百済について教えて

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1 ◆EMrmvKLI
バ韓国とも違う民族だったんでしょうか?
日本と共に高句麗と戦ったり、
文化形成でも結構百済の技術者ってきてますが、
中華文化系?それともバカんこく系?モンゴル系?
2世界@名無史さん:02/04/24 06:03
>>1
もういいよ
ほんと
帰って
3世界@名無史さん:02/04/24 06:34
くだらねえ…
4世界@名無史さん:02/04/24 07:26
_─ ̄  ミヽ   ノノノノ /彡                   - = ≡ ∧_∧
  -_   \\(*゚∋゚)//                     - = ≡(;´Д`) ウワァァァァ!
 -─ ̄   \ \/ /                         = / つ _つ ←>>1
   _─  /  /                      - =    人  Y
 _ ̄-ミヽ/ \/\                            し'(_)
     (__/ \ )               
  ̄_─     //                 
      ─_ ノミ
5世界@名無史さん:02/04/24 07:26
  (⌒\  ノノノノ  
   \ヽ (*゚∋゚)  
    (m   ⌒\        
      ノ    / /   
     (   ∧ ∧
   ヘ丿 ∩Д` )  ←>>1
   (ヽ_ノゝ _ノ   
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
6世界@名無史さん:02/04/24 07:27

     丿   ,;⌒⌒i.
  ノノノノ⌒ヽ (   ;;;;;)   ______
 (゚∈゚ )  ミ)     ,,:;;;)   |         |
/⌒\/(   ) ヽ| |/ |;,ノ  |  樹海    |
( ミ   ∨∨  | /  .,i  |______|
 ノ  /     | | ,,i; ,, . ,;⌒‖
( \/ヽ ,,,丶, | |,,,;.    ;i,  ‖ヽ
 \ ) ) ..   ,,   ´ヽ (,,  ‖丿.,,,
 ///   ,,   ,,  .. ´ヽ  ‖,,, ..,
`ヾ ヽミ ,,  .、 ヽ .. ヽ丶,.ヽ ‖、,,
7世界@名無史さん:02/04/24 09:28
大和路線の貨物駅(大阪)
8世界@名無史さん:02/04/24 19:59
漏れも百済は疑問に思ってた。
9世界@名無史さん:02/04/28 19:52
相当倭人が入り込んでるけど韓国系だって主張する人もいますね。
ほらCMでもよく言ってるじゃないですか。
「金は百済、百済」
10世界@名無史さん:02/04/28 19:58
イギリスでいうとピクト人みたいなものですよ
11世界@名無史さん:02/04/28 21:50
百済は日本固有の領土なので早く返してもらえないの?
12世界@名無史さん:02/04/28 22:32
>>11
イスラエルみたいなこと言うな。(笑)
13世界@名無史さん:02/04/29 18:26
チョんスレたてすぎ。
嫌韓も反朝も在日も左翼もみんなまとめて出てってくれ。
14世界@名無史さん:02/04/30 04:34
馬韓国系
15>3:02/04/30 23:31
語源は百済だよ
文化的先進地であった百済のものではないから、「くだらない」という表現が成立した
16世界@名無史さん:02/05/01 00:03
>>15
・・・というのは電波説
17世界@名無史さん:02/05/01 00:24
「くだらない」ってのは「百済には存在しない」って意味ってのはホントですか!?
18世界@名無史さん:02/05/01 00:33
>17
マジレスするが、「上方から下ってきたものではない」という意味。
日本の文化の中心が京都だった頃の語やね。
19百済観音:02/05/01 00:38
文化的先進地域であった、百済の技術・思想が、大和に入ってきたときに、DQN倭人は、その意味をよく理解することができなかったそうです。
そこから、消化不良になることを、“くだる”と、表現するようになったんですね〜。・・・これ、ほんとよ〜。♪
20世界@名無史さん:02/05/01 01:08
アヲーリ
21世界@名無史さん:02/05/01 01:53
縄文時代末期の紀元2世紀ごろ、今の滋賀県湖東地区に一つの寺院が建
立された。その名も「百済寺」。

