徐々にフランス化していったと
14 :
世界@名無史さん:02/08/18 12:26
メロビング朝ってどういう風に始まったの?
根拠は、ルイ1世敬虔王から、1世、2世のカウントが始まるから。
#王家の公式見解があれば、論争にはならないのだが・・・。
#イングランド王家は、始祖ウイリアム1世以来、とことあるごとに言っているように。
カロリング朝とカペー朝に血のつながりは皆無なの?
17 :
世界@名無史さん:02/08/18 13:19
>>14 初代のクローヴィスがキリスト教に改宗して、ローマ教会のお墨付きを
得たときからがはじまったんじゃないの?
それまでは力でガリア北部にいるゲルマン人をたばねていたにすぎない、と。
18 :
世界@名無史さん:02/08/18 13:20
メロビング朝にユダヤ人が多くいたって話はトンデモ?
19 :
世界@名無史さん:02/08/18 13:39
>>16 カペー朝はもともとパリ伯だったし、カロリング朝の王女がカペー家に
降嫁したという記録もありませんから、ないのでは?
>>19 じゃあ、カロリングとカペーは全くの別人ってことか
英国がウィリアム征服王を始祖としているなら
フランスもユーグ・カペーを始祖としていただきたいものだ
21 :
世界@名無史さん:02/08/18 13:48
>>17 クローヴィスの親父さんが伝説上の創始者だった筈
22 :
世界@名無史さん:02/08/18 13:54
>>21 ヒルデリック1世。←思いっきりゲルマン風の名前。
23 :
世界@名無史さん:02/08/18 13:56
>>21 調べてみたらクローヴィスの曽祖父のクロディオンなる人物が
始祖と記してある・・・
フィリップ2世の母親だか、奥さんだかがカロリングの末裔だと聞いたが。
25 :
世界@名無史さん:02/08/18 14:00
>>22 クローヴィスはフランス語訛りで、ドイツではクロードヴェクとか言ってルードヴィヒと同じ名前とされる。
26 :
世界@名無史さん:02/08/18 14:03
カロリングの王様はフランス語読みだったりドイツ語読みだったりラテン語読みだったりで、
非常にややこしい。
27 :
世界@名無史さん:02/08/18 14:08
>>26 しかもメロヴィング朝、カロリング朝は分割相続をするんで、在位表もややこしい。
それにしても初期カペー朝は本当に無力だね
アンジュー伯が英国王になるのも阻止できなかったし
29 :
世界@名無史さん:02/08/18 14:16
>>28 その状態がが100年戦争まで続く。ゆっくりと力をつけていってはいるが。
>>29 結局パリ伯のままだったんだよね
国王とは名ばかり
>>27 しかもしかも、親とか先祖の名前の半分を頂くというゲルマン的な習慣のため、似た名前が多い。
クローヴィスとクロティルドが結婚してクロドメルとクロタールがその息子で・・・
キルデリクとキルペリクとキルデベルト、テウデリクとテウデベルトとテウデバルド。わからん。
32 :
世界@名無史さん:02/08/18 16:28
>>29 >>30 百年戦争の結果、王権が確立したんだけれど、この結末次第では、
ドイツやイタリアのように小国の乱立状態となったんだろうね。
33 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/18 16:45
>30
まるで室町幕府。地方領主としては有力でも国王になると力不足という典型
的な例。
34 :
世界@名無史さん:02/08/18 18:12
アンジュー伯が英国王ヘンリー2世となった時、フランス王との関係がイギリス王
として同等、フランス領については仏王の臣下というややこしい関係が生まれた。
結局、百年戦争で武力解決することになって仏領はほぼ失う事になる。
今読んでる本で、
国王(フィリップ4世)が死ぬ間際に「呪文」みたいなものを
長子に伝える、というくだりがありました。
最もフィリップは忘れてしまっていて司祭かなんかが伝えた
理論上は国王も奇跡をおこなえることになっている、とどっかで聞いたのですが、
この「呪文」はそういったものなのでしょうか?
# その呪文は形式的にしろ、ずっと伝えられたのでしょうかね
36 :
世界@名無史さん:02/08/18 19:52
>>35 王が病人に触れて病気を治す儀式は有名だけど、呪文というのは初耳です。
>>31 メロヴィング朝末期の王たちはコンピエーニュ近くの離宮に幽閉されて、
毎年3月か5月に牛車に乗せられてフランク族の民会へ顔を出し、外国使節を
引見したり、宮宰の法律を裁可したりしました。
そしてついに王位まで奪われることに・・・
37 :
from d:02/08/18 20:15
ギーズ家はカロリングの末裔?
38 :
世界@名無史さん:02/08/18 20:28
>>37 ギーズ家とロレーヌ家はアンジュー家の分家らしいです。
39 :
from d:02/08/18 22:03
>>38 ありがとうございます。
例の3アンリの戦いのとき、ギーズ家がフランス王位を主張できたのは、アンジュー家の分家だからだったんですね。
フランス革命のとき、ルイ16世は市民カペーと言われたのは、カペー家の男系だからですね。
ということは、ブルボンは姓ではないのか。
つまり
カペー→源
ブルボン→徳川
って対応になるのか。
ところで、カペーっていうのはカーペットが語源と聞きまし。
なんでも、始祖のユーグはカーペットのようなマントを羽織っていたから、それがあだ名になって、姓になったということです。
アンリ・ド・ギーズはフランス王フランソワ2世の息子。
アンリ・ド・ヴァロアはフランソワ2世の弟。
アンリ・ド・ナヴァールはフランソワ2世の妹の夫で、ルイ9世の10代目の子孫。
42 :
Roi de France:02/08/18 23:52
>3
アンリ5世について、私も興味があります。
革命期に、試作で作られたアンリ5世の銀貨があります。
でも、彼が誰だったのか・・・・
43 :
世界@名無史さん:02/08/19 00:01
44 :
世界@名無史さん:02/08/19 00:04
>>42 確か、シャンポール伯アンリなる人物が、アンリ5世として王位を
要求したけど1874年に議会で否決されたという事件ですよね?
45 :
世界@名無史さん:02/08/19 00:04
現在のフランスブルボン家の末裔はどこにいるのでしょう?
