1 :
モジャーヘダーネ:
イラン・イスラーム共和国(1979年4月〜)、
世界の映画祭でたくさん賞をとることやキャビアで有名、
1796 カージャール朝成立
1844〜52 バーブ教徒の反乱、
1905〜11 立憲革命
1925 パフレヴィー朝成立
モサデグ首相のクーデターと白色革命を経て、
1979 イスラーム革命
イスラーム共和国成立の3ヵ月後、イラン・イラク戦争勃発、以後8年間交戦が続く
1997年には、ホルダード月2日選挙でハタミ大統領当選
ウェラーヤテ・ファキーフ、シャリアティー、アーヤトゥッラー・ルホラ・ホメイニー、
石油産業、ソ連、イギリス、ツデー党、ヒズボッラー、アメリカ、
サルマン・ラシュディ、シーア派、ウラマー、学生運動、タバコボイコット運動
今日のイランがなぜかくあるのか、政治、経済、外交、社会、文化をからめて
語っていきたいスレです。
2 :
モジャーヘダーネ:02/06/08 16:55
たとえば、ツデー党勝利の可能性はわずかでもあったのかとか、
イスラーム共和制は磐石か、とか
アメリカの関与の仕方によっては白色革命は成功してイランは世界で
6番目の国になったのではないか、とか。
よかったら、勉強のたしにしたいので、参考文献はどんどんあげてください。
3 :
世界@名無史さん:02/06/08 18:31
八尾師誠「イラン近代の原像」(東京大学出版会)はどう?
4 :
世界@名無史さん:02/06/08 23:27
すぐに消えそうなスレだなあ
5 :
世界@名無史さん:02/06/09 00:39
6 :
世界@名無史さん:02/06/09 11:44
カージャール朝は、ヨーロッパ列強に翻弄された、というイメージが
強いんだけど。
対ロシア戦を見てると、ヨーロッパの政局に振り回されて踏み切ったけど、
結局敗北して不平等な条約を呑まされてる。
7 :
モジャーヘダーネ:02/06/09 21:10
>4
この板にはあまりイラン・マニアの人たちはいないのでしょうか?
8 :
モジャーヘダーネ:02/06/09 21:32
>6
カージャール朝とロシアの戦争は、
1812〜1813および1825〜1828の二度にわたる
ロシア・イラン戦争がありますが、それ以前に1801年、ロシアは
グルジアの反乱に介入、これを併合しています。トルコマンチャイ条約
によって、アゼルバイジャン、アルメニアはロシア領に。
以後、イギリスにも敗北し、イランには外国資本が流入します。
1911年にはロシアの介入によって第二次立憲制が崩壊、
1919年のイギリス=イラン協定ではごとんど保護国化されます。
9 :
モジャーヘダーネ:02/06/09 21:34
やはり、イランが国際関係において主体的に列強に対抗しようとするのは、
個人としてはアフガーニーあたりから、
主権国家としてはイラン・イスラーム共和国からでしょうか。
半年くらい前だったと記憶するが、
イラン史総合スレが立ち彗星のごとく消えていった。
11 :
世界@名無史さん:02/06/09 21:41
>>9 よくしらないけどレザー・シャーはそんなに客体的だったの?
12 :
世界@名無史さん:02/06/09 22:38
>>11 レザー・シャーはイランを経済的に支配していた
イギリスとロシアの影響力を削ごうとしていた。
それをもって列強に対抗したといえないこともないけど
そのためドイツに接近したのが命取りになって第2次大戦で廃位された。
13 :
モジャーヘダーネ:02/06/09 22:48
>11
いろいろないいかたができるとは思いますが、
1)彼の王朝の出自(カージャール朝に対するクーデタ)からして
イギリスの支援を受けていたこと、
またモサデグ政権の打倒も英米の工作によるものだったこと
2)経済的基盤が列強に依存していたこと
などから、レザー・シャーが一代の風雲児であることは否定できない
にしても、パフレヴィー朝が主権国家の政権として、国際関係におけ
るじゅうぶんに主体的なプレイヤーとはいえないという見解、さらに
は列強の傀儡であるという主張もあるでしょう。
また、パフレヴィー朝が主体確立のために打ち出したアケメネス朝以来
のペルシア民族(さらにはアーリア人)としてのアイデンティティーも
結局リアリティーを持ちえなかったと思います。
>>11、
>>12 なるほど、ありがとうございます。
隣のトルコの打ち出したトルコ民族主義による近代化は
わりと成功したと言われているけど(もちろん問題は多いが)、
イランとの命運をわけたポイントはどこだろう?
