1 :
世界@名無史さん:
ドイツ中世史が専門の阿部謹也氏は、最近「世間」や「教養」
について論じていますが、みなさんのご意見は?
ハメルーソを書いた時がピーク。あとは凡著。
3 :
世界@名無史さん:02/07/04 10:18
『「教養」とは何か』の中で、ハーバーマスの『公共性の構造転換』を引用して
「世間」を説明しようとしていたけれど、この部分はいまいちよくわからなかった。
. . .,............,...., 、 , .
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.|\
.∧/ .\∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧
< .>
< ここは糞スレに決まった! >
< .>
.∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨
5 :
世界@名無史さん :02/07/04 23:39
もうすこし詳しい話を聞きたいんですが。
6 :
世界@名無史さん :02/07/04 23:58
『学問と「世間」』(岩波新書、2001)
日本的な「世間」をフッサールの「生活世界」に依拠して捉え直し、
学問の存在意義について、この生活世界に役立つもの=教養(リベラル
・アーツ)としてその再建を提言するという内容。
大雑把でスマソ
7 :
世界@名無史さん:02/07/04 23:59
まぁ、そんなことはどうでもいいから1よ聞いてくれ。
この間やっとミナデインを覚えたんだ。
そうそうあのみんなで力を合わせてのミナデインだよ。
いやぁ、正直苦労したよここまで来るの・・・
やっと俺もミナデインまで来たかぁーって感じでさー。
いままでの辛い闘いを思い出し噛み締めつつ
一発かましてやろうと思ったわけよ。
そしたらさ、唱えても唱えても出ねーワケよ、コレがさ。
3回ぐらい唱えて諦めようとしたとき、
ライアンがこっちを申し訳なさそうに見てるんだよね。
さすがの俺もその意味に気付くのに時間がかかったよ・・・。
つまりこのバカがMPもってねーからミナデインが出ねーワケよ。
わかる、子供でもメラぐらいは撃てるこのご時世によ?
こいつはホイミすら使えねーんだよ・・・・。
やっと苦労して覚えたミナデインなのにさぁ・・・。
なぁ、1よ、俺どうしたらいい?
やっぱりバカな仲間の為に俺のミナデインは諦めるべき?
でもそんなのおかしいだろ?
1よ、お前の意見を聞かせてくれよ!
8 :
世界@名無史さん:02/07/05 17:43
阿部氏は、『「世間」とは何か』(講談社現代新書)のなかで、
『多くの日本人にとっては人類という観念は遠いものにすぎず、
「私達人類は皆兄弟」という科白もあまり実感をもっては受けとめられない』
と書いていたけど、それは欧米人も同じじゃないのかなあ。
彼らが実感をもって仲間と考えているのは同じ西洋人(白人)だけのような
気がする。
テスト
もっかい
ももっかい
もももっかい
もももももっかい
ももももももっかい
52519
17 :
世界@名無史さん:02/08/26 06:56
>8
日本人にとって重要だったのは自分の属する「世間」が
どの方向へ進むか、または世間の中で自分がどういう役割を
果たすかという事だったんじゃないかな。つまり独立した個人
で世界を捉えようとするのではなく、世間という組織を通じて
自らの思考を世界に反映させた。しかし、世間を通じて「人類と
いう観念」を考えるのは労が多い。多くの人が世間に埋没して
必死で自分の居場所を探しているのが今の日本じゃないかな。
西洋の場合は12世紀に個人が誕生した後、宗教改革を経て、
キリスト教が精神的に内面化した結果、今までの世間の役割が小さく
なったんじゃないかな。阿部さんは現在のヨーロッパでは世間
は解体されたと仰っていたと記憶しているんだけど、それぞれの
国が国際化する過程で、ギルドやツンフト、兄弟団に変わる新たな
世間が生まれているような気がする。それは「国家」であったり
8さんの仰ったような「人種」であったり・・・結論としては、僕は
ヨーロッパの世間は日本の世間より国際化した巨大なものであるため、
個人を確立できる機会が多いのではないかと考えます。
18 :
世界@名無史さん:02/08/27 15:03
むーむー、質問です
中国世界やインド世界にも世間の概念はあるのですか??
阿部先生はそのことに言及されてますか?
わたしの印象では、中国=世間どっぷり、インド=人類どころか神様という観念レベルで発達
20 :
世界@名無史さん:02/08/28 10:52
>>17 シュッツやバーガーの多元的現実&至高の現実の概念とあまり違わない気がする
21 :
世界@名無史さん:02/08/28 12:03
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1023260010/ 西欧における個人主義と公共性の成立
47 :40 :02/08/07 22:40
>>45>>46 先の指摘は、必ずしも日本の近代社会の美化を意図しているわけで
はないので御注意を。
要は、西欧のみを基準としてしまうと、西欧以外の社会との比較検
討が偏ったものになり、その社会の特質が見えなくなってしまうの
ではという点を強調したかったので。
例えば中国などは歴史的に公共性は存在しないといったような誤解。
溝口雄三『公と私』(一語の辞典 三省堂)は、中国の公私と日本
の公私との歴史的比較を行っており、非常に参考となりました。
48 :世界@名無史さん :02/08/07 22:55
中国には「家」(チア)という概念があるけど、その範囲は必ずしも
一定していないみたい。
同じ家に住む集団を指すこともあれば、広く宗族全体を指す場合もある。
また、「家」には特定の生業というものもない。
さまざまな姓の人々が住む村で、「街坊の輩」といって家族と同様の
世代秩序を想定し、伯父・甥などの呼称で呼び合うこともある。
中国では人民を「皇上の赤子」といったり、知県を「父母官」というように、
同族の人に対するような一体的な愛情を天下国家に拡大してゆくことが
理想だったらしい。
23 :
世界@名無史さん:02/08/29 06:25
塩野さんのスレに比べて安部先生のスレは伸びが鈍いな(;´Д`)
24 :
世界@名無史さん:02/08/29 07:24
しかも字が間違っている
世間についてのベストセラー書いた人ってこの人だっけ?
靖国に行こうとすると世間がうるさい。
27 :
世界@名無史さん:02/08/29 10:43
>>25 ベストセラーだったのあの本?「世間とは何か」だったっけ?
28 :
世界@名無史さん:02/08/29 15:07
>>27 講談社現代新書からでたやつかな?
その続編の『教養とは何か』も書いてるけど。
29 :
世界@名無史さん:02/08/29 15:32
>>28 筑摩書房の阿部謹也著作集第七巻に両方収録されてるね。
まだ読んでないけど、面白そう(・∀・)
30 :
ウルトラマンコスモス:02/08/29 15:34
31 :
世界@名無史さん:02/08/29 17:25
>>2 阿部さんの著作を年代別に順番に読んで行くと、「世間」に行きつく
のもよく理解できます。阿部さんの著作に「自分の中に歴史を読む」と
いう本がありますが、最終的に「自分が何者か」という問題に行きつく
というのは歴史・社会学に限った事ではないでしょう。そう考えると
ドイツ中世史を研究なさってこられた阿部さんにとっては今の「世間論」
がピークと思えてきます。
32 :
世界@名無史さん:02/08/30 04:32
世間とは何か?
は漱石とか何人かの「「世間」と戦った」作家を紹介し(もっと前の時代から
書いてる)日本では如何に「世間」というのが強く存在し、個人を重視する
人にとって足枷になってきたか、みたいな事を言ってたと記憶してるけど、
議論が薄くて、おいおいそれで終わりかよと思ったのを覚えてる。昔、二宮宏之
(仏史の大家)にケンカ売った書評を読んだ(たぶんアベキンヤがまだ小樽商科大
かなんかでひきこもってた頃書いたもの)時は、こいつやるなと思ったけど、一橋の
学長が日本における「世間」を批判してもね〜(別に批判はしてないのかもしれんが)。
阿部=ハーメルンの笛吹男。
今度は本人が笛を吹けども、人々はついてこず。
34 :
世界@名無史さん:02/08/30 05:37
>>32 阿部さんの『世間とは何か』は世間の批判ではないね。
「世間」を学問的研究対象として概念化しない社会学系の学問(歴史学も含む?)に対する批判ではあるけど。
publicって何ですか?
36 :
世界@名無史さん:02/09/02 09:02
世間 = 社会 でないというのが面白い。
37 :
世界@名無史さん:02/09/03 04:50
世間を「ムラ意識」的な感覚で捉えてるのですか、アベ君は?
38 :
世界@名無史さん:02/09/03 21:11
>>37 「世間」は、差別的で排他的な構造を持っていると書いていたな。
あと、「世間」はハーバーマスの代表具現的公共性の一類型と位置づけることも
できると。
39 :
世界@名無史さん:02/09/03 21:14
何で世界史板で?
と思ったが社会学板はバカばっかりだしなあ。
40 :
世界@名無史さん:02/09/04 04:32
学際的に行きましょう。
アベキンヤと言えば、一回「アメリカにおける中世」という話で目から
鱗だった事がある。『世間論』はう〜んだけど。
41 :
世界@名無史さん:02/09/04 13:46
>>40 アメリカ人の中世感ってアンビヴァレンスな面がありますよね。
やはり歴史に対して相当なコンプレックスがあるように感じます。
42 :
世界@名無史さん:02/09/04 14:34
阿部センセは
「絶対王政を経験したヨーロッパ諸国と違って、アメリカは今でも市民の
武装権を認めている」
「いまだ近親者による復讐が絶えていなかった西欧封建社会の慣習を
ひきずっている」
という意味のことを書いていたな。
43 :
世界@名無史さん:02/09/04 15:59
米国の「自分の身は自分で守る」という発想が中世の武装権そのものだな。
日本で言うと秀吉以前の状態ってことか。
44 :
世界@名無史さん:02/09/04 16:18
道理で中世仲間のアルカイダに愛されるわけだ
45 :
アマノウヅメ:02/09/04 16:55
>>42 そういえばアメリカのリンチは、最近までありましたね。
今でもあるかどうかは知らないけど。
あれは、武装権と復讐権が一緒になったようなものでしょう?
46 :
世界@名無史さん:02/09/04 18:54
>>45 『中世の窓から』(ちくま文庫)の、アジール(不可侵の避難所)について
論じている章で、
「植民時代の移住者たちが西欧から持ち込んだ法意識は、いまだ血縁者の
復讐が絶えていなかった西欧封建社会の慣行に基づくものであって、
それはリンチや市民による裁判などの初期の状況のなかにみてとることが
できる。1776年のヴァージニア宣言などにみられる個人の権利も、
西欧封建社会において育まれたものとみることもできるのである。
このような個人の権利の尊重と自衛権の尊重の延長線上に、アメリカに
おける政治亡命の存続をみることも、あながち突飛な想像とは
いえないであろう」
と書いています。
アメリカ史の専門家はどういうかわかりませんけどね。
なるへそ、だから高校生がハロウィンで撃たれちゃうのね
48 :
世界@名無史さん:02/09/05 09:18
何か、良いなこのスレ。
ヨーロッパの「腐敗」を嫌って、「近代」をうち立てたと
される合衆国に「封建中世」が色濃く残っているというのは
なかなか興味深い分析だ。歴史を連続と断絶から見るという
視点なのかな。しかし、アメリカは理念の共和国なんだから
理念に殉じないときその意義はどうなるの?
49 :
世界@名無史さん:02/09/05 10:29
>>48 「理念」がないと、アメリカという国はバラバラになっちゃうんじゃ
ないかな。
単に人間が住んでいるだけ。
国家の統合はおぼつかない。
50 :
世界@名無史さん:02/09/05 11:15
アメリカがインディアンと戦っていた頃の環境が欧州の中世に似ていた
んじゃないかな。裁判権や警察権が整備されていなくて、私闘が認められ
ていた。そして未だにその時代に郷愁を持っているのがアメリカ人。欧州
では武装権は騎士などの貴族階級の特権になっていったが、階級の無い
アメリカ社会では誰もが武器を持てる「自由」を作ってしまった。
51 :
世界@名無史さん:02/09/05 11:19
山内進氏も『決闘裁判 ヨーロッパ法精神の原風景』(講談社現代新書)で
「アメリカの民主主義や個人主義は多分に中世ヨーロッパの伝統を引き継いでいる。
彼らは絶対主義を知らない民であり、その限りで市民の自由と自力救済のシステムを
中世的世界から直線的に発展させ、可能な限り公権力に頼らず、むしろそれを
制御する制度と精神を築き上げていった」
「実は、いかにも現代的な法制度や法感覚を代表するアメリカにおいてこそ、
ヨーロッパ中世の「基層」が強力な磁場となり、強い磁力を放射しているのではないか」
と指摘しています。
52 :
他スレからのコピペ:02/09/05 11:24
20 :世界@名無史さん :02/07/10 16:00
ええ、しかし犯罪を犯した人間が集会で有罪であると宣告されても
原告側が被告に賠償金など「自分達の力で」請求しなければならんのだよな。
何もできなきゃ「臆病」「無能」呼ばわりされ社会的信用失墜するしさ。
21 :世界@名無史さん :02/07/10 16:30
北米の西部開拓時代で、シェリフのいない町、みたいなもんですか?
<原告側が被告に賠償金など「自分達の力で」請求しなければならん
22 :世界@名無史さん :02/07/10 16:52
被害者は基本的な倫理観や財産で有力者の協力を仰げるけど(有力者は力と度量を示し、支持を獲得して自分の力とする)
逆に根回しで被害者側が押し切られる事もある。悪評は自分の首を絞める事になるんだけどね。
シェリフのいない西部開拓時代ってのは近いかも。
ただ「いつでも復讐に行くぞゴルァ!」な人々が現代よりも多い社会。アイスランドには公権力ないからね。
>48-49
そう言えば、同じような「理念の共和国」イスラエルにも
ユダヤ教超正統派みたいな「封建中世(彼等の意識だと古代だけど)」がいるよね。
"理念に殉じない連中も集まる"ってのが多数派の理念なのかねぇ?
54 :
世界@名無史さん:02/09/05 12:58
>>49 カナダ、メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、オーストラリアに理念はあるの?
55 :
世界@名無史さん:02/09/05 13:56
>>54 特に「理念」と呼べるほどのものはないね。
そのかわり「タダの国」。
アメリカのような「特別な国」(良くも悪くも)ではない。
56 :
世界@名無史さん:02/09/05 14:23
ブッシュJRは中世の電波王と考えると全ての辻褄があうね。
イラクに第四次十字軍を送り込もうってか?
>>56 阿部氏も、山内氏も、アメリカや中世ヨーロッパの社会を否定的にばかり
とらえているわけではないです。
例えば山内氏は前掲書で、十字軍がアラブの地を支配していたときのことを、
「その野蛮なフランク人たちを嫌ったアラブの知識人の一人、イブン・ジュバイル
はまた、ムスリムがフランクとともに安楽に暮らしていることを伝えている。
これは、驚くべきことだった。ムスリムの『家屋は彼らのものだし、財産も
手をつけられることがない』。ところが、同じムスリムのもとではそうではない。
『事実、フランクは平等を旨として行動するのに、この同胞たちは同宗の者が
行う不正に苦しんでいる』。
この記録を紹介したアミン・マアルーフはいう。これは重大な事実の発見である。
「フランクにおける正義についての見解が、・・・『野蛮』と形容できる側面を
もっていたにせよ、彼らの社会は『権利の分配者』であるという長所を備えていた」。
「封建諸侯、騎士、聖職者、大学、ブルジョワ、そして『不信心』の農民でさえも、
十分に確立した権利のすべてをもっている。東アラブでは、裁判過程こそフランクより
合理的であったが、領主の専制権力にはいかなる歯止めもない」という見解を
紹介しています。
58 :
世界@名無史さん:02/09/05 20:56
アラブが現在かなりスカタンな政治システムしか持っていないというのは明らかですが、
だからといってイラクに攻め込んで良いとか、イスラエルの無道を放置して良い
ってことには普通ならんでしょ。
ブッシュジュニアはアメリカ史上でも最低ランクの大統領として名を残しそうだ。
59 :
世界@名無史さん:02/09/05 22:58
スレの内容から脱線するかもしれないが、ドイツ文学者の小塩節さんの著に
「旧日本軍は何故あれほど兵士を殴ったのだろう、日本軍が手本としたドイツ軍
は兵士を殴ると言う事はほとんど無かった」というような内容を記述されているが、
こう言う一面にもドイツと日本の社会(世間)の在り様の違いが見て取れる
のではないかな。
60 :
世界@名無史さん:02/09/06 09:14
>>59 う〜ん、「世間」というより、日本の前近代的な体質がああいう形で出た、
といえるかも。
現に、今でもロシア軍や韓国軍では兵士を殴るのが日常茶飯事らしいし。
61 :
世界@名無史さん:02/09/06 12:07
「世間」という概念には「前近代的」なものが多分に含まれて
いると考えられるのではないでしょうか。阿部さんの著書にも
「谷(やつ・やと)」などの村落共同体的な人間関係のあり方が
「世間」に大きく関わっていると書いておられます。
>>59さんの
記述にあるドイツ軍と日本軍の上官の部下に対する接し方の違い
は
>>60さんの言うような「前近代的な体質」が出たというのが
当たっているように思いますが、その「体質」こそが「世間」と
言えるでしょう。軍隊の人間関係ですから、特殊な事例も多いと
思いますが、その中で「個人」というものをどのように捉えてい
るか。ドイツと日本の違いが興味深いですね。余談ですが韓国の
軍人は旧日本帝国軍的だとよく言われます。ロシア軍で何故暴力
がまん延しているのかはよく理解できませんが、社会主義的な
体制が長く続いた事と経済的な問題による不満などがあらわれた
のではないかと考えます。
62 :
世界@名無史さん:02/09/06 14:29
>>61 ロシアでは、帝政時代にも上官が兵士を殴ることがあった、という話を
きいたことがありますが。
ただ、社会主義体制の下でそれがよりひどくなった、という可能性は
あると思います。
63 :
世界@名無史さん:02/09/06 15:00
>>61 西欧人は、意味なく他人に身体を触られることを嫌がりますが、
それと「兵士を殴らない」ことは何か関係があるのでしょうか。
韓国では、殴るのもコミュニケーションの一種みたいに考えている
そうです。
>>61 なんとなく韓国サッカーをみて、わかったような気がする。
65 :
世界@名無史さん:02/09/06 22:11
>>63 西洋人は自分たちの身体が神から授かったものという意識(無意識かも)
が強いのではないかな(印象だけですが)。他人から勝手に触れられる
というのは侮辱を受けたと感じるのかも。ただ私も意味無く触れられる
のは不愉快ですけどね。
>>64 ヒディング監督の最大の功績は代表チームから儒教を媒介にした人間
関係を取り除いた事にあるのでは(冗談です)
66 :
世界@名無史さん:02/09/06 22:34
確か、ドイツ軍は1930年代に兵士への体罰は禁止になったはず。
67 :
世界@名無史さん:02/09/06 22:56
ナポレオン時代のフランス軍には、古参兵によるイジメがあった
という話をきいたことがある。
フリ−ドリヒ大王時代のプロイセン軍には、脱走した兵士は
列間鞭打ちの刑をうけたとか。
68 :
世界@名無史さん:02/09/07 00:59
69 :
世界@名無史さん:02/09/07 17:04
阿部先生は、日本人は初対面の相手に対し、出身地や出身校を聞いて、どの
「世間」に属しているか確かめようとすると書いてたけど、
これがヨーロッパ人なら、相手がどの「階級」に属しているかを確かめようとするのかな?
ヨーロッパじゃ階級って、どんな学校を出ているか、どこに住んでいるか、
職業は何か、言葉のアクセントなどによって大体わかっちゃうんじゃない?
70 :
世界@名無史さん:02/09/07 21:58
>>69 確かにそうですね。私もドイツを旅行しているときに何度か
聞かれた事があります。しかも会話の冒頭に・・・。中には名刺を
くれるご老人も何人かいました(例外無く世界的に有名なドイツの
一流会社でしたが・・・)欧州版「世間」と言えるかも。
(´-`).。oO(インドならカーストなのかな・・・)
72 :
世界@名無史さん:02/09/08 20:57
>>71 日本人は世間に縛られ
ヨーロッパ人は階級に縛られ
インド人はカーストに縛られてるってことかな。
ところでアフリカの「部族」の区分や部族意識は多くの場合、植民地支配者が
人工的に統治の必要から作り出したもので、以前は多く自治的地方共同体で
あった社会に対して、地域的なまとまりを超えた秩序と統合を強制するための
政策によって生まれたらしい。
>>72 その3つのうちだったら、世間に縛られるのが一番だね。
日本人でよかったヽ(´ー`)ノ
74 :
世界@名無史さん:02/09/08 22:12
ヨーロッパだって階級間の移動は可能だぜ
75 :
世界@名無史さん:02/09/09 08:22
>>74 可能だけど、結構時間がかかりますよ。
>>70 ところで、ヨーロッパでは労働者階級の人が音楽や絵画鑑賞が好きだと、
「オカマ野郎」といわれたり、
インテリが日本の大学教授のようにプロレスやカラオケが好きだったりすると
奇異の目で見られたりするらしいです。
自分の属する集団に合わせなければいけない、という点では確かに日本の世間に
似てるかも。
76 :
世界@名無史さん:02/09/09 08:43
ロラン・バルトはプロレス論を書いたわけだが
うつせみ=はるのこころは のどけからまし
代=天皇ばんざい
浮世=金と女で宴会三昧
社会=文明開化の音がする
78 :
世界@名無史さん:02/09/10 21:16
阿部先生は日本の「世間」について、聖と俗が明確に分離していないとか、
犯罪と罪が混同されているとか書いてるけど、
そういう意味で第二次世界大戦後に欧米諸国で出てきた「人道に対する罪」「正戦思想の復活」
というのはある意味で中世への逆行なのかな?