一説にはさる動物園を経営しているそうですが。
46 :
世界@名無史さん:02/08/19 00:06
そんな情けない事件があったのですね。
・・・・380ユーロもして落札させたコインなのに。。。(TT)
47 :
Roi de France:02/08/19 00:10
48 :
世界@名無史さん:02/08/19 10:31
age
49 :
世界@名無史さん:02/08/19 11:35
50 :
Roi de France:02/08/19 17:14
残ったのはハンカチ6枚とスリッパ1足?=仏王位の継承者パリ伯(時事通信)
フランス王位の正統継承者が残したのは、ハンカチ6枚とスリッパ1足?−。
6月にパリ伯アンリ6世が90歳で死去したが、そのばく大な財産の大半が売
却されたり行方が分からなくなっていることがこのほど判明、遺族の一部が調
査に乗り出す騒ぎになっている。
パリ伯は、フランス王ルイ13世の子孫で1830年の7月王政で王位に就い
たルイ・フィリップの直系。1940年にパリ伯が父親から財産を相続した時
は40億フラン(現在の換算で約800億円)の資産があったと推定される。
ところが、パリ伯が息を引き取った同国北部ノルマンディー地方の住居やパリ
近郊のマンションの室内は空っぽで、残っていたのはハンカチ6枚とスリッパ
1足だけだった。
ってことは、替えの服や下着すらなくて、ずっと同じ服を着てたのか?
【衝撃】何とメロヴィングの血脈は今でも脈々と続いている
今日は忙しいのでまたの機会にレスします。
乞うご期待!
レンヌ・ル・シャトーとかシオン団とか、メロヴィング朝はキリストの子孫だったとか、
そういうネタなら却下。
54 :
Roi de France:02/08/20 12:08
>>51 まさかとは思うが、レンタルだったのかも・・・??
>>53 くそ、ばれたか(w
流石、世界史板の奴は騙せなかったな・・・
高麗王・朝鮮王>>>>>>フランス王
57 :
世界@名無史さん:02/08/20 18:22
フランス国王の戴冠式はクローヴィス以来、ほとんどランスの大聖堂で
行われてきたんだよね。
クローヴィスの戴冠式のとき、白い鳩が聖油を運んできたという伝説が
あるらしいけど。
58 :
世界@名無史さん:02/08/20 19:03
59 :
世界@名無史さん:02/08/20 19:06
ところでフランク王国ってドイツの起源なのですか、それともフランスの
起源なのですか? カール大帝を創始者とすればドイツだし、クロービス
王を創始者とすればフランスのような気もするし、各々の当事国ではどう
いう見解をもっているのでしょうか?
60 :
from d:02/08/20 21:24
シャルル・マーニュといいますから、フランス起源とも考えられますね。
ナポレオンは、シャルルの後継として、皇帝になったようだし。
61 :
世界@名無史さん:02/08/20 21:24
>>59 一応ドイツ・フランス・イタリア三国の基礎ということになってるんじゃないで
しょうか?
カール大帝の死後、ヴェルダン条約とメルセン条約によって東フランク・
西フランク・イタリアに三分されてますから。
でもフランク族はそもそもゲルマン民族に属するんでしょ。
ならドイツ起源でいいはずなのに・・・
63 :
from d:02/08/20 23:09
フランスは、フランクが語源では。
でも、フランスの象徴にガリアの雄鶏でしたっけ?
ガリアはケルトですよね。
フランスの王族とか貴族はおそらく出自はフランク系なのでしょう。
庶民はケルト系。
フランス革命は、ケルトのゲルマンに対する復讐戦。
オーストリアとかプロシアが革命フランスに敵対したのもそんなところかな?
まあ、歴史とんでも話でした。
フランク王国が、ドイツかフランスかということに
そもそもあまり意味がない。
65 :
世界@名無史さん:02/08/21 00:22
>>60 ナポレオンは神聖ローマ帝国を解体して帝冠を取り上げ、自分の頭に乗せた。
>>64 後世、フランス、ドイツ、イタリアなどとなる地域にまたがって「フランク王国」という存在があった。
ではどうですか?
66 :
世界@名無史さん:02/08/21 09:32
>>62 北イタリアは、かなりゲルマンの血がはいってますよ。
カール大帝が西ローマ皇帝として戴冠したとき、彼の領土=キリスト教世界
という感じで、後の時代の国家の概念とはずいぶんちがっていた。
67 :
世界@名無史さん:02/08/21 11:16
>フランス革命は、ケルトのゲルマンに対する復讐戦。
>オーストリアとかプロシアが革命フランスに敵対したのもそんなところかな?
とんでもってゆーかある意味そのまんまでは?
特権階級=フランス語話してたゲルマン人の連中、てことだよね。
>>67 そういう解釈の仕方もあったんか。 >フランス革命
勉強になりますた。
それって最中じゃないよね、人に言っても大丈夫かな?
69 :
世界@名無史さん:02/08/21 18:13
フランスの貴族(ゲルマン人起源)と庶民(ケルト起源)の違い
貴族 庶民
--------------------------------------------------------
背が高い 普通の背、イタリア人並
氏名に"de"が入る 入らない
ブロンドの髪 黒髪
色白 ←よりは濃い
アジア人を睥睨する アジア人に親切
必ず大学に行く 大学も職業学校も可
フランスに留学し、一時就職していた人から聞いた話。
70 :
世界@名無史さん:02/08/21 18:58
>>69 それって、イギリス貴族と庶民の関係そのまんま(笑)
会田雄二「アーロン収容所」(中公新書)にもすでに
そういった指摘があったような…
イギリス軍の下士官と兵卒とは、まるで別軍隊の軍人のように
肉体的特長からしてぜんぜん違っている。
そこらへんの区別をまるで理解せずにいっしょくたに扱おうと
したのが日本軍。映画「戦場にかける橋」はこういった背景を
知らないとまるで理解できないですよね。
乱文乱筆失礼しました。
>>68 もちろん当人達はそんなこと微塵も意識して無いでしょうが・・・
大革命時代ルイ・フィリップはアメリカに亡命経験あり
初めて知ったときビクーリ
73 :
from d:02/08/21 21:43
>>70 イギリスの貴族は、ノルマン+フランス系でしょう。
ウイリアムはイギリスを征服したときは、一緒にフランスから来たわけですから。
また、プランダジネット家もフランスから来ましたし。
英語には多くのフランス語由来の言葉多いそうですね。
74 :
Roi de France:02/08/22 00:29
>>57 アンリ4世だけはカトリック改宗直後だったから
シャルトル大聖堂で戴冠式しましたね。
早い話、ランス大司教?ランス大聖堂?に締め出さされた形なんでしょうけど。
でも、多くのフランス人はそのことを知らないし、
シャルトルに行ってもそのことは一言も書かれてない。
デュ・コロワという、バロック・ルネサンス音楽の分野では
有名なアンリ4世お抱えの音楽家が彼の戴冠式の為に書いた
テデウムは今に残るだけ・・・。
クローヴィスの聖油って、今も残っていますか?
