1 :
パーニーパットの戦い :
02/04/19 13:57 騎士、騎兵、戦車、荷役軍用馬、商隊、etc.・・・・・・ 馬に見る世界史って感じで行きませう
2 :
世界@名無史さん :02/04/19 14:01
>1 ”馬 ”鹿
3 :
パーニーパットの戦い :02/04/19 14:07
ムガル帝国の創始者バーブルが組織した騎兵 バーブルがフェルガナ支配時代からの蒙古式騎兵を改造したもので、 第1次パーニーパットの戦いでロディー朝に多大な被害を与えた。 これで彼は大砲の火力と騎兵による速攻を見事にコラボレさせた。
4 :
世界@名無史さん :02/04/19 14:18
馬といったらやっぱ騎馬軍団だね。 わかってると思うけど武田じゃなくモンゴルね。
5 :
パーニーパットの戦い :02/04/19 14:36
>>4 最終的にはユーラシア中の騎兵軍団を吸収したモンゴルね
ティムール朝でもムガル朝でもロシアでも清朝でも活躍してる
6 :
ジークムント・フロイト :02/04/19 15:35
>>1 馬に対するこだわりは巨根願望のあらわれと解釈します。自分のサイズ
に劣等コンプレックスがあるんでしょう? 正直に白状しなさい。
7 :
世界@名無史さん :02/04/19 15:38
馬頭観音
8 :
パーニーパットの戦い :02/04/19 19:30
ハンガリーのマジャール騎兵 9世紀にアルパド王がドナウ河畔に大牧場を建設して以降、欧州最強の騎兵軍団 馬術文化レベルは現在でも世界最高水準だそうな モンゴルの西征時にはキプチャク騎兵同様に接収されてしまったが…
9 :
世界@名無史さん :02/04/19 21:26
ナポレオンのロシア遠征の時は 馬に冬用の蹄鉄を付けていなかったから 次々と馬が倒れてそのまま死んでいったそうだ。 この時ナポレオンの側近だった コランクールって人の役職名、主馬頭とか馬事総監とか訳されてるけど かれが総責任者だったんだろうな。
10 :
パーニーパットの戦い :02/04/20 02:29
>>9 ナポレオンの軍馬には競走馬も相当数いた。
それらの馬は革命によって取り潰された貴族の牧場から得たもので、
アラブやバルブなどの、中東の沙漠に育まれた種類が殆どだったみたい。
バトゥの遠征では馬の種類からして違い、裂蹄などに苦しんだのでしょうね。
蹄鉄っていえばローマ人が開発した、靴みたいなヒポサンダールが草分け的存在。
釘で打ちつけるタイプはどの民族が開発したのか諸説分かれる。
11 :
パーニーパットの戦い :02/04/20 02:39
近代の軍馬は大体が軽種馬だが、中世のいわゆる騎士が乗ったのは重種馬。 甲冑を装備した騎士より馬が狙われる事が多く、 それに抗するべく馬の甲冑が開発されたが馬は人間とは勝手が違い、 戦場で通用するような馬甲冑はミラノの職人がオーダーメードで仕立てたそうな。 ばんえい競馬で重種馬は今も活躍してる。ホントでかくて頑丈。
12 :
世界@名無史さん :02/04/21 16:24
日本に「主馬頭」(しゅめのかみ)という役職があったけど、ヨーロッパの 宮廷でも似たようなものがあったのかな?
