20 :
世界@名無史さん:02/05/18 17:58
ヴァイキング船は、マストを軸とした舳先と船尾が対称形。
マストは船体のちょうど中心にすえるので、前方にも後方にも
進むことができた。
マストに取り付けられた帆装用の索具は支柱の役目も果たしていた。
追い風を利用して進むときは、帆を張るために十字に交差させた二本の
さおを利用した。
帆は羊毛あるいは亜麻で織った布を二つ折りにしたもの。
21 :
世界@名無史さん:02/05/18 20:16
古代ギリシアの軍船(三段櫂船)は、舳先に青銅を着せた衝角を持っていて、
敵船に体当たりする戦法をとっていた。
漕ぎ手と船員や戦闘員を全部合わせると、200人ぐらいが乗っていたらしい。
22 :
世界@名無史さん:02/05/18 23:27
>>3 イージスは語っちゃ駄目なの?
あのノッペリした感じがいいのに・・・
>>19 祟りじゃなくて、嵐とか海難事故に遭わないようにという、
お守り的な意味じゃないかな。
魔除け的な意味だと、セイレーンみたいな海の魔物を
怖れてのこととか。
24 :
世界@名無史の海:02/05/31 00:27
風上(正確には風上から90度)に進むことを容易にした
三角帆の存在も大きいのでは。
甲板の役割って船全体をフロートにすることもあるんではないかねぇ。
、と艀なんかを見ると思うけど。
鉄のかたまりが海に浮かんでいるんだよね。
25 :
世界@名無史さん:02/06/05 01:30
>24
三角帆はイスラムの船が起源らしいです
26 :
世界@名無史さん:02/06/07 23:15
>>24 えーと、ですね。
三角帆とは、いわゆる縦帆(じゅうはん)のことを指しているのだと思います。ただ、
縦に、つまりマストの後方に伸ばされたブームと呼ばれる一端をマストに半固定され
た棒とマストの間にあげた帆にも変形な四角のもの(スパンカー)もありますので念
のため。
これに対し横帆(おうはん)とはいわゆる帆掛け船の帆で、マストに直角につられた
ヤードと呼ばれる数本の横棒の間に張られた帆でこれが船の推進力になります。
この横帆であっても、風上に対し約60度ぐらいの角度で進むことが可能です。
日本の一枚帆の帆掛け船でさえ、ある程度は風上の方に進むこともできました。
大航海時代前とはいえ、中近東、ヨーロッパの横帆船は当然風上の方にある程度進むことは
できましたよ。
>>26 なるほど。
帆船で風上に進む、という話はかなり初期的な技術なんですね。
まぁ風上に進まなきゃ実用にならないか。
縦帆だと船が大きく傾くから、船体を大きくできないですからね。
帆を張るために船体にマストとブームを取り付けるととりあえずは縦帆になる、という感じか。
逆に横帆を生かすにはある程度船が大きい必要がある感じだし。
やっぱり縦帆→横帆と進歩してきたんでしょうかね。
>>27 そのあたりは微妙ですね。いってみれば平行進化でしょうか。
地中海などの風向きが頻繁に変わるところでは縦帆が有利です。縦帆の方が風上への
切り上がり能力がいいし、風向きに合わせた帆の調整が比較的楽ですから。
三角帆、縦帆による帆船は地中海で発達しました。
これに対しヴァイキングの船は横帆です。荒れる北大西洋、北海などでの帆走には、横帆
を大きく広げた方が有利だったと思われます。ちなみに英語の「beat(間切る)」、つまりジ
グザグに進路を変えながら風上の目的方向に進んでいく言葉は、ヴァイキングの「ベイト」
が語源だそうですが、よくわかりません。(w
ただ、横帆だけでは操船の自由度は低いようです。
と言うわけで、近代以後では、大型帆船ならば横帆を主として最後尾のマストに縦帆をつ
けました。小型帆船は縦帆中心で必要な場合横帆もつけました。日本の練習船「日本丸」
「海王丸」は前者です。
ところが、比較的大型ですが大阪市が所有する帆船「あこがれ」は後者の装帆です。(w
⇒
ttp://www.akogare.or.jp/top.html
29 :
世界@名無史さん:02/06/08 12:32
実際に体験するには、ウィンドサーフィンとか、帆船のラジコンもありますよ!
俺はガレー船を体験したい。
が、下を見ると申し訳ない気分で一杯になるだろうな。
31 :
世界@名無史さん:02/06/08 12:52
>>30 心配いらない。「下」で体験航海すれば、申し訳なくなどならない。(藁
32 :
世界@名無史さん:02/06/08 14:54
天の鳥船
これ。最強?