法律的な問題が解決済みでも「道義的責任」とか言って賠償・補償を要求したりするし。
79 :
世界@名無史さん:02/09/13 13:31
>>78 なんとなく解る。聖と俗が明確に分離していない曖昧な状態から
村八分的な差別が出てくるような気がする。
80 :
世界@名無史さん:02/09/14 03:33
最近阿部謹也さんはドイツ物は書かれてないのかな?「中世を旅する人々」
のような本をまた読みたいのになー。
81 :
世界@名無史さん :02/09/14 03:53
阿部さんの本では『北の街にて』が一番面白かったなあ。阿部さんが北海道の大学に
赴任したときの話なんだけど、大学の給料のことを聞いちゃって「阿部さん、そんなことを
聞いてはいけませんよ」と窘められたりして笑えるシチュエーションがたくさん出て来るんだよ。
阿部さんと上原專禄、西さん。これらの人々のやり取りを見てるだけでもほのぼのして
楽しかったなあ。
82 :
世界@名無史さん:02/09/15 03:45
83 :
世界@名無史さん:02/09/15 10:02
>>82 一橋を卒業して、小樽商科大学の非常勤講師の職を得たとか。
西教授については「教養とは何か」でもふれられている。
84 :
世界@名無史さん:02/09/15 19:18
阿部先生のドイツ留学時代に書かれた著作ってご存知無いですか?
85 :
世界@名無史さん:02/09/19 16:10
>>84 確か東プロイセンのドイツ騎士修道会についての記述
だったと記憶しています。本の名前はよく知らないんだけど、
日本語訳の本もあるのではないでしょうか。
86 :
世界@名無史さん:02/09/21 20:18
阿部先生、以前歴史の教科書について面白くないことが問題だと書いていたけど、
教科書を呼んで面白く(つまり物語風に)したほうがいいということなのかなあ?
87 :
世界@名無史さん:02/09/21 21:06
うーん、阿部さんの場合、「自分の中に歴史を読む」、
つまり自分にも関係する問題と関連付けることができるってあたりを
面白い/面白くない、と評しているのではないか?と予想。
88 :
世界@名無史さん:02/09/22 22:15
>>86 内容が客観的過ぎて記述者の内面が見えてこない事。
89 :
世界@名無史さん:02/09/22 22:19
>>86 最近、歴史を社会学的見地から考察する本が増えているように
感じるが、阿部さんの「世間論」の影響を受けていると思われる
ものも多いと思う。阿部さんとは関係無いけど、中央公論社の
「世界の歴史」西ヨーロッパ世界の形成は、社会学に重点が寄り
すぎてつまらないと思う。旧版のほうが面白かったな・・・
90 :
世界@名無史さん:02/09/24 20:53
>>89 1982年に出版された網野善彦氏との対談集『中世の再発見』(平凡社)で、
「たとえばわたしが贈与ということを言い出すといろんなところから反論が
きます。文化人類学の概念あるいは民俗学の概念を安易に使うという批判が出てくるわけです」
といってたけど、最近の歴史学の風潮は変わってきてるのかな。
91 :
世界@名無史さん:02/09/25 02:01
>>90 先日NHK教育の番組で「阿部さんが主張する世間」という
ようなコメントがありましたが、こういうニュアンスの記述が
最近多いような気がします。かつては阿部さんの「世間論」は反論
どころか無視されていましたからね。
92 :
世界@名無史さん:02/09/28 09:47
スレ無くすにはまだ早すぎる age
93 :
世界@名無史さん:02/09/28 13:17
阿部センセ、日本の知識人について、
「日本にいたときには自分では意識せずに『世間』の規範に沿って行動し、
語っていた人が、『世間』が見えなくなった外国ではその規範もなくなり、
自由に行動し、書くことができるのである。そのようなときに彼は平衡感覚を
失い、極端な行動に出がちなのである。日本の知識人は一人になったときに
危ういのである」
と書いているけど、
これは例えば犬養道子、マークス寿子、林望、クライン孝子みたいな人たちの
ことかな?
外国に行って、あたかも自分も欧米人になったかのように語ったり書いたり
する人たち。
95 :
世界@名無史さん:02/09/29 22:36
同意。
サイードの「知識人とは何か」と、あとハバマス・ガダマー論争参照のこと。
>>93 結局異文化の中に入りこんだ時、深く認識していなかった
「世間」の概念を単に理不尽なものと思ってしまうんじゃないかな。
阿部さんが仰っているように「世間」は今まで学問的に研究されて
こなかった物だからね。
97 :
2チャンネルで超有名:02/10/01 11:45
98 :
世界@名無史さん:02/10/20 09:43
あげ
99 :
世界@名無史さん:02/10/20 12:29
よく「日本の閉鎖性」ということがいわれるけど、ヨーロッパの社会って
そんなに開放的かなあ?
以前、F1でホンダの車が連続して勝ったとき、ヨーロッパ人からはものすごい
反発があったってきいたけど。
あと、ブラジル人ドライバーのアイルトン・セナは、ヨーロッパでは爪弾きされて
孤独だったらしい。
100 :
世界@名無史さん:02/10/20 14:36
こと、自動車ということでは彼/彼女等(特に独、仏、伊かな)の
プライドは高いでしょう(「閉鎖性」の例としてはどうかという事)。
しかし、社会一般、生活レヴェルという文脈ではやはり、日本の
方が「閉鎖的」では。誰か言ってたじゃん。「日本以外の外国では
自分は〜人だな〜と思うけど、日本では自分が日本人では無いことを
思い知らされる」って、至言だと思うよ。
101 :
世界@名無史さん:02/10/20 17:07
>>100 逆に、日本人がヨーロッパに行けば、自分が白人(西洋人)ではないことを
思い知らされるのでは?
102 :
世界@名無史さん:02/10/20 20:33
北朝鮮が核開発を公言しているのに「疑惑を払拭する」なんて寝言言っている
首相なんかより、自分に向けられる核は何が何でも潰すブッシュの方が
マトモだと思うが。
103 :
世界@名無史さん:02/10/21 21:37
>>99 あれは閉鎖性というより利権がからんでるからじゃないかな。
ホンダ&セナが勝っても欧州のメーカーの評判を落とすだけだし、
テレビの視聴率も下がる。主にF1は欧州系のスポンサーが中心
になって資金を出しているからね。
104 :
世界@名無史さん:02/10/21 22:38
>>103 でもそれなら80年代によく言われた「日本市場の閉鎖性」も、
「利権がからんでいるから」ということにならない?
105 :
世界@名無史さん:02/10/30 11:36
>>104 FIA(&FISA)はイギリスvsフランスという構図も
あるからね。一概に欧州の閉鎖性の問題とは言えないと思うよ。
106 :
世界@名無史さん:02/10/31 11:56
「派閥」も阿部謹也さんの言う「世間」の中に入るのかな?
107 :
世界@名無史さん:02/11/07 18:52
108 :
世界@名無史さん:02/11/07 20:34
EUについて、「キリスト教国のクラブ」(コール前独首相)という言い方が
あるけど、これはヨーロッパの閉鎖性をあらわすものですか?
109 :
世界@名無史さん:02/11/10 17:52
>>108 NATOに加盟しているトルコがなかなか入れてもらえないからね。
そうこうしているうちにトルコではイスラム政権ができちゃった・・・
110 :
世界@名無史さん:02/11/10 20:36
■「トルコは欧州ではない」 元仏大統領
産経新聞 平成 14年 (2002年) 11月 10日 日曜日
欧州連合(EU)の将来像を探る協議会の議長を務めるジスカールデスタン
元仏大統領が九日付のルモンド仏紙との会見で、「トルコはヨーロッパの国
ではない」と述べ、トルコのEU加盟に暗に反対を表明した。EUは一九九九年の
首脳会議で、トルコに「加盟候補国」の位置を与えることを決めており、
総選挙でイスラム穏健派の正義進歩党(AKP)が勝利したトルコも十二月の
EU首脳会議のおりに加盟手続きの交渉などに着手したいとしている。
ラファラン仏首相は議長のこの発言に関し、九日のラジオとの会見で、議長の
「個人的見解」と述べ、フランスとしてはトルコが候補国であることに変わりはない、
との認識を示した。(パリ 山口昌子)
111 :
世界@名無史さん:02/11/11 21:48
>>110 トルコの欧州での位置付けは興味深いね。
112 :
世界@名無史さん:02/11/11 23:34
ジスカールデスタンは、
「トルコ加盟を認めれば、モロッコも加盟要求して欧州がどの地域を指すのか
わからなくなる」
と言っているらしい。
113 :
世界@名無史さん:02/11/13 06:21
トルコって文化的なところからみるとアジア・・・かな?
民族的にもアジア、で地域的にはヨーロッパ&アジア。
ややこしい国だな
114 :
世界@名無史さん:02/11/13 20:06
トルコ人達はトルコ=ヨーロッパだと思っているという話を聞いたことがある。
日本人が「アジアの東端と西端ってぇことで仲良くしよう」と言ったら、
トルコ人が「違う。アジアの東端とヨーロッパの東端で仲良くするんだ」と言ったとか。
115 :
世界@名無史さん:02/11/14 10:49
ttp://www.nira.go.jp/pubj/niranews/200007/n03.html ネーションを越える歴史は可能か?
−戦後ヨーロッパの試みから
『ヨーロッパの歴史』は、画期的な試みである一方で、深刻な問題点も抱えている。
第1に、植民地等に関する記述において、やはりユーロ・セントリズムの批判を
免れ得ないという点である。別言すれば、ヨーロッパ史自体が、ユーロ・セントリズムを
運命付けられているとも言えよう。第2は、そこで描かれている歴史は、旧カロリング帝国の
版図、とりわけフランスを中心にした歴史にすぎないという点である。さらには、
イスラム教徒等の非ヨーロッパ系マイノリティの位置付けをめぐる問題もある。
地理的にも、また民族的にも、ヨーロッパ内部の多様性が十分に反映されていないのである。
116 :
世界@名無史さん:02/11/15 07:17
ヨーロッパを地域として見るか、文化としてみるか、民族としてみるか
によってEUの進む方向が変わってくるだろうな。でも、トルコが入れて
もらえない背景はやはりイスラムだろうな・・・
117 :
世界@名無史さん:02/11/15 16:02
以前あるドイツ人が「我々は欧州人で、たまたまドイツに生まれただけ」と
言っていたが、欧州人という意識が広がっているのだろうか?阿部さんも
今後の欧州のナショナリズムの在り方に注目していると仰っていたけど。
118 :
世界@名無史さん:02/11/15 16:08
>>114 なんかの雑誌の旅行レポートで読んだんだけど、
現地のガイドにEU加盟のことを聞くと、お上はいろいろやってるけど、
やっぱりみんなトルコはヨーロッパじゃないと思ってるよ、みたいな事を言ったそうだよ。
結構意見は割れてるんじゃないの?
119 :
世界@名無史さん:02/11/15 21:54
W杯のときもそうだったけどトルコ人って親日的だよね。やはり
もともとモンゴル辺りの遊牧民族だったという意識があるんだろうね。
120 :
世界@名無史さん:02/11/16 00:20
>>119 日露戦争のちょい前に、日本沖で遭難したトルコの船の乗員を
日本人が救って(多くは水死したが)、トルコに送り届けたという
エピソードがある。
また、トルコは、日本を習って「アジアの欧米化」を断行した国で、
トルコ革命は明治維新の影響がある。
これまで日本との間に戦争がなく、ともにアジアとヨーロッパの
境界上の国だ、という意識が、とくにトルコの側に強いので、親日的。
このよい関係が続きますように。
でもって日本はもうちょいトルコと学術レベルの交流したほうが
いいと思う。
121 :
世界@名無史さん:02/11/16 05:35
したほうがいいと思うが、トルコの魅力を感じるきっかけがないと
人が集まらない。
122 :
世界@名無史さん:02/11/18 10:30
阿部謹也さんの「世間とは何か」を読もうとしたけど、けっこう
難しい本ですよね。私は日経ビジネス文庫の「世間を読み人間を読む」
のほうが読みやすかったのでそちらを読みました。
123 :
ウルトラマンコスモス:02/11/20 21:55
A型の特徴
●とにかく気が小さい
●ストレスを溜め込んでは、キレて関係ない人間を巻き添えにして暴れまくる
●他人の忠告を受け入れない、反省できない、学習能力がない(自分の筋を無理にでも通そうとするため)
●「常識、常識」と口うるさいが、実はA型の常識はピントがズレまくっている(日本の常識は世界の非常識)
●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす
●あら探しだけは名人級(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため、根が暗くうっとうしい
●一人では何もできない、女は連れションが大好き(群れでしか行動できないヘタレ)
●多数派(注・日本では)であることをいいことに、少数派を馬鹿にする、排斥する
●異質、異文化を排斥する
●集団いじめのパイオニア&天才
●悪口、陰口が大好き
●他人からどう見られているか、体裁をいつも気にしている
●DV夫が多い
●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(知障)
●頑固で融通(応用)が利かず、表面上意気投合しているようで、腹の中は各自バラバラ
●人を信じられず、疑い深い
●自分は常に自己抑制しているもんだから、自由に見える人間に嫉妬し足を引っ張ろうとする
●おまけに執念深くしつこい(一生恨みますタイプ)
●自分に甘く他人に厳しい(冷酷)
●要するに女々しい、あるいは女の腐ったみたいなやつが多い
124 :
世界@名無史さん:02/11/21 00:13
125 :
世界@名無史さん:02/11/22 13:53
阿部さんと堀越さんってめっちゃ仲が悪いんでしょ?
(^^)
129 :
世界@名無史さん:03/01/12 12:05
最近、阿部先生は日経の「半歩遅れの読書術」というコラムを書いてるんだけど、
ノーマ・フィールド『天皇の逝く国で』(みすず書房)を持ち上げているのに
違和感を感じた。
フィールド氏の日本に関する記述は、結構間違いや偏向がが多いと指摘されているけど。
130 :
世界@名無史さん:03/02/03 11:50
漏れまだ読んでないのに落ちると困るからあげとく
>>93 に登場した犬養道子、某雑誌で問題発言。
スレ違いでスマソ
>127
そうなの?
133 :
世界@名無史さん:03/02/18 21:57
134 :
世界@名無史さん:03/02/19 06:42
外国出れば「世間」が持つ人間関係をわずらわしく思うようになるよな。
でも、日本で生活している限りは世間の一員で無いと不安になる。外から
物を言う人って世間そのものを全否定して物を言う傾向にあるような気がする。
135 :
世界@名無しさん:03/02/23 17:10
阿部さんは西洋史学者としてはともかく、日本のことについては単なる
「日本が嫌い」な近代主義者のような感じがして嫌だった。では、欧米
に理想的な人間関係が存在するのか、と。
第一、個人主義的な近代志向ではなく、今日の情勢ではむしろ共同体の
回復を探るべきではないだろうか。
136 :
世界@名無史さん:03/02/24 05:03
>>135 < 第一、個人主義的な近代志向ではなく、今日の情勢ではむしろ共同体の
回復を探るべきではないだろうか
阿部さんが言及している西洋的公共性というのがあなたの言う共同体と言える
のでは?阿部さん自身も日本の江戸時代頃の公共性を見直す必要があると言って
おられます。
137 :
世界@名無史さん:03/02/24 05:32
「共同性」と「公共性」は区別しないとな。
138 :
世界@名無史さん:03/02/24 20:34
139 :
世界@名無史さん:03/02/24 20:53
>>135 もう一度ちゃんと読んだ方がいいよ。
西ヨ−ロッパとは異なる個人−共同体の関係を育んできた日本が、
突然西ヨーロッパ的個人−共同体概念を導入した。
なのに、西ヨーロッパ的概念を基礎とする人々や国家とはうまく付き合えない。
それは自らが身にまとっている西ヨーロッパ的概念が
日本の伝統的な概念とかなり異質なものだからだ。
彼らの考え方を理解し、また自らが身にまとっている考え方を理解する為には
西ヨーロッパ的個人−共同体概念とはなんなのかを考える必要がある、
阿部さんはそう言ってるだけなんではないの?
公共精神がどうの、と吠えてるどっかの政治歴史屋と一緒にしてはいけないと思われ
>>138 「世間」というのは共同性のことであって公共性じゃないってことでそ
?
142 :
世直し一揆:03/03/10 14:53
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけのもっともらしさ(偽善)に騙されるな!!)
●とにかく気が小さい(神経質、臆病、二言目には「世間」(「世間」と言っても、同じA型を中心とした一部の人間の動向に過ぎないのだが・・・)、了見が狭い)
●他人に異常に干渉し、しかも好戦的でファイト満々(キモイ、自己中心、硬直的でデリカシーがない)
●妙に気位が高く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする
(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際にはた
いてい、内面的・実質的に負けている)
●本音は、ものすごく幼稚で倫理意識が異常に低い(人にばれさえしなければOK!)
●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる)
●あら探しだけは名人級でウザイ(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格がうっとうしい(根暗)
●単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質、異文化を排斥する(差別主義者、狭量)
●集団によるいじめのパイオニア&天才(陰湿&陰険)
●悪口、陰口が大好き(A型が3人寄れば他人の悪口、裏表が激しい)
●他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(「〜みたい」とよく言う、
世間体命)
●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度
も言ってキモイ)
●表面上協調・意気投合しているようでも、腹は各自バラバラで融通が利かず、頑固(本当は個性・アク強い)
●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う)
●自ら好んでストイックな生活をしストレスを溜めておきながら、他人に猛烈に嫉妬
する(不合理な馬鹿)
●後で自分の誤りに気づいても、強引に筋を通し素直に謝れない(切腹するしかない!)●自分に甘く他人に厳しい(自分のことは棚に上げてまず他人を責める。包容力がなく冷酷)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男
前やのに、なんでや!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)
(^^)
144 :
世界@名無史さん:03/03/14 02:04
あっ、べけんや!
べからず。
(^^)
146 :
世界@名無史さん:03/04/07 22:53
さいきん阿部さん本出してるのかな・・・
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
<アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)←脳の機能的疾患(遺伝が要因)>
http://www.autism.jp/l-02-03-aspe3.htm http://www3.ocv.ne.jp/~cochome/kaisetsu.htm#chigai http://www.geocities.co.jp/Beautycare/5917/as/ ●接し方のルールがわからず無邪気に周囲の人に対して迷惑なことをしてしまうこと
がある。人を傷つけるということには鈍感です。年配の先生に向かって「おばあさん
先生おはようございます」と明るい大声で挨拶する生徒もいる。こういった言動をす
る場合にも彼らには悪意はない。
●小さな声でひとり言を言ったり、考えていることを声に出して言うことがある。
●融通が利かないことも学校生活で問題になる。時間割の変更や突然の教師の欠勤と
いう事態で不安を感じたりかんしゃくをおこしたりする。あまりに規則に厳格なため
に、遅刻した同級生に延々と注意をしたり、修学旅行などで消灯時間をかたくなに守
り、他の生徒の顰蹙をかったりすることがある。
●行動・興味・活動のパターンが貧困で反復常同的なことも自閉症の特徴である。すな
わち、日常の活動の様々な面にわたって柔軟性のないルーティン(決まった手順や日課)
を押しつける傾向、これを慣れ親しんでいる習慣や遊びのパターンだけでなく、たいてい
は新しい活動にも押しつける。そしてルーティンや個人的な環境の細部の変化(家の中の
置物や家具の移動によるなど)に対する抵抗がみられることがある。
●揺れる木の葉を見続ける子どもは興味のレパートリーが狭いとも言え、視覚的な敏感さ
があるといっても良い。
●精神遅滞を伴うものと伴わないもので大きく分かれる。100%果汁のオレンジジュー
スを思い浮かべてください。それにだんだん水を加えて薄めて行くと終いには水にごく近
くなる。一口飲んで「オレンジジュースだ!」とわかるものは自閉症、水に近いけれどな
にかオレンジの味が混じっているのがアスペや高機能・・。その濃度はさまざま。濃いオ
レンジジュースであったとしても早期の療育や周りの対応によって水に近づいていくこと
は可能。しかし間違えてはいけないのはオレンジジュースが一滴でも落ちている場合は
「純粋な水」にはなれないのです。
150 :
世界@名無史さん:03/05/13 22:50
なかなか新刊出ないね。
151 :
世界@名無史さん:03/05/16 02:32
NHKの「世界わが心の旅」で見た阿部謹也さんの「ハーメルンの笛吹男」
は感動的だったな・・・講演とかやっていたら行きたい。
152 :
世界@名無史さん:03/05/18 12:13
こんなスレがあったなんて・・・
2ちゃんを見直したヘルス板住人でつ
世間論むつかしすぎてほったらかし
もういちどチャレンジしよう
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
157 :
世界@名無史さん:03/07/29 21:20
近代に入ってから、世界のほとんどの国が、
「西欧のようになること」
を目指してきたわけですが、
実は西欧(とその延長線上にある北米)のような社会のほうが異質(少数派)
で、それを世界の他の地域の社会がまねしようとしても無理なんでしょうか?
