★☆★孟嘗君について騙るぞ!!★☆★

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1世界@名無史さん
孟嘗君こと、薛公こと、田文について「騙る」スレだ。
ほんとにヤツはそんなに人間ができたヤツだったのか?
そういうわけで、孟嘗君の悪行を晒しageてくれ!
2世界@名無史さん:02/04/05 15:38
2Get!
32ゲット撲滅委員会:02/04/05 16:27
>>2
氏ね
4世界@名無史さん:02/04/05 16:57
孟嘗君お願いだ、俺を客として迎えてくれ
5世界@名無史さん:02/04/05 17:01
清濁併せた様々な人物を引きつけることができた人。
小劉邦って印象。
日本人にはこううタイプあまりいないね。
6孟嘗君:02/04/05 17:24
>>4
あなたはどんな特技がありますか?
7世界@名無史さん:02/04/05 17:34
失業中です。
8孟嘗君 :02/04/05 17:46
今募集している食客は
1、宴会芸用のにわとりの鳴きまねが出来る人
2、私の欲しいものを盗んできてくれる人
3、私が馬鹿にされた時復讐してくれる人
以上です
9楽毅:02/04/05 17:50
それがし、中山王にはほとほと愛想が尽き申した。
薛公殿の食客にしてくだされ。
10世界@名無史さん:02/04/05 17:52
>>3
2ゲットできなかったからって妬むなよ
11孟嘗君 :02/04/05 17:58
>>9
あなたは能力はありますが私の国に攻めいってきたので駄目です。
12楽毅:02/04/05 18:02
燕の昭王が攻めるって言い出すから仕方なかったんだYO!
13田単:02/04/05 18:09
お前如きが俺たちの国に住むしかくなんてねーよ
バーカ

追伸 牛、旨かったかい?
142ゲット撲滅委員会:02/04/05 18:24
2ch史上最も意味のない悪習2ゲットを撲滅せよ
15楽毅:02/04/05 18:36
>>13
やはり私が若かりし頃に斉へ留学しておった頃に殺しておくべきであったな。
16世界@名無史さん:02/04/05 18:41
>>5
劉邦は信陵君を尊敬してたけどな。
17世界@名無史さん:02/04/06 13:52
孟嘗君の用兵術って、結局はどの程度なんだろうか?
統率力という点では、分からんでもないが。
垂沙や函谷関での戦績からすると、悪くはないとも思える。
白起や楽毅、李牧といったあたりと比較しても、詮無いとは思うが…。
18世界@名無史さん:02/04/06 14:08
孟嘗君自身は劉邦みたいな感じで実際の用兵は食客の中から
用兵に長けたチームを組んで為されたのではないか。
兵法家も力を認めてもらおうと諸国を巡っていたから。
という気がする。
19世界@名無史さん:02/04/06 14:21
楽毅と田単のふたりの対決は長篇小説で読みたいね。
楽毅の方がすごいと思うけど、田単の方が好きだなあ。

三国板みたいになってしもーた
20世界@名無史さん:02/04/06 14:45
宮城谷「楽毅」どう?
21世界@名無史さん:02/04/07 22:06
単純に処世術で比較するなら、田単に軍配があがるかもしれない。
22世界@名無史さん:02/04/11 12:41
で、ふと気付いたけど。
孟嘗君って何した人なんだろ?
鶏の鳴き声のモノマネしたり、盗みが得意な食客まで雇ってたっていうエピソード
ばっかり有名だけど他のことあんまり知らないや。

・斉の公子であった
・斉・魏・秦の宰相であった
・同時代の人に大人気で戦国の四君と呼ばれる人の筆頭(?)と目されていた
・孟嘗君に限らず戦国の四君は数千人単位の食客がいた

これくらいの知識しかないんですが。
23世界@名無史さん:02/04/11 12:52
孟嘗君に限らず、史記って70%ぐらいは作り話なんでしょ
24世界@名無史さん:02/04/11 13:40
作り話もなにも地元民の伝説化された昔話を集めたんだからどこまでが
真実かはわからんだろうな
4人中3人が公子だし、それなりに地元信仰の対象になってた人物だとは
思うのだが。
25世界@名無史さん:02/04/11 14:11
>>22
「垂沙の役」も加えてよいかと。
もうひとつ、魏に滞在していたのは事実だが宰相ではなかった、という
説があるらしい。
26世界@名無史さん:02/04/11 14:13
動物の鳴き声とかよく出来た作り話
27世界@名無史さん:02/04/12 12:32
孟嘗君の補足

>>22にあるように「垂沙の役」で楚を降し、斉・魏・楚・韓の合従策を成功させる
・その後イニシアチブを握ったまま秦の宰相になるので事実上当時の中でかなり偉い人(表現にこまる)
・政変には弱いようで、秦の時、鶏鳴狗盗の故事にあるように趙や燕の謀略に負け秦を追われている。
・その後、田甲の反乱に加担したと疑惑をかけられ斉の宰相も引退、領地の薛へ帰る。
・一時魏に亡命?宰相?
・楽毅に70余城を落とされ斉滅亡の危機を救った田単が宰相となり孟嘗君は講和を結ぶ

