1 :
世界@名無史さん :
02/01/27 09:38 古代オリエントの本を見ても、軽くしか扱われていない ヒッタイトの始祖や始まりの様子、変遷について教えて下さい。 またそれに関する書籍なんかもあったらお願いします。
2 :
世界@名無史さん :02/01/27 09:47
ドイツ語文献をあたってください。
3 :
世界@名無史さん :02/02/01 13:03
カディシュは結局どっちが勝ったの?
ナイルなラムセス、じゃない、トトメスってあったね、関係ないけど。
5 :
世界@名無史さん :02/02/01 13:58
ヒッタイトの言葉とドイツ語が大変よく似ている、という事ですが? 当時の(19世紀)ドイツ皇帝が興味を持ったとか。
>>3 カデシュは結局のところ引き分けだったんですよ。
ただエジプトには戦後ラムセスが自分が勝ったかのように、勝利を描かせた壁画が
たくさん残っている一方、ヒッタイトはムワタリ2世がカデシュの戦いの後すぐに
死亡したこともあり、記録が全く残っていないんです。だからラムセスの活躍だけが
目についてしまうんでしょう。
>>5 ヒッタイト人はどうやらインド・アーリア語族に属していたようです。
ヒッタイトの存在が初めて知られたのが19世紀後半だったのですが、そのころ
ドイツではヴィルヘルム2世のもと世界帝国への道を突っ走っている時期だったので、
トルコでドイツ人の祖先(インド・アーリア語族)の遺跡が発見された、ということ
自体が多いに政治的プロパガンダに利用できたわけです。そのころちょうど3B政策
(ベルリン・ビザンティウム[イスタンブール]・バグダットにドイツ資本の鉄道を建設)
もありましたし。だから当初は、ドイツはヒッタイト研究の最大のパトロンでした。
初期のヒッタイト研究者にドイツ人が多いのはこのためです。
>>1 前田徹 「歴史学の現在〜古代オリエント〜」 山川出版社
ヨハネス・レーマン 「ヒッタイト帝国〜消えた古代帝国の謎〜」 佑学社
ジム・ヒックス 「ヒッタイト帝国」 ライフ出版社
Brice,T.R.,The Kingdom of the Hittites,Oxford,1998
Guney,O.R.,The Hittites,Reprinted with Revisions,London,1990
>6 >ヒッタイト人はどうやらインド・アーリア語族に属していたようです。 インド・アーリア語族って最近はあまり使われませんよ(何で読まれました?)。 ヒッタイト語は、インド・ヨーロッパ語族のアナトリア語派に分類されてます。 ゲルマン語派に分類されるドイツ語とはいとこくらいの関係になるでしょうか。 ヒッタイト語研究者にドイツ人が多いのは知っていましたが、そういう背景が あるということは知りませんでした。最近は、アメリカ合衆国でも 研究が盛んですね。
8 :
世界@名無史さん :02/02/02 04:46
9 :
世界@名無史さん :02/02/02 04:50
19世紀後半まで知られていなかったのか。意外。
10 :
世界@名無史さん :02/02/02 12:46
>9 ヒッタイト語の解読は20世紀になってからです。研究はこれからという 面もあります。
11 :
世界@名無史さん :02/02/18 00:35
ヒッタイトといえば鉄と戦車の国。 「鉄」という技術を独占したことで成り立ってたわけだから、 古代の「技術立国」だったんだろうか。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
popop
1000!!!
19 :
各スレの矛感 :02/02/23 03:52
各スレの矛感
20 :
世界@名無史さん :02/02/23 04:40
ハッチ大作戦
125,87,314677,hjbdhgkc
22 :
世界@名無史さん :02/02/28 18:42
なんでヒッタイトのスレが荒れるかな〜。 鉄器文明っつうのが日本の任那支配を連想させるからか? それはそれとして、古代においては戦車の車軸がハイテクだったって 聞いた事があるけど、具体的にはどういうことなのでしょうか。
>22 ヒッタイトの戦車は三人乗りで一人が盾持ち、アッシリアは四人乗りで二人 が盾持ちであったとか。 鉄製で無いと車軸が耐えられなかったという事では無いでしょうか。
>>23 レスありがとうございます。
勉強になります。
25 :
世界@名無史さん :02/02/28 19:02
メタル軸受けと鉄棒の組み合わせに、オイル潤滑してて 他の国の戦車より速かったとか?
27 :
世界@名無史さん :02/02/28 20:05
>鉄器文明っつうのが日本の任那支配を連想させるからか? そこまで知性のある奴は荒らし厨んはならんだろ。考え過ぎも病気の一種。
あぼーん
あぼーん
カディシュの戦いでは ラムセスU世の4個の大隊を一列に並ばせて行進してた、そのすぐ近くにヒッタイトの軍がいたのだが ラムセスはヒッタイトの軍がカディシュから何マイルも離れたところにいるかと思っていた そこにヒッタイトの軍がラー隊を奇襲しラー隊に壊滅的打撃を与えた、それを見て焦ったラムセスは すぐにアメン隊を投入した、後続の部隊が来るとともにヒッタイトは撤退した 斥候を送っていればこんなことにはなってなかっただろう 私が知ってるのはこのぐらいだ
そういえばアルメニア人の自称はハイ、土地はハヤスタンで、ヒッタイトの末裔を称しています。 学問的な裏づけは無いと思いますが。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
36 :
【^▽^】足軽浪人ジョーカー@長屋 :02/03/08 02:26
>31 ケマルはアナトリア・トルコ人もヒッタイト人の 末裔だと言っていたみたいですね。
あぼーん
38 :
世界@名無史さん :02/03/12 09:31
なんでヒッタイトのスレが荒れるのかなぁ。不思議。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
43 :
世界@名無史さん :02/03/16 06:54
ヒッタイト最強。戦車のような戦術を使ったんだっけか?
あぼーん
45 :
ショーン・太郎・レノン :02/03/17 06:10
日本人と付き合ってますが、何か質問ある?
あぼーん
あぼーん
TYYY7654O,KHJKJ8875.KJ
あぼーん
最近少女漫画でヒッタイトを題材にした作品があるそうです。 読む気にはなれんが、面白いという感想をききました。
51 :
世界@名無史さん :02/03/24 00:39
>>39 どういう意味ですか?
どうしてヒッタイトのスレが荒れるのでしょうか?なぜ?
why?
52 :
世界@名無史さん :02/03/24 00:53
バカだから。 ヒッタイトについて知ってる人間は2chには少ないってことさ。
53 :
世界@名無史さん :02/03/24 01:06
カマンカレホユックはどこだったかなぁ?
54 :
世界@名無史さん :02/03/24 02:37
>50 「天は赤い河のほとり」だと思います ムルシリ2世の話でかなりの長編だったと。
55 :
世界@名無史さん :02/03/24 03:37
「天は赤い河のほとり」はストーリーが テンポよく進むから、読みやすいと思う。
あぼーん
57 :
世界@名無史さん :02/03/24 06:12
ヒッタイトって任那の鉄を支配した倭国みたいなもの?
