1 :
世界@名無史さん:
四大文明発祥以前に、それらの文明に叡智を授けた先史文明があったと
いわれていますが、ハーバード大の教授も、大方認めている事実で、
それらに、ついて、教えてください
2 :
世界@名無史さん:02/07/21 17:14
2?
ヨーロッパの巨石文明は当てはまるのかな
紀元前5000年くらいまでさかのぼれるんだったっけ?
4 :
世界@名無史さん:02/07/21 17:20
まずは南極のアトランティスだな
ベストセラー作家も、大方認めている事実なので
間違いない
>>4 伝説のアトランティスは「ジブラルタルの西」だろうがよ、ヴォケッ
6 :
世界@名無史さん:02/07/21 17:53
>>5 伝説のレムリア無しにインダス文明は語れねえだろうがよ、ヴォケッ
ばかやろお!!海底神殿の琉球古陸がムー大陸に決まってんだろうがよ
8 :
世界@名無史さん:02/07/21 17:56
>>3 >紀元前5000年くらいまでさかのぼれるんだったっけ?
まー、それくらいと言われてるんだけどね。紀元前4000年紀だから。
ただニューグレンジなどの遺構が紀元前3000年紀半ば頃。
ストーン・ヘンジがほぼ紀元前2000年(紀元前1000年紀の初期)
最初の頃は巨石遺構でなく、砕石を積み重ねたようなものが主だった。
それから大石の石組に土を盛ったり。
いわゆる巨石文化はそんなに旧くないよ。
10 :
世界@名無史さん:02/07/21 18:01
>>1 >四大文明発祥以前に、それらの文明に叡智を授けた先史文明があったといわれていますが
あれですね。
メソポタミア文明に叡智を授けたのは、チグリス河上流
アナトリアの山岳地帯で、野生麦をはじめて食用に用いた集団だと推定されてますね。
こいつらは、麦の栽培に適した土地を求めて河沿いを下ってきた。
ネタにマヂレス
12 :
世界@名無史さん:02/07/21 18:11
古代エジプトに叡智を授けた連中と言うと、
紀元前6000年ころまでには、ナイル河沿岸の数箇所で定住・素朴農耕をはじめてた連中がいますね。
他のアフリカ地域に先んじて、すでに小麦・大麦の栽培がみられますが、これらの植物種は、地中海東岸方面を経由して移入されたと考えられています。
ナイル河沿いに内陸部深くにも浸透しました。
同じ頃、牛・山羊・羊の飼養もみられるようになり。やはり地中海東岸方面から伝播してきたと推定されます。
これと別に、ナイル河上流域のスーダン一帯では、アフリカ自生の栽培文化としてモロコシの粗放栽培がみられるようです。
13 :
世界@名無史さん:02/07/21 18:15
インダス文明に叡智を授けた連中は、と言うと
紀元前7000年頃、現パキスタンのパローチスタン丘陵で、小麦の粗放栽培がみられます。
後のインダス文明とは少し離れた位置ですが、
ここから、徐々に時間をかけ、紀元前3000年頃までにインダス河流域に広がった事がわかってますね。
14 :
世界@名無史さん:02/07/21 18:21
古代中華文明に叡智を授けた連中、
中国は過去数十年各地で開発が急ピッチに進んでいるので、
それに応じた新発見がたくさんありすぎて、もうしばらく収拾がつきそうにないですね。
今のところ長江の下流域で知られる限りもっとも旧い米の粗放農耕が誕生したと言われますね。
長江下流域から沿岸を北上した連中が、黄河を溯りながら文明の叡智を伝播っせてった可能性も考えられてますが。
黄河流域での自生的な文明発展との関連とか、まだまだ議論されてるところですね。
15 :
世界@名無史さん:02/07/21 18:31
Hを授ける=農耕の電波
16 :
世界@名無史さん:02/07/21 19:39
マスターキートンにあるドナウ河文明はだめ?
何気に説得力あった
17 :
世界@名無史さん:02/07/21 19:51
>>16 ダメじゃないと思いますよ。
考古学者の一部、特に自然人類学的傾向の考古学者は
文化/文明って古典的な概念区分を廃棄してるんです。
狩猟・採取のバンド社会からのあらゆる社会形態を一律に文明として捉えようとしている人たちが多数います。
彼らは、考古学的に復元された、特定社会の生産量と消費量の比率から文明度の評価尺度を一律に求めようとしているんですね。
化石人類の集団から灌漑革命を経る頃までの人類史を整理するにはかなり有効な手法だと思います。
が、やはり都市が成立してからはそんなに簡単に生産量や消費量は産出できない。
というわけですので、これら考古学者のいうドナウ「文明」を19世紀的な意味の「文明」と考えると考え違いです。
もちろん、伝統的な概念に準拠して、旧石器時代ドナウ川流域の「文化」を研究してる考古学者もいます。
>>1の「ハーバード大の教授」とやらが「先史文明」と言ってどんな概念を持っているかは定かではありませんが(w)。
18 :
世界@名無史さん:02/07/21 20:06
ウリナラ史観によると古代中国は朝鮮族が...(以下略)
19 :
世界@名無史さん:02/07/21 21:33
やっぱ、小麦、大麦、米、モロコシのいずれかを耕作することが生産力向上、
人口増加の絶対条件ということでいいですか?
モンゴル高原の遊牧民、スキタイ人、インド入り以前のアーリア人などは、
牧畜民族のイメージが強いけど、農耕はしてなかったのでせうか?
20 :
世界@名無史さん:02/07/21 22:30
>モンゴル高原の遊牧民、スキタイ人、インド入り以前のアーリア人などは、
>牧畜民族のイメージが強いけど、農耕はしてなかったのでせうか?
してなかったみたいですね。
小麦粉なんかは交易で手に入れたとか言います。
中央アジアやアラビアだと、遊牧民の季節的周回ルートの
居留ポイントにオアシスがありますから、そこで手に入れる。
オアシス住民の方では、定常的交易ルートで手に入れる、みたいなモデルで考えられてますね。
この辺の考えをベースに、遊牧ってのは、灌漑革命で組織的農耕・牧畜が産れた後に成立した生活形態だ
みたいに唱える研究者もいるみたいですけど。これはさすがに賛否両論あるみたいです。
21 :
世界@名無史さん:02/07/21 23:20
エジプト文明は、出現当時から、高度な天文学 法学 建築学etcを備えて
現れた、これは、エジプト以前の高度な文明が存在し彼らに、その文明の一端を
授けたのだろう。
エジプトのスフインクスは科学的調査により、雨による浸食の後が見られた、
これは、今から8000〜12000年前に遡ると言う、つまりそれ以上前から
はるかに進んだ謎の文明が存在していたのだ
22 :
世界@名無史さん:02/07/21 23:35
>>12にあるように、現在のエジプト地域では、紀元前6000年ころまでに農耕・牧畜がみられるようになります。定住地の跡もみられます。
紀元前4000年ころから、黒く磨かれた独特の縁を持つ赤色土器(黒頂赤褐色土器)の文化が、アブ地域などナイル河中流域にみられます。
この文化は、玄武岩や花崗岩など硬い石板に彫刻を施した化粧板などで知られ、後のエジプト文化でもみられる化粧用の材料を磨り潰すパレットに通じるとも言われます。
紀元前3500年ころになると、土器文化がナイル河流域に広がります。同時に、ナイル河の上流域・中流域・下流域で差違が生じてきます。
各地域の生活圏が広がると同時に、交流が密になる様子も出土遺物から判るようです。
各地域で農耕用の水利施設が高度化・大規模化してく様子も出土品から跡付けられています。この頃各地に、中心的なエリート層も生まれたようです。
こうして社会が複雑化し、初期王国時代に繋がる地域連合が各地にみられるようになります。
特に南部のアビュドス、ナガダ、ヒエラコンポリスの三ヵ所では権力の集中が進んでいたそうです。一早く日干しレンガを用いた城壁都市が建てられました。
というわけで「エジプト文明は、出現当時から、高度な天文学 法学 建築学etcを備えて
現れた」などということは言えません。
23 :
世界@名無史さん:02/07/21 23:38
スターゲィトを通って宇宙の彼方から神秘のしはいしゃが降り立つノダヨ(ププ
24 :
世界@名無史さん:02/07/21 23:46
スフインクスは、あきらかにエジプト文明が出現する以前からあったと
言われています。それならば、あれは一体誰が建設したのですか?クス
25 :
世界@名無史さん:02/07/21 23:54
>スフインクスは、あきらかにエジプト文明が出現する以前からあったと言われています。
さぁ、誰が建設したのでしょうね?
そういう事は、「以前からあった」論者が論証するべき事がらです。
「スフィンクスは古王国時代に建造された」論者にとっては
もし、スフインクスが、エジプト文明が出現する以前からあった、
というのがヨタ話でないとしても。
当面は、現在に続く、エジプト文明の発展経路とは関係ない、と言う事で推定を重ねて構わない程度の話です。クス
26 :
世界@名無史さん:02/07/22 00:09
>>24 スフィンクスがエジプト以前というのを
”あきらかに”説明してみてくれよ
できればハムのコックさんに聞かないでね
27 :
世界@名無史さん:02/07/22 00:16
イェリコ、チャタル=ヒュック
28 :
世界@名無史さん:02/07/22 00:19
確かに考古学的な見地に明るい人は刺激的な論説を回避しがちになりますが
・・(@´ω`)y−~~
29 :
世界@名無史さん:02/07/22 00:47
まず、四大文明とかいう言葉に縛られているあたりがいただけない。
普通に考えて、文明と呼ばれるものが、その瞬間からいきなり現れるなどということがあるだろうか?
