マルタ騎士団員になれますか?

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1世界@名無史さん
マルタ騎士団に入りたいんですけど
どうしたらいいかしっている人いますか?
また既に団員の人がおられたら教えてください。

http://www.smominfo.org/

あと、ほかもスレッドでみたんだけど、
芸能人のデヴィ夫人のHP
に「マルタ勲爵士団」から
「レディ」の称号を得たって書いてました。
彼女もマルタ騎士団なんでしょうか?

http://www.dewisukarno.co.jp/devi/prof/index.html
2世界@名無史さん:02/01/15 12:18

  〜  /⌒ヽ、    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 〜ヽ(;; ^ー^)ノ <2げっと
  〜 ノリリ从ルヽ   \________
3 :02/01/15 12:33
田舎で野武士でもやってろ、バカ!
4世界@名無史さん:02/01/15 12:35
>>1
FAQくらい読みましょう
>One can become a member only by invitation.
とのことだから、自薦ではだめなようです。
ボランティア(?)は随時受け付けているようです。
各国の管区長に接触すること。ただし日本には支部はないようです。

フィリッピンあたりの支部に相当額寄付すれば推薦してもらえるのでは
ないだろうか?
5世界@名無史さん:02/01/15 13:15
ファQ〜!!!
6雷怒:02/01/15 13:46
>>1
で、入団してなにやるの?
また十字軍組織してエルサレムに攻め入るとか?
7世界@名無史さん:02/01/15 15:00
いや、なんか「騎士です」とか
「Sir〜」とか名乗ったら
格好いいかなと思って・・
ただそんだけ。
8世界@名無史さん:02/01/15 15:38
武士でじゅうぶん
袴とちょんまげ姿で街を練り歩けば注目されるぞ
9世界@名無史さん:02/01/15 16:12
>>7
そうそう、そんなになりたきゃ、ここにいけ

http://www.kcc.zaq.ne.jp/dfahy603
10世界@名無史さん:02/01/15 16:22
>>8
それだったら、骨法のホリベェに弟子入りするのがいいだろうね。
11雷怒:02/01/15 16:40
>>7
「Sir」って呼ばれたいだけなら、インドや湾岸の中級ホテル
に泊まれば、ベルボーイからルームサービスまで、
顔を合わせるたんびに「Sir」、「Sir」呼ばわりしてくれるぞ。
まあ、でもこれじゃあ自分で名刺に「Sir〜」って印刷する訳には
いかんけどね。
>>9の紹介しているようなとこはやめとけ、
体よく大金と引き換えに爵位をばら撒いているような
貧乏貴族の墓場だよ、ありゃ。
12世界@名無史さん:02/01/15 16:49
>>9

http://www.kcc.zaq.ne.jp/dfahy603/photo.html

バロン・オカベって誰やねん
ここでもデヴィ婦人でてきてるね。
13世界@名無史さん:02/01/15 16:50
>>12
ビザンチン皇室ってなんやねん
14世界@名無史さん:02/01/15 16:54
>>12
バロン薩摩なら知ってるけど・・・

>>11
金払ってなれるならなって見たいような気が(藁)
でもなんらかの義務があるんならイヤだね。
エルサレム巡礼とか・・・
15世界@名無史さん:02/01/15 17:02
>>14

いや、HP見てみると慈善事業への募金総額が6万円程度のようだ。
さらにバロン・オカベ本人が10万円寄付している。
4、5万払えば騎士になれるのではないか?
16世界@名無史さん:02/01/15 17:38
>>15
いまボクも見てみたけど
バロンオカベが寄付してるのは
騎士団にだけじゃなくて、ベトナムの
どっかの県にしてる
募金自体はユニセフや難民を救う会に
しているようだし、
騎士団自体には募金はとくに
入ってないんじゃない?