それとも、時間をかければ、自由主義・民主主義・個人の確立といったものを
根付かせるのは可能でしょうか?
もう誰も読んでいないかもしれませんが…。
>>151 名古屋で講演会あります。お時間と興味があったら来て下さい。地方ですけど…。
2003年10月26日(日)14時〜(13時半開場予定)
於:大須演芸場(名古屋市中区・名古屋市営地下鉄の大須駅が最寄)
予約前売1500円・当日2000円(予定)
阿部謹也独演、阿部謹也×呉智英対談 質問コーナーあり(予定)
阿部さんの独演は、世間論を更に進めた話になる予定。
案内URLは
http://hello.to/hakugaku-hompo/です。
東京でやるんだったら絶対行くんだけどなあ。
しかし大須演芸場で講演会って変わってるな。
>>159様、レスありがとうございます。
名古屋なので東海地区と関西や関東など新幹線が通っているところでないと
来場しにくいだろうと考えております。
講演会後にBBSや拙サイトにて簡単な報告をしたり、
観客から感想を書いていただいたりすることになると思いますので、
興味があればご覧下さいませ。
大須演芸場をご存知なのですか?
演芸場で、学者の阿部さんの講演会をするというのも
確かに変わっていますね。
落語やったりロック歌舞伎をやるところなので
かなり異質だと思います。
席亭のご厚意により格安で貸していただけるのと、
公共交通機関の便が良いことと、
大須演芸場がある大須界隈が名古屋ではかなりの有名商店街地域なので
良いかと思っております。
阿部さんのお話は、現在考えている一番新しいことになる予定ですので
阿部ファンの方にはかなり良い話になるのではないかと思っています。
私自身も高校と大学時代以来、阿部さんの著書に大きな影響を与えられた
ファンですので、とても楽しみにしております。
161 :
世界@名無史さん:03/09/17 23:58
あべきんage
162 :
なごや博学本舗スタッフ:03/09/29 00:23
またまたお邪魔します。
このスレッドの
>>158、
>>160で告知させていただいた
阿部謹也氏と呉智英氏のトークイベントの予約受付をはじめました。
第1部●阿部謹也 スペシャルトーク『日本人にとって歴史とは何か』
阿部氏が今まさに考えている未発表の考察。ファンには必聴です。
呉さんが阿部さんの業績などについても解説して下さる予定です。
第2部●阿部謹也×呉智英『世間と歴史と日本人』
17年ぶりの顔合わせ。質問コーナーがあります。
阿部さんに直接質問するチャンス。
◎2003年10月26日(日)午後2時から5時過ぎまで。
◎会場 大須演芸場
(名古屋・大須/地下鉄鶴舞線・大須観音下車徒歩5分
JR在来線・新幹線の発着する名古屋駅から大須まで地下鉄で約10分)
◎参加費 予約・前売/1,500円 当日/2,000円(全自由席)
内容詳細や予約方法については、
ttp://hello.to/hakugaku-hompo/ から入ってご覧下さい。
阿部さんも楽しみにして下さっているので、スタッフとしても恐縮してます。
163 :
世界@名無史さん:03/09/29 18:54
阿部さんの言う、「世間」っていうのは、社会人になって、組織に組み込まれたら
よくわかるよ。
日本の社会科学が死んでいるのもその「世間」を分析できない
ためっていうのにまったく同意。
だから、外人のウォルフレンがばっちり、日本社会の構造を分析してるのに
日本人学者は怖くて、ミクロばかりやってる。
164 :
世界@名無史さん:03/09/29 19:33
>>163 ウォルフレンの種本は丸山真男じゃないの?
165 :
なごや博学本舗スタッフ:03/09/30 17:56
>>163様、阿部さんが長年訴えてこられた世間論、
なかなか世に受け入れられないのは何故なのでしょうね。
ウォルフレンはあまり知らないのですが、
外国の方には日本の世間の構造というのは
とても明瞭に感知できることなのかもしれませんね。
大分前に、米国の大リーグから日本のプロ野球に来た選手が
日本の「野球」と米国の「ベースボール」は違う!
ということを感じた報告がありましたが、
まさに野球はベースボール能力だけではダメで、
日本的な人間関係も重要な要素であることを
阿部さんの世間論とは別の方向で示した名言だと思いました。
166 :
世界@名無史さん:03/09/30 22:56
>>163 その社会人の組織もリストラなどの人切りを見てると
「地域社会」同様に崩壊しつつあるような気がする。
>>165 当日券で行きたいと思うのですが、入場できそうですか?
167 :
なごや博学本舗スタッフ:03/09/30 23:05
>>163様、来場されたいとのお言葉、とても嬉しく思っております。
予約受付を始めたばかりなので、客足の状態はまだ良く分かりませんが
今までの私たちのイベントの入りからすれば、当日でも入れると思います。
ただ、今回はビックネームの阿部さんご出演、ということですので、
もしかしたら、ということも否定できません。
間違っていたら失礼なのですが、
もしもプライバシー漏洩を御懸念されておられるのであれば、
予約時には住所氏名などは必要なく、
メルアドとハンドル名さえ書いていただければ結構ですので、
メール予約なさって下さいませ。
博学本舗としてはメルアドを、予約確認と、次回イベント告知宣伝以外には
絶対に利用しませんので、ご安心下さると幸いです。
また、当日は開場が13時半の予定ですので、その前に並んで下されば入れるとは思いますが。
また予約状況が分かりましたら、告知いたしますので、お待ち願えますか?
>>167 早々のお返事ありがとうございます。実は私の当日の予定がまだ未定なので、
予約を控えようと考えているのですが(都合が付けば是非予約させていただこうと
思います)、大変興味深い講演と思うので当日入れれば大阪から行きたいと考えて
おります。予約状況をホームページ(又はこのスレで!)お知らせ頂けるなら
たいへん有難いです。
169 :
なごや博学本舗スタッフ:03/10/01 00:04
>>168様、当日の予定が定まらないため、予約ができない、
ということなのですね。
ご事情お察しいたします。
大阪からわざわざ来名していただいて、入れない、では
やりきれない、ということも。
できれば避けていただきたいことですが、予約を入れて下さって、
突発的出来事で来名できない、ということも可能です。
その場合、急用が入って、来られないことが分かった時点で
その旨、メールしていただければ幸いです。
また、私どものサイトに書いたとおり、全席自由席です。
ということは、予約をすれば会場には入れますが、
もしかしたら座れない、という事態もありえます。
スタッフ数が限られているため、指定席を作ったり、
残り座席数を確認する、という余裕がないためです。
大変申し訳ないのですが、ご了承をお願いいたします。
当日はお早めに来場していただき、お好みの席を確保されることを
推奨いたします。
168様が当日来場されますよう、願っております。
170 :
世界@名無史さん:03/10/04 15:16
age
171 :
世界@名無史さん:03/10/18 08:29
名古屋かー、行ってみたいな
172 :
なごや博学本舗スタッフ:03/10/20 05:59
>>171様、是非いらして下さい。予約締切も19日から21日に伸ばせる
ことになりましたので、もしも来名されるのでしたら、どうぞ。
会場の大須演芸場周辺は現在名古屋の一大観光商店街となっています。
屋根付きの部分が多いので、雨が降っても楽に歩くことができます。
173 :
世界@名無史さん:03/10/20 07:47
>>172 予約無しでもいけます?
土曜日は出張で名古屋にいるんだけど、
日曜日に時間があればいこうと思ってるので・・・
174 :
なごや博学本舗スタッフ:03/10/20 17:23
>>173様、予約無しでももちろんいけます。当日料金は500円高くなるのですが。
ただ
>>169にも書いたように、
13時半開場、14時開始ですが、万が一満杯になった場合、
当日に遅く来られると入れなくなる場合があります。
会場の収容可能人数は立ち見を入れて最大限200人です。
先週末現在で予約が50名程入っています。
多分満杯になることはないと思いますが、
直前に新聞に載ったりすると、急に増えることも
あり得ますので、当日、お早めに来場された方が良いかもしれません。
時間が空いて、173様が来場できることを願っております。
175 :
世界@名無史さん:03/10/22 08:07
>>174 どうやら都合がついたので行けそうです。
情報いろいろありがとうございました。
↑ 166です。
177 :
なごや博学本舗スタッフ:03/10/22 18:24
>>166(175, 176)様、お待ちしております。
大阪からわざわざお越し下さるとのこと。
大変ありがたく思っております。
178 :
なごや博学本舗スタッフ:03/10/27 17:26
このスレッドの書き込みをみて10月26日に来場して下さった方、
ありがとうございます。
不慣れなスタッフ故、さまざまな支障があったことと思いますが、ご寛恕下さい。
また、励ましのお言葉もありがとうございました。非常に勇気づけられました。
折角のお話なのに、こちらの宣伝力が足りず、空席がありましたが、
阿部呉両氏のお陰で収支はトントンでした。
阿部さんは論理的で明晰な言葉で独演、対談をして下さり、
非常に分かりやすいお話でした。
テープ起こししたものをそのまま原稿にしてもいいくらいだ、
と客として来てくれた知人が言っていたくらいです。
内容につきまして。
日本人も、いやそれどころか他の国の人も、歴史は連綿と続いていて、
自分が今まさに歴史を形成する一人であり、
他人事ではないのだ、という意識がないのではないか、とのこと。
また、歴史に学ぶということもほとんどの人はやっていないだろう、
と歴史学の意義自体を問う話になりました。
その他、以前からおっしゃっておられる世間の話などから
歴史意識の無さに繋がる話もされていました。
質問コーナーでは阿部さんが息子さんを育てられた時の逸話も語られ、
阿部ファン歴10年以上の私としてはこたえられませんでした。
打ち上げ会にも出席、ファンからの質問にきちんと答えられ、
本会以上の濃さとなりました。
長々と申し訳ありませんが、ご報告まで。
180 :
なごや博学本舗スタッフ:03/10/27 18:12
>>180 受付開始前に行ったのですが、すでに30人ほど列になって
お待ちになっていましたね。ときにはジョークをまじえてお話になる
阿部謹也さんのお話に時間が経つのもアッという間に感じられました。
歴史を自分の生き方と関係させてとらえるという阿部さんの言葉が
印象に残りました。
スタッフのかたもお疲れ様でした。
また機会があれば名古屋まで行きたいと思います。
182 :
なごや博学本舗スタッフ:03/10/27 19:27
>>181(166)様、大阪からのご来場ありがとうございます。
会場の大須演芸場周辺は一大観光商店街ですので、また来名下さい。
受付開始前に来られたとのこと。すみません。空席があったので余裕がありましたね。
早めにきていただいて、申し訳ありませんでした。
阿部さんのお話、楽しんでいただけたそうで、良かったです。
阿部さんの一番言いたいことを166様のように理解して下さる方がいると知れば
非常に喜ばれるのではないでしょうか。
183 :
なごや博学本舗スタッフ:03/10/29 00:20
10月28日発売の名古屋タイムズに、
一昨日のトークショーの報告記事が掲載されています。
阿部さんと呉さんの対談場面写真と、大まかな内容つき。
いい加減な私のまとめより、ずっと詳しく書かれています。
東海地区の方で興味のある方は、コンビニや駅売店へどうぞ。100円です。
184 :
世界@名無史さん:03/11/01 12:04
新潮社の雑誌に阿部謹也さんの自伝が連載されてますね。
185 :
世界@名無史さん:03/11/01 14:28
186 :
世界@名無史さん:03/11/01 15:00
ほほぅ
187 :
世界@名無史さん:03/11/01 18:37
以前テレビ番組で「なぜドイツなのか?ということは言えませんが・・・」と
発言なさってたけど、そのあたりが妙に気になる
188 :
世界@名無史さん:03/11/02 23:29
age
189 :
なごや博学本舗スタッフ:03/11/15 22:16
考える人、毎号阿部さんの連載を目当てに買っています。
橋本治のも面白いのですが。
190 :
世界@名無史さん:03/11/15 22:29
最近は少し変わってきたけれど、
一昔前まで、日本人は自分の感情と思想を分離することができないので、
思想を攻撃されると自分の人間性を攻撃されたように感じてしまう、
とよくいわれましたね。
これも日本における「世間」のあり方が影響していますか?
191 :
なごや博学本舗スタッフ:03/11/15 23:19
>>190様、ありそうですね。
阿部さんのおっしゃる世間は、自己と他者の分離が無い状態だけでなく
そうした個人の中での分離も不明瞭だから、ということとも関連があると
思います。
192 :
世界@名無史さん:03/11/16 12:12
中国の社会学者の費孝通が、中国人の「私(利己主義)」を論じたもの
「中国人はしばしば「私」であるとして非難されるが、それは、中国人の無能や
不道徳のせいというよりは、社会の『格局(組み立て方)』すなわち、自他の
境目をどのようにつけるかといった点についての考え方が違っているからなのだ」
「西洋社会の組み立て方は、我々がわらを縛るときのやりかたに似ている。
この場合ある一本の藁がどの束に属しているか、同じ束に属するのはどの藁なのかは
明瞭である。束は次々と括られて大きな束となるが、束と束との境目は各段階で
はっきりしている。人を藁に譬えれば、西洋の社会はこのように、内と外とを
明確に分かつ団体の重層的な統合として作られている」
それに対し、中国の社会では、団体の境目は曖昧である。「家」という言葉についてみても、
英語でファミリーといえば夫婦と未成年の子供を指すのが常識であるが、中国で
「家(チア」といった場合には、その指す範囲は伸縮自在であり、夫婦のみを
指す場合もあれば親戚一同を指す場合もあり、さらに親族以外も含めて仲間内を
広く指す場合もある」
日本の「世間」との比較をするうえで興味深いですね。
193 :
なごや博学本舗スタッフ:03/11/16 19:05
>>192、中国の家と日本の世間はとてもよく似ていますね。
以前、中国(大陸の方)へ行ったとき、顔馴染みになったホテル従業員や
書店員が他の一見客を差し置いて、私を非常に露骨に贔屓してくれ、
周囲の客の冷たい視線に冷や汗を流したことがあります。
日本の世間に似ているなあ、と思いましたが、家という概念で捉える
ことができるんですね。
194 :
世界@名無史さん:03/11/16 20:14
中島岳史『ヒンドゥー・ナショナリズム』(中公新書)より引用
彼らは地域のコミュニティーの中では一転して実に「いい奴」たちなのである。
地元の人たちの間では非常に倫理的でかつ素直で、普段さまざまな「騙し」を
やっているような人間には全く見えない。朝にはヒンドゥーのお寺に行き、
熱心に神様を拝んでいる。家ではとても親孝行な息子である。
そんな彼らが、外国人観光客をはじめとした「よそ者」には非倫理的な行為を行う。
195 :
世界@名無しさん:03/11/16 20:17
それが人間(・o・)
彼らは「ウチ」の論理と「ソト」の論理を明白に使い分けている。
「ウチ」の領域をと彼らが考える領域では、宗教的倫理が息づいている。
しかし、「ソト」の領域だと考える領域では、その宗教的倫理が働かない。
↑インドの社会について、何か参考になるかな?
197 :
世界@名無史さん:03/11/16 21:26
阿部謹也さんの講演での発言と同じようなことを、「バカの壁」で話題の
養老孟司さんも著書でおっしゃっていますね。
「せめて自分がどういうルールでやっているかぐらいは、知っておいてくれ、と
言いたい。だから僕は、一度も、日本の共同体のやり方が悪いと言ったことは
ないんですよ。ただ、認識しておいてほしいんです。日本の村落共同体憲法は
成文憲法じゃないからほとんど改正できない。親子相伝、いや親子だけじゃない、
近所全部ですね。だから、とても変えられない。それは、あってもいいから、
とにかくそれに気づいてほしいと言っているわけです。そうでないとこれから
ますますややこしいことが起きてきます。」
198 :
なごや博学本舗スタッフ:03/11/16 21:50
養老孟司さん、いいですよね。
その引用文は知らなかったので、とても興味深く拝読しました。
週刊文春に数年前連載していた「異見あり」では
「村の論理」とか「組織人の論理」という言葉も「世間」概念と関連あるなあ、
と思っていましたが、引用されている文章はまさに世間を自覚せよ、
という阿部さんの言葉とほぼ同じ趣旨ですね。
199 :
世界@名無史さん:03/11/16 22:05
>>198 PHP文庫の「自分の頭と身体で考える」という本から引用しました。
この本は甲野善紀さんと養老孟司さんの対談をまとめたものですが、
なかなか面白いです。ちなみに私の中ではいま一番講演を聞きたい人が
この両名です。なごや博学本舗さん招いてくれません?(^-^;)
200 :
なごや博学本舗スタッフ:03/11/16 22:15
引用文献の情報ありがとうございます。
甲野さんとの対談でしたか。
ものすごく前に別の出版社からこのお二方の対談出ていませんでしたっけ?
私もこのお二人、大好きです。個人的にはお呼びしたいと思っています。
ただ、どちらもご多忙かもしれないのと、お礼(謝礼金)が払えるかどうか
という点がネックです。
スタッフ内で了承が取れたらアタックしてみたいと思っています。
201 :
世界@名無史さん:03/11/16 22:48
>>200 「古武術の発見」(光文社・カッパサイエンス)という本ですね。
202 :
なごや博学本舗スタッフ:03/11/16 22:57
>>201 そうです!!ありがとうございます。詳しいのですね!
203 :
他スレからのコピペ :03/11/17 11:30
212 名前:名無しさんは謝罪汁 [2003/11/15(土) 00:13 ID:rWW2nWiQ]
韓国には日本のような親子心中・一家心中はありますか?
また、韓国では日本に比べて自殺率が低いというのは本当ですか?
232 名前:企業家 ◆OObpWCE2 投稿日:2003/11/17(月) 11:28 ID:3.1tPNn.
>>212 家族・一族を集合単位とする社会ですから、学校も就職も自殺だって、自分個人の
問題ではなく一族の問題になる。これがこれまで自殺者の比較的な少なさになって
いたんだと思います。ただこの10年位で「核家族化」は急速に加速していますし、
嘗ての「大家族・一族」って集合単位が崩れ始めています。
これに伴い自殺や一家心中の数もウナギ上りですね。
特にこの数年貧富の格差の拡大や、家計債務の急増によって、無理した家庭の
心中は目だって増えてますよ。
204 :
他スレからのコピペ :03/11/17 11:32
673 :世界@名無史さん :03/11/11 00:51
>>668>>669 親子心中って日本だけかと思ってたら、来日したミャンマー、中国人もやってるよ。
もちろん本国でもする。
東、東南アジア(イスラム国は別だろう)に共通するのかな?
イスラムは自殺は禁じてるが、自殺者が無いわけでない。
イラン映画『桜桃の味』は自殺を考えてる男が主人公だった。
205 :
世界@名無しさん:03/11/17 11:34
韓国でもサラ金の規制が始ってるな
206 :
なごや博学本舗スタッフ:03/11/17 17:55
10月26日に名古屋で行った講演会では、阿部さんと呉智英さんが
アジアやアフリカには「世間」と似た社会構造がある、ということを
示唆されていましたね。
親子心中は日本だけじゃないんですね。
207 :
世界@名無史さん:03/11/17 23:52
>>206 アフリカではエイズにかかった人間は隣人や家族から見放され、
社会全体から村八分にされるそうです。
日本の「ケガレ」との比較上、興味深い。
208 :
なごや博学本舗スタッフ:03/11/18 19:06
>>207 そうなんですか。エイズがケガレ。日本も似たところがありますね。
また、今日のニュースでもあった今でも続くハンセン病差別もケガレですね。
これは西欧では無いことなんでしょうかね?
209 :
世界@名無史さん:03/11/19 07:15
>>208 西欧でも、中世にはありました。
ハンセン病患者はガラガラを鳴らして、他の人に近づいてくることを
知らせなければならなかったとか。
今では人権上の問題から、そういう差別はほとんど無くなっていると
思います。
ただ、西欧の場合、そういう迷信・俗信が姿を消した代わりに、
近代になって新たに「人種による差別」というものが浮上します。
これは19世紀に「科学によって裏付けられたもの」として一般に
流布しました。遺伝性の病気を持つものへの偏見もそうですね。
ナチスが行った政策は、これらの優生学思想を集大成して極端化したもので、
これらは迷信の再生産と呼べると思います。
最近のイルカやクジラの知能は人間並み、とかいう主張もそうですね。
211 :
なごや博学本舗スタッフ:03/11/19 17:29
レス、ありがとうございます。
西欧中世は日本の世間と似たところがあったから分かるのですが、
最近は人種による差別とか知能による差別があるとのこと。
科学が>迷信を再生産 しているということですね。
というか、宗教にしろ科学にしろ、
ご託宣を受け取る人の心性はあんまり変わっていない
ということなのでしょうか。西欧に於いても。
212 :
世界@名無史さん:03/11/21 21:20
デイビッド・J・スタインバーグ『フィリピンの歴史・文化・社会』〈明石書店〉
によると、
「フィリピンにおける人間関係は、西洋に比べて、『われわれ−彼ら』という枠組みで
定義されることが多い。あるフィリピン人の忠誠心は、その家族の複合的
アイデンティティへと向けられる。網の目のように広がる親族と儀礼親族に
よって、フィリピン人の社会環境が形作られる。流動性の高い社会に暮らす
アメリカ人は、最も近い家族との関係でさえ容易に調節できるものだと
信じているかもしれない。それに比べてフィリピン人は、自分が属している
拡大家族についてずっとよく知っているし、自分が働きかけうるネットワーク
をよく把握している。フィリピン人のもつ親族の義務の意識は、核家族や近い
親族から離れるにつれて、池にたつさざなみのように徐々にうすまっていく」
のだそうです。
フィリピンはキリスト教国ですが、人間関係の面ではアジア的ですね。
213 :
世界@名無史さん:03/11/22 07:02
>>212 キリスト教をもってしても長年培われてきた人間関係は壊せない
ということですね。しかしこういう歴史に根付いた共通認識を持った
社会はそれなりに幸せなのでしょうね。今の日本はそういうものを
一部では崩壊させつつ、一方でそれに変わる公共意識を用意していない
という感があります。
214 :
なごや博学本舗スタッフ:03/11/22 09:05
>>212-213 興味深いお話ですね。韓国もキリスト教徒が多いけど、多分世間的なものはある。
じゃあ、何故欧州とアジアが違うのか。
それは多分、欧州で中世からビシバシやられた「告解」がアジアでは厳しくなく
教会を頂点とする政治経済の体制もできなかったからではないでしょうか?