百済は、拳法を修練した百済寺の僧侶たちが、弥生時代にはいって勃発
した倭国争乱を避けて渡海し、樹立した王国である。
22世界@名無史さん:02/05/01 01:56
百済寺の僧たちが修練した拳法は百済拳と呼ばれ、朝鮮半島のすべての伝統武術の源流となった。
なお、百済拳は英語の「クラーケン」の語源にもなっている。
23世界@名無史さん:02/05/01 22:26
百済拳の流れからは詠春拳や載拳道なんかも出てるね。
24世界@名無史さん:02/05/02 05:14
ときどき信じてる人いるけど、クラーケンの語源が百済ってのは迷信。
25世界@名無史さん:02/05/02 05:21
>>24
証明してみろ 捏造民族(w
26世界@名無史さん:02/05/02 08:14
>>18
漢文の事だという話も聞いた事があるがどうなんでしょう。
元々の意味はわけのわからない物の意で、
上から下へとくだらない文・・・らしいです。
27世界@名無史さん:02/05/02 13:10
>10
イギリスと比較するなら百済はノルマンジーでしょう。
そして満州がスカンジナビア、扶余族がノルマン人。
天皇族はイギリスのノルマン王朝というわけです。

もっとも、任那というワンクッションが入るけどね。
28ベンゼン中尉 ◆fjTeojqQ :02/05/02 13:16
まあ、日本と百済は同盟していて、白村江の戦で唐の水軍に敗れ全滅している。
しかし、百済の王子は日本に亡命しているはずではなかったかな。大量の百済人が日本に渡ってきて近江に住んだそうだ。
まあ、朝鮮民族は仲が悪いね。百済滅亡の数年後に高句麗が滅亡。新羅が残ったかな。
29世界@名無史さん:02/05/02 16:33
白村江の戦って記録に残っているほど、大きな敗戦なのかな?
日本側の記録には、唐軍の捕虜が沢山日本につれてこられたらしいが。
30    :02/05/02 17:02
なんで三国志魏書東夷伝で馬韓人は野蛮人のように
書かれてるん?
31世界@名無史さん:02/05/02 17:24
>29
その後1000人規模の唐軍が「戦後処理」のために日本に上陸している。
恐らく捕虜交換と賠償金の取り立てが目的だった。
つまり、白村江は国家的な敗戦だった。
32世界@名無史さん:02/05/02 17:30
>31
だったらもっと唐側に有利な記録を残すが....。
もしかしてあなた、よくあるデムパ?
ああそれで日本は唐の占領を受けたと。
33世界@名無史さん:02/05/02 18:33
>>29>>31
1次資料キボーン
34世界@名無史さん:02/05/03 06:49
大宰府も強制的に名称変更させられた;´Д`
35世界@名無史さん:02/05/04 18:01
日本書紀によれば、唐の百済派遣軍の「爾軍」(異本で「将軍」)の「郭務宗」
(宗はリッシンベンつき)という人物が663年の白村江の戦いの後、

664年に第1回、
665年に第2回、
669年に第3回、

来日(倭)している。第1回は人数の記述がないが、
第2回は総勢254人、
第3回は2000人余、
と書いてある。なにをしに来たかは、進物と文書を奉ったとしか書いてない。

この人は唐の皇帝から直接遣わされたのではなく、現地軍司令官から遣わされて
いるから、なんらかの戦後処理をしていたと思われる。
問題は第2回、第3回の人数だ。
ある人はこれを軍隊と解釈し、示威行動ないし保障占領のようなことがあったの
だろうとする。ある人はこれを白村江戦の捕虜が連れて来られて返されたのだ、
と解釈する。