よくも悪くも縦横家として結果は出してるね。
ただし縦横家の宿命というか、秦の宰相を更迭され、斉の宰相も追われた。
斉を追われたときに政敵が後任の宰相になったため秦に斉を攻めさせ後任の宰相を
やめさせたりしている、結構えげつない当時の縦横家の素顔が見えるね。
言葉一つで大国同士を戦争させてしまう彼等の活躍が戦国後期の楽しさでもある。
28世界@名無史さん:02/04/13 14:34
 ______
 |  |.| ∧∧
=====(,,゚Д゚)∩=
 |_|.⊂  ノ
    /  0
    し´

 \ えっ…と、糞スレはここかな…、と /
    ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ∧∧ ∧∧ __._
    ∩゚Д゚,≡,゚Д゚)   |.|
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        ∧∧  ミ _ ドスッ
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       /   つ.  終  了 │
     〜′ /´ └─┬┬─┘
      ∪ ∪      ││ _ε3
               ゛゛'゛'゛
29世界@名無史さん:02/04/13 14:35
        ∧∧  ミ _ ドスッ
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       /   つ.  終  了 │
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       ノ∩        \     \
     ノ   ヽ〜       /\ 了  \
   ⊂(。Д。 ) っ     /  /\   /
     ∨ ∨ U     (´⌒( /    \/
    :: :' :. :.         ∧∧       (´⌒(´
    :: :' :.      ⊂(゚Д゚ )≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
       ::  ⊆⊂´ ̄ ⊂ソ  (´⌒(´⌒;;
___________∧_____
 再開だゴルァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!
30世界@名無史さん:02/04/14 23:28
楽毅、呂不韋という便利なパシリを従えてる奴だっけ?
まさに戦国魔神モーショークン。

31世界@名無史さん:02/04/15 13:01
>>30
激しく違う気がするが…。
どこからそんな話が?
32世界@名無史さん:02/04/15 18:55
楽毅はともかく呂不韋って孟嘗君と接点あるんか?
孟嘗君が秦の宰相時代か?
33世界@名無史さん:02/04/15 20:16
小説「楽毅」、小説「奇貨居くべし」を丸呑みしたものと思われ。
3430:02/04/15 20:58
いや、「騙る」ってあるから騙ってみただけなんだが……。
35世界@名無史さん:02/04/15 21:06
>>34
それじゃ「騙る」じゃなくて「騙す」だよ…。
36世界@名無史さん:02/04/15 21:26
宮城谷昌光の「孟嘗君」に出てくる孟嘗君の養父役の
風洪ってモデルいるの? あんなふうに、実際に養父だったり
孫子や商オウと関っていたのは、フィクションと思うが
37世界@名無史さん:02/04/16 09:44
>>36
風洪自体は、実在の人物。
何だったかの思想書にあった気がする。
ただし、人物像は全く異なる。
38世界@名無史さん:02/04/16 10:50
風洪で検索かけたら>>36みたいなのばっかし出てくるね(わら

実際には貴族で、商人になって大成功した人ってことでいいのかな?
私財をなげうって治水工事をして有名になった人ってことですよね。
39世界@名無史さん:02/04/16 13:24
史記の貨殖列伝に出てきたような。
40世界@名無史さん:02/04/16 19:15
風洪=白圭でイイの?

白圭は史記の貨殖列伝に出てくる。
周の人。
物価の安い物を買い、高くなってから売る、良質の品種を買い集め穀物の収穫量を
増やすなどを実践し財産を増やす。
生活は質素、下男と苦楽をともにし、好機には獣の唐に飛び掛る。
白圭いわく、
「私の商売は伊尹や呂尚の政略、孫呉の兵法、商鞅の法の政治と同じだ。
 能力の足りないものには教えることは出来ない。」
商業をする人は白圭を祖師とした。


根っからの商人のようです。
4140:02/04/16 19:20
間違えた・・・

好機には獣の唐に

好機には獣のように
42世界@名無史さん:02/04/16 20:23
宮城谷昌光氏の罪は深いかと。。。
43世界@名無史さん:02/04/16 20:38
宮城谷「孟嘗君」未読なんだけど、
悪口言った村人を虐殺したって話はどう処理されてるの?
44世界@名無史さん:02/04/17 00:22
そんな話、でてこんかったような。
っていうか、あの小説はお題は『孟嘗君』なんだけど・・・。
45世界@名無史さん:02/04/17 11:14
>>43
秦からの脱出の際の話なのだが、宮城谷氏の孟嘗君では、趙を通過していなかった
ように記憶している。
というか、当時の対外情勢を鑑みれば当然のはず。
孟嘗君の秦での宰相就任時は、秦・趙・宋の三国は同盟関係にあり、斉・魏・韓の
勢力と二分していたような憶えがある。
孟嘗君の影響で秦が斉側に傾くのを憂慮した趙の武霊王が、当時、秦に送りこんで
いた重臣・楼煩(だったかのはず…)を操作して孟嘗君暗殺を使嗾した、とかいう
流れだったような…。
塚本氏の「白起」なんかだと、趙への恫喝の意味で、虐殺というか(作品内での
虐殺対象が趙の臣のはず)食客がひと暴れしているよ。

