もしもトルコがウィーンを陥していたら

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1メフメト十三世
お前ら今ごろ
頭にターバン巻いて、「アッラーアクバール!」と叫んでいたことだろう。
2郭図公則 ◆2getuhmE :02/07/04 00:01
3世界@名無史さん:02/07/04 00:02


     ,-一 "⌒ ー--- 、
     < ⌒            ヽ
     /    ∧ |ヽ      \   < アーイアーム アンチクライストッ と...♪
    (// /| / )ノ  ヽ       、
      / /| レ⌒/丶  ヽ       、
      レ |        トヘ      |           -ー-   从/
       ノ  ー "       )     |        /     ヽ
       〉        、__ノ      |       レ  /^| ∧    ミ
       |    _      |        |       VV\ レ,/v )
        |  < (\     |        |        〉` ゚   ゚〃|う    アナーキー!
        \. \ )     |        |       ∧. i二コ ノ|
          \___    |        |       | | ∧ー '|/| |
              |    |        |       | |1 ト-、| | |
             √ ̄ ̄ |         )      W | ,--_\| |
       ♪    /__ -- 一|        |        レ   \|
           //    /        ゝ       |   |  |
          /  /   L       ノ        |   )  〉
          〈 /      \    /         エ二コ  /
          /      |   )∧ (           L_
          /      /   " |       )) l

4北風:02/07/04 00:37
冬の訪れと共に撤退していただろう。
むろん、ウィーンを完全に破壊して。

……もしや、この時点でハプスブルク家の権力が衰えていたらホーエンツォレルン家がオーストリアを含めたドイツ統一を果たしていたかも……!
5世界@名無史さん:02/07/04 01:13
ウィーンは今のコンスタンティノープルみたいになってたんじゃないかな。
教会には尖塔が建てられモスクに変身。
ウィーンが東西文明の十字路といわれるようになる。もちろん名前もトルコ風に改名。
モーツァルトやベートーベンは、「アリ」とか「アフマッド」とかいう名前で
アジア風の行進曲を作曲してたかもしれない。
スルタンの都はウィーンに。付近住民はイスラムに改宗するもの続出。
スラブ人に飽き足らずドイツ系住民からも少年を徴集してイェニチェリを編成。
勢いを駆って同盟関係だったフランスに進出。パリを包囲。
6世界@名無史さん:02/07/04 02:02
おそらく2ちゃんねるなんかないね

野蛮人が世界を支配していただろう
7世界@名無史さん:02/07/04 02:12
そんなことよりバトゥがワールシュタットで引き返さなかったらどうなってたんだろう
8世界@名無史さん:02/07/04 02:18
オスマン朝はウィーンが兵站線の限界だからおそらく>>4が正しいだろう。
占領保持したとしても遠かれ奪還されていたと思われる。

ウィーンに遷都していれば>>5のようになったかもしれないが、
後背のアラブ地域を取り込んで進取の精神を失いつつあった16世紀のオスマン朝には
コンスタンチノープルを捨ててまでこれ以上西に進む気概はあるまい。
9世界@名無史さん:02/07/04 10:20
オーストリアがボスニアとかハンガリーみたいになってた
可能性が一番高いんでは?

ルター派の取り扱い次第では長期占領もあり得たと思う。
10世界@名無史さん:02/07/04 10:30
>>9
ドイツのルター派はトルコ保護国と化したオーストリアに逃げ込む。
ドイツ・ハプスブルグ家はベルギーに立てこもるもフランスにぼこられてあぼーん。
11世界@名無史さん:02/07/04 20:44
>>5
モーツァルトはアジア風の行進曲作曲してるがな……
12世界@名無史さん:02/07/05 07:13
またドイツに戦乱が……。
13名無しの歩き方@お腹いっぱい。:02/07/06 21:41
トルコ軍がウィーンを包囲したことにより
西洋人に軍楽隊や行進曲の存在が知られるようになったというのは本当でしょうか?

ズンダッ、ズンダッ、ズンダカダッタッ・・・・・・
こういうリズムはもろに西洋的と思っていましたが
実はトルコ時代からあったのでしょうか。
14世界@名無史さん:02/07/06 21:48
>>10
スペインに逃げ込む可能性は?
15世界@名無史さん:02/07/06 23:36
トルコがヨーロッパを席巻して各国王侯貴族がこぞって新大陸へ脱出して
いたら面白くなっていただろうなぁ。
16世界@名無史さん:02/07/06 23:42
ビートたけしの出演のCMで
「好きに生きてりゃ疲れるわけねぇだろ!」ってキャッチボールしているのが
ありますが、あのBGMがオスマントルコ軍楽隊マーチです。
確か民族音楽のCDで「オスマンの響き」ってのがあるんですが
それに収録されてました。興味ある人はどうぞ。
参考までに。>>13
17YP:02/07/06 23:46
ウィーン包囲網が舞台の映画って御存知無いですか?
あと、コンスタンチノープル攻略も。
18世界@名無史さん:02/07/06 23:50

>>14
度数切れ
>>15
とりあえず逝ってくれ。
>>16
イギリス


19世界@名無史さん:02/07/07 00:08
>>17
ウィーン・・・かドイツの城塞都市(原作のミュンヒハウゼンだと後者)だか
忘れたが、テリーギリアム『バロン/法螺吹き男爵の冒険』があります。

あとはゲッベルス指揮下宣伝省の肝いりで作られた戦時中のドイツ映画
『ミュンヒハウゼン』がありますな
20世界@名無史さん:02/07/07 00:10
コンスタンチノーブル攻略についてはトルコのマイナーTVドラマか
英国BBCの人形劇あたり(サンダーバードやモンティパイソンの類)
探すとあると思います。

見つかるまで我慢できない場合は、ヴェルナー・ヘルツォーク『フィッツカラルド』
いう映画見てください。蒸気船が実写で山に登ります。それだけです
21YP:02/07/07 00:14
>>19-20
即レス多謝です!! 探してみます!

