ピクト人とはローマ人がそう呼んでいただけで、文化的にはケルトと考えて
差し支えないと思う。ただ先住ケルトをピクトとしている場合もある。
ケルト人の定義はあるようでない。
>239
スコットランド貴族の代表がロンドンの上院に
送られていたんじゃなかったっけか?(1707年以後)
>>239 1963年以来、すべてのスコットランド貴族が、
上院に議席を持つことができるようになりました。
それ以前は、Representative Peerと呼ばれる、
スコットランド貴族の互選による代表16名が、
議席を持っていました。
ただし、スコットランド貴族であっても、
連合以降に創設されたPeerage of Great Britainや
Peerage of the United Kingdomの爵位を別に得たり、
また相続したりすることによって(Peerage of Englandを含む)、
互選でなくても上院議員としての資格を持つ場合が多くありました。
つまり互選で出てくるスコットランド貴族は、
Peerage of Scotlandの爵位のみしか持っていない場合に限られました。
有力なスコットランド貴族のほとんどは、
なにがしかの功績でGreat BritainやUKの爵位を得ており、
すでに上院入りを果たしていました。
宗教改革について教えて下さい。
やっぱり宗教改革者ジョン・ノックスが大きな役割を果たしたのでしょうか?
宗教改革の年は1560年という見方が一般的で、女王メアリの帰国でまた一悶着あるのですが。
一方で宗教改革はそれまでの親フランス反イングランド政策が逆転した外交革命でもあったようです。
ホントにケチン坊なの?
249 :
世界@名無史さん:02/11/30 00:39
スコティッシュが特にケチという訳ではないです。
250 :
世界@名無史さん:02/11/30 00:39
>>248 ケチというならフランス人やオランダ人も・・・
スコティッシュはケチ
アイリッシュはバカ
イングリッシュとウェーリッシュはなんだっけ?
252 :
世界@名無史さん:02/12/01 23:02
>>252 穿いてるのもいるよ(確認済)
宗教改革というより政治的なバランスの問題じゃないの?
その辺は不得手だスマソ
254 :
世界@名無史さん:02/12/03 19:06
女性もキルト着ているの?
255 :
世界@名無史さん:02/12/03 19:37
>>254 女性の場合、「キルトスカート」というのをはくそうです。
256 :
世界@名無史さん:02/12/04 15:42
スコットランド女性もノーパンではいてるの?
257 :
世界@名無史さん:02/12/09 13:05
ttp://www.yomiuri.co.jp/00/20021209i203.htm 世界遺産の英エディンバラ、歴史的建造物十数棟全焼【ロンドン9日=土生修一】
英国北部スコットランドのエディンバラ市旧市街で、7日夜、火災が発生、
強風の影響で消火活動が難航、8日夕になってようやくほぼ鎮火した。
旧市街は、中世に建造されたレンガ造りの建物が並び、国連教育・科学・
文化機関(ユネスコ)の世界遺産に指定されている。今回の火災で、
喜劇専用劇場など歴史的建造物を含む十数棟が全焼したが、エディンバラ城や
聖ジャイルズ大聖堂などは無事だった。住民にも死傷者は出ていない。
258 :
世界@名無史さん:02/12/10 23:00
>>252-256 東浦義雄氏著「スコットランドXIの謎」大修館書店刊 によると、キルトの下に
下着を着ける様になったのは、基本的には、第二次世界大戦後との由。が、現在でも、
旧来の慣習を頑なに守り、下着を着けない人も散見されるとの事。
すると、第一次世界大戦に参戦した、スコットランド高地連隊の兵士達は、皆、
ノーパンで戦争したのですね・・・・(;
あと、
>>255-256で、男はノーパンで、女は、ちゃんと下着を着けているって
言うのに、なんだか、とっても、萌え〜♪ ・・・・って、変ですか?
スコットランド、ブレア城のアトール公爵は、現在英国で、私兵を持つことを
許されているただひとつの貴族なのだそうです。
261 :
世界@名無史さん:02/12/19 22:29
262 :
世界@名無史さん:02/12/19 23:42
ハリポタ
263 :
世界@名無史さん:02/12/19 23:43
タータンキルト、バグパイプ マンセー!
264 :
世界@名無史さん:02/12/19 23:44
ハイランド・ダンス モエ〜!
265 :
世界@名無史さん:02/12/24 21:14
どこから北がハイランドなのですか?
267 :
世界@名無史さん:02/12/27 12:59
>>260 たしかに理屈のうえでは、
私兵を持つことを許されている唯一の貴族にちがいないけど、
そう書いてしまうと大げさじゃないだろうか。
そのAtholl Highlandersは、
1777年に77th Regiment of Footとして、
創設された正規軍の連隊だったが、1783年には廃止された。
(そのころの英国における正規軍という定義はあいまいだが)
19世紀に入って、スコットランドに親密になった王室をもてなすため、
公爵家が a ceremonial unit として1839年に「再創設」したもの。
実戦にはもちろん対応できない。
そのへんは、The Royal Company of Archers (Queen's Body Guard for Scotland)と同様。
あと、カタカナ表記するとしたら、アトールじゃなくて、
アサルかアソルのほうがよかったんじゃないか?