思うに、隣国の同盟国(趙)に脱走者が逃げ込む可能性を感じるなら、秦の方から
「拘束・送還」くらいの打診がある気がする。
翻って孟嘗君の視点で考えても、逃げ込む先が趙というのは、やはりおかしい。

「史記」にある話でもあり、司馬遷が孟嘗君(というか薛)に遺恨めいた感情を
もっているともいうわけで、そんな話が創られたのかも。

かなりうろ覚えのうえ、長々とすまない。
46世界@名無史さん:02/04/17 14:00
>>45

孟嘗君が秦を脱出したのは前298年だがこのとき趙と秦が同盟していなかった
のではないか。休戦状態ではあったが長年争いを続けてきており、又、当時
の趙は日の出の勢いであり秦に従属する必要がなく、秦は趙を警戒し斉と結ぼう
としたのだと思う。
この時期に同盟していたかどうかという記述をさがしたが見つかりませんでした。
もしこの時期に同盟していたというソースがあるなら教えてください。

秦から斉にまっすぐ帰ると趙を通らない。わざわざ寄り道をした理由は何か?
史記には「趙の平原君が自分のところに引き止めた。」とあるので平原君に会い
に行ったのだと思う。互いに名士なので顔見せに会ったか抗秦にたいしての話が
あったと思われる。ここで虐殺があるわけだが史記によると「笑い者にされた
孟嘗君が腹を立て、客分が車を降り数百人を切り殺し」とあるので客分の独断
であったとも考えられる。平原君と足の不自由な男の話にあるように、彼らは
何よりも面子を重んじたので、自分の親分を馬鹿にした人間を殺したのではない
だろうか。孟嘗君が命じたとも考えられるが・・・
ただこういう話は噂に尾ひれがついていくことも多いと思われる。

確かに司馬遷は薛に遺恨めいた感情があったと思われるが死ぬよりも辛く屈辱的と
言われた生き方を選んでまで歴史を残すことを選んだ人なので個人の感情で捏造
したとは思えない。もし捏造すればもっと酷く書けたはず。おそらくなにか記録
か言い伝えのようなものがあったのではないか。

やっぱり『孟嘗君』ではこのシーンをどうするかは悩んだと思う。現代の道徳には
明らかに反する部分だし・・・
47世界@名無史さん:02/04/18 12:53
>>46
宰相を罷免された孟嘗君が秦を脱出した際、宰相には、趙より派遣された
楼綏になっていたはず。
これであれば、秦趙間に非公式であったにしろ同盟に近い関係が築かれていた
とみても、あながち間違いではないのではなかろうか。
ちなみに楼綏が趙より派遣されたのは、前310年だったように記憶。
やはりはっきりとしたソースは発見できず、たいへんもうしわけない。
ついでながら、当時の趙は中山を併呑して国威は高揚しているものの、宋以外に
格別な友好国が無かったはず。
前回に続き資料その他は未確認につき、意味の無いレスかもしれない。
その点、平に御容赦を。
48世界@名無史さん:02/04/19 11:42
なかなか興味の沸くスレッドですね。

久しぶりに彼のエピソードなどを読んでいたら後世の儒教がどれだけ大切かが
よくわかりました(笑)
49世界@名無史さん:02/04/20 00:37
平原君に就いて教えて!
50世界@名無史さん:02/04/20 00:44
>>47
ただ楼綏が宰相になった時、趙はそれは自国の不利として楼綏が失脚し、秦の穣候が
宰相になるように工作し成功している。
おそらく趙では抗秦派が力を強めていたのでは。

51世界@名無史さん:02/04/20 09:48
>>50
自分の見解を否定するようだが、仰るとおり。
あの時期、すでに趙では武霊王が大套経由での秦攻略を企図している。
抗秦派が台頭していたというより、そもそも抗秦派の筆頭が武霊王だろうと
思われるので、たしかに言われてみれば納得。

>>47
漠然とした問いではなく、具体的なほうがよいかと。
52世界@名無史さん:02/04/20 10:49
平原君は・・・

嫁さんが足の悪い男を笑った、ムカついたその男は平原君に「あの女どうにかしてくれ」
と言うと「わかった、嫁さんの首をはねよう」と答えた。
しかし食客の前で「嫁さんの首なんてはねないよ」と話たので食客たちは平原君の
元を去っていったという。
わけのわからない平原君は残っていた食客に「なんでみんないなくなったの?」と
聞くと「あんたがうそつきに見えたからさ」と教えてもらい急いで嫁さんの首を
はね信用を回復した。