>>12 constable(羅:comes stabuli=count of the stable=厩舎の長)
が語源的には一つの例では。
この役職はフランスでは、デュ・ゲクランも就任した「王軍長」「大元帥」になり、
イングランドでは紆余曲折あって(シャイア(=郡)の軍長の意味に定着し)現在では「お巡りさん」の意味に。
marshal(元帥)の語源marescalcusにも「厩舎の長」の意味があったらしいが詳細は不知。
14 :
パーニーパットの戦い :02/04/22 13:24
constableコンスタブルの役職は王から直々に大剣を戴いて就任したそうです。
15 :
世界@名無史さん :02/04/22 18:16
今でもアメリカ軍の一部では馬の世話をしているというのは本当ですか? アメリカ軍=ハイテクというイメージにはそぐわないけど。
戦前の日本陸軍では、騎兵に執着している、馬の好きな軍人の ことを「バキ」と呼んでいたそうだ。 もちろん、某格闘マンガとは関係ない。 「バ」は馬で、「キ」は「キ○○イ」のこと。
17 :
世界@名無史さん :02/04/22 22:03
金メダリストの西大佐萌え 最後は硫黄島で第26戦車連隊長として玉砕 愛馬ウラヌスの鬣を持ったまま戦死したとのこと。 硫黄島の防御司令官、小笠原兵団長栗林中将も騎兵畑出身
平家物語にも崖から馬で一気に駆け下りて敵を撃つシーンがあるよ。
19 :
世界@名無史さん :02/04/23 00:54
今回のアフガニスタンの戦争でも、北部同盟の兵士やアメリカの情報将校は 馬を使っていた。
>17 「バロン西 投降しなさい 貴方を死なせるのは惜しい」 と米軍さえもその死を惜しんだという御仁ですな
21 :
世界@名無史さん :02/04/25 08:27
>>20 でもそれって誰も聞いてないんだよね。
たぶんそう言われたんじゃないかっていうお話。
ともあれ、すごい人生を送った人物であるのは間違い無いので僕も萌え。
22 :
世界@名無史さん :02/04/25 12:54
前漢の武帝が「汗血馬」を求めて李広利をフェルガナに派遣したのは、 よく知られた話。これは、中国では元々馬の絶対数が極めて少なかった ことを意味している。 ↑こういう理解でOKですか?
23 :
世界@名無史さん :02/04/25 13:02
なんで? 汗血馬は特に優れた馬。 フェルガナでは良馬の相対数が多い。 が正解。
24 :
パーニーパットの戦い :02/04/25 13:19
>>23 >フェルガナでは良馬の相対数が多い。
その通りだったと思う。トルコマン種の近種の馬は速く沙漠にも強かったそうな。
李広利の遠征で中国の馬も軍用やら輜重やらに結構されてるが、
沙漠戦では一日に50g以上の水を必要とする中国産馬は次々と倒れ、
漢軍の勝利といってもギリギリのものだった模様。
25 :
世界@名無史さん :02/04/25 13:34
>>24 李広利はボロ負けだった気が……
馬の差というより、地勢の差だろ
万里の長城あたりに侵入させといて迎撃すれば、一応漢文明は負けはしないと思う
自分らから突っ込んでいって勝った将軍ってあんまおらんしね
26 :
パーニーパットの戦い :02/04/25 13:47
>>25 確かに地勢の差が大きいです。
けど荷役輜重としての馬が機能せず、補給線を確保できぬままに戦った事が
被害を大きくしたって事を書きたかったんです。
68 :参加するカモさん :01/12/11 17:29 ひろゆきってたまーに驚く程幼稚なセリフ真顔で吐くんだけど、いったいどういう 青春を送ってきたのだろう? 普通に成長を遂げた人間であれば赤面してしまうような恥ずかしいセリフ 82 :参加するカモさん :01/12/13 15:02 なんとなく言ってることわかる。 俺もひろゆきと何回か話したことあるけど、大昔のドラマでも見てるような気になった 95 :参加するカモさん :01/12/22 16:35 飲み会になると、必ず「遅刻」の話を得意気に語りだすけど、ひろゆきって遅刻することかっこいいと 思っているのかな? 回りの人間は苦笑するしかないけど、この人やっぱり幼稚だと思う
匈奴じゃなく大宛の方でしたか 確かに辛勝でしたね、勇み足スマソ でも当時のフェルガナ地域はオアシス都市じゃなかったの? 記憶違いかな?