268 :
世界@名無史さん:02/12/30 02:07
スコットランド王国の話より、
ただ単にスコットランドのよもやま話ばかりになっちゃったこのスレ。
漱石の倫敦塔を読むと面白い。
キモイ
271 :
世界@名無史さん:03/01/01 19:29
イングランドって第2次世界大戦でいうならばナチみたい!!
悪役だぽ
そういえば今夜テレビでブレイブハートが流れるぽ 見るぽ!!
しかしスターリンブリッジの戦いって映画と全く違うようですね
それも仕方ないか?
272 :
世界@名無史さん:03/01/02 08:58
大晦日にロブ・ロイとブレイブハートをDVDで購入。
2本続けてみてたら年が明けていますた。
ギブソンの「ブレイブ・ハート」、昨日TVでやってたので見ますた。
何か切ないよね、ウォレスの最後って、処刑のシーン、前に見たドパル
デューの「ダンカン」思い出しちゃったよ。西洋史やってて指導教授が
英国中世史だったのにこの時代だけ何故か飛んじゃっていたよ(俺自身
は中世ドイツ史だったけど) 映画見た後史実を検証するためスコット
ランドに関する本読んだけど、ロバート・ド・ブルースって卑怯な奴だ
な。敵のエドワード1世についてみたり、王位を争っていたジョン・カ
ミンなる人物を教会で口論の末殺害してみたり、権謀術数の塊みたいな
奴だ。挙句の果てには映画では「ウォレスの意思をついで闘う」だと?
愛国者売っておいてそんなことよく言えたもんだ、それを知ったおかげ
で最後のシーンは正直萎えたよ。あとこの映画で印象にあったのはソフ
ィ−マルソー演ずる皇太子妃イザベル・ド・フランスだね。いやはや何
とも怖い女だね、彼女ものちエドワード2世の皇后になるんだけど、お
つむの足りない国王を側近と謀って幽閉し廃位してしまうんだよね。
そして、ウォレスの間に産まれた赤ちゃん(?)がのちフランスとの百年
戦争をおっぱじめるエドワード3世だっていうんだから笑っちゃうよね。
それにしてもメル・ギブソンは格好良すぎ。
ロバート・ブルースって、アッサム茶の発見者も同じ名前ですね。
どうでもいい話でした。
275 :
世界@名無史さん:03/01/03 19:38
ウォレスという姓は現在の英国に多い
>>273 >ロバート・ド・ブルースって卑怯な奴だな。
>敵のエドワード1世についてみたり、王位を争っていたジョン・カミンなる人物を教会で口論の末殺害してみたり、
>権謀術数の塊みたいな奴だ。
ジョン・カミンには王位継承権無く、姻戚関係にあったジョン・ベイリオルの支持者ですた。
当時はブルース一門とベイリオル一門が王位を争っており、
ロバートにも「ベイリオルには頭を下げられない」という譲れない一線があったのです。
あと、当時は明確な「国」の概念がないので、スコットランド貴族がイングランド王に臣従するのも希ではありませんでした。
ジョン・カミンもジョン・ベイリオルもエドワードに頭を下げた点では同類です。
「権謀術数の塊」というのはそうだと思うけど、ブルース家は独立戦争でロバートの弟全てを失っています。
ユダヤのマカベウス家やオランダのオランィエ家みたいなものです。
ロバートには彼なりの大義があって、単純なオポチュニストとしては括れないように思うのですが。
>スコットランドに関する本読んだけど、
もしかして森護「スコットランド王国史話」?
エドワード二世に傀儡として王位につけてられ、それに怒ってイングランドへの忠誠を止め廃位にされちゃった人がいるっていうのをみたことが有るんですけど
その資料にはベイリオルとしかかれてなかったんですよ。だから私ベイリオルっていう気概のある人物がいると思ってたんですけど、ベイリオルって名字なんですね。
この「ベイリオル」はウィリアム・ウォレスが支持していたというジョン・ベイリオルなんでしょうか?(この話曖昧で申し訳ないのですが)
>>277 ごめんなさい
エドワード二世→エドワード一世の間違いです。
あのですね、顔を青く塗るウォーペイントは、ケルトの伝統でしたっけ?
280 :
世界@名無史さん:03/01/04 18:46
ウィリアム・ウォレスとウィリアム・テル、ガチンコで勝負したらどっちが強い?
>>277 >この「ベイリオル」はウィリアム・ウォレスが支持していたというジョン・ベイリオルなんでしょうか?