それにしてもHPの

http://www.kcc.zaq.ne.jp/dfahy603/news2.html

の「10月part1」てとこにあるように
入団式を結婚式でやられたら
まあ盛り上がるかもしれんが
ちょっとかなわんわな。
すくなくともボクに嫁さんは怒るような気が。
と、このHPにいまはまってるボクも
イカレてるか(藁)
1714:02/01/15 17:53
でも楽しいよね
バロン・オカベの素性を徹底的に洗ってみようかな

#別に馬鹿にするんではなく
#騎士道とか貴族って
#結局こういうことなんだなぁ。っと思った
1814:02/01/15 17:55
>>16
「10月part1」
いわゆる「結婚式」って
実はこういうことなんだなぁ
とも 思った
19世界@名無史さん:02/01/15 18:13
オレもHP見た。
まあ、こういうのもありかもしれないな。
誰に迷惑かけるわけでもなし・・
2ちゃんねらーには珍しいかもしれないが
好意的ではある。

たしかに爵位貰ってる連中、どうみても
デヴィ婦人以外、普通の人間だが
まあ、それなりに式典にのぞんで
神妙な顔をして、騎士らしく
振る舞おうとしてるのが
なんとも涙ぐましくて、涙ぐましてく
2014:02/01/15 18:30
それがさ、BBS見てみるとすでに去年、
2ちゃんねらーに荒らされてるみたい
かわいそうなのでそっとしておこうかなと思った

>>9はそれで知ったんだろうな
21世界@名無史さん:02/01/15 18:37
去年の春ごろ似たようなスレ立たなかったけ?
22世界@名無史さん:02/01/15 18:51
別に悪さしたわけでもないのにな。
2ちゃんねらーはこれだから行儀が悪いって言われるんだな。
個人的には静かに観察したい団体だ。
>>21
そうだったっけか。
23世界@名無史さん:02/01/15 18:53
>>20
でも見事に荒らしを無視してるね。
24世界@名無史さん:02/01/15 19:13
>>1の「マルタ騎士団」も>>9と大差ないね。
「ルイ17世協会」も同レベル。

これが 「ウィンザー」とか「ハプスブルグ」とか「ロマノフ」になると
峻厳な気持ちになってしまうのは何故だろう

「制服」みたいなものか?
25世界@名無史さん:02/01/15 19:43
>>21
たしか「騎士団って?」とかいうスレッドで
それは冒頭から、この
セントアンドリューオブエルサレム騎士団はどういう団体ですか
というスレッドだった。
今回はマルタ騎士団のスレッドだが
この騎士団が出てきたところみると
日本には「騎士団」を代表する団体は
ここかデヴィ某のところなんだろう。
HPみてて思うんだが
オレは個人的にはこの騎士団結構すきだが・・・

まあ、2ちゃんねらーとして捨て置けないといえば
捨て置けないが、怪しくても
「騎士」の称号もらって、まあ自信もって
生きていけるなら、まあそれもよしか・・・
ただ、公式の場面で、「〜卿」ですとか
「Sir〜」というのは、かなりアホと思われるか
褒められるか一か八かだが(藁)
26:02/01/15 20:30
念のため調べてみた
見かけより面白いかもしれない。(マルタ騎士団のほうね)

「マルタ全権騎士団の団員は現在もなお、世界各地で医療活動、救急救命活動に
従事している。とはいえ、幹部クラスの団員が慈善事業の陰に隠れて諜報活動を
行っていることはなかば公然の秘密であり、冷戦期にはヴァティカンとアメリカ
合衆国を結ぶチャンネルの役割を果たしていたようである。団員の中には
メイソンも多く、騎士団自体が一部のロッジと提携関係を結んでいる可能性も
指摘されている。プロテスタント系の聖ヨハネ騎士団も独自の救急救命活動を
行っている。ほかにも「マルタ」や「聖ヨハネ」といった形容詞を有する結社や
分派はいくつかあり、マルタ騎士団の名を語って架空の巨額融資話を持ちかけてくる
国際的な詐欺集団もあるので注意を有する」

「秘密結社の事典」 だそうです。

CIAだったか。
27:02/01/15 20:42
一方、「セントアンドリューオブエルサレム騎士団」の素性はよくわからない。

厳格戒律派の位階の一つである修正スコットランド儀礼なるものの一部に
St Andrew' s Lodge という上位ロッジがあるようだけど、関係は不明。

「秘密結社の事典」柏書房 <− この本自体ちょいと怪しげだからなあ

やはり マルタの方が面白そうだね
28世界@名無史さん:02/01/15 22:07
聖アンドレ(セント・アンドリュー)は
スコットランドの守護聖人であると同時に
東欧ロシア地域で、武人の聖人である
聖ゲオルギ(セント・ジョージ)とともに
守護聖人として崇められている。
ロシア海軍の旗は、聖アンドリュー旗を
と呼ばれ、Xの十字。
確かにこの騎士団もスコットランドや
ロシア海軍の旗とは色違いだが、
x十字のデザインの旗を採用している。

