1 :
世界@名無史さん:
やっぱモンゴルが一番かね?
どうしてあんな強かったんだろう?
2 :
世界@名無史さん:02/08/02 17:44
アカイメネス朝ペルシア。
滅亡しそうな要素など無いのに、イスカンダルだったかアレキサンドロスだったかが
とてつもなく強い軍隊を連れて乗っ取ってしまった。
4 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:03
リトアニア王国。絶世の美少女(?)を女王に戴き、ポーランド王家
との婚姻を通じて東ヨーロッパの覇者となる。
5 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:04
>>1 機動力は、完全でないが数の代わりになる。
少数の騎兵戦力でも、効率的な機動戦を繰り返すことが出来れば
100万の歩兵軍に勝る。
問題は強固に防御された重要拠点だが、モンゴル帝国は降兵や降将をうまく
利用している。
6 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/02 18:06
>1
ホラズムは王と母の仲が悪かった。中国やロシアは統一されていなかった。
というように「戦った相手の体調(?)が悪かった。」点も重要かと。
7 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:08
>>5 騎兵には騎兵で対抗できなかったのかな?
馬って便利だからどこの国でもいたんじゃない?
8 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:12
>>7 戦術的な騎兵はどこの国にもいたが
騎兵のみで構成された、戦略単位の軍を保有していた国は他になかった。
騎兵と歩兵の混成軍は、どうしても移動速度が歩兵を基準にすることになる。
モンゴル軍は、騎兵のみなので移動速度が桁違いだ。
そして騎兵の質も世界最強で有り、指揮官の質が高かったため
他国の軍を野戦において圧倒した。
9 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/02 18:12
>7
馬に乗ったからといって騎兵として運用出来るとは限りません。引き落とさ
れると命が危ないくらいではとても・・・。
それに全員馬に乗っていてしかも3歳くらいから乗り慣れていたら勝てない
でしょう。
10 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:15
>>1 安定した交易路を望んだ商人たちのバックアップもあったし
11 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/02 18:16
因みにこの時代日本や欧州なら一日の進軍速度は20〜30キロ程度。対し
てモンゴルのそれは70〜80キロ。(異論もあるでしょうが)
12 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/02 18:19
外国人官僚・職人を登用する柔軟性も大きかった。それとバーミヤンなどを
廃墟にした事により恐怖を植え付けた事も重要だったのでは。
13 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:19
資料集を見る限りでは、
ペルシア帝国
アレキサンドロス大王領
ローマ帝国
イスラム帝国
ピザンツ帝国
モンゴル帝国
オスマン帝国
フランス帝国
第二次世界大戦中のドイツ
第二次世界大戦中の日本
あたりかな?
14 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/02 18:21
>13
資源不足にあえいでいた日本よりバブル期の日本の方が凄かったのでは。
15 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:21
>>2 希代の英雄と軟弱な王というのがかち合っただけで滅びてしまったのはもののあはれ
全盛期凄かったのであげておきたいのはやっぱりローマと漢?
直接対決が見たかった…
>11
自衛隊のレンジャー訓練では、山岳路を一日40〜60km走破することもあるらしい
しかも30kg以上の装備を持って2,3日不眠不休。
17 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:23
そんなに強いモンゴル帝国が滅んでしまうとは、まさか日本が原因じゃないよね?
18 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:24
19 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:25
20 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:25
中国は漢、唐、清か。
南宋も経済的には凄く栄えたなあ
22 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/02 18:26
>16
早いといえば秀吉の中国大返しなども。自衛隊で再現可能か否か。
>17
インドネシア・エジプト・琉球・樺太アイヌ・エジプトにも撃退されていましたか
ら・・・日本が原因ではないでしょう。
それにあれからスリランカや南インド沿岸の諸国から朝貢を受けている。結局帝国
内部の争いと腐敗が原因でしょう。改革派が駆逐されましたし。
23 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:26
24 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:28
>>16 あれは小人数だからできることでは。
軍の規模が大きくなればなるほど行軍速度は落ちるわけで
25 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:28
琉球に負けるとは……へぼいな
26 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/02 18:31
22にベトナムを入れるのを忘れていました。英雄陳国峻が居ましたね。
27 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:31
>>17 領域が広大過ぎて一つの中心から全体を統括出来なかった事。
モンゴル人自身が自らの生活習慣や文化を至上の物として捉えず
征服地各地に同化する傾向が強かった事等も大きいかと。
28 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:32
>>14 石油年間生産量1000万トンのインドネシアを領有してたんだから大したもの。
ちなみに、当時日本の石油年間消費量は500万トン。
29 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:33
あの時代に無線機(要するに遠隔通信可能)があったなら、
モンゴル帝国は200年は長く続いていたかも?
30 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:33
一番をいうならやはりローマでは。
最大領土を誇った期間の長さなどを考えると。
モンゴルは分裂しちゃったりしてるところがちょっと
31 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:34
32 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/02 18:34
>28
それをそのまま維持出来ていればねえ・・・。アメリカに勝つのは無理だった。
33 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:37
34 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:39
>>30 モンゴル帝国といっても大元と4汗国の総称。全域に君臨した者はいない。
35 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:39
韓国。
一時は破竹の勢いで、世界を征服し、世界の主要な文明の多くが
韓民族の手によるものだから。
36 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:40
>>13を見るとユーラシア大陸の国ばっかりだけど、他の大陸の国はどうしてたんだろう?
のんきに飯でも食ってたのかな?
37 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/02 18:40
南宋の王族が捕えられた時、思いやりで知られたフビライの正室は彼等を哀れみ、
こう言って嘆いた。「千年続いた王家は無いと申します。いずれは私どもの子孫
も亡国の憂き目に遭うのでしょうか。」
39 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/02 18:42
>36
マリ王国はどうでしょうか。岩塩と同じ重さの金を交換し、王がメッカ巡礼
の際カイロに滞在した時には門番にまで金をやってカイロの金相場を長期に
渡って下落させた。
40 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:42
41 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/02 18:43
>40
2662年目じゃありませんか。
42 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:46
>>39 結構凄かったん?
個人的にはオーストラリア大陸なんてどうなってたのか興味ある。
世界史の授業で一回も出てこなかったような気がする。
43 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:48
>>40 >>41 皇紀2600年が西暦1940だから2002−1940=62・・・・
しつれい!!
44 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:48
あのーーーーリシュリューって何やったひとだっけ?
きになってしかたない
45 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/02 18:51
>44
ルイ13世に仕え、30年戦争などへの介入(しかも新教側)を行った坊主
上がり。怪力で知られ、決闘では負け知らずであったという。
46 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:51
>>44 戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」の登場人物の一番偉い人。
47 :
世界@名無史さん:02/08/02 18:52
>>44 フランスの政治家・枢機卿
ルイ13世の宰相
反王権的な貴族やユグノーの反乱を抑え、中央集権制の確立に努め、
外ではスペインと抗争、三十年戦争に介入。
アカデミーフランセーズを創立。
だってさ
48 :
世界@名無史さん:02/08/02 21:04
>34
それはちょっと違う。
モンゴル帝国の「皇帝」は、
初代がチンギス汗、二代が三男オゴデイ罕、三代がその子グユク汗、
四代がチンギス汗の四男トルイ汗の長男(だったはず)モンケ罕がなった。
で、五代目はモンケ罕の次兄クビライと末弟アリク・ブケが争った。
モンケ罕は南宋征討の途中病没し、クビライは残った親衛軍を含む征討軍だけで勝手に
クリルタイ(帝国総会)を開いて皇帝位を宣言してしまった。
チンギス汗からモンケ罕までの四人は、
全王家・構成部族による帝国総会クリルタイによって選定されていた。
結局、皇帝位はクビライが奪権に成功して皇帝位を継いだが、
あまりにやり方がフェアでなかったので後々まで他の王家と関係改善に苦労することに。
基本的にモンケ罕まではモンゴル帝国は各王家は所領を保有してはいたけど、
全体的にモンゴル皇帝の統帥権下にあったと見るべき。
49 :
世界@名無史さん:02/08/02 21:07
フェリペ2世頃のスペインを忘れちゃいかんよ。
50 :
世界@名無史さん:02/08/02 21:09
∩
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∧_∧ | | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´Д`)// < 先生!モンゴルの最盛期はフビライの前ってことですか?
