何故オーストリア(≒神聖ローマ帝国)は弱いのか

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1世界@名無史さん
兵力ばっか大きくてさー、フリードリヒにもナポレオンにもやられすぎだろ
2世界@名無史さん:02/04/12 17:49
2げっと
3世界@名無史さん:02/04/12 17:50
何と比べて弱いのか?
4:02/04/12 17:52
だから、プロイセンとか第一帝政フランスとかと比べてさ。
5世界@名無史さん:02/04/12 17:54
なるほど。
プロイセンとフランスが強すぎるだけだと思うが。
6(自称)世界史板総督:02/04/12 18:39
ソルフェリノでイタリアにも負けてたね・・・
多民族国家で国内が混乱していたからかな?
↑19Cの話です。
7世界@名無史さん:02/04/12 19:55
常時トルコとの国境に兵力を貼り付けていたから?
8世界@名無史さん:02/04/12 20:27
士気が低かったんじゃないか?
多民族国家としてうまく運営されてなかったようだし。

9世界@名無史さん:02/04/12 20:37
>>1
神聖ローマは1618年に実質上崩壊してます。1648年の
ヴェストファーレン条約にて全諸侯に対して自治権が認められ
エルザッツ・ロートリンゲンをフランスに簒奪された段階で帝
国としての役割が終わったと思います。だいたいこの時帝国民
の1/3が死亡し、全ての自然林が失われ、主要都市の大多数
が内戦で破壊されてます。この損失回復は200年かかってい
ます。
10山野野衾:02/04/12 21:09
1866年にはフッサ島の攻防戦(対イタリア)で元々不利な条件であった
にも関らずイタリアに大勝しました。恐るべし、イタリア(藁。
11世界@名無史さん:02/04/12 21:48
「汝結婚せよ。」がモットーだからね。
戦争しなくても結婚で領土が増やせるなら、それに越したことはない。
12世界@名無史さん:02/04/12 22:10
というか所詮「戦争は他人任せ」だった。
シュレジエン奪回に執念を燃やしたとされるマリア・テレジアでさえ、
実際の戦争においては出来るだけ他国の兵力を借りようとしていた。
ということは、必然的に他国の事情に振り回されるということ。
だからロシアのエリザヴェータ女帝が死んで
次の皇帝がプロイセンと和議を結んだことが、七年戦争の結果に直結した。
13世界@名無史さん:02/04/13 01:37
その昔、TBS「世界ふしぎ発見」のウィーン特集であった問題。

第一次世界大戦のころ、オーストリア・ハンガリー帝国は戦争を遂行する上で
どうしようもない欠点を抱えていたが、それはなにか?

回答は「作戦会議をカフェでやっていたもんだから、情報が筒抜けだった」というのが答え
だったけど、本当か?
トンデモ度100%な真相なんだけど

いずれにしても番組うろ覚えなのでsage
14世界@名無史さん:02/04/13 17:46
さすがに一次大戦の頃はどうか知りませんが
多民族国家ゆえ、兵士と士官が必ずしも同じ言語を
使うことができない、ということはあったみたいです。
もちろん、簡単な命令は理解するように教育は
されていたでしょうけれども。

>13
「ロシア軍は平文で命令を送っていた」級のDQNですねえ。本当なら。
15世界@名無史さん:02/04/13 20:58
>>14
中公新書から出てる「ハプスブルクの実験」という本に
その辺の事情が詳しく書かれてます。
16世界@名無史さん:02/04/13 20:59
>>4
ちなみにプロイセン軍の弱点は兵士の脱走だったそうです。
17世界@名無史さん:02/04/13 21:50
>>1
七年戦争では何回か勝っていると思ったが。
それに19世紀になっても、ロシアと連合してプロイセンを恫喝、ドイツ連盟を
吹き飛ばしてるし、一概に弱いとは決め付けられないと思われ。

>>16
18世紀までは何処の国も同じ弱点を抱えていますから。
18世界@名無史さん:02/04/27 20:22
実力よりも家柄や宮廷でのウケが優先されていたから、ってのはどう?
19ベンゼン中尉 ◆fjTeojqQ :02/04/27 22:05
オーストリアが弱かったのではなく、ハプスブルグ家の権威が失墜していったことが挙げられる。
新興勢力のプロシアには見事に負けているしね。
20世界@名無史さん:02/05/03 14:54
領土が広すぎて、軍隊をいろんな地方に分散しなければならなかった
からとか。
21親切な人:02/05/03 15:05

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22世界@名無史さん:02/05/03 15:17
他はともかく、オーストリア継承戦争と七年戦争は弱いとは
思わないが。オーストリア継承戦争はプロイセンが奇襲をかけた
わけで、それに他国が次々と参戦してきたんだし。帝王学も学んで
ないテレジアは善戦し、よく守ったよ。七年戦争だって、ドキュンなロシア
皇帝が即位しなければ、フリードリヒ二世は自殺してたんだし。
23世界@名無史さん :02/05/03 16:48
>>17
>>22
「強さ」は相対的なものだから、時代によって違うと思われ。
七年戦争の頃までは、列強の一員として遜色ない軍事力を持っていたと
言える。しかし19世紀になると、産業革命に乗り遅れて、周辺国との
格差は広がる一方。>>17のように、外交面での威光はまだ残っていたが
国力は衰えていた。

>>19
いや、むしろ逆。皇帝の権威だけは第一次大戦に至るまで維持されてた。
独立を求める民族結社もあったけど、それに劣らず、ハプスブルク家を
(チトーのように)民族の枠を超えた共通の君主として戴こうという
意見も少なからずあった。

中尉にマジレスカコワルイ?(w
24世界@名無史さん
いいと思う。
学術板にテメエの思い込みだけで書いててウザすぎ>便虫