そして、その四大文明はどの時点を持って文明と認定されたのか。
と、言うよりも誰が認定したのか。学術的にはすでにタブーに近いだろ。
また、ハーバードの誰だかはわからんが、少なくとも「四大文明以前にも」という言い方はしていないと思われる。
1はもうすこし歴史の連続性について考えてほしい。
そして、文明の優劣は現代人が勝手につけたもので、考古学的資料、歴史学的史料が残っていない、またはまだ出てきていない地域にも
それぞれの世界観を持つ共同体が存在したであろうことにも思いをはせてくれ。
>>29 まぁ、4大文明とか先史時代とか言うのが19世紀的な概念ですから。
19世紀の概念を持って、
20世紀に判って来た人類史の知見を
系統だてず断片的に齧れば混乱しても当然でしょう。
例えば「先史文明」なんてのは、19世紀的定義だと語義矛盾以外の何物でもないですな。
もちろん20世紀的な概念ならOKなのですが、その場合は、先史時代に高度な文明の叡智がなんて無理矢理なこじつけは不要ななるわけですな。
>>29 >四大文明はどの時点を持って文明と認定されたのか。
>と、言うよりも誰が認定したのか。学術的にはすでにタブーに近いだろ。
四大文明のそれぞれが、どうして文明と認定された、その経緯は別にタブーでもなんでもありません。
文明、という概念が19世紀的な意味で用いられたのはそう古くなく、
17〜18世紀のフランスで、です。
中国文明という概念はすでにヨーロッパ人は17世紀に持っていました。
それぞれの地域で古代都市遺跡が発掘されると、古代文明という事が、まず個別に言われるようになりました。
大まかですけど、エジプトは18世紀、メソポタミア、中国、インダスは19世紀の事と思います。
(間違ってるかもしれないけど、調べればすぐわかります)
四大文明ということが言われだしたのは、これら19世紀的意味での文明が単一起源から伝播したのか
多紀元で個別に発生したのか?という議論にともなってのことです。
やはり19世紀〜20世紀初頭の事。
19世紀当時は、専門の学者でも、古代中国の冶金技術や文字はエジプト起源で中国に伝播した、
とか大マジメに論じてた人もいた。
結局、大都市文明の単一起源説は否認されたので、四大文明という言い方が世間に流布したにすぎません。
その後、研究は様々に進み、四大文明はそれぞれの地域に先行した諸文化の交流から生じた
−−各文明圏毎に、あった複数の先行文化圏の交流から生まれた。
内には、メソポタミアとインダスの双方にマージナルに関ったイラン高原の先史文化などもある、
などなどがはっきりして来て「四大文明」という考え方自体、修辞的な意味しかなくなってきたわけです。
「四大文明」という概念には学術的な意味はもはや余りない、余命よくばくもないですね。
古代エーゲ海文明とか長江文明とかいろいろな事が分かって来ている訳ですから、
『マスター・キートン』は少しオーバーにしても、あのフィクションの内で主人公の娘が学校で主張したことの方向性は基本的に間違った認識ではないです。
おお!
知らんかった。四大文明単一起源説なんていう議論あったんだ。ありがとう
>>31 四大文明って資料が比較的多く残っている地域が、わかりやすいところで4つあったから、
どこかのイケてない人が「四大文明だ!」とか恥ずかしげもなく言ってしまったものだと思ってた。
いちおう、「四大」とすることに、かつては学術的意味があったのね。
ちなみに「四大文明はどの時点を持って文明と認定されたのか。」っていう表現は、
現代の人がいつこれらの文明を認定したのかという問いではなくて、
たとえば、エジプト文明に叡智を授けた文明があるならば、
なぜその文明のことはエジプト文明と呼ばないのかという問いから発したものです。
言葉足らずですみません
論文とか読んでいて、たまに文明というものを「ここからここまで」なんて区切ろうとする人がいる。
自分としてはそれが意義のあることとは思えず、
そればかりか現代人の「歴史の連続性を軽視した偏見」の上に
さらに議論を重ねるといった悪循環を繰り返すだけなのではないかと思い、憤りを感じている。
歴史というものに意図的に断絶を生み出すことのように思えてしまうからだ。
ところでこのスレで「文明」という用語を簡単に定義してくれる人はいませんか?
現在、学術的に「文明」とはどう扱われているのか、私にはいまいちつかめていません。
そして、もし可能であれば「文明」について論ずることの意義にも少し光を当ててくれないだろうか?
このスレが私の「文明」に対する偏見を変えてくれることに期待。
あと
>>31さん、マスターキートンで主人公の娘が学校で主張したことって、どんな内容?
歴史を勉強するようになる前に読んだことあるけど、忘れてしまった。簡単に説明してほしい。
>32
たしか、キートンの娘(百合子)が学校で歴史の授業中に
最古の文明の名前を挙げろと質問されて、
イラン文明やエーゲ文明などの、教科書の載っていない文明の名前を挙げたので、
「いいかげんな事を言うな」と先生ブチ切れ、って話だったと思う。
>>32 >ところでこのスレで「文明」という用語を簡単に定義してくれる人はいませんか?
>現在、学術的に「文明」とはどう扱われているのか、私にはいまいちつかめていません。
うーん「文明」の定義は、20世紀の中葉から混乱してて、それだけで学説史のテーマになる。
実際、ルネサンス期フランス史なんかだと「文明概念の変遷」だけで1冊本書いちゃう学者がいるくらい。
「文明」を定義する、と言うのはヘタすると、歴史観と言うか、歴史理解の立場を表明するに等しい事になっちゃうのが現状なんだよな。
大まかな話をすると、
フランスで18世紀頃には、「文明」の概念が一応成り立った。
17世紀に、中国に渡ったイエズス会士が布教に際して、当時の中国社会の秩序にすごく驚いて、西欧に報告してる。
シノワロジーと呼ばれる中国学・中国趣味が盛んだったフランスでもいろいろな議論が起きて、
これがフランスでの文明概念の生成に影響してる、とかって説もある。
で18世紀フランス語の文明は、「成文法を持った都市を基盤にした社会秩序」の意味で。
フランス人は、人類の幸福に普遍的に貢献する、とか言った。
で、どんどんずうずうしくなると、普遍文法とか言い出して、
「人間は論理的な思考を追求するとフランス語を使わざるを得ない」みたいな、たわけた事をぬかした(w)。
(同じ様なタワごとは後にドイツ人もぬかしたが)
この18世紀フランス的「文明」に対抗して、同時代には近隣諸国、特にドイツで「民族固有の文化」みたいな事が言われるようになった。
ヨーロッパ文脈での「カルチャー」は、元はラテン語の「カルト」が語源。
例えば「カルティベイト(≒農耕)」と言うのは「〔荒野に〕宗教的秩序をもたらす」みたいなニュアンスだったんだけど。
ドイツ語文脈の「クルトゥール」と言うのは、日本語文脈で言うと「教養」みたいな概念になった。
これが明治期に翻訳されて、今の日本語の「文明」理解をややこしくしてる。
カルチャー・センターの「カルチャー」は、「教養(≒クルトゥール)」と思えば分かり易い。
で18〜19世紀に、最初の内は宝捜しや博物学的など、ロマン主義的だった考古学が近代的になってくる。
西欧人は聖書とグレコ・ローマン古典に関心が強いから、エジプトとメソポタミアをガンガン発掘調査した。
その内、環境学みたいな考え方が準備されて、イギリスの考古学者G・チャイルドが、歴史学的文明の再定義をした。
チャイルドは偉い人ではあって、「肥沃な三日月地帯」とか「新石器革命」とか言い出した人。
ただ、農耕のメソポタミア単一起源説を唱えたのは、これは歴史的限界としか言いようがないと思う。
チャイルドの定義は有名だけど、
えーと、大都市があって、文字体系があって、成文法があって、高度な宗教や天文学、洗練された芸術があって、冶金技術を持ってて、とか、そういう基準。
(調べれば正確なとこも書けるけど)
まー、チャイルドの文明定義は学問史的な意義はあるんだけど、
「高度な宗教」とか「洗練された芸術」とか主観的な面が多かった。
それから、時間差で中南米の遺跡が調査されると「冶金技術見当たらないよ、これ」「でも、これどうみても文明って感じだよね〜」とか言われ出した(w)。
そうこうしてる内に、チャイルド式の文明概念は、第二次大戦後、2つの方向から決定的な修正を迫られた。1つは、都市社会学、もう1つは文化人類学(民族学)。
都市社会学も文化人類学も、第二次大戦後にものすごく進歩したので、そっちの影響が考古学にも及んできた。
>>32 まず、文明概念と密接に結びついた都市概念の見直し。
西欧人は、昔から、城壁に囲まれてて、成文法を持ってるのが都市、って偏見を持ってて。
中国文明ってのは「都市システムの上に成り立ってるよね」、ってのはすぐ納得した。
が、戦前は例えば、「東京ってのは巨大な村落であって都市ではない」「なぜなら城壁がないから」、とか真面目な顔して言ってた。
これは別に西欧人だけが言ってたわけでなく、日本人の学者も従ってた。
ところが、第一次大戦の頃から工業国として発展したアメリカを二次大戦後の西欧人がみると、
「なんとアメリカの都市と言うのは、城壁がなく、郊外となだらかに続いてる!」(w)
「しかしこれはどうみても都市だ、しょうがないから都市概念を変更しよう」(w)
それから民族学と考古学が共同した分野で(学問の体制ってのは国によって違う、
アメリカでは、普通考古学は人類学≒民族学の一部門と位置づけられてる)
いろいろ研究が進むと、アフリカ東岸のダホメーとか、都市を持ってるのに無文字社会で、成文法がなかった社会とかが幾つか見つかる。
これも再検討課題になった。
一方、文化人類学=民族学ってのは第二次大戦後、欧米の自文化中心主義をすごく批判した。
いろいろな事例を持ち出して、「文化相対論」て言うのをぶち上げた。
これは、「個別の民族の文化と言うのは、それぞれ独自の価値観の上に成り立ってるシステムなので、相互に優劣を考えようとするのは学問的ではない」と言った主張。
これはこれで悪い主張ではないんだが、
「文化人類学」ってのは、(当時までは)比較的孤立して、社会変動が少ない“未開”社会を主な研究対象にしてた。
「文化相対主義」は、文化交流やそれに伴う社会変動を研究するには都合の悪い面もあった。
それで、頭に来た(かどうかはわからんが)、自然人類学者達が「もう、文化と文明を区別するのは止めよう!」とか言い出した。
これが、
>>17で紹介した学問的立場。
この立場では、「あらゆる人類の集団は、社会的秩序を持ってる(ヒトは本来群性の生物種)んだから、ヒトの社会集団の秩序システムは全部『文明』って事で一括する!」
これはこれで明快。化石人類の集団から灌漑革命を経る頃までの人類史を整理するにはかなり有効。
ただ、やはり大都市が成立するような社会段階から以降はこの定義だと整理しづらい。
それやこれやで、学問的「文明」概念の再検討は20世紀後半学者さん達の議論のテーマだった。この議論は未だに決着がついていない。