リュック・ベッソンのジャンヌ・ダルクでは油が無くなってましたが…。
76 :
世界@名無史さん:02/08/22 08:06
>>74 >でも、多くのフランス人はそのことを知らないし、
>シャルトルに行ってもそのことは一言も書かれてない。
????なんか意味があるの?
77 :
Roi de France:02/08/22 10:27
>>76 単に忘れ去られているだけだと思いますが・・・・。
78 :
世界@名無史さん:02/08/22 13:42
79 :
世界@名無史さん:02/08/22 15:57
>>78 そんなんで喧嘩売ってどうすんだ?
程度低いぞ。おまえ
>>79 スマソ。
ただ、74さんが
「フランス人はXXXXXして当然である」
みたいな風に思われているように感じただけで。。不思議に思ったのです。
大部分のフランス人は誰がどこで戴冠したかなんか興味ないと思うぞ。
というか王室そのものに興味ない。
81 :
世界@名無史さん:02/08/23 16:06
82 :
世界@名無史さん:02/08/23 16:16
フランス国王で評価が高いのは、フィリップ・オーギュストも
そうなんじゃない?
欠地王ジョンに勝利、ノルマンディーを獲得、司法・行政組織も
整備した。
83 :
アマノウヅメ:02/08/23 16:17
>>73 イギリスの貴族は薔薇戦争でほとんど絶滅して、
今の貴族はせいぜいスチュアート王朝あたりの
成り上がりと聞きますが・・・
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85 :
世界@名無史さん:02/08/23 19:43
サン・クルー城って今もあるのでしょうか?
86 :
世界@名無史さん:02/08/23 22:38
87 :
世界@名無史さん:02/08/23 23:32
かんけーないけど
昔ロマサガ3のCMに薔薇城かなんか
使ってなかったっけ
88 :
世界@名無史さん:02/08/24 04:49
>>85 火事??いつ頃ですか??
けっこう大きい宮殿だったと思いますが・・・・
ageage
90 :
世界@名無史さん:02/08/24 21:12
91 :
世界@名無史さん:02/08/24 21:24
フランス国王といえば、フランソワ1世もわすれがたいですね。
いわゆるフランス・ルネサンスの時代。
レオナルド・ダ・ヴィンチを招いたり、
神聖ローマ皇帝カール5世と争ったり。
92 :
世界@名無史さん:02/08/25 12:25
>>91 奥さんがカトリーヌ・ド・メディチの人だっけ?>フランソワ一世
20歳ぐらい年上の愛妾がいたよね?(なんとか ポワティエ)
93 :
世界@名無史さん:02/08/25 16:09
>>92 それはアンリ2世。
フランソワ1世の王妃は、最初がルイ12世の娘クロード、
次がブルゴーニュ公家出身のエレオノーレです。
愛妾はエタンプ夫人。
>>59 フランク王国時代にはフランスとかドイツとかいう概念自体がなかったので・・
あえていえば、メロヴィング王朝時代には今日のフランスにあたる部分が
中心、カロリング王朝時代には中心がより東方に移ったとはいえるでしょう。
>>60 シャルルマーニュというのはあくまでもフランス語読みであって、本来的には
「カール」でしょう。なおカール大帝自身の母語はフランク語で、系統的には
今日のドイツ語につながるものでしょうが、ラテン語も学んだそうです。
>>69 「フランスの貴族はゲルマン系、庶民はケルト(というかガロ=ローマ)系」
というのは、フランス革命時や19世紀に一部でささやかれた観念で、
いわば革命を歴史的に味付けする意味があったのだと思いますが、今日では
意味をなさないと考えられているようです。
ローマが滅びてメロヴィング王朝が始まった頃、支配層を担っていたのは、国王
(これはフランク族だからゲルマン系)、有力な支配層(「貴族」と呼んでよいのか
どうかわかりません)はフランク族とガロ・ローマ人(ローマ化したケルト人)の両方が
おりました。「メロヴィング王朝史話」などを読んだ方はわかると思いますが、最初は
王朝の官僚や武将、司教などにガロ・ローマ系貴族の末裔などの有力者が進出していた
ようです。
両者は次第に混合していき、最終的には10世紀末に混合が終了したと見られている
そうです。というのは、10世紀末に、法の適用で民族ごとの区別がなくなったからです。
(それまでは、ローマ法とフランク法など、個々人の所属で適用する法が分かれていた)
言語的にはラテン系言語がゲルマン系言語を駆逐していきました。
なお、フランク語=ゲルマン系言語が理解できなかった最初の王は、ユーグ・カペーで、
ゲルマン語で書かれた文書を訳してもらわねばわからなかったことが史書に書かれてる
そうです。
ああああああああああああああああああああああああああああ!!!
96 :
世界@名無史さん:02/08/26 01:13
>>57 そして、フランス国王の墓所は代々サンドニだね。まあ、これは
サンドニ修道院長、シュジェールがそう仕向けたことなのだが。
フランス王家にとって、ランスの大聖堂とサンドニと、どっちが
より重要だったんだろ。
97 :
from d:02/08/27 00:30
フランス国王で、一番人気なのは、聖王とまで歌われたルイ9世だろう。
なにせ、一番多い王の名前だ。ブルボン朝にいたってはルイだらけだ。少し考えてまねをつけてもらいたかった。
ルイ王朝と言われるぐらいだし。
逆に、とんでもないのがフィリップ4世だ。お金ほしさに、無実のテンプル騎士団潰して、団長を火刑にした。
で、結局そののろいで、子供は全員早死にして、結局、バロア朝に変わってしまった。
>>97 >なにせ、一番多い王の名前だ。ブルボン朝にいたってはルイだらけだ
メロビング王朝の初代の王「クロヴィス」自体が「ルイ」の語源ですからね。
ゲルマン語クロドヴィヒ(?)→クロヴィス(Clovis)→ルイ(Louis)
99 :
おサル ◆KeWZMVkQ :02/08/27 00:42
>>93 正確にはエレオノーレはブルゴーニュ公家出身じゃありません。
神聖ローマ帝国カール5世姉です。
あの時点ではブルゴーニュはハプスブルク家のほんの一部に過ぎません。
100 :
世界@名無史さん:02/08/27 08:24
100ゲット。
サリカ法典(loi salique)ってなあに?
起源は?どういう内容なの?どういう形状をしてるの?