いずれにしても白村江以前は対隋外交の余韻で唐に対して「対等」にこだわって
いた日本(倭)の姿勢は、これ以後完全な朝貢国に変化して行く。
白村江は国家的な敗戦だった。
36世界@名無史さん:02/05/04 18:03
>>35
>日本(倭)の姿勢は、これ以後完全な朝貢国に変化して行く。
だったら天皇の号は差し控えるのかと思うが。
37世界@名無史さん:02/05/04 19:57
冊封を受けない朝貢のどこが完全なのか・・・
38世界@名無史さん:02/05/04 20:22
郭務宗は和解交渉にきたんだよ。
捕虜を返すから今度は唐と組んで新羅を牽制してくれ、
少なくとも中立を守ってくれ、という話。
占領軍だのと逝ってる奴は電波。
39世界@名無史さん:02/05/04 23:37
>36、37
天皇の号は国内向け。
唐からの国書は唐側にのみ残っているが、日本の「国王」に対して「勅」しているではないか。

唐に対しては完全な朝貢国。
国内では朝鮮諸国、さらには唐までをも「蕃」とみなすもう一つの中華。
この二つの使い分けだったのだ。
「朝貢国ではなかった」などというのはこの二重体制にいまでもだまされている人達。
40>39:02/05/05 02:06
だいたい正しいがもちろんのこと日本側は認めていない
両国で見解が違うというのが正しい
41世界@名無史さん:02/05/05 02:21
>>39
「勅」使ってたら完全なのか?んなもん隋だってつかっとるだろ。
それに定期的に朝貢してたわけではないが?
完全な朝貢国が朝貢を怠るとどうなるかしらんと見える。
39は白村江と太平洋戦争の区別がつかないお馬鹿さん。
42世界@名無史さん:02/05/05 02:22
白村江が有名だが、その前にも一回滅亡してるね。
その時は雄略天皇が日本で人質になっていた王族を
派遣して百済を再興している
この後は完全に日本の属国と化した
43世界@名無史さん:02/05/05 05:42
>41
>それに定期的に朝貢してたわけではないが?
>完全な朝貢国が朝貢を怠るとどうなるかしらんと見える。

定期的に朝貢してない?
日本は「二十年一来」の朝貢を「約」したという中国側の資料がある。
これに対して遣唐使は15年〜25年に一回、平均すればほぼ二十年に一回だ。

朝貢国と国内的な小中華帝国の使い分けはベトナム最後のグエン王朝もそうだ。
グエン王朝は周辺諸国に対しては中華を気取り、皇帝を称していた。
だからと言ってグエン王朝のベトナムは朝貢国ではなかった、と言うかね。
44世界@名無史さん:02/05/05 05:49
>40
> だいたい正しいがもちろんのこと日本側は認めていない

国内的に認めていないのはその通りだが唐に対しても認めていないと言いたいの?
それならば唐皇帝への国書で天皇/天子/皇帝を称したのかね?
45 :02/05/05 06:42
>>44 たしか国書はもって言ってないんだったんじゃないっけ?
46世界@名無史さん:02/05/05 06:49
高度な外交技術というか
二枚舌というか
何時の時代も何処にでもあるよねー。
47世界@名無史さん:02/05/05 06:59
白村江の敗因ってなんだったの?
人数?
48世界@名無史さん:02/05/05 07:21
>>18
>マジレスするが、「上方から下ってきたものではない」という意味。
>日本の文化の中心が京都だった頃の語やね。

民間語源説の類らしいですよ

■百済について語る■
http://teri.2ch.net/korea/kako/992/992105134.html
93から158にかけて書かれている、娜々志娑无先生のレスを見てください
49世界@名無史さん:02/05/05 12:30
上の方で議論してるふたりは、どっちも朝貢と冊封を混同してないか?
朝貢それじたいは交流に伴う当然の作法みたいなもんで
朝貢=服属、ということではない。
しかも公式の国交だろうが民間人の非公式なものだろうが一応朝貢ではあるんだよ。
唐は天皇という称号を認めず倭王で通したが、この倭王というのは
日本列島の主権者であることを追認しただけで、唐が冊封したわけではない。
50世界@名無史さん:02/05/05 14:35
>49
>朝貢=服属、ということではない。

対等な関係の朝貢もある、と言いたいわけ?