というエピソードがある。
記憶で書いてるから多少違ってるかもしれんが。
当時評価は高かったみたいだが失敗も多い、このエピソードにも現れてるね。
53世界@名無史さん:02/04/20 11:15
平原君直接ではないが、その食客のお話し。

邯鄲が秦軍に囲まれたとき平原君は楚に援軍を頼むことにしました。
援軍の発案者である平原君は自分の食客から20人を選抜することにします。
19人まではすんなり決まったのですが残り一人が決まらない。
すると毛遂が立候補しました。
この毛遂、今まで3年ほど平原君の食客をしているが名前すら聞いたことの
ないくらい何も活躍していない人物でした。
平原君は嚢中の錐(袋の中の錐)に例えて同行を断るのですが毛遂は「だから
私は袋に入れて欲しいのです」と懇願、結局同行を認めます。
楚についてから毛遂は大活躍、楚王を説得でき援軍を呼ぶことができました。

このことから平原君は反省し二度と自分で人物の判断をしないと誓ったとか


本当に失敗の多い人物だこと
54世界@名無史さん:02/04/20 11:22
四君を能力順に並べると
信陵君>春申君>孟嘗君>平原君
というイメージ
55世界@名無史さん:02/04/20 15:34
四君の被害者を可哀相順に並べると
晋鄙>趙の人々>平原君の妾>楚考烈王
というイメージ
56世界@名無史さん:02/04/20 16:07
信陵君>>孟嘗君>春申君=平原君
というイメージだがな
57世界@名無史さん:02/04/20 16:16
教えて君対策に

春申君

4君の中で唯一の非公族。
弁舌が立つというので楚に雇われる。
秦の侵攻を食い止めるため派遣され書面をもって秦の昭王を思いとどまらせ
た。その後、楚の太子とともに秦に人質として出された。
人質中に楚の頃襄王が死ぬ、しかし秦は太子を国に帰してくれないので
脱出させ、自身は正々堂々と帰国。
その後楚の宰相として活躍、治水政策や荀子の登用、北伐などの功績がある。
しかし晩年、子供のできない楚王に自分の子供を身ごもった女を差し出し
その子を楚王にして権力を固めようと画策。
その女の兄に殺されるも、その子は楚王として即位する。
58世界@名無史さん:02/04/20 16:18
>>51
否定してるわけじゃないよ。
歴史書は出来事を事細かに書いてるわけじゃないので、推測や想像で足りない部分
を補うわけだが、それによりそれぞれの考えが生まれると思う。
それが自分のと違ったのでこういう考えもあるよと書いただけ。
あなたの説も一つのちゃんとした説だと思う。
いろいろ議論できたので面白かったよ。
59世界@名無史さん:02/04/21 19:51
>>58
どうも。
こちらも詳しいわけではないので、いろいろ教えてもらえて助かってるよ。
60世界@名無史さん:02/04/21 23:45
>>38-40 遅レスですがありがとうございました。
風洪も白圭もブルタニカの人名百貨事典で、さがしたの
だけど、見つけれなかったんです。
61世界@名無史さん:02/04/22 12:49
ざっと見渡すと信陵君の説明がないので簡単に

魏の昭王の子
平原君の姉を嫁に迎えている。
その関係からか、邯鄲が囲まれているときのエピソード。
魏の援軍は晋鄙が率いていた、魏は秦の顔色をうかがいながら国境付近でじっと
待機していた。それを見かねた信陵君は軍権を示す割符を王の元から盗みだし
晋鄙を殺して軍を掌握、一気に邯鄲に向かい趙を救った。
しかし、この一件で母国魏に帰れなくなってしまったので10年程趙で過ごす。
この間に様々な人と会っているらしい。

一方、信陵君がいなくなった魏は秦の攻撃を度々受ける。
兄の安釐王から要請されて魏に戻ると上将軍に任じられ魏・趙・韓・燕・楚の連合軍
を率いて秦軍を函谷関に押し戻した。