竜骨もポイントだぞ
一番最初に遠洋航海にでたのはポリネシアなの?
35 :
世界@名無史さん:02/06/09 02:20
世界で初めて船(つうかイカダ)を使い始めたのはオーストラリアのアボリジンらしい。
他の文明にどんどん追い越されていったけども。スタートが早ければ良いってわけじゃないのねん
36 :
世界@名無史さん:02/06/09 17:58
丸木船の方が先じゃないの? どちらかというと。
アウトリガー付きかどうかは別としてさ。
あ、そうか。イカダは縄で縛る文化が無いと出来ないもんね。
>37
丸木船も木をくり抜く必要がある
意外とアウトリガー付き筏(H字型、といいたい)が一番最初だったりして。
39 :
世界@名無史さん:02/06/14 00:29
筏は海水に強い紐が必要だが、丸木船は焼いて作ればより堅く作れるのだそうだ。
だから、以外に歴史的には丸木船の方が早いのだそうな。
アウトリガーつきのH型は筏とはいわんだろう?
つうか船が無いとオーストラリアに移住する事はまずできないわけで
アボリジンが船を発明したと言うより、
ユーラシアで船を発明した人々が初めてオーストラリアへ到着してアボリジンになったと言うべきか。
バルサなどの柔らかい熱帯の樹は石器でも加工するのが簡単なので、
石器時代の時点で南の方が1歩進んでいたというのはまったく道理だね。
言い方が悪かった。
丸木船は、火であぶることで(比較的)簡単に中がくりぬけ、しかも強くなったそうな。
ポリネシアの作り方です。
42 :
世界@名無史さん:02/06/16 20:06
>>37 木の串を丸太に通して固定する工法もあるらしいぞ
43 :
世界@名無史さん:02/06/17 10:51
帆船模型つくってるひといない?
極めるつもりはないけど、2、3ソウはしい。
ドレイクの海賊船、萌える〜
45 :
世界@名無史さん:02/06/22 20:34
>>43 作ろうと「努力」はしている... プププ
週間何とかのセールシップとカティーサーク、いつ打ち切りになるかわからない
上に、真面目に計算したらすげー高くつくことがわかったのでやめる。
ついでに、age
46 :
世界@名無史さん:02/06/23 01:07
大阪に公営の帆船体験?訓練施設あるの知ってますか??
結構人気あるみたいです。>やるな大阪
で、たしか10億でオランダかどっかで作ったみたいです(ハウステンボスの帆船だったかも)
安くないですね・・・
当時はどのくらいで船一艘作れたんだろう・・・公務員の初任給の何倍ですか?
47 :
世界@名無史さん:02/06/23 12:44
48 :
世界@名無史さん:02/06/29 13:56
電車の中の広告で見たんだけど茨城県で走ってた帆曳船ってすごい形してない?
49 :
世界@名無史さん:02/06/29 14:08
霞ヶ浦のあれですな。
>>45 模型板でお祭り騒ぎになってるよ。
セイリングシップは100号、カティサークは96号予定だそうです。
カティーサークは編集が雑で、解説が直訳でわけがわからなく
急速に支持を失ったみたい。
なんでもセイリングシップより先に第一巻を出そうとして無理したみたい。
ちなみに、僕もバウチスタ作って(作らせて)います。
最初の2ヶ月くらいやってみて、続行するか、中止するか、
別の輸入キットを買うか決めるつもりです。
51 :
世界@名無史さん:02/06/30 22:42
カティーの文章が読むに耐えなかったのはそのせいか。
でも、セイリングシップにしても前号そろうまで続くのかな。
出版と、オイラの財布が。(哀
2年後、完成間近から始めるという手がありますよ。
それまでの号をすべて送ってもらえるらしい。
ダンボール6箱くらいになるそうだが。
53 :
世界@名無史さん:02/07/01 19:34
>>52 概算でいいけど、おいくらぐらいになるんでやんしょ?
>>53 単純に掛け算して
カティが 96*1000=96000円
バウチスタが 1000*1000=100000円
ですなー
55 :
世界@名無史さん:02/07/03 00:02
そんなら伊東屋でおっさん達の能書きを聞きながらまっさらのキットを買ったほう
がいいかも。
鬱だね。
56 :
世界@名無史さん:02/07/04 23:42
ザ・ロープ大阪って、来週だっけ?