が、考古学と歴史学の分野では、一応の了解事項は成り立ってる。
人によって細かい部分の表現は異なるが、「文明」とはやはり「都市に基づく社会秩序のシステム」
別に成文法を持ってても持ってなくても関係ない。
「都市とは、定常的交易ルートの重要ポイントに築かれた秩序を持った社会的インフラの集合体、なおかつ定住者の人口の内、1次産業以外の従事者の比率が高い物が都市」
別に城壁を持っていようと持っていまいと関係ない。
この定義が成り立つようになってから、
考古学の分野では、例えば「人口500人の新石器時代末の都市遺跡が北海で発見された」とか、
19世紀の学者が聞いたら怒り出すような事が言われうるようになった。
話を戻すと、
「四大文明」ってのは、今では「大都市を築くに至った文明の代表的な四つ」って事にしとけば、丁度いいと思う。
半分冗談だが、半分本気だ、「四大」の「大」は「大都市」の「大」って事で。
>>考古学と歴史学の分野では、一応の了解事項は成り立ってる。(
>>35)
ただし、一応の了解であって、決着はまだついていない。
なぜかと言うと、「歴史学」の中には「政治史」「政治思想史」「国際関係史」なども含まれるから。
こららの部門史に関る政治学や、国際関係論では、
やはり「基本的人権を受け入れた国家体制が文明的」って定義(?)や考え方は根強い。
これはこれで意味があるので、単純に否定できない。
日本には「比較文明学会」って学会があって、
最近は、どうかわかんないけど、一時、新刊書店でも入手できる雑誌を季刊くらいのペースで刊行してた。
この学会では、政治学者と、考古学者と人類学者と哲学者が、あーでもないこーでもないと議論してた(w)。
後、ついでに書いとくと、文化人類学の「文化相対主義」の主張。
これは文化人類学の内部自体で「大事な考えだが行き過ぎた主張もまた問題だ」と認められるようになってる。
典型例が、女子割礼や、女性虐待、児童売買の問題、これらを「固有の文化的価値」とは言ってもやはり是正されるべきだろう、と言う話。
後、「日本語での『文明』概念の混乱」、これについても簡単に書いとく。
大まかに言えば、明治維新の後、翻訳語としての「文明」と「文化」の関係が混乱してる。
「文明開化」のお陰で、「文明」は「社会秩序」よりは「科学技術」に偏って理解されがちな傾向がある。
この傾向的理解は、ドイツ流の「民族独自の文化(教養)+科学技術」の影響も受けてる。
戦前は「文化」と言うと、主にドイツ語文脈の「教養」の意味でも使われた。
同時に漢語文脈の「文ヲモッテ教化スル」のニュアンスも付きまとってた。
今でも「文化庁」なんてのはそのつもりで、国民を教化しようとしてるんじゃないか?とか勘ぐると腹立たしい(w)。
その上、戦後はアメリカ語文脈の「文化」が入ってた。これは大まかには「ライフスタイル」みたいなニュアンスで、細かく言うと「明文制度化されていない習俗レベルの社会秩序(不文律とかタブーとか)の総体」って意味。
一方、漢語文脈の「文明」ってのは「文明ラカなり」とか言って、
「『文化』の役に立つ事物が洗練されてる事」だそうだ。
なんか元々は「綾錦の紋様の光沢が綺麗に光ってる」事を指して「文明」(「紋様」の「明」)とか言ってたらしい。
漢語文脈では「文明」と「文化」は独自の関連を持ってたわけだが、
どうも、「文明-文化」関連(漢語文脈)の「文化」のとこに、ドイツ語文脈の「文化(=教養)」を代入して、「文明」を論じてるような人もよく見かける。
「文化(ドイツ語文脈)」が優れてる事が「文明(漢語文脈)」の証、みたいな主張な。
これだと、フランス語語源の「文明」とはほとんど話が噛み合わない(苦笑)。
別に、どんな定義で論じても本人の自由と言えば自由なんだが。
そういう人に限って他の定義の可能性も検討しないことがあるのは困ったもんだ。
それやこれやで日本語の「文明」概念は混乱しがち。
33さん,34〜さんありがとうございます。
やっぱり文明って面倒な言葉だったんですね。
欧米言語内でも統一されていない見解をさらに日本語で使用すれば混乱は起きますよね。
別に日本で独自に「文明」を定義してもいいけど、さらに混乱しそうだし。
>「四大文明」ってのは、今では「大都市を築くに至った文明の代表的な四つ」って事にしとけば、丁度いいと思う。
半分冗談だが、半分本気だ、「四大」の「大」は「大都市」の「大」って事で。
っていうのはつまり、「文明」という言葉を過大評価、過信するなってことですよね。
つまり文明という言葉を確固としたものとして使用すべきでなく、
むしろ大きいから「文明」、今までそう呼ばれているから「文明」くらいの感じで捉えたほうがよいと。
>>34さん。結構興味があります。「文明論」「文明とは」に関するよくまとまっている参考文献なんてありませんか?
キートンの娘の先生はずいぶんと軽はずみだなあ。
はやく「四大」でなくなることを期待する。
これだけ広い世界で、4つだけを特別扱いするような言葉は嫌いだ。
39 :
=34-〜37:02/07/25 00:08
>>38=32
参考になったなら幸いです。
>文明という言葉を確固としたものとして使用すべきでなく、
>むしろ大きいから「文明」、今までそう呼ばれているから「文明」くらいの感じで捉えたほうがよいと。
そうですねぇ。2chみたいな場所で、「やりとりを楽しむため」には最初はそれくらいの構えの方がよいかもしれません。
ただ、2chでも、突っ込んだ話をするときや、自分なりの意見を述べようってときは、
自分が今どういう意味で「『文明』という言葉」を使っているか、念頭においていくといいと思います。
それから当然ですが、話題との関連で用法に注意すれば、それでよいのではないでしょうか。
「根本的な『文明』の定義」は世界中の学者が議論して、いろいろ絞り込まれてはいるものの、まだまだ問題があるわけですから、2chのような場所で決定しようと、言っても無理はあるように思います。
ただ、>むしろ大きいから「文明」、今までそう呼ばれているから「文明」くらいの感じ
これは私としては「四大文明に関しては」、それでいいと思うんです。
2chでもときどきみかけることあるんですけど、
例えば「黒海の水底に古代都市の遺跡!?」「死海水底に古代都市の遺跡!?」みたいな
ニュースに接したときは、「文明=大きいもの」というイメージに捕らわれると、イメージ狂います。
あるいは「縄文の都市?」と言った話題でも「大きい小さい」は実はあまり重要では無い。
石器の加工など非1次産業の専従者の人口比率はどうだったか?という事の方がポイントになっています。
この辺の事は理解してないと、下手すると「新聞で都市と書いてある」「じゃぁやっぱり超古代文明はあったんだ!」的な連想に引っ張られる人もいます。
>>35にも書いたように、現在では、考古学者がいう「都市」は大きい遺構とは限りませんので。
この辺は、新聞記事を書いた人でも、学者さんのコメント誤解してるんじゃないかな?みたいに思える事があるので要注意だと思います。
ありゃ、操作ミスしてアゲちまったYo。
ま、いっか(苦笑)
>>38=32
>「文明論」「文明とは」に関するよくまとまっている参考文献なんてありませんか?
これはあったら、私も知りたいです(w)。
>>34で触れた、「ルネサンス期フランス史研究者がフランス語の『文明概念の変遷』だけで1冊書いちゃった本」これは多分日本語訳出てないと思うんですね。
私も何かいい本ないかずっと探しているので、
心当たりの方には教えていただきたいです。
欧米語文脈での文明と密接に関った文化概念についてだと、次の本がよくまとまっていると思います。
M.S.ガバリーノ『文化人類学の歴史』新泉社
ISBN4-7877-8716-0 C1039
それから、明治維新以降の日本語の「文化」の変遷については、次の本がとてもコンパクトにまとまっています。
柳父 章、一語の辞典『文化』三省堂
ISBN4-385-42205-2 C0380
中国文明4000年の歴史だが韓国の歴史は5000年というわけで、
黄河文明の源は韓国だと真剣に主張する人々・・・。
>>41 専門家の間ではよく言われていることですが、
「縄文土器は世界最古の土器」これは高度成長期以降、国土開発を全国的に盛大にやった、って言う現代日本の社会状況が背後にあって確認されたデータですので。
韓国や中国のように開発(再開発?)を急ピッチでやれば、新しい発見があるのは当然で、
新しい発見が続出するときは、いろいろ混乱した説が唱えられるのも考古学の学説史をみれば国に限らず事例に事欠きません。
要するに、あまり目くじらたてても仕方ないと思います。
後、遺物の放射性同位元素分析が考古学の研究に用いられるようになったのは1960年代以降という事ももっと重視されるべきですね。
この点でも日本の考古学、縄文研究ははタイムリーだった。
エジプトや西アジアの考古遺物は、放射性同位元素分析などの自然科学的手法で再調査されておらず、
それ以前の編年手法で、年代が推定されている物の方がまだ多いはずですので。
>>42 >要するに、あまり目くじらたてても仕方ないと思います。
おっしゃるとおりです。自分の書き込み
>>41に少し反省。
個人的には中国とその周辺地域の考古学の発展に期待してます。
経済成長が順調なら、そういう方面の調査がどんどん進んではないかと。
中国の北方民族の歴史や、東南アジアの歴史・・・、よくわからないっす。
訂正:進んではないかと。→進んでいくのではないかと。
45 :
世界@名無史さん:02/07/25 01:01
大混乱です。
「文明」と「文化」なんですが、
フランス語、ドイツ語、英語ではそれぞれどの単語を使うのでしょうか?
対応した単語があるのでしょうか?
仏語culture=文明
ドイツ語culture=文化?
>>45 フランス語ではシヴィラシジォーンかな(?)
英語のシヴィライゼーション
が「文明」に対応する語彙です。
ドイツ語のクルトゥール
英語のカルチャー
が「文化」に対応する語です。
フランス語で「文化」にあたるのは「カルチェ」だよね(?)。
ドイツ語で「文明」にあたる言葉は知らん。
48 :
世界@名無史さん:02/08/17 04:57
age
49 :
世界@名無史さん:02/08/17 08:54
文明の発祥は多く見て二万年ぐらい前だと思うが、
人類の誕生は百万年ぐらい前だったような
九十万年以上を同じ人間がただマターリしていたとは思えない
近代文明が発達して、数万年で全てクリア・・の繰り返しかも
50 :
世界@名無史さん:02/08/17 08:59
>>50 ありがとう。自分の記憶違いでした。
しかし、こうゆう時代区分けっておそろしいほどアバウトだな
40〜25万年とか15〜4万年前って・・
>>49 >同じ人間がただマターリしていたとは思えない
マターリしてなかったですよ。
はじめは骨を道具に使い、それから石を撃割って使うようになり、
なんと石を磨くようになった!
スゴイ!!