信陵君を恐れた秦は兄の安釐王に対し信陵君のよからぬ噂を流し上将軍を解任され
る、その後、酒浸りの生活になった信陵君は4年後死んだという。


4君の中でもっともマトモな人物かと。ちなみに漢の高祖が尊敬していたといわれ
ているほどの人物だす。
62世界@名無史さん:02/04/22 13:24
思うに、ここのスレのタイトルが
「★☆★四君子について騙るぞ!!★☆★」
になってきた観がある…。
それはそれで、まぁ、いいのだろうが。
63世界@名無史さん:02/04/22 13:32
>>61
細かいツッコミになってしまうのだが、平原君の夫人が信陵君の姉では
なかったろうか?
64世界@名無史さん:02/04/22 13:54
>>63
失礼!
65世界@名無史さん:02/04/22 14:24
戦国時代のなかでもこの四君子の時代は、中央集権国家の圧迫に抗する
個人の名声、といった感じがあり興味深い。
なかでも孟嘗君と信陵君の輿望・名声がもつ影響力は大きかったのだが、
結局は秦の優勢を覆すには至らなかったあたり、概ね完成された組織に
対抗するも個人の粋を脱し得ずに屈する、という感じで非常に現実的で
頷ける。
66世界@名無史さん:02/04/22 16:08
逆に四君子を当時の貴族の代表格として、中央集権化の抵抗勢力とも
見立てることも出来そうですね。
彼らのエピソードから、如何にこうした貴族の勢力が強かったかを伺える
ようにもおもえます。
67世界@名無史さん:02/04/22 17:57
信陵君>孟嘗君>春申君>平原君て感じかな。
好きな順。
68世界@名無史さん:02/04/23 12:40
四君の基準ってなんだろうね?
食客を大量に抱えてたのとどこかの国のかなりの地位についた人ってくらい?

なんで4なんだろうね?5覇とか7大国なのに君子だけは4なんだろう?
69世界@名無史さん:02/04/23 13:02
四方伯とか四凶とかじゃないの
70世界@名無史さん:02/04/23 13:50
史記に四人しか載ってないからじゃないの。
別に四人選んだわけじゃなく四人しかいないから。
71世界@名無史さん:02/04/23 14:28
○○君ってのは他にもいたと思うけど?
72世界@名無史さん:02/04/23 15:26
でも伝がたってなかったり、時代がずれてたりしてない?
この時代に名を馳せた○○君ってあとだれがいるの?
よかったら教えて。
73世界@名無史さん:02/04/23 16:29
>>72
望諸君(楽毅)
安平君(田単)
武安君(白起)
馬服君(趙奢)
綱成君(蔡沢)
74世界@名無史さん:02/04/23 18:06
>>73
ありがと。お、結構いるね。
この人たちが選ばれなっかたのは食客を抱えなかったからだろうか。
あと全然関係ないが孟嘗君の食客は三千人。
一人の食費を仮に一万円とすると月三千万円。年三億六千万円。
スゴイ出費だ・・・
まあ、食い物代の大半は領地から徴収できたのだろうね。
75世界@名無史さん:02/04/23 19:44
月に1人1万は安すぎるだろー。
1日300円だぞ?
76世界@名無史さん:02/04/23 20:28
いや、現在よりも食料品の価値が安価じゃないかと適当に予想してみた。
安すぎたかな?
だいたい孟嘗君はどんなとこに住んでたんだろう。
三千人も寝泊りするのは大変じゃないか?
屋敷がいくつかあったか、テントのような簡単な住居があったか。
孟嘗君の家の周りの無数のテントで暮らす食客(おっさん)・・・
朝の風景を想像するとなんか怖い。
77世界@名無史さん:02/04/24 09:35
伝舎、幸舎、代舎に分れてたんだよね?
食客が住んでる所
78世界@名無史さん:02/04/24 09:59
孟嘗君は見栄を張って食客たちに大盤振る舞いしつづけたから、
生活が苦しくなってきたってのが可愛い(w
79世界@名無史さん:02/04/24 10:40
孟嘗君は一万戸の領主であったが食客の費用に足りないので高利貸しなどを
していた。食客が不快な思いをしないよう、気も使っていた。
そこまでしていたのに孟嘗君が失脚すると食客はたちまちいなくなってしまった。
孟嘗君、それでいいのか・・・
80世界@名無史さん:02/04/24 10:44
所詮宣伝効果を狙うための人数だろうからなぁ
まったく関係ないが新人アイドルを送り出すときにやるオーディションみたいな
もんで10万人の中から選ばれた。。。みたいなのと同じだろ

3千人もいたのに実際に楚に援軍頼みに行くとき19人しかすぐにえらべないくらい
だったんだから実際に使える食客って1パーセントくらいだったんでしょ?
81世界@名無史さん:02/04/24 15:59
>>79
孟嘗君の無実を訴えて自害した食客なんていうのもいますし、
いいんではないかな。
82世界@名無史さん:02/04/24 23:05
宮城谷昌光はどの本でも孟嘗君良く書いてるね。
誉め殺しって感じ
83世界@名無史さん:02/04/24 23:41
宮城谷は今度は田横書くらしいね。
どうなることやら。
84世界@名無史さん:02/04/25 12:04
宮城谷氏の作品の内容はともかく
田中芳樹氏の作品の文体はともかく
面白い時代を題材に小説化していただけているので感謝はする。
85世界@名無史さん:02/04/25 20:25
>>83
田横か。また渋い人選だ。
それにしても、もう春秋戦国は書かないのかなあ。
86世界@名無史さん:02/04/26 09:16
>>85
「管仲」書いてるけど、それ以外に、ってこと?
87世界@名無史さん:02/04/26 12:56
>>86
あれ?書いてたんだ。しらなかった。
どこでかいてんの?
88世界@名無史さん:02/04/26 13:19
>>87
「本の旅人」という、店頭無料配布の月刊誌で。
といっても、首都圏の大型書店でないと難しいかもしれんよ。
でも、一冊100円だし、定期購読もできる。