102 :
2チャンねるで超有名サイト:02/08/27 11:05
サリー系フランク族の法典で、ラテン語で書かれているそうです。
ただ、フランク族の中でも、上層部は別として、一般には
ラテン語が読めない者も多かったはずで、あえてラテン語で書いたのは
「民族的にはローマ系だがフランク族に加入した者」などもいたから
ではないか、という説もあるようです。
実際、「フランク族」といっても、ガロ・ローマ人や他のゲルマン人出身で
フランク族に「加入」していった者もいたようです。
>>103 ありがとうございます
サリー系って?
ローマ系の法律体系とフランク系の法律体系の関係とか、
そのへんとは無関係の話なのかしらん。
なんかよい入門書ありませんかね、
たとえば「ヨーロッパ王位継承秘話」「サルでもわかる王位継承」みたいな。
フランク族にはサリー系フランク族とリプアリ系フランク族という
2つの系統があったようです。
前者は「塩のフランク族」後者は「川のフランク族」という意味のようで。
>前者は「塩のフランク族」後者は「川のフランク族」という意味のようで。
初めて聞いた
なんか イィ!!!━━(゚∀゚)━━!! ね
フランク族内部の部族?派閥?
ついでに、
フィリップ四世、ルイ十世、ジャン一世、フィリップ五世、
シャルル四世のあだ名(和名)を誰か教えてください。
Le Bel
Le Hutin?
Le Posthume
Le Longue
Le Bel
フィリップ美顔王だっけ?フィリップ四世
>>107 フィリップ4世(美王)
ルイ10世(喧嘩王)
ジャン1世(孤児王)Le Posthume は忘れがたみという意味
フィリップ5世(長身王)
シャルル4世(端麗王)
ついでに言うと
シャルル5世(賢明王)(le Sage)
シャルル6世(親愛王)(le Bien-Aimé)
シャルル7世(勝利王)(le Victorieux)
>>108
さんきゅ
フィリップ四世とシャルル四世は同じLe Belでも使い分けてるんですね
あとシャルル6世がBien-Aimeというのもはじめて知った。
これ、ルイ15世と同じだよね、Bien-Aime。
サリカ法の適用方法って、「王」の概念形成に関係あると思うのだが
詳しい人いません?
このへん、全然わかっていない・・
>>109 同じ意味なんだけど学校でそう習ったからね。 >フィリップ4世美王
王様のあだ名を漢字二字+王と訳すのって、面白いけど根拠なしの習慣だよね。
113 :
世界@名無史さん:02/08/27 23:00
107108
これって誰がつけたんでしょう
公式・・なわけないな
メロヴィング王朝とはメロヴィヒの王朝という意味
カロリング王朝とはカールの王朝という意味
メロヴィヒは、伝説的なフランク族の英雄で、
「海の子」という意味らしい
(ドイツ語でも海を古風な言い方でMeerと言う)
115 :
世界史@名無史さん:02/08/27 23:55
ルイ17世の父親はフェルセン伯爵か
どーよ
meloだよね、meroではなく。
それはともあれ、
カールがsaliqueなの?
Merowechとかだな。独語だと。
ともあれ、サリ支族だったのはクローヴィスだな。
Meroですよ。
>>116 そういえば、とある本屋の法律書コーナーで
「リプアリア法典」という本がありました。
リプアリ系フランク族の法律を和訳し解説した本でしたw
119 :
世界@名無史さん:02/09/09 00:50
ageとく。
120 :
世界@名無史さん:02/09/09 01:12
サリカ法ってフランスだけなの?
121 :
世界@名無史さん:02/09/09 08:07
>>120 サリカ法というのは、フランク族の支族であるサリ族からきた名前です。
これがフランク王国の法典だったわけですが、他のゲルマン系諸国(西ゴート王国、
ランゴバルド王国、ブルグンド王国など)にも、それぞれの法典がありました。
122 :
世界@名無史さん:02/09/10 00:33
ルイ16世の弟二人が即位してるのが笑えんな。
ルイ18世
シャルル10世
ルイ18世は、妥協してたが、
シャルル10世は完全に反動政治を行った。なんでこんなの国王に
すんだ?
123 :
世界@名無史さん:02/09/10 08:32
ルイ18世も、シャルル10世は狂人と思っていたからね〜、
王位継承順からすると止む終えなかったとは思うけど、
おれも無茶な即位だったと思う。
124 :
パタリロ・ド・マリネール:02/09/10 14:44
ところで、シャルル10世の墓はいずこに・・・?
亡命先のラングルテールで死んだことは知ってるのですが・・・
125 :
パタリロ・ド・マリネール:02/09/10 14:44
ラングルテール=英国ね。
126 :
世界@名無史さん:02/09/10 15:08
シャルル10世がロイヤルタッチで「るいれき」の患者を教会で
癒そうとしたと初めて知った時には、「え?あれ?何世紀だっけ?」
とページをひっくり返しました。さすが反動。単線的進歩史観
の迷妄の中にいた私の視覚を回復させてくれました。
>>126 1840年まで在位していたわけだからねぇ。ナイチンゲールがクリミア戦争で
活躍し、衛生環境の重要性について広く知られるようになったのが1854年
ってことを考えると、なんだかすごいなぁ。
でも、現代において心霊治療にすがる人達の存在を考えると…。
128 :
日本@名無史さん:02/09/10 19:57
>>127 ルイ・フィリップが王座を追われたのは1830年ですだ。
もう73歳のじじいでした。
次の国王はオルレアン公ルイ・フィリップ。
やつは1830〜1848年まで。こいつも、自分勝手な政治やって追放された。
ナポレオン3世が大統領に当選したのが、1852年。
129 :
日本@名無史さん:02/09/10 19:58
すまん。間違えた
ルイ・フィリップが王座を追われたのは1830年ですだ。
↓
シャルル10世がですた。
>>128 細かいツッコミでスマソが・・・
>>ナポレオン3世が大統領に当選したのが、1852年
1852年は皇帝に即位した年。
大統領には革命後に大統領に就任し、‘51年にクーデターで全権奪取。
翌年戴冠。
「るいれき」ってなあに?