15 :
世界@名無史さん:02/06/10 08:59
>>14 何なんだろね?
トルコは共和制で、イランのようにシャー1人に権力と富が集中することが
無かったからかな?
16 :
モジャーヘダーネ:02/06/10 17:24
>14
結果(イスラーム革命)からいえば、政教分離に失敗したから、という
いいかたもできるでしょうが、パフレヴィー朝の失敗はむしろ経済、社
会的なもので、宗教勢力はそこに乗じたというべきだと思います。
具体的には急激な工業化と経済的格差の拡大、農村の崩壊、都市への人
口流入、都市周辺でのスラムの形成、そこに石油危機がとどめをさしたと
いえると思います。
政府主導の急激な工業化に農村の崩壊はつきものですが、農村にしかるべ
き、経済、社会保障上の施策をとらなければ、工業化自体が破綻し、政府
も転覆されるというのはこれまたよくある現象かと思います。
とりうる具体的な施策としては、日本のバラマキ行政、韓国のセマウル運
動、マレーシアのブミプトラ政策のようなものが考えられますが、パフレ
ヴィー朝によるそういった施策への努力は極めて少なかったと思われます。
なぜ少なかったのか、と考えてみるのもおもしろいと思います。
17 :
モジャーヘダーネ:02/06/10 17:41
>14
それで、トルコとの比較ですが、制度面の整備からいえば、パフレ
ヴィー朝による近代化はトルコと較べて遅れていたわけではないで
しょう。また、あえていえば、トルコにおけるケマリストたちの
近代化は、まだ成功したとはいえないかもしれません。
15さんのいうように、パフレヴィー家の腐敗はけっこう大きな要因
だし、コサック出身でイギリスの後押しで王位についたレザー・シャー
と同じく軍人出身とはいえ、ガリポリ以来の戦歴を重ねたムスタファ・
ケマルでは、正当性の重みにだいぶん違いがあると思います。
結局、命運を分けたのは、対抗勢力(オルタナティブ)がいたかどうか
かもしれません。トルコの人民共和党だって、比較的ましかもしれませ
んが、失政を重ねていますから。
トルコのウラマーは、散発的な反乱こそ繰り返しましたが、政権を担い
うるとは本人たちさえ考えていなかったでしょう。
それと較べて、イランのシーア派ウラマーは極めて秩序だっており。反
植民地主義運動でも、統制を保って指導にあたってきた歴史があります。
18 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー尾張守:02/06/10 17:43
パフレヴィー本人は当初は大統領になりたかったそうな。
19 :
世界@名無史さん:02/06/11 22:35
オスマン帝国の場合、イルミーヤと呼ばれる宗教官僚制度を通じてウラマー
を支配してましたからね。
イランの場合、サファヴィー朝以来、宗教勢力が王朝から独立していましたから。
独自の経済的基盤も持っていましたし。
(この辺の事情は、中世のヨーロッパに似てるかな?)
