1 :
ミルノケノロス :
02/08/12 12:43 今まで無数の王家、王朝が興っては滅んでいった。 その名称で不思議に思うことがある。 イングランド歴代王家は家名(姓、ファミリーネーム)をなんというのだろう。 ノルマン王家(1066〜1154) プランタジネット王家(1154〜1399) ランカスター王家(1399〜1461、1470〜1471) ヨーク王家(1461〜1470、1471〜1485) チューダー王家(1485〜1603) スチュアート王家(1603〜1714) ハノーヴァー王家(1714〜1901) サックス=コーブルク=ゴータ王家〜ウィンザー王家(1901〜現在) マウントバッテン=ウィンザー王家(次代〜) →ノルマン王家、ランカスター王家、ヨーク王家あたりは、これがファミリー・ネームなの?という気がするし・・・ もう一つの疑問、王号。 ノルマン王家以前は、7王国を羅列した、 「ノーザンブリア、マーシア、イーストアングリア、 エセックス、ウェセックス、ケント、サセックス王」(順序不明)。 ノルマン王家が「イングランド王」 ※ノルマンは含めなかったのだろうか。 その後、ウェールズ、スコットランド、アイルランドなどを王号に付け加える。 ウイリアム1世だったかジョージ1世だったかのときに、「大ブリテン及びアイルランド王」。 →昔立ち読みした本の内容なので、確信が持てない。 王号の変遷は重要だと思うが、その立ち読みした本以外に出会っていない。 イングランドに限らず、「実はこういう姓である。こういう王号である」というのをご存じの方、 ご一報を。
2 :
世界@名無史さん :02/08/12 13:28
「フランス王」の元々の支配地はパリ周辺で、 それ以外の獲得した王号を、次々とくっつけていって 「フランス、ブルゴーニュ、ドルトーニュ、アクィテーヌ、ラングィドック・・・・・の王」などと うんざりするほどの長ったらしい王名とか。 革命の後、オルレアン家のルイ・フィリップ王は、「フランス国民の王」と短縮されてしまい、 不満だったらしいが、それで受諾しなければ王位につけなかった。
3 :
世界@名無史さん :02/08/12 21:08
>>1 征服王ウィリアムはノルマンディー公兼イングランド国王では?
それと、ヨーロッパは日本と違って父系制だから、どっかから入り婿してきた
場合、次の代から父の実家の姓を名乗るんですよね。
4 :
世界@名無史さん :02/08/12 22:00
>>1 何故英国王家次世代がマウントバッテンなんだ?
フィリップ殿下はゲオルギオス・グリュックスブルク(ギリシア国王)
の直系の孫だが?
5 :
コギャルとHな出会い :02/08/12 22:01
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>>4 そりゃ、親父がマウントバッテン家に養子に入ってるからな。
母方の伯父さんだっけか?
あ、親父=フィリップ殿下な。
8 :
世界@名無史さん :02/08/12 22:36
the grace of God, of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland and her other realms and territories, head of Common Welth, deffender of the Faith. これが英国国王の正式な肩書きらしい… >マウントバッテン=ウィンザー これ両家を継ぐという意味だと思います。20世紀初頭から王家は領土名を 名乗りだすようになります。 ホーエンツォルレン→プロイセン ヴィッテルスバッハ→バイエルン ヴィッテン→ザクセン ヴァイブルク→ルクセンブルク ウィンザーも居城が取った名称です。 従来のは父姓に姓を変更してました。ところが今回のはマウントバッテン= ウィンザーと両姓を名乗ってます。これは2重家督と呼ばれる物です。つま り父系母系両家を一人の人物が兼ねるわけです。この事例は数例みられます。 著名人ではWW2のドイツ軍元帥vマンシュタインで、通常マンシュタイン と呼んでいるため正式名称が判りませんが、正式にはvレヴィンスキー・ゲ ナント・vマンシュタインという二重名称です。
9 :
世界@名無史さん :02/08/13 00:35
マウントバッテン家は、もともとバッテンベルクという姓だったのだが ドイツ風なので第一次世界大戦時に改名した。
10 :
カペティスト :02/08/13 08:57
987年から1848年まで(途中革命で中断してるが) ユーグ・カペーの男系が繋がったフランス王家はすごい。
11 :
世界@名無史さん :02/08/13 22:19
ハプスブルク家の君主たちは、「エルサレム王」という称号ももっていたけど、 どういう経緯でこんな称号を名乗ることになったの?