あぼーん
59 :
世界@名無史さん :02/03/24 06:36
>>57 そういうことを言うとチョソが荒らしますよ。
あぼーん
キチガイが一匹紛れ込んでるなあ。 反則へいせんてのはAoEってゲームの話じゃよ……。へいせん=兵船
あぼーん
あぼーん
あぼーん
なんだかここまで来ると、 ヒッタイトの起源は朝鮮とか言ってるやつがいそうだな。
カタパルトラッシュ…懐かしい(w
67 :
世界@名無史さん :02/04/03 10:12
ヒッタイトの継承国はどこですか?
68 :
世界@名無史さん :02/04/03 16:47
アルメニアだろうな。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
72 :
世界@名無史さん :02/04/04 14:51
だから、なんでこのスレが荒らされるんだ???
小学校のころのあだなだったんだろ
>73 あだながヒッタイトの小学生… どんなきっかけで、そんなあだなが付いたんだ(w
あぼーん
あぼーん
鉄製の武器を装備したヒッタイトの兵士は、 青銅製の武器を持った周辺諸国の敵兵と1対複数で戦えたという俗説があるが、 本当の所はどうなんだろうね。
あぼーん
ヒッタイト=ハッティとも言う。
あぼーん
ご苦労しておられるようで…。 マジ質問なんですが、 少し前で話題になってた某少女漫画には、 ’アナトリアで帝国が滅んだ後、カルケミシュで国家存続’てなことを書いてありました。 どうも傍系存続をにおわしているのですが、どうつながっているかご存知の方、おりますか? ちなみに、アナトリア系帝国の流れは、ラフには把握していますが。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
>>77 青銅製の武器は鉄器より良かったという話を聞いたけど。硬さなのか切れ味なのかは忘れたけど。
青銅製より鉄器のほうが安く作れたってのは間違ってるんかな?
銅は量が少ないので、大量生産出来ない。
あぼーん
88 :
世界@名無史さん :02/04/20 22:08
ヒッタイトスレを荒らす人はどんな人なんだろう? また荒らす動機は何だ?
89 :
世界@名無史さん :02/04/22 03:20
90 :
世界@名無史さん :02/04/22 03:26
>90 ワラタ
92 :
世界@名無史さん :02/05/20 23:34
ヒッタイト アナトリア半島内陸部を中枢とした古代国家。 古王国(紀元前17〜16世紀)/中王国(紀元前15〜14世紀前半)/新王国(紀元前14世紀半ば〜12世紀初頭)、に時代区分される。 以前は、王国時代/帝国時代の二期に時代区分されたこともあるが、現在は三時代で区分されることの方が多い。 三時代区分の新王国時代も帝国時代と呼ばれることがある。
93 :
世界@名無史さん :02/06/06 22:19
age
投石機のHPが2倍です、序盤はつらいですが後半暴れまくりましょう!
95 :
世界@名無史さん :02/06/16 14:55
聖書に出てくるヘテ人というのがヒッタイトと聞いたことがあるが 時代に開きがあるような・・・
メディア王国にはヒッタイト語の文献があったそうで。
98 :
世界@名無史さん :02/07/03 01:17
>96 ホメロスのイーリアスで、トロイ人の味方として、カテ人というのがでてくる らしいんだが、こいつらがヒッタイト(ハッティ)人なんだってさ。
99 :
世界@名無史さん :02/07/03 16:59
現在のトルコ共和国南西部の古都コンヤは、 11〜13世紀のルーム・セルジューク朝の首都で、 かのルーミーを祖とするメウレヴィー教団の総本山としても有名ですが、 その名の起源はローマ帝国時代のイコニウム、 東ローマ帝国時代のイコニオンに由来します。 ところが4,5年前にシリア(でよかったかな?)のカルケミシュから発掘された、 紀元前8世紀頃の象形文字ルウィ語碑文によると、いわゆる新ヒッタイト王国傘下の 一連の地域の一つにイクナという地名が出てきます。これが最も古いコンヤの記述と 考えられているそうです。 現存の「コンヤ」という地名がアレッポやダマスカスやエルサレムと同じく かなり歴史ある名の一つであるということが分かった事になります。 もう何年も前に知った情報の上、専門ではないのでかなり記憶があやふやです。 ヒッタイト研究をやっておられる方々、なにとぞ補完をお願いします。(^^;)
 ̄¨ ̄ミー-―r--、 `i ツ ⌒ヽir== y´ヽ :| : | : :lー┴-―┬--―〜ー- .. :l| l: ll ::l ミ、 __,へ. , ィ ニ_i i: il ミL -‐'''  ̄ ̄¨ ー--- ッ ' ´ ̄ lrヘヽ.―――vツ ヾ、 レ‐''´ " イ l L_ィ`′ /{ ト、 ノ i: ソ l | / __| イ フ l|: i ノ l| i| 、ィテ、 ソ __イ /"'ー } i:: |ト、 i: i: i i il| i| ^ー´ ミゝ、.∠} ∠__. -‐┤ {ii:: ||ト、 l: l: l: : il i il| il ヽrヘ====(ソ { ヾii: ||||i ヘ、li: l: l: i il li:. ヽ、ゝ、_ ¨ヽ:::i::ノ } ソi: ||/⌒てヽ、li l: l l人 、 _. -=三ミ、 /¨ T¨ ̄ `::..''、::;ソ lii: / '::、)// ーッ、_|l l: ト、l´ ヾ} .∠-‐' ソ ゙'::、 ::、..,,,} l|||||ll/ ::、 : //////  ̄¨''ーf/ ミミ}^L}三彡 / ::.、 ‐=三} l||||||{三ミ、 .〈〈〈/// ゝ/ ( ソ'⌒ ソ ::、 ::、 ミ{ l||||||||}三三三ミヽヽ〈.. ヽlir⌒ソ {=- / :::::、:、 ミノ l/ il||{三三三ミミ、ヽ ヽ:、::、 :、 }ir⌒}. {、__ { 、 :、 :.、ソ/ l||{三三三三ミハーr‐ヽミ、 ::、 、: 、}レ⌒{. }三 } :、::、ム、ニ三__}三三三三三三三三三三三ミムレへ V l l ヽ :::: 、:: 、:: ::; ::; ̄ ̄''=三三三三三三三三ミ'ー--ヲト ┴┴┘
101 :
世界@名無史さん :02/07/09 19:30
他のスレでこんなのがありました。
>5 :世界@名無史さん :02/07/05 00:20
>トロイとはそもそも何?