>蒸気船が実写で山に登ります。それだけです
はあ?(笑
22世界@名無史さん:02/07/07 00:32
>蒸気船が実写で山に登ります。それだけです

ワラタ。
確かにコンスタンチノープル攻略の最大の見せ場ではあるんだが・・・
23世界@名無史さん:02/07/07 01:10
音楽の面から言えば・・・・
1、トルコ行進曲は生まれない
2、そもそも今日有名な音楽家達(モーツァルトとか)
 が名前を残すことはなかった。
んなもんかな
24世界@名無史さん:02/07/07 01:11
コーヒーハウスも生まれないから、バッハのコーヒーカンタータも生まれないYO
25世界@名無史さん:02/07/23 01:26
1529年に陥していた場合と1683年に陥していた場合とでは随分異なると思われる。
多分1529年の事なんだろうけど。
26世界@名無史さん:02/07/23 21:46
>1
残念!この構文は「アッラー」は主格になるから閉音節のままではなくて
ちゃんとallaahuになり、カナで表記するなら
「アッラーフ・アクバル」
と表記しなければならない!

'f`'l:アフアールって何形だろう?
27世界@名無史さん:02/07/27 18:46
25に同意。
後者なら北方戦争はひっくりかえると思われ。
28世界@名無史さん:02/07/27 18:54
つーかポーランドと戦ってるよりもウィーン落とす方が
よっぽど簡単だったんじゃないかと思うんだけど。
29世界@名無史さん:02/07/28 01:08
相手が悪いでしょ、当時のオーストリア=ハプスブルク家には
オイゲン公がいるから。
3028:02/07/28 02:01
>>29
いや、そうじゃなくて1529−1689の間にってこと。
ヨーロッパ各国で軍制改革が進んだ第2次ウィーン包囲より前にもオスマン帝国と
ポーランドは何度か戦争してるから。
31世界@名無史さん:02/07/28 02:23
>>27
で、ドイツ山分けするのね。英、露、仏には何を呉れてやろう?
32世界@名無史さん:02/07/28 10:40
子供向けの本に、このときのウィーン包囲がきっかけで欧州コーヒーが
誕生したと書いてあったのですが、真実はいかがなのでしょう

トルコ軍が大量に残していったコーヒー豆を使ったらしい
33山野野衾 ◆NDQJtGoM :02/07/28 10:42
>32
何度か出て来た話ですが、俗説らしいです。しかしウィーンが落ちていたら
19世紀にオスマン帝国はどうなっていたのか。
3483:02/07/28 16:08
第一次包囲だと宗教戦争の時代だから旧教の拠点が墜ちるのはどうなんだろう。
かえってカトリックは帝国下で戦乱のドイツより丁重に保護されそうな気もする。
成功してウィーンが東西文明の十字路になるのも楽しいのだが
第二次包囲のほうが成功の可能性低いだけに興味あるなあ。

>>31
北方戦争がひっくり返ったらドイツ、ポーランド分割?
領土的な事よりロシアの西欧近代化が大幅に遅れる。
それでトルコがどう変わるかが興味ある。
3527:02/07/28 16:09
名前打ち間違えた。
36世界@名無史さん:02/07/28 18:18
>>33
19世紀、どうなったんでしょうね〜
37雷怒:02/07/28 18:38
>26
名詞文(jumlah ismiiya)なんだから正しくは、
「主格」ではなくて「主部」(mubtada')なんじゃない?

>'f`'l:アフアールって何形だろう?
⇒何を尋ねているのかわかりませんが?
38世界@名無史さん:02/07/28 20:42
当時のトルコは、もうすでにガタガタだったんでしょうか?
それとも負けて領土を失い始めたからガタガタに?
39世界@名無史さん:02/07/29 01:18
崩れはじめるのは第二次包囲に負けてからですね。
内部では西欧と同じような近代的な変化が起きていたのを
帝国は復古という形で対処しようとしたんですね。
これはモンゴル帝国後継型の巨大帝国の宿命みたいなもんですが
それを新しい時代の対応と見ずに復古と考えてしまう、アジア的な限界です。
ロシアは北方戦争で西欧の対処法を取り入れて勝った。

ここにひとつ運命の分かれ道が確かにありますな。
40YP:02/07/29 01:43
>>39
簡潔な解説でなるほどです。

『魚は頭から腐る』
前から思ってたんですけど、これって色んな本で取り上げられたり、
歴史に残る程の名言なのでしょうかね。
41世界@名無史さん:02/07/29 03:20
最近では官僚がオスマン帝国の民衆不満に対処できなかったのは
社会の近代化に対応できなかったという見方がでてきてますね。

逆に『魚は頭から腐る』と考えて復古に走ったのが
オスマン帝国のアジア的な限界なんじゃないでしょうか。
西欧的な転換に向えばきっとロシアと立場は逆転してたでしょう。

ただしオスマン帝国は連邦国家のようなものなので解体が早まるでしょうね。
これもモンゴル後継帝国の宿命です。
42雷怒:02/07/29 16:05
>>37
「主格」で正解でした。
「主部」というのは文の構成要素(アナースィル=ジュムラ)ですから
「格」(ハラカト=ル=イアラーブ)とは別概念でした。
本筋と関係ないことで、すみません。
43世界@名無史さん:02/07/29 16:17
>42
いえ、
アクバールって言ったら動詞変化の第何形にあたるのかなぁと。