教えだけではなく、自己相対化の厳しさ(告解の厳しさ)が違うから
アジアはキリスト教が入ってきても世間的なるものが解体しなかったのでは?
215 :
世界@名無史さん:03/11/22 09:15
240 名前:企業家 ◆OObpWCE2 [2003/11/17(月) 14:44 ID:3.1tPNn.]
>>233 韓国のキリスト教は単純に欧米のそれとは比較できないですよ。
ただの「現世利益追求」宗教ですから。
「信じれば儲かる。だから給料の1割を寄付しなさい」ですからね。
やはり「血族社会」の影響が大きかったものと思いますね。
それと社会の「軽薄化」でしょうか?信頼や仁義、助け合いって精神もほとんど
なくなってきていますから。
216 :
世界@名無史さん:03/11/22 09:25
>>214 フィリピンのキリスト教はもともとあった精霊信仰の上にのっかる形で
普及したもの。
ちなみにこれは中南米の「フォーク・カトリシズム」などとも共通する。
217 :
なごや博学本舗スタッフ:03/11/22 09:43
>>213 現世利益追求宗教とは某統一教会のことですか?
かつて抗日の一角となった東学党などはどうなのでしょう?
どちらにせよ、自己をみつめなおす契機を与えられないキリスト教だったのですかね。
>>216 フィリピンのも自己をみつめなおす契機があるかどうか、どのくらい厳しいか
ということが「世間」温存の理由を探る鍵となると思います。
中南米のキリスト教もフィリピンのと似ているのならば、
世間的なるものが残っているのでしょうか?
218 :
世界@名無史さん:03/11/22 10:58
>>217 世間的なものって「暗黙の了解」による縛りが多い社会ですから、
その規則について問題視する機会が少ないのかもしれないですね。
あと、問題視したとしても言い出せないという面もあると思います。
「一番先に言い出した人が損をする」ことにもなり兼ねませんし(^-^;)。
ただ、こういう社会って窮屈な反面、それに適応すると居心地がよい
という面もありますね。いちいち他人に同意を得なくてもよい訳です。
始めからルールは決まっている訳ですから。
その点、西洋はルールが少ないという気がします。だから弁護士の活躍する
場も多いんだと思うのですが、思考錯誤して社会を変動させるという機会は
西洋のほうが多いでしょうね。どちらが良い社会かとは言えないと思いますが、
世間の中に居ても自己分析して思考錯誤する余地は必要でしょうね。
220 :
世界@名無史さん:03/11/22 12:31
ttp://www.tufs.ac.jp/ts/personal/kidlat/Fildata2001.htm フィリピンの宗教は多様であるが,おおかたのフィリピン人の社会生活は,
カトリック教会の教会暦を中心に展開されている。とくにたいせつな
年中行事は,クリスマスと四旬節の諸行事,それに各町の守護聖人を
祝うフィエスタ,そして万聖節,万霊節である。これらの年中行事には,
家族や親戚が一堂に会して相互の連帯を深め合う。現在フィリピンの
民衆が実行しているカトリシズムは,かつての精霊信仰時代の儀礼や
信仰を多く包摂していて,公式のカトリシズムからは相当に逸脱している。
そのような意味で,フィリピン民衆のカトリシズムはフォーク(民俗的)・
カトリシズムと呼ぶことができるが,こうした現象は,南部の人々が
信仰しているイスラムについても,同様に指摘することができる。
フィリピン社会で最もたいせつな社会的紐帯は家族血縁関係である。
あらゆる社会的関係は家族血縁関係を中心にして組織され,拡大強化
されるといっても過言ではない。家族の形態は夫婦と子どもからなる
核家族が一般で,親族関係は双系制を基本とする。しかし,現実に機能
している家族や親族の観念は,擬制的親族関係や姻族が加わって,
もっと複雑で柔軟な広がりをもっている。擬制的血縁関係として代表的な
ものは,儀礼兄弟制度とコンパドラスゴ(儀礼的親子関係)である。
フィリピン企業の多くが親族会社の形態をとり,社会のあらゆる場で
縁者びいき(ネポティズム)が盛んなのも,こうした家族血縁関係を
反映している。
221 :
世界@名無史さん:03/11/26 21:13
>>59 >>61 体罰とは直接関係ありませんが、イギリスの軍事史家のジョン・キーガンは、
『戦略の歴史』(心交社)のなかで、
「連隊の友人―兵士たちの間に広がっている旧来の友情は彼らのもっとも
愛すべき特質である―は戦友である。しかし、それもある一定レベルのもの
でしかない。連隊への忠誠が、彼らの生活の価値基準なのである」
「イギリス陸軍は、極端なまでに部族的である。連隊の中には、17世紀にさかのぼる
歴史をもつものもある」
「ベトナムで、あるいはレバノンで、また湾岸戦争に従軍したアメリカ軍将校の中にも
この(部族的な)オーラが感じ取れた」
どこの国でも、軍隊(特に陸軍)は保守的な体質を色濃く残していますが、
日本の「世間」に近いものがあるのかもしれない、と思ったりします。
もうひとつ、キャスリーン・マクロン『日本の男と恋に落ちて』(草思社)に、
「ここでは軍隊という24時間勤務体制の、完璧に外界から分離された
世界に閉じ込められ、隔離生活を強いられる。そのなかに暮らす人間には
たいていの場合、どれほど自分たちが異常な存在なのかを自覚すること
すらない社会なのである」
「彼らの舞踏会はきわめて効率的に運営されているのだが、私にとって
これに出席するのは招かれるたびにうんざりする、悪夢といっていい
『任務』だった。彼らは私たちを招待しなければならないのである」
「将校とその夫人たち(ふつうWO、つまりWife Of・・・と呼ばれ、
身分証明書にも運転免許証にも私たち妻のファーストネームは記されて
いない)」
「階級が上の将校ほど大声で話し、彼らのジョークに対する笑い声も
高くなる。若い夫人たちほどセックスアピールという点では
将校クラブでの批評は公平にならざるをえないが、それでも彼女たちは
上級将校の夫人たちよりもウィットに富んでいたり、お利口であっては
ならない」
という記述がありました。
日本のムラ社会的な共同体との比較上、興味深いです。
223 :
通りすがりのモモンガア:03/11/27 01:22
通りすがりの者ですが、一言失礼致します。
何年か前に阿部謹也氏の著作についてかなり興味をひかれ、全十巻を買いま
した。
全てを読んだわけではないけれど、一番興味を魅かれたのは、「個人という
ものが十二世紀ヨーロッパの、教会の懺悔室の中で生まれた」という指摘で
す。
この指摘自体は、阿部氏が最初に言い出したものではなかった気がするが??
(確か、M・フーコーだとどこかに書いてあったような??)
そんなことが本当にあったのかどうか、阿部氏の説明だけではいまだ完璧に
納得できてはいないのだけれど、これはその後のルネサンス等、西洋文明の
急激な変換の歴史をかなりな程度に説明しうる重要な指摘であると考えます。
ただ、それと同時に、阿部氏は我々日本人とヨーロッパの歴史の間には、個人
意識というものの発達の歴史に於いて、八百年のタイムラグがあり、我々日本
人が西洋人のような自我を持ち、西洋のような権利意識に基づく社会を持つこ
とは、不可能であるし、日本人的な「世間」に基づく社会がこの先も変わらな
いかのように述べておられるが、このことについては私は同意しません。
何故なら、どう考えてみても、今の日本社会は西洋が作り出した文明の真っ
只中にあり、その中で良くも悪くも、かっての日本的「世間」と「日本人的
自我」は、崩壊過程の中にあるという事を認めざるを得ないでしょうし、こ
の文明の中で獲得した「自由」や「プライバシー」といった観念を、我々は
もはや捨てることは出来ないでしょう。
仮に多くの日本人の自我が、いまだ孤独に目覚めておらず、多くのアジア人
や、多くのアラブ人もまた、いまだ目覚めていないとしても (阿部氏が言う
ように日本人自身が自分の「世間」を対象化しえていないように、アジア人
の多くも、自らと社会の関係を対象化しえていないという意味で) 進むべき
道は過去への回帰では無く、目覚めて前へ進むこと、それしかありません。
阿部先生の着想は面白いと思うし、「世間」は
現代においても再生産され、それがなんらかの
悪弊を生み出している可能性もある。
けれど、都市部において人間関係が流動化し、
コミュニケーションが多様化するようになると、
地縁的なネットワークを基礎としているような
タイプの「世間」は成立が難しくなってくる。
このような地縁に基づいた世間を地域共同体と
呼んでもいいけど、近年の社会学研究が示すと
おり、住民の相互的な他者への関心に基づいた
地域共同体=世間は、都市部を中心として日本
の多くの地域において空洞化している。
そのような状況において、なお「世間」が日本
の特徴なのである、と主張することに、あまり
意味はないように思う。それ以上に私化と個人
化が日本においても進行しているし、むしろ都
市部においてはそのような私化と個人化に伴う
「私」「主体」をどのようにコントロールした
らいいのか、という点が問われているんじゃな
いか。
もっとも、だからといって学閥のような形で
「閥」という世間等々がなくなったわけではな
いけれども、これはある種「反動」とも言える
事態なのかもしれないですね。
本筋とはあまり関係ないけど、欧米にも「世間」
は存在していると思うよ。
稚拙な譬えで申し訳ないけれど、『ハリーポッ
ターと賢者の石』におけるダーズリー一家や、
映画『ポルターガイスト』におけるアメリカの
郊外新興住宅地の描写なんかは、欧米において
も立派に世間が成立していることを示している
と思う。リースマンは『孤独な群衆』において
50年代のアメリカの生活文化を分析する中で、
アメリカ民衆のパーソナリティが内部指向型か
ら他人指向型へと推移している、ということを
指摘していたけれど、前述の例はその延長線上
にあるのだと思う。
社会学的に展開すれば、宗教の世俗化と宗教的
価値観の相対化によって、倫理の基盤が失われ
アノミー状況が生まれる中で、他人とのつなが
りの中へアイデンティティを求める傾向がアメ
リカにおいても生まれることになった、という
ことだけれども。
226 :
世界@名無史さん:03/11/27 14:34
>>224 確かに地域社会の崩壊などというのは、世間の崩壊と同義的なもの
だと思います。ただ、土地に根ざした人と人の関係は無くなっても、
やはり人間関係において世間的な意識というものは残っていくと思い
ます。私化と個人化に伴う「私」「主体」のコントロールというのはとても
面白いですね。日本の場合は世間に代わる「公共性」の創造という
ところに話が行くと思うのですが、これを欧米風に理念や法律で
やっていくというのは難しいと思うのですが、どうでしょう?
227 :
通りすがりのモモンガア:03/11/27 16:28
>>225欧米にも世間は存在していると思うよ
確かに、存在していると思う。
僕は「世間」の存在がなくなってしまったと考えるのは間違いだと考え
ていますし、なくせば良いと言うものでもないでしょう。
例えば、阿部氏が言う古代の宗教意識のように、それは、意識の古層と
して、常に存在し、時として表に現れるものでもあるでしょう。
多分、問題は価値の置き所ではないかと、僕は考えています。
十二世紀に最初の個人が生まれたかどうかは別としても、少なくとも明ら
かに、人や社会が価値と認めるところの比重は、「世間」から「個人」へ
と移動した。 それは間違いないと考えています。
例えば、それは、自己意識というものについての見方にも端的に現れてい
ると思う。
日本に於いては、今でも自意識過剰という事は、社会生活に於いて否定的
な見方がされる傾向があるけれど、多分欧米に於いては、自意識しないな
どという人間は、イノセントであり馬鹿と道義と考えられるでしょう、己
を見つめ、己の考えを述べることが、過剰な自意識のゆえだと攻められる
ことも無いだろうし、意見を述べぬ人を「控えめな人」として、褒め称え
ることも、多分、日本ほどではないでしょう。
つまり、そうした価値の移動が、キリスト教の「告解」の過程で、社会の
中に培われ、今日西洋文明と言われる文明を作り上げる基層となったと僕
は考えています、そして、相対的に「世間」は後退し、意識されることも、
少なくなったと、そう考えています。
228 :
世界@名無史さん:03/11/27 16:50
ttp://www.rui.jp/message/00/09/55_ef4e.html 『パパラギ』という本の中で、西サモアのツイアビという酋長が、
白人(パパラギ)のことを、何度も「気が狂っている」と指摘しています。
白人は「考える」という病気にかかっている、というのです。
「全部『自分』で判断しなくてはならない。」
「自分が満足しないのは、『自分の責任』だ。」
「自分が判断できないのは、『自我』が確立してないからだ。」
「だからもっと考えなくちゃ行けない。『自分』で勉強して、新聞を
読んで、考えなきゃいけない。」
229 :
世界@名無史さん:03/11/27 17:00
>>228 興味深い引用ですね。私も白人(というか欧米人)と話すときに
同じような印象を受けます。すべての事を言葉で明らかにしないと
気がすまないのでしょうね。私などは言葉で説明できないことも
あるんだよと反論するのですが・・・
230 :
他スレからのコピペ:03/11/27 17:05
名前: goatsong(ZJLQCE9E) 投稿日: 2002/10/10(木) 18:27
ただ単に、西洋生まれの方法論が、「分かる」・「分かってゐる」・「分かる
であろう」領域と、「分からない」・「分かってゐない」・「分からないだろう」
領域の境界線を明瞭に引いて意識し、前者の今現在「分かるであろう」
領域だけを徹底的に語り、「分からない」領域は「分からない」に留めて
おくに対して、日本(「東洋」にあらず)じゃ、「分かる」と「分からない」の
境界も曖昧にしておくどころか、「分からない」という感覚さへも「分かる」
ことの条件にしていゐる、この差が問題なだけかと(*1)。美術云々の問
題じゃなくて。
例へば、「俳句の曖昧さが日本の美学の境地なんだよなぁ」と言ふ時、
「曖昧さ」といふよく「分かってゐない」事実が、併しそれによって、俳句
の美学が「分かってうぃる」ことになってしまう。整理すると、
俳句が曖昧で分からない
↓
俳句ってのは曖昧で分からないものである
↓
曖昧で分からないことこそが俳句の本質である
↓
俳句の本質を理解
↓
(゚Д゚)ウマー
ってなことで、一般的日本人の場合、納得されてしまうらしい。実際私
はこの手の「理解」に良く出会います。
231 :
世界@名無史さん:03/11/27 17:09
>>229 逆に欧米人から見ると、そういう日本人の考え方は「思考停止状態」
と思えるのかな。
もっとも、欧米人が常に合理的にものを考えているわけじゃありません
けどね。
たとえば、日本のことを説明するのに、
「文化的なもののせいだ」「日本の文化と国民性からきている」
ですませてしまって、そこで思考停止している例とかがありますね。
あと、イスラーム圏で起こった出来事について、すべて「宗教のせい」
と決め付けたりとか。
232 :
世界@名無史さん:03/11/27 20:08
>>231 きっと”怠慢”だと思ってるのではないでしょうか。「言葉で表現できない
のは認識していない事」と言われた事があります。そのときは「じゃ、ベートーヴェン
の第九の素晴らしさを言葉で表現してください」と言ったんです。一応は言葉で言おう
としてましたが、馬鹿馬鹿しくなってやがて止めてしまいました。言葉で表現できなきゃ
意味がないなんて言っていたら音楽家や画家なんていらないですよね。
233 :
世界@名無史さん:03/11/27 20:34
>>232 そうですね。
ただ、西洋の芸術は、日本と比べて主知主義的というか、思想性が
強いものが多いので、解説しやすいものが多いのかもしれませんね。
「ベートーヴェンの音楽はほとんど哲学的な域に達している」とか。
絵画や彫刻でも、その背後にある思想(新プラトン主義、○○派の教義
など)を語ることができますからね。
(もちろん、百聞は一見にしかずですが)
>>226 法社会学の観点から言うと、近代法というのは、
「個人」へと法的責任を還元するような構造に
なっているんですね。いわゆる自己責任原則で
すが。そういう法体系を日本人も共有している
以上、必然的に日本人もそれぞれが「個人」で
あることを前提とせざるをえない。これは欧米
の問題というよりかは近代性modernityの問題な
のだと思います。
>>227 自意識過剰
そうそう。
神なき世界において自意識=自我というものを
どのように考えていったらよいのか、という観
点からヨーロッパの近代は始まっている。社会
学も心理学も哲学も歴史学も人類学も、この神
なき世界にどう対処するべきか、という共通の
課題を持っていた。そこで、神の代わりとして
登場したのが自我であり自己意識と呼ばれるも
のだった。でも、その影響が強すぎたがために
20世紀後半においてはポストモダニズムなんか
が「主体の解体」なんかを目指したわけです。
最近の欧米における仏教への着目も、こうした
系譜に根差していると思う。
>>233 面白いことに、ベートーベン第9交響曲におけるシラーの詩にはこんな部分がある。
「お前の不思議な力は、世の慣習が断ち切ったものを結び合わせる。
その柔和な翼の下で、すべての人々は兄弟になる」。
ベートーベンはヘーゲルと同時代人だったわけだけれど、フランス革命を皮切りに
当時勃興しつつあった近代民主主義が結局のところアノミーやアナーキーを引き起
こしたという状況を見て、伝統社会への回帰を望んだのではないだろうか。
ヘーゲルがフランス革命を目の当たりにしてVOLKへと目覚めたように。
そこには神との一対一的な応答関係による「個人」であることへの目覚めと、神を
媒介することによる「個人」を基礎としたキリスト教的共同体への熱望があったよ
うに思う(今でもヨーロッパの人々やアメリカの人々はそうした熱望を持っている
んじゃないか)。
でも、そんな古き良き共同体は結局のところ社会レベルでは実現できなかった。
それで、ヨーロッパもアメリカもキリスト教的共同体を成立させるよりも、リース
マン的な他人指向型のコミュニケーションを発達させるようになったんじゃないだろうか。
そうして歴史を捉えると、ヨーロッパの近代は、もしかしたら「世間」こそを必要
としていたんじゃないか、と勘ぐりたくなる。
ある意味、今のヨーロッパ人はベートーベンやヘーゲルが直面した危機について
盲目的なんじゃないかなぁ。
だから、ベートーベンについて語る言葉を持たない。
236 :
世界@名無史さん:03/11/28 08:56
>>235 ロマン主義の時代に、自然回帰の考え方が、近代意識に不可欠の部分として
組み入れられるようになりましたが、
農民ではない人たちに、農民社会への回帰を強制しようとする試みは、
歴史的に大失敗に終わりました(コミューン運動など)。
237 :
世界@名無史さん:03/11/28 09:06
>>221 >イギリス陸軍は、極端なまでに部族的である
映画「アラビアのロレンス」などを見ると、英国人はベドウィンの戦士に
好感を抱いていたようですね。
イスラーム以前のベドウィン遊牧民の文化は、男は部族の中で義務とされて
いることを確実に守り、仲間の前で恥をさらすことを恐れ、仲間から賞賛
されることを生きがいとしていました。度量の広さを誇示し、勇敢な行為を
こころがけ、恥をかかされれば報復を恐れず、義務の遂行には厳格である
ことが男たるものの果たすべき義務でした。
このような集団主義と違って、イスラームの考え方は徹底して個人主義的
でした。「最後の審判」では、人間的な絆はすべて意味を失い、部族仲間も
家族もいない完全な孤独の中で、アッラーと向き合うのです。
顔が立つ、立たないといったことは意味がなくなり、アッラーが自分に下す
審判だけが問題でした。
現在のイスラーム社会でも、イスラーム以前の部族的・集団主義的な考え方は
けっこう残っているようですけど。
238 :
世界@名無史さん:03/11/28 12:06
>>234 阿部さんは日本人は明治時代に西洋の制度は取り入れたが、
人間関係までは取り入れなかった、とおっしゃっていました。私も
日本人も最終的には法による原則に従うことになると思いますが、
日常生活レベルのいざこざを即裁判に訴えるような西洋的な社会には
ならないと思うんです。ドイツやアメリカの本屋さんに行けば驚くほど沢山
の法律関係の本があって、一般の家庭でもそういう本があたりまえの
ように備えていたりしますが、日本人の法意識はそこまで行くのだろ
うか?憲法の解釈でさえあやふやなこの国がそうなるとは思えないん
ですけどね。
239 :
世界@名無史さん:03/11/28 13:03
>>233 おっしゃるとおりで、西洋の芸術って解説しやすいんですよ。
それは芸術家本人がそう言ったというものではなく、まわりの
人達がその芸術を認識するために情報化した結果とも言えるで
しょうね。それはそれで私は尊重したいと思いますが、ではその
解説が作品の全てかというとそうではありませんし、まして音を
概念として言葉で認識するというのはかなり無理があるような
気がします。解説を聞くことによって第九から得た感動を得られる
なら私も言葉の万能性を考え直すかもしれません。
240 :
ミルトン ◆cA7oIM8fok :03/11/28 13:16
日本人が訴訟が嫌いだというのは
少しどうかと思うんですがねえ。
建武の新政の時の二条河原落書でしたか?