てゆーか、定住生活に入るまでが長かった
それから文字を発明するまでが長かった
だから>近代文明が発達して、数万年で全てクリア
はまず、ない。なんたって定住してなかったし
文字を知らなかったんだから。
>>49 もしかしてモヘンジョダロ=カクシェルター説
を真摯に検討したりしてますか?
>>51 >しかし、こうゆう時代区分けっておそろしいほどアバウトだな
そりゃね、出て来る遺物を単位時間で割ってみたら
その時間密度−−なんて言葉はないが、は薄い。
要するに人類が定住して以降と比べれば、手がかりになる情報は圧倒的に少ない。
これで、時代区分が細かかったら、その方が変だYO。
56 :
世界@名無史さん:02/08/17 21:35
57 :
世界@名無史さん:02/08/17 21:49
>はじめは骨を道具に使い、それから石を撃割って使うようになり、
>なんと石を磨くようになった!
それだけで一万年以上もかかりますかね
せいぜい試行錯誤しても1千年もかからないと思いますが
それは近代文明が常識になってしまった考え方ですかね
58 :
世界@名無史さん:02/08/17 22:05
>>57 現行人類の歴史を一万年とする。
エジプト文明が五千年前から
ペルシア帝国が二千五百年前から
ローマ帝国が二千年前から
ヨーロッパ中世諸王国が千六百年前から
十字軍が九百年前から
ルネッサンスが七百年前から
フランス革命が二百二十年前
ドイツ統一が百三十年前
記録の粗密は当然あるけど、今に近いほどスピードが速くなる。
人類の進化のスピードにも同じ法則を感じるのは私だけか。
59 :
世界@名無史さん:02/08/17 22:16
>>57 >>はじめは骨を道具に使い、それから石を撃割って使うようになり、
>>なんと石を磨くようになった!
>それだけで一万年以上もかかりますかね
文字がなく、定住していなければ掛かっても不思議はないでしょう。
ノウハウの蓄積率も伝達効率も凄く悪いのですから。
60 :
世界@名無史さん:02/08/17 22:17
>>57 チンパンジーが蟻釣りをしていると話題になったのは30年前。1000万年にしてようやく。
ここから蟻の飼育を覚えるまで1万年でできるかなあ。
世界最古の文明は朝鮮
世界最古の朝鮮式土器がある
62 :
世界@名無史さん:02/08/18 01:44
シベリアだかで見つかった最古の土器は何万年前でしたっけ?
縄文土器との関連性が強いとかどうとか、詳細キボンヌ
63 :
日本人はるかな旅:02/08/18 02:14
64 :
世界@名無史さん:02/08/18 02:45
>>62 ■内モンゴル>興隆溝で貴重な遺構・遺物続々と
ttp://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2002/0815/nto0815_9.html >県教委、青森市教委、東奥日報社の三者が中国社会科学院考古研究所と共同研究を進めている中国内モンゴル自治区の興隆溝(こうりゅうこう)遺跡(約七千五百年前)での本年度の発掘調査が始まった。
>同遺跡の発掘調査は昨年に続き二年目。早くも十軒の住居跡のほか、初の貯蔵穴など貴重な遺構・遺物が姿を現しており、昨年を上回る成果が期待される。
>発掘調査は今月初めにスタート。調査対象は昨年の発掘地点の西約百メートルで、面積は約千平方メートル。
>発掘主体である中国社会科学院考古研究所の職員らによって十四日までに遺跡表面の土を取り除く作業が終わり、住居跡の床面を掘り出す準備が進んでいる。
>十四日の時点で確認されている住居跡は十軒。内部からは昨年と同様、三内丸山遺跡(青森市)など北日本の縄文文化と共通する円筒型土器や石製のくわ、動物の骨片などが出土し始めている。
>>62 >興隆溝遺跡(約七千五百年前)
と縄文と比べるとやや新しいですが、
>シベリアだかで見つかった最古の土器
と言うのは確かもっと古かったですね。
シベリアまでいかなくとも樺太から奥地にかけでが、
ギリヤークとかブリヤートとかの祖の生活圏だったのだと思います。
66 :
与那国島の海底遺跡:02/08/18 11:47
石切りのためのクサビ跡もみつかり、人工物であることはほぼ確定。
遺跡の最深部は水深25Mに達する。この島自体が地殻変動により沈下したので
なければ、第4間氷期に入って水没したことになる。
ということは第4氷河期終了以前に文明があった。
ところで第4氷河期では氷河による地表の侵食方向から大氷塊の中心点は
ハドソン湾にあった。つまり第4氷河期時代はハドソン湾の中心が
北極点だった。ということは現在までに地軸が変更される何か事件があった。
第4氷河期終了時に小惑星の衝突があり、地軸が変更されたと仮説。
地球環境の激変により先史文明が滅びた可能性あり。
当時の海水準は現在より50Mほど低いと想定して、世界中の水深50Mの海底
のラインで遺跡らしき人工物の探査をすべし。
67 :
世界@名無史さん:02/08/18 11:51
(°Д°)ハァ?
68 :
世界@名無史さん:02/08/18 11:56
これって「歴史」か?資料出せ。
69 :
世界@名無史さん:02/08/18 12:32
>>66 >第4間氷期に入って水没したことになる。
を仮に正しいと仮定しよう。
>ということは第4氷河期終了以前に文明があった。
の場合の文明の定義は?
石切り場があったからと言って、それを文明と言えば
フリント鉱石を切り出していた石器人はみんな文明人になる、
いや、そういう自然人類学者的文明の定義だ、と言うなら
それはそれで構わないのだが。
まず、
>>65の文明の定義を提出してくれたまえ。
>>32-40要参照。
70 :
=69の部分訂正:02/08/18 12:36
>>65 ×>まず、
>>65の文明の定義を提出してくれたまえ。
訂正>まず、
>>66の文明の定義を提出してくれたまえ。
だよ、スマソ。
71 :
与那国島の海底遺跡:02/08/18 14:56
73 :
世界@名無史さん:02/08/18 18:16
>>71 >単なる石切り場のことではない。この構築物が自然現象によって出来たものでは
>ないことの証拠に壁の辺縁にクサビを打ち込んで切り取った跡があるのだよ。
知ってるよ。
だが、あの穴が「矢穴」だとして、
石器で開けた物か、金属器で開けたものかどうか、まだ判定されていない。
で、もう一度聞くが、
>>66>>ということは第4氷河期終了以前に文明があった。
と言う場合の「文明」の定義は?
石切り場があったからと言って、それを文明と言えば
フリント鉱石を切り出していた石器人はみんな文明人になる。
74 :
世界@名無史さん:02/08/18 20:06
>>71 >ただこれを「都市」と考え、「社会秩序」の存在を窺わせるものとすることも
>できよう。
それは現状ではできないはずだがね。
人工物の遺物はいろいろ発見されているが、
集落の遺跡は発見されていない。
つまり、人口の集住は未確認、
ゆえに、「都市と考える」事はできない。
75 :
世界@名無史さん:02/08/18 20:46
与那国島の海底遺跡の写真集を先ほど立ち読みしてきました。
著者は、自然物ではあり得ない、古代遺跡に違いないと強調してるが、
見れば見るほど、自然物としては自然で、人工物としては不自然に思える。
>ただこれを「都市」と考え、「社会秩序」の存在を窺わせるものとすることもできよう。
地上にあったとして、こんな岩の上にどうして都市を作れるのか。そもそも上る階段がない。
祭壇、神殿ならば可能かも。
>>75 私は、
>>71のリンク先ページの参考文献になってる
木村正昭氏の本は既読なのですが、
おそらく、
木村氏は現状では海底遺跡「部分加工説」の線で考えていると思われます。
「全体人造説」を唱えているとは思えません、
事をお知らせしておきます。
※木村氏の調査報告は、いくつか疑問を感じる点もあるのですが、個人的には、概ね信頼してもよいように思っています。
古代史なんて研究してなんかプラスになるのか?
と思ってしまう私はクソですか?
>>77 思うだけなら好き好きでしょう。
古代史関連のスレに、
わざわざ
>>77みたいな書き方をするレスはクソでしょう、
と思います。
一応、何のプラスがあるか、応えておくと、
人類の歴史が、研究する前よりも
詳しくわかるようになる、というプラスがあります。
檀君age
遅レスだが
>>49 >九十万年以上を同じ人間がただマターリしていたとは思えない
>近代文明が発達して、数万年で全てクリア・・の繰り返しかも
あんたさあ、猿人・原人と現生人類が同程度の知能を持っていることを前提にして話してない?
およそ200万年前に樹上生活をやめた類人猿が直立二足歩行をはじめて猿人が誕生したとき、かれらは今のオランウータン程度の知能しか持ってなかったんだぜ。
脳容積からそう推量されている。
別にオランウータンや猿人の知能をバカにしてるわけではない(というか意外と頭がよい)が、
オランウータンに文明を築けと言ってもどだい無理な話。
直立二足歩行に適したかたちに背骨や頸や頭の形状がだんだん変わってきて、脳容積も増えてきた。
原人・旧人はその過渡期。
脳の容量が一定越えて、はじめて文明を築く条件となる知能とインテリジェンスがそなわったわけだろう。
これは歴史というより生物学的問題。
そうしたいっていの知能をもった新人(現生人類)が、
文字を発明してはじめて獲得知識を蓄積できるようになった。
また農耕の開始により、都市への集住と人口増加につながっていく。
そのあたりから古代の文明がはじまるわけだ。
大体もし「近代文明が発達して、数万年で全てクリア」なんてことが古代以前に実際あったのなら、膨大な痕跡が残ってるはずなんだよ。
超古代史家が持ち出す碑文だの地上絵だの核爆発跡のガラス(藁)だのといったちゃちなレベルでなくな。
与那国島沖も仮に人為的な遺蹟だったとしても、近代文明ってこたないだろ。
81 :
世界@名無史さん:02/08/24 05:45
>>80 しかし、旧人の脳容積は現生人類に匹敵、あるいはやや上と言う罠。
82 :
世界@名無史さん:02/08/24 14:18
>>80 移籍って大体埋まってるからあったとしても
場所分からんよ
インダス文明が、アーリア人によって攻め滅ぼされたと習うけど、
そのアーリア人の方に、インダス文明を上回る文明が有ったんじゃないかというのがごく一般的な考え方だろう。
そこで、世界地図を広げてみたとき、黒海-カスピ海-アラル海-カザフ高原に広大な平野が広がっているではないか。
おそらく、四大文明以前というのは、まさにこの地域を指すのだろうと想像している。
現在は、砂漠化が進行しているが、シベリア以外で最大の平野であるこの地域に砂漠化がまだ進行していない
4000〜6000年前に、第1番目の文明が有ったと想像するのも悪くない。
タリム盆地でさえ、水の都として栄えたのだから。
現在、砂漠化が進行し、政情不安、イスラム差別という文化の衝突も伴って、まともな発掘がなされていないが、
発掘さえ行われれば、世界の歴史を動かし続けた、なぞの侵略者達の文明が明らかになるだろう。
遺伝子の解析によると、モンゴル人が東アジアの各民族のルーツであるという話を聞く。
寒くて、草原しかない、砂漠化したモンゴルかよ、と大半の人は思うだろう。
しかし、寒くて草原しかない、砂漠化したモンゴルは今の事で、
数千年前には、温暖な気候の下、広大な平地であるモンゴル高原が、
多くの人口を養っていけるだけの十分な生産能力を持つ可能性もある。
砂漠化によって風化してしまっているかもしれない。しかし、発掘されていないだけ。
アジアの文明と呼ぶに相応しい何かを期待したい。
86 :
世界@名無史さん:02/08/24 23:08
そもそも、シベリアが寒いのも現在の事であって、
地球が温暖化した時代には、最も耕作に適した気候の下、
史上最大の耕作地帯が広がっていたかもしれない。
気候が現在も過去もあまり変わらないという考えは捨てた。
シベリアでさえ過去に温暖であったとしても何の不思議もないと思う。
シベリア文明でさえも有りうる。
87 :
世界@名無史さん:02/08/24 23:18
>>84 アーリア人がオリエントの文明の影響をうけてたんじゃないの?