20 :
モジャーヘダーネ:02/06/12 20:45
>18
レザー・シャーは、ムスタファ・ケマルを模範にしていたこともあって、
1924年秋ごろから共和制運動をおこします。
ところが、ウラマー主導の共和制反対運動がおこったことから、レザー・
シャーはこんどは共和制反対運動にすり寄り、1925年、王制をたて、
自ら王位に着きます。
ウラマーの共和制反対運動も、トルコの例を見ておこされたわけで、とに
もかくにも、ムスタファ・ケマルの事績がパフレヴィー朝の成立に影響し
たといえます。レザー・シャーは、したたかといえばいえますが、無定見
なオポチュニストぶりが、結局王朝そのものの主体性のなさにつながった
といえるかもしれません。この時点で、ウラマーと対立していれば、パフ
レヴィー朝が成立したかどうかはともかく、その後の事情はよほど違って
いたでしょうね。
森前総理の先祖は渡来人
ペルシア貴族だそうです
勉強になります。
19さんが指摘されたように、
確かにトルコの政教分離の下地には
オスマン帝国以来の政府による宗教人管理があったわけで、
そこが他のイスラム国、たとえばイランと比べて特異なのかも。
23 :
世界@名無史さん:02/06/12 23:59
イランは王権神授説的な君主制がずっと続いたわけで神の代理である正当な理由(例えば、シンパの坊さんの教義を主流派にしてしまうなど)を樹立していなかったのもパフレヴィ朝短命の理由と思われ。
か
25 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:02/06/13 11:58
モジャー・へダーネさん、ありがとうございます。
ルーディ(←確か)など都市部のヤクザ組織は、
左翼・民族主義運動やイスラーム原理主義運動を
暴力で妨害していたそうですが、ホメイニー革命後、
彼らはどうなったのでしょうか?
26 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:02/06/13 12:00
ルーティだったかな?
あと、ルーティとは別系統のヤクザ組織(ギャング)が
あったような。
27 :
世界@名無史さん:02/06/13 12:16
いまのパーレビ王朝の国外亡命者の家系で
イランの現体制を覆すため、
政治的軍事的に活動している女性っていますか?
28 :
モジャーヘダーネ:02/06/13 17:34
>25
全然知らないのですが、その種の人たちの一部は、革命防衛隊あたりに
合流したかもしれませんね。
29 :
世界@名無史さん:02/06/13 18:25
どうしてイランはオスマン朝のように分解しなかったと思う?
30 :
世界@名無史さん:02/06/13 18:52
>>29 英国とロシアが、両国の緩衝地帯として残そうとしたからでは?
31 :
世界@名無史さん:02/06/13 19:42
アーリア民族
32 :
世界@名無史さん:02/06/13 20:54
マルグバルアムリカ!!!
33 :
モジャーヘダーネ:02/06/13 22:37
>27
このあいだ、ヨーロッパのどこかの国で、亡命したシャーの娘だったかが
亡くなりましたね。たしか麻薬中毒でしたか。
革命直後は、王制派秘密結社「アーリア」なる集団が革命政府の要人をテ
ロで爆殺したりしていましたが、そのうち姿を消しましたね。
今、イスラーム共和国に対する反体制勢力で最大のものは、やはりイラク
に拠点をおくムジャヒディン・ハルクでしょう。彼らの目標はスンニーも
シーアもかかわりないくらいイスラーム復興を推し進めることにあり、も
ちろん反王制、理論的にはシャリアティーの影響を受けており、頑迷な復
古主義ではなくむしろポストモダニスト(いいすぎか?)。そのスタンス
は、第二革命派といってもいいでしょう。ただし、実際はイラクの手駒の
ようになってしまっていますが。
34 :
世界@名無史さん:02/06/17 15:35
1851年に、軍事の近代化を目指すダーロル・フォヌーン(学芸の館)が創立
されたけど、学生は無気力、教師は賄賂の多寡で成績に手心を加える、
就職はすべてコネで決まるという有様だったとか。
35 :
【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:02/06/17 17:55
>モジャーへダーネさん
ルーティらヤクザの暴力団・犯罪組織は革命後の弾圧で地下に潜り、
ホメイニー死後に麻薬取引などで再び暗躍しているようです。
日本に来ているプロの犯罪者のイラン人もルーティなど
ヤクザ組織のメンバーが多いとか。
バニサドル元大統領はお元気でしょうか。
37 :
モジャーヘダーネ:02/06/24 00:42
>35
ありがとうございます。
>36
たしかフランスに亡命して、今もパリで暮らしていますよね。
38 :
世界@名無史さん:02/07/02 20:14
19世紀に「タバコ・ボイコット運動」というのが起こりましたね。
1890年、ナーセロッディーン・シャーが英国人の投機家タルボット少佐に
期限50年のタバコ利権が与えられたことで、イラン・タバコ専売会社の
設立への反発に発展していきますが。
39 :
世界@名無史さん:02/07/04 02:31
こないだイランで大地震があったけど、ニュースを見るとけっこう
田舎の村のようなところでも民家にテレビと冷蔵庫があって、ちょ
っとびっくりした。イランて生活水準結構ましな方なんですか?
