四大文明以前の世界

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30世界@名無史さん
>>29
まぁ、4大文明とか先史時代とか言うのが19世紀的な概念ですから。
19世紀の概念を持って、
20世紀に判って来た人類史の知見を
系統だてず断片的に齧れば混乱しても当然でしょう。

例えば「先史文明」なんてのは、19世紀的定義だと語義矛盾以外の何物でもないですな。
もちろん20世紀的な概念ならOKなのですが、その場合は、先史時代に高度な文明の叡智がなんて無理矢理なこじつけは不要ななるわけですな。
31世界@名無史さん:02/07/22 16:48
>>29
>四大文明はどの時点を持って文明と認定されたのか。
>と、言うよりも誰が認定したのか。学術的にはすでにタブーに近いだろ。

四大文明のそれぞれが、どうして文明と認定された、その経緯は別にタブーでもなんでもありません。
文明、という概念が19世紀的な意味で用いられたのはそう古くなく、
17〜18世紀のフランスで、です。

中国文明という概念はすでにヨーロッパ人は17世紀に持っていました。
それぞれの地域で古代都市遺跡が発掘されると、古代文明という事が、まず個別に言われるようになりました。

大まかですけど、エジプトは18世紀、メソポタミア、中国、インダスは19世紀の事と思います。
(間違ってるかもしれないけど、調べればすぐわかります)

四大文明ということが言われだしたのは、これら19世紀的意味での文明が単一起源から伝播したのか
多紀元で個別に発生したのか?という議論にともなってのことです。
やはり19世紀〜20世紀初頭の事。
19世紀当時は、専門の学者でも、古代中国の冶金技術や文字はエジプト起源で中国に伝播した、
とか大マジメに論じてた人もいた。

結局、大都市文明の単一起源説は否認されたので、四大文明という言い方が世間に流布したにすぎません。
その後、研究は様々に進み、四大文明はそれぞれの地域に先行した諸文化の交流から生じた
−−各文明圏毎に、あった複数の先行文化圏の交流から生まれた。

内には、メソポタミアとインダスの双方にマージナルに関ったイラン高原の先史文化などもある、
などなどがはっきりして来て「四大文明」という考え方自体、修辞的な意味しかなくなってきたわけです。

「四大文明」という概念には学術的な意味はもはや余りない、余命よくばくもないですね。

古代エーゲ海文明とか長江文明とかいろいろな事が分かって来ている訳ですから、
『マスター・キートン』は少しオーバーにしても、あのフィクションの内で主人公の娘が学校で主張したことの方向性は基本的に間違った認識ではないです。
3229:02/07/23 01:39
おお!
知らんかった。四大文明単一起源説なんていう議論あったんだ。ありがとう>>31

四大文明って資料が比較的多く残っている地域が、わかりやすいところで4つあったから、
どこかのイケてない人が「四大文明だ!」とか恥ずかしげもなく言ってしまったものだと思ってた。
いちおう、「四大」とすることに、かつては学術的意味があったのね。

ちなみに「四大文明はどの時点を持って文明と認定されたのか。」っていう表現は、
現代の人がいつこれらの文明を認定したのかという問いではなくて、
たとえば、エジプト文明に叡智を授けた文明があるならば、
なぜその文明のことはエジプト文明と呼ばないのかという問いから発したものです。
言葉足らずですみません

論文とか読んでいて、たまに文明というものを「ここからここまで」なんて区切ろうとする人がいる。
自分としてはそれが意義のあることとは思えず、
そればかりか現代人の「歴史の連続性を軽視した偏見」の上に
さらに議論を重ねるといった悪循環を繰り返すだけなのではないかと思い、憤りを感じている。
歴史というものに意図的に断絶を生み出すことのように思えてしまうからだ。

ところでこのスレで「文明」という用語を簡単に定義してくれる人はいませんか?
現在、学術的に「文明」とはどう扱われているのか、私にはいまいちつかめていません。
そして、もし可能であれば「文明」について論ずることの意義にも少し光を当ててくれないだろうか?
このスレが私の「文明」に対する偏見を変えてくれることに期待。

あと>>31さん、マスターキートンで主人公の娘が学校で主張したことって、どんな内容?
歴史を勉強するようになる前に読んだことあるけど、忘れてしまった。簡単に説明してほしい。
33世界@名無史さん:02/07/23 13:40
>32
たしか、キートンの娘(百合子)が学校で歴史の授業中に
最古の文明の名前を挙げろと質問されて、
イラン文明やエーゲ文明などの、教科書の載っていない文明の名前を挙げたので、
「いいかげんな事を言うな」と先生ブチ切れ、って話だったと思う。
34世界@名無史さん:02/07/23 15:19
>>32
>ところでこのスレで「文明」という用語を簡単に定義してくれる人はいませんか?
>現在、学術的に「文明」とはどう扱われているのか、私にはいまいちつかめていません。

うーん「文明」の定義は、20世紀の中葉から混乱してて、それだけで学説史のテーマになる。
実際、ルネサンス期フランス史なんかだと「文明概念の変遷」だけで1冊本書いちゃう学者がいるくらい。