海に沈んだ文明を否定する人がいる。
しかし、大陸棚と呼ばれる部分は過去に陸の平野であったことを意味する地形である。
海水準も+-200m上下したといわれている。
過去に、寒冷化し、海水準が低下して大陸棚が平野化していたとき、
耕作に適した温暖な赤道付近の大陸棚地域に文明が有ったと考えるのは、合理的である。
インドネシア付近の広大な大陸棚にその可能性を求めても良い。
古気候学の発達と共に、世界各地の気候の歴史が明らかになるだろう。
そのとき、温暖で耕作に適した時代、そこに多くの人口を養っていけるだけの耕地面積があれば、
文明が発達した可能性が有ると考えても良いではないか。
おそらく、古気候学の発達と共に、そのような理論に基づいて新しい文明探しが始まっているのだろう。
90 :
世界@名無史さん:02/08/25 00:25
>>84 シュメールの後継者たるアッカド帝国は、自分たちよりも文明の遥かに劣った山岳民族のグティ人に滅ぼされてますよ?
それに、アーリア人は鉄器と戦車を持っただけの、言わば「蛮族」でした。
インダスの高度な都市文明の片鱗すらも、彼らが受け継ぐ事が出来なかった事がそれを物語っているでしょう。
ちなみに、現在ではアーリア人進入説には多くの学者が否定的です。
アーリア人の進入年代よりも、インダス文明崩壊の年代の方が明らかに古いからです。
でも四大文明以前で注目されているのって、カスピ海周辺とか、モンゴル高原とか、インドネシア海域だろ。
20年前ぐらいから言われてるけど、なかなか、発掘できる情勢にないのが残念だ。
唯一の成果がノアの箱舟らしきものぐらいなのか。
どこか、まじめに、このへんの発掘の成果を挙げるページが有ったら教えてくれ。
92 :
世界@名無史さん:02/08/25 06:08
クルガン文化萌え!
>>84 後、もう一つ
どこから文明と呼ぶかによりますが、貴方の言われる4〜6000年前では、とても最古の文明とは呼べません。
メソポタミア文明の源流と見られる初期農耕集落、しかも計画的な設計の集落がパレスティナからアナトリアにかけて発見されていますが、その最古のものは前8千年紀〜7千年紀のものです。
現生人類の登場が約3万年前、その後ヴェルム氷期に入っている為、1万年前までは寒冷な気候が続きました。
この頃には、海水面は最大で140m程低下していたので、確かにインドネシア海域の大陸棚の多くは陸地になっています。
しかし、カスピ海周辺やモンゴル高原は相当に寒冷な気候でした。
また、ヴェルム氷期が終わる1万年前には、海水面は現在よりも上昇していました。
つまり、所謂四大文明の起こった緯度域の多くは気候的にも、また水位の増減に対しても極めて安定した状態にあったのです。
そのような安定した地域で、初期農耕集落が誕生するまでに要した時間が約2万年です。
不安定だった他の地域で、それより以前に文明が誕生していた可能性は極めて低いと言えるのでは無いでしょうか?
それは、あくまで推測ですし、発掘が十分行われていない段階の成果は、
あくまで、現在までの知識というものにしか過ぎません。
実際に、各地域ごとの詳細な古気候は検証されていません。
研究は、始まったばかりなので、研究成果が、新たな可能性を教えてくれるでしょう。
同一時代に、同時に3地域に文明が存在しなければいけないかのような論理は、合理性に欠きませんか?
また、今後、新たな研究や発掘成果か出ない事を前提にした論理はやはり合理性に欠きますね。
アナトリアをメソポタミアの源流と言ってしまうのはあくまで、現在までの発掘の成果によって論理を組み立てたからでしょう。
さらには、メソポタミアの古気候が詳細に検討されていないのも合理性に欠きますね。
あと、中央アジアやモンゴルシベリアの古気候も詳細に検討されていません。
時代と地域が混ぜられていて、どこをどう組み合わせて議論すればいいのか難しいですね。
過去の研究成果は、将来の可能性のどこも否定していません。
1・まず中央アジアの詳細な古気候を組み立てる。
2・耕作に適した気候の年代をピックアップする。
3・人口の集中の起こりそうな地域を推定して集中的に発掘してみる
あるいは、
1・インドネシアの詳細な古気候、海水準の変動を組み立てる。
2・耕作に適した気候の年代をピックアップする。
3・人口の集中しそうな地域を予測して発掘してみる。
等が考えられますが、まだ1の段階にも達していない状況の研究成果を未来永劫永久不変の論理にするわけにはいかないでしょう。
私は素人なので、実際の研究方法や、過去の研究成果について詳細に述べることが出来ません。
それに、過去の研究成果によって組み立てられた古代史を否定する意思も有りません。
そして、やはり、新たな研究成果が過去の古代史を書き換えていく可能性を否定しません。
無い事を証明するのは、有る事を証明する以上に難しいという事かな。
無い事を証明するためには、無い事を証明するだけの研究成果が必要ですね。
97 :
世界@名無史さん:02/08/25 10:15
>>93 >>95 地中海南東岸の初期農耕文化といいますと、かのイェリコ遺跡を思い
起こされます。三四年前の西アジア考古学会で、これら初期農耕村落の
人口について研究がありましたが・・・
あ・の・イェリコでさえ最盛期でも二三百人程度しかなかったとの発
表には、かなり度肝を抜かされました!! 教科書とかと二桁も違う!!!!
>>94 すごい! 瑪瑙ですかこれは!? 鳥の造形からすると初期王朝時代よ
りも古そうな感じがしますね。指輪の石を楕円状に加工する形がこの頃
からあったのはちょっと驚きです。
>>94 8千年前ってちゃんと書いておいででしたね。失礼しました。(;;= =)
それにしても澄んだ飴色の石が何とも美しく素晴らしい!!
大陸棚を遺跡調査できるぐらいの技術はまだ無いと言える。
現在の海の底が、過去には広大な平野であったわけで、
特にインドネシアは、シベリアやカスピ海周辺地域と同規模である。
また、黄海、東シナ海の海中の遺跡調査も行うことが出来れば、
行う技術があれば、新たな文明が発見されると見た。
>>97 チャタル・ホユック出土品です。発掘者は印章つき指輪といっているようですが、
この時代に印章は無いのでわ と感じています。
101 :
世界@名無史さん:02/08/25 10:39
大体、寒冷化して、海水準の低下と共に陸がつながり、大陸から人類がやってきたという事をよく聞くが、
大陸棚を、単なる通路としかみなさない考え方は、頭が硬直してしまっていないかな。
むしろ、現在の数倍の平野が広がっていたわけで、海の底こそ、新たな発掘のステージだよ。
今住んでいる所と同じ状況が、過去には海底に広がっていたんだからな。
海底の文明を否定すること自体、ナンセンスだよ。
人工衛星の画像解析によって、サハラ砂漠の砂の下に、
かつては、無数の大河が流れていたことが明らかになった。
むしろ、かつてはアマゾンのようなジャングルであったと言う。
ジャングルから砂漠化の中で人口の集中がナイルに起こったと。
だったら、ほかの砂の中の河川にも同様の文明の可能性が有るだろ。
エジプトの遺跡が砂の下から見つかるのも、つまりは、砂に埋もれた文明という事だろう。
まだまだ、科学技術が発達すれば、埋もれた文明というのが発見される可能性が高いと思う。
洞窟時代というのが有るが、その時代、多くの人が住んでいたのは実は大陸棚の上ではないだろうか?
洞窟の発見された地域には、当時の未開の人しか住んでいなかったのでは?と考えてみる。
>>84 文明化された民族より文明化されない民族のほうが軍事的には強いってのは、近世以前に繰り返されたパターンだろ。
ゲルマン民族しかり、アヴァールしかり、中国の北方民族しかり。
文明化されると文弱に走るからな。
近代以降、銃砲の物量がモノをいうようになると変わってくるけどさ。
現在の数倍の平野が広がっていた時代の文明というのは、現文明とまったく異なる経過を歩んだのではないだろうか。
それこそ、どこを向いても真っ平らだからな。それこそ土地、食料問題など存在しない、マターリとした洪水時代以前の文明が存在したと考えてみる。
ま、何時になるかはわからないけど、それこそ氷河期が来て、大陸棚の文明が発掘された時に、古い伝承が証明されるんだろう。
>>103 エジプトの遺跡で現在砂漠から発掘されるものは、当時も砂漠の中に建てられたものばかりですよ?
ナイル河周辺では、ここ6000年程大きな気候の変動が無かった事が貴方の言う古気象学で明らかになっています。
エジプトでは、人の住む沃野(当時の言葉でケムト)と、人の住まない砂漠(当時の言葉でデシェレト)とは古来から明確に分けられ、デシェレトには墓や神に捧げる神殿などの浮世を離れた建造物しか造られませんでした。
また、サハラ砂漠のワディ(枯れ川)についても、タッシリ・ナジェールの調査等かなり研究・発掘は進んでおり、そこに住んでいたのが旧石器人であった事はわかっています。
また、砂漠化を逃れて人口が集中した事で文明が発生したと言うならば、それ以前の人口が分散した状態で同様に文明が発生していた可能性は低いのでは無いでしょうか?