連載から1年半くらい経ってるのだが、今は、斉(襄公)の彭生が魯の桓公を
殺したあたり。
冒頭の方では、鄭の荘公や祭(足)中も登場するし、有名な「繻葛の戦い」もある。
これから、斉では小白が亡命する頃だよ。
この作品で、おそらく春秋・戦国時代の長編連載は最後だろう、といわれてる。

スレ違いによって、sage
89世界@名無史さん:02/04/27 01:09
>>88
聞いたこと無い本だな・・・。
1年半もたったんなら今更定期購読もあれだな。

そんなこといわずに今後も春秋戦国つづけてほしい。
読んでみたい人いるんだがなあ。
90世界@名無史さん:02/04/27 17:42
コーエーあたりが、春秋戦国のシュミレーションゲーム創ってくれんかな。
91世界@名無史さん:02/04/28 11:19
春秋戦国辺りではコーエーシステムの限界かも
維新の嵐風にして縦横家をシミュレートするとかなら非常に面白いとおもう。
92世界@名無史さん:02/04/28 18:50
四君か、小中学生のころ、陳舜臣氏の「中国任侠伝」で読んだ憶えあり
孟嘗君が一度落ちぶれて再び返り咲いた時の食客の雇用にまつわるエピソードが好き
93世界@名無史さん:02/05/02 13:51
>>89
「読んでみたい人」というのは、題材で、ということ?
だとしたら自分としては、苗賁皇や屈原、それに魏文侯の時代を書いてもらいたい。
個人的に、呉越の時代は好きじゃないので…。

スレ違いにて、sage
94世界@名無史さん:02/05/03 10:40
鶏鳴狗盗age
95世界@名無史さん:02/05/03 21:42
マイナーどころで昭雎なんて読んでみたい
96世界@名無史さん:02/05/03 21:53
四君は伴野朗が「 士は己の(略 」って本で書いてるね。
いまいちだったけど。
97世界@名無史さん:02/05/04 12:28
現代の世間一般的な歴史観からはちょっと好まれないかもね<四君小説
複雑すぎるのかも
意外と橋田ドラマ風にした方がうけるのかな?
「渡る戦国は鬼ばかり」とか
98世界@名無史さん:02/05/05 00:13
>>97
学の無い俺に丁度良さそうな本になりそうだな(泣)
99世界@名無史さん:02/05/05 04:24
>>79
それで良いのです
馮驩もそういっております
100世界@名無史さん:02/05/05 07:40
身長コンプレックスあり
101世界@名無史さん:02/05/05 13:22
百家争鳴age
102世界@名無史さん:02/05/08 12:18
毛遂自薦age
103世界@名無史さん:02/05/08 14:17
春秋戦国を語るスレに変更した方がよいのではないか?
104世界@名無史さん:02/05/09 17:44
田横の小説、今日までの分まとめてよんできたけど新聞小説は1回が短いから
なんか読んだって気しないなあ。
それにしても宮城谷氏は主人公は実は剣の達人っていうネタすきだねえ。

孟嘗君とも春秋戦国とも関係ないからsage
105世界@名無史さん:02/05/13 08:41
海大魚age
106世界@名無史さん:02/05/13 11:04
ネタフリのうまい食客を募集している
107世界@名無史さん:02/05/13 20:46
では春秋戦国でネタをひとつ

春秋五覇の中でだれが一番すき?
とりあえずいろんな説があるけど
斉桓公、晋文公、楚荘王、呉王夫差、越王句践
を五覇とするということで。
できればその理由もつけてホスィ
108林彪:02/05/13 22:28
>>107
孟嘗君とあんまり関係無いね

桓公が一番だなあ、その中じゃ
管仲使ったのは大器の証だろ
失策もビッグだったが(後継者争いを招いて斉は覇者の座から滑り落ちる)
死に様もある意味スケールでかい(蛆虫這い這い)

少なくともほかの覇者たちは管仲を超える器量を持ち合わせてないと思う
部下にもいなかっただろうし
109世界@名無史さん:02/05/14 10:40
まず挙がらないだろうが、宋襄公を推したい。
斉桓公の死後の、後嗣をめぐる内訌を鎮定はしたものの、泓水での敗戦があるため、
たしかに覇者とはいえない。
君主としては、二流だろう。
が、「春秋公洋伝」(のはず)では、その古代の聖王じみた仁を讃えられている。
仮に、君主でなければ、より大きな名声を残したようにも思う。
110宮城谷ファン:02/05/16 23:33
宮城谷さんは、春秋も沢山書いてるよ。
晋文公=「重耳」(家臣・趙一族主役の「孟夏の太陽」もいい)、
楚荘王=「夏姫春秋」(夏姫が主役で、ちょっとポルノ。)