29 :
パーニーパットの戦い :02/04/26 01:44
>>28 フェルガナはオアシス都市ですね。
当時の中央アジアは現在のイメージとは違うくらいに潤いがあった。
ただ李広利の軍は其処に至るまでの道程で相当に苦労したそうです。
オアシス都市は灌漑設備で潤いますが、中央アジアの沙漠化が進んだのは
チンギス=ハーンの西征時に多くの労働力が失われた事で
灌漑施設を管理する者がいなくなったからだという説があります。
30 :
世界@名無史さん :02/04/26 01:53
え? フェルガナ盆地ってオアシスだっけ?
31 :
パーニーパットの戦い :02/04/26 01:55
「オアシス都市」と「オアシス」では意味が異なるのでは?
32 :
世界@名無史さん :02/04/26 03:38
【馬の耳に大仏】(うまのみみにだいぶつ) 重すぎて耐えられないこと
大宛遠征は、ほとんど武帝の趣味というか、わがままというか。 あの国の汗血馬は大きくて立派だと聞いて、「朕はぜひその馬が 欲しいぞよ。手に入れてまいれ」ってノリでしょ。 でもねえ……軍用馬って大きけりゃいいってもんじゃないんだよ ね。鯨飲馬食って言葉があるぐらい、馬はよく食う。でかい馬な らなおさら食う。広大な砂漠や半砂漠のある中央アジアでは、粗 食に耐えられる小型の馬種の方が有利。ユーラシアを席巻したモ ンゴルの馬も小型だった。
蹄鉄っていつから実用化されたんでしたっけ?ローマ時代は無かったですよね?
35 :
世界@名無史さん :02/04/26 20:32
このスレにきてるみなさん、ドバイのマクトゥーム一族というのを ご存知ですか? いい種馬をいっぱい持っていて、優秀な馬を生み出してるらしいのですが。
36 :
パーニーパットの戦い :02/04/26 22:11
>>34 蹄鉄の前身的存在である靴型ヒポサンダールは古代ローマ時代にありました。
馬の蹄に釘打ちする蹄鉄を発明したのが誰だかは不明ですが、
その原型と考えられる遺物がケルト人やガリア人の遺跡から発見されており、
他にも古代インドのアーリア人の遺跡から出土しています。
日本では1630年代にオランダ人から伝えられたとの事です。
>>35 モハメド殿下を中心とした一族ですね。競馬界では有名な一族です。
多くの軽種馬を所有し、そこから更なる優秀種を生み出そうという
壮大な構想を抱いているそーな。他にラクダの生産・育成も手掛けています。
>レスを下さった皆様 ご教示、どうもありがとうございます。 言い訳めいた話ですが、漢軍の歩兵が匈奴の騎兵に包囲されて、 全滅に近い大敗を喫することしばしばだったという話を聞いて、 「中国本土には、有り余る兵士を騎兵に仕立てることができない程度には、 馬が不足していたんだろうな。」 と、勝手な理解をしていたのでした。
全軍を騎兵で構成することのできる遊牧騎馬民族のほうが特異と思われ
39 :
パーニーパットの戦い :02/04/26 22:50
中国の北辺では遊牧民族と通商して馬を買い入れ、騎兵を育成していった。 一方の遊牧民からしても中華文明との折衝は恩恵大であった。 長城付近というと、なにかと異民族との交戦ばかりが語られがちだが、 争わずに友好を保った時期も結構あるわけで、そういう時期には馬市が栄えた。 逆に、馬市を制限した為に侵入された事が明代の北虜南倭の一例としてある。
華北や黄河流域あたりは馬の育成が可能な地域に見えるけど 歴代中華帝國はなぜ軍馬の生産が不調だったのかな?
41 :
世界@名無史さん :02/04/27 03:47
モンゴルやヨーロッパでは軍用馬は去勢するのだが 日本では明治まで去勢していなかったという話を聞きました。 これは本当なのでしょうか? 本当なら、これがどういう差異になったのでしょうか?
42 :
世界@名無史さん :02/04/27 03:59
>歴代中華帝國はなぜ軍馬の生産が不調だった そうなの?