むしろ、気候や環境の安定が文明発生の1要素である事の証左では無いかと思いますが?
文明は継承され、常に右肩上がりで発達するという考え方に疑問を呈したい。
むしろ、環境の変化によって簡単に消滅し得ると言いたい。
次に生まれた文明はもちろん0からのスタートではない。
しかし、その文明以上に別の方向に発達した文明がかつて有った事も十分考えたほうが良い。
現在のような比較的安定して発達した状態も、文明の発達の1つの形にしか過ぎないと思ってみる。
侵略者の文明等等と言う人が居るが、侵略者の居た地域の発掘は相当に遅れていると見るべきではないだろうか?
むしろ、侵略者がどこから来たのか特定できる研究成果は無いと言うべきではないだろうか。
現在、発展途上国であったり、貧しいというイメージで過去の状況を想像するのは合理性に欠く。
現在の気候条件で古代文明を語るのも止めたい。
なぜ6000年に限定してしまう?それ自体合理性にかける。
>>107 あなたの文章は、タッシリ・ナジェールに旧石器時代の遺跡が有った事を述べているが、
過去の文明が無かったことを証明できる部分はどこにも無い。
砂漠化による人口の集中はあくまで、エジプト文明に対する1つの仮説をあげたに過ぎない。
サハラのジャングルで人口が分散していた時代に、別の離れた地域で人口の集中が起こっていたと考えてみてもよい。
アメリカ以外の過去の文明が、四大文明にすべて集約されるという固定観念をお持ちであれば、それを捨てなさいと言いたい。
>>95 それを言ってしまうと、文明があったかも知れないと言う説こそ単なる推測に過ぎなくなってしまう訳ですが?
現段階でわかっている事を前提に、理論を組み立てる事が学問と言う物でしょう?
無論、新たな発見があればモデルは修正されるでしょうし、発見が無い以上は従来の知識の中からモデルを組み立てるしかない訳ですから。
現在の地球物理学では、各氷河期の地球的な気候分布のモデルはほぼ解明されていますし、海水面の推移についてもほぼ明らかになっています。
少なくとも、シベリアが数十万年に渡って現在と同じ凍土気候である事も、また、3〜1万年前に中央アジア周辺が比較的寒冷な気候だった事もわかっている訳です。
同様に、その時期のメソポタミア周辺の気候が温暖だった事もわかっています。
インドネシアの海進が始まったのが今から1万4千年程前だと言う事もわかっています。
また、現生人類の誕生が約3万年前と言うのもそれを覆す発見が未だになされていない以上、現段階では確定的です。
また、新石器時代の始まりが約1万年前の事で、現生人類の誕生から実に2万年の時間がかかっている訳です。
以上の事実から組み立てたモデルなのですが、そんなに合理性を欠いているでしょうか?
また、イェリコやジャルモ、チャタル・ヒュック等の初期農耕文化からシュメールまでの繋がりは、時代毎の発掘の成果から明らかになっている事です。
装飾品や土器などの類似性、連続性等もその傍証となっています。
つまり、現段階での文明発生へのプロセスは、それ以前の未知の文明を考慮に入れなくても問題無く説明できる訳です。
そもそも、四大文明自体、運良く発見できただけで、
それ以外に、発掘されていない、失われた文明が有る事を否定する証拠に乏しい。
四大文明やその周辺の発掘成果が、それ以前の他地域の文明の存在を否定するといった論調は合理性を欠く。
むしろ、それ以外の地域での発掘や研究というのは、これから成果が上がってくる。
あなたの文章は、エジプトの過去6000年の気候について述べられているが、それ以前、あるいは、エジプト以外の地域については
触れられていない。
無い事を証明するのは、有る事を証明する以上に難しいという事を思い出してほしい。
>>108-112 ありていに言ってしまうなら、「もっと勉強しなさい」としか言えませんね。
素人だからわからないと言うのは単なる怠慢に過ぎません。
まず、貴方の言われる中央アジアやカスピ海沿岸での発掘や調査は、かなり以前から行われています。
またサハラ砂漠での調査も、タッシリ・ナジェールだけではなく極めて広い範囲で調査が行われています。
その結果、古代文明の痕跡と呼べるようなものは、いずれの地域でも未だに見つかってはいません。
学者たちは貴方が思っているほど怠慢ではありません。
6000年前と言ったのは、エジプトの乾燥化が終わり、安定した時期だからです。
何故合理性に欠けるのでしょうか?
また、私は現在のイメージや気象条件を根拠にした事は一度もありません。
また、四大文明と言う古臭い概念にもとらわれてはいませんし、固定観念も持ってはいません。
もし新たな発見があれば、それを元にまた新たなモデルを考えるだけです。
それが学問と言うものでしょう?
たとえば、氷河期レベルの気候の変動と数千年の周期の気候の変動を同じ研究成果として捉えていないだろうか?
数万年の気候の変動周期の中の数千年の周期というものが研究成果としてあがってくるのはこれからではないだろうか?
あなたの文章のすべて分かっています、確定的ですと言う所の具体的なデーターの検証はあなた自身済ましているのだろうか?
シベリアが数十万年に渡って現在と同じ凍土気候であるということを発表した論文の内容についてあなた自身、十分検証がなされ、合理的であると考えた上での結論だろうか?
数十万年の間に、数千年でも温暖であった事は無いことを完全に立証するデーターであると十分に検証したのだろうか?
その他の部分についても、同様に。
あなたが、具体的な論文やデータについて、十分に検証していないものを確定的とか、分かっているとか言うのは、明らかに合理性を欠く。
通説として教え込まされているものを述べているだけだとしたら、否定できるだけの根拠に欠く。
あなたをやり込めている様で、大変申し訳ないが、合理的に無い事を証明するということはつまりはそういうことなのだと理解してほしい。
そもそも、あなたは、これまでの研究成果や発掘が、過去を語るに十分な質と量を持っていると考えているのだろうか?
私は、研究者を怠け者呼ばわりした覚えは一度も無い。ただ、やはり、全否定するだけの合理性に乏しいと指摘している。
もう一度言うが、無い事を証明するのは、有る事を証明する以上に難しいという事を思い出してほしい。
119 :
世界@名無史さん:02/08/25 13:35
発掘データーが無い=文明が無いと言う研究者は未だに多い。
>>119 根拠のないところからは学問ははじまらないってこと。
悔しかったら、シュリーマンよろしく自分で掘ってくるこった。
>>118 ずばらしい。やさしい「有る事を証明」の方をやって見せてョ
>>117 やりこめているように感じているのは自分だけだろ。何にも知らない素人が
電波飛ばしているだけにしか見えん。
117は素人の電波であるが、それに対する反論は、検証が不十分な通説を垂れ流しているに過ぎないし、合理的なものの考え方が出来ていない。
125 :
世界@名無史さん:02/08/25 15:47
捏造事件のときに盛んに言われたことではあるが、合理性に欠ける知識や過去の研究成果を振りかざしても意味が無い。
論理的に考えれば分かると思うが、無いという事を証明すると言う事が、どういうことなのか考えて欲しい。
発掘によって証明できるのは、有ると言う事だけだぞ。あとは、発掘のデーターに検証性が有ると言うことが大事。
無い事を証明するなんて考え方事態、おかしいだろ。
アカイア人、ヒッタイト、アーリア人
彼らはみな中央アジアから移動し、先にあった文明を破壊しつくした。
彼らの住む中央アジアに文明はあったのであろうか?
127 :
世界@名無史さん:02/08/26 02:14
>>88 それと、ムーの伝説を重ねると結構おもしろいよ。
インドネシア付近の広大な大陸棚は、氷河期には大陸であったらしい。
その移民はミクロネシアの島々へ散っていったとか。
ってすると、色々つじつまは合うんだよね。
まぁ、妄想かもしれないけれど。
128 :
世界@名無史さん:02/08/26 02:32
>>126 :世界@名無史さん :02/08/26 00:46
>アカイア人、ヒッタイト、アーリア人
>彼らはみな中央アジアから移動し、先にあった文明を破壊しつくした。
大雑把な話してるな。
とりあえず通説程度から書くが(w)。
アカイア人は黒海西岸方面から流入したか?と推論されてる。
ヒッタイトはタウロス山脈東の高山地帯にいたハッティと呼ばれた他部族集団の内から
なんらかの求心力を持った連中が軸になって、小アジアに入った頃は、ヒッタイトになっていた、
と考えられてるね。
アイルヤ人というのは、イラン高原にいた、当初は遊牧の民族だったと推定されている。
>彼らはみな中央アジアから移動し
などと言うのはどれも不適当だろ。
まあ、アイルヤ人の祖が内陸アジア西端、後のソグディアナから南下した可能性があるかな??くらい。
>彼らの住む中央アジアに文明はあったのであろうか?