51世界@名無史さん:02/05/05 16:40
そうじゃない。
朝貢というのは、本来、皇帝個人とそれ以外の誰かという「個人間の関係」であって
国同士の関係に“伴う”ものであっても、国同士の関係を“規定する”ものではない、ということ。
なんどもいうように国同士の関係を規定するのは朝貢ではなく冊封。
だからいわゆる「冊封体制論」の中に、中華帝国からの政治的距離に応じて何段階にも
衛星国が格付けされているが、その中に「外臣国」よりもさらに縁遠い国として
「不臣の朝貢国」という枠があるのは、こういうこと。
52世界@名無史さん:02/05/05 20:28
>51
「不臣の朝貢国」だろうと対等ではないことに変わりはない。
倭にとっては対等か対等でないかが問題だったのだ。
53世界@名無史さん:02/05/05 20:43
>38
>郭務宗は和解交渉にきたんだよ。
>捕虜を返すから今度は唐と組んで新羅を牽制してくれ、
>少なくとも中立を守ってくれ、という話。
>占領軍だのと逝ってる奴は電波。

それは671年の郭の第4回の来倭のことを言っていると思うが、このときも約2000人だが、
そのなかの600人は唐人、とちゃんと書いてある。現地軍から来た唐人とは即ち唐軍だ。
そのすくなくとも600人の唐軍が半年も九州に居座った末、大量の武器と軍需物資をせしめて
帰った。倭は唐軍のおどしに屈したのだ。
敗戦国の姿。

54世界@名無史さん:02/05/05 20:55
>>52
っていうかさ、>>36以降のレスは、あんたの「完全な朝貢国」って言うのに
文句つけてるんであって、朝貢国じゃなかったっていってる奴なんておらんぞ。

>倭にとっては対等か対等でないかが問題だったのだ。
そんなもん誰が問題にしてたんだ?初耳だが。

>>43
>定期的に朝貢してない?
>日本は「二十年一来」の朝貢を「約」したという中国側の資料がある。
>これに対して遣唐使は15年〜25年に一回、平均すればほぼ二十年に一回だ。
これ、ジョーク?
55世界@名無史さん:02/05/05 22:07
>>53
たった600人で何ができる?それに白村江から何年たってると思ってるんだか。
当時は既に唐と新羅は敵対していた。素直に解釈すれば、倭を新羅側にまわさない
ために、捕虜を返して歓心を買おうとしたと考えるのが普通だと思うが。
ということで、>>38が正解。>>53はデムパ。
56世界@名無史さん:02/05/05 23:45
唐に降伏云々は小林恵子の説じゃなかったか。

中国の軍事力を過大評価してる気が。当時の日本より遥かに小国だった
高句麗ですら隋唐はあれだけ苦労してるのに。
57世界@名無史さん:02/05/05 23:53
「当時の日本より遥かに小国だった」
具体的にどういった面で?
58世界@名無史さん:02/05/06 00:12
>>57
面積は当然として人口の絶対数。
中世の人口から類推すると大和朝廷の勢力内での人口>三国の人口
と思われるが。
気候の点でも半島(特に高句麗)は不利だし。

本気で日本を征服するには海を越えなきゃならない。これがまた難しい。
59世界@名無史さん:02/05/06 00:26
唐に降伏云々は飛躍しすぎだから置いといて、
経済面では>>58の見方で問題ないと思われるが、軍事面ではどうだろうか?
60世界@名無史さん:02/05/06 05:52
>55
どうも皇国史観が多いね。

その何もできない600人を、倭はなんで追い返せないのか?
なんで武器と軍需品を与えなくてはならないのか?
600人の背後の現地軍、さらにその背後の唐帝国がこわいからではないか。

白村江の翌翌年、唐の来倭使節を送っていった倭の送使が高宗の法要に参加したことが
唐の記録にある。
また669年に、倭は高句麗平定を賀する使節を唐に送っている。
これも本来は扶余・倭連合であるべき倭としては屈辱的な行動だ。
これらの使節が倭の降伏、あるいは恭順の表明であったとみなされる。

このような段階があったからこそ、671年の、唐に対する軍事援助のような
行動が理解されるのだ。
敗戦国の姿。
61世界@名無史さん:02/05/06 09:44
大和朝廷>統一新羅なら分かるが、

