●●●中世の恋愛●●●

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1あの時君は生きていた
昔の人はどんな風に恋愛をしていたのでしょう。
今のようにケータイもない。お洒落な服も売っていない。
愛があればよかったんですかねぇ。

ロマンチックな中世の恋愛についてマターリ語りましょう。
2世界@名無史さん:02/01/26 16:34
アベラールとエロイーズとか、トリスタンとイゾルデとか、そんなのかな。
3世界@名無史さん:02/01/26 16:53
津川30人殺しの遠因となった夜這い婚は、やはり1氏のお気に召さないだろうな・・・
41:02/01/26 16:56
うーん。一般庶民はどうだろう、やっぱり近所の娘に恋してたのかな。
やるときは草むらかな。
5山野野衾:02/01/26 16:58
>3
大体「好色五人女」に出て来る様な「愛に燃えた女」なんて江戸時代頃の日
本人からすれば野暮な馬鹿女扱いだったそうで、お雇い外国人の生徒達もお
互いの男女観の違いの戸惑った様ですし。
くっつくのも別れるのもヤルのもあっさりしたものだった様で。
6世界@名無史さん:02/01/26 16:59
いや、ほらブリューゲルの絵画で四分節のお祭りとかあるじゃないですか?
わたしの田舎でも、いまだに夏祭り結婚あるし、ああいうお祭りで下々のものは
結びつくんじゃないですか?

ワルプルギスの夜とかになると、オルギア(性的饗宴)になっちゃってアレだけど、
祭りは豊穣を祝うもので、基本的に性的なものでは?
7世界@名無史さん:02/01/26 17:02
>>5
今の恋愛観はどちらかというと武士階級のそれだな、系譜としては。
8世界@名無史さん:02/01/26 17:02
>5
ですねえ。井原西鶴でしたっけ?好色ものは。
いや、いま「中世の秋」ひっぱりだして読んでいるのですが、
「1穴1根主義」の根源たる西欧の「愛の起源」あたり、うーん、俗物たる私にはよくわからんです・・・。
9山野野衾:02/01/26 17:11
>6
直接やるのは別としても(多分そういうのもいたでしょうが)確かに各地か
ら人々が集う祭りは戦前まで男女の出会いの機会を提供してくれたそうです。
10キロ、20キロ先から歩きや自転車で集結したとか。
この機会に人柱をとったなんて話もありますけどね。
10山野野衾:02/01/26 20:42
あ、それとヨーロッパの例ですが、メイ・イブと言われた4月30日には春祭りが
行われ、夜に踊りの輪から抜け出して森へ行った少年・少女は童貞と処女を失って
帰って来たそうです。
また我が国の「若者宿」の様なものもあった様ですが、領主や教会が禁止していった
様ですね。
11世界@名無史さん:02/01/26 22:11
おお。さすが調査がはやい。わたしもサバトの歴史など書棚を漁ってましたが、
ますます>1氏のスレ設立趣意からはずれそうですね(笑)
ちなみに不勉強ですいませんが、「若者宿」というのはどういうものでしょうか?
男色専門少年とか?

ドイツ中世などいにおいては娼婦は、女性の生きるタツキであり、市や貴族の知行としての
娼館、はたまた司教座経営の娼館などあったようです。税収と女性貧者救済事業の側面もあったようで・・・。
12山野野衾:02/01/26 23:32
>11
違います(藁。庶民の男女交際の場ですね。夜這いという方法もありましたが、こち
らも戦前までは各地で利用されたそうです。
当然ローカルルールがあり、沖縄では浜辺で行うとか広島県倉橋島では三味線の弾け
ない男は除け者とかいったものがあったそうです。
13 :02/02/04 01:07
映画ジャンヌダルク見たけど、フランス女性の衣装って萌えるね。
お人形さんみたいだ。
14世界@名無史さん:02/02/04 01:16
>>7
武家はお堅いよ。江戸時代の町人の男どもから見たら、お堅い武家娘は高嶺の花だった。
風紀乱れまくりの衆庶の女にとっては憎々しい限りだっただろうな。
15世界@名無史さん:02/02/04 01:17
確かにカワイイ。
動きにくそうだけど
16世界@名無史さん:02/02/04 01:55
若者宿って若衆宿とか言われている、村落共同体の青年寄宿舎みたいな
ところでしょ?
親元から離れて共同生活、面倒は先輩が見ながらしきたりや祭りの作法、
仕事の仕方なんかを学ぶ場。男女交際の場では無いと思う。
夜這いの手ほどきはしてくれたと思うけど。

地域によっては武士階級でも若衆宿があって、そこでは男色が頻繁におこ
なわれていたそうだ。
17山野野衾:02/02/04 09:44
>16
少々誤解を招く書き方をしてしまった様で・・。
ちなみに出典は宮本常一先生や沖縄関係の本です。
18世界@名無史さん:02/02/24 14:45
純愛板逝け!

…とかね(w
19世界@名無史さん:02/03/13 11:35
あげ  
20アマノウヅメ:02/03/13 12:28
中世よりは後ですが・・・
『ハムレット』の中で狂ったオフェ―リアが
「今日はヴァレンチヌス様の日、おしゃれしてあの人のところに行きましょう
行きはよいよい、帰りには娘はただでは戻れない」
とか歌うところがあるのが、私の知ってる範囲ではバレンタインデー(かな?)の初出です。

もっと古いのどなたかご存知ないですか?
どうもキリスト教起源とはおもえない。
21世界@名無史さん:02/03/13 15:00
>20
モンタネリの「ローマの歴史」の中に、
祭日として「親霊祭」と書いて「バレンタリ」と読ませるのが出てきたと思う。
「これって、まさか……」とは思ったけど、
モンタネリが何をソースに書いてたか分からんのでそれ以上は分かりません。
22世界@名無史さん:02/03/13 20:53
>>20
ローマでは毎年2月15日にルペルクスという祭りがあって、
その日には恋人選びのくじ引きが行われていました。
恋人がほしい十代の娘達が、自分の名前を書いた紙を箱の中に入れ、
それを男たちが引くのです。
こうして毎年多くのカップルが生まれました。
後にキリスト教会はルペルクス祭を禁止し、かわりに前日の14日を
聖バレンタインの日と定めたのです。
23世界@名無史さん
トゥルバドゥールやミンネゼンガーのうたう愛の世界って、貴族だけで
庶民には関係なかったのかな。
最古のトゥルバドゥールはアキテーヌ公ギヨームだけど。