漢族は馬に乗るより、食料として食べちゃうからじゃないの? そんで精力付けて人(この人達は人なのか?)の数殖えてで。
44 :
世界@名無史さん :02/04/27 07:10
>>41 去勢は牧畜民族、肉食民族の技術。農耕民族の日本人にはその技術が発達
しなかったし、技術があっても実施には心情的な反発があった。
(だから、日本には宦官という制度も入ってこなかった。)
45 :
世界@名無史さん :02/04/27 10:44
モンゴルの対ヨーロッパに関してはいろいろ資料がありますが 対イスラムに関しては少ないように思うんですがどうでしょう?
>>41 本当です。サムライは去勢されていない馬を乗りこなすのが良しとされていました。去勢されていない馬は
凶暴で、相手を蹴倒し踏みつけ、噛みつき、それ自体武器とされましたが、おかげで統率はとれませんでした。
明治に大陸出兵出来兵を出したときに、去勢されていない馬を使ったので外国軍から「日本の騎兵は馬を制御できない」
と散々馬鹿にされました
農耕馬と、戦馬とは調教が全然違うから、比較はできません。
ついでに、中世騎士のう馬術の流れを、独論ですが述べておきます。 現在の馬術は、オリンピックに見られるもので、鐙を短くし鞍の前に座り、軽い鞍を付けたものです。これは近代軍の軍用馬術が基本となってますが、 それ以前の鎧をまとった騎士の乗馬技術は、鞍の後に座り足を伸ばし、重い鞍を使ったナイトライドでした。しかし、この乗り方は、あまり見ることはありません。 モンゴル軍の侵攻でヨーロッパの騎士が負け、騎士の乗馬技術がモンゴルのそれに比べて低かったろうと思われ(個人レベルではなく全体の乗馬技術として) 、結果その技術が途絶えたと考えがちですが、実はこのナイトライドはアメリカのカウボーイ(ウェスタンスタイル)に受け継がれました。 それは、当時最も保守的で地理的にも離れたイスパニアのスペイン乗馬が、このナイトライドと同じであり、それは闘牛のピカドールの技術に良く現れています。 新興国アメリカにはスペイン人も多くわたり、これが基本となってウェスタンスタイルの馬術ができました。鞍の形状、鐙の長さ、バランス、牛を追う動作はピカドールとおなじであり、スペイン乗馬の流れがよく解ります。 また、ウェスタンは牧畜作業が主であり、効率をよく考えた物で無駄がなく合理的です。 この点からも、騎士のナイトライドはやはり効率的であったろうと推測されます。 また、オーストリアにある「スペイン乗馬学校」は、古い乗馬技術を残し伝えていますが、 この中で馬が後ろ足で立ち上がり、前足を上げ前進するなどは騎士が馬で威嚇をしながら前進する 実戦的な技術が残っています。
48 :
パーニーパットの戦い :02/04/27 14:47
軍馬の去勢は統制を執る目的の他に成長力を抑える意図があったと思う。 去勢した馬はホルモンの関係で老化が遅くなるらしく、 その分、戦場で長く活躍できるようです。
49 :
ジーモン三等兵@ケー二ヒスベルク :02/04/27 15:09
現在、欧州でネオナチ(スキンへッズなど)が増殖している 国はハンガリーとロシアと、あとどこかな?
50 :
世界@名無史さん :02/04/27 15:12
>>45 史料はあるけどあまり紹介されてないだけ。
実際はヨーロッパの史料よりはるかに充実してる。
当たり前と言えば当たり前だが。
51 :
世界@名無史さん :02/04/28 18:34
>>47 フランスに「ソーミュール騎兵学校」がありますね。
ルイ15世時代の軍人で、騎兵を重視したド・ショワサール侯爵が
創立したとか。
ナポレオンの騎兵隊もソーミュールで鍛えられたものです。
52 :
世界@名無史さん :02/04/29 13:45
>>24 ロシアの初代トルキスタン総督カウフマン将軍は
トルクメン人たちを世界最強の軽騎兵と言ったそうだね。
53 :
パーニーパットの戦い :02/04/29 19:40
>>52 馬の育成法からして一味違うらしいです。
当歳ッ仔のうちに相当量の飼料を与えて身体中に脂肪細胞を蓄えさせ、
成馬になるに従い鍛えて贅肉を落としていく。
こうすると体内エネルギーの使用効率が良くなるそうで、
普段は多くの体力を蓄え易く、有事には少ない飼料でも長く戦えるみたいです。
こうして育てた馬はソグド商人たちの目玉商品の一つでした。
54 :
世界@名無史さん :02/04/30 20:37
アメリカ大陸に馬が存在していたら、その後の歴史もかなり変わっていたのかな。
55 :
世界@名無史さん :02/04/30 20:40
56 :
世界@名無史さん :02/06/14 22:07
空あげ
57 :
世界@名無史さん :02/07/19 16:02
鞍や鐙が発明されたのっていつごろ、どこでなのでしょうか?