でも、ネタで書きましたので、お気になさらないでくださいませ!(笑
44世界@名無史さん:02/08/24 02:52
>>39
第二次包囲以降も実は結構長持ちしてるんですよ。
領土を多少失っただけです。
周辺の国と比べて見れば分ります。何つっても滅亡はロシアやオーストリアと同時だもん。
話はずれるけど前世紀初頭に此の3つと清の計4つっが消えたには凄い歴史上の変化だったと思う。
此以降世界から旧来の「帝国」は消えた訳で。
45世界@名無史さん:02/08/24 04:10
>>44
>前世紀初頭に此の3つと清の計4つっが消えたには

感銘しました。欧州の洪水を取り上げたニュースで
「今世紀最大の洪水」と言ってたので。
今世紀はまだ1年半しか経ってないんだもんね。
46世界@名無史さん:02/08/24 09:27
卒論で「今世紀に入っての燃料革命云々・・・」
ってかいたら、先輩に
「おい、今世紀はまだ一年しか経ってないぞ」
と突っ込まれたのを思い出した。
47世界@名無史さん:02/08/24 11:49
911はいつまで今世紀最大の事件であるやら。
48世界@名無史さん:02/08/24 14:17
アメリカがどこかに原爆を落とすまで。
49世界@名無史さん:02/08/24 14:33
オスマン・トルコがウィーンを陥落させていたら・・・

モーツァルトは、トルコを称えるトルコ行進曲を作曲し、
トルコを称える三日月型のパン、クロワッサンがウィーンを
代表するパンになったことだろう!
50世界@名無史さん:02/08/24 21:01
もしもモンゴルがウィーンを陥していたら
51世界@名無史さん:02/09/05 11:19
面白そうage
52世界@名無史さん:02/09/05 11:38
>>50
不毛の片田舎ということでどの道ヨーロッパは放棄されてたんじゃないの。
53世界@名無史さん:02/09/05 13:16
カトリック教国ってことでヨーロッパ一国汗国ででかかったかも
54世界@名無史さん:02/09/07 00:36
それよりもメフメト2世が死ななかったらローマはどうなってたんでしょうか。
スレイマン1世はイタリアへ行く気は全然無かったのかな。

>>34
第二次包囲だとスウェーデンがロシアの替りになるって事でしょうか。
でトルコには北からの圧力が無くなるから却って早く自壊する…て事は無いか。
55世界@名無史さん:02/09/07 01:09

 もしもトルコがウィーンを陥していたら
ウィーンで髭のない男を見つけるのは難しいだろう
56 :02/09/07 01:16
ついでにリンツまで占領してくれたら果たして後世に史上最悪の独裁者は生まれたであろうか
57世界@名無史さん:02/09/07 01:33
グルジアは征服されたけど、ちゃんと生み出したから、おそらくは…
58世界@名無史さん:02/09/07 01:36
>>54
それは、メフメト2世の最後の遠征がイタリア遠征だったと仮定しての話ですな?
ローマは割と簡単に落ちる都市なだけに、到達できれば落ちたんでなかろうか。
その後どうなるかはさっぱり想像できないが。
59世界@名無史さん:02/09/07 01:56
>>58
ローマが落ちるとカトリックの権威が今以上に崩壊していただろうね。
下手するとオーソドックス並みの分裂宗派になったかも。
60世界@名無史さん:02/09/07 02:39
1次・2次ともトルコの補給はギリギリだった。
そこで、2次包囲でたまたまウィーンというか上下オーストリアが征服されたと仮定する。
(それ以上は攻勢限界とする。)
実はハプスブルク〜オーストリアが列強の一に数えられるようになったのは、
17世紀末以降のバルカン半島再征服によって。
従ってウィーン陥落によってハプスブルクの威信が決定的に失墜するばかりか、
オーストリアの以後のパワーベースたるべき地域の回復事業は完全に遅れてしまう。
結果は・・・

1.
帝国内で領邦国家の自立化が強まる。
ブランデンブルク=プロイセンの興隆が半世紀早まるかもしれないが、
注目したいのはバイエルン。
ヴィッテルスバッハ家が皇帝家・反トルコ十字軍の担い手となり、ハンガリー再征服の旗手となる?
結果、19世紀末にはミュンヘンが「憂愁の都」として知られるようになっているだろうね。

2.
ヨーロッパ国際システムの比重は完全にフランスに傾く。
ライン方面じゃ、仏のクライアント国が続出するだろうね。
対仏同盟も形成されにくくなるから9年戦争・スペイン継承戦争も起こらなかった可能性がある。
・・・とすると18世紀の植民地戦争でも仏が英に勝利していた可能性もあるな。
日本の中学校じゃ今頃フランス語が教えられているかもね。
61世界@名無史さん:02/09/07 02:48
歴史にIFは禁物だが、これだけは何度妄想した事だろう。

ウィーンを占領した後、
レコンキスタが起ることはないのだろうか?
62世界@名無史さん:02/09/07 03:06
もしもトルコがウィーンを陥していたら

「もしもトルコがウィーンを陥せなかったら」
というスレッドが2chに立てられた。
63世界@名無史さん:02/09/07 03:12
たぶんウィンナワルツもウィンナソーセージもウィンナコーヒーも無かったのではないか?
64世界@名無史さん:02/09/07 04:46
>>54
北方戦争はスウェーデンとトルコは味方だから
第二次包囲でウィーンが陥ちてたらロシアに不利ということでは?
65世界@名無史さん:02/09/07 04:49
>>63
豚使った偽シュニッツェルが出なくなる
6654:02/09/07 04:54
>64
あの〜、だから北方戦争終了後の話ですよ。
67世界@名無史さん:02/09/07 04:57
北方戦争終了後もロシアに不利な状況が続くと思われ。
68世界@名無史さん:02/09/07 05:40
その後のロシアとトルコの立場入れ替わってた可能性は?
69世界@名無史さん:02/09/08 00:43
>>68
ロシアはアメリカの味方と云うか子分になってたでしょうね(今そうか)。
仏・瑞・土がアメリカの敵。てな具合には行かないか。
でも土耳其て一貫して大国だよなー。今でも西・墺より重要度は上なんじゃないの(イスラエルの所為だろうけど)?
70世界@名無史さん:02/09/09 18:21
俺がスレイマンだったらイタリア半島を制圧してたね。
71世界@名無史さん:02/09/09 18:29
ハプスブルクの天敵ブルボン朝が
ムスリムと結託してたから