インドやアフガンのすごい貧困してるところよりも豊かなイメージ
がある。イメージなんですが。
40 :
世界@名無史さん:02/07/04 02:49
中東には三種類の国があって
石油が豊富で人口の少ない国:サウジ・ペルシャ湾岸諸国
石油が豊富で人口の多い国:イラン・イラク
石油が少なく人口の多い国:エジプト・ヨルダン
当然、上から順番に生活水準が高い。
41 :
世界@名無史さん:02/07/04 02:51
イスラエルは生活水準高いのでしょうか?
42 :
世界@名無史さん:02/07/04 10:25
>>41 産油国ほどではないけど、そこそこ生活水準は高いですよ。
44 :
世界@名無史さん:02/07/11 18:21
第二次世界大戦後のイランは、国家ぐるみで麻薬産業に手をつけていました。
(もちろん隠れて)
シャーの姉妹の、シャム王女とアシュラフ王女は最も麻薬製造に熱心でした。
45 :
モジャーヘダーネ:02/07/11 20:18
>39
周辺国以上に一人当たりGDPはたいてい高いだろうし、それ以上に
貧富の差がそれほど大きくないからでしょうね。
さすがに革命政権だけあって、あの国は教育と社会福祉だけは周辺国
とは比べものにならないくらい充実していますから。
>41、42
「イスラエル国民」のあいだの貧富の差は凄まじいものがあるけど、生
活水準の高い人は多いですね。
また、産油国といっても、「サウジアラビア国民」などの生活水準は高
い人が多いだろうけど、サウジにいる出稼ぎ労働者の中には奴隷同然の
境遇にある人たちもいますね。
46 :
世界@名無史さん:02/07/11 20:27
国民じゃねーから当然だろ。
47 :
世界@名無史さん:02/07/11 21:39
パフレヴィー朝
パーレヴィ朝
どっちがより原語に近いんですか?
個人的には前からなじみのある後者が呼びやすいんですが
48 :
世界@名無史さん:02/07/11 23:40
イラン=光の国
ツラン(中央アジア)=闇の国
49 :
モジャーヘダーネ:02/07/12 00:21
>38
タバコボイコット運動
この事件にまずイスタンブール在住のイラン人が警鐘を鳴らします。
(トルコでフランス系の会社による専売制度が敷かれたのは1883年。)
1891年2月、タブリーズで専売会社支店開設阻止行動、以後、各地で
ボイコット運動が展開されますが、この中で、直接の利害の当事者である
商人とウラマーの共同という、イラン革命にいたるまでみられる構図が成
立します。
50 :
モジャーヘダーネ:02/07/12 00:31
タバコボイコット運動(つづき)
商人たちの主要な戦術はストライキであり、そのたびに都市経済を
麻痺させました。
ウラマーたちの運動における役割はイデオローグ、オルガナイザー
であり、タバコボイコット運動が始まる頃、反帝国主義イデオローグ
のアーリムで、諸国を転々としていたアフガーニーが帰国しました。
彼の要請もあって、サーマッラーの大アーヤトゥッラー、シーラージー
は利権廃止まで喫煙の自粛を勧告するファートワをだします。
現代では、カラダーウィーらのウラマーらが発表しているアメリカ
製品ボイコットを勧告するファートワに通じるものですね。
1892年1月、カージャール朝はタバコ専売利権の供与を撤回し
ます。
五十嵐一氏には、もう少し生きていて欲しかったな。