他、斉の宰相「晏子」(羊頭狗肉で風諌)も・・
あと、書店で「士会」を見たような・・
(大半の作品を持ってる。「孟嘗君」も。「管仲」があるとは・・)
111世界@名無史さん:02/05/17 01:29
宮城谷のは、主人公よりその父の活躍が面白いといふ罠。
112世界@名無史さん:02/05/17 04:44
宮城谷では短編の「鳳凰の冠」が好き
「夏姫春秋」の後日譚っぽくて
113世界@名無史さん:02/05/17 06:42
>>111
楽毅様の父君は…。
114宮城谷ファン:02/05/18 03:40

>主人公よりその父の活躍が面白い
「晏子」の晏弱なんかそうかも・・
(でも晏嬰がいまの日本にベストでは?? 軍事NGだし。)
他方、「重耳」の父、詭諸(きしょ)はマズイ。
(太子=孝子を廃そうとし、自害に追い込んじゃったから・・
楽毅の父君は中間では? 忠実な大臣みたい。子としては重圧でなく理想的??)

>「鳳凰の冠」が(ちなみに「沈黙の王」収録)
その後の羊舌氏はどうなったんだろう・・

(宮城谷作品を読んでくと、春秋戦国の国々のタテ・ヨコ関係に興味が沸く・・。
趙は、晋の大臣家から興ったが、溯ると、秦と同族の贏姓
<商周革命を描いた「王家の風日」 で言及>だったり、
燕は、周の同盟国、召の後裔だったり<「甘棠の人」=召公セキ。
「侠骨記」収録。で言及>して面白い。)
ちなみに、いまは「青雲はるかに」を読んでる。
士氏の末裔、范雎(はんしょ)が主役(ポルノばっかで、購入を後悔)

宮城谷作品の信憑性はどの程度なんだろう?
(このスレ本題に近いテーマ? ”孟嘗君=良い”のソースは氏の作品では?
現実政治は、政治・倫理・外交などを春秋戦国や氏の作品から学べないだろうか・・
「孟嘗君」について言うと、商鞅、子系月賓(孫子)、蘇秦・張儀が絡んできて大河ドラマみたい・・)
115世界@名無史さん:02/05/18 03:45
>>109
宋襄なんか今でいうドキュンのはしりみたいなもんで問題外だろ。

>>114
おいおい、所詮小説だろうが。文学板にでも逝け
116宮城谷ファン:02/05/18 03:53
創作には興味がなく、史実を知りたいので、こちらに伺ってる訳で・・
(宮城谷さんも「史記」や「戦国策」や
白川静氏の説とかを資料にして、全部ウソではないと思うし・・
小説もリアリティーがあって面白く感じる訳で・・
そこで、どこまでウソ/ホントかが知りたく思い・・
ちなみに文学は良く分からんです。)
117世界@名無史さん:02/05/18 10:31
宮城谷氏の作品は小説としては面白く読めるけど史書として語るにはいかがなものかと。

インディージョーンズ若き日の大冒険 と同じ扱いでよろしいかと。
わかりにくいなら フォレストガンプ みたいな。
事実の中からストーリーを紡いでいたり著者の思想を混ぜるので当然史実とは違う
事象が出てくるがそれを楽しめる余裕があるのなら面白い作品だと思うぞ。
118世界@名無史さん:02/05/18 11:02
>>115
古代の観念を現代人の感覚ではかるのか?
少しは史書も読んでほしい。
119世界@名無史さん:02/05/18 15:35
春秋戦国ともなれば、
神々への畏怖の念も薄れて功利主義が跋扈。
ほとんど現代人とかわらん。
120宮城谷ファン:02/05/18 16:27
ガンプやインディは主役自体が虚構(事件や人物は背景画)で、歴史に無影響では?

歴史人物が主役で、事件の顛末が書かれている。
事件を通して、当時の政治原理を考えたい。
(人物脚色はあっても、社会意識までは・・創作より模倣=史実が楽でしょ。)

春秋戦国は、中国内で国際社会が成立し、諸家百家が活躍し、
彼らが政治・社会等に影響を与え、諸国の興亡を通し、諸説の優劣が検証できるのでは?
外交や軍事で、説得技術や人材活用を学べるのでは?