次はブルボンvsムスリムとなったでしょう
72世界@名無史さん:02/09/09 18:52
ロシアはアジアに活路を見い出し19世紀末状況が繰り上がり成立?
73世界@名無史さん:02/09/09 18:52
イエニチェリ萌え
74世界@名無史さん:02/09/09 18:55
そういや、トルコ王室って皇后がかならず
異民族出身者だったんだろ?

異民族に対して寛容というか、積極的に
異民族の血をいれようとしていたんだな
75世界@名無史さん:02/09/09 19:19
>>74
つか、オスマン朝の時代は民族意識そのものが薄かったと思われ。
民族を主張したらたちまち帝国が瓦解するからね。
76世界@名無史さん:02/09/09 19:40
オスマン朝のスルタンになると、スルタンの一族は皆殺し
になるんじゃなかったっけ。身内の争いを避けるため。
だとすれば、皇后や側室は異民族になるだろう。
それなら跡取りが決まった後、遠慮なく殺せるもんな。
勘違いだったらスマソ
77世界史@名無史さん:02/09/09 20:11
正式には皇后ではなく「王子の母」って称号だけどね
78世界史@名無史さん:02/09/09 20:19
白人系が綺麗だからそっちを寵愛したから
>>74
79世界@名無史さん:02/09/09 21:00
>>7
そうそうトルコがウィーンを抜くよりもはるか昔の
バツがワールシュタット抜いてフランス辺りまで蹂躙してたら・・・
を想像するほうが楽しい
80世界@名無史さん:02/09/09 21:09
アッチラ→モンゴル→ウマイヤ朝→トルコと、
意外にヨーロッパも受難続きだな
81世界@名無史さん:02/09/09 21:12
>>79
元に征服されても支那文明は支那文明として存続したんだからバトゥがヨーロッパを征服してもヨーロッパはヨーロッパとして存続したのではないか?

トルコに征服されたらヨーロッパもイスラム化しそうだけどモンゴルじゃあまり変化なさそうに思う。
82世界@名無史さん:02/09/09 21:13
>>80
>アッチラ→モンゴル→ウマイヤ朝→トルコ
その後・・・
→我が世の春→米ソ分割→??
83世界@名無史さん:02/09/09 21:13
ボスニア=ヘルツェゴビナはスラブ系イスラム教国家だよな
あんな感じになってたんじゃないか?
84世界@名無史さん:02/09/09 21:18
>>81
まあ、ベースはそう変わらないだろうが、
仮にバツが欧州深くまで蹂躙したら、
今のヨーロッパにもいささかアジアンテーストが
残ったんじゃないかと思う。

建築とか、料理とか・・・
85世界@名無史さん:02/09/09 21:22
ハンバーグはタルタル肉が起源にだ
86世界@名無史さん:02/09/09 21:26
>>81
う〜ん、モンゴル帝国に限定すると
中央アジアではモンゴル王族が仏教寺院とか建てたけど、
結局主要王家が皆ムスリムになっちゃって殆どの現地住民のムスリム化が
加速したらしいから、

もしバトゥがヨーロッパ全土を征服支配したら、
ヨーロッパが独自の文化圏を殘すにしても、かなり多数のムスリムが混在する社会になったかも。

なにせヨーロッパは、ヴェトナムとか日本と違って平原地帯が殆どだから。
87世界@名無史さん:02/09/09 21:34
モンゴル人て柔軟そうだからカトリックもすんなり受け入れて
カトリック汗国が出来そうだけどなあ。
んでロシアみたいなでかい国がもういっこ西にできたはず。
88世界@名無史さん:02/09/09 21:38
>>69
北方戦争で土&瑞が勝ってトルコとロシアが逆転してたら…
ロシアが小さい共和国になってトルコが中央アジアやシベリア統治して
た可能性ないかな?
89世界@名無史さん:02/09/09 21:39
バルカン半島って一時、キリスト教からイスラム化して
いまだにイスラム教徒がいる、エジプトもコプトから
イスラム化した、中央アジアやインドネシアも
仏教からイスラム化した

イスラムのこの伝搬力ってどこからくるのだろうか?
90世界@名無史さん:02/09/09 21:41
国としてはそっちのほうが自然だが。
91世界@名無史さん:02/09/09 21:51
17世紀ともなると、ヨーロッパでは近代文明がかなり発達
してた時期だったけどなあ。そんな時代にトルコに攻め込まれ
「史上最大の危機!」。
でも、モンゴルのときの方が危なかった気がするけどね。
でも、個人的にはヨーロッパの史上最大の危機とは、やはり
カール・マルテルがツール・ポアティエ間でイスラーム勢力
を迎え撃ったときではなかったか。あの頃のイスラームの勢い
は尋常じゃなかった。文明もヨーロッパより遥かに進んでたし。
92世界@名無史さん:02/09/09 21:53
実際、ユーゴスラビアとかはトルコの領土だったわけだから、
オーストリアもそれらと似たような感じになっただろう。でも、
トルコはフランスやイギリスまでは攻めてこれなかっただろう。
歴史はそんなに変わらなかったんじゃないの?
93世界@名無史さん:02/09/09 21:55
もし、初期のイスラーム勢力がフランスを制圧していたとしたら、
歴史は本当に大きく変わっただろう。
今頃は、まだ産業革命が起きてないかもしれない。
94世界@名無史さん:02/09/09 21:56
ヨーロッパでイスラム圏って、トルコのイスタンブール周辺
とアルバニアとボスニア=ヘルツェゴビナくらいだろ