52 :
世界@名無史さん:02/07/13 06:11
そもそも、イラン人を白人だと思っているのが古い考え方。コーカソイドで、
インド・アーリア語族と言いたいのだろうが、そもそも、いわゆる白人(欧米人)
がイラン人を自分たちと同じ白人とは思っていない。
肌の色は黄色や褐色が多く、隣のイラク人と区別はつかない。
言語にしても、語族と人種は一致しない。例えば、フィンランド人はアジア系の
ウラル言語を使っているがいまや、正真正銘の白人。
イタリア人にしても北は完全なる白人だが、南部系を中心にアメリカ移民当初は、
白人とは認められなかった。そもそも歴史、生い立ち、宗教が全く違うイタリア人
とアラブのようなイラン人を同一視するのが無理がありそういう論理は成立しない。
53 :
世界@名無史さん:02/07/13 06:22
イラン人って白人だったの?始めて知ったよ。
白人って色が白いから白人でしょ。
イラン人って色が黒いから白人じゃない。
アラブ人とかっていうんじゃないの。
54 :
世界@名無史さん:02/07/13 07:15
>53
イラン人は肌白いよ。
55 :
世界@名無史さん:02/07/13 08:57
生物学上、コーカソイドなんだよ
56 :
世界@名無史さん:02/07/15 15:28
>>49 >>50 立憲革命のはしりみたいなものかな?
立憲革命の場合、借款の増大や新しい関税制度への反感が原因だったらしいけど。
ロシアが元利返済の担保にすることを求めて、制度改革のためにベルギー人
専門家を招聘させて、しかも改革で外国商品の従価税率を低くしたりしたので
反感を買った。
ところでパーレビ王朝時代、子供が産まれないという理由で離婚させられた王女がいたはずなんだけど、
名前がでて来ない。誰か教えと。
その当時西欧諸国では悲近代性の象徴として又悲劇のヒロインということで騒がれたはずだ。
58 :
世界@名無史さん:02/07/24 23:51
>>50 アフガーニー(このスレ的にはアサダバーディー?)は
経歴をたどるだけでなかなかおもしろい人物ですね。
出身地の偽称もそうですが、宗教指導者層だけでなく、
権力者側ともつながりを持とうとしている辺り、
なかなかの策士っぷりを感じます。
タバコボイコット以前はロシアにいて、そこでシャーとも会見してますしね。
ご説明の通り、結局仲はこじれ、シャー批判の急先鋒にまわることになりましたが。
59 :
世界@名無史さん:02/07/31 16:50
>>58 確かに、本当はイラン人なのにアフガン人を名乗ったり、アフガニスタンでは
トルコ人と名乗ったりしていますね。
イスラーム世界で少数派のシーア派を名乗るより、スンナ派に見せかけたほうが
何かと便利だったのかな。
イランではバーブ教徒の反乱に接し、エジプトではウラービー革命の思想や組織を
準備し、果てはフランスやロシアにまで出かけている。
とにかくイギリスのアジア支配を転覆するのが夢だったようですが。
60 :
世界@名無史さん:02/07/31 18:53
>>53 アラブ人は人種ではないし、
イラン人(イランは多民族国家であり、多くの民族が含まれる)の大半は
民族的にアラブ系ではない。
61 :
世界@名無史さん:02/07/31 20:51
>>53 白人というのはこの場合「インド・ヨーロッパ語族」という意味で使っているのかな?