「文明」を定義する、と言うのはヘタすると、歴史観と言うか、歴史理解の立場を表明するに等しい事になっちゃうのが現状なんだよな。

大まかな話をすると、
フランスで18世紀頃には、「文明」の概念が一応成り立った。
17世紀に、中国に渡ったイエズス会士が布教に際して、当時の中国社会の秩序にすごく驚いて、西欧に報告してる。
シノワロジーと呼ばれる中国学・中国趣味が盛んだったフランスでもいろいろな議論が起きて、
これがフランスでの文明概念の生成に影響してる、とかって説もある。

で18世紀フランス語の文明は、「成文法を持った都市を基盤にした社会秩序」の意味で。
フランス人は、人類の幸福に普遍的に貢献する、とか言った。
で、どんどんずうずうしくなると、普遍文法とか言い出して、
「人間は論理的な思考を追求するとフランス語を使わざるを得ない」みたいな、たわけた事をぬかした(w)。
(同じ様なタワごとは後にドイツ人もぬかしたが)

この18世紀フランス的「文明」に対抗して、同時代には近隣諸国、特にドイツで「民族固有の文化」みたいな事が言われるようになった。
ヨーロッパ文脈での「カルチャー」は、元はラテン語の「カルト」が語源。
例えば「カルティベイト(≒農耕)」と言うのは「〔荒野に〕宗教的秩序をもたらす」みたいなニュアンスだったんだけど。
ドイツ語文脈の「クルトゥール」と言うのは、日本語文脈で言うと「教養」みたいな概念になった。
これが明治期に翻訳されて、今の日本語の「文明」理解をややこしくしてる。
カルチャー・センターの「カルチャー」は、「教養(≒クルトゥール)」と思えば分かり易い。

で18〜19世紀に、最初の内は宝捜しや博物学的など、ロマン主義的だった考古学が近代的になってくる。
西欧人は聖書とグレコ・ローマン古典に関心が強いから、エジプトとメソポタミアをガンガン発掘調査した。

その内、環境学みたいな考え方が準備されて、イギリスの考古学者G・チャイルドが、歴史学的文明の再定義をした。
チャイルドは偉い人ではあって、「肥沃な三日月地帯」とか「新石器革命」とか言い出した人。
ただ、農耕のメソポタミア単一起源説を唱えたのは、これは歴史的限界としか言いようがないと思う。

チャイルドの定義は有名だけど、
えーと、大都市があって、文字体系があって、成文法があって、高度な宗教や天文学、洗練された芸術があって、冶金技術を持ってて、とか、そういう基準。
(調べれば正確なとこも書けるけど)

まー、チャイルドの文明定義は学問史的な意義はあるんだけど、
「高度な宗教」とか「洗練された芸術」とか主観的な面が多かった。
それから、時間差で中南米の遺跡が調査されると「冶金技術見当たらないよ、これ」「でも、これどうみても文明って感じだよね〜」とか言われ出した(w)。

そうこうしてる内に、チャイルド式の文明概念は、第二次大戦後、2つの方向から決定的な修正を迫られた。1つは、都市社会学、もう1つは文化人類学(民族学)。

都市社会学も文化人類学も、第二次大戦後にものすごく進歩したので、そっちの影響が考古学にも及んできた。
35>>34の続き:02/07/23 15:25
>>32
まず、文明概念と密接に結びついた都市概念の見直し。
西欧人は、昔から、城壁に囲まれてて、成文法を持ってるのが都市、って偏見を持ってて。
中国文明ってのは「都市システムの上に成り立ってるよね」、ってのはすぐ納得した。
が、戦前は例えば、「東京ってのは巨大な村落であって都市ではない」「なぜなら城壁がないから」、とか真面目な顔して言ってた。
これは別に西欧人だけが言ってたわけでなく、日本人の学者も従ってた。

ところが、第一次大戦の頃から工業国として発展したアメリカを二次大戦後の西欧人がみると、
「なんとアメリカの都市と言うのは、城壁がなく、郊外となだらかに続いてる!」(w)
「しかしこれはどうみても都市だ、しょうがないから都市概念を変更しよう」(w)

それから民族学と考古学が共同した分野で(学問の体制ってのは国によって違う、
アメリカでは、普通考古学は人類学≒民族学の一部門と位置づけられてる)
いろいろ研究が進むと、アフリカ東岸のダホメーとか、都市を持ってるのに無文字社会で、成文法がなかった社会とかが幾つか見つかる。
これも再検討課題になった。

一方、文化人類学=民族学ってのは第二次大戦後、欧米の自文化中心主義をすごく批判した。
いろいろな事例を持ち出して、「文化相対論」て言うのをぶち上げた。
これは、「個別の民族の文化と言うのは、それぞれ独自の価値観の上に成り立ってるシステムなので、相互に優劣を考えようとするのは学問的ではない」と言った主張。