12 :
世界@名無史さん :02/08/13 22:27
日本国皇帝のご一族には性がありません。 諸外国とはなんか格がちがうぜ。
13 :
世界@名無史さん :02/08/13 22:35
>>12 鈴木っていうんだよ。>天皇の姓
知らなかったの?
>>12 スマソ。
間違えた。
天皇はニューハーフだって話しか。
その真偽は知らないな。
>11 十字軍のときのエルサレム王国が滅んだ後も、称号だけは 婚姻やらを通じてついてきたから >1 ノルマン家は>3の言うとおり、ノルマンディー公としてノルマンディーを 治め、イングランド王としてイングランドを治めた。 イングランド王なのにノルマンディー公としてはフランス王の封臣だった というのは高校世界史でもやる有名な話。
ルイ16世が王位を剥奪された後の名前はルイ・オーギュスト・カペー。 ヴァロア朝、ブルボン朝と王朝が変わってもずっとカペーという姓だった・・・と思いきや、 カペーは初代国王ユーグのあだ名であって、姓ではない。さてさて。
17 :
世界@名無史さん :02/08/14 11:31
「イブンについて語ろう」もそこそこに盛り上がっていますが、 かなり後代まで王家といえども家名が無かったというのが実情ではなかろーか。
18 :
世界@名無史さん :02/08/14 11:33
「カペー」は合羽のことですね。
19 :
世界@名無史さん :02/08/14 11:42
単独スレの方がいいのかもしれんが、 マリー・アントワネットって 姓の部分が「ド・オートリッシュ」でしょう。 「オーストリア」を指す意味なのは分かるけど、 「ハプスブルク」の「ハ」の字も出てこんとは・・・
20 :
世界@名無史さん :02/08/14 11:49
>>13 ルイ13世の王妃アンヌ・ドートリッシュもそうですよね。
スペイン・ハプスブルク家と区別するために「オーストリア家」
と呼んでいたみたいです。
22 :
世界@名無史さん :02/08/14 11:52
>>16 >>18 「プランタジネット」も、「えにしだの枝」をヘンリー2世の父
ジョフロア(ジェフリー)がトレードマークにしていたところからきた
姓ですし。
あちゃー、まちがえた。
>>19 へのレスのつもりでした。
24 :
世界@名無史さん :02/08/14 12:11
>>4 フィリップ殿下の実家ははデンマークの出身ですが、ギリシアの王家は姓を
持たない習慣があったので、「グリュックスブルク」という姓はギリシアでは
使っていなかったと思います。
イギリスへ来てから、伯父であるマウントバッテン郷と相談して姓をきめた
らしいです。
>>8 マリア=テレジア以後のハプスブルク家の君主たちは、正式には
「ハプスブルク=ロートリンゲン」という姓でしたが、これも二重家督ですか?
テレジアの夫のフランツ=シュテファンはロートリンゲン(ロレーヌ)公国の
出身ですが。
25 :
世界@名無史さん :02/08/14 12:54
ノルマン王家 →ノルマンはスカンジナビア半島にいた民族の名。 ロロの時代、フランス北方のノルマンディ半島に定住。 この一族の中にに南イタリア地方に進出した一派もいた。 プランタジネット王家→アンジュー王朝ともいう。もともと フランスのアンジュー伯を祖とし プランタジネットとは「えにしだ」を意味する ランカスター王家 →プランタジネットの分家。ランカスター公を祖とする ヨーク王家 →同上。 ヨーク公を祖とする チューダー王家 →薔薇戦争でランカスター派の長だったリッチモンド伯ヘンリー・ チューダーを祖とする家系。ランカスターの分家。 スチュアート王家 →スコットランド王国のスチュアート家。その響きから家名はケ ルト系のではないかと思われる。 ハノーヴァー王家 →ザクセン地方のヴェルフェン家を祖とする家系。 ヴェルフェン家(ザクセン公、バイエルン公)→ブラウンシュバイク公 →ハノーヴァー選帝候) サックス=コーブルク=ゴータ王家〜ウィンザー王家(1901〜現在) →ヴィクトリア女王婿のアルベルトの家系。 この家系はチューリンゲン地方のヴェッティン家を祖とする。 ヴェッティン家(ザクセン選公候)→ヴァイマール公→ゴータ公→ コーブクルク公→コーブルク=ゴータ公
26 :
世界@名無史さん :02/08/14 13:00
>>25 つづき
ウィンザーは第一次大戦中、敵国であるドイツ系の家名をもつのは如何なものかと