>大和朝廷の勢力内での人口>三国の人口

ちょっとこれは違うと思う。

62世界@名無史さん:02/05/06 12:03
>>60
日本としても新羅を牽制したかったから
唐に武器等を供与したんでしょ。
63ホンモノの1:02/05/06 14:02
>>56
 >唐に降伏云々は小林恵子の説じゃなかったか。

ああ、あのデンパの・・・。
ここで暴れているのは信者か。

デンパの信者もデンパ(ワラ
64世界@名無史さん:02/05/06 14:18
>>61
ずっと後世の李氏朝鮮後期でも1000万に届かないくらいだからね…。
たしかにはっきりしてるわけではないし、江戸時代はある種異常だから
計算に入れないほうがいいが、中世日本と朝鮮では倍近い国力差が
あったような。
当時の朝廷の勢力範囲と高句麗の勢力を考えて
>大和朝廷の勢力内での人口>三国の人口
ではないかと思うけど。

中国の政策は文化的・経済的圧力で周辺国を従えるという感じがしな
くもないね。
周辺国家は対中国では必然的に貿易赤字になる。それを体裁を整えて
フォローするのが朝貢貿易の役目でもあったのだろうか。
65世界@名無史さん:02/05/06 14:32
降伏したら人質を送らないと駄目なはずだが。
66世界@名無史さん:02/05/06 15:21
>>64
1000万超えてるよ。
67世界@名無史さん:02/05/06 15:33
>>66
「朝鮮王朝末期、王朝政府の調査では、1904年において、戸・141万9899、口・592万8802、
という数字があげられている。しかも、この数字は18世紀中葉以降、一貫して減少しており、
それが朝鮮王朝の国民個人に対する支配力低下を意味していることは、容易に指摘できよう。
これに対して、1910年の人口は1293万4282人、1920年のそれは1678万3510人、となっている。
単純に計算しても倍以上の「国民」が発見されていることになる。……このような国民の「発見」は
日本統治時代に入ってからの1910年から1915年までの最初の5年間だけをとっても、
あらたに220万近い人間が「発見」されるに至っている。これは年率に直すと、4%近い人口増加となるが
その後の朝鮮や他の日本植民地における人口増加率を考えても、このような人口増加が自然増加や
社会的な移動によって為されたものとは到底考えられない。……なお、統計上の人口増加は
1925年まで続いており、我々は日本による住民登録制度の導入と、
それによる在地社会への直接支配の為の努力が、かなり遅い時期まで続けられていたことを
知ることができる」
木村幹「朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識」68−69ページ。


これを見ると、末期は1200万くらいだろうな。
李氏朝鮮末期には餓死と伝染病が多かったから、全盛期にはもっと多かったかも。
68世界@名無史さん:02/05/06 15:51
「大和朝廷の勢力内での人口」は、「大和の人口」と違うんですか?
69世界@名無史さん:02/05/06 16:06
>62
倭にとってほんとうにこわいのは唐だ。
唐がいなければ水城や山城を築いたりするものか。

その唐をけなげにも新羅がやっつけてくれている。たとえ唐帝国を倒せなくても朝鮮半島から
追い払ってくれるだけでもずいぶんな息抜きだ。
倭にとって新羅の足を引っ張る理由はなにもない。
70世界@名無史さん:02/05/06 17:02
>54
>っていうかさ、>>36以降のレスは、あんたの「完全な朝貢国」って言うのに
>文句つけてるんであって、朝貢国じゃなかったっていってる奴なんておらんぞ。

「完全な朝貢国」とは「册封を受けた朝貢国」のことである、などというのは
あんたが勝手に作った定義。
朝貢を行えばすなわち朝貢国であり、遣使が疑いなく朝貢であれば「完全な
朝貢国」だ。

>>倭にとっては対等か対等でないかが問題だったのだ。
>そんなもん誰が問題にしてたんだ?初耳だが。

誰がって天皇族がだよ。
朝貢する以上、唐に対しては国王でしかないということが問題だったからこそ、
国内的にはそれを隠したのだろうが。

>>日本は「二十年一来」の朝貢を「約」したという中国側の資料がある。
>>これに対して遣唐使は15年〜25年に一回、平均すればほぼ二十年に一回だ。
>これ、ジョーク?