「王」は理論上は奇跡を行えることになってました。
それほどおかしい話ではないと思うのだが。
瘰癧。
133 :
世界@名無史さん:02/09/10 22:02
134 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/10 22:07
>133
ウイルスも「奇跡」も理解出来ない人間の多くは「奇跡」にすがるでし
ょう。ウイルスの説明も出来ない人間が「奇跡」を足蹴にするのもまた
「奇跡」のみを信ずるのも迷信的行為には違いない。
医者によっては「妖怪よりウイルスの方が怪しい」と言うくらい。
民衆の中には国王のそういう超越力を信じる者もいたでしょうね
ところで「王権神授説」というのが絶対王政時代にありましたが
あれは、別に王権が神に由来することをフランスなどの国民みんなが
一般に心から疑わなかったことを意味するわけではありませんよね。
むしろ、「王権神授説」という「説」をわざわざ理論だてて、国王が
支配する理由を説明しなければならない情況だったのです。
それは、一方ではローマ教皇に対する独立性、また一方では
貴族諸侯に対する優越性を主張するための理屈でした。
ブルボン王朝といえども、もともとは貴族の中の一員でしかなかった
ことを思い出しましょう。
絶対主義というと言葉のイメージ的にヒトラーやスターリンの独裁政治みたいな
全体主義的なもののように思われるかも知れませんが、実際は、市民や貴族などの
バランスの上に立つ、結構あやういものだったのです。
136 :
世界@名無史さん:02/09/10 22:44
>>128 たしかあだ名が「洋なし」だったよな
当時の新聞とかにもカリカチャーされてるし
137 :
世界@名無史さん:02/09/10 22:56
ルイ・フィリップってそんなにひどい政治やったとは
思えないんだが・・・。
退位も混乱の中での偶発的なものという感じがある。
138 :
世界@名無史さん:02/09/10 22:58
汚職がひどかったんだよ
139 :
パタリロ・ド・マリネール:02/09/10 23:22
>136
「洋なし」って、ラ・フランスでしたよね。
ルイ・フィリップ=La France と関係あるのかな。
140 :
世界@名無史さん:02/09/11 02:16
>>131 結核患者にあらわれる皮膚上の症状。
現代医学流に言えば「リンパ腺結節」
いくら「理論上は」奇跡が可能でも、教会の床に並べられた何十人もの結核患者
の肉体に触れて、癒そうとするとは、感染のリスクを考えてないぞ。
>>134 誤解させたようなので、書き直します。
マジに信じていた点がおかしいのだよ。(133のスレ)
↓
国王なのに、マジに信じていた点がおかしいのだよ。
142 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/11 07:47
>141
国王であっても別に科学者では無かったし、敬虔な国王であれば問題無
いのでは?あなたの求める「国王像」とはどんなものですか?
143 :
世界@名無史さん:02/09/11 16:35
>>142 とにかく二十一世紀にもなって
結核がウイルスで起こると思ってるあんたはイタ過ぎ。
144 :
アマノウヅメ:02/09/11 16:51
>>129 あだなの起源については確定的な論拠は知りませんが
ギュスターブ・ドレの戯画で左の端に洋梨が一つ転がってて
次のに目鼻をつけて、だんだんリアルに画いていくと
7、8個目位の右の端にルイ・フィリップの肖像画があるってのが面白かった
145 :
世界@名無史さん:02/09/11 17:11
>>144 ギュスターブ・ドレではなくオノレ・ドーミエではありません?
146 :
世界@名無史さん:02/09/11 17:12
la poire:洋梨、(話)間抜け
147 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/11 18:00
>144
どっちが痛いのやら・・・ウイルス云々はただのたとえ話。現代の感
覚で当時を笑えないという事を言っただけ。
148 :
アマノウヅメ:02/09/11 18:20
>>145 そういえばドーミエだったかも。
不確かな事書いてごめんなさい。
でもものすごく上手い絵で見たとき大笑いしました。
民俗・神話板の初心者質問スレッドで、自分だけの常識を人に押しつけようとして
総スカンを喰らったのは誰だったかのぅ。
>142
当時の感覚でもズレていたよ、シャルル10世は。
ルイ16世だってそんな神懸りなんて信じてなかったよ。
「るいれき」の治療をやったなんて記録は無いからね。
あなたこそ時代感覚無さ過ぎ。
151 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/09/11 20:48
>150
ルイ16世の代になって止めさせたんでしたね。あの時代に合わなか
ったというのは認めます。
ただそれを批判するよりはそういったものがどう扱われていたかを考
える方が重要だと思いまして。
152 :
世界@名無史さん:02/09/11 21:14
>>151 ルイ16世はそんなことより自分の包茎治せや。
153 :
世界@名無史さん:02/09/11 21:43
ルイ・フィリップは蝙蝠傘がトレードマークで、質素が売りの珍しい王様。
息子たちも、厳しくしつけました。
この息子たちの資質を評価して、オーストリアの宰相メッテルニヒ曰く
「若者として卓越しており、王子としては比類がない。」
ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』より。
ユゴーはルイ・フィリップと面識がありました。
それにしても、メッテルニヒって意外に皮肉屋だったのね。
シャルル10世のロイヤル・タッチについては、
大革命後だからことさら、という事情があるのではないかな。
(戴冠セレモニーの一環としてやったという話だったと思うけど。)
この時代(19世紀)、教皇庁などでも時代の流れに背を向けて、
保守化し引きこもっていくという姿勢が(教皇無謬の説の教義化など)見られるけど。
まあ、反動は反動なんだろうけど、歴史上よく見られる、
革命的な変化にそれなりに適応するための典型的な防衛姿勢ですね。
155 :
世界@名無史さん:02/09/12 15:34
そう言えば、「ユルトラのザリガニ」という風刺画があったような。
なるほど、タレイランの言う「正統主義」の時代ですからね。
過去の栄光と伝統へ、引きこもっていく、ってなんか他人事とは
思えなくなってきたな。
156 :
世界@名無史さん:02/09/12 19:23
アルトア伯爵、プロヴァンス伯爵マンセー!