57 :
世界@名無史さん:02/07/05 00:00
石器時代にはコンパスとか無かったよね
どうやって水平線の先の見えない島々を移動したのかなあ
と、疑問なんです
58 :
世界@名無史さん:02/07/05 00:08
カンと根性
59 :
世界@名無史さん:02/07/05 01:36
地図
∠ ̄\ ∠ ̄\ ∠ ̄\
|/゚U゚|〜 |/゚U゚|〜 |/゚U゚|〜
───╂⊂|y 二0 ───╂⊂|y 二0 ───╂⊂|y 二0
>>60 〉 ´⌒l 〉 ´⌒l 〉 ´⌒l
(__ノ ^U (__ノ ^U (__ノ ^U
+ 激しく60ゲット +
昼間は寝てて、夜になったら星を見ながら航海したんでは?
>>61 夜間航海なんて陸地は見えないし、非常に危険だと思うぞ。
カンと根性と経験
>>62 >石器時代にはコンパスとか無かったよね
>どうやって水平線の先の見えない島々を移動したのかなあ
↑はなから「陸地が見えない」状態での航海のことを言ってるのだが。道標に
なりそうな物が何もない昼間より星座で方向がわかる夜中のほうがよっぽど
安全だと思う。
なるべく海岸線の見える範囲で航行してました。あとはカン。
何でもミクロネシアやポリネシアには口伝で海流や波の反射(島に当たって帰る)の
読み方が有って、カヌーだけでも千q単位の航海が出来たんだそうな。季節毎の風や
星も勿論使った事だろうけれど。
67 :
世界@名無史さん:02/08/12 15:54
中国の船ってどうかな,ジャンクとかさ。
68 :
世界@名無史さん:02/08/12 16:37
>>67 ジャンク船はインドのダウ船を改良したものなんだよね。
ヨーロッパより何世紀も前に舵(舵とり用オールより本格的なもの)や
当て木のついた帆、水密区画室を備えていて、平たい船底は水をかきわけるのに
適していた。また竹で補強された帆は平らな形をたもつことができ、
強風のときは帆の一部を簡単に折りたたむこともできるようになっていた。
ところで、鄭和の南海大遠征に使われた「宝船」ってどんな特徴をもって
いたのかなあ。
69 :
世界@名無史さん:
《宝船の大きさ》
船隊の主力は宝船と呼ばれ、明史によると長さ44丈、幅18丈の大船で、第一次の航海には
62隻が建造されたとある。明の常造尺は31.7〜32.1センチほどであったので、長さ約140メート
ル、幅約58メートルという巨大船になる。マストは9本であった。
1957年南京の北西にある明代の造船所「宝船廠」跡から、1本の舵軸が発見された。長さ11
メートルのもので、これを基に中国の学者の1人が現代の河船と舵軸の比率から全長48〜53
丈(154〜170メートルほど)の船を推定し、宝船の記録は正しい、科学的に証明された、と論じ
た。マルコ・ポーロはヨーロッパのものよりは大きい中国の船に驚いており、中国の造船技術
が高い水準にあったことは間違いない。しかし、その後の中国の造船にその遺産はなく、木造
船の最高峰に達した19世紀のヨーロッパにも、このような超巨大船はない。
《中国船の大きさ》
第7次の航海には61隻の宝船が出航した。その時の人員は2万7500人ほどで1隻当たり450人
である。随分多いようであるが、1533年琉球への使節を乗せた船は長さ45メートルのもので340
人余が乗っていた。鄭和の宝船も基本的には沿岸の国に朝貢を求めることが目的であったの
で、かなりの部分は沿岸づたいである。
20世紀前半、イギリスが支配していた上海の税関に勤めながら、当時の中国船を調査、記録
した人物にウースターがいる。その著書の中に福州の海船の図があるが、長さ45メートル、幅9
メートルのこの船は長さ9.5メートルの舵軸を持っている。発掘された舵軸と比べても、特別小さ
いものではない。
さらに江戸時代の日本側の記録(詳細な図がある)によると、竜骨長12丈(36.4メートル)幅2丈
9尺(9メートル)の唐船の舵軸は長さ4丈2尺(12.7メートル)もある。これらから考えると、11メート
ルの舵軸は50メートルほどの海船のもの、としても不自然ではない。海船と河船の舵の違いなど
から、前述の論文を批判する中国の学者も出てきている。
150メートルの船が50メートルになっても、当時のヨーロッパの巨大船と比べ決して劣るものでは
なく、むしろ、この程度の船で大船団を組みインド洋を渡った鄭和の偉業は、ますます輝くことで
あろう。
とりあえず検索してみたけど、話半分だとしても
中国の造船技術は当時の世界最高レベルだったみたいだね。