/ / \_____________________
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.|| ||
>50
う〜ん、
と言うか帝国全体で複数の軍事作戦を同時展開できたのがモンケ罕までで、
クビライ罕以降は大元王朝がモンゴル全体の盟主の地位になったことを考えると、
クビライは反目する王家には苛烈に制裁を科したけど、
友好的な王家には何とか支持を取り付けたかったらしい。
彼はモンゴル帝国の全体的な経済発展には大いに意欲があったから、
中央アジア方面のムスリム商人を多方面で積極的に登用・投資した。
だから、
モンゴル帝国にとって中央統制型の軍事体制の絶頂期がモンケ時代までで、
クビライやその支持者参加者達が築いた「モンゴル帝国連邦」(←勝手な造語)の
安定的経済的な絶頂期は、クビライの時代からイル汗朝が消滅する前後くらいでまでかと。
つまり、いろいろ調べてみると、
中央統制型の軍事体制の絶頂期と、
連邦型の経済的国内安定的な絶頂期とは
それぞれ時期がずれてるんじゃないかというのが、
個人的な感想です。
52 :
世界@名無史さん:02/08/02 21:50
しかし改めてモンゴル帝国のスケールのでかさを感じるな
53 :
世界@名無史さん:02/08/02 23:16
イッソスの戦いでペルシャ帝国軍の数が50万ってマジ!?
いくらなんでも多すぎないか?
54 :
世界@名無史さん:02/08/02 23:21
アケメネス朝の総人口は4000万人。あの時代でこんなに多いなんて
かなりすごいと思う。
55 :
世界@名無史さん:02/08/02 23:22
アケメネス朝=ペルシャ帝国ね
56 :
世界@名無史さん:02/08/02 23:23
どんな民族でも一度は全盛期が全盛期がありそうだな。
57 :
世界@名無史さん:02/08/02 23:25
>>56 塩婆曰く、ヴェネツィアは全盛期が複数回あったから凄い・・・と。
58 :
世界@名無史さん:02/08/02 23:37
>>57 ローマなんか共和制末期の内乱から不死鳥のごとくよみがえったり、
衰退期になってもパルミラやガリア帝国の反乱を攻め潰したり
もんのすごい強靭な生命力だと思う。
59 :
世界@名無史さん:02/08/02 23:44
9−11世紀のビザンツ帝国。
テマ制による軍制改革が成功し、テマ農民からの安定した税収入と安価な国民軍、
国家税収の1/10にまで達した当時としては驚異的な取引税で、地中海の覇権
国として君臨した。
ユスティニアヌスの西ローマ版図奪回時代に比べれば版図自体は小さいが、財政
面ではこの時代の方が、ユスティニアヌス時代を上回っていた。
60 :
世界@名無史さん:02/08/02 23:50
ビザンツもローマに加えるとすると、まさにゴキブリのような生命力だな・・・
61 :
世界@名無史さん:02/08/02 23:58
神聖ローマ帝国は含みませんか?
62 :
世界@名無史さん:02/08/02 23:59
神聖ローマは、古代ローマとの連続性がないからなあ。
63 :
世界@名無史さん:02/08/03 00:02
スターリン同志率いるソビエト連邦共和国。
64 :
世界@名無史さん:02/08/03 00:04
清の全盛期もすごいよ
アッシリア帝国?
なんとなく
66 :
世界@名無史さん:02/08/03 00:08
>>64 確かに。パックス・ローマや1690年までのオスマン並。
そういや生命力という点ではオスマンもすごいぞ。
レパントの大敗もものともせず(それまでの爆発的な勢いは収まったが)、
1690年(だっけ?)のカルロヴィッツ条約までヨーロッパ全体相手に優勢を保ってた。
67 :
世界@名無史さん:02/08/03 00:13
BC330年代からBC221年帝国樹立までの秦は全盛期といっていいだろう。
ジャイアニズムぶりがすごい。
68 :
世界@名無史さん:02/08/03 00:23
>>66 1699年・・・かな?こちらもうろ覚えスマソ
69 :
世界@名無史さん:02/08/03 00:23
70 :
世界@名無史さん:02/08/03 00:29
クメール王国
現在のカンボジア、ベトナムやタイ、マレー半島を支配下に置いたが
今はロリ売春が主要産業
71 :
世界@名無史さん:02/08/03 00:38
アンコール朝の王は、諸王の王を名乗ったんだよね。
後にアンコール朝を攻めまくったタイ・アユタヤ朝も、元来宗主国であった
アンコール朝に対するコンプレックスが強くあった。
アユタヤに今もそびえるクメール様式の仏塔を見ていると、東南アジアでか
つてクメールが誇った権威の大きさが実感できるよ。
アンコール・ワットって、インドのヒンドゥー教、仏教寺院のどれよりも大
きいらしいね
72 :
世界@名無史さん:02/08/03 00:41
ハールーン・アッラシード時代のアッバース朝。
73 :
世界@名無史さん:02/08/03 00:58
>>67 今のアメリカにとてもよく似ている。
国際政治学の枠組で、比較研究してほしいほど。
74 :
世界@名無史さん:02/08/03 01:05
20世紀半ばのアルゼンチン。
肥沃な国土に豊かな資源を蔵し、大戦で疲弊したヨーロッパに取って代わらんという
勢いだった。
政治の腐敗→軍部のクーデター→経済不振→不満をそらすために対外戦争
というお決まりのパターンで没落、そして破産。
75 :
世界@名無史さん:02/08/03 01:09
やっぱりローマ帝国とオスマン帝国でしょう。
アケメネス朝、漢、唐、清、アッバース朝等は寿命が稍短い。
あ、でも「全盛期は」でしたね。だったら今のアメリカ。
76 :
世界@名無史さん:02/08/03 01:13
>>75 清は全盛期相当長いと思うけど。康熙・乾隆時代だけでも130年、
それ以前の成長期もあわせたら200年くらいは繁栄してるんだよ。
77 :
世界@名無史さん:02/08/03 01:15
>>74 噂には聞いてたけど、そんなにすごかったんですかアルゼンチン。
でもそういう没落の仕方だと、結局繁栄もたかが知れたもんだったような気もする。
あ、寿命の話なのね。
79 :
世界@名無史さん:02/08/03 01:39
カルロヴィッツ条約以来、坂道を転がり落ちるように没落していったオスマン帝国だが、
結局は、フランス王国・神聖ローマ帝国・ヴェネツィア共和国・フランス帝国・
ロシア帝国・ドイツ帝国・ハプスブルク帝国のいずれよりも長続きした。
このことからも、全盛期がいかに凄かったかが分かるかと。
80 :
世界@名無史さん:02/08/03 01:45
ティムールにコテンパンにされたり、レパントの海戦で全滅に近い負け方をしても
その都度なんともなしに回復する。怖いぐらいしぶといな。
81 :
世界@名無史さん:02/08/03 01:58
ビザンツ帝国はやはり侮れないよ。
ビザンツ帝国を苦しめた国は、ウマイヤ朝、アッバース朝、セルジューク朝、
スラブ化以前のブルガリア、両シチリア王国、と数え上げたらきりが無いけ
ど、
ビザンツはそのどれよりも長続きしている。
82 :
世界@名無史さん:02/08/03 02:01
十字軍に始まった地中海東岸のラテン人国家も、一時はビザンツを苦しめるけど、
結局ビザンツより先に滅びてしまう。
ラテン帝国建国によってコンスタンチノープルを奪われても数十年でビザンツは
復活してしまった。
このしぶとさは凄いと思う。
83 :
世界@名無史さん:02/08/03 02:03
ビザンツは線香花火のようだ。
消えそうで消えず儚く存在しつづけ、最後に寂しく切なくひっそりと散る・・・
絵になる国だ。
84 :
世界@名無史さん:02/08/03 02:05
>>83 >消えそうで消えず儚く存在しつづけ、最後に寂しく切なくひっそりと散る・・・
確かに・・・
しかし、11世紀末までは、なんのかんのと言って大国だったのよ!