氏の作品を入門書とし、史実を学び、現在に活かす方法を考えたい。
(エッセイは、小説より脚色が濃くなく、文献に忠実と思う。)
121世界@名無史さん:02/05/18 16:58
>>120
悪いがそこまで深い意味で言ったわけではないぞ。<ガンプやインディ
これらの作品のようにわかる人にはより深く、そうでない人にもそれなりに
知ってる人物や事柄が紹介されている読み易い作品って意味だ。
深く語りたいならそれこそ文学板いけ。

宮城谷氏は当然春秋戦国時代をかなり勉強されているわけで氏の作品に対し
嫌な思いもないのだがやはり小説であるということ。
司馬氏の小説やら井上氏の小説を通して歴史に興味を持ったのと同様でいい
のではないか?
宮城谷氏だけ別格扱いする理由もないだろ。
122世界@名無史さん:02/05/18 18:47
>>115
太古の戦いは、合戦の前に相手陣営に出向いて布告し、
それに対して返答し終わると、合戦がはじまったらしい。
だから敵が陣立する前に奇襲といったことはなかったそうだ。

それを考慮すると宋襄公の考え方は昔の礼式にのっとっていたけど
時代にあわなかっただけ、ドキュソのはしりで問題外というのはどうかと思う。
ただ当時の宋は小国なのに覇者になろうとしたのは背伸びしすぎだとは思うが

123世界@名無史さん:02/05/18 18:58
>>116
宮城谷氏の小説は史書のわずかな記述を膨らまして物語にしてるっていう感じかな。
けど創作は結構多い。

史実を知りたいなら、史記・春秋左氏伝・戦国策あたりを読んだほうがいいよ。
読みにくいけど、ある程度小説読んでるなら予備知識もあるし、
それほど読んでて苦にならないと思う。

あと、全然関係ないけど、宮城谷ファンの文はカッコが多すぎて正直読みにくいっす・・・。
124世界@名無史さん:02/05/18 20:53
宮城谷氏の小説の主人公で嫌な性格の主人公って豊穣の門の掘突くらいだな
鄭の武公は、弟殺してるし良いヤツじゃないから当然か

孟嘗君について語ろうよ
俺でも食客になれるかな?
書道上手いぞ

125世界@名無史さん:02/05/18 21:21
>>124
要は、2ちゃんねらーを飼ってたようなもんだよね
一流どころから二流どころは、斉都臨シのほうに集まっていたわけで・・・

--
宮城谷氏の小説は、白川静氏の字統(異色の漢字字典)から
かなり大きな影響を受けていますね。
126宮城谷ファン:02/05/18 21:49
宋襄公は「重耳(下)」や「春秋の名君」に載ってました。

「宋襄の仁」は、楚軍の渡河時に攻撃せず、渡り終え陣形を整えるまで待ったそうです。
(後世の孫子「半渡を打つ」に反するが、春秋中期まで奇襲はしなかったらしい・・)
襄公は「むかしの戦いは、・・卑劣なことはしない」と言ったそうです。
宋楚とも古礼を重んず国(商・昆吾の末裔)ならではとなってます。

他方、管仲から太子を託すに足る人物と見られ、事実、彼を助け
共同した他の公子を破り、即位させます。
会盟を主催し、楚軍(成王)に完敗したのも、(楚の台頭に抗して)
周王朝を補佐するためと思われます。
(その後、放浪中を助けた、晋文公が周朝勢力の盟主として
楚を破ったので面目を施したと言えるかも・・楚成王も重耳を助けてるけど。)
127世界@名無史さん:02/05/20 07:34
>>126
単に事実を羅列されても…。

つまり、そういった事跡ひとつとっても、史書をつきあわせて読んでみるといい。
「宋襄の仁」は常識の観念でみれば愚考でも、史書によっては讃えられている。
宋が殷の後裔の国である事実がこの故事を生んだ土壌になっているわけで、当時の
通俗的な価値観や視点のみに捉われていては深い意味合いも理解は出来ず、単語や
事象をひとつ記憶した程度の意味にしかならない。
史実や政治原理を知って今後に生かすのであれば、事実を知るというよりも、経緯や
因果関係を探究していく方がいいと思う。

説教じみて…よってsage
128世界@名無史さん:02/05/20 13:37
>>125
>要は、2ちゃんねらーを飼ってたようなもんだよね

それ、言い得て妙だな。戦国期の食客をここで説明するのに一番適してる。
まあ、その食客が一番目立ったのが孟嘗君の時であるのは間違いないね。
129世界@名無史さん:02/05/21 11:02
どっこいしょっと

価値観の違いに驚き!
今なら奇襲をしてでも勝った物が偉いみたいな風潮なのにね。
それとも山下の怪我した足を攻めなかった相手選手みたいにして評価されたのかな?
130世界@名無史さん
>>129
中国といえば、文尊武卑のようなところがあるからね。
なにしろ古代は、礼が全て、といっていいくらいの時代。
廃れ始めたのは春秋末期くらいからだろうか…。

ある意味で、現代では本当の勇気が失われたんだろう…とは宮城谷氏の
作品の一節。
たしかに分かる気がする。