アラブ人は一応「アラビア語を話す集団」ということになっているけど。
イランの西南部にはシーア派アラブ人が住んでいる。
そのほかにもアゼリー人(トルコ系)、アフガン系、クルド人(イラン系)、
トルクメン人(トルコ系)などが主な少数民族。
アルメニア人、アッシリア人、ユダヤ人、ゾロアスター教徒などの
宗教的少数派もいる。
62 :
世界@名無史さん:02/07/31 20:56
イラン人を何人か知ってるが、肌の色や容貌から言えば
やっぱり白人だと思う。アメリカに住んでる人は、
言われなければヨーロッパ系と区別はつかない。
髪は黒いけど。
63 :
世界@名無史さん:02/07/31 21:00
イランの北西部には目の色がブルーやグリーンの人もいるそうです。
もともとイラン高原は民族の十字路みたいなところだからねえ。
64 :
世界@名無史さん:02/07/31 21:31
シャー統治下のイランと、現在のサウジアラビアとを比べる論がありますが、
みなさんはどう思われますか?
どちらも、
(1)アメリカがバックアップしている
(2)王室の腐敗に反感を持っている勢力がいる
などの共通点がありますが。
65 :
世界@名無史さん:02/08/01 02:23
>>64 諸王の王たるシャーといっぱしの殿様たるマリクとはくらべるのは困難だが・・・
まあ、成り上がり同士だしな
66 :
世界@名無史さん:02/08/01 10:04
まず、イランは日本領土と認定していいと思います。
67 :
世界@名無史さん:02/08/06 00:31
>>59 >バーブ教
彼自身はバーブ教徒扱いされることにご立腹だったようです。
まぁムスリムとしては当然でしょうけど。
>>64 サウディのことはあまりわからないのですが、
どちらも親米の王朝である以上、それらの共通点は当然のものですね。
それらを比較する意図って何なのでしょう。
68 :
世界@名無史さん:02/08/06 06:06
日本のある大臣だったか、議員だったか、イランを訪問してパーレビー国王に謁見したとき、
「お互いアジア人同士なんですから、ともに協力して発展に努めましょう」
と欧州人と変わらない顔立ちの国王からいわれて、違和感を覚えた。
という話。
69 :
世界@名無史さん:02/08/06 10:49
>>67 サウジアラビアはもうすぐ世代交代がおこりますが、その際、クーデターや
革命が起こってイランのように反米的な色彩の強い国家になるのではないか
という予測がありますけど。
たぶん、そうなっても、世界の石油の半分を持っているサウジアラビアを
先進国が手放すとは思えませんが。
70 :
世界@名無史さん:02/08/06 18:24
>>65 レザー・ハーンはもともとコサック旅団(ロシアが軍事顧問団を送り込んで
つくりあげたペルシア人の軍事組織)にいたんだよな。
イギリスが彼に目をつけて、1921年にクーデターを決行して首都を制圧。
最初は大統領になるつもりだったけど、宗教界の反対でシャーになることに
した。
宗教界はスルタン・カリフ制が廃止されて、政教分離が進められている
トルコのような状態になることを恐れていたらしい。
71 :
世界@名無史さん:02/08/06 18:31
>>69 ご説明ありがとうございます
当時のイランの場合、白色革命の失敗が革命の第一の原因であって、
反米的色彩が顕著になるのは、パフレヴィー王の引き渡しを迫った
アメリカ大使館立てこもり事件以降のことでしたね。
>>64(2)の反感を持っている勢力について、不勉強につきよくわからないのですが、
民主化を求める勢力とか、イスラームファンダメンタリストなどのことなのでしょうか。
反米イデオロギーだけで革命を起こしても、
革命後のイランみたいに政治対立がものすごくなりそうですね。
シャリーアの取り扱いについても、意見が分かれそうですし。
反米をやるのは大いに結構ですが、もしサダム・フセインやビンラディンのように、
パレスチナ問題を出しに使うのならやめてもらいたいなぁ
72 :
世界@名無史さん:02/08/06 20:47
レザー・シャーは王位についた後、洋服の採用、女性のベールの禁止、
パーティーの夫人同伴などを命令しましたねえ。
レザー・シャーはトルコの近代化政策に強い関心を持っていたようですが。
さらにイラン縦貫鉄道の建設にも着手しています。
この際、イギリスやソ連ではなくドイツに接近したのですが、この政策が
結局レザー・シャーの命取りに・・・
73 :
世界@名無史さん:02/08/07 12:01
>>70 ていうか、最初は大統領制派だったけど宗教界が反発したのを見ていつの間にかシァー制派に鞍替え。
で自身がシャーに。
74 :
世界@名無史さん:02/08/07 19:11
特にゲルマン系の白人は、イラン人どころかスペイン人やロシア人も白人とは
見なしていないらしい。
75 :
世界@名無史さん:02/08/08 21:08
レザー・シャーは多数の顧問団をドイツから迎え入れたけど、ついでに
国名もペルシアからイラン(アーリア人の地という意味)に変えている。
ひょっとしてナチスの影響?