文明の定義を述べないと意味不明の主張。
内陸アジアに、と言うか黒海近辺に、
「文明@20世紀的定義の小規模都市を持った未発見の社会」は
あったのではないかという「仮定」の元に、まじめな探索はされているよね。
「マルボキア文化複合態」とかいろいろな呼称で呼ばれてる仮定存在。
当然だが>内陸アジアに、「文明@近代社会型都市生活圏」があったとは、今のところ考えられないし、
「文明@19世紀的定義大型都市社会」があっただろう証拠も、今のところは皆無。
129 :
世界@名無史さん:02/08/26 02:39
>>127 世界史板にくるならムー大陸の話は近代の捏造であることくらいしっとけ。
「伝説」もクソもない。
>>129 ただ共通点があるから面白いねと
>>127は言っているだけで。
ムーが実在したとは言ってないぞ。
131 :
交易は都市に先行する:02/08/26 03:05
>>114 :世界@名無史さん :02/08/25 12:44
>そもそも、四大文明自体、運良く発見できただけで、
>それ以外に、発掘されていない、失われた文明が有る事を否定する証拠に乏しい。
四大文明(@19世紀的大型都市定義文明)が発見されたのは運良くではない。
単に都市の遺構が大規模だから。
>四大文明やその周辺の発掘成果が、それ以前の他地域の文明の存在を否定するといった論調は合理性を欠く。
>むしろ、それ以外の地域での発掘や研究というのは、これから成果が上がってくる。
これから成果があがってくるのは
文明(@20世紀的定常交易ルート重要ターミナル定義)の都市、
または交易ルートの復元。
文明(@20世紀考古学的定義)は、いわゆる四大文明のような大規模都市を必須としない。
ゆえに、
>四大文明やその周辺の発掘成果が、それ以前の他地域の
19世紀的定義の大規模文明の存在を否定するといった論調はなんら合理性を欠かない。
20世紀考古学的定義の、定常的交易ルートの結節点に築かれた小規模都市の文明の存在までを否定する、と言った場合、やや早計。
だが、必ず、小規模都市の文明が未発見である、という保障もなければ、そのような仮定をする必要も無い。
定常的交易ルートは、都市(@20世紀考古学的定義)の文明に先行するものでもあり得るからである。
132 :
世界@名無史さん:02/08/26 04:00
>>84 :世界@名無史さん :02/08/24 22:21
>インダス文明が、アーリア人によって攻め滅ぼされたと習うけど、
>そのアーリア人の方に、インダス文明を上回る文明が有ったんじゃないかというのがごく一般的な考え方だろう。
古代インダス文明の都市は、整然とした規則的な都市計画で知られている(知られていた)んだけど、
20世紀に研究が進んだ結果、
末期の層から復元された住居群は、盛時の計画性がなく、
いわばスラム化のような現象を示している事が知られている。
このスラム化のは、都市生活者の人口激減が理由と考えられている。
人口激減の理由は、河川の枯渇、交易ルートの移動、都市生活による環境破壊など
様々な理由が挙げられていて、どれが主要因かはまだ議論されている。
が、環境変動による河川の枯渇が、交易ルートの移動を招き、そこに都市生活による環境破壊が重なった、
とする説などが、現状説得力の高い説、かもしれない。
ともあれ、現在、19世紀に言われたような、アーリア人が侵入して古代インダス都市文明を破壊した、と
考える説は少数派になっている。
古代インダスの都市が崩壊しつつあるところに、アーリア系の諸部族が進出した、
と考える説が主流。
ゆえに
>アーリア人の方に、インダス文明を上回る文明が有ったんじゃないか
というのは、まったく一般的ではない考えになっている。
書き込みはスッキリ明確にね!(心
>>133 >>114とかが、自分なりの文明の概念規定を述べたうえで書込みしてりゃ、
たぶんもっとスッキリいくだろ。
こういう文明系のスレで「自分なり」の文明を定義したヤシなんて居るのかな
トイレがあった都市は文明都市
137 :
世界@名無史さん:02/08/26 18:06
>>136 そうするとパリが文明都市になったのはナポレオン三世の時か。
>>114 >そもそも、四大文明自体、運良く発見できただけで、
ぷぷぷ。
エジプトのピラミッドってお前の脳内では全て地下に埋もれてたのか。
バビロンとか旧約聖書ていどにすら出てなかったか?
中国では甲骨文字や殷墟が出る以前に、金文研究の伝統があったの知ってるか?
まあインダスは掘り返したものだけどよ。
四大文明なんてのは、見つけやすきを見つけたにすぎない。
まだ発見されない大文明なんてものが、仮にあるとしたらそれは後世に
さしたる影響も与えられなかった程度の文明ってこと。
四大文明に比すべくもない。
139 :
世界@名無史さん:02/08/27 03:50
>>130 サンクス!
他にも、インドネシア付近にあった大陸は
氷河期が終わると海に飲み込まれ、住人が散っていたこと。
土器を作る技術を持っていたが、移住を繰り返す課程で
その技術が失われたなど、ムーの伝説の元になったとされる
ミクロネシアの伝承の裏付けになっていて
掘り下げていくとおもしろいと思います。
140 :
世界@名無史さん:02/08/27 03:59
>>139 いや、だからムーの伝承自体がチャーチワードの捏造なんだってば(藁
141 :
世界@名無史さん:02/08/27 04:20
>>140 それはだれでも知ってるよ。
ただ、ムーの伝承の元になったとされている
民間伝承の裏付けにはなるでしょう?
142 :
世界@名無史さん:02/08/27 04:21
スンダランドの水没というか、氷河期の終わりから、ミクロネシアまで約1万年ある。
伝説が、そんな長期間伝えられる可能性を僅かでも認めるなら、それは電波。
ネタスレのような気もするが、既に論争は始まっているので、参入宣言。
しかし、超古代文明はオカルト板ではないの?
あ、とうとう出てきた「超古代文明」(w)
なんと、これまでこのスレでその言葉は一度も使われてなかったと思うが。
>超古代文明はオカルト板ではないの?
話題とアプローチ次第と思うがな。
ムー伝承の元になったかもしれない民間伝承、なんて話題は、個人的には民俗学・神話学板の方が向いてると思う。
アトランティス伝説の変遷、だったら(そんな話題は出て無いが)世界史板でもいけるかな?
プラトン、ベーコン、シュリーマンとかの話題だろ。
困ったことに、
>>1>四大文明発祥以前に、それらの文明に叡智を授けた先史文明
「叡智を授けた」って何のことやら曖昧すぎて意味不明。
「先史文明」も19世紀スタンダードでは語義矛盾。
この場合「文明」とは何を指すのかも曖昧で意味不明。
とりあえず、中央アジア地域限定の花粉分析結果から推定される第四紀の同地域の気候変動についての論文て言うのはあるのか?
あと、過去1〜2万年におけるスンダランドの海水準の変動について、詳細に検討された論文は有るのか?
データーの密度は1000年以下を希望。
できれば、同地域の海底地形図から推定される古陸図の再現までしてあるやつがいい。
教科書とか、一般書や専門書でなく、元の論文で話をしようじゃないか。
146 :
世界@名無史さん:02/09/14 17:56
age
147 :
世界@名無史さん:02/09/15 12:28
148 :
世界@名無史さん:02/09/23 04:35
ageときまする
150 :
>>147氏じゃないけど:02/10/02 23:59
>>150 チェックしてなかったから全然気づきませんでした(笑)
せんせぇ!点呼がとれますた!!
よし、じゃsageろ
153 :
ベンゼン中尉 ◆fjTeojqQ :02/10/03 01:06
中国の旧石器時代の文明でしたか、アンダーソン土器が欲しいのですが、本物は少なくなっているそうです。
どうでも良いけど、途中で自分の番号間違ってるな…元は90だったんだ、何で間違ったんだろう?
島流し状態だったのでスマソ
ヴュルム氷期が終わって急速に温暖化が進んだ時、人類(ってホモ・サピエンス
しかいないが)はどのように対応していったのでしょうか。
非常に大きな変化だったにもかかわらず、ここらへんを扱ったものが意外と
少ないような
156 :
世界@名無史さん:02/10/05 18:29
>>155 それは、扱ったもの少ないと思います。
南極で氷床コアがボーリング発掘されたのが、20世紀末です。
新雪が自重で氷床化するときに封じられる大気成分や氷床の層厚から
気候変化の細かいデータが採れるようになったのですが。
これは、研究者にしてみれば、つい先ごろって感じでしょう。
南極の気候変動を、どうやって各地の気候変動に参照するかにも
細かな処置が必要ですしょうから、ヴィルム氷期終了前後の気候変動については、幾つ物仮説が並立しているのが現状のはずです。
ですから、現状は「扱ったもの」一番出難い時期かと思います。
そうだったのですか。どおりで・・・
>>157 例えば、ヴュルム氷期が一端温暖化した後の、地球規模で一時寒冷化した時期が知られています。
ヤンガー・ドリアス期と呼ばれている時期です。
これが1万2000年前を中心にした時期で、前後数百年。
(大まかに800年前後だったと記憶していますが、ちょっとあやふやな記憶です)
このヤンガー・ドリアス期発生のメカニズム一つをとっても諸説ある状態で。
アイスランドやヨーロッパの氷床が溶融し、氷床内奥部に溜まっていた冷たい
水が沿岸部で一気に決壊して、海に流れ込み、冷たく重い深海海流となって
各地を冷やした、なんてモデル仮説が考えられてます。
が、電算機上のシミュレーションはできても、氷床の内に冷たい溶水がダム状
になっていたかどうか、地質状態から推定するのは現状ではなかなか困難らしいです。
何か、新しい測定技術が開発されれば、推定も可能になるかもしれません。
こんな感じです。
ほかにも、気候の変化に応じて気候帯の分布事態が変動していることはほぼ確実だそうですが。
その変動のメカニズムもうまく説明するモデルはまだ定説化してないようです。
ですから、せっかく南極で、細かい気候変動のデータが採れるようになっても、
それを各地の気候変動にリンクさせてくのに大変てこづっている、とこうした状態らしいです。
深層海流の話は聴いた記憶があります。確か東南アジア付近の温度上昇が約2000年
遅れていたことの説明だった(←超あやしい記憶)
ところで気象で使われている年代ですが、これは絶対年代なのでしょうか。
考古学で一般に使用されている年代は14C年代が多いようですが、最近はcal.BP年代
も使われていたり、しかも表記している年代がどれなのかの説明もほとんどなされて
いないので、素人泣かせとなっております。
さてと、また出稼ぎに逝ってきます。憂)
>気象で使われている年代ですが、これは絶対年代なのでしょうか。
古気象学についてですね、
私も専門ではない、という事である程度眉につばつけて読んでください。
絶対年代/相対年代と言う事は気象学では言わないのではないか?、と思います。
一応書いておきますと、相対年代と言うのは、出土遺物の形式に基づく編年の
事ですので。
古気象学の年代推定法は、みんな絶対年代です。
が、分析方法によって誤差の範囲が違う。
>表記している年代がどれなのかの説明もほとんどなされていないので、
>素人泣かせとなっております
そうですね。確度の高い推定年代です。
絶対年代と言えど、推定であることに変わりありません。
後、次のようなことは言えると思います。
地質調査に基づく推定はより誤差が少ないはずです。
が、古木の年輪を調べ、複数データを接合していって古気象を推定していくような場合、
どうしても誤差が大きくなるのではないか、という意見は聞くことがあります。
専門ではないので、判断は保留しますが。そういう意見も聞く、という事で。
>>160は、ちょっとはしょって書いてしまった。