いうことで当時王の居住地があったウィンザー地区の名をとって家名にした。
Saxe-Coburg-Gotha家って、なぜか読み方が英独チャンポンなことが多いよね。 英語ならサックス・コーバーグ・ゴーサ、独語ならザクセン・コーブルク・ゴータがより正確。 ちなみにリーダーズ、ランダムハウスともはサックス・コーバーグ・ゴータという訳。 別スレでも話が出ていたが、Stuart家は家令(Steward)という職業由来の家名。
>>11 その話しは初めて聞いたので興味を持って調べたんですが分かりませんでした。
エルサレム王をいつから名乗り始めたのかで大体は推測できます。
もし1798年前後であればヴェネチアを支配下においたことでエルサレム王位を手に入れたと
推測できます。
エルサレム王家はエルサレム王国滅亡後、キプロスに逃れてキプロス王になりました。
キプロス王国は最後の女王がヴェネチアへの合併を承認して消滅します。
実際にはキプロスもトルコに占領されてキプロス王家も虚位になるんですが
名目上はヴェネチア共和国が王位を引き継いでいると考えられます。
そのヴェネチアをハプスブルクが支配したことで王位が転がり込んだのかもしれません。
完全に推測なんで、詳しい方がいましたら教えて下さい。
>28
ttp://www.heraldica.org/topics/national/jerusale.htm を見ると、エルサレム王を称している国(家)は4つ。
1.サヴォイ公(後のイタリア王) なんかごちゃごちゃしているが
最後の(男性の)キプロス王ジャン2世の妹(姉)アンヌの娘シャルロットが
1485年に甥のサヴォイ公にエルサレム王、キプロス王、アルメニア王の権利を
譲った
2.ヴェネチア だいたい28の通り
3.ナポリ王 →アラゴン王がナポリ王ルネを追放して以後、アラゴン王が
エルサレム王を称する。後1738年に法王が後のスペイン王カルロス
(フェリペ5世の息子)にエルサレム王の称号を授与(現在まで続く)
4.ロレーヌ公。上のナポリ王ルネの娘ヨランドの子がロレーヌ公となる。
後ロレーヌ公フランソワはマリア・テレジアと結婚。エルサレム王の称号は
ハプスブルク家へ
何でナポリ王がエルサレム王を称したのか根拠はわからん
なんかもう勝手にしてくれって感じではあるが
30 :
世界@名無史さん :02/08/19 11:45
ヨーロッパには、ポルトガルのジョアン1世やナポリのフェルナンド1世、 カスティリアのエンリケ2世のように、庶子で王位についた例があるんですね。 即位するとき、どうやって理屈付けをしたんだろう。 ローマ教皇に頼んで、「特例」として認めてもらったのかな?
31 :
世界@名無史さん :02/08/20 11:17
多分そうだろうね。あくまでも例外的措置だったんだろうけど。 類似の例として(未遂ではあるが)ルイ十四世の子供や孫たちが ほぼ全滅しそうになったとき、愛人との子供の即位を認めてもらうよう 教皇に頼んだという話もある。 まあひ孫のルイ十五世が生き延びたんでその話はなくなったが。 出来れば認めて欲しい王家は多かったと思うが、 どういう基準だったんだろう?
32 :
世界@名無史さん :02/08/20 13:18
ラテン系の国々で庶子の王位相続が目立ちますよね。 スペイン、ポルトガル、ナポリとか、、、 ラテン系カソリックのなせるわざ?
33 :
from d :02/08/20 23:12
>>32 やっぱ情熱の血のせいでは?
やっぱ、政略結婚の相手よりは、情熱的なラテン女性との逢瀬が楽しかったのでしょう。
あの、塵のアニータみたいな。。。
34 :
from d :02/08/20 23:14
>>30 ,31
その調子で、英国のエリザベスも嫡出と認めていれば、英国国教会も、カトリックに戻ってきたのに。。
大失敗だったね。
法王衣の袖の下は大きく作られていますから( ̄ー ̄) ニヤリッ
36 :
世界@名無史さん :02/08/20 23:51
>>12 >日本国皇帝のご一族には性がありません。
>諸外国とはなんか格がちがうぜ。
姓は、他の家と区別するためにつけられた呼び名です。
天皇家は比較する物がない特別な家なので、他の家柄と区別するための姓をワザワザつける必要がないのです。
37 :
世界@名無史さん :02/08/20 23:58
「逆説の日本史」の井沢元彦は 天皇家の姓は「天(あめ)」じゃないかつってたぞ。
38 :
世界@名無史さん :
02/08/21 00:36