ちなみに「ルイ17世協会」って
なんですか?ウェブ等あったら教えてください。
29世界@名無史さん:02/01/16 05:27
こういうことらしいです。

4世紀のアリウス派に続いて、5世紀に、「異端派の東方諸教会
(英語ではEatern Orthodoxでなく、Oriental Orthodoxと言う)」と呼ばれる
教会が多数成立した。
---------------------
@ネストリウス派   
→現在、カルデア教会(カトリックに帰一。イラン・イラクのキリスト教徒の
大半がこれに属する) と アッシリア教会(総司教座はアメリカに移転)に
分裂 

Aヤコブ派(単性論)
→西シリア合同教会(カトリックに帰一)とシリア教会に分裂

※12世紀から(トルコ南東部のマルディンに総主教座があり、シリア教会の
総主教座は、アンティオキア=現トルコ領アンタクヤ、に復帰

Bメルキト派 → シリア・西南部に分布

Cマロン派  → レバノンに分布

Dアリウス派等のユニテリアン

※コーランの「キリストに対する理解」の仕方はこれと同じ。
-------------------------------------

 注目すべきことは、Dを除き、全てアンティオキア総主教区が震源地になっ
ていることである。第4回十字軍とAの関係は度々指摘されている。また、あ
ろうこ徒か、Aの擁護者は1453年に、悪魔メフメット2世から、クレルモ
ン公に封じられている。更に、Aはセント・アンドリュース・エルサレム騎士
団を結成を結成し、現在、その本部は、カナダのトロントに有る。現在、サン
・ミッシェル・ドゥ・クレルモン大公という称号を、1991年、アンティオ
キア正教会(ヤコブ派のシリア教会)において、「ラテン帝国の正当な皇位継承
権を持つサン・ミッシェル・ドゥ・クレルモン大公」の位を授けられ、プリン
スダグラスとして即位となっている。現在、日本にも代表部があり、関西学院
の馬術部の大学院生が、男爵の位を有している。な、なんと、彼は、大屋政子
財団と深いつながりが有る。

http://kimura2000.hypermart.net/bbslog/b00123.html

関西学院?関東学院なら知ってるが・・・・
30世界@名無史さん:02/01/16 05:30
マルタ騎士団てーと丸太運んでたあの一風変わった集団だろ?
31世界@名無史さん:02/01/16 06:38
ああ、731部隊のことだよ
32:02/01/16 11:49
>>28
Institut Louis XVII
http://www.louis-XVII.com/institut.html

例のDNA鑑定以来すたれ気味.
日本に支部はなく、支部長にしてもらえるかも。
うまくすれば領地ももらえるか?
33世界@名無史さん:02/01/16 12:35
http://www.internationalscams.com/Prince_Douglas_returns.htm

エライ読みにくいページやけど、なんか称号ビジネスというもの
があるらしいよ
34世界@名無史さん:02/01/16 12:38
誰か買ってみてよ


http://www.internationalscams.com/tristan,marquis_de_slade_de_la_normandie_maritime.htm
TEMPORAL TITLES
from The 3rd Earl of Eldritch at Antioch.
e-mail: [email protected]
Toll Free Tel|Fax: 1.800.789.9518
Noble Ranks
The Viscount and Viscount of Eldritch .... $4.488-
The Count and Countess of Eldritch.......... $3.888-
The Baron and Baroness of Eldritch......... $2.888-
The Baronetcy of Eldritch........................... $2.288-
The Knight of Eldritch................................. $2.488-
The Lord and Lady of Eldritch..................$2.288-
、、、、、
35:02/01/16 12:46
あれれ、今の今まで
Viscount < Count
だと思ってた。
Viscount=子爵 Count=男爵
じゃなかったっけ
36雷怒:02/01/16 12:59
>>35
俺は「公>侯>伯>子>男」と憶えさせられたけど。
手元の英和辞典で調べたら、Countは英国以外の伯爵
つまり英国のEarlに相当。男爵はBaron
でも、するってーと>>34のランクで何でCountの方が
Viscountよりも値段が高いんだ?
大体visって接頭辞自体、副とか代理って意味だろ?
37うんちく:02/01/16 16:55
Count=伯爵
英語圏では発音が女性器と同じになるため、Earlが好まれるようになった。