ユスティニアヌス以降衰退の一途、と書く高校教科書は許せん!
超大国となるオスマントルコに止めを刺されるというのも名誉だね。
>>ユスティニアヌス以降衰退の一途、
確かに・・・授業でマケドニア朝の強盛を無かったことのように
流されたのはちょっとショックだった。
87 :
世界@名無史さん:02/08/03 02:07
>>85 >超大国となるオスマントルコに止めを刺されるというのも名誉だね。
確かに。
かつて地中海世界に覇を唱えたキリスト教帝国が、新しく地中海に覇を唱える
ことになるイスラム教帝国に滅ぼされるというのは、本当に絵になる。
88 :
世界@名無史さん:02/08/03 04:41
WW2後半からの数年のアメリカ。
生産力が当時の全世界の比率の50%を超えてるもんだから、
連合軍全部の援助と補給を引き受けてまだ余裕があったくらい。
他の主要国でどんなにがんばっても1年以上かかる正規空母を月刊発行、
護衛空母は週刊誌並のペース。
どんどん増大する戦力と溢れる補給物資は世界史上類をみないでしょう。
89 :
世界@名無史さん:02/08/03 05:51
トレビゾンド帝国。
ごめん、冗談でした。あれでも一応は帝国だから、つい・・・
90 :
世界@名無史さん:02/08/03 06:04
日本
東西冷戦の中で要領良く米国の保護下で経済成長できたから。
ヨーロッパの片田舎に遅れた国があった。
その国の片隅で謎の大爆発が起きる。
爆発の原因は小惑星の衝突とも言われるが未だに明らかではない。
この爆発の直後にその国は変わった。
それまで存在しなかった新しい種類の文明へと生まれ変わったのである。
列強の干渉を撥ね退け、世界大戦を勝ち残り、世界第二位の力にまでのし上がったその国は、
世界を震撼させた。
宇宙に人を飛ばし、さらには世界を何度も滅ぼせる力を持ったという。
だがあまりに背伸びをしすぎたその国は、約80年目にしてあっけなく瓦解した。
その国の名とは…(メール欄を見よ)
92 :
世界@名無史さん:02/08/03 07:21
>>91 でも、ロシアっていわゆる「遅れた国」だったのはたしかだけど。
小国なわけではなかったでしょう。英仏独露がいわゆる列強だった
のでは。しかも、侵略不可能とみなされていたし。どうでしょ。
93 :
世界@名無史さん:02/08/03 13:01
>>89 トレビゾンド帝国とか、エピルス帝国、ある意味面白い存在ですよね。
94 :
世界@名無史さん:02/08/03 13:02
>>91 ツングスカの大爆発とソ連躍進をちうなげるとは、トンデモながら面白い!
95 :
世界@名無史さん:02/08/03 13:05
シメオン時代のブルガリア。
ハギア・ソフィアで戴冠してブルガリア皇帝にまで上り詰めた。
96 :
世界@名無史さん:02/08/03 13:34
インカ帝国ってあっさり滅亡した。
数百人程度チンケな部隊にやられヨーロッパが世界の中心になるきっかけを作る。
97 :
世界@名無史さん:02/08/03 13:43
98 :
コルテス改めピサロ:02/08/03 13:45
96>いや、案外あっさりでもないんです。ずいぶん苦労してるんです。
99 :
世界@名無史さん:02/08/03 14:16
>>83 >>86 ユスチニアヌス時代のような超大国でなくなったからこそ、
政治も文化も安定したと言える。
100 :
世界@名無史さん:02/08/03 14:30
100ゲット。
101 :
世界@名無史さん:02/08/03 16:08
半万年の歴史がある人類の至宝のあの国。
102 :
世界@名無史さん:02/08/03 16:15
亜米利加かなぁ、なんと言っても大日本帝國に勝っちゃた・・・・
運があったとはいえ
103 :
世界@名無史さん:02/08/03 16:29
デンマークはどうですか?
北欧でがんばってたような気がする
104 :
山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/08/03 18:09
>103
北欧三王国連合(現フィンランド領含む)の時は流石に勢いがあった。
105 :
世界@名無史さん:02/08/03 23:20
アレクサンドロス大王領。
モンゴルとよく似て居る。
>103
クヌート時代からスウェーデンに喰われる迄は凄かったですね。
スウェーデンもロシアに喰われる迄は大きかった。
106 :
世界@名無史さん:02/08/04 01:10
金氏朝鮮
国民が共食いしていてもかまわず映画制作などに力を注ぐのはさすがだ
>>97-98 苦労したとはいえ、たった数百人で大帝国を征服したなんて
人類史上空前絶後の大勝利ではある。
>>99 ユスティニアヌスの「偉業」はむしろボロボロになった老大国の精一杯の強がりにしか見えない。
その後の長い暗黒時代を経て古代的な異教色を捨て去り
完全なキリスト教帝国として復活したマケドニア朝と比べたら
どっちが強勢だったかなど言うまでもない。
ユスティニアヌスの「帝国」がマケドニア朝より勝ってたものは地図上の面積だけ。
>>88 >>102 第二次大戦後期からソ連の核保有までの10年ほどの米国こそ史上最強の帝国だったと思う。
「イスファハーンは世界の半分」という言葉があるけど、
当時の米国は世界の半分どころか世界の大半の富と力をもってた。
全盛期のモンゴルもさすがに「世界の大半」とまではいかなかったはずだ。
108 :
世界@名無史さん:02/08/09 18:00
ドン・ガバチョ大統領時代の「ひょっこりひょうたん島」。
→未だに「国歌」が演奏されている。
109 :
世界@名無史さん:02/08/09 20:43
中国史上、人民が全体的に一番幸せだった唐の最盛期を挙げてみる。
文化水準も、世界相対から考えたら、かなり凄いと思われ。
110 :
世界@名無史さん:02/08/09 20:53
唐全体でどうだったかと言うとまた別問題な気がするな。
文化水準が高いと言っても都市部と農村部の格差はあったろうし
人口の大部分を占める農民層がどんくらいの暮らしをしてたかとかそう言うのもあるだろうし。
111 :
世界@名無史さん:02/08/10 12:42
人口の大部分がいい思いをしていたというならやはり
宋の時代では?なぜに唐なの?
112 :
世界@名無史さん:02/08/10 12:44
というか中国って歴史上、人口の大部分が満足した時代なんてあんの?
113 :
世界@名無史さん:02/08/10 13:22
>>109 唐の最盛期は武即天の時代だから「周」だよ
といってみるテスト。
114 :
世界@名無史さん:02/08/10 16:36
>102
この主張の意味がわからん。運?
