864 :
世界@名無史さん:
周藤芳幸さんの『物語古代ギリシア人の歴史』(光文社新書)を読んだのですが。
第1章「ナイルを溯ったギリシア人」の内に、「エチオピア人の奇襲に苦しむ」って節がありまして。
この節の冒頭に、B.C.7〜6世紀頃、プサンメティコスの外人部隊に加わった架空のロドス人の語りとして次のようなくだりがあります。
>私たちが目指したエチオピアは、エジプトの南に広がっている豊かな土地です。
ようするに、ヌビア地方のギリシア語呼称が「エチオピア」だった、と思ってよいでしょうか?
仮にそうだとしたら、この用法はギリシア語側では、いつ頃まで続いたものでしょうか?
プトレマイオス朝でも続いてた??
周藤芳幸,『物語古代ギリシア人の歴史』(光文社新書),光文社,2004.
>>864 たぶん、質問スレに書いた方がいいと思う
いろんな人がいるからね
867 :
世界@名無史さん:04/09/07 00:57
ヒクソスって結局まだ何者か分かっていないの?
アヴァリスの発掘調査でヒクソス王朝の実態はかなりわかってきているのでは。
とはいえ肝心の出自はようわからんらしい。現在の國や民族を当てはめるのは
そもそも無理だと思うが。
近藤二郎『エジプト考古学』トランスアート 第7章とか
>>865 せっかくレスをつけてもらったんで、もう少しこのスレでやってみたいんですが。
>>866さんが貼ってくれたリンク先だと、
今のエチオピアの語源はラテン語で、その前にはギリシア語もあったけど、
それは単に「顔が日焼けした〔人の国〕」でしかない、って示唆されてるんだと思います。
アビシニアとエチオピアは語源が異なるってことが主眼の文章だろうから、
古代語のエチオピアが指した範囲についてはよくわかんなくって。
ちょっと質問のアプローチ変えてみようと思います。
えーと。例えばギリシア神話でゴルゴンの首を採ってきたペルセウスが
海の怪物から救ったアンドロメダはエチオピアの王女ってことになってるんですが。
この古代ギリシア人がイメージしてた「エチオピア」はヌビアのことだったのでしょうか?
それとも、ヌビアのまだ先、ってイメージだったのでしょうか??
すまん、別スレでやってくれ…
(=゚ω゚)ノぃょぅ
>>870 >せっかくレスをつけてもらったんで、もう少しこのスレでやってみたいんですが。
このスレでやるなって意味じゃなくて、このスレは人が少ないし、質問スレで質問した方が
いろいろな人がいて詳しいレスも多く付くから、お勧めって意味で言ったんだけど(´・ω・`)
このスレでやりたいなら、それはそれでいいけど、たぶんあんまり人来ないよ
ちなみに
>>871は俺じゃないからね
つーか、よく見たら
>>870が言ってることはスレ違いじゃねーかよ (゚Д゚;)
オカルト板から来たんだけど、ここも結構オカルター多いんだね。
ちょっと萎え。
でも超古代文明とか言い出すよりは、黒人説のがマシか。
アンドロメダ黒人説は昔からあります。
クシェ王国、メロエ王国はヌビア人ですが、B.C.120〜A.C.570の
アクスム王国(エチオピア)はセム系です。歴史的に変遷があります。
地域と人種を機械的に結びつけない方が良いですね。
古代ギリシアとエジプトの関係は『黒いアテナ』とか立ち読みする
と良いでしょう。
↑『黒いアテナ』鵜呑みにしちゃ生けませんよ。
アフリカセントリズムの立場からこういう説もあるってことです。
878 :
=864:04/09/10 19:45:18