Viscount=子爵
(ちなみにヴァイコントと発音、ちなみに映画監督のルキノ・ヴィスコンティー
の爵位は公爵だったが、その先祖が11世紀頃に皇帝だか教皇に子爵に
封土されたのが、そのまま家名になってる)
ラグビーとかでは副キャプテンのことを「ヴァイス」とか云うよね

visの方が定価が高いのは引用ミスでは?(どーでもいいが)


要するに週間新潮などで学位ビジネスの広告が載ってることがあるけど
爵位ビジネスってのもあるんでしょう。
38え?:02/01/16 17:40
>ヴァイコント
ヴァイカウントだろ? などと突っ込むワタシは粘着?
そんなヒコーキがありました。そんなタバコもありました。
39棄教者 ◆witdLTi2 :02/01/17 08:10
称号持ってると、どんな利点、欠点がありますか?
特にヨーロッパに逝ったとき。
保持者の意見きぼんぬ。
40世界@名無史さん:02/01/17 21:28
実はぼくも買ったひとりです。
フランスにいったとき、高級レストランで
名乗ったら
「当レストランに、お越しいただきありがとうございます」
と改めて言われた。
ヨーロッパも厳格な貴族制(が存在したかも疑問だが)
が崩壊して、怪しい称号をひけらかす
者が多いようだが、それでも怪しくても
貴族への憧れは強いらしく。
名乗れば、それなりの待遇を受けることが
おおいです。
ただ、多分、あいては買ったあやしい称号とは
思わず、きっと日本の貴族と思ってるのかも知れない。
その証拠に「日本のエンペラーには会ったことがあるか」
と聞かれた事がある。
まいった(藁)
41世界@名無史さん:02/01/17 21:34
>>40
おお、どこで買ったか、いくらだったのか、どういう種類の称号なのか、
どういう手続きがあるのか、どういう義務?があるのか
支障がない範囲で教えてください。

こういうのって「詐欺まがい」というイメージがあるんですが、実際はどうなのか興味あります。
42世界@名無史さん:02/01/18 00:56
>37
女性器以前にEarlのほうがイングランドでは古くから使われている。
43:02/01/18 03:23
St Andrewのほうだけど、値段がわかった。

Knight ------------------- $150
Knight Commander -------- $ 225
Knight Grand Commander -- $ 300

Viscount ----------------- $ 750

Duke Marquis Count ------ $ 1500

お買い得か?
でも”バロン”は売っていないようだ。バロン・オカベはどこのバロンなのだろうか?
何故かViscountは別扱いになっている。爵位の意味、詳しい人いますか?
44 :02/01/18 07:09
見事にくだらないスレに成長してるし
45棄教者 ◆witdLTi2 :02/01/18 08:01
>>ALL
「義務」って結構恐そうな感じがする。
慈善団体に毎年多額の寄付をしてその名前の格式を維持しなければならないとか、
それなりのテーブルマナーや服装をしないとホテルから叩き出されるとか。
>>40さん、詳細きぼんぬ!!
46世界@名無史さん:02/01/18 12:46
なんだ、Ph-Dよりずっと安いじゃん
俺なんかPh-D貰うために3年間にもわたって
年間何十万もの寄付と週80時間もの無料奉仕させられたんだぞ

しかもPh-D持ってても喰えないときた

47棄教者 ◆witdLTi2 :02/01/18 14:24
>>46
週80時間って月曜日から金曜日の平均が16時間ってことだよNE?
文科系の学生みたいに研究の成果が全部指導教授の名前で発表されたら糞だけど、
>>46さんの学問的見識が広がったと思えばそれでいいことにしようYO!

>喰えない
ボクは修士課程に見切りをつけて就職しましたが何か?
48棄教者 ◆witdLTi2 :02/01/18 14:25
>>47
誤解招きそうなので訂正。
>ボクは修士課程に見切りをつけて就職しましたが何か?
修士取っても喰えそうになかったし頭が悪かったので、
修士課程はあきらめて就職することにしました。
49 :02/01/18 15:55
>>48
このご時世、就職できるだけまだ幸せもんだよ。
50世界@名無史さん:02/01/18 20:07