115 :
世界@名無史さん:02/08/10 19:31
>111
その時代に於ける相対的技術水準でいえば19C西欧以外では北宋はピカ1で有ろう。
116 :
世界@名無史さん:02/08/10 23:55
ジオン公国。
国力三十分の一で連邦を圧倒した。
117 :
世界@名無史さん:02/08/11 00:03
中世〜近世前のヤゲロー朝ポーランド王国はドイツやロシアを圧倒していたと聞き及んでおりますが
どなたか語っていただけないでしょうか
118 :
イェギウォ:02/08/11 00:05
119 :
世界@名無史さん:02/08/12 00:35
>>111 唐時代も平和だったけど、やっぱ宋がピカ一だよねえ。
まさに「先進国」のイメージ。
120 :
世界@名無史さん:02/08/12 00:56
でも、北宋って政治は腐敗してて、盗賊とかも多く治安は悪いよね。
まあ、それも含めて「先進国」?
明のころの方が他国と比べて国力は高かったんじゃないのかな?
宋の繁栄なんて開封府などのごく限られてた地域だけだったんだし
明朝暗黒史観ってのはなかなか根強いけど
日本の江戸時代ほど国民が安定して平穏で裕福な時代が続いたものは無いだろう
農民は貧しかったと思われがちだが、実際は結構裕福ですよ
農村貧観を見直す(うろ覚え)って本を読んでみてください
中国は農村と治安がなー
>>121、122
要は近代否定ですね。俺は賛成だけど。
124 :
世界@名無史さん:02/08/12 03:47
>>120 へえ、意外だな。治安良好のイメージがあったが。
>>120 水滸伝だな
飯屋では定番の人肉饅頭としびれ酒のバリューセット
>>120 北宋の治安悪化は新法党と旧法党の争いがあった北宋末からだろ?
まぁ、新法は下層農民の救済を目指していたから、逆にいえば
北宋後期は貧富の差が拡大し、治安も悪かったかもしれんが・・・。
とりあえず、ソースキボンヌ。
127 :
世界@名無史さん:02/08/14 01:00
128 :
世界@名無史さん:02/08/18 04:05
ムガール帝国。スペイン、明清、トルコの所為で少し無視されてる気がする。
129 :
世界@名無史さん:02/08/18 10:16
>>16 >自衛隊のレンジャー訓練では、山岳路を一日40〜60km走破することもあるらしい
>しかも30kg以上の装備を持って2,3日不眠不休。
亀レスでスマソ…SASの入隊試験に遠く及ばん…彼らの試験はコンパス1個だけ渡し、適当
な場所(ヘリのパイロットも場所を詳しく知らない)に降下させ、48時間以内に基地
に戻らねばならない。これで9割が落ちるそうだ。
130 :
世界@名無史さん:02/09/01 02:31
バビロン第一王朝。
当時としては最大最強の国家だと思う。名前も凄い。
131 :
世界@名無史さん:02/09/01 09:49
大英帝国はどうでしょうか?
北米大陸・インド・オーストラリア・アフリカとアジアと中近東の一部を支配しました。
結構全盛期はすごかったのでは?
132 :
世界@名無史さん:02/09/01 10:43
133 :
世界@名無史さん:02/09/01 10:44
落差という点ではリトアニアかな?
ルネサンス期にはフランスや神聖ローマ帝国と肩を並べる程の大国だったのだが
つい最近までは地図にも載ってない様な有様だったからねぇ。
ジェットコースター国家の典型だ。
134 :
どとうとしや:02/09/01 11:08
>>74 私はタンゴの愛好者です。
アルゼンチンは、一人当たりの国民所得、1955年までは、ドイツよりも高かった期間がありました。
>>96 1533年、アタウアルパ Athaualpa 王処刑から、1573年、トゥパク・アマル Túpac Amaru 王処刑まで、
首都クスコ Cuzco をスペイン帝国に占拠されにながらも、インカ帝国はありました。
インカのしぶとさに敬意を表します。
135 :
世界@名無史さん:02/09/02 00:44
凋落振りで言うなら「太陽の沈まぬ帝国」スペインを忘れてはならない。
カルロス1世、フェリペ2世と成長を続け、アルマダ海戦で敗れたとはいえ大陸ではなお強い影響力を持っていたのに、バカ息子が王位を継いだために……。
いや、そこまでならよくある話なんだが、そのバカ息子(フェリペ3世)の死に様を知ると…もう、なんつーか、呆れてものが言えない。
136 :
世界@名無史さん:02/09/02 00:53
塩婆スレでちょっと話題になったんだけど、一時期は帝国を築いたような国が、後世にどのような文化的
影響を残したかってこと。
塩野七生は、美的センスのない連中が天下を取っても、後世に影響を与えるような文化を残すことはでき
ないと言って、モンゴル帝国やオスマン帝国の例を挙げてるらしい。
一時期凄かった国が、今の世界にどんな文化的遺産、影響を残したか、あるいは残さなかったかという
題も付け加えると面白いかも。
まぁ、アルゼンチンはアルゼンチン・タンゴを残した罠。
137 :
世界@名無史さん:02/09/02 00:57
トルコのトプカプ宮殿は十分凄いと思うが。
確かにモンゴルは、ね。
138 :
世界@名無史さん:02/09/02 01:35
栄えても文化的に何も残さなかったのは、カルタゴだね。
139 :
世界@名無史さん:02/09/02 01:38
モンゴルは紙幣という文化を残したじゃないか。
塩婆のことだから「文化」の内容がかなり偏ってそうだな。
141 :
世界@名無史さん:02/09/02 01:41
宋は、朱子学なんていうとんでもない遺産を残してしまったなあ。
東アジアの思想を硬直化させた罪は大きいと思う。
142 :
世界@名無史さん:02/09/02 01:53
塩はキライ。
でも、ローマのあの何度もはい上がってくる生命力は喝采を送る。
143 :
世界@名無史さん:02/09/02 02:29
プロシア
144 :
世界@名無史さん:02/09/02 05:58
>>138 >栄えても文化的に何も残さなかったのは、カルタゴだね。
→というより「残せなかった。」
145 :
世界@名無史さん:02/09/02 08:54
ローマ帝国、オスマン帝国は女のオーガズム。
モンゴル帝国、イスラム帝国、アレクサンドロス帝国は男のオーガズム。
146 :
世界@名無史さん:02/09/05 03:27
じゃ、塩婆に因んでヴェネツィア。フェニキアの後継者とも云うし。
此の場合はオスマン=ローマて事に成るな。
147 :
世界@名無史さん:02/09/15 04:46
age
148 :
世界@名無史さん:02/09/15 06:30
日本
東西冷戦下の構造の中でたまたまうまく経済発展ができたから。
149 :
世界@名無史さん:02/09/15 12:36
明治の日本は古代から続く世界の二大帝国に勝ったから凄い。
異民族とはいえ始皇帝以来の中華帝国の正統後継者である清
異民族とはいえアウグストゥス以来のローマ帝国の正統後継者であるロシア
エジプトは1000年も最強な罠
>>カルタゴ
アルファベットを作ったやつらの子孫と考えればいいんじゃないかと
ローマ人のギリシアコンプレックスの前にはエジプトも無視されたし
152 :
世界@名無史さん:02/09/20 14:47
野生の王国
153 :
日本@名無史さん:02/09/20 19:58
二次大戦じの大日本帝国
米英中蘭を相手に当初は互角以上の戦いを行い、アジア人民に有色人種の劣等感を払拭
させ、後のアジア諸国独立の希望を与えた。負の遺産ばかり注目されるが、
当時の国力を考えると信じられない活躍であると思われる。正当に評価していただきたい。
大韓民国及び朝鮮半島の国家
歴史上では過去5000年の栄光が語り継がれる。
155 :
世界@名無史さん:02/09/21 03:02
金氏朝鮮王国(1948〜2003)