157 :
アマノウヅメ:02/09/12 19:46
>>154 シャルル10世は「何事も学ばず、何事も忘れず」のユルトラの親玉ですから
意図的にやったんだと思いますが。
しかし、この人革命始まると真っ先に逃げ出したんだなあ。
158 :
世界@名無史さん:02/09/15 03:58
ブルボン王朝始祖のアンリ4世ですが、彼はフランス王位につく前、確か
ナバラ王と呼ばれていましたがナバラとはイベリア半島にある地名でしょ。
ナバラとブルボン家の間にはどういう関係があったのか教えてください。
159 :
世界@名無史さん:02/09/15 04:16
ナバール王 プロテスタン(後にカソリックに改宗) イベリア半島の地名では
ないです
160 :
世界@名無史さん:02/09/15 05:12
アンリ4世はヴァロア朝の最後の王の妹婿 でも王位は別の女性に産ませた子に引き継がれ
て行った 姑はカトリーヌ・ド・メディティス
161 :
世界@名無史さん:02/09/15 10:39
>>160 そのとおりですが、アンリ4世自身の王位継承権により、
彼は王になったので問題はありません
(ブルボン家は分家、フランス王家は男系相続ですので)。
162 :
世界@名無史さん:02/09/15 12:17
163 :
世界@名無史さん:02/09/15 13:08
>>158 バスク地方はスペイン・バスクとフランス・バスクに分かれていますが、
フランス・バスク中央部のバス・ナヴァールがナバーラ王国の一部でした。
ナヴァール王アンリ3世がフランス国王アンリ4世として即位し、1589年に
フランスに併合されます。
>>158 自分も知ってる情報を・・・
ナヴァールの王権は15世紀後半からフォワ家とアルブレ家の間で争われてきましたが、
イタリア戦争における1512年のラヴェンナの戦いでガストン・ド・フォワが戦死し男系が絶えると、
ガストンの姉ジュルメーヌと結婚していたアラゴン王フェルナンド2世が王位を主張し、
(フェルナンド2世の前妻は、有名なカスティーリャのイサベル女王)
1512年にパンプローナを中心としたスペイン側のナヴァール領を征服・併合します。
スペインとの対抗上フランス王ルイ12世は、フランス側のナヴァール領を領するアルブレ家を支援することになります。
アルブレ家はジャン→アンリ2世→ジャンヌと、子から孫娘へと王位を伝えますが、
この女王ジャンヌ・ダルブレと結婚したのが、フランスの一親王家の当主アントワーヌ・ド・ブルボンであり、
彼らの間に生まれた息子がアンリー・ド・ナヴァール(後の仏国王アンリ4世)ということになります。
165 :
世界@名無史さん:02/09/16 17:35
アンリ4世の王妃マリー・ド・メディシスだけど、彼女は最後には息子の
ルイ13世に追放される。
ルーブル美術館にあるルーベンスの連作「マリー・ド・メディシスの生涯」
で有名だけど。
その後マリーの摂政会議のメンバーをつとめたことのあるリシュリュー枢機卿が
最高国務会議に入る。
166 :
アマノウヅメ:02/09/16 18:53
アンリ4世の祖母のマルグリット・ド・ナヴァールはフランソワ1世の姉です。
大変な才女で『エプタメロン』を書き、思想的にはプロテスタントの保護者でした。
ある重臣が「新教徒対策をお考えならまずナヴァール王妃をなんとかなさいませ」
といったところ、フランソワ1世は激怒して「姉上のことに口を出すな」と言い
その重臣を左遷したとのことです。
167 :
世界@名無史さん:02/10/05 08:02
「フランス王国とナヴァール王国」なのだが
面倒だから併合しちゃえばよいのに。
ある人物が二つの王国の王を兼務する場合、それを勝手に併合しちゃまずいの?
168 :
世界@名無史さん:02/10/05 15:38
まずいよ、王と言っても絶対君主ではないのだから。
各王国毎に法律や慣習がありそれを守らないと、
排除されてしまうからね。
169 :
世界@名無史さん:02/10/05 18:40
じゃあ、ある王様が勝手に国を分割して
フランスぱーと1
フランスぱーと2
にしちゃあまずいのか?
170 :
世界@名無史さん:02/10/05 20:50
王号は勝手に名乗れないと思います……。
フランス王領の一部を王位継承者以外に与える、というのは可だったようですけど。
171 :
アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/10/05 21:22
>>167 勝手には併合できませんね。
スコットランド王ジェイムズ6世が、イギリスの王位継承権を得て、ジェイムズ1世に
なってからも、スコットランドではイングランドとは別の法律が適用されました。
宗教もスコットランドでは長老派が多く、イギリス国教会に宗旨換えをするものは
なく(国王自体ジェイムズ2世まで4代はカトリック)現在にいたっているとのことです。
172 :
世界@名無史さん:02/10/05 23:26
>>169 フランク王国がそうだったんじゃないの?
173 :
世界@名無史さん:02/10/05 23:45
>>171 今、卒論で近世の王国や地方における特権や、慣習法についてやってる。
でもなぜそうしたものが存在して、近世まで実効性があるものとして
残っていったのか理解できない。
おそらくルイ14世みたいな絶対君主であっても、勝手に慣習法を
変えることは不可能であったことは理屈では理解できるのだが・・・
どうもしっくりこないなあ。
174 :
アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/10/05 23:50
>>173 反乱や内戦が怖かったんじゃないですか、とイージーに言ってみる。
>>174 なんかそれだけではなくて・・
なんかあの人たちって、権力護持のためにひでーこと平然とやるのだが、その反面、
妙に「神様」とか「法皇」とか「神聖ローマ」とかにこだわりますよね
ふつー、本には、よりマキャベリスチックな解釈が載ってたりするのだが。
純真にお題目を信じていたのではないかと思ったりもする。
「王ってのは神さんから授けられたものだから、勝手に分割したり併合したりするのはまずいだろう」とか。
なんかその時代の世界観はやはり計り知れないなー
#「なんか」が多いのは泥酔してるしょーこ。
176 :
世界@名無史さん:02/10/08 22:15
やっぱ、フランスで一番人気の国王はアンリ四世?
話は変わりますが、シャルルマーニュの息子、シャルル「禿頭王」
だなんて・・・もっとましなあだ名はなかったのか・・・
>176
だって本当のことだものw
結構昔の王のあだ名って、すごいよね。
禿頭王はカール大帝の孫だというつっこみは置いておいて、禿は
当時は必ずしもネガティブなイメージではなかった、と聞いたことがあるが
ネタ本が見つからねぇ。
179 :
ベルナール=シャトレ:02/10/26 17:31
ルイ\世は「聖帝(サン・ルイ)」の異名をもつ。
彼のポジションは三塁(さんるい)?
ピピン短躯王(小ピピン)、ルイ1世敬虔王、シャルル2世禿頭王、ルイ2世吃音王シャルル3世単純王
ロベール2世敬虔王、ルイ6世肥満王、ルイ7世若年王、フィリップ2世尊厳王、ルイ8世獅子王
ルイ9世聖王、フィリップ3世剛勇王、フィリップ4世端麗王、ルイ10世好争王、フィリップ5世長身王
シャルル4世美男王、ジャン2世善良王、シャルル5世賢明王、シャルル6世愚鈍王、ルイ12世民父王
ルイ14世太陽王
他にあだ名のあるフランス王っている?