いっそうのこと「騎士団」に就職させて貰ったら?
51ニキータ:02/01/18 23:41
マルタ騎士団・貴族の爵位・聖アンドリュー関係の過去ログ

貴族の爵位って買えるの? (35)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/999/999907177.html
騎士団? (180)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/991/991111296.html
不撓不屈の聖ヨハネ・ホスピタル騎士団 (13)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/980/980651320.html
ヨーロッパの爵位って? (11)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/979/979310628.html
中央ヨーロッパの爵位って何? (76)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/964/964588376.html
★★マルタ騎士団国★★ (20)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/964/964538229.html
貴族の階級について (18)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/958/958105453.html
52Krt:02/01/19 21:44
貴族の位階というのは難しい。というのは国ごとに異なった経緯から生まれたものなのに、
儀礼上どうしても相互対応させる必要があるからだ。これは当然、日本の旧華族の爵位と
外国の貴族の名称を対比させるときにも生ずる困難であるが、とりあえずイギリスの場合、
Prince大公>Duke公爵>Marquis侯爵>Earl伯爵(Count外国伯爵)>Viscount子爵>Baron男爵
(Grand duke大公 等というのは外国の爵位の翻訳)という序列があり、ここまでが貴族で
この下に準貴族である、Baronet従男爵(Dame女性)>Knight(Dame女性)がくる。

注意を要するのは Princeの称号で、王家の男子が「王子」の意味でそう呼ばれるのと違って
ここでは一つの位階を意味している。ただし外国と違い英国ではこの称号は稀で、王婿か、
皇太子にしか与えられない別格の称号だと思われる。ただよく誤解されるのだが、皇太子の
正式称号が Prince of Wales なのではない。単にWales大公国滅亡後、民心を宥める為に
エドワード一世が、皇太子エドワード二世を Wales大公に叙位したことに始まる伝統がある
だけであり、たとえ皇太子であっても叙位なしに自動的にWales大公になるわけではないし、
エドワード六世の様にPrince RoyalながらWales大公への叙位無くして王となった者もいる。
ただ余人が任じられる訳でもない為、事実上皇太子の別称になっているだけで、この点は
王弟ないし次男に叙位されるDuke of Yorkと同じである。なお EarlとCountについては42が
正しく、英国最古の爵位は Baronとその上位者 Earlであり、他は後で作られたものである。

次はドイツだがここは複雑で、英仏、ましてや日本の爵位と一対一で対応させるのは難しい。
序列はKaiser皇帝>Koenig王>Erzherzog,Grossherzog,Prinz大公>Herzog公爵>Fuerst侯爵
>Graf伯爵>Freiherr男爵で、騎士はRitterである。ただPrinzは元々外来語で Herzogとの
序列関係がやや不明確だし(ただ英国の公爵はHerzog なのに対して、皇太子の別称はやはり
der Prinz von Wales となるので両者は同等ではない)、ErzherzogとGrossherzogに関しては
前者を超大公、後者を大公と訳している本もある(要するに前者はハプスブルク家なのだが)。
またGrafは、MarkGraf辺境伯、Landgraf方伯、Pfalzgraf宮中伯、Burggraf城伯、等やたらに
細かく分かれており、この中では広大な辺境 Mark 全体の支配者である辺境伯が格上である。
更に言えば、本来貴族は Fuerst中心であり、この語は広義では、Koenig未満、Graf以上の
全ての世俗貴族と、ErzBishof、Bishof、Abt等の高位聖職にある貴族の双方を意味した。
だから神聖ローマ帝国において、ErzBishof、Bishofには Fuerstbishof なる称号が与えられ
またそれゆえに、Kurfuerst選帝侯、という語には聖俗双方の貴族が含まれうるのである。
53Krt:02/01/19 21:45
次にフランス。ここはある面では英独よりすっきりしているのだが、そうでもない面もある。
一応、Prince大公>Duc公爵>Marquis侯爵>Comte伯爵>Vicomte子爵>Baron男爵で、以下、
准貴族として、Baron(n)et准男爵>chevalier騎士、と続くのだが、フランスにおいては
ナポレオン以後、多数の高位新貴族(PrinceやDuc)が増産されたため、市民階級とは異なり
貴族同士の間では新しい帝国貴族に対して旧貴族が門地の古さを誇る風潮があったからだ。
その雰囲気を最もよく表しているのが、プルーストの「失われた時を求めて」に出てくる
シャルリュス男爵の態度であろう。彼は帝国時代に作られた新興貴族を軽蔑し、「大公」を
名乗りうる称号を複数持っているのに、フランスで最も古い男爵であるシャルリュスの家名
をあえて名乗っているのである。またこの本には1890年代半ばにもなって自宅の敷地内の
商店街(!)のショーウインドゥを持ち馬が割っても平然としていたり、自分たち貴族に
monsieur le duc(marquis)と正式な呼びかけをせぬ平民に皮肉を言うゲルマント公のような
人物がでてきたりして、フランス世紀末の貴族事情(?)を知るには最高の資料でもある。