このごろ都に流行るもの・・・というやつですが
「本領離るる訴訟人」というのがありました。
土地の所有権や財産権に関する訴訟で
領地からわざわざ都に上って裁判を求めてるわけですよ。
鎌倉幕府2代将軍頼家が失脚したのは裁判うまくやれなかったから
ということも聞きますし。
現代日本が訴訟社会ではないのは
ただ単に法律家に対するアクセスが整備されていなかった
という点もあるのではないでしょうかね。
241 :
世界@名無史さん:03/11/28 14:29
>>240 確かに、中世の日本人は訴訟も武器を取って戦うこともしょっちゅうあって、
現在のアメリカに似た社会でしたね。
今の日本の社会は1930年代の総動員体制に影響されてそうなったのでは?
242 :
世界@名無史さん:03/11/28 18:07
ttp://www.china.org.cn/japanese/45648.htm 中国の文化的伝統は「和合」をもって貴とするものである。かつて皇室の
宮殿であった故宮の建物の名称には太和殿、中和殿、保和殿などがある。
庶民の人たちの家の壁に掛けられている額には一団和気(和気あいあいで
ること)、満堂和気(家族のすべてが睦まじく暮らすこと)、和気生財
(和合は富を生むことができるということ)、和気生輝(和合は輝きを
生むことができるということ)などの言葉が書いてある。人々が人に
忠告する時にしばしば述べる理屈には、人と仲良く付き合うべきであるか
または結束すべきであるということ、融和すること、睦まじくすべきこと、
調和が取れること、温厚で善良な態度ですべての人々と付き合うべきこと、
心を合わせて協力すべきこと、内輪のものが睦まじければ外のものとの
関係に妨げとなるものはないこと、家族全体が睦まじく暮らせば万事
栄えるなどがあり、いずれも「和」を主張するものである。
243 :
242の続き:03/11/28 18:14
中国の歴史において、宗教を信じるものと宗教を信じないものの間、
異なった宗教を信仰する人々の間で、宗教信仰をめぐって大規模な
紛争または争いが起こったことは非常に少なく、ヨーロッパの中世の
十字軍の東方侵略と宗教改革期のキリスト教の新教派と旧教派の間で
繰り広げられたような長期間にわたって、繰り返された、むごたらしい
宗教戦争はなおさらなく、より多くあったのはロックの『宗教の寛容を
論ずる』が望んでいるような、キリスト教の異なる宗派およびその他の
宗教との理解と寛容であった。国を治め民を安らかにする儒学の理念に
基づいて、中国の歴代の統治者は一般にさまざまな宗教を平等に扱い、
かなり寛容な宗教政策を実行した。
↑現在の中国人が、自国の文化や歴史をどう見ているのか、
という点で興味深いです。
244 :
242=243=244:03/11/28 18:16
245 :
世界@名無史さん:03/11/28 18:23
>>240 米国でも企業取引は、契約書を厳密に定めた上に、仲裁人や準拠法も決めてしまいます。
トラブルが生じても仲裁手続と強制執行で解決。
陪審法廷に行くのは不法行為のときぐらいです。
246 :
ミルトン ◆cA7oIM8fok :03/11/28 18:48
>>245 やはりそうですか。
裁判所で訴訟という形で行なわなくても
民事では当事者同士が納得するならそれでOKという
ことなんでしょうかね。
その交渉の際に双方の代理人として法律家が
重宝されているということですかね。
州によって違ったりするんでしょうが。
247 :
世界@名無史さん:03/11/28 20:00
>>235 >「お前の不思議な力は、世の慣習が断ち切ったものを結び合わせる。
>その柔和な翼の下で、すべての人々は兄弟になる」。
フランス語の「フラテルニテ」は、「兄弟愛、同志愛、同胞愛」という
意味だっけ。
宗教が力を失っても、別のものが生まれてくるということだろうか。
例えば、ナショナリズム、ロマン主義、共産主義イデオロギーのような。
>>241 >今の日本の社会は1930年代の総動員体制に影響されてそうなったのでは?
考えすぎでは?
あの世代の年寄りはあんま訴訟とか法律がかった事好みそうに無い気が。
1930年頃を境に急激に訴訟が激減したってデータがあるなら別だけど。
現在の社会の原型は江戸時代じゃ?
それ以前の宣教師は日本人は和を尊ぶどころか、僧侶も含めて日常的に口論や闘争が
絶えない事書き送ってるし。
249 :
世界@名無史さん:03/12/01 13:00
下げるには惜しいスレなのでage
250 :
他スレからのコピペ:03/12/01 14:49
461 名前:企業家 ◆OObpWCE2 [2003/11/28(金) 12:20 ID:zLIK0YlA]
>>399-400 ウリナラ儒教の影響も多分にあると思いますね。
確かに儒教の精神には評価に値するものも沢山あるのですが、それが機能する範囲
が狭いんですよね。これをある面「ムラ」と呼べるかも知れませんが。
だから自分の行動規律が機能する範囲外の「外界」では、この規律が動かない。
そして彼らのその範囲とは「一族、地縁、学縁」ってなもの。
田舎なら当然機能するものだろうけど、何ら円のない外界人ばかりの魑魅魍魎の
済むソウル等の大都会ではまず機能しないと思いますね。
251 :
世界@名無史さん:03/12/02 13:37
>>250 「外界人ばかりの魑魅魍魎の済むソウル等の大都会」でも
人々は新たな「ムラ」をつくりだすのでは?人と人の関係って
そう簡単には変わらないと思うんだけど。どうなんだろ?
252 :
世界@名無史さん:03/12/02 18:10
>>251 地方からソウルに出てきても、相変わらず一族や同じ地域の出身者しか
仲間とみなさない、ということなのかな?
だから「○○道出身者」が大統領になると、「彼の一族&同郷出身者&同じ大学の
出身者」だけがそのおこぼれにあずかる、と。
それ以外の人たちは「敗者」になるしかない。
253 :
世界@名無史さん:03/12/02 19:20
>>252 そういうのもあるけど、例えば日本の会社における学閥とか。
日本人でも東京に出てきて地域共同体のしがらみから抜け出してる
はずなのに、人との付き合いは相変わらず派閥的だったり、他人を
見るのに会社名とか職業をを基準にしたり・・・付き合い方そのもの
が世間で培われた人間関係と変わってない感じがするんだよね。
もちろん西洋でも職業によるグループ分けみたいなのはあるけど。
254 :
世界@名無史さん:03/12/02 19:27
韓国は地方分権化推進が不可欠だな。
255 :
世界@名無史さん:03/12/02 19:38
明治維新の頃の日本みたい。
・・・肝心なこと書き忘れてた。韓国人も都市に出てきたからといって
伝統的な人間関係のあり方を消し去ることはできないのでは、ということ
を書きたかったんです。
257 :
世界@名無史さん:03/12/02 19:40
差別禁止法制定しないとな!
258 :
世界@名無史さん:03/12/02 19:51
米国やニュージーランドのごとく性別、年齢別の雇用差別禁止を!
259 :
世界@名無史さん:03/12/02 19:53
どうでもいいが謹也は堀越と仲良くしる!
260 :
世界@名無史さん:03/12/02 20:48
西欧人は日本人(あるいは他の文明圏の人々)に比べて、運命論にあまり
とりつかれていないように見えるけど、これはキリスト教の影響?
それとも何か別の原因があるの?
阿部さんは、
「日本人の美点は絶望しないところにあると思われてきた。だが、
僕はむしろ絶望してほしいのだ」
という金子光晴の言葉を引用しているけど、
日本の場合、絶望するよりも先にあきらめてしまう、という感じかな。
総動員体制は統制は末期になるにつれ本格化してきたから
顕著な影響はむしろ戦後に出てたって気が。
連合赤軍とか全学連とか「団塊の世代」って
言い得て妙だった。
個が無いというか、あったら抹殺されてたもんな。
262 :
世界@名無史さん:03/12/03 22:11
>>253 学閥の他に、医師会や弁護士会や記者クラブも世間だよね。
アジアでは、社会全体に通用する共通の規範の力が弱いので、
そういう特殊な小集団が形成されやすいのかも。
ところで、中国人(華人)社会における「幇」というのも世間の一種ですか?
学閥を云々する前にあんた(菌屋)が東大卒の教授と仲良くしろよと言いたいね。
東大コンプまるだし(w
264 :
世界@名無史さん:03/12/04 19:57
あげ
265 :
世界@名無史さん:03/12/04 20:06
ttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/02/13/20030213000039.html 2000年の場合、韓国で偽証罪で起訴された人が1198人であることに
比べ日本は5人だった。韓国と日本の人口の差を考慮した場合、国内の
偽証が日本の671倍に達するというのが最高検察庁の分析だ。
偽証がこのように多い理由は、嘘を大したことと思わない社会の
風潮と、「情」にもろい韓国の文化が最も大きな理由だと判・検事は
話す。
清原(チャンウォン)地方裁判所・晋州(チンジュ)支部の尹南根
(ユン・ナムグン)部長判事は「親しい人に不利益を与えたくないと
いう理由で、証人としての出頭を極力避け、出頭したとしても
『思い出せない』と答えるケースが多い」と話す。
↑日本人の場合、自分が属する組織のために反社会的なことや
非合法なことをやる、ってのがあるね。
266 :
世界@名無史さん:03/12/04 20:17
267 :
他スレからのコピペ:03/12/05 21:51
>>265 法やルールより人間関係が優位にある国ですから仕方ない。
そもそも前科があったって、自己破産した経験あったって直ぐに復活できる
国です。寧ろ「支えてくれる人、出てきてから世話してくれる人がいるなら、
その人裏切るより、少しお勤めしてきた方が有利」って考える人も少なくない。
私はこのような考えには全く理解はできないものの、そういう人達が非常に多い
のは事実。相場操縦で何十億って儲けて「一回行って来れば良いからね」って
嘯く元上場企業社長だっている国ですから。
268 :
世界@名無史さん:03/12/06 11:52
東アジアの社会において、儒教は西欧におけるキリスト教のような役目を
果たすことができなかったということでしょうか。
儒教には、「怪力乱神を語らず」のように、オカルトを否定する考えも
あるんですけどね。
269 :
世界@名無史さん:03/12/10 22:30
age
270 :
世界@名無史さん:03/12/11 00:17
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~miyajima/_tQ7ETtH.html ハロルド・バーマン『法と革命:法制度における欧米的な伝統とは何か』
興味深いのは、「教皇革命」以前のヨーロッパの法制度についてバーマンが挙げてい
る特徴が、そのまま日本についても当てはまることである。聖俗分離や政教分離がなかっ
たことはいうまでもないが、さらに訴訟が好まれなかったとか(25)、ともかく目
前の争いを丸く収めることが優先され、解決方法が正しいか否かといったことは、さして
問題にされなかったとか(26)、「正義の実現」よりも「和」が優先されたとか(27)、
あるいは法制度は「作る」ものではなく、自然に「成る」ものであっといった指摘である(28)。
271 :
世界@名無史さん:03/12/11 13:28
>>270 バーマンの論、たいへん興味深く拝見しました。
おっしゃるとおり日本と比較するととてもよく似ていますね。
272 :
世界@名無史さん:03/12/12 10:33
ttp://www.pluto.dti.ne.jp/~ohto/sunday/sun98/sun980520-1.html 中世に生きるロシアのハンセン患者たち
ロシアのハンセン病患者たちは、長年自分たちだけのコロニーに生きることを
余儀なくされた。社会的偏見は、今なお強く、病気が治っても社会復帰の望みは
ほとんどないという記事です。
厳しい隔離政策が取られ、許可無しにコロニーの外に出ることも許されず、
配偶者や子供たちにもなかなか会えない。患者たちもそうした分離隔離政策を
当然だと受け入れる傾向が強い。そしてロシアの医者や専門家も完治した患者の
再発を恐れて、腫れ物にさわるような態度で患者に接している。だからほとんどの
患者が狭いコロニーで一生を過ごすことになる。15才から96才まで80年あまりを
過ごした人もいます。
コロニーを訪れる理髪師は内部の道具等をいっさい持ち出すことを厳禁されて
いる。また買い物をする場合にも、直接現金を手渡すことは禁じられている。
口座からの引き落としという決済方法が取られている。カウンターにいる
販売員も患者には決してさわらない。これは多分コロニー内部の店のことだと
思いますが、ましてや外部のものはロシアに4カ所あるコロニーの存在自体さえ
知らない。このへんはダイアナ妃が患者たちと握手したり、抱きしめたり
したのとは大違いというわけです。
273 :
世界@名無史さん:03/12/12 10:40
274 :
世界@名無史さん:03/12/12 11:13
そいうやイタリアに住んでたが人が書いてたけど
銀行とか待合がある所ではまず
受付嬢と親しくならないといけなかったと。
順番早くても好きな相手、親しい相手を自分の
好みとか気紛れで優先し、後回しにされる事があると。
私的な事を優先するイタリアの「世間」か。
275 :
世界@名無史さん:03/12/12 15:33
>>274 イタリアでは家族・地縁・血縁を大事にするからかな。
お上が頼りにならないからそういうものを重視する。
誰かが、イタリア人は一見ネアカそうに見えて、根底の部分は冷たいみたいな
ことを書いていたが、実際はどうなんだろうか。
276 :
世界@名無史さん:03/12/12 15:44
ttp://www1.kinjo-u.ac.jp/~nisiyama/nishi_5_.htm 005 「『3つのイタリア』と社会的互酬ネットワーク」
1980年代に進展した情報産業化への構造転換が、必ずしも「近代的」な
社会関係の上に成立するものではなく、伝統的な社会関係を組み込むかたちで
なされていることを、(B)―(1)Pの香港の事例に続いてイタリアを取り上げた。
1980年代に奇跡的な経済成長を示したイタリア東部・中部地方の社会的特長は、
歴史的な地域産業や零細家族経営の社会的ネットワークにある。とくにこの地域の
経済発展について、A・バニャスコは「3つのイタリア」論を展開し、経済発展と
血縁・地縁の社会的結合を強調した。この「3つのイタリア」論を基礎にして、
さらに、地域産業と家族や親族のつながりを社会学的に研究したミンジオーネの
理論に依拠しながら、第3のイタリアとよばれる東部・中部地方特有の「互酬性」
と経済発展の関係について検証した。そして南部では、政治的風土と農業生産
体制が他の地域と異なるため、社会的互酬性が経済発展と結びつかなかった
ことを比較検討し、第3のイタリアの「互酬性」概念を零細家族経営の実態から
明らかにした。
↑イタリアでは、日本と同じく「贈与・互酬の関係」が生きている、
ということだろうか?
日本の銀行とか病院とかの待合を好みで
適当に優先とかしたら間違いなく総スカン。
順番とか行列が多い国と呼ばれるけどこの当りの公共性
とか公的意識は日本の方が守られてるって気が。
バブル期にやや銀行で金持ちひいきがあったし、
裏でならコネとかあるだろうけど、救急車でさえ金持ち優先とかの
アメリカとは異なるな。
278 :
世界@名無史さん:03/12/12 18:24
>>277 日本の病院の場合、患者が医者に謝礼をわたすという悪習があるな。
最近はこれが問題になって、受け取らないという医者も増えてきているが。
279 :
世界@名無史さん:03/12/13 00:05
>>278 特に難しい手術や場合、アメリカでは腕の良い医者が
“当然の権利”として莫大な額の謝礼を要求するのと同じかな。
向こうじゃ見合う分の金はもらって当然って意識があるんだろう。
臓器移植とかアメリカでしかできない手術の場合、
日本で家族一同が街頭での寄付活動までしなくちゃいけない風景よく
みかける気がする。
280 :
他スレからのコピペ:03/12/16 16:28
821 名前:名無しさん [2003/12/15(月) 00:02 ID:pY9UrY8.]
企業家さんに質問があります
韓国社会を理解するキーワードとしてウリの世界、ナムの世界という
言葉がよく使われます。ナムをまとめていく原理は歴史上ほとんど
何もなく、ようやくでてきたのが民族主義なのでしょうが、韓国が
国民国家を形成していくことに関して、現代国家がナムの集合体で
ある以上、ウリの世界つまり父系血統による血縁社会や族譜や宗族の
結束などはすべて国民国家の形成にとって障害になるのではないかと
思います。韓国が国民国家として成熟するためにはまだまだ儒教や
血縁社会を解体し相対化しなければならないと思いますが、そういう
方向に韓国は進んでいくのでしょうか?それとも工業化が進んで人々の
移動が活発になっても韓国的社会はそのまま維持されるのでしょうか?
社会学の質問みたいになりましたが、このへんはどうなんでしょう。
281 :
他スレからのコピペ:03/12/16 16:29
847 名前:企業家 ◆OObpWCE2 [2003/12/16(火) 13:-14 ID:/XrKeFfA]
>>821 この「ウリ」の世界は中々強力ですよ。ある集合体「ウリ1」が解体されても、
アメーバのように直ぐ「ウリ2」が形成されますw
基本的に「ナム」の世界を認めない感情が強いですね。
人工構成見れば、既にソウル周辺で国民の半分を占め、既に「故郷」を基準に
した「ウリの世界」は解体しつつあります。でもそうなったらなったで、卒業学校
単位、居住地域単位、所得階級単位、職業単位で「ウリの世界」が出来ます。
この世界観の変化には、まだまだ時間必要だと思いますね。
282 :
世界@名無史さん:04/01/01 10:30
ttp://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~miyajima/_tQ7ETtH.html とくに注意を要するのが、法制度の根底にある宗教の違いである。宗教は違いが簡単に見え
てこないので、それだけ厄介である。外見上、日本の法制度は欧米の法制度と違わない。また
簡単に欧米を訪問できるので、見聞の体験が裏付けになって、ますます違いが
見えなくなっている。個人的な経験から(森有正によれば、個人的な「体験」
は他人に理解可能な「経験」とはいえないということになるかもしれないが)
(5)、そのような「外見上、似ている」ということが、とんでもない誤解で
あることは断言できる(6)。
ttp://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~miyajima/(6).html
(6)この点については、阿部謹也が「神判の世界とケガレ」(『西洋中世の
愛と人格:「世間」論序説』朝日新聞社)以降に発表した世間論、『「世間」
とは何か』、『「教養」とは何か』(ともに講談社現代新書)、『学問と
「世間」』(岩波新書)、『世間学への招待』(青弓社)、『日本社会で
生きるということ』(朝日文庫)なども参照。なお、阿部謹也もキリスト教徒
の考え方を説明する場合には「教義抜き」で、説明がよく分からないのが難点
である。この小論で紹介しているバーマンの前掲書を、あわせ読まれるよう
お勧めしたい。
283 :
世界@名無史さん:04/01/02 17:54
この前ね、とある日本史されてた老教授と世間話してたら、阿部さんとかの話が出てね。
「いやぁ、彼のような若い連中の斬新な切り口には、この年になっても目がひらかされるねぇ。」
って言ってたよ。
284 :
世界@名無史さん:04/01/02 18:05
285 :
世界@名無史さん:04/01/02 20:06
号外祭り!!! 2004年は千葉総帥の年!
チバック第3代皇帝の千葉総帥の新スレができたよ!!
この神々しさ!この癒しのお姿!!たまんないね〜
みんなも遊びにいこうよ!!フォウ!
┌────────┐
│J 謹賀新年 │
│O 臣民たちよ . │
|K %%%%%%%% |
|E 6|-○-○ | . |
|R | > | │
| \ ∇/ ..|
| / \ |
│ | | │
│あけまして .│
│ おめでとう!! │
└────────┘
明けましておめでとう!チバック帝国千葉です
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/kitchen/1072942920/l50
286 :
世界@名無史さん:04/01/05 21:45
宗教板の過去ログに、
「海外の宣教師はオープンで優しいのに、日本の教会は閉鎖的で選民意識が
あるように感じられ不安です。日本でのクリスチャンの人口が1%未満なのは、
教会員の少数選民意識から来る閉鎖性とキリスト教が拡大しないことが
マイナスに相互作用しているからだと思います」
というカキコがありました。
こういうのを読むと、日本ではキリスト教会自体「世間化」しているのでは
ないかと思います。
>海外の宣教師はオープンで優しいのに、
花村満月がキリスト教孤児院にいた時に見聞した、
外人宣教師は表で信徒の前ではニコニコと善人ぶるが
裏になると差別丸だしの薄ぎたない顔になるって事書いてたな。
表面だけみて信じてしまうと。
欧米型空々しい偽善に疑問を感じないタイプでは?