76 :
世界@名無史さん:02/08/08 21:40
イラン人って、結局自分達を白人だと思ってるの?
77 :
世界@名無史さん:02/08/08 22:06
さあ?
サッカーがらみだと、「同じアジアとして……」って話になることが多い。
78 :
世界@名無史さん:02/08/09 13:37
テヘラン駅はナチス風の大きな四角い柱の並ぶ様式が採用されているそうです。
79 :
世界@名無史さん:02/08/09 14:27
>>78 いつ頃できたのでしょう
やはりレザー・シャーの頃?
80 :
世界@名無史さん:02/08/09 17:51
>>79 そうです。
で、レザー・シャーがドイツに接近しすぎたので、イギリスとソ連は
1941年にシャーを退位させ、息子のモハマッド・レザー皇太子を
二代目のシャーとして即位させます。
81 :
世界@名無史さん:02/08/11 21:46
モサデクの石油国有化だけど、この事件の陰でのCIAの暗躍ぶりは
有名ですね。
82 :
世界@名無史さん:02/08/12 02:16
>>80 どうも、ありがとう。
ドイツと接近していたレザー・シャー期なら
テヘラン駅の姿形もうなずけます。
この鉄道がWWII時にソヴィエトへの補給線として
利用されていた辺り、えらい皮肉ですね。
レザー・シャーは、茶・砂糖の専売制で
鉄道敷設の資金を確保したそうです。
ただ砂糖なんかは帝政ロシアによる対イラン貿易の
主要な輸出品だったと思うのですが・・・
また鉄道利権も英国などの外国人に譲渡していたと思うのですが、
ドイツの協力を受ける上で、その辺の制約か何かはなかったのかな。
最近までイスラム革命は、
ある程度、主体的な革命だと
思ってたけど、
どうも、そうじゃないかもな、
と感じるようになってきました。
なんのかんのいって、
ロシアの間接的な支援・支配が、
強かったんじゃないかと。
冷戦崩壊前の
イランの雰囲気は、共産主義国家に
似てたような気もするし。
84 :
世界@名無史さん:02/08/12 16:44
>>83 当時のアメリカの大統領がカーターだったこととか、
アメリカ側の情勢分析の甘さとか。
85 :
世界@名無史さん:02/08/23 09:05
age
86 :
2チャンねるで超有名サイト:02/08/23 09:15
87 :
世界@名無史さん:02/08/31 08:59
age
88 :
世界@名無史さん:02/09/01 04:22
パーレビ国王の息子は今いずこに?