なにを言いたいのかな?
平均二十年に一回もなかった、と言いたいのか。
かっきり二十年に一回でないから違約だと言いたいのか。
71世界@名無史さん:02/05/06 20:14
>>70
>「完全な朝貢国」とは「册封を受けた朝貢国」のことである、などというのは
>あんたが勝手に作った定義。

んなこと誰が言ってんだ?あんた、日本語に不自由な方?(藁

>朝貢を行えばすなわち朝貢国であり、遣使が疑いなく朝貢であれば「完全な
>朝貢国」だ。

ハァ?あんた、>>35でなんていったか覚えてないのか?自分で「白村江以後完全な
朝貢国へと変化していく」って書いてるではないか。日本は白村江以前も
朝貢してたんだがな。ってことはあんた自身が朝貢国には完全な朝貢国、不完全な
朝貢国があったって主張してたってこった。
72世界@名無史さん:02/05/06 20:24
アフォの小林恵子信者は、無視しましょう。
まともな学者は誰も相手にしていません。

ちなみに
○日本は唐に降伏した事実はありません
○天皇が、中国向けに「国王」と名乗った事実はありません

歴史ファンが勘違いするといけないので一応書いておきましょう
73世界@名無史さん:02/05/06 20:25
>>70
>誰がって天皇族がだよ。

天皇族ってなに?面白い用語だね。

>朝貢する以上、唐に対しては国王でしかないということが問題だったからこそ、
>国内的にはそれを隠したのだろうが。

だったら最初から朝貢などしなけりゃいいじゃないか。
偉大なる半島から文化恵んで頂けばよかったんじゃないか?

>日本は「二十年一来」の朝貢を「約」したという中国側の資料がある。
>これに対して遣唐使は15年〜25年に一回、平均すればほぼ二十年に一回だ。

その資料ってなに?べつに15年〜25年に一回じゃないんですけど。
もう一度調べなおしては?
74世界@名無史さん:02/05/06 20:31
>>72
そうですね。小林恵子信者というよりもデムパな半島人のような気が
しないでもありませんが、デムパに変わりはない。以後無視しましょ。
75世界@名無史さん:02/05/06 20:57
百済の人が全員日本に来たわけじゃないだろう、電波が。
76世界@名無史さん:02/05/06 21:02
小林恵子の説って電波なの?
詳しく教えて
77世界@名無史さん:02/05/06 21:55
>73
>>朝貢する以上、唐に対しては国王でしかないということが問題だったからこそ、
>>国内的にはそれを隠したのだろうが。

>だったら最初から朝貢などしなけりゃいいじゃないか。
>偉大なる半島から文化恵んで頂けばよかったんじゃないか?

なにを言いたいのかわからん。
遣唐使は朝貢使節ではなく、文化を輸入するための文化使節であったと言いたい
のかな?
それとも朝貢はしたが唐に対して天皇を称した対等関係だったと言いたいのかな?

>その資料ってなに?べつに15年〜25年に一回じゃないんですけど。
>もう一度調べなおしては?

これも依然としてなにを言いたいのかわからん。
「15年〜25年に一回、平均すればほぼ二十年に一回だ」と言っているのに
対して、
もっと多かったと言いたいのか、
もっと少なかったと言いたいのか、
もっと不定期だった、と言いたいのか、
そもそも「約二十年一来朝貢」を否定したいのか。