素直に信じちゃう人達は。イラクとの戦争を本気で
民主主義の為の聖なる戦争と信じてたりね。
欧米人は「本音」と「建前」の使い分けが上手い。
288 :
世界@名無史さん:04/01/09 21:47
養老孟司さんと阿部さんが対談した本があったよね。ページ数少なかったので
立ち読みで読み終えてしまったが
289 :
世界@名無史さん:04/01/10 14:44
「日本社会の二重構造」というけれど、これは日本に限らず、他のアジアの
国にも共通している。
たとえばインドネシアの場合、上は大統領から下は行政機構の末端にいたるまで、
政治と行政のあらゆる局面には、法に基づいたフォーマルな統治メカニズムと、
個人的な人間関係(コネクション)を通じたインフォーマルなネットワークの
二重構造が張り巡らされている。
強力な「コネクション」があれば、私的・公的な問題を問わず、時として
超法規的な問題解決の道が開けたりもする。
290 :
世界@名無史さん:04/01/12 20:03
>>289 そのあたりのことは名古屋博学本舗さんの講演でお話になっていたと
思いますが、阿部さんは「違うもの」ととらえられていらっしゃるよう
でした。何が違うのか?というところが私自身、お話を聞いて今一つ
理解できなかったのですが、そのあたりのことを理解されているかた
または講演でのお話を記憶されているかたの書き込みをお待ちしています。
291 :
世界@名無史さん:04/01/13 00:11
ttp://www.din.or.jp/~yukin/Discrimination.html タイやスリランカは小乗仏教を信じている。それは、限られた人が成仏すると
いうの輪廻転生の考えである。前世を信じる人たちは障害を持つことはたたり
や罰と考える。障害児が生まれれば家族、当人が障害者となれば当人の前世の
行いが障害の原因と考える人も未だ多い。特に、障害児をもつことで母親の
立場が大変不利になる。そのため家族は障害者がいることを恥じ、隠そうと
する。CBR(地域に根ざしたリハビリテーション)ワーカーが地域の人々の
考えを変え、家族を説得して初めて障害者が外に出ることが許される。
特に、母親の業が子供の障害に出てくるとの考えがはスリランカでは強い。
[14]ネパールでは、都市部では障害者は前世で悪いことをしたため、その
報いとしてこの世に障害をもって生まれてきたといのは迷信であると進歩的な
あ考えを示す人がふえている。しかしろう者やその家族に対する社会から
多くの差別や蔑視はまだまだ根強い。両親でさえろう児を授かったことに
恥を感じ、ろう者を恥ずべき存在だと考えてきた。[15]カトリック国の
フィリピンでも、一部の貧困層や農村の人達の間では、障害は悪霊のしわざ
ないし神の罰、または伝染すると信じられている。そのため、障害者は家族に
よって、家の中に隠されてしまうことが多い。イスラム教国のバングラデシュ
においても、障害は前世の罪によるものと考えられている。他のイスラム教国
に比して格別戒律が厳格なわけでもないが、障害者に対しては肉体がアラ−の
前に出るには不完全であるとの理由で、モスクで祈ることさえ許さないことがある。
292 :
世界@名無史さん:04/01/13 22:03
age
293 :
世界@名無史さん:04/01/13 22:20
仏教よりイスラムに改宗するタイ人がいるわけだ。
294 :
世界@名無史さん:04/01/13 22:21
死体番組流したりろくでもないものな
295 :
なごや博学本舗スタッフ:04/01/14 20:31
阿部さんの新刊が間もなく発売されます。
たしか、岩波新書で「日本人の歴史意識」。
>>289さん、その本は博学本舗トークショーで阿部さんが
お話下さった内容を濃くしたものだと思います。
296 :
世界@名無史さん:04/01/14 21:18
ttp://www.iwanami.co.jp/shinkan/index.html 日本人の歴史意識
―― 「世間」という視角から ――
阿部 謹也
■新赤版 874
■体裁=新書判・並製・カバー・224頁
■本体 700円(未刊)
■2004年1月20日
■ISBN4-00-430874-7 C0221
歴史史好きだといわれる日本人だが,その一方で歴史意識の欠如が
問われることも多い.日本人にとって歴史とは何だろうか.これまで
世間という視角から日本社会・日本人を論じてきた著者が,西欧社会と
比較しながら「世間」を歴史的に分析して,日本人の歴史意識を考える.
歴史研究の総決算として書き下ろされたもの.
297 :
世界@名無史さん:04/01/15 11:36
932 名前: 名無しさん 投稿日: 02/02/04 11:04
>ポリアンの思考回路には ホント戸惑う事が多いわ。
禿同。前にポリアン女とつき合ってたんだけど、激しく男女同権を主張する割には
男物と女物は一緒に洗っちゃいけないとか(女は穢れているからだって)、
もし私にあなたの子供ができなかったら、よそに女を作ってそいつにあなたの子供を
生ませろ、とか日本人の私としてはもう何がなんだかわからなくなりました。
ついでに言うと、女がそう思ってるってことは、そう思ってる男も結構いるってことです。
浅くつき合うと、ポリアンはすごくウエスタナイズされているのですが、深くつき合うと
中身はどっぷり中国人です。誰かがポリアンはバナナだ、と言ってたけど反対。
見た目は白いけど中身は真っ黄色だと思う。
↑外見上の近代化と伝統的な考え方のギャップの例かな?
298 :
世界@名無史さん:04/01/15 14:50
295、296さん情報ありがとうございます。とても興味深い内容の
本のようですね。発売が待ち遠しいです。
299 :
世界@名無史さん:04/01/18 19:59
あげ
300 :
なごや博学本舗スタッフ:04/01/23 16:52
阿部さんの本、発売されました。これから読みます。
301 :
世界@名無史さん:04/01/28 22:54
発展途上国の政治を説明するときに、
よく「パトロン=クライアント関係」という言葉が使われますが、
これも日本の「世間」と似たものですか?
302 :
世界@名無史さん:04/01/30 19:30
阿部さんの本って新書だったんだね。読みやすいのは良いんだけど、
もっと分量があるほうがいいのに。
303 :
なごや博学本舗スタッフ:04/01/30 21:19
>>302さん、私もそう思います。
でも、理解力の低い私にとっては新書くらいが分かりやすくていいですね。
とはいえ、難しかったですが。
304 :
世界@名無史さん:04/02/01 20:04
>>303 さっそく今日買ってきました。偶然にも阿部さんがなにかの本に紹介され
ていたレイ・ブラッドベリの「火星年代記」が隣の本棚にあったので、
一緒に買いました。阿部さんがSF物もよく読まれるというのは意外
ですが、それらの中にもヨーロッパ中世を発見されるというもまたすごい!
305 :
なごや博学本舗スタッフ:04/02/01 22:33
>>304SFを読まれるというのも面白いですね。
でも、やっぱり中世を発見するのは阿部さんが本当の歴史学者だからですね。
阿部さんの新書と、ブラッドベリが隣の本棚にあるのも面白い偶然ですね。
306 :
世界@名無史さん:04/02/02 01:50
阿部さんの新刊読みました。
日本の教科書問題を取り上げて、日本の場合は歴史の事実に対する評価の
対立が学問内部の問題ではなく、直接に政治的対立になっている、
と書いてあったけど、そういう傾向は欧米の知識人にもあると思うよ。
たとえば、以前アメリカでアイリス・チャン著「ザ・レイプ・オブ・ナンキン」
という本が出版されて話題になったけれど、
この本に対するアメリカの知識人の対応はまさに政治的としかいいようのない
ものだった。
あと、ハーバート・ビックスの昭和天皇に関する伝記もそうだな。
どうも最近、欧米の社会は「日本化」しているように思えてならない。
307 :
世界@名無史さん:04/02/02 03:09
>日本の教科書問題を取り上げて、日本の場合は歴史の事実に対する評価の
>対立が学問内部の問題ではなく、直接に政治的対立になっている、
そうじゃない国・時代のほうが珍しいような気もする。
まあキンキンは「おまえら論証で勝負せいやゴルァ」と一喝したいということだろう。
308 :
世界@名無史さん:04/02/02 10:28
ttp://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~miyajima/(5).html
(5)森有正「経験と思想」(筑摩書房『森有正全集』第12巻)を参照。この論文で森有
正は、日本人と欧米のキリスト教徒の違いを文法用語で説明している(彼が念頭に置いて
いる具体例はフランス人であろう)。彼によると、我々は二人称だけの世界に住んでおり、
そこには一人称も三人称も存在しないそうである。我々は、つねに相手の立場に立って話
をするが、そのことを彼は、「あなた」と「あなたのあなた」しか存在しない世界と呼ん
でいる(批判の意味も込めて「私的二項方式」とも呼んでいる。援助交際の例に見られる
ように、他人に迷惑をかけていなければ、二人だけの話し合いで何でもできるというわけ
である。二人だけの関係に第三者が介入することは許されない)。それに対して欧米のキ
リスト教徒の場合、逆に二人称の世界は存在せず、一人称(「自分は、自分が」という彼
らの自己主張の強さを思い出してほしい)と三人称(おなじルールに縛られているという
確信を共有し、そのルールに一人称の人間が従っているかどうか監視している一人称以外
の人たち全員を指す。ヨーロッパ語の「社会」とは、この三人称の世界を意味するそうで
ある。ふつう「あなた」と呼ぶ相手は、たまたま目の前にいる三人称の世界の一人にすぎ
ない)だけの世界に住んでいるのだという。
309 :
世界@名無史さん:04/02/02 10:35
★ドイツ 人食い男に懲役8年6か月の判決
・3年前、ドイツ中部でコンピュータ技師が殺害され、その肉を食べたとされる男の
裁判で、地元の地方裁判所は懲役8年6か月の判決を言い渡した。
男はインターネットの広告で被害者を募集し、被害者の了承を得た上で
殺害したことが認められ、極刑を免れた。
ttp://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn/20040131/ 20040131-00000009-nnn-int.html
↑この事件なんかはまさに、援助交際と同じ「他人に迷惑をかけて
いなければ、二人だけの話し合いで何でもできる」という発想から
起きたものではないだろうか?
310 :
世界@名無史さん:04/02/02 20:49
”日本人の歴史意識”、いきなり古語の引用の洪水で頭がパンクしそう・・・
みなさんこういう古典の書物の文章ってふつうに読めるのですか?
311 :
世界@名無史さん:04/02/02 22:03
>>310 わたしは大学で国文科に在籍していたので読めました。
でもそうでない人はどうかなあ。
312 :
世界@名無史さん:04/02/03 13:35
>>311 へぇー、すごい!高校のときにもっと古語や漢語を勉強してりゃ良かった。
最近、古典が気になって古文に接することが多いので・・・
313 :
なごや博学本舗スタッフ:04/02/03 20:38
>>310 311さんほどではないと思いますが、
古典漢文好きなので割と読めました。
主だったものには阿部さんの要約もついてますし。
314 :
世界@名無史さん:04/02/03 22:36
>>313 そうですね。阿部さんの要約でなんとか読めました。
”世間とは何か”は要約の無いところが多くて、一部読んで
ないところがあったので、今回の新書はそれをカバーできる
有難い一冊でした。
315 :
世界@名無史さん:04/02/04 01:20
阿部さんの新刊で、今まで日本においては日本史、東洋史、西洋史の三本立て
で歴史教育がおこなわれてきて、それには明治以来の日本人の政治意識が影を
落としていると指摘されていたけど、
中国人社会ではもっとひどいらしいです。
かつて香港で発行されていた歴史の教科書は二部に分かれていて、一つは
本国史といって中国史、もうひとつは外国史といって西洋史で、東南アジア
なんかぜんぜん出ておらず、東南アジアの華人学校でもこの教科書をそのまま
使っていた、と。
(最近はどうなっているのかわからないが)
日本人の歴史意識のみならず、アジア人の歴史意識について広く考えてみる
必要があると思われ。
316 :
世界@名無史さん:04/02/04 20:43
般若心経の原典が世界で法隆寺にしかないのは知らなかった・・・
317 :
世界@名無史さん:04/02/04 20:46
322 :メディアみっくす☆名無しさん :04/02/03 17:59 ID:???
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/asia/1074347151/ 636 :日出づる処の名無し :04/02/02 20:16 ID:PF/D1oDV
今日のBS1の香港フェニックス見ました?
飴とシナの宇宙開発協力の是非についての真面目な議論が交わされる中
視聴者からのメール紹介・・・
っておい!アイコンがどっきんロリぽっぷなロリ幼女だよ(くるる?)
司会者は視界に入ってないのか?
ひとりっ子政策のシナのほうが、妹ロリ幼女市場の需要ありそう。
儒教思想が薄まればだけど。
318 :
世界@名無史さん:04/02/07 22:43
>>315 まずは日本人がどう歴史をとらえてきたか、そして個人として
歴史をどうとらえていくか、ということだと思います。もちろんアジア
の人たちがどう歴史をとらえているかということも大事だと思いますが、
「個人」と「世間」という対比から歴史を見るにはやはりヨーロッパが最も
参考になる比較対象ではと思いました。
中国といえば、阿部さんが「息子を極刑にしてほしい」と言った日本人の
親のことを紹介されていましたが、福岡で起きた松本さん一家殺害事件で
逮捕された中国人の親が、同じように「息子を極刑にしてほしい」と言って
いたのを思い出しました。
319 :
世界@名無史さん:04/02/07 23:54
>>318 >福岡で起きた松本さん一家殺害事件で
>逮捕された中国人の親が、同じように「息子を極刑にしてほしい」と言って
>いたのを思い出しました。
親子心中といい、アジアの社会には共通する部分が多いような・・・
ヨーロッパ的な「社会」が成立していないからか、儒教の影響なのか
よくわからないが・・・
320 :
世界@名無史さん:04/02/08 21:20
あげ
321 :
世界@名無史さん:04/02/08 23:15
「本音と建前の間で無理を重ねる」というのは欧米人にもあると思うがな。
たとえば、これ以上ヨーロッパ人以外の移民には来てほしくないと思ってる。
でもそれをいうと、「レイシスト」というレッテルを貼られて非難されるので、
本音で語ることができない。
それで表向きは人種差別はいけない、といいながら、裏で陰湿な差別がはびこる。
そして政治家も、ときにぽろっと本音を出したりする。
ベルルスコーニは、
「西側は、イスラム諸国には存在しない人権、宗教の権利、政治的権利を
保障する文明の優秀さを自覚すべきである」
と発言して問題に。
322 :
世界@名無史さん:04/02/09 13:17
306 :130です :04/02/08 02:41 ID:???
韓国人の軍に対するイメージについて
私は韓国人と話すことが多いですが、多くの日本人が考えるイメージとは異なり現在の韓国
人は、軍隊に対していいイメージばかりを持っているわけではありません。私が話した韓国人
によれば、一般的韓国男子にとって徴兵は自分のかけがえのない青春時代を強制的に奪わ
れてしまうもので嫌われています。徴兵が終わったあとは、同じ徴兵された仲間との友情は
強くなるけれども軍に対するイメージは徴兵前より悪くなるんだそうです。
もちろん人前でそんなことは言いません。韓国社会で軍隊時代のことについてわるくいうと
お前は意気地がない、お前は軟弱だと批判されてしまいます。
まあそういうわけで彼ら韓国人は言い方は悪いですが見栄っ張りが多いのでなかなか軍隊
の悪口を言いません。
しかし彼らは、軍に対して無批判ではありません。軍備を強化すると言うのは、国防費の負
担が増えるということですし、軍備を増強すると言うことは徴兵制度がなくならないということ
を意味します。韓国人の親たちは対外的にはともかく内心では自分の子供が徴兵にとられる
ことをひどく嫌います(これは徴兵を経験した親ほど強い傾向です)
またかつて軍事政権によって自由が制限されたことも韓国人は忘れていません。
323 :
世界@名無史さん:04/02/09 13:17
307 :130です :04/02/08 02:59 ID:???
上の様な理由から、韓国国防当局は、国民を納得させる必要から反日感情を利用している
わけです。
韓国社会では親日というのは社会的な死を意味します。
けれども韓国人は日本の高級車が売れていて、少年たちは日本の音楽やマンガを受けいれ
ているではないかという反論があるかも知れません。
確かに韓国では日本製品が売れています。しかし韓国人はたとえ内心日本について興味を
もっていたとしてもそれを表に出すことは許されないのです。
ジョージ・オーウェルの「1984年」を思いだして下さい。あの小説の中で主人公は内心国家の
言っていることに疑問を持ちつつも、国家の考えを忠実に実行するという、二重思考を行って
いましたよね。
それと同じでまた韓国人も二重思考を行っているのです。たとえ日本に興味があってもそれ
を表には出さない。
よく日本人が韓国人は直情的だと言いますが、さにあらず、韓国こそ日本以上の嘘と本音の
国と言えるのかもしれません。
324 :
世界@名無史さん:04/02/09 23:00
難しいね世間論って。正直なところ、日本に住んで「個人」を意識する
のは結構大変な事とおもう。一方で、やたらと「個性的」であることが
評価されるのも違和感がある。「個人」が確立されていない社会だから
一見して個性的なのが目立つだけなんじゃ?という感がある。
325 :
世界@名無史さん:04/02/09 23:15
阪神・淡路大震災でPTSDに陥った人というのは欧米に比べて
少ないんだそうです(どう言う基準でデータを取ったのかは分かりませんが)。
なぜかというと、震災の衝撃を個人で受け止めなくて、友人や家族で共有
するために症状が出ないんだそうです。欧米の場合は衝撃を自ら克服する
人と克服できずに深刻な状態になる人とが分かれるらしいです。こういう
場合は日本的な「世間」が幸いするという方向に出たという例でしょうね。
阿部さんの言うように個人を確立しつつも、日本的な良い面は残していく
という方向性が理想でしょうね。
326 :
世界@名無史さん:04/02/10 07:10
>>325 戦争とPTSDの関係について
アメリカでは、第二次世界大戦や朝鮮戦争時よりも、
ベトナム戦争後のほうがPTSDに陥った人が多かったそうです。
中にはマスメディアの影響で自分はPTSDだと思い込む例もあったとかw)
欧米の社会も、時代とともに変化しているのかも。
327 :
世界@名無史さん:04/02/10 09:14
>>324 森鴎外が『妄想』で、
「自分は小さい時から小説が好きなので、外国語を学んでからも、暇が
あれば外国の小説を読んでゐる。どれを読んで見てもこの自我が無くなる
と云ふことは最も大いなる最も深い苦痛だと云ってある。ところが自分には
単にわれが無くなると云うふことだけならば、苦痛とは思われない・・・」
と書いてるね。
今でも日本人で強烈な自我を持っている人は少ないと思う。
328 :
世界@名無史さん:04/02/10 20:27
>>327 さすが森鴎外。鋭いですね。外国文学を個人という立場で
読みなおしてみると、また新たな発見がありそうですね。
329 :
世界@名無史さん:04/02/11 19:57
age
330 :
世界@名無史さん:04/02/11 21:04
日本の社会には今でも呪術が入り込んでいるけど、これは共産主義国
である中国でも同じ。
中国社会では今なお、病気を医師を必要とせずに治すという巫婆、
人間の運命を変えるという霊魂や、悪運をもたらすという妖鬼とか
呪文、さらには神力、手相、運勢といったものが広く信じられている。
331 :
世界@名無史さん :04/02/11 21:28
今、『日本人の歴史意識 ーー「世間」という視角から』(岩波新書)
読んでるけど、前作の『学問と「世間」』より一段とシビアな内容で
あるという印象を受ける。
日本には不変の世間があるため社会が事実上存在しない。日本の個人は
世間の原理(贈与・互酬、長幼の序、時間の共有)に拘束されている点
で、欧米の自律的な個人の在り方とは異なると。要は世間(絆としがら
み)という不透明な被膜によって、個人同士の関係も個人と社会の関係
も遮られている。
歴史はそうした世間の外側を流れていく存在として把握されるため、個
人が歴史に参加して、それを創り出していくという発想が希薄なのが日
本人の歴史意識の特質だと。
世間の歴史的な固定性=不変性やその個人に対する拘束性=抑圧性が、
強調されすぎていて、その結果やや悲観的なトーンになっているような
気がする。確かに、従来のような西欧的な個人を基準として、日本にもそれと同型
の個人を創出しようという戦後(というより明治以来の)発想が、反省
されるべきなのは理解できるけど・・・・。
332 :
世界@名無史さん:04/02/12 13:48
>>325 もしかして河合隼雄さんと村上春樹さんの対談集から引用されたのでは?
PTSDについては欧米人の場合は、克服する人が”限りなく強い個人”
になり、克服できない人が”精神的危機”に陥るという事でしたね。
333 :
世界@名無史さん:04/02/12 21:58
>>331 >世間の歴史的な固定性=不変性やその個人に対する拘束性=抑圧性が、
>強調されすぎていて
日本の「世間」は、時代によってどのように変化してきたと思う?
334 :
世界@名無史さん:04/02/13 19:29
あげ
>>325 ステンセルの幕末滞在記にもあったな。
街が大火事でみんな焼けちゃうんだけど、次の日には皆が吹っ切れて家を建て始めてんの。
「街の至る所で新しい家が、商家が、まるで生き物のようににょきにょき建ち始めた
彼等は一様に火事という現実を受け入れて新たな再建を始めているのである。
これは我々の西洋社会では考えられない事である(文章うろおぼえ)」
336 :
世界@名無史さん:04/02/13 20:21
>>325 >>335 欧米人が、日本人に比べて執念深いのもそのせい?