>6 :世界@名無史さん :02/07/05 17:49
>
>>5 ヒッタイトのトゥトゥハリヤ4世の時代のヒッタイト語資料に、トルコ南西部の
アスワ地方の町のひとつとして「タルウィサ」というのが出てきますが、
これがトロイだった可能性もあります。
また、「ウィルサ王アラクサンドゥス」というのも出てきて、このウィルサ
はトロイの別名イーリオスのヒッタイト語名ではないかと推定されています。
102 :
世界@名無史さん :02/07/26 00:33
アッヒヤワ=アカイア
103 :
世界@名無史さん :02/07/27 05:09
ハッティ人とヒッタイト人は別物だそうです。 ハッティ人と謂うのはヒッタイト以前からアナトリア に居た先住民族でアーリア系では無いそうです。
104 :
世界@名無史さん :02/07/27 07:26
ヒッタイトってヒッタイト語で何て言うの?
105 :
世界@名無史さん :02/07/27 09:15
>>77 でもカスカやアルザワ相手にかなり苦戦した時期もあったぞ。
>>104 ヒッタイト語ってわかる人、今もいるのかな
107 :
世界@名無史さん :02/07/27 10:46
ヒッタイト人ってどんな格好してたの? ほかのところみたいに上半身裸だったり 髭伸ばしまくってたりするの?
ごめんなさい!!! この象形文字ルウィ語碑文は、実はボアズキョイ(ハットゥサ)出土の スッピルリウマ2世(紀元前1200年頃)のものでした! 他の混同して大嘘書いてしまいました。「海の民」に頃されに逝きます!
109 :
世界@名無史さん :02/07/29 16:07
>104 ヒッタイトの王碑文とか法文書とかには クル・ウル・ハッティとか書いてあります。(トランスリテレイトできぬ・・・) 「クル」はシュメール語で「山、くに」の意味で 「ウル」は確か都市だか場所だかを表す、 読まれないシュメール語起源の指示記号。(←うろ覚えなのでどなたかのフォローをキボンヌ) 「ハッティ」はその名の通りで、 「ハッティ人の国」の意味。 ヒッタイト語は日本の万葉仮名みたいにシュメール語やアッカド語の語句を 「訓読」していたので、具体的になんて言っていたのか判らない単語も多いとか。 さらに、自分たちの言葉は「ネサ語」と呼んでいたとか。 かれらの王家はヒッタイト語でネサ、 元々アッカド語系ではカニシュという都市から 勃興したのでこう呼んでいたそうです。
ヒッタイト滅亡について 1 :ポチ☆ :02/08/14 18:26 一般的に海の民ってのに滅ぼされたようなんですが ホントの所どうなんでしょうかね〜 そこで皆さんの仮説or妄想?など聞いてみたいです あと多分炉が発明されていない時代にヒッタイトは鉄の武器 作ってたんですよね? そうなると火と強い風で高温を作り出したと思うんですけど ヒッタイトがどうやって鉄の武器を作っていたか知ってる方 いたら詳しく教えてもらえると嬉しいです
112 :
HPさらされた人 :02/08/16 08:48
鉄の製造方法について。 山側の吹き降ろしの風(季節風)を利用し現在の吹子のように 利用していた。 炉は作られていましたよ。 参考文献はもう売ってないけど、鉄を生み出した帝国 大村 幸弘 この人日本のヒッタイト研究の第一人者です。
113 :
世界@名無史さん :02/08/16 12:52
ヒッタイトの鉄器って具体的にどういうところで他の国の青銅器に対して優位を 誇ってたんでしょうか。 上に車軸が・・ていうのが挙がってましたが、他にもあるんでしょうか?
114 :
世界@名無史さん :02/08/16 14:27
>>112 信じるなよ。そんなこと。季節風の利用なんかで出来るわけないだろ。
この人、うそばっかりじゃないか。
115 :
世界@名無史さん :02/08/16 15:31
ヒッタイトってなんか謎の王国って感じがしていいよね。 アトランティスみたいに。 んん〜〜〜〜なんかロマンチック♪
116 :
世界@名無史さん :02/08/17 01:12
ヒッタイトでは楔形文字よりも象形文字(線文字に近いと思う)が多様されてた様ですがあれは何に由来するのでしょうか。
地理的にはクレタ系の文字に近いのかなぁと云う気もするのですが。
>>115 そういえばゴルボフスキーの『失われた文明』にはハットゥーシャスは核戦争位しか考えられない様な高温で滅びたとか書いて有りました。
117 :
世界@名無史さん :02/08/17 01:12
ヘテ人=ヒッタイトって、どうやって同定されたの?
118 :
世界@名無史さん :02/08/19 17:27
>116 ヒッタイト語は同時代のパラー語、楔形文字ルウィ語、象形文字ルウィ語、 紀元前5世紀頃のリュキア語、リュディア語などとともに、 インド・ヨーロッパ語族中、現在死語となってしまったアナトリア語派に分類されているそうです。 古王国時代の「テリピヌ勅令」が紀元前1500年代後葉ですし、 現在キュルテペのカニシュ遺跡から紀元前18世紀の発掘された文書などにもすでに フリ語、ルウィ語に加えヒッタイト語の人名が出てくるそうなので、 同じインド・ヨーロッパ語族のヴェーダやアヴェスタ語、ギリシア語と比べても 絶対年代が明確な上、量も膨大な破格に古い言語です。 ちなみ象形文字ですが、これはヒッタイト語自体ではなく同系統の別の言語である ルウィ語であることが判っています。楔形文字ルウィ語はヒッタイト語と同時代の言語ですが、 象形文字ルウィ語は碑文として出てくるのは12oo年代以降に現れて来ているそうです。 言語学は全然専門ではないのでかなりあやふやな知識ですが・・・(笑 詳しくは大学書林の『印欧アナトリア諸語概説』を参照されるのをお勧めします。
119 :
世界@名無史さん :02/08/19 18:49
ヒッタイトは中央アジアからアカイア人、アーリア人と共に同時期に移動してきたっていうのは本当なの? そもそも、ヒッタイトはどうやって鉄を入手してたんだ? 隕鉄?
120 :
トトメスV世 :02/08/19 19:03
>>119 ヒッタイト人の移動はアカイア人やアーリア人の移動よりも明かに古く、前20〜19世紀頃と考えられています。
また鉄の入手についてですが、当時のアナトリアには鉄の露鉱床が多く、比較的簡単に入手できたようです。
後の時代になると、鉱山での採掘が行われるようになっていますが。
121 :
世界@名無史さん :02/08/19 19:06
教えて君で悪いけど。 移動する前から鉄の作り方は知っていたの? あと、鉄ってそれだけだと脆くなっちゃう思うんだけど。 彼らは炭を入れて鉄を強くしたり水につけて強くしたりとかそう言う方法を知っていたの?