あまり周辺国と違和感ないよな
95世界@名無史さん:02/09/09 22:11
>>87
巡り廻ると、20世紀はもっと平和な世紀で、半端な
貧乏人の偽社会主義では無い、緩やかな社会主義的経済社会に
移行していた様なきがする。今よりよさそう。

96世界@名無史さん:02/09/09 22:13
>>93
それは逆。ムスリムは狂信的キリスト教徒より遥かに現実的な宗教。
ま、朝夕メッカに礼賛はしてたかもしれんが。
97世界@名無史さん:02/09/09 22:21
ジャワ人は礼拝もあたりまえのようにサボるし
戒律もあまり守らない。

日本がイスラム化したってやっぱり日本のイスラムはいい加減なものになるだろう。

アラビア半島の厳しい環境とぬるま湯のような安楽な環境の所では信仰のあり方も変わってくる。
98世界@名無史さん:02/09/09 22:24
だいたいヒゲはやしてねーだろ

高温多湿のところだからターバンじゃなく帽子だし
99世界@名無史さん:02/09/09 22:33
焼豚ケバブのないラーメンは考えられないよ。
100世界@名無史さん:02/09/09 23:20
日本だって肉自体宗教的に?タブーだったことを考えれば大したことはない。
101世界@名無史さん:02/09/09 23:22
>>94
どこまでをヨーロッパとするかにもよるが、
モスクワの周りにすらイスラム圏があるぞ。
白夜で日没までのラマダンの断食が不可能という話は笑った。
102世界@名無史さん:02/09/09 23:26
北欧にモスレムいったら餓死か w
103世界@名無史さん:02/09/09 23:41
俺がアメリカ人を馬鹿だと思うことはなかったろう
104世界@名無史さん:02/09/09 23:42
>>93
なんか知らんが初期はムスリムであることはアラブ人の特権(のようなもの)でもあった
あたりの話忘れてない?
一級市民としてのムスリムと二級市民のクリスチャンみたいに階層化した社会になって
キリスト教はしっかり残ったと思うけどな。
で、フランスでもレコンキスタが起こると。
105世界@名無史さん:02/09/10 01:09
シベリアもトルコ領萌え!
106世界@名無史さん:02/09/10 01:13
2ちゃんねるなんかないな。
107世界@名無史さん:02/09/10 01:48
>>97
単にアラビアでの解釈による戒律を守らず、自身の解釈による戒律に成っただけの気もするぞ。
で、日本ではぶどう酒以外の酒は禁止されていないとする戒律が主流に・・・
108世界@名無史さん:02/09/24 23:11
あげえ
109世界@名無史さん:02/09/25 00:59
>>88
当時のトルコにそんな志なさそう。
東地中海のおいしいとこ押さえてるのに、そんなクソ寒いシベリアにいくかと。
ペルシャさえ征服できなかったから中央アジアもきつい。
110それより:02/09/25 02:29
キリスト教世界にとっての最大のピンチは、
実はロシアの国教選択の時点だったと思う。
イスラムにするか、ビザンツの正教にするか、ローマカトリックにするか、
各宗教の代表者を呼んで、比較検討してビザンツの正教にしたんだが、
この段階でロシアがイスラムを選んでいたら、
西欧はイスラムに挟み撃ちされることになったはず。
ヨーロッパの南を占めるアラブ人と東を占めるロシア人が、
共同作戦をとってジハードをしかけていたら、ヨーロッパは占領され、
カトリックはエジプトのコプト派キリスト教みたいな地位になったはず。
111世界@名無史さん:02/09/25 02:39
>>110
でもロシア人はのんべえなんで、ムスリムなんて想像できない。
アネクドートで「キリスト教は酒は飲めるが夫人は一人だけ。イスラム教は酒は飲めないが夫人はたくさん持てる」
というので、ロシアの皇帝は酒が飲みたくてキリスト教を選んだといわれてる。
112世界@名無史さん:02/09/25 02:42
トルコ人もアル中ですけどねぇ…
113世界@名無史さん:02/09/25 06:51
イスラムの英雄バイバルスも大酒飲みで有名だしな
114世界@名無史さん:02/09/25 07:31
>110
そんな話があったなんて初耳。
でもジハードって向こうから攻めて来ないと発動しないはずだが…
115世界@名無史さん:02/09/25 07:56
>>110
その比較検討より遥か前からロシア人はコンスタンティノープルの文化に心酔してたから出来レースみたいなもんだった。
そこでイスラムやカトリックが採用されることはほとんどあり得なかったはず。
116世界@名無史さん:02/09/26 20:50
劣等人種であるトルコ人が優等人種であるアーリア人に勝てる
分けがない。
ウィーン包囲失敗は必然なことである。
もし、トルコ人のような劣等人種に負けるのであれば、それはアーリア人が
劣等人種であることが証明されたことになる。
117世界@名無史さん:02/09/28 15:30
スルタンて世襲だよね?末裔ってどこにいるのかな。
118世界@名無史さん:02/09/28 17:14
>>114
現代においてはそういう解釈が普通だが
本来のジハードは戦争によるかよらないかに限らず
イスラムの通用する世界を広げようとする行為を意味する。

>>117
現オスマン王家当主はニューヨーク在住。
119世界@名無史さん:02/09/28 18:53
オスマンサンコンがオスマン朝と関係がある事を意外と誰も知らない。
120世界@名無史さん:02/09/28 18:57
>>119
遠縁?
121世界@名無史さん:02/09/28 20:01
>>116
>>劣等人種であるトルコ人が優等人種であるアーリア人に勝てる
分けがない。