彼らは第二次世界大戦が終わって半世紀以上経ってもいまだに
そのことを忘れてはいない。
337 :
世界@名無史さん:04/02/14 21:58
何かのテレビでやってたけど、エノラ・ゲイの展示のあり方に抗議しに
アメリカに行った被爆者が、真珠湾で兄を亡くしたという米人にすごい剣幕で
逆抗議されてた。「兄は地面の下で何も言えないのよ!」と言っていたが、
それをいうなら原爆で死んだ数万人の老若男女はどうなるんだ?と思った。
こういう米人のような歴史観はいくら「個人」から歴史を見ているとはいえ、
未来志向の考え方とは思えなかった。
>>337 いやアメリカ人は昔からそうだから。
自国の海岸から5mも離れれば、連中にとっちゃもう他の惑星の話なのよ。
ハーボーベンっていう有名なヒネクレ映画監督が『スターシップトルーパーズ』を
撮った時にインタビューで「アメリカ人にとっちゃイラク人なんざバッタや
イナゴ同然なのさ」って皮肉ってたけどそんな感じ。
デカくてしかも負けた事の無い国ってのは、怖いね。
あと『ジュラシックパーク2・ロストワールド』の感想で、ある映画サイトが
【アメリカ人の命>ティラノサウルスの命>>>>>>>>コスタリカ人の漁師ン百人の命】
って言ってたけど、アメリカ人の世界観を的確に皮肉ってるとおもわれ。
極悪人ってよりも、バランス感覚と想像力が欠如してんだろうなぁ、アメリカ大衆は。
340 :
世界@名無史さん:04/02/15 12:53
この人は、どこの修道会で育ったか知ってますか?
341 :
世界@名無史さん:04/02/15 17:33
>>339 アメリカ人にとって、
日本人やイラク人やコスタリカ人というのは、
アメリカ人の「世間」の外にいる存在なんだろうね。
342 :
世界@名無史さん:04/02/15 18:37
外人の日本社会評なんか読むと、ビシバシ鋭いところをついてくるよね。
ウォルフレンなんかその代表。
そういう意味で阿部さんようなあくまで知識人であることにこだわり
忠実にあろうとする姿勢は、私は非常に評価します。
日本人では貴重だよ。
普通、一橋の学長経験者なら、「先生、先生」とあがめられて政府のくされ
審議委員でもやって、勲章ねらうのが通常なのに、この人は1学徒であることに
こだわって、世間批判するわけだからね。
ただ、個人的な性格は知らないけどね。
343 :
世界@名無史さん:04/02/15 18:41
>>331 実際、今の一連の自衛隊のイラク派遣の流れを見ていると
日本人って歴史を地震とか台風と一緒の不可避な自然と
捉えていると思えてくる。
344 :
世界@名無史さん :04/02/16 00:23
>>343 >日本人って歴史を地震とか台風と一緒の不可避な自然と捉えている
同感。
NHKの「映像の世紀」なんか見てると、編集の仕方もあるんだろうけど、第二次
大戦の場合、ヒトッラーの演説→ドイツ軍の電撃作戦というかたちで「誰が戦
争を始めたか」がハッキリ印象づけられる。
反対に日本の場合、満州事変→日中戦争→太平洋戦争それぞれの戦場風景で、
主体が省略されて「戦争が始まった」というイメージなんだよなあ。
要は開戦も自然災害への対応と同じ感覚で、已む終えずとか何とかで、主体
的な政治判断に欠けている。
345 :
世界@名無史さん:04/02/16 01:27
>>344 アメリカ人のベトナム戦争に対するとらえ方はどうなんだろうか・・・
気になる。
>>343-344 良く言えば『とかく思い上がりがちな欧米の大衆に比べて己の分を知っている』
悪く言えば『自分を取り巻く状況に対して非常に無責任』
なんかみんなTVかレンタルビデオの知識だなあ。
若年者層の5人に一人が失業者で、本も買う金も無いのはいいとして、
まともに人付き合いもないんじゃないか。
江戸時代の「エゲレス人は・・・」レベルの話ばっか
>>347 じゃあなんかお前が面白い事を言ってみろ
話はそれからだろが
349 :
世界@名無史さん:04/02/16 14:05
>>333 >日本の「世間」は、時代によってどのように変化してきたと思う?
詳述は出来ないけど、古代〜現代まで不変というのは疑問。
少なくとも戦国時代などは、身分も流動的で、武士の行動様式(下克上や主従関係の可変性)や自治都市堺の商人(初期豪商と海外貿易)に見るように、個人はかなり自立的な側面を有していたと思う。
所謂「世間」が固定化したのは、江戸時代の身分制社会の確立による社会の安定化=固定化に依る点が大きいのでは。
各身分集団はそれぞれに細かな階層性を有し、個人は自己が所属する階層に対
応した人間関係と日常的規範を要請された(→これが現在まで繋がる本格的な
「世間」の形成ではないか)。だからこの時代の「世間」とは、諸身分を包括
した全体社会ではなく、個人から見れば自分が所属する身分集団(階層)という「部分」社会に過ぎない。
こうした江戸時代に形成された集団と個人との関係性が、内発的な変容・解体
ではなく、外圧による強制的な近代化(=西欧化)のもとで、「世間」と個人
という関係として持続したと思われる(同じことは、戦後改革による民主化の
問題との関わりについても妥当する)。
350 :
世界@名無史さん:04/02/16 15:09
(349の続き)
阿部氏の「世間」と個人とは、戦後初期の歴史学が主題とした共同体と個人の
問題(前近代的な共同体の解体と自立的な個人の確立が課題)と重なるように
思われ。
つまり阿部氏の(西欧的)社会≠「世間」=その性格は不変的かつ拘束的 と
いう図式は、「世間」を共同体と置き換えれば、かつての封建的遺制の克服問
題が前提していたのと同じ図式となる。
かつての封建遺制克服論の特徴は、西欧世界の社会や個人の在り方を普遍的な
価値基準として、日本の歴史的な社会・個人の在り方を批判した点。だがこう
した視点は、既に戦後歴史学のなか自己批判され、現在では西欧社会と日本社
会とを内容的には異質だが価値的には対等という前提で、客観的に比較するの
が自明となっている。
こうした点を踏まえると、西欧の社会や個人の自立性と比較した場合の日本に
おける社会の不在と個人の非自立性という図式には、先の封建遺制克服論と同
様な問題があるように見えてしまう。阿部氏の問題提起の対する日本史研究者
の反応が鈍いというのもこの辺の問題と関係しているのでは。
351 :
世界@名無史さん:04/02/16 15:52
(更に350の続き)
要は、西欧社会を基準とした日本社会との二項対立的な比較という点に
阿部氏の議論の問題性があるように思われる。
世界的に見れば、西欧の社会と個人の自立という形態自体が特殊なので
はないか。例えば、中東のイスラム社会、インドの社会、中国の社会な
どは、いずれもその伝統的形態においては、宗教的・地縁的・血縁的など何らかの共同体が基体となっていた筈であり、恐らく日本の「世間」
と類似の独自な呼称をもった(西欧の社会とは異なる)社会形態が存在
したであろう。
これらの諸地域は19世紀〜20世紀初頭には、西欧により(半)植民地化
されて、西欧的な諸制度が強制されていくが、そうした場合でも、日本
同様に伝統的な社会関係が存続して現在にまで至っている場合が大多数
であろう。
しかし、伝統的社会関係すべてが、清算されるべきものなのか、或いは
実際に清算可能なものなのかどうか、という問題があり、いずれの地域
でも、そうした伝統的社会関係との折り合いをつけながら、それぞれ独
自の近代化や民主化の形態を創出しているというのが実態であろう。
とすれば、日本の「世間」も一方的に否定さるべき(或いは否定するこ
とが可能な)対象ではなく、そうした存在を歴史的所与として受け止め、その抑圧的・拘束的側面(「しがらみ」)を抑止しつつ、その共同
性的側面(「絆」)を独自に発展させていくか、が課題となるのでは。
なお「世間」論は、日本における国家と社会の関係性、具体的には公と
私の関係や公共性の問題とも密接に関係し、その点で多くの論点を内包
した問題提起ではあると思う。
長文レスになりスミマセン>all
352 :
世界@名無史さん:04/02/16 17:50
>>351 >>157でも同じことが書かれてますね。
157 :世界@名無史さん :03/07/29 21:20
近代に入ってから、世界のほとんどの国が、
「西欧のようになること」
を目指してきたわけですが、
実は西欧(とその延長線上にある北米)のような社会のほうが異質(少数派)
で、それを世界の他の地域の社会がまねしようとしても無理なんでしょうか?
それとも、時間をかければ、自由主義・民主主義・個人の確立といったものを
根付かせるのは可能でしょうか?
353 :
世界@名無史さん:04/02/16 17:56
>>351 「白人進出前のアフリカについて語ろう」スレで、
白人がやってくる前のアフリカの諸王国には王国なりのマナーもルールも
当然あったんだが、ヨーロッパ人による植民地化で、それらがいったん全部
チャラになってしまい、その後も基本的にチャラになったまんまなんじゃ
ないかと指摘されていた。
で、民主主義とか人権とかの観点から、「悪い」奴隷制や宦官はそのまま
無くしといて、「良い」マナーやルールだけちゃんとしろ、と取捨選択
してんのが実は無理で、王国まるごと復活させなければ、王国のマナーも
ルールも帰ってこない。
354 :
世界@名無史さん:04/02/16 18:04
136 名前:名無しさんは謝罪汁 投稿日:2004/02/16(月) 13:23 ID:uEallNjM
昨日のニュースで見たんですが、東アジア、特に日本、韓国、台湾の学生は
自己抑制の傾向が強いんだそうです。日本はもちろん、韓国も台湾も近代教
育の雛形を作ったのは日本製なわけで、このシステムにはなにかしら問題が
内在してるのかもしれませんね。教育は国家百年の計ですから、適切に改善
していって欲しい物です。
355 :
世界@名無史さん:04/02/16 23:38
>>352 157氏の
>時間をかければ、自由主義・民主主義・個人の確立といったものを
>根付かせるのは可能でしょうか?
について言えば、自由主義・民主主義については時間をかければ、ある程度可
能では。
阿部氏の議論では「個人の確立」=12世紀だとすると、これが西欧の伝統的社
会関係に属し、18〜19世紀の「自由主義・民主主義」は西欧近代(=資本制社
会)の所産ということになる。西欧の進出とは資本制社会の非西欧社会への押
し付けであり、この経済制度に適合的な政治制度が自由主義・民主主義だった
(だから伝統社会を有しない米国では、西欧以上に純粋な形態で発達した)。
強制された制度とはいえ、現在では世界大に拡大しある程度定着もしているわ
けだから、問題は制度よりもその内実を非西欧世界がどういう形態で満たして
いくかであり、結果的にはそれぞれの地域的特色をもった、多元的な自由民主
主義が形成されるのが望ましい(この点で、現代グローバリズム=米国型自由
民主主義の一元的強制は不適当)。
356 :
世界@名無史さん:04/02/16 23:41
(355続き)
>>353 確かに、御都合主義的な取捨選択は不可能だろう。しかし19世紀〜20世紀の世
界の資本制化=伝統社会の破壊は不可逆的な歴史的事実。現代の非欧米世界は、
いずれも欧米的制度+伝統的社会関係の持続という相剋的状況を所与とせざる
おえない。
なお、日本近代はある程度の取捨選択(西欧技芸と東洋精神という採長補短主
義)に成功している。ただし、これは日本の古代律令制以来の異文化摂取のパ
ターンの問題で、別に日本の文化的先進性や優越性を示すものではない。
>>354 136氏:
>日本はもちろん、韓国も台湾も近代教育の雛形を作ったのは日本製なわけで
日本製だが、それは同時に日本的に翻訳された西欧製でもある。いわば日本的
オリエンタリズムがもたらした結果。また
>日本、韓国、台湾の学生は自己抑制の傾向が強い
理由は、教育制度の相似性よりも、それぞれに伝統的要素を包含した近代社会
が、等しく現代のグローバリズムの侵攻に晒されている状況への反応とも捉え
られる。
357 :
世界@名無史さん:04/02/17 00:24
>>355 >結果的にはそれぞれの地域的特色をもった、多元的な自由民主主義が
>形成されるのが望ましい
キリスト教やイスラームといった普遍宗教も、それぞれの地域に適応した
形になってるもんな〜
「フォーク・カトリシズム」なんかその典型。
358 :
世界@名無史さん:04/02/17 00:43
>>356 >これは日本の古代律令制以来の異文化摂取のパターンの問題で、
>別に日本の文化的先進性や優越性を示すものではない。
ロシアのように、ある程度近代化に成功してはいるが、さりとて
完全に西欧化してはいないという国があるよね。
ロシアの伝統的な異文化摂取のパターンはどうだったんだろうか。
128 :世界@名無史さん :04/02/13 20:33
〜ウチとソト〜
人称代名詞は全体として
@「コ・ソ・ア等話し手からの距離で捕える言い方」
A「漢語系の貴とか拙とかの上下の扱い、あるいは人の性質を尊敬、または卑下する言い方」
漢語系の自己卑下の発想による代名詞はヤマトコトバには無い。
つまり日本語で最も古く根源的なのは、
人々が自分に近いか遠いかを軸にして人間関係を考える事。
上か下かの認識を大切にするのは漢字文化輸入による社会の階層化、
家父長的社会制度の成熟と関係がある。
by大野晋
古代漢人=皮革好み、畜肉食の遊牧民蔑視。
儒教=日本に厳しい身分差別、男性優位と女性蔑視、年齢秩序をもたらす。
韓国激しい差別みても分かる様に、東アジアでの差別思想の根源は中国。
360 :
世界@名無史さん:04/02/18 18:57
「伝統的システム」っつーことでふっと思ったんだけど、
もし日本が天皇制を廃止したら、日本という国家・社会はバラバラに
なるんだろうか。
それとも今の日本だったら、廃止してもたいした影響はない?
361 :
世界@名無史さん:04/02/18 19:06
ほとんど影響ないだろ。
たとえば、渋谷でうろついているコギャルに何の影響があるというのだ。
362 :
世界@名無史さん:04/02/18 19:09
そもそも大多数の社会人=生活者は日常の労働や家庭生活に精一杯で、
天皇やら皇室やらでウダウダ言ってる暇などない。
そんなことで影響だのなんだのと騒ぐのは職業的知識人くらいだろう。
363 :
世界@名無史さん:04/02/18 23:12
日本に中国思想の影響さえ無ければ
部落差別、在日差別、アジア人差別も無かったかもしれないな。
上意下達とか、軍隊で下が犠牲にされて
上の奴だけのうのうとしてるのって、まさに東アジア=中国型社会の縮図のようだ。
364 :
世界@名無史さん:04/02/20 20:03
朝日新聞の天声人語に、フランスには死者との結婚が法的に認められているという
ことが書かれてあるね。西欧人の死者に対する意識というのは、死体に対する
扱いや、生死観からみても、こういう制度は無いものと思っていたのだが、
以外にもドゴール大統領の頃に認められたというから二重の驚きです。
365 :
世界@名無史さん:04/02/20 20:20
>>364 アイスランドやデンマークではキリスト教以前のゲルマン的異教が認められる
ようになったというから驚くね。
ヨーロッパはだんだんキリスト教以前の状態に回帰(?)しようとしてるんだろうか。
366 :
世界@名無史さん :04/02/21 12:56
>>365 >ヨーロッパはだんだんキリスト教以前の状態に回帰(?)しようとしてるんだろうか。
阿部さんの主張だと、西欧の個人の自立の前提はキリスト教だから、一面では
個人の自立はキリスト教のもつ不寛容性の面とも重なっている。
最近の異教の容認は、憲法では宗教の自由を認めつつも、社会的にはなかなか
進まなかった宗教的寛容さというのが、ある程度浸透してきてるのでは。
367 :
世界@名無史さん:04/02/23 14:05
19歳で芥川賞をとった綿矢りさの「蹴りたい背中」って、すごくわかりやすく世間
を描いてるよね。文章を書く技術やスタイルはまだまだ確立されてないけど、すごく目のつけ
どころが鋭いと感じた。
368 :
考える名無しさん:04/02/23 15:35
>>367 >綿矢りさの「蹴りたい背中」って、すごくわかりやすく世間
>を描いてるよね。
もう少し詳しい内容キボン。
369 :
世界@名無史さん:04/02/23 16:06
一橋大学総長阿部謹也
370 :
世界@名無史さん:04/02/23 19:04
>>368 話しの中では主人公のハツはクラスのどのグループにも入れず(入らず)、
浮いた存在になっているのですが、唯一の友人の絹代がほかの友人の
グループ(のようなもの、派閥とでもいうか)に属す(?)ようになり、
彼女と疎遠になっていくんです。でも、別に喧嘩をしたわけでもなく、
会って話しもするし、彼女に対して悪い感情も持っていないわけです。
でも、何か壁が出来ていることに主人公は気づいている。二人で話しを
していて面白い話題があっても、絹代は「みんなに話してあげなきゃ」
とグループの事を気にかけている。主人公は「なぜ二人の話題なのに、
グループの人たちのことを気にするの?」と疑問に思う。
まぁ、話しの中のごく一部分ですが、日常的な学校生活のある風景を
単調にえがいていながらも、その人間関係というのは、すごく世間的
なんです。読み様によっては単なる日記じゃん、と思われる人もいる
かもしれませんが、私は感心しながら読み終えました。
371 :
世界@名無史さん:04/02/24 07:50
age
372 :
世界@名無史さん:04/02/24 09:42
明治のお雇い教師のベルツが、
日本は、科学や産業技術・制度等を西欧から学んだが、その基本と
なっている精神を学ばなかったという意味のことを述べているが、
そもそも「西欧の基本精神」というのは、学ぼうとして学べるような
ものなのか・・・
丸山真男は、伊藤博文は政治家としての卓越した洞察力から日本型
「国教」の制度設計を行ったと主張しているが、色川大吉は、丸山は
伊藤の政治家としての資質を過大評価しすぎだと批判している。
373 :
世界@名無史さん:04/02/24 19:12
>>372 西洋の科学は宗教に対する批判から発展した、という事をベルツは
言いたかったのでしょうか?あるいはキリスト教の持つ、自然は人間が
管理するもの、という思考の延長線上にあるものとして科学が存在
する、という意味なのでしょうか?日本人の場合は科学そのものを
信仰しているというタイプの科学者が多いですね。
374 :
世界@名無史さん:04/02/24 20:00
>>373 多分、日本人が「和魂洋才」といって、
キリスト教・自由主義・民主主義といったものを本当に理解していない、
といいたかったのでは。
明治の元勲たちはキリスト教に替わるものとして、国家神道&近代天皇制
をつくったけれど上手くいかなかった。
375 :
世界@名無史さん:04/02/26 07:33
よく「日本にいると個人というものについて考えるのが難しい」というよね。
日本の場合は「個人」を意識するより「個性」を意識することのほうが多いのでは
ないかと思う。「個人」「個性」はほとんど同じようなものだけど、「目立たない
普通の人」などと形容される人はその「個性」ゆえに存在を認知されているに
過ぎないような気がする。
376 :
世界@名無史さん:04/02/26 08:11
「個性」に当たる英語というと、personalityとindividualityがあるね。
377 :
世界@名無史さん:04/02/26 09:00
ヨーロッパで最もキリスト教の影響力が強かったのは
中世の暗黒時代。
ところが今じゃ地動説も進化論も普通に認められてるし、
中世に比べれば明白に「キリスト教以前の状態に回帰」しつつあるとは思う。
378 :
世界@名無史さん:04/02/26 10:30
personality=ある人特有の肉体的・精神的特徴
individuality=単にその人と他の人を区別する特徴
379 :
世界@名無史さん:04/02/26 13:25
380 :
世界@名無史さん:04/02/26 18:14
381 :
世界@名無史さん:04/02/27 19:16
>>380 ほんとだ。。。レッドソックスのベーブ・ルースの呪いといい、
野球に関しては何か呪術的なの多いね。
中世史の研究で多大な業績を残した網野善彦氏が、27日午前逝去
されました。ご冥福をお祈り致します。
阿部さんと一緒に対談集も出してたが・・・
383 :
世界@名無史さん:04/02/28 00:07
甥っ子の中沢新一も葬儀に出るんだろうね
384 :
世界@名無史さん:04/02/28 00:12
とすると、お次は西洋中世史のこちらさんの番ですか?
385 :
世界@名無史さん:04/02/28 19:23
教養とは何か
387 :
世界@名無史さん:04/02/29 20:34
あげとくか
388 :
世界@名無史さん:04/02/29 21:10
>>306 >>307 秦郁彦氏は、『現代史の争点』(文藝春秋)で、
歴史家としての私が最も重視しているのは、何よりも正確な事実の確認作業である。
「事実よりも真実のほうが大事だ」と唱える一部の主張には賛成しない。
いわゆる「真実」の探究は、『詩と真実』の著者であるゲーテがそうであったように、
文学の世界の目標であって、歴史学の世界にはなじまないと思う。
と主張している。
日本にもこういう欧米並みの(?)歴史家はいると思われ。
389 :
世界@名無史さん:04/03/02 14:53
この手の「近代的自我万能論」は聞き飽きた。
390 :
世界@名無史さん:04/03/02 17:16
>>388 基本的に賛成。
だけどこの路線であっても、時の政治的潮流に合致するか反するかで
勝手に「ウヨ」「サヨ」認定がなされるものなり。
よって外野の動向は気にしない(でいたい)。
>>388 賛成なんだが、
この人の「ペリーの白旗論争」での事実無視、ねじまげにはがっかりした。
もっと冷静でまともな人かと思っていたが。
392 :
世界@名無史さん :04/03/02 23:02
>>388 事実か真実か、どっちでもいいじゃん。
歴史なんて物語にすぎないんだからw
「八分通りは作りごとなのでございましょうに、それが
どうしてこうも退屈なのか、私は不思議に思うことがよ
くございます。」
キャサリン・モーランド歴史を語る
(ノーサンガー・アベイ 第十四章)
393 :
世界@名無史さん:04/03/03 22:32
阿部さんは、
「歴史家の場合、日本では古代史家、中世史家などと扱う範囲が決まっており、
自分の領域を離れて議論をする風潮はほとんど見られない。したがって中世史家は
現代の事柄にはほとんど触れることがないのである」
と書いているけど、
実際に歴史家が自分の専門以外の分野について発言するのはかなり信用を落とす
リスクが高いと思われ。
たとえば故・網野善彦氏や若桑みどり氏も、近現代史関連ではかなり(゚Д゚)ハァ?