全盛期には自国の数十倍の国力を持つ日本に対し、
工作員を侵入させ、またテポドンを発射するなどして脅し
米支援や朝鮮総連からの送金などを行わせるなど
強盛を誇った。
156 :
世界@名無史さん:02/09/21 03:05
>>131 普通にすごかったでしょ。
19世紀はイギリスの世紀ですから。
157 :
世界@名無史さん:02/09/21 07:04
「吉野家」や「友達にハッカーいるんだけど」といった面白い文章。
今では多様にアレンジされてあらゆる板、あらゆるスレで見かけることができる。
そこで
>>1もそのような文章を作ろうとしたのであろう。
多くの人に楽しんでもらえる文を、
飽きのこない見事な言い回しを夢見て。
試行錯誤の末、私は一つの結論に達した。
「
>>1ではあのような文章を作れない」
才能の差というものに
>>1は気づいてないということを思い知った。
だが私はそこで諦めたわけではなかった。
一人で気づかせることが出来ないなら手を借りればいい。
>>1を叩く基盤となる文章を考え、それを加工、添削していき
最終的に
>>1に恥ずかしい思いをさせればいいのだ。
このスレは以上の趣旨の元レスして欲しい。
しかし
>>1を叩くのに2getばかりでは芸がない。
二百レスで
>>1は少し反省する。一つのスレで五回くらい反省する。
>>1よ。
二百レス後、自分の書いた文の出来を考えて欲しい。
間違っても「おまえら市ね」などと陳腐なことは言わないで貰いたい。
>>1の発言が多くの人の不快感をかっている文章であることを理解して欲しい。
158 :
世界@名無史さん:02/09/21 09:18
パックス・アメリカーナ
159 :
世界@名無史さん:02/09/21 09:32
>>149んなアホな。とも思ったが言われてみればこの2国って
モンゴル帝国の後継そのものでもあるんだよね…
160 :
世界@名無史さん:02/09/21 09:47
>>156 モンゴルとイギリスってある意味史上2大帝国かも。
161 :
世界@名無史さん:02/09/21 09:50
アメリカの全盛期っていつだったんだろう。
20世紀半ばから後半かな。
13世紀はモンゴルで19世紀はイギリスで20世紀はアメリカか。
モンゴルとイギリスの間ですごかったのはトルコかなやっぱり。
162 :
みなしごハッチ:02/09/21 10:01
163 :
世界@名無史さん:02/09/21 12:00
>>161 全盛期のオスマンよりも全盛期の清朝の方が国力は数段上と思われる。
一回も全盛期を迎えなかった国ってあるの?
165 :
世界@名無史さん:02/09/21 12:35
>164
ビアフラ
166 :
世界@名無史さん:02/09/21 12:51
栄えて何も残さなかった、という意味ではスパルタでしょ。
伝え聞かれる社会システム以外なんも残らなかった。
167 :
世界@名無史さん:02/09/21 13:03
168 :
日本@名無史さん:02/09/21 13:11
169 :
世界@名無史さん:02/09/21 13:12
ハンガリー。
マジャール人が支配した時代は強盛を誇った。
ハプスブルクに支配されて時代のブタペストはヨーロッパ最大の証券取引所もあり
文化的に洗練された街だった。
しかし他の時代が…
170 :
日本@名無史さん:02/09/21 13:47
ウズベク
あのティムール帝国を滅ぼした国であるが・・・
クリミア
クリミアの大ハーンはピョートル大帝時のモスクワを脅かすほどの
勢力を誇った
171 :
世界@名無史さん:02/09/21 14:39
全盛期しかなかった国なら秦あたりか?
全盛期を終えたらあったいうまに滅亡。
ある意味ナチスドイツが当てはまるかも<全盛期しかない
173 :
世界@名無史さん:02/09/22 00:51
>>171 そう云う類の国ならばササン朝とかスペインとかがそうでしょうねぇ。
或る意味唐、清やイギリスもそうかも。
174 :
世界@名無史さん:02/09/22 01:52
韓国。
最近歴史の長さが半万年から9千年に延びたらしい。
エジプトにもどこにも文明がなかった時代から偉大な歴史が始まっている。
175 :
世界@名無史さん:02/09/22 01:57
ムーやアトランティスよりは新しいな。
そっちの話が行き渡ると、今度は2万年とか言い出すか。
176 :
世界@名無史さん:02/09/22 02:04
地味に強かったブルガリア帝国
177 :
世界@名無史さん:02/09/22 09:03
>>165 極東共和国(1920-22)
沿海州共和国(1920-22)
台湾民主国(1895)
大韓共和国(1945)
蝦夷共和国(1868)
オレンジ共和国 トランスバール共和国
180 :
世界@名無史さん:02/09/22 09:57
>>173 ササン朝って表面上は全盛期の絶頂の直後に滅んだように見える。
実際は内部ボロボロだったんだろうけど。
181 :
世界@名無史さん:02/09/22 10:04
182 :
世界@名無史さん:02/09/22 10:14
実態はボロボロだけど無理に無理を重ねて全盛期を演出したといえばユスティニアヌスの時のローマ
地図上で見れば大帝国を回復したように見えるがそれがローマ最後の輝きだった。
183 :
2チャンネルで超有名:02/09/22 10:16
184 :
世界@名無史さん:02/09/22 11:09
185 :
世界@名無史さん:02/09/22 11:43
>>182 おいおいマケドニア朝を無視するな。
東ローマが転落していくのは、「嘆きの日」マンジケルトの戦い以降。
186 :
世界@名無史さん:02/09/22 18:56
>>179 「オレンジ共和国」ではなく「オレンジ自由国」でしょ。
187 :
世界@名無史さん:02/09/22 19:01
大陸百済は東アジアを支配してました。
オレンジとトランスバールは一度セシル・ローズを撃退してるから
あなどれない
189 :
世界@名無史さん:02/10/10 19:04
アフリカで言えば、マリ王国とかは
いまでこそ、見る影もなく、かつての首都トゥンブクトゥはつい半世紀前まで
砂にうもれていたが、カンカン=ムーサ王全盛期は、当時盛況であった、
イスラム諸国の度肝をぬくほどの財力を誇った国
190 :
世界@名無史さん:02/10/10 19:23
>>189 そのわりに詳しい歴史も伝わってないんだから
しょせんあだ花的に繁栄しただけではないかと…
ホラズムなんかどうだ?
イスラーム東方の雄だったのにチンギス・カンの侵攻の前に、ほとんど自滅する形で瓦解。
192 :
世界@名無史さん:02/10/10 22:24
ホラズムってどうしても「最初の小手調べ」という印象しか無いな。
193 :
世界@名無史さん:02/10/10 22:27
小手調べは金のほうだろう。
>>193 それをいうなら西遼だろ。金攻略には非常に苦労している。
いや、金も勝手につぶれているだろう。
196 :
世界@名無史さん:02/10/11 00:38
金が潰れるなんて痛そうだ(((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
197 :
世界@名無史さん:02/10/11 00:43
夏候金という魏の国の武将は弓で撃ちぬかれた睾丸を
「親より授かったものを捨てるのは忍びない」と食べてしまったそうだ。
198 :
世界@名無史さん:02/10/14 12:06
石油ショックまでのソ連
199 :
世界@名無史さん:02/10/14 12:33
オーストリア
いまでこそ小さいが、昔はスペイン,新大陸も合わせた欧州最強の国
200 :
世界@名無史さん:02/10/14 12:34
>200取ってナチスドイツの凄さを見せてやる!! / ̄ ̄ \
| .__米_」ママー!