>>180 カロリングの王でなんとか海外(亡命)王っていうのがいたと思う。
182 :
世界@名無史さん:02/11/11 22:23
age
183 :
世界@名無史さん:02/11/11 22:34
>>180 ルイ13世は正義王
ルイ15世は最愛王
フィリップ二世が一番ですな
185 :
世界@名無史さん:02/11/11 23:28
>>180 ルイ16世はルイ・オーギュスト・カペーなのでやはり”尊厳王”
なのでしょうか?
186 :
世界@名無史さん:02/11/12 09:22
>>185 個人名であって、尊称やあだ名ではない。
「賢」君が必ずしも賢くはないように。(賢君、失礼)
187 :
:世界@名無史さん:02/11/12 16:50
>>184 フィリップ2世の父がルイ7世でその元王妃がエレアノール・ダキテーヌ
彼女はいい人というだけで面白みの無いルイ7世に見切をつけ
離婚し、若くて男らしいアンジュ-公アンリと結婚。彼はイギリス
に渡りプランタジネット朝を開く。めでたく2度も王妃として即位すること
になった彼女だが、夫婦仲は険悪になり、最愛の息子リチャードは戦死
出来の悪い息子ジョンはかつてのアキテーヌ、アンジューの領土を
失い、かつての夫ルイの息子フィリップに屈服。彼女もフィリップ
に臣下の礼をとらねばならなかった。このときエレアノール80才代。
見限った相手の子がこれほど優秀で、自分はなんと…と思う彼女の
心境は察するに余りありますね。
188 :
世界@名無史さん:02/11/13 00:13
>>187 確か、フィリップ・オーギュストだっけ?
189 :
世界@名無史さん:02/11/13 00:14
>>184 だが、一番人気は聖王ルイ。
だからルイがいっぱい。
しかし、フィリップ2世の嫡男ルイ8世に孫娘ブランカ(ブランシュ)を嫁がせることで、
フランス王家を乗っ取るのに成功したのであった。(お
ルイ8世が早世だったこともあって、息子ルイ9世が親政を行うまで、
ブランシュ・ド・カスティーユが実権握ったしね。
フィリップ美公はスペイン女王イザベラの娘ファナを狂気に追い込んだ不実なムコだ。テンプル教団を壊滅して財産を奪いバチ?が当たって死んだ。仲悪いくせにファナとは4人も子供を作りそれぞれ名君デヨーロッパ史になを残した。
192 :
世界@名無史さん:02/11/24 22:33
>>191 >テンプル教団を壊滅して財産を奪いバチ?が当たって死んだ。
それは、フィリップ4世(美麗王)。
たたりで、子供はすべて死んで、彼の血統は途絶えた。
次に、王に立ったのがヴァロア家
193 :
?x?b?e?B:02/11/24 23:52
フィリップ4世(美麗王)Philippe Beauって言うの\(^_^)/
この男結構最後は哀れで狂った妻がお墓に入れてくれないでスペインの荒野を葬列組んで彷徨うたとか。
今日は、電波観測の日?
195 :
世界@名無史さん:02/11/25 00:15
ピピン(PIPPIN)てもともとどんな意味なのですか。いろいろ本を当たってみました
が見つからないのですが。
青リンゴ(違
現在のフランス国王は禿である
歴代国王のなかで一番の美男子はルイ15世である。暑苦しい顔で私の好みではない。
200 :
世界@名無史さん:02/12/12 20:17
age
201 :
世界@名無史さん:02/12/22 21:01
今のフランスでのルイ十六世の評判ってどうなんですか?
202 :
世界@名無史さん:02/12/22 21:36
フランス国王も、イギリス王も、ハプスブルグ家だから、おかしいんだ
203 :
世界@名無史さん:03/01/04 14:55
ルイ14世age
204 :
世界@名無史さん:03/01/04 16:14
>>201 「国王を処刑したのは間違いだった」と考えている人が結構いるらしい。
205 :
世界@名無史さん:03/01/04 18:49
>>204 俳優のアラン・ドロンなんかもそうだね。
彼は熱狂的な王党派。
206 :
世界@名無史さん:03/01/04 22:06
そういえばアルベールビルで開かれた冬季オリンピックのとき、「ラ・マルセイエーズ」
の歌詞が血腥すぎる、といって議論の対象になってたっけ。
フランスで王党派の力がピークを迎えたのは普仏戦争でナポレオン3世が退位し
第三共和政が成立した直後の時期(一時は王政復古計画が実現寸前のところまで
すすんだ)
(^^)
208 :
世界@名無史さん:03/01/22 23:48
フランソワ2世がもっと長生きだったらメアリーはスコットランドに帰らなくても
済んだかもしれませんね。
そうしたら、フランス、スコットランド、イングランドの歴史はだいぶ変わって
いたかもしれませんね…。
209 :
世界@名無史さん:03/01/24 08:41
メロヴィングもOKとのことなので質問です。
マルテルのライバルRagenfridはなんて発音すればいいんですか?
そもそも、仏語か英語か独語表記なのかも判別できません。
日本語でメロヴィング、カロリングについて
詳しく書かれたオススメの本かサイトはありませんでしょうか?
210 :
世界@名無史さん:03/01/24 13:09
>>209 岩波文庫から出ている『メロヴィング朝史話』(上・下)はどうでせう?
キリスト者の王、って称号(?)はいつから?そういう表現があった
当時、どの程度の権威があったの?