なことを発言していた記憶がある。
394 :
世界@名無史さん:04/03/06 14:00
>>393 まぁ、歴史っていろいろな解釈があるから、一見「ハァ?」でも
実はそういう見方もできる、ってこと多いんだよね。
395 :
世界@名無史さん:04/03/07 03:23
>伝統的システム
そういや江戸の身分秩序を基礎づけた「士農工商」も
元は漢籍から来た言葉だった。
穏健な天皇制ではなく、幕末の外国人排斥、過激天皇主義も元を正せば
宋学イデオロギーから発してた。「尊王攘夷」とか。
東北一帯に関して
「みちのく」みちのおく=和語。「距離」で捉える発想。
「蝦夷」=文明人と野蛮人を分ける発想、差別意識。
事典によると中国の華夷思想の影響を受けて使われるようになり
後年のアイヌ差別の蔑称にも連なる。
「世間」を生んだのは?
396 :
世界@名無史さん:04/03/07 18:30
397 :
世界@名無史さん:04/03/07 22:09
『西洋中世の愛と人格』(朝日新聞社)に、
恋愛は十二世紀の発明うんぬんと書いてあったけど、
本村凌二氏も、『ローマ人の愛と性』(講談社現代新書)で、
「カエサルは妻に愛をささやいたか」という問いに「否」と答えていた。
カエサルは妻にそれなりの思いやりの言葉をかけたであろうし、配偶者を慈しむ
嗜みを欠くことはなかっただろう、しかしそれは現代人が恋愛結婚のなかに
思い描くようなものではない、と。
ローマ人の社会は家父長権の絶対性が公認されており、このような社会に
おいては、姦通は夫の愛情や信頼を裏切ったから処罰されるのではない。
夫の愛情や信頼を裏切ると考えるのは、近代人の捉え方にすぎない。
家父長が幅をきかすのは、公権力が私的関係には干渉しないからであり、
国家に対して家が自立しているからである。このような社会にあって、
家あるいは家族はなによりも「家の名誉」あるいは「家名」を尊重する
ことによって成り立っている。彼らは「家の名誉」や「家名」を、われわれの
想像をはるかに越えて意識していた。それらは現実の迫真をおびた生々しい
ものであった。
だから、姦通が事実であろうが濡れ衣であろうが、それは大したことではない。
意に介すべきことは、家名の尊厳なのである。
399 :
397=398:04/03/07 22:31
ちなみに中央アジア・ユーラシア史研究者の加藤九祚は、アフガニスタンの
プシュトゥン人の慣習法について、3つの原則(客の歓待、血の復讐、
援助の依頼)が基本としてあると述べている。
さらに興味深いのは、プシュトゥン人の男は、
「もし妻が不義をしたり、あるいは彼女をかどわかしたりした場合には、
女性の同意に関係なく、夫はふたりを殺害すべきである。これが慣習法の
掟である。しかし夫はしばしば別の原則にあまんじる。『誰も知らない
恥は恥ではない』とし、妻に不義があってもこれを隠してしまう。殺害は、
不義の相手側から血の復讐を招くおそれがあるからである」
のだそうである。
阿部氏がアイスランド・サガの中で描かれている社会について書いて
いることとあまりに似ているのに驚かされる。
400 :
考える名無しさん:04/03/07 23:16
>>399 その血の復讐って、日本中世〜近世の武家社会の妻敵討と同じ。
401 :
世界@名無史さん:04/03/07 23:31
>>400 そだね。
ただ、町人の場合は金(損害賠償)ですますことが多かったらしいが。
あと、「風とともに去りぬ」などの小説で描かれているアメリカ南部の
社会もそんな感じ。
名誉を傷つけられた者は、相手の男に決闘を申し込む。
402 :
世界@名無史さん:04/03/09 00:17
浅田農産の会長の自殺はなんとなく考えさせられること多いなぁ。
奥さんと一緒に死んだというところに「世間」を感じる。
403 :
世界@名無史さん:04/03/09 14:57
404 :
世界@名無史さん:04/03/09 20:52
>>366 >>377 西洋の社会が、キリスト教以前の状態に戻ることははたして
良いことなんだろうか?
そもそも西洋社会のシステムは、キリスト教を前提として組み立てられて
いるから、それを無くすと、
>>353で指摘されているアフリカ諸国のような
状態に陥る可能性があると思われ。
405 :
考える名無しさん:04/03/09 23:57
>>404 もどるといっても、キリスト教を前提として形成された個人の自立=強力な自
我の存在は、それが(西欧独自の)伝統社会の所産である以上、キリスト教の
もつある意味での不寛容性が緩和したからといってなくならないだろう。
すでに19世紀後期には、「神は死んだ」(ニーチェ)と言われたわけで、日本
人から見れば、現在でも依然としてキリスト教的色彩が濃厚であるように見え
るけど、実際はこの100年内外で大きく変化しているのでは。
406 :
世界@名無史さん:04/03/10 00:29
キリスト教の影響が薄れたかわりに、ヘンな迷信が形を変えて復活して
きているような。例えば、
「クジラは頭のいい動物だから食べてはいけない」
とか。
そもそも「創世記」には、
「地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海の
すべての魚と共に、あなたたちの手にゆだねられる。動いている命ある
ものは、すべてあなたたちの手にゆだねられる。動いている命あるものは、
すべてあなたたちの食糧とするがよい」
と書いてあるんだが。
407 :
世界@名無史さん:04/03/15 17:21
>>364 >フランスには死者との結婚が法的に認められている
パトリック・ギアリ『死者と生きる中世 ヨーロッパ封建社会における死生観の変遷』
(白水社)という本があります。
中世には「聖人を辱める儀式」「聖人に対する恫喝」というのがあったというのが
おもしろかった。
408 :
世界@名無史さん:04/03/15 19:32
>>407 面白そうな本ですね。ぜひ読んでみたいと思います。情報サンキュー
409 :
世界@名無史さん:04/03/17 23:08
age
410 :
世界@名無史さん:04/03/18 19:26
「AERA Mook 11 宗教学がわかる」(朝日新聞社)という本を読んでみたら、
池澤優氏が中国の宗教について、「聖」と「俗」の世界が分離していないと
書いていた。
「中国の宗教的活動・思想のかなり多くの部分は、政治・哲学・文学など諸分野の
一部分として存在していたからです。
このことを端的に表すものとして、儒学が宗教であるか否かという問題があります。
儒家思想自体は人がいかに生き、人間社会がいかに運営されるべきかを主テーマ
とする哲学体系であり、仏教・キリスト教と同じ意味では宗教とはいい得ませんが、
同時に上帝(天)・自然神・祖先の崇拝を含む多くの宗教的要素を含んでおり、
それは儒家思想の不可分の構成要素となっています。宗教的要素のみを抽出
することは、儒家思想が持っている一体性を損なうことになります」
のだそうで。
411 :
410=411:04/03/18 19:32
これを読んで、中国・韓国といった儒教社会が外部の人間から見て
理解しにくい理由がなんとなくわかったような。
17世紀にカトリック教会と中国との間で典礼問題が発生しているし。
阿部さんが「世間論」で指摘している「聖俗未分離の日本」との比較も
おもしろいかと。
東アジアにおいて、処世のやり方、基本となる人間関係とその発想、
そういったものの「雛型」は中国製だもんな。
アジア的専制だとか、東洋的ナントカと欧米からいわれるものも、
よく観察すると。
リー・クアンユーも日本軍の仕打ちに恨み言を述べながらも
同じ儒教圏としては共感を抱いてるとか。
欧米の比較だけで日本が特殊だとか言ってる人達がいるが、
別に東アジア各国と較べれば珍しくなんともないものも数多い。
413 :
世界@名無史さん:04/03/19 00:30
阿部さんが、中国の大連にある東北財経大学で講演したところ、学長や教員から
「個人」とは何ですかと聞かれたと書いていた。
日本に帰ってから中国専門家に聞いてみると、日本語の「個人」に当たる
普通名詞は中国語にはないといわれたらしい。
アメリカと中国が人権問題について話し合うとき、アメリカ側は「個人」と
いうものを前提にして考えている。中国に人権思想が無いとはいわないけれど、
「個人」を前提にしていないことは明きらかで、そこではどういう話し合いが
行われたかを新聞社はもっと詳しく情報を集めて報道するべきだが、そうは
なっていないと。
414 :
世界@名無史さん:04/03/19 00:36
415 :
世界@名無史さん:04/03/22 21:56
リー・クアンユーって、西洋式の教育を受けたエリートなのに、なんで
「アジア的価値観」なんて言い出したんだろうか・・・
416 :
世界@名無史さん:04/03/23 22:29
age
417 :
世界@名無史さん:04/03/25 22:59
正直言って、中国人や韓国人よりも、
イラン人やインドネシア人のようなイスラム教徒のほうがわかりやすいと思う
ときがある。
418 :
世界@名無史さん:04/04/09 13:29
>>417 確かに。分かりやすい部分で個人的なんだろうな。
419 :
世界@名無史さん:04/04/10 10:38
部族単位の人間関係では?
420 :
世界@名無史さん:04/04/11 21:29
在日イラン人やパキスタン人も日本社会に対していろんな要求をしてくるけど、
彼らの場合イスラームの教義にもとづいているからそれをとっかかりにして
ある程度理解することができる。
ところが中国人や韓国人の場合、そういう原理原則がないから、わかりにくいのでは。
421 :
世界@名無史さん:04/04/12 16:37
イスラム教徒の要求ってあつかましさもあるけど、
なにかいじらしさのようなものも感じる。
422 :
世界@名無史さん:04/04/12 22:08
中公新書の「中世の風景」って面白い?
423 :
世界@名無史さん:04/04/13 13:33
高校の現代文で読んだような・・・
424 :
世界@名無史さん:04/04/13 21:06
>>422 ちょうどいま読んでいるけど面白いよ。
日本史の網野さんら4人の対談形式で、あまり専門的に深い話題でなく、
みなさん楽しみながらリラックスしてお話されているようで、
読んでいても何か雑談を聞いているような感じになります。
もっとも、まじめで学問的な話題ですが。
425 :
世界@名無史さん:04/04/21 19:37
昔のヨーロッパでは、障害者は「悪魔によってすりかえられた子供」と
考えられていたらしいね。
ルターは「そのような取替え子は単なる肉の塊に過ぎない、なぜならその中には
魂がないからだ」といって溺死させるように勧めたし、
聖アウグスティヌスは、「うまれつき聾唖の人は決して信仰を受け入れることが
できない。なぜなら、信仰は説教から、人が耳にするものから生まれるからだ」
と書いていた。
426 :
世界@名無史さん:04/04/27 23:27
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~miyajima/_t5VBOm_.html 我々がロシアを論じる場合、我々はよく自分を欧米の立場に置いて議論するが(43)、
これはロシアに関する情報が欧米経由だからであろう(バルカン諸国に至っては、そんな
情報すら入ってこない)。しかし、聖俗分離が無いということでは、ロシアの方がカトリ
ック教会圏より我々に近いということを忘れるべきではない。遠藤周作はカトリック教徒
であることと日本人であることの矛盾に悩み、またそれをテーマに小説を書いてきた小説
家だが、彼が言うように、おなじキリスト教でもカトリック教会より東方正教会の方が「
われわれの感覚にまだしも合っているキリスト教」なのである(44)。
427 :
世界@名無史さん:04/04/27 23:27
しかし、それでも我々はキリスト教徒でなく彼らはキリスト教徒なのである。その
違いは何を意味するのか。従来の日本論は、カトリック教会圏との比較で論じられてきた。
その違いは聖俗分離(政教分離)の有無が原因なのか、それともキリスト教徒であるか否
かが原因なのかが区別されないまま論じられてきた。この比較論にもう一つ、東方正教会
圏を加えると違いの意味が明確になってくるはずである。聖俗分離がないということでは、
我々はロシア人と同じであり、キリスト教徒であるということではロシア人は欧米人とお
なじである。では何が我々と欧米人に共通しているのか。欧米と日本の共通点として封建
制度を挙げる者がいるが(しかも、その論拠にフランス人の歴史家であるマルク・ブロッ
クを引用する!)、これもバーマンは根拠のないこととして批判している(45)。
もし欧米人と我々のあいだに何か共通点があるとすれば、それは何なのか。聖俗分離を知
らないにも関わらず、聖俗分離を原則とする彼らと共通点をもつ理由は何なのか、そんな
視点からなら、これまで見えなかったものが見えてくるのではないだろうか(46)。
428 :
世界@名無史さん:04/04/29 19:45
ttp://x51.org/x/04/04/2906.php 中国は四川省にて妻の病気を治癒する為に墓場から30体の死体を盗み、肉と骨を用いてスープを
作っていた男が逮捕されたとのこと。
地元新聞(WestChinaCityDairy)に掲載された郡警察の発表によると、同地域では1988年より
墓から死体が忽然と消える事件が続発、捜査の結果、ホアン(51)と言う名の男性が
墓から死体を盗み続けていたことが発覚し逮捕したという。
これまでの聴取によれば、男性は重病に苦しむ妻を持っており、あるとき占い師に相談したところ、
病気を治癒するためには新鮮な人肉を用いてスープを作って与える事が唯一の治療方法であると
告げられ、実行に及んだと話しているが、事実関係はまだ確認されていない。
男性の供述では死体を盗んだ後、骨を砕いて妻の額に塗り、肉を用いて作ったスープを
与えていたと話している。
いまだにこんな呪術が生きているとは…
429 :
世界@名無史さん:04/05/04 12:22
昨日関ヶ原へ行ったんだけど、そこにある十九女池(つづらいけ)という
ところに竜女伝説があるのを知った。人が動物に化けるというのは西洋にも
あるけど、動物が人に化けるというのも西洋にはあるのだろうか?
430 :
世界@名無史さん:04/05/12 22:15
>>429 動物が人に化けるというのは寡聞にして知らない。
キリスト教では動物には霊魂が無いと考えられているからかもしれない。
日本でいう「狐憑き」は西洋では「悪魔憑き」だしなあ。
431 :
世界@名無史さん:04/05/27 11:26
>>429 神が動物に化けるというのは古代にはあるが、キリスト教が広まった後
となると・・・どうなんだろ。でも、罪人が町から追放される時に狼の皮を
着せられて獣として追放されるという事もあるようで、そういうのを見ると
人が獣に変わるというイメージもあったのかもと思います。でも、ちょっと
竜女伝説の場合と違うかんじがするなぁ。
勘違いしてました・・・。人が動物に化ける、じゃなくて、動物が人に化ける
という話なのですね Σ (゚Д゚;)。うーーん・・・それは聞いたこと無いなぁ。
433 :
世界@名無史さん:04/06/11 09:49
>>351 >これらの諸地域は19世紀〜20世紀初頭には、西欧により(半)植民地化
>されて、西欧的な諸制度が強制されていくが、そうした場合でも、日本
>同様に伝統的な社会関係が存続して現在にまで至っている場合が大多数
>であろう。
インドで仕事をした日本人が、インド人は世界に冠たるタフ・ネゴシエイター
であり、交渉の論理は表面的には西欧的だが、どこの国のものにも属さない、
と書いていたな。
なんだこのスレ?異常に平和だな 素晴らしい
435 :
世界@名無史さん:04/07/10 19:22
阿部さんの新しい本マダー?
436 :
世界@名無史さん:04/07/22 20:25
まだ。
「国体の本義」読むと、今個人主義批判してる人と
全く同じこと言ってるので驚く。
1930年代以前は日本人も結構個人主義的だったのかな?
438 :
世界@名無史さん:04/08/30 18:28
内藤正典氏が『ヨーロッパとイスラーム−共生は可能か−』(岩波新書)で、
ヨーロッパ的個人とイスラーム的個人について説明していた。
イスラーム的な「個人」とは、神に従う一人の人間としての個人であって、
とことん自分の頭で考え、それに従って行動する個人ではないのである。個人の
自由意思は、神の定めとしてのイスラーム的規範を超越することはありえない。
この違いは、ヨーロッパにおいて、ムスリムと非ムスリムのヨーロッパ人が
共生するうえで、より根源的な問題をつくりだす。お互いに、「個人」の観念
が土台から異なっていることに気づいていないからである。
439 :
438=439:04/08/30 18:40
フランスは、ムスリムの社会を「個人」という単位にまで分割することが
可能だと考えている。個人には自由な意思がある。フランス共和国は、
個人の自由を尊重する国家である。したがって、移民であっても、個人の
自由な意思でフランス共和国と契約を結べば、みな平等にフランス国民と
なる。
ところが、ムスリムの側は、「契約の内容がイスラームの教えに抵触
しない限りにおいて」という留保をつけてフランス市民になろうとする。
ムスリムは、国家と交わす契約に、個人の信教の自由を制約する規定が
あることを理解しにくい。ところが、フランスは公的領域での非宗教性
を貫徹する世俗国家であるから、宗教の教えで留保をつけることを許さない。
440 :
世界@名無史さん:04/08/30 21:02
イスラム教のほうが観念的だからそういう感じになるのかな?
441 :
世界@名無史さん:04/08/30 23:48
>>440 ユダヤ教の場合、律法を柔軟に解釈することによって近代社会に適応したハズ。
もっともユダヤ教徒にもいまだに古代そのままの意識の超正統派(ハシディーム)
がいるが。
改革派は律法の字句にこだわらず、現代に合わせた生活をしている。
むしろ西欧キリスト教社会が特殊なのかも。
442 :
世界@名無史さん:04/09/22 20:48:09
ヨーロッパ社会でいう「多文化主義」や「寛容」には日本よりも冷徹な意味が
あって、他者に同じ権利を認めるが、他者に関心や共感を持つ必要はないんだよね…
こういう話を聞くと、やっぱり阿部さんのいうとおり、ヨーロッパの個人と
日本の個人は同じではないんだな、と思う。
日本人でこれだけ冷徹になれる人は少数派だろう。
443 :
世界@名無史さん:04/09/22 20:50:49
独裁望んでたのには、社会主義者が多かったからね。
445 :
世界@名無史さん:04/09/23 14:42:22
446 :
世界@名無史さん:04/09/23 18:07:32
: ◆S9rdhph7bE :04/09/01 19:46
>>638 英国でも行政側で異なるエスニックグループを一つに統合することなどはなっから考えてない
違うものを違うと認識して共存せよ、という方向です
最近まで英語しゃべれなくても帰化できた位だから、
いわゆる「同化」を問われない社会ですな
この辺がフランスのアプローチとは違う所か?
その結果共存は可能になるが
>他者の権利を保障したり、他者の生き方を尊重することが、
>他者を理解したり好きになることを意味するのではない
ということになる場合もしばしば
これが悪い方へふれると
移民と従来の英国人が全く接点を持たない「パラレルライフ」を生きることになり
そこに摩擦が起こるた例が数年前の Oldham のインドパキスタン系住民と白人(おもに貧困層)との衝突
現地の地方公共団体がパラレルライフの解消を怠ったのが騒動の原因とされて非難された
共存とinclusiveness 舵取りが難しい所だね
447 :
アフリカ版「世間」:04/10/25 22:48:11
西欧における国民国家−Nation States−の成立の条件は個人の集合体としての
社会である。しかし、サハラ以南アフリカにおいて個人はコミュニティーに同化し、
「個」が主張されることはまれである。現段階では、コミュニティーが政治の
基本単位であって、個人ではない。議会はコミュニティーの代表による政治の
場であり、個人の国家とのつながりは、コミュニティーを通じることとなる。
議会選挙は、個人の競争のプロセスではなく、コミュニティーの利益を代表する
者が、コミュニティーによって議会に送り込まれ、コミュニティーへの利益の
還元が期待されている。「個人」が選ばれる選挙ではなく、コミュニティーの
代表であれば内閣の構成に当たって、「部族」間のバランスが大切となるのも
頷ける。
448 :
世界@名無史さん:04/11/11 13:21:02
>>447 世界的に見ると欧州のほうがむしろ特異な社会って感じがするな
449 :
世界@名無史さん:04/11/11 14:15:15
読んだことないんで分かりません。
450 :
世界@名無史さん:04/11/11 14:23:23
>>447 アメリカでも、そういう地方政治は多そう
451 :
世界@名無史さん:05/01/04 12:17:06
ちょっと聞いてくれ、すごいことを発見した。
桃から生まれたアイツは桃太郎だよな。
ということはだ、膣から生まれた俺達は、
膣太郎と名乗るべきなんじゃないのか?
452 :
世界@名無史さん:05/01/04 14:10:26
何年前のコピペだよ
453 :
世界@名無史さん: