>>866-873 この議論では「自称」に限定して事例を提示したほうが、より説得力ある
かと。
1911年に四川省の成都で清朝権力を排除して成立した共和主義者の地方政権
「大漢蜀軍政府」、
>>628では、新共和国の国号に関して、いまだコンセンサ
スが成立していない証拠として提示したが、この事例は「横れすヨタちゃん」
への反証としても使える。
「大漢蜀軍政府」 とは、
「大漢」国の、「蜀」地方の「軍による臨時政府」という意味の呼称である。
この政権は、中国の総称として「大漢」を採用している。
(ちなみに蜀とは四川地方の別称)
すなわち「漢」という「王朝名が他の王朝名を包括する概念に発展し」た例だな。
>>884-885 そろそろ潮時でしょうな。
20世紀初頭、中国の政治状況は、
1.清朝が持ち直して延命し、「大清」がこの国の通時的な呼称となる可能性
もあったし、
2.中国革命同盟会の理論家たちが「中国」「中華」ではなく「支那」を採用
する可能性もあったし、
3.反清蜂起を成功させた各地の地方政権が一致してより強力に要請していた
なら、「大漢」またはその他の呼称が国号になっていた可能性もあった
のである。
すなわち、中国人の間で
中国の観念が現行の形で確立され、その観念に「中国」「中華」の呼称が与えられたこと
すなわち
中国が中国の意味になった
のは、
1911年の清朝の崩壊、新共和国による国家の正式呼称としての「採用の結果」
である。
この「採用」を行ったのは、日本語経由で「自国の概念」や「その呼称」を確
立してきた日本への留学・滞在経験者たちであり、したがって岡田による「中
国という観念に関する既述」(
>>813-814に部分的引用あり)には、基本的に誤
りはないといえる。
ヨタ:岡田のいう「中国という意味の中国」の用例は「清国人が留学する」
遙か以前の古い用例がある。よって日本語起源というのは「ヨタ」。
アンチヨタ:「中国が中国の意味」として中国人全体の共通認識になったの
は辛亥革命以降に国家の正式呼称に採用されたことによる。
この採用をおこなった共和革命の担い手たちは新国家についての観念や
呼称を日本語経由で構築したものたちであり、従って「ヨタ」説は誤り。
ヨタとアンチヨタのそれぞれの見解のポイントとなっているのは、
「中国が中国の意味になる」の解釈の違いかな。
そういう意味の言葉の成立と解釈し、より古い用例をあげることで反証たり
うると考えるのがヨタ。
中国人の間で自国の観念や呼称としての共通認識が成立することと解釈し、
岡田の記述は、そんな共通認識の成立過程に沿っている、とするのがアン
チヨタ。
間違ってたら訂正してくれ。
>>888 こっちの方の要約は、それでバッチリだよ。
うーむ。
それなら逆に、「中国」が「外国」というものの存在を認めたのが、何時からなのかが判ればよいのでは?
(中華思想的考えならば、「中国」=「世界の首都、中心地」のような意味だったと聞いたが。)
ロシアとの条約でも「国境」の意味が理解できていなかったと聞いたが?>清国側
昔の日本人は、日本は日本の天下、唐土は唐土の天下、と分けていたみたいだけど。
ドシロートが口出ししてスマソ。
中華思想に基づく冊封・朝貢関係にかわって「国際法にもとづく外交関係」が
東アジアに持ち込まれ、清朝政府が「外国」というものの存在を認めざるを得
なくなったのは1840年以降、ということははっきりしているが、
中国人一般が中国を「単なる世界の中のひとつの国」として観念する
ようになったのは、それよりカナーリ後。
> 中国人一般が中国を「単なる世界の中のひとつの国」として観念するようになったのは、
> それよりカナーリ後。
太平天国の「奉天討胡の檄」にいう「中国」が、「単なる世界の中のひとつの国」という意味
で用いられたかどうか疑問。
「外から来た野蛮人(=清朝)」に対する「文明地帯」という、宋学にもあるような、伝統的中
華思想による呼称にすぎないとも解釈できる。
「漢人国家」という観念があった証拠とするには弱い。
893 :
世界@名無史さん:03/10/25 01:51
>888
>中国人の間で自国の観念や呼称としての共通認識が成立することと解釈し、
それはあんちヨタ氏のみならずヨタ氏も共有している解釈ではないのか?
彼のコメントを待たなければならないだろうが。
>892
>太平天国の「奉天討胡の檄」にいう「中国」が、「単なる世界の中のひとつの国」という意味
で用いられたかどうか疑問。
自国至上主義の発想に基づいた自称の国名なんて
「単なる世界の中のひとつの国」の認識と矛盾するものではない。
中華思想の建前に騙されちゃ駄目だよ。
世界には中国王朝の冊封・朝貢関係によって統合されない王朝が
ヨーロッパや日本などに多数存在することは、
遅くとも明朝末期には民間レベルでも知れ渡っていたこと。
未だ邦訳はないけど明代の長編白話小説『三宝太監西洋記』では、
そんな国々を鄭和率いる艦隊が成敗してまわってるシナ。
894 :
世界@名無史さん:03/10/25 05:40
>>881 君はどうして岡田の文章に「ついて」議論しないのかな。
私が「ヨタ」と言っているのはとりあえずあの文章に「ついて」だけなのだが。
>中国人の間で「中国が中国の意味になった」のは、
> 漢人共和主義者が自国の国号として採用し、
> 政権を握り、
> 新共和国の国号として採用した
>ことによる。
その三つの事象はいずれも岡田の文章の範囲外だ。岡田が言っているのは
留学生たちが(岡田によれば)日本語の「支那」を「中国」と翻訳した、
その時点まで。その時点ですでに(岡田によれば)「中国」が中国の意味になったのだ。
「〜して以降のことだ」というのはその時点で現に起こった事象が以後にわたって
「持続した」という意味。
素人相手の文章なのだから深遠な解釈をしてはいけない。
895 :
世界@名無史さん:03/10/25 05:44
君の言うことによれば「中国が中国という意味になったのは」というのは
「中国が中華民国になったのは」あるいは「近代国家になったのは」という
意味だ、と受け取れるが、岡田があの文章のどこでそんなことを言っているの?
岡田は日本語の「支那」を中国と翻訳した、と言っているのだから、その
翻訳語は元の言葉、すなわち「支那」と同じ意味でなければならない。
日清戦争直後の日本語の「支那」に「中華民国」とか「近代国家」とか
言う意味があったのかな?
だいたい岡田じしんがそんな難しい意味を含めていないから、日清修好条規の「中国」
について質問されると、それが新聞に書いた素人だましの説と抵触することを意識する。
だからこそ「ああ、それは中華民国による改竄ですね。「中国」がむかしから
あった、と思わせるために改竄するのです」なんて言うのだ。
日清修好条規の「中国」については改竄説のほうが君の説よりもよほどわかりやすいし、
なんでも直裁に言い切る岡田流にかなっている。
戦前の弱体中華民国が、どうやって日本の外務省に侵入して文書を改竄したか、
という疑問を除けばね。
896 :
世界@名無史さん:03/10/25 20:50
>>892 >「漢人国家」という観念があった証拠とするには弱い。
満洲人を「中国」の地から追い出そう、という檄だよ。
そして「中国には中国の形象あり」というのは漢人の伝統のことを
言っているのだから、そうやって作られるべき國(想像上の)は
自動的に「漢人国家」ということになる。
ようするに岡田の書いたことはペケ。
アンチヨタのいうことはそれなりの理がある。
ということでいいですか。
898 :
世界@名無史さん:03/10/25 22:12
ネルチンスク条約の交渉の際に清側は「ザバイカルの全域」を要求したらしいが
これってホント?
さしあたってこの時は外興安嶺付近についてしかとりきめなかったため
後にロシア人につけいれられることになったとか。
>満洲人を「中国」の地から追い出そう、という檄だよ。
だから、その「中国」は、単なる「文明地帯」という意味の旧来の観念による
呼称だ、っていってんだが。
>「中国には中国の形象あり」というのは漢人の伝統のことを言っている
そう。中華思想は、漢人の風俗習慣を「礼」と名付け、「文明」と「野蛮」を
区別する基準とした。連中は、自分たちの風俗習慣を、単に「漢人の風俗習慣」
とみなしていたのではなく、「文明人を識別する基準」とみなしていたのだ。
>のだから、そうやって作られるべき國(想像上の)は自動的に「漢人国
>家」ということになる。
なにが「自動的(藁」なのやら。
文明地帯と文明人が野蛮人に支配されているのはけしからん、といっているだ
けで、太平天国が「漢人国家」と自己規定していた証拠には全くなっていな
いぞ。
むろん「世界諸国のひとつとしての中国」という観念が芽生えていた証拠もない。
現に、太平天国が南京を取ったあと接触してきた列強諸国に対しては、「敵対
していない野蛮人」という、旧弊な中華思想的態度で応対したものだから、列
強諸国はあきれかえり、国家承認はおろか「交戦団体」としての認定すら受け
ることができなかった。
>>893 ヨタに岡田のいう「中国という観念」の成立がわかっているとは思えない。
中国人に自国が「単なる世界の諸国のひとつ」という自国認識が生じたのは、
中国が列強諸国に連敗に連敗を重ね、屈辱的な条約をいくつも締結するという
現実の前に、「文明の源泉」という主観的な自己認識・世界認識が破綻せざる
をえなくなった結果として、なわけだが、
ヨタは「中国という観念」と「中国という言葉」が等値できる頭脳の持ち主な
ので、上記のような経緯はどうでもよく、だから「中国」の古い用例を上げさ
えすれば事足りる、と思っていることがヨタのあげる用例から読みとることが
できる。
>>897 ヨタが「ヨタ」とか「ウソツキ」と評価しているのは、岡田の言説そのものではなく、「中国という観念」を「中国という言葉」に等値する「歪曲フィルター」を通して変形した産物に対してである。
だからヨタと同種のフィルターの持ち主にとっては「ペケ」、
通常の認識力の持ち主にとっては「ペケ」ではない、ということになる。
901 :
あんちヨタ:03/10/26 19:15
>君はどうして岡田の文章に「ついて」議論しないのかな。
>私が「ヨタ」と言っているのはとりあえずあの文章に「ついて」だけなのだが。
岡田が「日本語起源」だという「中国という観念」の成立について、
延々と説明してやっているんだが、君には見えないのかな、その文面が。
その作業を通じて、他の読者は「岡田の文章」の主旨が事実に即していることを理解している。君にはムリのようだが。
>その三つの事象はいずれも岡田の文章の範囲外だ。
いや、中国において現行の「中国という観念」が成立するプロセスを示したものである。
>素人相手の文章だから、深遠な解釈をしてはいけない。
高校生程度の読解力があるなら、わかるようにまとめているよ。
君にとって「深遠」すぎたということはわかったが。
902 :
あんちヨタ:03/10/26 19:17
> 君の言うことによれば「中国が中国という意味になったのは」というのは
>「中国が中華民国になったのは」あるいは「近代国家になったのは」という
> 意味だ、と受け取れるが、
ちがうな。
岡田のいう「中国が中国という意味になった」とは、
中国において『現行の「中国という観念」』が成立すること、
中国人たちの間で『現行の「中国という観念」』が共通認識として確立されること
と指摘している。
> 岡田は日本語の「支那」を中国と翻訳した、と言っているのだから、その
> 翻訳語は元の言葉、すなわち「支那」と同じ意味でなければならない。
岡田がいっているのは、「中国という観念」が成立するにあたっては、日本語の「支
那」が「中国に翻訳された」という主旨だぞ。自分で引用した
>>814をもう一度よく
読め。
そして、すでに説明してやったとおり、漢人共和主義者の国体と国号に関する議論に
おいては、「支那」と「中国」が漢人国家という概念を著す呼称として等価で使用さ
れた時期があったのは紛れもない事実である。
903 :
あんちヨタ:03/10/26 19:18
民報には、章太炎が「中華民国解」を書いた同じ号やその前後に、日本人支持者から
「支那革命党に問ふ」「支那革命党に問ふに答ふ」などの文章が掲載されており、中
国人革命家と日本人が、リアルタイムで「支那」という概念を共有している場面をみ
ることができる。
ところで、太平天国の思想家で、中国革命同盟会に合流した者をあげることはできな
いのかね?
このような漢人共和主義者たちの「中国という観念」は、前述のごとく、太平天国と
はまったく断絶して、日清戦争以降に清国人留学生が日本を舞台に様々な改革思想を
吟味選択する中から徐々に形成されていったもので、しかも政権をとったのを契機と
して、さらなる大変化をとげている。
いずれにせよ、「中国という観念」が現行の形で形成されるプロセスの過程に「日本
語の支那」観念を翻訳導入するという段階が含まれているのであるから、
>日清戦争直後の日本語の「支那」に「中華民国」とか「近代国家」とか言う意味
があるかどうかなど、問題ではない。
904 :
あんちヨタ:03/10/26 19:21
訂正 。。。。。
日本人支持者からの「支那革命党に問ふ」、その回答「支那革命党に問ふに答ふ」
905 :
あんちヨタ:03/10/26 19:35
>ヨーロッパや日本などに多数存在することは、
>遅くとも明朝末期には民間レベルでも知れ渡っていたこと。
単に様々な「蛮夷」がいたと認識していただけだろ。
ヨタちゃんのいう、「漢人国家」という概念の
>「中国」が民衆の間で用いられ、理解された
という証拠はまーだかなー。
「蛮夷」の諸国と「中国」が国際法上の権利行使主体として、対等・平等の一国である、
という認識が、1840年以前の中国、それも政府当局じゃなく民間に行き渡っていたなどとは、とても考えられない。
>>899 でもつっこみが入っていたがたんなる「文明地帯」という意味の「中国」を、
君が勝手に「自動的に」「漢人国家」として識別した事例は却下だからな。
906 :
世界@名無史さん:03/10/26 22:19
>>900 >ヨタが「ヨタ」とか「ウソツキ」と評価しているのは、岡田の言説そのもの
>ではなく、「中国という観念」を「中国という言葉」に等値する「歪曲フィルター」>を通して変形した産物に対してである。
せっかく私がヒントを与えているのに、まだそんなつまらんことを言っているの?
「観念」と「言葉」は表裏一体のものだ。「観念」は「言葉」をもってしか
表せないのだ。現に「中国という観念」という表現にしてからが、無形の脳内
現象である「観念」を中国という「言葉」で表しているではないか。
況や私は「中国という意味の中国という言葉は・・・日本語起源だ」と書いて、
「中国」が一定の「観念」を表す「言葉」であることを示している。
だから私の:
「中国という意味の中国という言葉は清国人留学生が日本語の支那を翻訳して
できたのだから日本語起源だ」
というのは文句のない要約なのだ。
つまらないことにしがみついているとそれしかないのかと思われるよ。
907 :
世界@名無史さん:03/10/26 22:22
>>899 岡田の文章に「ついて」議論しているのだから岡田の文章に「即して」
議論しよう。
岡田は引用した文章の中で、「中国」の意味を二つのグループに分けて、それぞれ
次のような言葉で表している。
<グループ1>
「中央の都市」「首都」「華北の都市化した地帯」
<グループ2>
「中国という意味の「中国」」(「中国」が中国の意味になったのは・・)
「支那」(中国と翻訳された元の言葉として)
「個々の王朝とは別の国名」(支那の用法として)
「漢とか唐とかいう王朝の時代を超えた、中国という観念」
さて、太平天国の「奉天討胡檄」に用いられた「中国」は岡田の文章に「即して」
言えば、上記のうちどれに相当するのかな?
>>906は、892宛だし、すでに論破した中身だから放置。
>>907 当方の要約では、岡田による中国概念の発展過程は、次のように整理できる。
1.「はじめ」→ 中国」は中央の都市、すなわち「首都」の意味だった。
2.「のちに」→ のちに「天下」の一部の、華北の都市化した地帯
3.「清国人留学生たちが日本語の「支那」を「中国」と訳してから
→ 「中国という意味の「中国」」
江南地方はながらくタイ系諸民族の地で、漢人にとってはながく蛮夷の地であ
り、華北のみが「中国」と観念された時期がながく続いたが、北宋〜南宋期に
いたり、漸く開発・漢南がすすみ、南宋期には「天下」の南半と認識されるに
いたる。すなわち、中華思想にいう「文明地帯」という意味の中国が、この時
期には華中・華南をも包摂するようになる。
岡田による「中国」観念の発展段階では、2.3の間に入るべきこの過程が抜け
ている。すでに評価した「舌足らずな部分」がこれである。
ただし、実際には岡田はちゃんと既述しているのに、ヨタちゃんが、引用文の
前後や(中略)の部分でカットしている可能性もあるので、最終的な判断は保
留。
さて、君の問いの
太平天国の「奉天討胡檄」に用いられた「中国」であるが、すでに892のツッ
コミによって明らかないように、岡田のいう3にはまったく該当しない。
最初は華北だけを差し、後に華中・華南も加えた、
>>899にいう「単なる文明地
帯」の意味の「中国」を指すものといえよう。
909 :
あんちヨタ:03/10/26 22:56
ところで、太平天国の運動家・思想家で、中国革命同盟会に合流した者の紹介
はまーだかなー?
ヨタちゃんのいう、「漢人国家」という概念の
>「中国」が民衆の間で用いられ、理解された
という証拠はまーだかなー。
紹介まってるよん。
910 :
あんちヨタ:03/10/26 23:01
911 :
世界@名無史さん:03/10/26 23:54
「中国」が漢人によって自国と峻別された意味合いで
他国の呼称に用いられた具体的事例を指摘できなければ、
漢人にとってたんなる「文明地帯」という意味であったという事を実証できないのでは?
「日本」に関してはこの点の疑問について誰でも意見の一致をみるだろうけど、
それは上記の実証過程で反証されるからだ。
通時的な意味を持つ自国の美称として歴代に渡り、
民衆はどうであったか確証は無くとも
知識人たちの共通語彙としては確実に用いられてきたから、
仏教経典以外の紙の上にも残ってきた。
第一、自国のみを「文明地帯」とみなすのは他の民族集団でもあった現象だったのを忘れるな。
ついでに論議の焦点とは逸れてしまう話題だが、
自国以外はみな野蛮国家で対等平等の一国ではない、という認識なんぞ欠けていても、
事実認識として自国以外に多数の国家が存在するのを認める立場とは矛盾しない。
それがあるべき姿かどうかの価値判断とは別個にね。
当方は両氏ほど該博な知識は持ち合わせてないが、
どちらが詭弁を弄しているかは分かるよ。
912 :
世界@名無史さん:03/10/26 23:55
>>894 >岡田が言っているのは
留学生たちが(岡田によれば)日本語の「支那」を「中国」と翻訳した、
その時点まで。その時点ですでに(岡田によれば)「中国」が中国の意味になったのだ。
「〜して以降のことだ」というのはその時点で現に起こった事象が以後にわたって
「持続した」という意味。
あんちヨタ氏による岡田説の拡大解釈によって現行の中国という観念と呼名と共通理解とが
日本語経由で構築されていく過程なんたらかんたらの精緻な雄弁以前に、
このヨタ氏のレスで議論の本質が言い尽くされていることは高校生レベルの日本語読解力があれば理解できるよ。
>>895 >だいたい岡田じしんがそんな難しい意味を含めていないから、日清修好条規の「中国」
について質問されると、それが新聞に書いた素人だましの説と抵触することを意識する。
だからこそ「ああ、それは中華民国による改竄ですね。「中国」がむかしから
あった、と思わせるために改竄するのです」なんて言うのだ。
日清修好条規の「中国」については改竄説のほうが君の説よりもよほどわかりやすいし、