212 :
世界@名無史さん:03/01/24 22:29
ベルギーのトゥルネーはメロヴィング朝の開祖クローヴィスが生まれたところ。
歴代のフランス王はトゥルネーをフランスの王朝の発祥の地と考え、この街の
紋章にはフランス王家の象徴である百合の花が描かれている。
213 :
第20軍団兵:03/01/24 22:49
>>211 権威についてはフランス王は"塗油"された後は瘰癧の患者に按手することによって治療することができると信じられていたようです。
214 :
世界@名無史さん:03/01/25 00:17
>>215 ルイ16世は馬鹿らしいと考えてやらなかったそうですね>按手
215 :
第20軍団兵:03/01/25 02:34
>>214 ルイ15世は「自分はあまりに罪深い行いが多いから」ってことで途中でやらなくなったそうです。
15世から16世へ考え方が激変したエピソードだなって思っちゃいます。
フランス王が啓蒙主義に染まったのが革命の遠因かなー(王とは合理的であってはいけない)
>>215 んで、18世はロイヤルタッチを再開したと。
>>180-183 整理するとこうかな?。
ピピン3世・短躯王、カール1世(シャルルマーニュ)・大帝、ルードビヒ(ルイ)1世・敬虔王、シャルル1世(皇帝カール2世)・禿頭王、ルイ2世・吃音王、ルイ3世・少年王、
シャルル2世(皇帝カール3世)・肥満王、シャルル3世・単純王、ルイ4世・渡海王、ルイ5世・怠惰王、ロベール2世・敬虔王、ルイ6世・肥満王、ルイ7世・若年王、
フィリップ2世・尊厳王、ルイ8世・獅子王、ルイ9世・聖王、フィリップ3世・剛勇王、フィリップ4世・端麗王、ルイ10世・強情王、ジャン1世・孤児王、
フィリップ5世・長身王、シャルル4世・端麗王、ジャン2世・善良王、シャルル5世・賢明王、シャルル6世・親愛王、シャルル7世・勝利王、ルイ12世・民父王、
ルイ13世・正義王、ルイ14世・太陽王、ルイ15世・最愛王、ルイ=フィリップ・市民王
本によっては
「シャルル2世(皇帝カール2世)・禿頭王」
「皇帝カール3世・肥満王」
と数字をカウント(肥満王は「シャルル」としてはノーカウント)していますが、
なんででしょう???。
「シャルル3世・単純王」は、どの本を見ても3世で確定してますが。
肥満王は、東フランク王が一時的に兼任しただけから、西フランク王としては
カウントしない、ということなんでしょうか?。
御教示願えたら幸いです。
219 :
世界@名無史さん:03/01/27 14:52
ヴァレンヌの逃亡事件の時、事前に相談をうけたパリの薬局の店主は代々
それを誇りとし、現在の店主も王党派で、店には三色旗ではなくて二色旗
(ブルボン朝の白とパリ市の青からなる)を掲げている。
これは観光客目当ての「営業」っぽい感じもするが・・・。
220 :
世界@名無史さん:03/01/27 21:39
フランス革命の本を読んでいてヴァレンヌ逃亡事件の箇所にくると、捕まるとはわかっていても
なんだかドキドキする。早く逃げてくれぇ〜って。
あの時捕まってしまったことが個人的には悔やまれてなりません。
もし捕まっていなかったらルイ16世一家はどうなっていたか。
フランス王国はどうなっていたか・・・。
まさに、事実は小説より奇なりって感じです。
221 :
世界@名無史さん:03/01/27 21:46
王党派って
心情的な者も含めたら
今どれだけいるんだろう。
222 :
世界@名無史さん:03/01/27 23:02
現在のフランスには王党派の政党はあるんでしょうか?
スペインのフランス王位継承者はフランスに入国することはできるのでしょうか?
223 :
世界@名無史さん:03/01/28 03:29
http://monberu.milkcafe.to/html/travel/yakkyoku.htm ↑より引用
「王党派を貫く?ガンコおやじが経営する
薬局 ベルナール・デローヌ
パリ最古の薬局。それだけなら「ふーん」で終わりますが、なんと国王一家の逃亡未遂事件
(ヴァレンヌ事件)の際に、フェルゼン伯爵が「あぶり出し用インク」をここで購入し、
連絡に使用したと言われている薬局なんです。
店の名は、「ベルナール・デローヌ」。人名、しかもフルネームなところが日本の某薬局
チェーンを思い出させますが、ここの主人はいまだに王党派を名乗っているとか。
だから、掲げているフランス国旗が青と白だけなんだそーです。
(確か革命前のフランスの旗だったような・・・間違ってたら連絡下さい!)
さて、この薬局は、パリのサントノーレ通り115番地にあって、もちろん営業して
(いるはず)います。店頭には、「ものごっつ古そな」秤が飾ってあるとか。
あぶり出し用インク・・・・ミカン汁じゃないよね・・・」(引用終わり)
いやあ。ミカン汁なんじゃないの?(藁
224 :
世界@名無史さん:03/02/13 23:47
>>217 ルイ11世・蜘蛛王もいれてやってください
225 :
世界@名無史さん:03/02/14 00:46
シャルル11世(ゴール家)レジスタンス王はカウントしないのか?(藁
ルイ11世って、あまり、評価されてないね。なんで?
227 :
世界@名無史さん:03/02/14 03:48
今更ですが、
大分前に、Philippe IV le Belのことを違う書きかたされていたので。
キリスト者の王というのは前にもでてた、
メロヴィング王朝の祖、クローヴィスの伝説からのもの。
228 :
世界@名無史さん:03/02/14 07:44
>>226 前が100年戦争とジャンヌダルクのシャルル7世で
後ろがルネッサンス歴代になるちょーど間だからじゃないのかな
おいしいところをもっていかれたんだよ。
謀略と外交の限りをつくして
フランスと国王の領土を一致させる基本をつくった面白そうな人らしいのに
229 :
世界@名無史さん:03/02/14 10:39
>>224 特異な容貌と、策略をもちいて敵を巧みにあやつる能力から
ニックネームは「蜘蛛」
ブルゴーニュ公国を解体したのがルイ11世でしたよね、たしか
231 :
世界@名無史さん:03/02/16 19:37
>>230 シャルル豪胆公と争った。
シャルルが死んだ後はその娘のマリアと争い、最後にはハプスブルク家の
マクシミリアンとブルゴーニュ公国を分割。
232 :
世界@名無史さん:03/03/01 13:06
ルイ14世のころって、ブロンズの価値は高かったの?
具体的に分かる例があるとありがたいのですが、
どなたかご存知でしたら教えてください。
233 :
世界@名無史さん:03/03/02 21:49
ルイ16世って、その治世中に何か大きな功績を残したのでしょうか。
ベルバラとマリー・アントワネットの評伝なんか読んでもあんまりいい書き方を
されていないのでかえって気になります
234 :
世界@名無史さん:03/03/04 18:10
>231
形式的にブルゴーニュ公位はハプスブルク家に行ったんですかね?
235 :
世界@名無史さん:03/03/04 18:58
>>234 そうです。
そんでもってフェリペ2世の時代にスペイン王国に統合。
ルイ十六世幽囚記という本を読んでみたいんだけど
ヤフオクで探しても全然出てこない。古本屋巡りもしてるんだけど。
237 :
世界@名無史さん:03/03/07 21:33
ブルボン家の王達は、「フランスおよびナヴァール王」。
238 :
世界@名無史さん:03/03/07 23:51
革命を除き個人的に大きいと思うルイ十六世時代の出来事
王個人の功績かどうかはともかく王と関わりのあるもの
アメリカ独立戦争支援
ジャガイモの導入
熱気球の飛行
ハンカチの形を正方形に統一(?)
(^^)
kakiko
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