一見、妙な主張をしてる文章になってますね。補足。
>絶対年代と言えど、推定であることに変わりありません。
絶対年代/相対年代というのは、
昔は、
歴史学(文献史学)と考古学(C14分析法が確立する前の考古学)の間で言われていた事です。
文献史学では絶対年代が割り出せるが、考古学(形式編年方)では相対年代しか割り出せない、
だから考古学は文献史学の補助学でしかないんだ、とか言って、文献史学、特に制度史の学者は、いばってた(w)。
多分、その反動だと思うのですが、
C14法が開発されてから、考古学者の方がこれこそ絶対年代だ、と言って見返した(?)。
ところが、C14法にも誤差はある。
その誤差は年代が古くなればなるほど大きくなる。また測定対象が高熱を帯びたことがあると、誤差は大きくなる。
ですから、今では考古学関係では、きちんとした情報には、誤差付きの絶対年代が示されています。
そうした誤差を補正する手法もあるのですが、結局、測定誤差は0にはならない。
これは、かつて文献史学の方で言ってた絶対年代とは、厳密に言えば、考え方が違う数値です。
文献史学の方では「絶対年代」なんて、今ではあまり聞かないような気がします。
>>160,161
解説感謝
絶対年代は表記ミスでした。[真の]年代かというのが本意です。
例えばよく12000年前に・・・と書かれているものを見ますが、この値は何を元に
割り出したものなのでしょうか。
この年代だと放射性炭素だと思うのですが、仮にそうだとすれば補正が必要だと
思います。そうしなければ他の測定法による年代と合わなくなるから。
それにしても一万年前の放射性炭素停滞期ってのはイタいですね。結構肝心な所
が曖昧。考古学ではここの所はどのように対処されているのでしょうか。
>>161 文献史学では絶対年代が割り出せるが、考古学(形式編年方)では相対年代しか割り出せない
そんなことで威張りかえられてもなあ(w
>>162 例えばよく12000年前に・・・
この時代に限って言えば、細かい年代を言うより
「更新世の終わりから完新世にかけて」とした方が
事の本質を捉えてる気がする。
>>162 >例えばよく12000年前に・・・と書かれているものを見ますが、この値は何を元に
>割り出したものなのでしょうか。
推測ですが、「1万2000年前に」の「大元」は、世界各地の氷河痕跡の地質学的調査だと思いますよ。
氷河の研究と言うのはヨーロッパからはじまった物で、過去には氷河期の存在も議論になっていた。
アメリカ大陸の氷河期痕跡からの推定とも大筋があうので、氷河期が学問的に認知された。
これ19世紀の話。炭素同位体年代測定が実用化されたのは20世紀の60年代の話だから割りとギャップがある。
後は、G・ハンコックみたいな超古代論者が何かと言うと「1万2000年前」を多用するので広まった部分もあるとは思いますが。
どちらにせよ、私が目にした範囲では、
>>156、
>>158で紹介したような、研究の動向とは関係ない物ばかりだと思います。
>>163 >そんなことで威張りかえられてもなあ(w
考古学って、振り替えってみると、実は不思議な学問だと思うんですよね。
私は、考古学の学問史のよい本がないか、探してるんですけど、なかなかこれと言ったのがないんですが。
a「美術史研究」、b「古銭学や金石学といった博物学」、c「歴史言語学」この3つのトレンドが、なんとなく集合して学問らしくなったのが、多分18世紀も後半の事。
19世紀に地質学、古生物学、人類学などが集合して分野が確立(?)。
20世紀に科学的測定技術が次々開発され、“科学的”になる。
アメリカだと考古学は人類学の一分野と位置づけられてるし、位置付けも国によって違う。
>>161>考古学は文献史学の補助学でしかないんだ、とか言って、文献史学、特に制度史の学者は、いばってた(w)。
私は、考古学と歴史学の対等の共同研究が成立したのは、1970年代頃からではないか?と思うんですが。
特に日本では、過渡的に「歴史考古学」なんて盛んに言われてた時期がありましたよね。
(今では当たり前すぎて「歴史考古学」なんて言わない:w)
私が思うに、「考古学と歴史学の対等の共同研究」成立するようになったのは、歴史学の方でも、例えば社会史みたいな観点が成立したからでは(?)、と思ってます。
>>.165
さらに人類学とも微妙にかぶる罠
>166
おまえ、レスをしっかり読んでないだろ・・・
>>165 考古学の歴史と言うのも面白いですね。
余談ごとですが、
昔、歴史というのは文字が現れてから以降のことを言い、それ以前は有史以前と呼
ぶと習いました。今にして思えばずいぶんと大雑把な編年ですが、このために歴史
という言葉を有史以前に当てはめるのが後ろめたく感じられます。
一方、考古学が示すところの編年は人類史であり、生物としての種が異なるにもか
かわらず連綿とした文化の流れを表しているのにも違和感を覚えます。
なんでホモ・サピエンス史の編年を作らないのだ と。
>>163 たしかに古気象学だけから見ればそれでも良かったのでしょうが、考古学と結び付
けられるようになるとそうも行かなくなっているように思います。
例えば、農耕開始のきっかけがヒプシサーマルと呼ばれる気候変動にあるというよ
うな仮説がでると、その前後に位置する遺跡に注目が行きます。ここにさらに細か
な時間軸が必要になってきます。
時間という基本的な次元が統一されていないと混乱のもとになるので、少ししつこく
追求しているしだいです。
ヒプシサーマル→ヤンガードリアス
>>168生物としての種が異なるにもかかわらず
連綿とした文化の流れを表しているのにも違和感を覚えます。
例の捏造原人、アレが嘘じゃなかったとしても
「日本史」の教科書に載せるというのはどうかと思った。
・・・「日本」も何も原人じゃん!
現生人類と繋がりがあるのかどうかも分かんないし!
171 :
世界@名無史さん:02/10/17 21:41
z
173 :
世界@名無史さん:02/11/01 21:50
age
ピルトダウン原人が闊歩していたのです。
=== 終 了 ===
178 :
世界@名無史さん:02/12/07 12:30
age
179 :
世界@名無史さん:02/12/07 18:02
180 :
世界@名無史さん:02/12/21 08:22
ウバイド期って都市文明と言える?
181 :
世界@名無史さん:02/12/21 13:13
>>180 言えないのでは
定義は知らんが王墓がでたら都市と呼んでいるように思える
>>181 でもウバイド期の集落って数十ヘクタールに及ぶものがあるよね。
183 :
世界@名無史さん:02/12/21 18:45
>>180-181 えーと、一般的には、
定住地の定住民にに、1次産業以外の専門職にて生計をたてている者の比率が高い場合が、「都市」の最低条件とみなされます。
研究者によっては、立場に応じて、その他の余条件を考慮して、都市であるとか都市でないとか言い合ってる感じですね(苦笑)<最低条件
従って、集落(定住地)の面積が広大であっても都市ではないこともあります。
逆に、フェニキア系都市のように、インフラの規模が極狭くても都市と呼べれます。たとえば交易拠点都市など。
王墓・王宮に関しては、例えば、遊牧民族の場合は、王墓が出たから都市」という予想は蓋然性が低いです。
一例、ミケーネ文明の場合、王宮に専従書記官層が多数従属していたことがわかってきてから、都市との見方が成り立ちました。
逆に初期ヴァイキングのように、首長みずから家業の牧畜なども監督していた場合は、この居城がある集落を都市とみなすかどうかがたいへん微妙な議論になるはずです。
184 :
世界@名無史さん:02/12/21 18:53
>>183 なるほど。
しかし、ウバイド期ウルク期のような文字の無かった時代に専門職の割合など解るもんなんじゃろか?。他の考古資料から推測するのかな?
185 :
世界@名無史さん:02/12/21 20:36
>>81 今更のレスだけど、脳容積=頭の良さとはちがう。
その理屈だと鯨は人間より頭が良いという事になってしまう。
それと関係あるかどうかわからないが、
最近ではチンパンジーなども人類に含める区分も出てきているね。
186 :
世界@名無史さん:02/12/21 20:49
チンパンジーが地域によって行動形態とか道具に違いがあり、
「文化」というものを持っているというのは有名な話だな。
187 :
世界@名無史さん:02/12/22 02:01
>>185 >チンパンジーなども人類に含める
ボノボも入れてやらないとね。道具を使うという観点だと、カラスも人類の一員だね。
188 :
世界@名無史さん:02/12/22 07:14
>>184 私は、専門研究者ではないので、ちょっと、中公世界の歴史の1巻を読み直してたのですが。
一応、ウルク期の初期(前3400年〜)メソポタミア南部の後のシュメール地方で都市化が始まったとされているようです。
ウバイド期の“都市”については記述が見当たらなかったのですが。
例えば「ウバイド1期(前5000年頃〜)小祭祀場が、継続して大神殿に発展していった様子が跡付けられる」などの記述がみられまして、個人的な読解ですが、ウバイド期末期の都市化は断定はできないが、可能性も否定できない、的な含みも感じました。
専門家は、イラクでの発掘調査をしたくて(再開したくて?)しょうがないんじゃないですかね?(苦笑)
>>184 >他の考古資料から推測するのかな?
広い意味での考古資料から推測するはずです。
>>189に記した、ウバイド期の集落発展に関しても、例えば――
>それまでこの地域では、漁労、小家畜の飼育、農業がバランスよく営まれていたのにたいして、――といった記述がありますので。
遺構、出土遺物、動物遺骨、顕微鏡的な物も含めた植物標本などから総合的に判断されるのだと思います。
後、今の考古学だと、近隣集落間の物流の跡付けもすごく考慮してますよね。
例えば、インダス文明の考古学なんかは、特にメソポタミア地方との交流で都市化したとか、都市が衰退して集落に戻ったとか、そういう記述をちょくちょく見かけます。
191 :
世界@名無史さん:02/12/24 04:27
沖縄海底(略
192 :
世界@名無史さん:02/12/27 17:08
>>184,198
NHK出版の四大文明のうちのどれかで対談があり、
その中で都市についても言及していたよ。
漏れ的にはそのような言葉に振り回されたくはないが・・・
193 :
世界@名無史さん:02/12/27 17:45
とりあえず世界中にはまだまだ未確認の場所が多い。
海底大陸棚、砂漠、南極、地下、など。
2003年に期待しる!
194 :
世界@名無史さん:02/12/27 18:23
>>191,193
ロマン派は別スレ立ててそっちでやってくれ
(^^)
196 :
世界@名無史さん:03/01/13 02:30
ここまで来てまだ未出なので挙げると・・・
新大陸が触れられないのはなぜ?
中央アメリカやアンデスの他に独自の文明と呼べそうな地域といったら・・・
ミシシッピ川流域やコロラド高原などでしょうか?
カリブ海の島々でも祭祀施設や球戯場を伴った首長制にまで発達していたようですが・・・
197 :
世界@名無史さん:03/01/13 05:43
ていうか、アメリカ大陸は四大文明とは系統自体が違いすぎる。
ジャルモ2号丘9層、チャタル・ホユック東6層、ヤムリ・テペ1層は
同じ年代だと思うがどうよ
200 :
世界@名無史さん:03/01/27 21:39
200
201 :
世界@名無史さん:03/02/13 20:39
先史あげ
202 :
世界@名無史さん:03/02/19 06:15
保守
203 :
世界@名無史さん:03/02/19 13:02
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