これはこれで悪い主張ではないんだが、
「文化人類学」ってのは、(当時までは)比較的孤立して、社会変動が少ない“未開”社会を主な研究対象にしてた。
「文化相対主義」は、文化交流やそれに伴う社会変動を研究するには都合の悪い面もあった。
それで、頭に来た(かどうかはわからんが)、自然人類学者達が「もう、文化と文明を区別するのは止めよう!」とか言い出した。
これが、>>17で紹介した学問的立場。
この立場では、「あらゆる人類の集団は、社会的秩序を持ってる(ヒトは本来群性の生物種)んだから、ヒトの社会集団の秩序システムは全部『文明』って事で一括する!」

これはこれで明快。化石人類の集団から灌漑革命を経る頃までの人類史を整理するにはかなり有効。
ただ、やはり大都市が成立するような社会段階から以降はこの定義だと整理しづらい。

それやこれやで、学問的「文明」概念の再検討は20世紀後半学者さん達の議論のテーマだった。この議論は未だに決着がついていない。
が、考古学と歴史学の分野では、一応の了解事項は成り立ってる。

人によって細かい部分の表現は異なるが、「文明」とはやはり「都市に基づく社会秩序のシステム」
別に成文法を持ってても持ってなくても関係ない。
「都市とは、定常的交易ルートの重要ポイントに築かれた秩序を持った社会的インフラの集合体、なおかつ定住者の人口の内、1次産業以外の従事者の比率が高い物が都市」
別に城壁を持っていようと持っていまいと関係ない。

この定義が成り立つようになってから、
考古学の分野では、例えば「人口500人の新石器時代末の都市遺跡が北海で発見された」とか、
19世紀の学者が聞いたら怒り出すような事が言われうるようになった。

話を戻すと、
「四大文明」ってのは、今では「大都市を築くに至った文明の代表的な四つ」って事にしとけば、丁度いいと思う。
半分冗談だが、半分本気だ、「四大」の「大」は「大都市」の「大」って事で。
36>>34-35の捕捉:02/07/23 15:42
>>考古学と歴史学の分野では、一応の了解事項は成り立ってる。(>>35

ただし、一応の了解であって、決着はまだついていない。
なぜかと言うと、「歴史学」の中には「政治史」「政治思想史」「国際関係史」なども含まれるから。
こららの部門史に関る政治学や、国際関係論では、
やはり「基本的人権を受け入れた国家体制が文明的」って定義(?)や考え方は根強い。
これはこれで意味があるので、単純に否定できない。

日本には「比較文明学会」って学会があって、
最近は、どうかわかんないけど、一時、新刊書店でも入手できる雑誌を季刊くらいのペースで刊行してた。
この学会では、政治学者と、考古学者と人類学者と哲学者が、あーでもないこーでもないと議論してた(w)。

後、ついでに書いとくと、文化人類学の「文化相対主義」の主張。
これは文化人類学の内部自体で「大事な考えだが行き過ぎた主張もまた問題だ」と認められるようになってる。
典型例が、女子割礼や、女性虐待、児童売買の問題、これらを「固有の文化的価値」とは言ってもやはり是正されるべきだろう、と言う話。
37>>34-35の捕捉2:02/07/23 16:05
後、「日本語での『文明』概念の混乱」、これについても簡単に書いとく。
大まかに言えば、明治維新の後、翻訳語としての「文明」と「文化」の関係が混乱してる。

「文明開化」のお陰で、「文明」は「社会秩序」よりは「科学技術」に偏って理解されがちな傾向がある。
この傾向的理解は、ドイツ流の「民族独自の文化(教養)+科学技術」の影響も受けてる。

戦前は「文化」と言うと、主にドイツ語文脈の「教養」の意味でも使われた。
同時に漢語文脈の「文ヲモッテ教化スル」のニュアンスも付きまとってた。
今でも「文化庁」なんてのはそのつもりで、国民を教化しようとしてるんじゃないか?とか勘ぐると腹立たしい(w)。
その上、戦後はアメリカ語文脈の「文化」が入ってた。これは大まかには「ライフスタイル」みたいなニュアンスで、細かく言うと「明文制度化されていない習俗レベルの社会秩序(不文律とかタブーとか)の総体」って意味。

一方、漢語文脈の「文明」ってのは「文明ラカなり」とか言って、
「『文化』の役に立つ事物が洗練されてる事」だそうだ。
なんか元々は「綾錦の紋様の光沢が綺麗に光ってる」事を指して「文明」(「紋様」の「明」)とか言ってたらしい。

漢語文脈では「文明」と「文化」は独自の関連を持ってたわけだが、
どうも、「文明-文化」関連(漢語文脈)の「文化」のとこに、ドイツ語文脈の「文化(=教養)」を代入して、「文明」を論じてるような人もよく見かける。
「文化(ドイツ語文脈)」が優れてる事が「文明(漢語文脈)」の証、みたいな主張な。

これだと、フランス語語源の「文明」とはほとんど話が噛み合わない(苦笑)。

別に、どんな定義で論じても本人の自由と言えば自由なんだが。
そういう人に限って他の定義の可能性も検討しないことがあるのは困ったもんだ。

それやこれやで日本語の「文明」概念は混乱しがち。