122 :
世界@名無史さん :02/08/19 19:40
>>121 滲炭法はヒッタイト発祥と考えられていまつ
123 :
世界@名無史さん :02/08/19 20:05
>119 聞いた話によると、シュメール時代から鉄それ自体は認知されていたらしく、 確かシュメール語で「天の金」とか言われていたとか。銅は「赤い金」だったか? 鉄の精錬はヒッタイト以前からハッティ人がやってたらしい。 アナトリアは地下資源に恵まれていて金銀銅が各地から採掘されていて、 相当早くから発達した冶金技術の先進地域だったとか。 これを専門にしていたのがどうやら例のハッティ人らしくて、 アッシリア商人はアナトリアにはない錫をザグロスから運んでは売り付けていたので、 大儲けしていたことが発掘された粘土板文書で判ってる。 今、手許に資料がないからこの程度でご勘弁を。
124 :
トトメスV世 :02/08/19 20:17
>>123 エジプトでも前3000年頃の鉄のビーズが発見されていますね。
これは隕鉄ではないかと考えられていますが。
ハッティの製鉄については前2000年頃には既にある程度のレベルに達していたと考えられていますね。
>>124 >エジプトでも前3000年頃の鉄のビーズが発見されていますね。
さすがエジプトは何でも揃っちゃうところですね(笑
冶金技術はずっとハッティ人の専門らしいかったそうですが、
馬の管理・調教はフリ人がやっていたそうです。「キックリの調教書」がそれです。
こういう話を聞くと、ヒッタイト人って支配民族のくせに何にも取り柄が無いんじゃないかと時々下手な勘ぐりをしまいます。
勿論、事はそんな単純な訳では無いんでしょうけども(笑
ところでツタンカーメンの墓から鉄製の短剣が発掘されてたような気がしたのですが、どうでしたでしょうか?
126 :
トトメスV世 :02/08/21 17:01
>>125 ツタンカーメンの墓から発掘された鉄の短剣は、ヒッタイトからの贈り物だとされています。
エジプトで本格的に製鉄が行われるのは末期王朝時代からですので。
それ以前にも散発的に鉄の遺物は見つかっていますが、ほとんどは外来のものです。
ヒッタイト人の取り柄というと…やっぱり戦争でしょうかね?
戦車による機動戦術をオリエントに広めたのはヒッタイトですし。
まあ、支配下の民族の特技をうまく使ったって言うのも取り柄なんでしょうね。
はやくもレスを頂いてましたか。ありがとうございます。 >ツタンカーメンの墓から発掘された鉄の短剣は、 >ヒッタイトからの贈り物だとされています。 ああ、やはりそうでしたか。 時折トンデモ話とゴッチャになるので些か自信が無かった物でして。(笑 ヒッタイトが鋼鉄製の戦車を発明したおかげで、戦車の耐久性能が格段に上昇 したと、ものの本で読みました。青銅も随分耐久性があるそうですが、やはり 鋼鉄の強靱な弾性には遠く及ばないのだそうです。 でもヒッタイトの戦車って発掘されてましたっけ? 機動戦術についてはよく 取り上げられているので知っておりますが、余り記憶してないもので戦車自体 も鋼鉄製だったかはちょっと確認できません。何かご存じでしょうか? さらにハッティ人は純鉄をも生産していたと耳にしたような気が・・・さて? トゥトアンクアメン王の話が出たところで、レスも100を越しましたし、 スッピルリウマ?汾「と(恐らく)アンケセンアメン王妃の件の書簡話を 持ち出しても良い頃合いでしょうか? まだ資料が手許にございますので。
128 :
トトメスV世 :02/08/25 05:18
>>127 ヒッタイトの戦車で鉄製だったのは、車輪の部分だけの様です。
確か、車輪の一部は発掘されてた筈ですが。
ハッティの純鉄に関しては寡聞にして聞いたことが無いです。
銑鉄の精錬技術を持っていたらしいと言う話は聞いたことがあるのですが。
>スッピルリウマ・世と(恐らく)アンケセンアメン王妃の件の書簡話を
持ち出しても良い頃合いでしょうか?
「私の夫は子供を残さずに死にました。貴方の王子を私の夫として送ってください。」
「私は召使と結婚する気はありません、私は恐ろしいのです。」
って言うアレですね?
129 :
178ではなく本当は123 :02/08/25 11:44
>>128 発掘されたのは車輪でしたか。純鉄の話は恐らくトンデモ系なのでOrientを見
ない内は語らぬが花でしょう。(笑
>「私の夫は子供を残さずに死にました。貴方の王子を私の夫として送ってください。」
>「私は召使と結婚する気はありません、私は恐ろしいのです。」
>って言うアレですね?
その通りです! これは書簡そのものではなくスッピルリウマ1世の息子、
ムルスィリ2世が書かせた、父スッピルリウマ1世の業績録の中に載せられた
記事でして、スッピルリウマ?汾「が副都カルケミシュに下ったとき、アムカの
国に軍を派遣して攻略した話の直ぐ後に書かれています。
アムカは私も場所は聞いておくのを忘れておりましたので、判りませんが、
アムカ国襲撃がエジプトにとって恐怖すべき事だったようなので、恐らく
シリア地方の何処かなのでしょう。存外アマルナ書簡にあったりして(笑
授業で使っていた資料は、整理中なのですが、
一応、関係している部分の訳文とかはupしておいた方がよろしいのでしょうか?
130 :
トトメスV世 :02/08/26 03:57
>>129 >これは書簡そのものではなくスッピルリウマ1世の息子、
ムルスィリ2世が書かせた、父スッピルリウマ1世の業績禄の中に載せられた
成る程、書簡そのものが見つかった訳では無いんですね。
確か、ムルシリ2世の弟の王子(ザナアンザ王子だったかな?)がエジプトに送られる途中で行方不明になってるんですよね?
エジプト側の暗殺だったとして、犯人を挙げるとすれば、やはり最も疑わしいのはアイでしょうかね?