ハイル・ヒトラー! __ └||;´Д`) ママー!
___ \ (⌒( )´) )/ アボーン / \ ( つ*;⊂)
/o卍__⊥ (\´(⌒´) )/) /_ USA .| \ \ \
ノ=√`Д´) (( ヾ ( )⌒)ソ ) ∧_∧ミ;| ||┘ (⌒)(⌒)
___ ( 【〔ロ=:(∈(二(@ ((⌒`( )´)ノ) ────---・ ゚ )・;・
/o卍_⊥ / ガルルルルルルル! / ⊂ つ・; __
=√`Д((二((○/ (`(⌒)) /)⌒/) (⌒) ̄/ / / \
(_ づフ凵二レ====='二O \((`( ´)⌒/)` / ̄ ̄\⌒) ・ | .USA 」 ヒィィ
/ \((⌒ノ`)ノ`) /_ __ .| ∩ || ゚д゚;)∩
バーンバーン! `(´Д`;||┘ \( | /
@)二)三ロ]⊂ ) (_) |
Y 人 (_)
(_(__)
201 :
世界@名無史さん:02/10/28 03:49
age序でに各世紀毎の主観的no.1国家を挙げて見とこう(理由は無いけど)。
-30C:エリドゥ。-29C:ウルク。-28C:ウルク。-27C:ウルク。-26C:エジプト古王国。-25C:エジプト古王国。-24C:エジプト古王国。-23C:エジプト古王国(中王国?)。
-22C:ウル。-21C:ウル第三王朝。-20C:ウル第三王朝。-19C:バビロン第一王朝。-
18C:バビロン第一王朝。-17C。バビロン第一王朝。-16C:エジプト新王国。-15C:エジプト新王国。
-14C:エジプト新王国。-13C:エジプト新王国。-12C:カッシート朝。
-11C:「暗黒時代」のギリシア。-10C:西周。-9C:アッシリア。-8C:アッシリア。
-7C:アッシリア。-6C:アケメネス朝。-5C:アケメネス朝。-4C:アレクサンドロス3世の領土。-3C:秦。-2C:漢。-1C:ローマ。
1C:ローマ。2C:ローマ。3C:ローマ。4C:ササン朝。5C:ササン朝。6C:ビザンティン。7C:唐。8C:アッバース朝。9C:アッバース朝。
10C:ビザンティン。11C:アイユーブ朝。12C:北宋。13C:モンゴル。14C:マムルーク朝。15C:ティムール帝国(か明)。16C:トルコ。17C:スペイン。18C:清。19C:イギリス。20C:アメリカ。
よく知らん所も多いし何か間違ってる様な気もするけど。
202 :
世界@名無史さん:02/11/04 20:24
オランダはどうなの?
17世紀はオランダの時代だとかなんとか
203 :
世界@名無史さん:02/11/04 20:43
ギリシャ
↓
イタリア
↓
(中略)
↓
モンゴル
↓
スペイン・ポルトガル
↓
オランダ
↓
イギリス
↓
アメリカ
204 :
世界@名無史さん:02/11/04 20:48
ここでも話題にすらならないポルトガル
205 :
世界@名無史さん:02/11/04 20:50
一瞬だけ派手に輝いた大型花火みたいな国だな、ポルトガルは。
206 :
世界@名無史さん:02/11/04 20:56
イラク
↓
エジプト
↓
イラン
↓
ギリシャ
↓
イタリア
↓
(中略)
↓
モンゴル
↓
スペイン・ポルトガル
↓
オランダ
↓
イギリス
↓
アメリカ
207 :
世界@名無史さん:02/11/05 21:08
age
208 :
■中国の歴史人物を登場させよう!その弐【改】■の1:02/11/13 23:28
韓国の歴史がウン千年というのは勘弁して欲しいが
高句麗の全盛期はスゴそうだね
広開土王、長寿王の頃なんか特に。
後々も隋をボコボコに返り討ちにしたり
続く唐の遠征を5回も撃退してるし(太宗李世民もカタナシ)
209 :
武装共産党:02/11/13 23:32
文革時代の中華人民共和国に決定。
かつて繁栄を極めた国はDQN国家が少なくない(ほとんどか)、イラク、エジプト、インド
中国・・・所詮こんなもんか。
211 :
世界@名無史さん:02/11/14 01:30
アマノウヅメさんは全盛期すごかったらしい。
俺ももう少し早く生まれていれば・・・
212 :
世界@名無史さん:02/11/14 01:35
かつて繁栄を極めようが極めてなかろうがDQN国家はたくさんある
エジプト、インドあたりをDQNに入れると今ある国の半分は、DQN国家になるが?
213 :
世界@名無史さん:02/11/14 01:47
>>212 エジプトは世界に冠たる人権抑圧国家だからOKです。
大統領選挙の選挙率、得票率がバロメーター?
世界の半分が該当する?そうかもしれませんね。
214 :
世界@名無史さん:02/11/14 17:38
>>208 しかし高句麗は完全な韓民族国家ではない罠。
215 :
■中国の歴史人物を登場させよう!その弐【改】■の1:02/11/14 21:20
>214
そうなんですよね
満州あたりも勢力圏に入っていたし。
だからこそと言うべきか、何というか
現在の韓民族のどこぞの国よりも独立国家としての気概というか
針の強さが感じられます(^^;)
少なくとも新羅や李氏朝鮮のような卑屈なイメージが無いし
上のカキコがそうだと言ってるわけでは勿論ないが、
高句麗にかんしては、現在北朝鮮のプロパガンダが強力に行われて
いるので注意しよう。金日成の家系が高句麗王朝の家系だなんてことも
ではじめている。北朝鮮の航空会社は高麗航空というし、南北統一の
後には高麗共和国という国名にしようといっている。平壌の西方に高句麗の
宮殿をもした華麗な観光地もある。
217 :
世界@名無史さん:02/11/15 01:08
>>215 >>少なくとも新羅や李氏朝鮮のような卑屈なイメージが無いし
李朝はともかく新羅はどうっすかね?
唐に協力させて統一を完成し、その後勢力伸長を企んだ唐を追い払った
所を見るとなかなかに強かだと思うが。
そのあとは唐の朝貢国になったのかな?
>>216 昔から思ってたんだけど高句麗と高麗って何か関係あるのかな?
218 :
世界@名無史さん:02/11/15 02:32
>>217 関係あるも何も高句麗の後継者だから高麗なんだよ
219 :
世界@名無史さん:02/11/15 03:33
高麗は仏教国として有名だけど
高句麗も仏教国だったの?