じゃあ日本人も漢民族やロシア人に勝てないってこと?
122世界@名無史さん:02/09/28 20:09
岡田英弘先生が言うには、
オスマン・トルコはアナトリアに駐屯したモンゴル軍が起源だそうです・
どのくらい本当の話でせう?
123世界@名無史さん:02/09/28 20:12
>>116
でも、アーリア人ったら20世紀の世界戦争に2回も負けたじゃん。
124世界@名無史さん:02/09/28 20:13
>>オスマンサンコンがオスマン朝と関係がある事を意外と誰も知らない。
「オスマン」はファーストネームですか?
むかーーしの元気が出るテレビに出てきた
ガンジーオセロといい勝負では(w
125世界@名無史さん:02/09/28 21:18
>>122
15世紀以降に著されたオスマン朝の年代記では、
始祖オスマン1世の祖先はオグズ族のカユ部族の族長の家系に属する
由緒正しいトゥルクマン遊牧民だったとされています。
『集史』によるモンゴルによる部族の位置付けでもオグズ族は
モンゴル帝国のモンゴル・トルコ系諸部族とは別系統の集団とされていたし、
少なくともオスマン朝側は自己の起源を
(広義の)モンゴルの末裔とは認識していなかったのは確実。

もっとも上記はあくまで伝説上の話なので、
現実のオスマン朝の母体は
ルーム・セルジューク朝とビザンツの中間の権力空白地帯を舞台として、
トルコ系遊牧民や流れ者の騎士や神秘主義教団員が
オスマン家を軸に結びついた戦士集団だったろうと考えられています。

いずれにせよ岡田説はオスマン朝史の側からは「(゚Д゚)ハァ?」。
もっともオスマン朝勃興のきっかけのひとつがモンゴルのイラン侵入による
トゥルクマン遊牧民のアナトリア移住と
ルーム・セルジューク朝の衰退にあることは否定できませんが。

>>124
オスマンは第三代正統カリフのウスマーンに由来するムスリムのファーストネーム。
126世界@名無史さん:02/09/29 08:51
しかし、チムールはどう考えてもトルコ系だが、
やっぱりそういうのもあって混同している人も多いのでは?
127125:02/09/29 21:17
>>126
ティムールはトルコ語を話すという意味で「トルコ系」といっても
もともと「モンゴル」に属するバルラス部の出自で、
チンギス・ハーン家にしか認められないハーンの称号を冒すことはなかった。
モンゴルの系譜に属さないオスマン朝が
スルタンにパーディシャーにシャーにハーンにハーカーンと
節操なしに名乗ったのとは好対照と言えます。
128124:02/09/30 18:12
>>125
>オスマンは第三代正統カリフのウスマーンに由来するムスリムのファーストネーム。

勉強不足ですた・・・・・ショボン・・・・
129世界@名無史さん:02/10/02 21:03
トルコ語ではヨーロッパ、ドイツ、オーストリア、ウィーンは
なんというのだらうか?
130世界@名無史さん:02/10/03 23:42
>>129
ドイツはアルマニア、オーストリアはアウストリア、ウイーンはヴィアンナ。
けっこう古風かも。
ヨーロッパ、は知らん。

ちなみにブルガリアはブルガリスタン、ポーランドはレヒスタン。
131世界@名無史さん:02/10/04 09:33
>>130
ヨーロッパはアヴルパ。

古い時代のトルコ語では
神聖ローマ帝国(オーストリア)のことをネムチェと呼んでいました。
これはスラヴ語のNemec(「ドイツ人」。語源は「唖者」)に由来。
132世界@名無史さん:02/10/04 09:38
>>1 キリスト至上主義者がトルコの世界貿易センタービルにテロ攻撃する
  
   
133世界@名無史さん :02/10/04 15:16
オスマントルコを含むアラブ地域では、
ヨーロッパ大陸のことを「ルーム」と呼んでいました。
これは「ローマ」の訛りで、バルカン半島から向こう側全てを指すときに
使用した語です。

(例)ルーム・セルジューク、ルメリ・ヒサリ要塞
134アレクシウス1世:02/10/04 17:19
>これは「ローマ」の訛りで、バルカン半島から向こう側全てを指すときに
使用した語

ようよう皆の衆、ローマ皇帝アレクシウス・コムネヌスじゃ。一言コメントしたくて
884年ぶりに蘇ってきたのじゃ。
ルーム=ローマ人の土地って意味じゃな。要するにトルコ人が小アジア付近に押し寄せた
11世紀は、まだコンスタンティノープルを拠点にローマ帝国(ビザンチン帝国)が
小アジアとバルカン半島にしぶとく残っていたからじゃ。
1071年、セルジュークトルコを撃つためにローマ皇帝ロマヌス4世は配下のローマ軍団
とともに御出陣なさったが御敗れになり、そのために
属州アルメニアや属州アナトリアなど小アジアの殆どをトルコ人に
奪われる結果となったのじゃな。トルコ達は新しく得た領土のことを、
ルーム人の土地(ローマ帝国の旧領)と呼んで住み着いたわけじゃな。
まさにローマ帝国の危機、
そこでいよいよ朕、アレクシウス1世(位1081−1118)の登場。
十字軍を利用してトルコ達を打ち負かし、ローマ帝国を再建するのじゃ。

9世紀ぶりに甦ったついでにもう一言。
何でも今時の歴史学者達は中世になってからのローマ帝国
のことをビザンチン帝国とか東ローマ帝国と名づけておるそうじゃが、
正式名はあくまで「ローマ帝国」じゃ。
そう、アウグストゥスやトラヤヌス帝のローマ帝国じゃ。
小さくなってもあの古代ローマ帝国と同じ国じゃ。
神君アウグストゥス様(BC27)に始まって1453年のコンスタンティヌス11世
まで何と1500年近くもローマ皇帝位(称号カエサル・アウグストゥス)は連綿と受け継がれてきたのじゃよ。
考え様では日本の皇室よりすごいいんじゃないかね?
135【^▽^】武装親衛隊ジーモン少佐:02/10/04 17:29
オスマン軍がウィーンを占領したらニンニク臭いトルコ野郎もルメーリアの改宗スラブ野郎も強姦を繰り返したであろう。
136世界@名無史さん:02/10/04 18:16
>>133
ルームはビザンチン人や旧ビザンツ地域、特にアナトリアを指す言葉で
ヨーロッパ全体を意味しません。
例えばセルジューク朝のアナトリアを支配した一族のことを
歴史上ルーム・セルジューク朝と呼ばれ、
(ルーム・セルジューク朝はヨーロッパ大陸を支配していない)、
ルーム・セルジューク朝の首都のコンヤに住んだ
高名な神秘主義詩人がルーミーの名で知られているように。

オスマン朝では旧ビザンツ領でもアナトリアはアナドルと呼び、
ヨーロッパ側の南バルカンを指した
ルメリ(ルーム・イリ、つまりルームの国)とは区別しました。
もっともオスマン朝式の火縄銃が中央アジアでルーミーと呼ばれ
明の万暦年間に魯迷鳥銃として中国にまで伝わったという話からすると、
他のイスラム国からは「ルーム国のスルタン」と見られていたようですが。
137世界@名無史さん:02/10/04 18:30
>>136 鳥銃・・・なんか感動
138世界@名無史さん:02/10/04 18:45
西ヨーロッパについては、
アラブ語と同様にフランクだろうか?
139世界@名無史さん:02/10/04 21:22
スレイマン大帝時代のオスマントルコの版図は、地中海帝国ローマに匹敵する。
もしオスマントルコがカトリックの国だったら、ローマ教皇は、ローマ帝国完全復活と喜んで
スレイマン1世を「ローマ皇帝」戴冠しただろう。
カール大帝もオットー大帝も顔負け。
140マイナーな話題:02/10/04 21:50
キリスト教でなく、マニ教がローマの国教だったらと考えて見る。

141世界@名無史さん:02/10/05 01:11
>>140
間に京に就いては全然知りませんがイスラムは発生しなかったって所に成るんでしょうかねぇ。
摩尼教の異端としてイスラムが出現して居たら?分からんなぁ…
ボゴミル派とか白蓮教とかてマニ教系ですよね?
支離滅裂で済みません。
142世界@名無史さん:02/10/05 01:35
>>139
戴冠前に法王庁がつぶされてそうな予感
143世界@名無史さん:02/10/05 01:38
あんまり変化無いだろう。
トルコ支配下にあったギリシアを見る限りは
144世界@名無史さん:02/10/05 01:41
>>143

ギリシアに刻まれた拭い去れないトルコ支配の跡をしらんのか?
145世界@名無史さん:02/10/05 01:43
>>144
トルコ支配無ければ今頃ドイツ並にrich?
146世界@名無史さん:02/10/05 01:48
>>145

ルネサンス期も、絶対王権の確立期も、産業革命期もギリシアはトルコの支配下
にあって、西欧の潮流からは完全に隔離されていた。
147世界@名無史さん:02/10/05 01:51
西欧各国はギリシアをヨーロッパ文明の故郷と見ているが、当のギリシア人たちは
文化的なアイデンティティーの確立に苦しんでいる。

もはやギリシア伝統文化として根付いてしまったトルコ文化の多さ。
148世界@名無史さん:02/10/05 01:58
>>143

まあ、アテネを歩いてきてごらん。
他のヨーロッパの街とは、根本的に違うことが分かるよ。

あそこは半分中東だよ。
149世界@名無史さん:02/10/05 02:05
>>148
文化的な影響は善悪つけられないでしょ。

150世界@名無史さん:02/10/05 02:06
ギリシア人は民族に染み付いたトルコ文化を殺ぎ落とそうとしているし、殺ぎ落とすのが無理
なものは、ギリシア文化だ、と言い張っている(例、コーヒー、ギロ)。

そうやってトルコを否定して取り戻そうとしているのが、ビザンチン文化だけど、これもビザン
チン帝国がトルコに滅ぼされたが故、現在に連なる西欧中心の世界史からは亜流となってしまっ
た存在。

古代ギリシア・ローマ→暗黒中世→ルネサンス→近代ヨーロッパという史観をとる西欧人からす
ると、ギリシア人の存在意義は古代ギリシアだけ。

結果、ビザンチンの思い出にすがりつくギリシア人は、すがらなければならないはずの現在西欧
に対しても、拭い去れない距離感を感じている。

すべては、ビザンチン帝国とその文化圏をトルコに制圧されたから。
母体を東に奪われ、西にもすがりきれないのがギリシア。
151世界@名無史さん:02/10/05 02:08
>>149
>文化的な影響は善悪つけられないでしょ。

善悪の話なんかしてない。
トルコ支配がギリシアに与えた影響の大きさを語っているんだよ。

143が、トルコ支配によってギリシアが影響を受けなかったかのように言っているから
152145 149:02/10/05 02:13
>>151
経済的な話をしてるって強調してるじゃん、145で
153世界@名無史さん:02/10/05 02:15
>>150
はあ〜、なまじ「過去の栄光」があるとやっかいだな。
日本みたいだと「なんでも受け入れるのが日本だ」という開き直りをナショナリズムの核に出来るけど。
154世界@名無史さん:02/10/05 02:17
>>152
>経済的な話をしてるって強調してるじゃん、145で

それへの回答は146。
それ以降は、文化的な影響の話をしてみた。
155世界@名無史さん:02/10/05 02:18
ギリシャの場合過去の栄光だけじゃなくトルコと戦争してるのが決定的でしょうね。
とにかくトルコを否定しなければならなくなってそのおかげで苦労する
156145 149:02/10/05 02:18

ポルトガルよりrich スペインと同じぐらい<ギリシア
他のバルカン諸国よりはだいぶ羽振りが良いよ
こんなもんじゃないの?
157世界@名無史さん:02/10/05 02:20
ギリシア人にとって一番大切なギリシア正教の1000年間の総本山コンスタンチノープルは、
今もトルコ領イスタンブールだしね。
158世界@名無史さん:02/10/05 02:23
>>156

このスレの趣旨からいけば、ギリシアがオーストリアより豊かかどうかが大切なじゃないの?