実行犯はホルエムヘブの手の者だった可能性もありますが。
訳文はお手数でなければ宜しくお願いします。
非常に興味がありますので。
131 :
世界@名無史さん :02/08/26 04:25
純鉄ではないと思うけど。アンカラの博物館にヒッタイトの 詳しい解説と現物があるから一度見ておくとよろし。
>130 >成る程、書簡そのものが見つかった訳では無いんですね。 そう言われると、少し不安になってきました。 と言いますのも、私の手にしている粘土板文書の写しは、文章の真ん中に でっかい穴が2つ程空いていまして、ローマ字に移し替えた物の方は問題 なくすべて写されているからです。 恐らく業績録の粘土板は複数本見付かっており、 ローマナイズした物はこれらを校訂して造られたのでしょう。 件の書簡も実は書簡形式の写本が別に発見されているのかも知れませんが、 不勉強で判りません。授業でもう少しツッコンで質問すべきであったと悔やまれます(苦笑 >ザナアンザ王子 その名は初めて知りました! 書簡には王子の人名は載っていません。 王子は行方不明になったらしいのですが、そこまでは書かれてなかった かと記憶しています。アイ真犯人説は最も説得力がありますから(笑 その後のホルエムヘブの伸張を考えればあり得る話です。 しかし最早真相は永遠に藪の中でしょう。(笑 >訳文 了解しました。次回からupします。形式についてですが、なるべく意味が通る程度 直訳したいと思います。また『印欧アナトリア諸語概説』の説明に従って、 ヒッタイト語の語彙に限って、sh音をサ行に、z音をツァ、ツィ、ツ、ツェで 表記しておこうかと思います。何かご意見がありましたら、その都度仰って下しませ。
133 :
トトメスV世 :02/08/27 07:20
>>132 >ザナアンザ王子
古代エジプト史関連の本で、アンケスエンアメンの書簡が紹介される本ならば大抵は乗っています。
もっとも、著者によって微妙に違うのは仕方のない事ですが。
個人的には、この辺りの経緯はボブ・ブライアーの「誰がツタンカーメンを殺したか?」がオススメです。
歴史資料や法医学的見地からの推理を、法廷劇風に面白くまとめてあります。
無論、例の書簡の話も出てきますよ。
訳文についてはお手数お掛けします。
楽しみに待っております。
134 :
123@アンクエスエンアメン王妃の手紙 :02/09/03 01:59
はなはだ遅くなりましたが、ムルスィリ2世の「スッピルリウマ1世業績録(仮)」のupを致します。 この粘土板文書の7行目にトゥトアンクアメン王の死が、10〜15行目に 恐らくアンクエスエンアメン王妃がスッピルリウマ1世に宛てた書簡が含まれています。 文面だけのupだけでははなはだ不親切になりますので、現時点で私 把握している事柄についてその都度、後註をつけて行くことにします。 【凡例】 1)体裁は、 ・1行づつ番号を付し、 ・ 可能な限りの直訳、 ・ 話のまとまり毎にupする この3点を重点に置くことにします。 また、・ヒッタイト語は半角英数で、例)kat-ta-an ・ シュメール語は全角英数大文字で、例)KUR ・ アッカド語は全角英数大文字を””で括る。例)”A-BU-YA” 2)限定詞 限定詞とは、「名詞が意味的にどういう種類のグループに属するかを示すための符号である。単に符号としてのみ用いられたと考えられ、実際には発音されなかった。」とのことです。 例えば、 D 「神」を示す。シュメール語でDINGIRと読む。(D.I-na-ra-ash「イナラ(神)」 m 男の名前を示す。(m.A-ni-it-ta-ash,m.Mur-shi-li-ish LU’ 性別が男であることを示す。luの音価を持つ字は他にも幾つかあるのでそれらと区別するため ’ を付けた。(LU’.we-esh-ta-ra-ash「羊飼い」、LU’.ShU.GI「(男の)老人」 SAL 性別が女であることを示す。(SAL.an-ni-in-ni-ya-mi-ish「従姉妹」、SAL.ShU.GI「(女の)老人」 URU 町の名前を示す。(URU.Ha-ak-pish URU.Sha-mu-ha ・限定される名詞の後に置かれるもの KI 場所の名前を示す。(URU.Hal-pa.KI MESh 人や神を表す名詞に対して、それが複数である事を示す。(DINGIR.MESh「神々」 なお、それぞれの文頭に配された題名は分かり易くするため私が付けたものです。
135 :
123@アンクエスエンアメン王妃の手紙 :02/09/03 02:18
vol.1【ヒッタイトによるアムカ国の攻略】 1. そして私の父(スッピルリウマ1世)がカルガミシュ国へ下って 2. いた時、ルパッキ及びテスプ・ツァルマとを共に 3. アムカ国へ前へ送った。そして(彼らは)行った。 4. アムカ国を(彼らは)襲撃して、捕虜を牛、羊の後ろに(して)私の父の前に 5. (彼らは)運んだ。エジプト国の人々は、アムカ国 6. 襲撃のことを聞くや、そして彼らは恐れる。 註 1.・「私の父」"A-BU-YA"。ムルスィリ2世の父、スッピルリウマ1世のこと。 原文ではアッカド語で記述されている。"A-BU(父)-YA(私の)"を ヒッタイト語でatta(父)-mish(私の)と「訓読」していたらしい。 ・「カルガミシュ国」KUR URU Kar-ga-mish-ish。KURはシュメール語で 「山、くに」の意味。旧訳聖書に出てくるカルケミシュのこと。ヒッタイト帝国の副都的存在。 -shが単数主格語尾なのだが、カルガミシKargamishi-という事であろうか? 2.・「テスプ・ツァルマとを共に」m.D.U-za-al-ma-an-na。聞いた話によれば、 メソポタミアの神々はそれぞれ番号を持っていたらしく、時として神名を記す場合 その番号で表される事があったらしい。D.Uは属性が「雷神」だそうで、 これはヒッタイトの神統ではテスプ神に相当した。よってm.D.U-za-al-ma-で「 テスプ・ツァルマ」と読まれる。-nは1人称対格語尾「〜を」の意味、 語末の-aは「〜も(...too.)」の意味。
136 :
123@アンクエスエンアメン王妃の手紙 :02/09/03 02:21
3.・「前へ送った。そして(彼らは)行った。」 pa-ra-a na-ish-ta nu pa-a-ir。「前へ(pa-ra-a)送った(na-ish-ta)」は 「派遣した」と言う意味であろう。「送った(na-ish-ta)」は3人称単数過去形なので 「送った」のはスッピルリウマ1世、「行った(pa-a-ir)」は3人称複数過去形なので、 ルパッキとテスプ・ツァルマ両人(とその軍勢)のことであろう。 5.・「エジプト国」URU.Mi-iz-ra-。“ミツラ”と発音していたと思われる。 旧約聖書でもエジプトのことを“ミツライム”、アラビア語では現在でも “ミスル”と呼んでいる。 6.・「聞く」ish-ta-ma-ash-sha-an-zi /「恐れる」na-ah-sha-ri-ya-an-zi。 共に語尾に持つ-anziは3人称複数現在形であることを表している。 どのような文法的な理由で現在形に作っているかは不詳。 取り敢えず、このような形式に致しました。私もさほどヒッタイトや 古代メソポタミアの諸問題について見知っている訳ではありませんが、 可能な限りカキコ致したいと思っております。記載内容に関して誤りなど ありましたら、その都度ご指摘願いたく思います。 またご不明な点等ございましたら、カキコくださいませ。m(_ _)m