ただ「べつに・・」とすねているだけじゃ答えようがない。
78世界@名無史さん:02/05/06 23:27
↑こいつサカイじゃねえか

いずれにせよコヴァやし恵子もサカイも電波なのでレスしないように
79世界@名無史さん:02/05/06 23:52
えーっと・・・
 「くだらない」がらみのカキコをしようかと・・・いい?
小学館文庫で「野平舜水」という人が本を出してます。(舜の字、不安)
「くだらない」や「バカチョン」などの誤解をとこうとしてます。
専門家ではないので踏み込みは弱いですが、入門書として。
80世界@名無史さん:02/05/07 01:34
「くだらない」ってのは「百済でない」という意味
つまり古代日本は、百済を尊敬し、朝貢していたのだ。
その後、これは、遣新羅使に引き継がれた。
もちろんこれも朝貢なのだ
81世界@名無史さん:02/05/07 02:24
そのネタもう飽きた・・・と思ったら、アレンジしてあるぞ!?
でもつまらん。
82世界@名無史さん:02/05/07 02:26
世界史板に初めて来て
たまたまこのスレが一番上にあったので、読んでみた素人なのですが
どちらが正しいのか判断がつきません。
大和朝廷が弱腰だったという意見に対する反論の
具体的な資料など示していただければ、有難いのですが……
83世界@名無史さん:02/05/07 03:31
具体的な資料はほぼ同じ、解釈の違いと思われ。
っていうか、荒れそうなので数日後にまた来ては?
電波君の放置も決定したし。
84世界@名無史さん:02/05/07 05:48
>>80
くだらないの語源は
上方から下ってきた物ではない でも
百済にない物 でもないぞ

■百済について語る■
http://teri.2ch.net/korea/kako/992/992105134.html
93から158にかけて書かれている、娜々志娑无先生のレスを見れ
85世界@名無史さん:02/05/07 12:26
>71
>>「完全な朝貢国」とは「册封を受けた朝貢国」のことである、などというのは
>>あんたが勝手に作った定義。

>んなこと誰が言ってんだ?あんた、日本語に不自由な方?(藁

37で次のように言っている。
>冊封を受けない朝貢のどこが完全なのか・・・

これは完全な朝貢国とは册封を受けた朝貢国だ、という意味だ。
これがあんたの発言と思ったのだがちがったとしても私は責任ないよ。
名無しなんだから。

86世界@名無史さん:02/05/07 12:39
遣新羅使も朝貢だったんですね
知らなかった
87世界@名無史さん:02/05/07 12:44
新羅三郎義光の名称通り、武田源氏は、新羅系渡来人の子孫だということを
知らない人が多いです
もっと歴史を知りましょう
88世界@名無史さん:02/05/07 13:51
「くだらない=百済ない」だのいや「下りものでない」だの
ほんと下らない議論だ。日本語を知ってるのか、と小1時間(以下略
広辞苑より
「ない」接尾 形容詞形活用
その意味を強め、形容詞を作る
例 切ない、はしたない、せわしない
くだらない=百済ない、が本当なら、その意味は「百済のようだ」になる。
くだらないのでsage
89世界@名無史さん:02/05/07 18:42
>>87
どうして源義光だけが新羅三郎義光となのり、その親父も息子も新羅を名乗らないんだ?

あ、そうか、義光だけが新羅の子孫で、その親父も息子も新羅の子孫じゃないんだ! なーんだ。
90世界@名無史さん:02/05/07 19:09
長男・源義家は石清水八幡宮で元服したことから、
   八幡太郎義家、
次男・源義綱は賀茂神社で元服したことから、
   賀茂次郎義綱
三男・源義光は近江園城寺(三井寺)の鎮守・新羅明
   神で元服したことから、
   新羅三郎義光
91>90:02/05/07 23:02
次男以下は、コヴァの捏造です
騙されないようにしましょう
92世界@名無史さん:02/05/07 23:21
>88
「くだらない」は、百済には(日本にない物が)なんでもある、ということから
「百済にもない」と言う表現でめずらしいものを表した。
それが「くだらない」と短縮されてから「ない」の連想で意味が逆転して「価値がない」
という意味になった。
「役不足」の意味が「不足」の連想で逆転したようなものだ。
93世界@名無史さん:02/05/07 23:40
ええかげんにしなはい。
94世界@名無史さん:02/05/07 23:40
くだらないは
上方(京都)から来たものでないものは価値が低いということでしょう。
いいかげんネタ談義はやめましょう。
9517:02/05/08 00:12
>>88
ネタに本気で反応すんなよ(藁)。
96世界@名無史さん:02/05/08 06:25
みんなで電波を楽しむスレはここですか?
97世界@名無史さん
>>94
何寝ぼけたこと言ってるねん
>>84見ろ