220 :
世界@名無史さん:02/11/15 03:54
王氏高麗は、現代人が想像するような意味で高句麗の継承者だったわけではない。
統一新羅の北辺は、昔の高句麗(高氏高麗)の領土の一部だった。(あくまで一部)
王氏高麗の建国者の王建は、その北辺から国を起こしたから、高麗という国名にしただけ。
同じ頃、西南部に割拠していたライバルは「後百済」という国名にしていたけど、
これだって現代人が想像するような意味で「百済の後継者」だったわけではない。
221 :
世界@名無史さん:02/11/15 03:58
高麗が仏教さかんだったのは新羅が仏教国家だったから。
むしろ新羅からの絆(継承関係)の方が深い。放伐革命じゃなくて禅譲だったぐらいだし。
高句麗は仏教ほどじゃないけど道教もさかんだった。
かなりアバウトなイメージとしては
高句麗→道教
新羅 →仏教
百済 →儒教
という感じ。あくまで「感じ」なので厳密な話じゃないですが。
222 :
土壇場の魔術師:02/11/15 14:04
>37
元は結局滅亡していないです。
ただ単に中原が維持できなくて故郷に撤退しただけです。血筋はその後も長く続きました。
>40
2600年は大袈裟ですね(日本書紀の記述にさえ神話時代として真実とは見なされていない)。しかし継体王朝の1700年は真実のようです。
古今東西を見まわしてみると。
西の横綱はどう見ても比類無きローマとオスマントルコ、東の横綱は大唐とモンゴル、そして元の血筋を継いだ清でしょう。
よくもまあ日本はそんな横綱国の隣で独立を保っていられたものです。海の防御と当時の人々の気概はすばらしい。
223 :
■中国の歴史人物を登場させよう!その弐【改】■の1:02/11/15 21:40
>216
も・・申し訳ないです。
今の時期に、確かに配慮に欠けてました(><)
>金日成の家系が高句麗王朝の家系
う〜ん、それは初耳・・・あやしすぎる説だ(^^;)
英語のKOREAも高麗が語源でしたし
「朝鮮」という国名は明から頂いたものだし
高麗ほうがなんか響きはいいですね。
スレ違いだけどさ、半島が南北統一したとしたら、
明から貰った朝鮮って国名では、南が認めないし
ましてや韓国がそのまま残るはずもなく、Koreaである
高麗ってのが有力だと思ってたんだけど、そうなの?
225 :
■中国の歴史人物を登場させよう!その弐【改】■の1:02/11/15 22:44
なんか高句麗の話題ばかりで申し訳ないので
話題を変えて・・・
ソロモン王の頃ってどれくらい凄かったのかしら?
226 :
世界@名無史さん:02/11/16 00:43
>>224 韓国にとっては「朝鮮」は二重に嫌な言葉だから「朝鮮」だけは認めないでしょう。
北が「高麗」を提案してるのも「朝鮮」だと南が同意する可能性が無いからだと思う。
227 :
世界@名無史さん:02/11/16 00:46
一時期「高麗連邦」が提案されていましたね。
228 :
世界@名無史さん:02/11/16 00:53
>>225 「ソロモンの栄華」というのはまったくの経済的な繁栄。
当時オリエントの列強のパワーバランスが拮抗して戦争が一時的に途絶え、
これが「オリエントの春」といわれている。
この隙に交易の要所を占めていたイスラエルが中継貿易で莫大な富を集めた。
実際にはソロモンの王国は父のダビデ王の頃よりかなり面積は縮小していた。
各世紀ごとに大国トップを決めると面白そう。
二十世紀:米国
十九世紀:英国
・
・
・
それはいわゆるパックス・***で片付いてしまうのではないか。
パックス・ロマーナ、パックス・イスラミカ、パックス・ブリタニカ、パックス・アメリカーナ…。
231 :
世界@名無史さん:02/11/16 08:19
>>229 18世紀・・・清 17世紀・・・オスマン帝国 16世紀・・オスマン帝国
15世紀・・・明 14世紀・・・ティムール帝国 13世紀・・・モンゴル帝国
12世紀・・・金 11世紀・・・セルジューク朝 10世紀・・・遼
9世紀・・・アッバース朝 8世紀・・・アッバース朝 7世紀・・・唐
6世紀・・・(東)ローマ帝国(orササン朝) 5世紀・・・ローマ帝国
4世紀・・・ローマ帝国 3世紀・・・ローマ帝国 2世紀・・・ローマ帝国
1世紀・・・ローマ帝国 前1世紀・・・漢(orローマ) 前2世紀・・・漢
前3世紀・・・秦 前4世紀・・・アレクサンドロス帝国 前5世紀・・・アケメネス朝
前6世紀・・・アケメネス朝
ここまでにしとく。
>>230 パクス・ソヴィエチカ、パクス・タターリカ、パクス・トクガワーナ…。
233 :
世界@名無史さん:02/11/16 08:27
>>232 >>パクス・タターリカ、
パックスモンゴリカだな。
マンコカパック
!i. i, ! なんと! 明治天皇陛下が
>>2getなされました!
i、_ __,,,-- 、 \ ! おまえら全員ひれ伏してください。おながいします。
!、_`'''''-- 、:: :: ,,,,-ー'___,,,,,- 、 i ノ| !
i ~'ー-- 、ヽi. iヽ __,,-'___,,,,,,,,__ i /`i.i.! 帝ハ神ナリ。帝ハ神ナリ。帝ハ神ナリ。帝ハ神ナリ。帝ハ神ナリ。帝ハ神ナリ。
i<"弋~゙゙>.i゙ .:゙:::゙<´弋~ノ,-''´ i ! i. i.i!
i `'ー゙'´´.,i :::::: `'ー''゙´ .::;ヽ! i ノ i
>>1た垣 退助 お前の命に価値なんかねーよ。自由>∞>お前の命(藁
i i ::::: :::::::.. .::;;;;;;;;;゙i,゙i i
>>3条 実美 お前のようなヘタレが本当に太政大臣なのか?(w
.i, ,;i :_,,::::. ::::::.. ;;;;;;;;;;;!,,,,,,/. 大隈
>>4げ信 てめーの作った大学、お前並にDQNだな(プッ
. i i. ヽ:: ::::. ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,i 西
>>5う 隆盛 ガキみたいな喧嘩ごときで下野してんじゃねーよ。(笑
i. ヽi!i,__i!!!''゙ ::;;;;;;;::::::;;;;;;;;;;;,i 伊藤 ひ
>>6文 おいおい、チョンごときに暗殺されんなよ(禿藁)
i / ,-、 `'-,, ::::;;;;;;;;;;,i
>>7か江 兆民 アル中で議員やめて、その後の事業ことごとく失敗(プッ
i/ /"''"ヽ `'-, :::::;;;;;;;;;;i
>>8ま県 有朋 維新早々、いきなり汚職事件おこしてんじゃねーよ(藁
/__,,-'´-,,____,,-`'-,,___\ ....:::::;;;;;;;/ 大
>>9保 利通 征韓論に反対したくせに征台するのかよ、おえでてーな(w
 ̄ ゙i, / ゙i,  ̄ ,;;;;-' 江
>>10 新平 大久保ごときに惨敗すんなんて、お前ホント雑魚だな(笑
236 :
世界@名無史さん:02/11/17 14:04
各世紀ごとに大国トップと、その国の対抗馬を決めると面白そう
237 :
世界@名無史さん:02/11/17 15:29
ロシア帝国文化
特に文学と音楽では世界中に影響を与えた
238 :
世界@名無史さん:02/11/17 22:49
22世紀…韓国
23世紀…朝鮮
24世紀…朝鮮
25世紀…朝鮮連邦
26世紀…朝鮮連邦
27世紀…朝鮮惑星連邦
28世紀…朝鮮銀河連邦
29世紀…朝鮮銀河連邦
30世紀…スペース朝鮮
>238
キムチの消費量?
242 :
世界@名無史さん:02/11/18 06:04
>>238 31世紀には朝鮮銀河共和国と大韓宇宙民国に分裂しています。
それも原因はチョッパ(中略)謝罪と賠償を(以下略)
243 :
世界@名無史さん:02/11/18 13:51
凄い国 次に凄い国
20世紀 アメリカ ソ連
19世紀 イギリス フランス
18世紀 清 イギリス
17世紀 オランダ オスマン帝国
16世紀 スペイン・ポルトガル オスマン帝国
15世紀 明 ティムール帝国
14世紀 マルムーク朝 明
13世紀 モンゴル なし
こんなかんじ?