137 :
トトメスV世 :02/09/03 02:47
>>134-136 有難う御座います。わざわざ注釈まで付けて頂いたんですね。
続きも楽しみにさせて頂きます。
138 :
123@アンクエスエンアメン王妃の手紙 :02/09/06 00:41
#やはりya-はiとaを繋げた文字なので、ia-の表記は改めました。 vol.2【エジプト国王の死とエジプト“女王”が使者を送ったこと】 7.そして彼らにはピプフルリヤという彼らの主人が(いるが) 8.さらに(彼が)死んで、そしてダハムンツというエジプト女王が 9.いた。そして私の父へ使者を送った。 註 7.・「ピプフルリヤという彼らの主人」EN-"ShU-NU" ku-it m.Pi-ip-hu-ru-ri-ia-ash。 これを恐らく誤記で、正しくはニプフルリヤm.Ni-ip-hu-ru-ri-ia-であろう。 これはトゥトアンクアメン王の即位名ネブ・ケペル・ラアNb-hpr-r`の転写と考えられている。 8.・「ダハムンツというエジプト女王」SAL.LUGAL URU.Mi-iz-ra ku-ish SAL.Da-ha-mu-un-zu-ush(?)。 SAL.LUGALは直訳すると“女王”という事になるが、意味するところはGEME LUGAL“『王の妻』=王妃”と同じと見る。 SAL.Da-ha-mu-un-zu-が誰の名前かは同定できていない。後に続く文脈から考えれば、 トゥトアンクアメン王の王妃アンクエスエンアメンとの説が最も有力である。 しかし一部では、まだ存命中の彼女の母ネフェルイティ王妃がこの書簡を出したのでは、 とする説もあるとのこと。
これって、ヒッタイト語から訳してんの?しゅごいでしゅねー。
140 :
トトメスV世 :02/09/06 01:39
いよいよ問題の部分に入ってきましたね? 後、ダハムンツについてですが、これはエジプト語で「王の妻」を意味する「タ・ヘメト・ネスト」の音訳ではないかと言われていますね。
>>137 訳文だけのうpでも良い気がしたのですが、人名や文章中の「おかしな」
点について考えると、やはりそのまま掲載という訳にはいかないだろう
と思いまして、註釈も付けてみることにしました。
ただ、このまま全て主要部を全て掲載するのは後2,3週間は掛かりそうです。(苦笑
>>139 一応、碑文の写しやそれをローマ字に落とした物を使って訳を付けています。
大学の演習で使った物ですが、日本語のスクリプトでは西アジア系の翻字した物とかは
表記しきれないので悪戦苦闘しています。
ナイサスライターがそのまま使えれば全く問題ないのですが・・・。
>>140 おぉ、それは私にとって新知見です!どうもありがとうございます。
>>141 大学の演習でこんなものを読んだりしゅるんでしゅか。
しゅごいでしゅね。
日本にもヒッタイト語を教えているしぇんせいがいるんでしゅね。
しぇんしぇいのお名前は何と言うのでしゅか?
144 :
トトメスV世 :02/09/20 05:22
続きを期待してageです。
>>144 申し訳ありません! 最近時間がなくて・・・。
続きはもう少しお待ちくださいませ。m(_ _)m
少女まんが「王家の紋章」に出てくるヒッタイトのイズミル王子ステキ!
147 :
世界@名無史さん :02/09/30 00:31
ヒッタイト人って今の何人になるんですか?
148 :
世界@名無史さん :02/09/30 01:42
少女漫画 天は赤い河のほとりのヒッタイト皇子 カイル皇子かっこいい!
>>148 ラムセスとの全裸決闘シーンに特に萌え(w
150 :
世界@名無史さん :02/09/30 06:33
151 :
世界@名無史さん :02/09/30 19:21
トルコ人?
152 :
世界@名無史さん :02/09/30 21:53
ヒッタイトって文明が発展してたのに、突然消滅した理由って何ですか?
153 :
世界@名無史さん :02/09/30 22:39
海の民に滅ぼされたとも、帝国全土を襲った疫病のためとも言われているが、確かな事は分かっていない。遺跡からは火災の後が見つかり、都はおそらく業火の中に消えたのであろう。
154 :
世界@名無史さん :02/09/30 22:55
ミケーネ時代のギリシャ人と交流がありそうだけど、互いの存在を 全く知らなかったんだろうか?
>>トトメスV世さま以下、皆さま、 長らくお待たせ致しました。 これから「アンクエスエンアメン王妃の手紙」の続きをうp致します。 あまり良好な時間帯ではありませんが、かなり長くなってしまいましたので、 どうかその旨ご承知くださいますように。m(_ _)m
157 :
123@アンクエスエンアメン王妃の手紙 :02/10/04 18:37
Vol.3【エジプト女王の手紙1】 10.そして彼にこのように書いた。「私にとっての男が死んだ。 11-12.私には私の息子がいないが、あなたにはたくさんのあなたの息子たちが (いると)言っている。もし、私に 13.貴方の息子の1人を与えるなら、私にとって彼は私の夫になるだろう。 註 10. ・「書いた」"ISh-PUR" アッカド語。3人称単数男性の完了形。 アマルナ書簡に代表されるように、メソポタミアの伝統では手紙のやりとりは それぞれの書記が当事者間を媒介する形が採られた。書簡ではよく「どこそこ の誰々に言え。某々は〜」と言う文句で始まるが、これは差出人の文言を書記 が口述筆記し、その手紙を宛先人の書記が朗読して伝えていたためである。 差出人が女性であるのに、「書いた」が男性形になっているのは、このことが 反映されていると思われる。
158 :
123@アンクエスエンアメン王妃の手紙 :02/10/04 18:40
・「私にとっての男が死んだ」LU'-ash-wa-mu-kan' BA.BAD LU'は前節の通りシュメール語で「男」を意味するがここでは 「夫」の意味である。-ashは3人称単数主格の前節的な人称代名詞で、 「彼(女)/それは」。-waは引用を示す小辞で、母音のある単語に 前接すると-warの形になる。-muは1人称単数「私は」の与格・対格の 前節的な人称代名詞で「私に(は)」の意。kanユは余り意味のない 文小辞(筆者には詳細不明)。BA.BADは「死んだ」の意味。 11-12. ・「.私には私の息子がいないが」DUMU-メIAモ-ma-wa-mu NU GALユ DUMUは「息子」の意味。maは小辞で「しかし/そして」など。メIAモは「あなたの」の意。-wa、-muは註10をそれぞれ参照されたし。NU GALユは「〜がいない/ない」の意味。Hittではnatta eshzi。
159 :
世界@名無史さん :02/10/04 18:44
訂正 >DUMU-"IA"-ma-wa-mu NU GAL` >"IA"は「私の」の意。 >NU GAL`は「〜がいない/ない」の意
160 :