58 :
世界@名無史さん :02/07/19 17:22
今上天皇は学習院馬術部OB
59 :
世界@名無史さん :02/07/24 03:59
今生存する全てのサラブレッドの父をたどればはダーレーアラビアン、 ゴドルフィンアラビアン、バイアリタークの3頭の馬に行きつく。 これはサラブレッド生産における進化と淘汰の過程を物語ってるね。
60 :
世界@名無史さん :02/07/26 00:41
>>59 父系だけならね。
馬の世界、いや遺伝の世界ではでは母系も重要だということを
お忘れなく。
日本の馬産地が父系ばかり重んじて世界の系統から立ち遅れた
歴史も忘れないでね。(今はだいぶ改善されてきたが)
61 :
世界@名無史さん :02/08/02 15:46
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63 :
世界@名無史さん :02/08/02 16:16
1はスキタイ人
1は野蛮なケンタウロス
65 :
世界@名無史さん :02/08/17 23:28
紀元前には、騎兵というより、馬が曳く戦車が戦力としては目立つ のですが、時代が下ると騎兵が優勢になったのは何故でしょうか? 鞍は確かスキタイ人が発明したんでしたっけ? やはり鞍の普及が 騎兵の広がりを促したのでしょうか?
>>57 『騎馬を始めたのは(略)前九世紀であり、それはスキタイ人によるかどうか
定かではない。前九世紀にウクライナ(略)であぶみ・鞍・ズボンなどが考案
されて、騎馬が始まったのである』
……というのが、94年に出た本(『これでいいのか世界史教科書』)に書か
れてる内容。その後研究が研究が進んでどうなっているかは知らないけど。
紀元前4000年に、すでに「ハミ」のほうは使用されていた、とする研究
もあったような気がはず
67 :
世界@名無史さん :02/08/17 23:58
>>65 個人的には、「ズボン」の有無が重要だったような気がする。
古代中国でも、ズボンを採用して漸く騎乗兵が出現しましたね。
68 :
世界@名無史さん :02/09/02 21:42
世界的にハミが普及したのは前2000年くらいかららしい。 だからそれから馬の騎乗も一般化したらしい。
69 :
アマノウヅメ :02/09/02 22:11
>>67 私は、ズボンは結果だと考えますが。
柳田國男も「労働するならば筒袖、細袴、これ以外の服装は無い」と
断言してます。
馬に乗ろうと思ったら、身分に差し支えようとどうだとズボンを採用するしかない。
70 :
世界@名無史さん :02/09/02 22:35
戦車:紀元前2500年頃のシュメール文明の墓の壁画に描かれている。 この頃の馬は、人が乗れるほど大きくない。 オリエントで騎乗が始まったのは紀元前1000年ごろで、本格的に騎兵を軍に加えたのは アッシリア帝国。王直属の機関で馬産地を管理していたらしい。 当時の壁面彫刻等を見ると、こちらもやはり小柄で、馬の背ではなく、後方の臀部に 跨っている。 鐙が発明されるのは、背に乗れるくらい馬が大きくなってから生まれたもの。 鐙の原形的な片側のみのものでも西晋(AD300年頃)
71 :
世界@名無史さん :02/09/17 22:14
age
72 :
世界@名無史さん :
02/09/17 22:31 婦人用鞍(かたくら)あげ。 あなたもスカートのまま馬に乗れます!