そうですね。
1290年に前王朝の最後の君主・マーガレット(「ノルウェイの乙女」Maid of Norway)が死ぬと、
90〜92年のGreat Causeと呼ばれる訴訟において、英王エドワード1世の裁定によりジョン・ベイリオルが王位に就きます。
(この時敗訴したのが、ロバートの祖父・同名ロバート・ブルース。
ちなみに「ブレイブ・ハート」ではロバートの父・同名ロバートは権謀術数に長けた悪辣な人物として描かれていましたが、
史実では父と息子に挟まれた影の薄い人物で息子の挙兵前にイングランドで病没している。)
即位後のジョン・ベイリオルは、エドワードを上位君主として認めさせられます。
(エドワードへの臣従礼の強要。裁判の上訴権の英王への集中。封建的義務としての対仏戦争への従軍。)
それに対する一部スコットランド貴族の暴発に引きずられる形で、1295年にジョン・ベイリオルは挙兵。
翌96年、ダンバー(Dunbar)の戦いで敗北・幽閉され王権をエドワードに譲渡することを余儀なくされます。
(ちなみにその後は数年各地をたらい回しにされたあと、ピカルディの本貫地で一貴族として病没。)
ウィリアム・ウォレスの実質的な活躍期間は1297年の挙兵から98年のフォルカークの敗戦までで、
この間、彼はジョン・ベイリオルを代理する、スコットランドのGurdianとして支配しました。
(ウォレスは1305年に逮捕・処刑。ロバートの挙兵・即位は1306年です。)
気概ある人物だったかどうかはわかりませんが、
私欲もあったにせよ善意で行ったことが裏目に出た人物(王兆銘やペタンに似ている)、
見通しの甘さゆえに時代に翻弄された人物、のように思われます。
(ちなみに息子のエドワード・ベイリオルも英王エドワード3世のコマとして、全く同じ様な傀儡人生を送りました。悲惨。)
見通しの甘い人かぁ・・・そういう人だからエドワードもジョンさんを選んだんでしょうか。
そんな他国の王に決定させるなッて感じなんですけど、王族がいなくて貴族同士が争ってたんだから仕方がないんですね。
それにしても何時からそんなことに?何が原因なんでしょう?建国当初からって事はないと思うんですけど・・・
敗因は欲に任せてイギリスの土地貰っちゃったことなのかなぁ。そもそも国の概念に乏しかったというし。
初代の王様はケニス・マックアルピンって人だと思ってたんですけど、このとき建国したのピクド人との連合国・・・独立の重要性ってわからないです・・
何か無理言わずに平和的にやっちゃえばあんまり文句なさそうだし文化は自然に消えちゃうのはしょうがないにしても
ある程度守ってあげれば支配者が変わるだけのような。・・これが国の概念のない古代の考え方ですかね?
近代だったら文化が消えちゃうのが嫌で独立を保とうとする?
(子供なぜなに教室みたいになってしまった・・ごめんなさい)
>>279
青いウォーペイントはピクド人の文化だったらしいです。
・・・ピクド人てケルトとは別です?(無知)
283 :
世界@名無史さん:03/01/05 17:01
スチュアート家はいつ歴史の表舞台に登場してくるのですか?
(^^)
285 :
世界@名無史さん:03/01/13 11:25
カナダのノバスコシア(新スコットランドという意味)とスコットランドの関係は?
スコットランドが独自に植民地を持っていたの?
286 :
世界@名無史さん:03/01/15 20:51
フォイヤーズの滝について詳しく教えてください。
歴史的なことを知りたいのですが、文献がなくて困ってます。
287 :
世界@名無史さん:03/01/22 23:33
>>283 スチュアート家はもともとはスコットランド王家と血縁関係があり、
スコットランドの宮宰(スチュアード)の地位にあったためここから家名が生まれたらしい。
スチュアート家最初の国王はロバート2世(在位1371〜1390)
288 :
世界@名無史さん:03/01/23 22:36
>>39、
>>45でガイシュツだが、フランク・レンウィック著の「とびきり哀しいスコットランド史」
は実におもしろかった。
スコットランドの悲惨な歴史を淡々と綴っているのだが、決して卑屈になっていないところがいい。
ちなみに、スチュアート家の男系の先祖はブリトン人。
スコットランドへブリテン島の南のほうから移ってきた。
>>289 >ブリトン人
なんでも開化政策をとったデイヴィッド1世がウォルター・フィッツアラン(アランというのはブルターニュにありがちな名前)を招聘し、
これにハイ・ステュワード職を授けたのが1158年頃ということらしいですね。
フィッツアラン家はブルターニュでもDolの司教の下で家宰職についていたそうですから、
「オレ、地元じゃスッチーでブイブイ言わせてたんスよ。ここでもそう呼んでください。」とかなんとか言って
ハイ・スチュアード職を貰ったのではないだろうか・・・
保守