なんでも直裁に言い切る岡田流にかなっている。
戦前の弱体中華民国が、どうやって日本の外務省に侵入して文書を改竄したか、
という疑問を除けばね。
あんちヨタ氏が岡田氏の所説をデッチあげて「中国が中国という意味になった」を拡大解釈して
十分に理解できるレスだから、彼はスルーするのだろうか。
913 :
世界@名無史さん:03/10/27 00:00
912の訂正
>あんちヨタ氏が岡田氏の所説をデッチあげて「中国が中国という意味になった」を拡大解釈して
ではなく
>あんちヨタ氏が岡田氏の所説をデッチあげて「中国が中国という意味になった」を拡大解釈したことが
しかし院生Bと院生Cは両方ともHN変えたあげく
言語論争から岡田論争になっても仲と頭が悪いんだな。
そもそも相手の主張を読む気がお互いにないんだからそりゃ平行線だろ
916 :
世界@名無史さん:03/10/27 21:32
>>907 >岡田による「中国」観念の発展段階では、2.3の間に入るべきこの過程が抜け
>ている。すでに評価した「舌足らずな部分」がこれである。
なぜ抜けているのか、考えてみることだな。
>ただし、実際には岡田はちゃんと既述しているのに、ヨタちゃんが、引用文の
>前後や(中略)の部分でカットしている可能性もあるので、最終的な判断は保留。
いい加減なことを言ってはいけない。私が最初に引用したときは(中略)が
あるのに気付いて直ちに補充した。誰かが「岡田は日本語起源とは言っていない」
というので再引用したときは(中略)はない。君はそれを知っているはずだ。
私の引用した部分より前には次のような前文があるだけ。
「明治の日本人は、新しい国語の開発を1894−95年の日清戦争までに、ほぼ
完了していた、この新しい日本語の語彙と文体は、おもに英語を基礎として、フラ
ンス語やドイツ語加羅も直訳して作ったものだった。その翻訳の際、やまとことば
では長たらしくなって不便なので、ほとんどの語彙は漢字を組み合わせて作り出さ
れた。こうした漢字の組み合わせは中国の古典にはないか、あっても意味が違う
ものだった。「国家」も「国民」も日本人がこうして19世紀に新しく作り出した
術語だった。」
引用部分の後は「日本語化した漢文」という表題で中国語の日本語化の話になる
ので、「中国」とはさしあたり関係ない。
さて、情報を提供したところで君の「最終的な判断」は?
917 :
世界@名無史さん:03/10/27 21:38
>>909 >ところで、太平天国の運動家・思想家で、中国革命同盟会に合流した者の紹介
>はまーだかなー?
そんなのは君が勝手に言っていることで、私の知ったことではない。だいたい
君は最初は洪秀全の用いた「中国の用法」が断絶した、と言ったのだ。
それに対して私は「言葉が簡単に断絶するのか?」と言っているわけ。
現に太平天国は滅びても「太平天国」という言葉は残ったではないか。
>「漢人国家」という概念の
> >「中国」が民衆の間で用いられ、理解された
>という証拠はまーだかなー。
洪秀全は「中国」という言葉を民衆に啓蒙かたがた、兵を募ったのではない、
ということ。
「中国」が一般に用いられ、その意味を民衆が知っている→それを言えば
民族意識を刺激できることをアジテーターが認識している→宣伝のキーワード
に使う、という順序であって、その逆ではない。
だから「奉天討胡檄」そのものが用例であり、証拠なのだ。
また洪秀全じしんも、「官」ではないという意味では民衆の一人であることを
忘れてはいけない。
918 :
世界@名無史さん:03/10/28 10:48
>>916 訂正
誤:ドイツ語加羅も
正:ドイツ語からも
>>914 おれは知らんとゆーておろーが。
名無しでチャチャを入れたことはあるが。
920 :
世界@名無史さん:03/10/28 14:38
清朝の軍事力って最盛期の乾隆帝の時でもビルマに3度も敗北するくらい弱かったらしい(プゲラ
でもビルマって清に朝貢してたんでそ。
923 :
世界@名無史さん:03/10/29 01:37
>>920 ビルマは結構強いんだよ。タイに何度も攻め込んでいるしね。