ただし、ギリシアの豊かさは、古代ギリシアへの西欧諸国の憧憬に追う部分と、戦後のアメリカ
による対共産圏包囲網形成のための投資が大きい。

ギリシア自力によるものはどれだけあるか?
159145:02/10/05 02:25
>>158
まね、観光が主な産業だからね。
160世界@名無史さん:02/10/05 02:30
少なくとも、トルコ支配下に入ったギリシアが、他の西欧諸国とは全く異なる
近代の歴史を辿ったのは事実でしょう。

もちろん、トルコ支配下以前から、文化圏としては西欧とは別だったけど。
でも、トルコ支配が無ければ、トルコ支配以降の東方正教の分裂もなかったかもしれない。
そうすると、もしかしたら、ギリシアは、バルカン以東において、西欧におけるイタリア程
度の地位を占める存在になれたのかもしれない、なんて妄想しなくもない(笑)
161世界@名無史さん:02/10/05 02:35
>>156みたいに表現するといい感じだけど結局はちょっと前までEC諸国中
最低の経済水準だったでしょ?>ギリシャ
162世界@名無史さん:02/10/05 02:41
>>139
コンスタンティノープルを陥してローマを継承したオスマンがなぜいまさらカトリック教会ごときから戴冠されねばならないのか?
163世界@名無史さん:02/10/05 02:46
現代のギリシア人とはキリスト教徒のトルコ人。
164世界@名無史さん:02/10/05 02:54
>>143
ヨーロッパがギリシアみたく成ってたら今の世の中滅茶苦茶変わってたと思うぞ。
165世界@名無史さん:02/10/05 03:53
しかし今現在のトルコは自分達をヨーロッパの一員と思いたがってるんだよな。
ギリシアとトルコの関係って微妙だねぇ。
166世界@名無史さん:02/10/05 04:01
>>165
微妙か?
あからさまに仲悪いだろう?
167世界@名無史さん:02/10/05 04:06
希土関係の悪さはキプロス問題がある限りどうにもならんだろうね。
168危険度:02/10/05 04:07
ギリシア、トルコ>>アイルランド、イングランド>日韓
169世界@名無史さん:02/10/05 12:10
劣等と犯島(奸国)は確かに危険だな
170世界@名無史さん:02/10/05 15:18
冷戦時代は、ボスフォラス海峡を領土内に持つトルコの方がギリシアよりアメリカから
戦略的に重視されたりしていて、ギリシアはそれを嫉妬していた。
171世界@名無史さん:02/10/05 15:30
>>170
ジェラシーは冷戦時代に限らない罠
中東・カフカーズ・黒海に面しているのは変わらんからなー
172世界@名無史さん:02/10/09 06:48
トルコは旧ソ連崩壊後
トルキスタンを市場にできて経済発展したのであすか?
173黒澤:02/10/09 06:49
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174世界@名無史さん:02/10/18 02:28
>>138
フランサ又はブルグンディア。
そういえばブルグントとブリュッセルとベルギーって語源的に関係あるの?
175世界@名無史さん:02/11/02 00:22
age
176世界@名無史さん:02/11/02 10:45
トルコ人の移動

モンゴル→中央アジア→イラン→小アジア→バルカン・北アフリカ
177世界@名無史さん:02/11/02 11:07
最後は第一次世界大戦に参戦して、ドイツ帝国とオーストリア・ハンガリー帝国
と仲良く命運をともにしましたけどね。
178世界@名無史さん:02/11/02 14:15
トルコがスウェーデンと組んでロシアを挟撃するチャンスて二回あったんだね。
北方戦争の時と、第二次露土戦争の時スウェーデンが参戦してる。
なんといっても北方戦争の時はほんとにひっくり返る可能性あった。
ウィーンが陥ちてたら今頃ロシアはあんなにでかくないね。
179世界@名無史さん:02/11/02 23:32
おもうけどユーゴってミニオスマン帝国って感じかね。
180世界@名無史さん:02/11/03 02:19
>>178
でもそうなってたらトルコはロシアに代われたんだろうか?
そればっかり気になる。
181世界@名無史さん:02/11/03 20:20
近代化する要因も大きくなるし可能性はあると思う。
少なくともカザンとかあのへんまでは近代までオスマン帝国の宗主下になったんじゃないか。
182世界@名無史さん:02/11/03 20:23
おお、中央アジアがトルコ領…民族も近いですしね。

けど、ロシアが弱くなってトルコがやや強くなるだけのような。
183世界@名無史さん:02/11/03 23:19
ウィーンが16世紀の第一次包囲で落ちて、首都にされていたらと
考えるとおもしろいね。

184世界@名無史さん:02/11/03 23:21
あと、ハンガリーがギリシアみたいになってる可能性もあるな。
チェコ・スロヴァキア辺りはどうだろう。
185世界@名無史さん:02/11/04 03:07
もしティムールがおらんでメフメト2世も死ななかったらスレイマンはパリを包囲してだろう。
186世界@名無史さん
スペインが孤立します。