89 :
どとうとしや:02/09/01 11:24
ペルシアは、旧約聖書にも出てきて、日本書紀にも「波斯」とでてくる。
希望とすれば、イランで政教分離が行われるべきだと思うが、そうはいかないでしょう。
とんどん、産業が発達して、トルコやチュニジアなみに女性の権利が尊重される国になって下さればと思っています。
それまでは、民主的反対勢力の血が結構流されるとは思いますが。
90 :
世界@名無史さん:02/09/01 20:19
イランはイスラーム圏の中では割と民主的。
>>90 きちんと選挙して、政権交代もするからねぇ。サウジのように王族が国政・経済を
牛耳るなんて国にくらべれば、そりゃ遥かに民主的だな
>>90 民主主義があるからこそ自分たちもイスラーム的な政治を主張できるのだと
保守系の人たちも理解しているんじゃないかな。
93 :
世界@名無史さん:02/09/06 20:44
アルジェリアとは正反対だね。
アルジェリアでは軍部がイスラーム勢力をおさえこんでいる。
94 :
世界@名無史さん:02/09/06 20:56
イランが悪の枢軸とは決して納得できない
全体主義の酷さで言えば
北朝鮮>>>>>>>>>>リビア>>>イラク>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>イラン
だと思うんだが
96 :
世界@名無史さん:02/09/06 21:56
1975年エチオピア帝国崩壊!皇帝は捕縛。
1979年イラン帝国崩壊!皇帝はアメリカへ亡命へ。
2002年大日本帝国健在!皇帝のご威光によりさらなる世界に冠たる国へ!
皇帝明仁陛下万歳!!!!!!!!
98 :
アマノウヅメ:02/09/06 22:22
>>97 天子の名を呼ぶのは不敬です。
今上陛下万歳て言ってね。
>>96 貴様!親から冠貰っただけのやつばかり書いて自力で冠を戴いたこのワシを無視するとは許さん!食ってやる!
100 :
世界@名無史さん:02/09/07 02:08
>>96 1979年の中央アフリカ帝国を忘れるな
そういえば、毎日新聞にレザー・シャー・パフレビーの息子が出てましたね。
101 :
世界@名無史さん:02/09/07 02:08
イランの革命防衛隊の傍若無人ぶりは酷いぞ
102 :
世界@名無史さん:02/09/07 04:51
103 :
日本@名無史さん:02/09/07 05:06
イスラエルのモサドに鍛えられた秘密警察サバキもえげつない
104 :
世界@名無史さん:02/09/07 05:10
パーレビに国を盗られたカージャールの王様は亡命?処刑?
105 :
世界@名無史さん:02/09/07 09:25
>>103 シャーの時代の秘密警察はサヴァック。
イスラム共和国になってからはサヴァマ。
106 :
世界@名無史さん:02/09/07 10:32
107 :
世界@名無史さん:02/09/07 18:29
>>106 ファルドゥースト将軍だった?
シャーの学友だったとか。
いすらあむ!
109 :
世界@名無史さん:02/10/05 21:41
革命政権の誕生とともにイランでは将校団の粛清が始まったけれど、
ファルドゥースト将軍だけは無事だった。
かなり前からホメイニーと通じていたらしい。
110 :
世界@名無史さん:02/10/05 22:17
白色革命はどうして国民の不満を招いたの?
一般のイラン人が全て原理主義者じゃないでしょ?
111 :
世界@名無史さん:02/10/05 23:19
>>110 別に反近代で蜂起したんじゃなくて白色革命が無茶苦茶だったから蜂起したんだろ。
112 :
世界@名無史さん:02/10/05 23:37
白色革命のどこがいけなかったのですか?
113 :
世界@名無史さん:02/10/08 18:31
>>112 どうしても変革が起こるとヒズミが生じる。明治維新もそうだけど旧体制を否定し市場経済を導入すれば才覚あるものが富み貧富の差が生じ旧体制での支配層からも反発を生みますからね
しいて言えば王族の豪奢な暮らしや西欧諸国でもないような高価な戦闘機や戦車な
ど軍事力に金をかけ過ぎたのが批判の対象になったのでは?
114 :
世界@名無史さん:02/10/09 00:48
>>112 革命といってる割にはろくに経済基盤の整備とかしなかったからねえ。
軍備やオブジェばかり整備しても・・・
俺的に一番カコイイ国家、それがイラン
116 :
世界@名無史さん:02/10/09 02:31
>>89 斯波という苗字を読むと「ゃしるぺ」と読みたくなる。
117 :
世界@名無史さん:02/10/09 06:46
どうしてホメイニが政権を取れたの?
118 :
世界@名無史さん:02/10/31 02:29
119 :
世界@名無史さん:
age