>>922 後輩院生をスポイルして潰す君に比べたら、ごくささやかなイタズラ
にすぎんよ。ここでチョコチョコっと熱い討論を観察するくらい。
あれれ、いきなり議論終了かよ。
この調子で1000まで逝くと思っていたのに。
927 :
世界@名無史さん:03/10/31 15:05
自称「あんちヨタ」という岡田教信者くんは沈黙してしまったので、
いちおう区切りをつけておこう。
信者くんは
>岡田による「中国」観念の発展段階では、2.3の間に入るべきこの過程が抜け
>ている。すでに評価した「舌足らずな部分」がこれである。
と言って古典以後、日清戦争以前の「中国」の欠落を認めたが、教祖がそれを
落とすはずはないという思いから、
>ただし、実際には岡田はちゃんと既述しているのに、ヨタちゃんが、引用文の
>前後や(中略)の部分でカットしている可能性もあるので、最終的な判断は保留。
と言って実際は欠落していないという望みをつなぎ、はては私が隠しているの
では無いかとあらぬ疑いをかけたりした。
しかしまさにこのことが信者の信者たるゆえんを表している。
928 :
世界@名無史さん:03/10/31 15:12
なぜ欠落しているかは、欠落していない状態を想定してみれば容易にわかる。
たとえば岡田が古典の部分の後に次のような一文を挿入したとしよう。
「その後「中国」は17世紀末以降、清国とロシヤ、英国、日本などとの間の
国際条約に清国の国号として用いられ、また19世紀中葉の太平天国の乱では
「中国には中国の形象(*)有り」と、漢人の民族意識を昂揚するキーワード
として宣伝に用いられたりした。」
(*形象:シンボル、ここでは満洲人の弁髪に対して漢人の特徴たる結髪を言う)
これを読んだ素人たる新聞読者は、上記のような「中国」と、岡田が引用文の
なかで「支那」を介して説明する「個々の王朝の名前とは別の国名」としての
「中国」との区別に頭をひねるだろう。そして岡田の説の中心テーマたる、
「「中国」が中国の意味になったのは清国人留学生たちが日本語の「支那」を
「中国」と訳してからのことだ」という一節が俄然印象がうすくなるばかりか、
なんのことかわからなくなってしまうであろう。
つまり、「古典以後、日清戦争以前の「中国」」が欠落しているのは、岡田が
上記のヨタを言う前提段階なのであり、さらに言えばその欠落もまたヨタの
一部なのである。
信者くんは、欠落を認めながら、教祖への帰依の余り、なぜそれが欠落して
いるかを自分の頭で考えることを抛棄すると言う、信者に一般的な特徴を露呈
したのである。
929 :
世界@名無史さん:03/11/15 19:20
松浦章センセ以外に沿海史メインにやってるセンセっているのでつか?
愛新覚羅溥儀
931 :
ヨタの脳内勝利宣言をさらしアゲ:03/12/17 23:00
.
932 :
世界@名無史さん:03/12/18 02:00
この間のNHKの満漢全席の特集見た人いる?
気取ったゲストばっかで辟易した
933 :
世界@名無史さん:03/12/29 21:26
やっと全部見た。疲れたw
最後の論争は見ていて楽しかった。
岡田のじっちゃんの文章は読みやすい。ただ、粗雑なところもある。それはこっち(読者)が
脳内(藁)で補う場所が何回かあったりする。だから、論争にまで発展するわけだ。
3時間かかったよ、全部読むのに・・・・・。
>>933 お疲れさん。しかし、「最後の論争」って、まだ終わってないんだなぁ、これが。
今はクソ忙しいので当分先になるが、いずれ、「決定版」をUPするので、
無駄な記憶力を誇るヒマ人は、あまり期待せずにまっていてくれい。
それまでは、ヨタの電波な脳内勝利宣言
>>927-928 をとっくりと鑑賞されたし。
ヨタが錦の御旗とヒッシで振りかざしている太平天国の「奉天討胡の
檄」なんて、実際の文面で、「中国」が何と対比されているかをみれ
檄」なんて、ば、ヨタのデタラメぶりはアキラカ。
梁啓超による呼称「中国」の呼称とあわせて、シバラクしたら紹介するよ。
誤・梁啓超による呼称「中国」の呼称
正・梁啓超による呼称「中国」の考証