123@アンクエスエンアメン王妃の手紙 :02/10/04 18:48
・「あなたにはたくさんのあなたの息子たちが(いると)言っている」 tu-uk-ma-wa DUMU.MESh-"KA" me-eg-ga-ush me-mi-ish-kan'-zi tukは人称代名詞で2人称単数zik「あなたは」の対格形、または与・位格形で ここでは与・位格形「あなたに」。DUMU.MESh-"KA"は、"KA"が「あなたの」の 意味なので、全体で「あなたの息子たち」の意。me-eg-ga-ushは「多い」mekki-の 複数対格「たくさんの」の意。me-mi-ish-kan'-ziは 「(何度も)言う」memisk-の現在形3人称複数、「あなたは言っている」の意。
161 :
123@アンクエスエンアメン王妃の手紙 :02/10/04 18:49
・「もし、私に」ma-a-an wa mu ma-a-anは「〜のとき、もし〜ならば」の意。 -wa、-muは註10をそれぞれ参照されたし。
162 :
123@アンクエスエンアメン王妃の手紙 :02/10/04 18:55
13.・「あなたの息子の1人を与える」1-an DUMU-"KA" pa-ish-ti 1は楔が一本立っているだけで、楔形文字の数詞の「1」を表している。 -anは人称代名詞の3人称前接形の共通性の対格、「〜を」。pa-ish-tiは「与える」の3人称単数現在形。 ・「私にとって彼は私の夫になるだろう」ma-an-wa-ra-ash-mu LU`"MU-TI-IA" ki-sha-ri manは可能性、非現実を表す小辞。warは引用を表す小辞で、註10.を参照。 -ash、-muも註10.を参照。LU`"MU-TI-IA"はLU`"MU-TI"が「夫」の意味で、全体で「私の夫」の意。 ki-sha-riは中・受動態「〜になる」kish-の3人称単数現在形で、「彼は〜になる」。
163 :
123@アンクエスエンアメン王妃の手紙 :02/10/04 18:57
Vol.4【エジプト女王の手紙2】 14.されど私の奴隷を決して前に私は取らない。 15.そして彼自身を私の夫に私がする(ことのよる)烙印を私は恐れる。」
164 :
123@アンクエスエンアメン王妃の手紙 :02/10/04 19:00
註 14.・「されど私の奴隷を」IR`-"IA"- ma-wa IR`は「奴隷」の意味なので、 IR`-"IA"で「私の奴隷」の意。-maは小辞で「しかし/そして」など。 ・「決して前に私は取らない」nu-u-wa-a-an pa-ra-a da-ah-hi nu-u-wa-a-anは「決して〜しない」の意。pa-ra-aは「前へ」の意。 da-ah-hiは「取る」の1人称単数現在形、「私は取る」の意。 「前へ取る」とはどういう意味かは判然としないが、前後の文面から考えれば、 「私の奴隷」を夫にすることは主従を逆転することになるので、そのことを言っ ているのだろうか?
165 :
123@アンクエスエンアメン王妃の手紙 :02/10/04 19:05
15.・「そして私は彼自身を」nu-wa-ra-an-za-kan' nu + war + an + za + kan'。 -anは3人称対格「彼を」。-zaは再帰を表す小辞で「〜自身」。 ・「私の夫に私がする」LU'"MU-TI-IA" i-ia-mi i-ia-miは能動態「する、行う」iya-の1人称単数の現在形、「私は〜する」の意。
166 :
123@アンクエスエンアメン王妃の手紙 :02/10/04 19:08
・「烙印を私は恐れる」te-ek-ri[-wa] na-ah-mi tekri、詳細不明。「汚れ」とも考えられるが、印、特に奴隷の印で、 焼き印、刻印の類と推測される。na-ah-mi、「恐れる」の1人称単数 の現在形、「私は恐れる」の意。6.の「恐れる」na-ah-sha-ri-ya-an-ziと 同語根。恐らく「烙印を私は恐れる」とは、王妃が「私の奴隷」と結婚する ことは、自分も奴隷の焼き印を捺されて、奴隷に貶められるくらい耐え難い 屈辱であると認識していたと言うことであろう。王妃の強烈な拒絶感を示す 極めて直裁的な表現である。
取り敢えず、王妃の手紙の本文はここまでです。 この後、スッピルリウマがこの前代未聞の手紙の内容に驚愕して 参議会を召集し、事の真偽を確かめるべくエジプトに使者を派遣します。 そのあとカルケミシュ方面の征服などの記述があります。 これに続いてこの「業績録」にはエジプト王妃が再度王子の婿入りを要請する 手紙を送ってきた話が載せられています。 長々とカキコして大変申し訳ありませんでした。m(_ _)m
何かすげぇ!
【補足】 14. IR`は「奴隷、しもべ」のほかに「臣下、臣従」の意味もある。 【訂正】 13.「私の夫」LU`"MU-TI-IA"→「私の夫」LU'"MU-TI-IA" このLU'は【凡例】のLU’及び10.の「男=夫」LU'に同じ。 たびたびスミマセン・・・
170 :
トトメスV世 :02/10/05 02:17
123さん、お疲れ様でした。 原文はこう言う文面なんですね。 関連の書籍に載っている文章はかなり意訳されているものもあるようですね。 大変参考になりました、ありがとうございます。
>>170 この後のスッピルリウマ1世の言行と
王妃の婿入り催促の話はどう致しましょうか?
私も余り無理は出来ませんが、原文をネットで流す機会はまず無いので、
ご要望がありましたら続きをその内うp致しますが・・・
172 :
トトメスV世 :02/10/05 02:51
>>171 ああ…個人的には読んでみたいですが…これ以上お手数を掛けるのも心苦しい気がします(汗)
>>172 解りました。それでは極力sage進行で、
気が向いたら(=時間がとれたら)原文をうp。
ということで。(^^)
174 :
世界@名無史さん :02/10/21 20:09
age
175 :
世界@名無史さん :02/10/28 15:12
面白いです 我もUPされたら続き読みます age
176 :
世界@名無史さん :02/10/28 15:15
ヒッタイト うーんなにか強そうな部族だぜ。
178 :
世界@名無史さん :02/11/11 11:33
age
179 :
ウルトラの父 :02/11/18 11:50
>>176 それは、ヒッポリト星人とタイラントを足して2で割ったような名前だから、そう思うだけだ。
180 :
世界@名無史さん :02/11/18 12:15
>>176 アッシリアとタメ張れそうな響きだよな。
181 :
世界@名無史さん :02/11/18 12:17
182 :
世界@名無史さん :02/11/18 14:30
首都はボガズキョイだ。 うーん。名前がいいぜ。
183 :
世界@名無史さん :02/11/19 04:38
日本人はトルコ人に似てるって言われるけど、 日本人の祖先はヒッタイト人なのかな?
184 :
世界@名無史さん :02/11/19 11:14
フィニキア人とヒッタイト人って関係あるんですか?
185 :
世界@名無史さん :02/11/19 15:34
186 :
世界@名無史さん :02/11/19 23:42
みなしご?