244 :
■中国の歴史人物を登場させよう!その弐【改】■の1:02/11/20 20:21
>228さん
ありがとうございます(^^)
勉強になりました。
栄華を極めたソロモン王も、晩年は随分悪政を敷いたらしいですね。
この人、魔術とか埋蔵金とかカルトな話題が持ち上がるのは
それだけ経済的な隆盛が凄かったんだろうなあ
245 :
世界@名無史さん:02/11/24 14:21
moge
246 :
世界@名無史さん:02/11/24 16:17
日本って今も昔もずっと6位くらいに位置してそうだな。
247 :
世界@名無史さん:02/11/25 10:46
248 :
世界@名無史さん:02/11/25 11:43
日本は別にトップになくてもいいな。
時折、パッとでかい花火をやって世界を驚かせるぐらいでいい。
そんな民族性だから。
249 :
世界@名無史さん:02/11/25 11:58
20c後半の日本は17cの蘭みたいなもんで、加工と中継(海運)貿易
の違いはあるけど、軍事的に強くは無いが「重要国家」って事になるのでは。
蘭が、クロムウェルに海上封鎖(航海法)されて衰退していったみたいに、
バブルが弾けて、アメリカがそっぽ向いたら同じ運命だったりして。冷戦も
終わったし、北があぽーんしたら当面の脅威も無くなるし・・・。
250 :
世界@名無史さん:02/11/25 12:07
20世紀前半はドイツの時代ではないのか?
251 :
世界@名無史さん:02/11/25 14:08
>>248 中国と台湾があるだろ。
>>250 確かに大暴れはしたけどね。
どうみたってアメリカの時代
全てにおいて他国を圧倒していた。
1920年代が全盛期と見る。
252 :
世界@名無史さん:02/11/25 14:12
まあBC2世紀の地中海世界に例えてみると
アメリカ=ローマ
ドイツ=マケドニア
その他のヨーロッパ=ギリシア世界
てことですかね。ドイツは確かにその地域では覇権を手にしたけど、
アメリカはレベルそのものがまったく違うってことで。
254 :
世界@名無史さん:02/12/04 01:33
19C末に「イギリスの次」を争ったのが米と独。
結果、2位の仏は没落。露が2位に付ける。
255 :
世界@名無史さん:02/12/04 13:02
凄い国 次に凄い国
21世紀 アメリカ 中国?
20世紀 アメリカ ソ連
19世紀 イギリス フランス
18世紀 清 イギリス
17世紀 オランダ オスマン帝国
16世紀 スペイン・ポルトガル オスマン帝国
15世紀 明 ティムール帝国
14世紀 マルムーク朝 明
13世紀 モンゴル なし
こんなかんじ?
256 :
世界@名無史さん:02/12/26 14:49
よっしゃーage
257 :
世界@名無史さん:02/12/26 15:32
21世紀はあと97年ある。アメリカがあと97年も繁栄すると言うのはわからんぞー。
日本と中国が組めばアメリカと喧嘩できるんだが・・・
258 :
Empire:02/12/26 17:13
大英帝国がすごかったと思う。19世紀末には世界の1/4を手中に収めていた
んだから。
ダイエーホークスの王朝はすげぇよ
260 :
Empire:02/12/26 17:21
うまい!ナイス!
261 :
世界@名無史さん:02/12/26 17:39
大日本帝国とか大韓民国とかグレーチブリテンとか自分で「大」とか言って
んから没落すんだよ。ずうずうしい。
262 :
世界@名無史さん:02/12/26 17:40
大和銀行もボツラーク
263 :
世界@名無史さん:02/12/26 17:56
ダイ、ダイ、ダイ、ダイ、ダイナマン
だい、だい、だい、だい、大爆発だぁ〜♪
264 :
世界@名無史さん:02/12/26 18:10
大・変・身!!(仮面ライダーX)
265 :
世界@名無史さん:02/12/26 18:54
>>262 大和銀行は国内に絞ったおかげで経営がいい感じに動いてないか?
やはり不要な植民地はさっさと手放すに限るな。
266 :
世界@名無史さん:02/12/26 19:24
>>42 遅レスですが、白人入植前のオーストラリアには、狩猟採取を生業とするア
ボリジニーが住んでいました。なんでも産児制限を行っていたとかで、広大
な土地に人口は少なく、食料も豊富で労働時間はすくなく、のんびりと暮ら
していたようです。部族単位の社会で、国家はありませんでした。
ビクトリア朝時代のイギリス庶民より生活水準は上だったとか。
>>266 つか、ビクトリア朝のイギリス庶民があまりにも悲惨すぎたというのが正解かと。
268 :
世界@名無史さん:02/12/28 18:42
>>257 ロシアの方がいいな
あいつらきっと5000万くらい兵出すぞ
269 :
世界@名無史さん:02/12/29 06:17
大阪も没落
270 :
世界@名無史さん:02/12/29 09:12
ベトナム、アメリカに圧勝したから。
271 :
世界@名無史さん:02/12/29 09:24
>>270 じゃあそのベトナムを征服した秦が最強ということになってしまうぞ
それ以前に圧勝か?
戦略的には圧勝だろ。
274 :
世界@名無史さん:03/01/02 22:34
ムガル帝国はどうよ?
アクバルからアウラングゼーブの前期
までは結構いけると思うのですが
275 :
世界@名無史さん:03/01/04 08:46
アウラングゼーブDQNだろ。功績なんて領土広げただけだ。
>275
あの墓はどうよ?
うーむ、文化的には少なくともアクバル以降の前期は成熟していると思うんだけど。
ただイメージ的にチムールの二番煎じという気がしてしまう。
278 :
大朝鮮帝国を忘れるな:03/01/04 15:27
古朝鮮の領土は北はバイカル湖から南は揚子江まで、西
はモンゴル砂漠から東は日本にいたる広大なものだった。
紀元前9000年前、束夷族である桓因はパミール高原の
下に桓国を立て、その後バイカル湖の付近に移った。紀元
前7000年前に韓国人の祖先はバイカル湖付近から分か
れ、世界各地に散らばっていった。
紀元前4500年には中国東北部に紅山文明ひいては黄
江文明を打ち立てた。紀元前3500年頃には西に向かつ
た一部が、メソポタミア一帯にシュメール文明を築き、紀
元前2700年ごろには中国南部に進出した一部がチベッ
トまで征服し、8O0年問統治した。また西に向かった一
部はフィンランドの北側に定着し、東北に向かつた一部は
べーリング海を渡つてアメりカに入りインディアンの祖先
になったという。東に向かつた一部はサハリンを伝って日
本列島に入り、日本に定者し、これが「倭」の祖先となっ
た。紀元前2173年には朝鮮族は海を渡ってこの「倭」を征
伐した。よって日本族の94%は我が同族〈朝鮮族〉であ
る。
====アジアの覇者====
ロシアはユーラシア大陸北部の覇者。
モンゴル、ジュンガル、チベットを呑み込んだ清朝がアジア大陸東部の覇者。
ネルチンスク条約1689とキャフタ条約1727がアジア大陸東部覇者と
ユーラシア大陸北部覇者の境界。
イギリスの「チベット」侵攻以前の「チベット」法王ダライラマの
全盛権勢は在露ラマ教信奉者までにおよび、元帝、清帝を
跪かせるまでに至る。
イギリスのインド洋制覇以降、イギリスがアジアの清露争覇戦に
参入することになる。結果、イギリスは清朝をイギリス威圧下に
おくことに成功、以降、清朝はイギリスの東アジア対露戦略の
緩衝地帯と化す。
しかし日清朝鮮半島争奪戦に勝利した日本がアジア争覇戦に
参入、ロシアがこれに対抗して満州を制圧するも、
日本は南満州からロシアを追い、東アジアの日本覇権が確立する。
(^^)