187 :
世界@名無史さん :02/11/21 03:27
一気に厨房臭くなったな。
188 :
世界@名無史さん :02/11/21 06:42
鉄器を持っていてもスキタイと思われる騎馬兵の攻撃には歯がたたなかったらしい。 度々、この地域は騎馬勢力に制圧されている。やはり自走機関の出現まで、 陸上戦においては最強の兵器は騎馬だったと思う。
ヴァレリアってヒッタイトに滅ぼされたのか。
マズい(汗) 二ヶ月たってしまう!なんとかせねば!(焦汗)
192 :
世界@名無史さん :02/11/26 20:30
193 :
世界@名無史さん :02/11/26 20:32
>>183 アナーキスト活動家として有名だった石川三四郎の説だね>日本ヒッタイト同祖説
同祖説っつーか、ヒッタイトが日本にきて日本になったって説。
194 :
山野野衾 ◆W7NDQJtGoM :02/11/26 21:23
ヒッタイトとトルコ(民族)は関係無いでしょう・・・それならヒッタイト 東遷→エトルリア説のほうがまだましだ。
>
>>194 氏の蛇足。
>>182 “ボアズキョイ”という名前自体はトルコ語。
ヒッタイト語では“ハットゥサ”と呼ばれていたようです。
196 :
世界@名無史さん :02/11/30 06:28
>>193 なるほど、我々はヒッタイト人の末裔だったのね。
197 :
世界@名無史さん :02/12/04 09:39
ヒッタイトの子孫は今のアルメニア人。 ということは日本人とアルメニア人は兄弟?
198 :
世界@名無史さん :02/12/04 13:01
>>197 ヒッタイト語とアルメニア語が系統的に近いなんて聞いたことないぞ。
ヒッタイト王国内に占めるヒッタイト人の割合なんて少なかったんだろうから滅亡後は他の民族に吸収されたんじゃないの??
はぁ・・・? 言語系統のことなんかひとこともいってないけどね・・・・?
>>199 人種的に近いかどうかなんて、さらにわからんだろうが…。
201 :
世界@名無史さん :02/12/05 00:38
>>200 一体全体あなたはさっきから何をいってんの???
人種の話なんて言語の話以上にまったくひとこともいってないわけだが。
>>200 まったく、我々は妄想のお話をしているのであって言語系統だの人種だのの
お話をしているわけではないのだ!
だが、もしかしたらどこぞの(分かりやすく政治的な)イデオロギーの話なのかもしれない。
203 :
197=199=201 :02/12/08 13:43
やれやれ・・・ アルメニア人はヒッタイト(聖書にでてくるヘテ人)の子孫 というのは、俗説だがアルメニア国内や中東地域で 大昔から一般に信じられてる。 もちろん俗説なので真相はたぶん関係ないんだろうが、 電波説とか妄想というのは違うと思うぞ。
204 :
世界@名無史さん :02/12/08 13:45
アルメニア人はミタンニ王国(フルリ人)の子孫じゃないの?
アルメニア人はウラルトゥの子孫じゃなかったっけ? ヒッタイトから話がずれてきたのでsage
206 :
世界@名無史さん :02/12/08 17:50
>>203 お前が最初からそう書かないから荒れるんだろうが!ヴォケ!
207 :
世界@名無史さん :02/12/08 20:05
>>203 聖書のヘテ人はともかく、ヒッタイトって19世紀になるまで
忘れらてたんじゃないの?大昔っていつの話?
208 :
名無しさん :02/12/10 10:48
三鷹の中近東文化センターではヒッタイト語のコースがあるらしいです。 だ、誰が習いに行くのだ・・・・マニアック。
209 :
世界@名無史さん :02/12/15 15:11
いろんな珍説奇説(?)を総合すると、
ヒッタイトが滅亡した時、彼らは東隣のウラルトゥ地方に逃げた。そこから
1)カスピ海をわたってさらに東に逃げた連中と
2)カフカス山地をこえて北に逃げた連中と、
3)ウラルトゥに残留した連中とがいたということになる。
1)は中央アジア〜東トルキスタンの遊牧民「月氏」となった。
ヒッタイト=ハッティ=月氏=カチ
月氏はさらに日本列島にきて、日本人になった。日本人=「カチ族」。
日本神話はヒッタイトの神話の変形で、
古事記に「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命」とある
「勝(カチ)」はヒッタイトのこと。
(以上、
>>193 の石川三四郎のトンデモ説の中のごく一部)
古事記はヒッタイト語で読める。昔、徳間書店かどっかから
古事記上巻全文ヒッタイト語として訳した本がでてた。
(ただし著者は石川三四郎とは無関係の別人。)
2)は北極海に達してトゥーレ王国を建国。トゥーレは後に南下して
南シベリアにあらわれ「丁霊」とよばれる。トルコ系諸族の元祖。
3)は今のアルメニア人。アルメニア人というのは
ギリシア人やペルシア人から呼称が欧米やアラブに伝わったもので、
みずからは「ハイ」と自称、国土は「ハヤスタン」という。
国民的英雄の名前からとったという説もあるが
民間では聖書にでてくる「ヘテ人」の子孫だからという俗説が有名。
ちょっと調べてみたらハイクはアルメニアの国民的英雄なんぞ ではないようだな。旧約聖書に登場する人物だった。 モーゼの三人の息子セム、ハム、ヤペテのうち、ヤペテの子孫。 モーゼ───ヤペテ───ゴメル───テラス(ここまでは聖書にあるが この先は民間伝承?)───トルゴム───ハイク >ハイクは,巨人で,見目うるわしく,勇敢で,バビロンの暴君ベル(ニムルード)に >服従するのを拒んだ。ハイクは,息子,娘,孫および従者たちとともにアララトの地 >に来たり,そこに住んだ。その後,紀元前2493年にヴァン湖近辺での闘いでベルを >射殺し,バビロン軍を打ち破った。かれらの土地はハイク(ハイクの家系,ハイたち >の土地)と呼ばれた。これが,アルメニア人の起源とその呼称“ハイ”についての伝承。 ・・・だそうだ・・・・。 “ハイ”の起源については諸説があるけど ヒッタイト説は民間の俗説でもなんでもなくてれっきとした学説のようだな。 1)ヒッタイト説。ヒッタイト語の名前ハッティ Hattiからきている。 インド・ヨーロッパ語の Paterがアルメニア語ではハイール Hayrとなる例のように, 2つの母音にはさまれた t が消失した結果,ヒッタイト語の名前ハッティ Hattiから ハイ Haiが生じた。 2)古代の王国「ハイアサ・アッズィ」からきているという説。 (ヒッタイトの粘土板に楔形文字で「ハイアサ」がでてくる。 「ハイアサ」国は,都市国家のような群小王国の連合体で、 ヒッタイトの東隣りに,アルメニア高地北西部のクマハ,エルズィンジャン辺りから 東はエルズルムに至る,ビウラクン(一万の泉水の意,現ビンギョル)山脈を 包みこんだユーフラテス川源流域にあった) この説によれば“ハイ”の起源はヒッタイトではなくその隣の国。 3)ウラルトゥ王国の最高神の名ハルディ Khaldiからきたという説。
211 :
世界@名無史さん :02/12/16 04:55
アルメニアといえば ケフィアで有名な世界一の長寿国。 で、その上、世界一の美女の宝庫。 いってみてーなー。
ところで、海の民って結局謎の民族なわけ? たびたびでてくるけど何者?
_, ._ ( ゚ Д゚)
214 :
世界@名無史さん :03/01/05 00:36
各スレの矛惑
(^^)