もちろんこういう家柄の古さに由来する格付けはイギリスにもあるわけで、同じ公爵家でも、
イングランド公爵>スコットランド公爵>大ブリテン公爵>アイルランド公爵>連合王国公爵
という歴史の古さに由来する序列が一応あるし、26ある公爵家(ただし二つ以上持っている
公爵家もあるので実質は21)の内でも最も古いノーフォーク公爵家は、式部長官と紋章院総裁、
さらに一時期は最高司令官をも兼ねたEarl Marshalを世襲する筆頭公爵としてやや別格である。

だが誤解してはならないのは、英国においても他の国においても貴族は財産があってこそ貴族
なのであり、財産を失い没落した家は名声をも失うが、逆に財産を作った者は、別に戦場で
手柄など立てずとも金で貴族の地位を買えたし(例えばスチュアート王朝前期における伯爵位
の相場は一万£程だったという)、ウェストミンスター公爵やスペンサー伯爵家のようにただ
「金持ちだから」という理由で高位の貴族にもなり得たのだ(海保眞夫「イギリスの大貴族」
平凡社新書)。これは大陸でも同様で、金をためた市民は爵位付きの官職や土地を買ったり
没落貴族と姻戚関係を結んだりして貴族になっていったし、十七世紀以後は貴族免許状が金で
買えるようにすらなったのである。貴族の方もその点はしたたかで、新興成金との結婚等も、
ショーヌ公爵夫人が言った様に「自分の土壌を堆肥で肥やすことは正しい」とみなしていた。
W・ゾンバルトの「恋愛と贅沢と資本主義」講談社学術文庫、によれば、フランス革命時代の
26600にのぼる貴族の内、古い家系を誇る旧家の貴族はわずか1300-400程だったそうである。
54Krt:02/01/19 21:46
次にイタリアだが、Duca公爵>Marchese侯爵>Conte伯爵>Visconte子爵>Barone男爵の順。
ここは統一が遅れたから滅びてしまった都市国家が多く、そういった場所の怪しげな爵位を
売る商売が早くから発達した。ある意味で近代の称号インフレの元凶である(笑)。
 あとスペインやロシア、東欧の貴族制度についてはよく知らないので他の人に任せよう。
ロシアの場合、一応参考になるのは中公文庫版「世界の歴史」8巻p.307に載っている1722年
にピヨートル大帝が定めた「官等表」である。この一等〜十四等官に至る官職の内、八等官
以上には世襲的貴族の称号と特権が与えられたらしい。これは軍で言うと少佐以上である。

最後に日本に関して手短に。近代の華族制度については誰かも書いていたが、とりあえず
浅見雅夫「華族誕生」中公文庫が必読だろう。あと近代以前の伝統的な朝廷その他の官職や
貴族に関しては、和田英松「官職要解」、浅井虎夫「女官通解」、石村貞吉「有識故実」
(すべて講談社学術文庫)が参考になるが、なかでも「女官通解」はシン紳家と呼ばれる
藤原氏を中心とする公家の格付けを細かく書いていることで際だっている。実力はともかく
この家格自体は基本的に近代に至るまで変わらなかったわけで、日本社会の相対的安定性
を強く感じさせる。で、これらの家格の序列を簡単に書くと、(カッコ内は家の数)
摂家(5)>精華(9)>大臣家(3)>羽林家(25+)>名家(16+)>諸大夫、となる。

ここで摂家とは摂政・関白になりうる家。精華は太政大臣ないし左大臣(家による)にまで
なりうるが摂政・関白にはなれぬ家。大臣家は大臣にまでなりうるが、精華家とは違って
近衛の大将を兼ねることが出来ない家。羽林家は武官で近衛の少、中将を経て大、中納言、
あるいは参議にまでなれる家。名家は家格は低いが、なりうる官位(極位極官)は羽林家より
むしろ高く大納言が普通で、家によっては大臣にまでなりうる家すらあった。諸大夫家は
格が低いが、極位極官は家により実にまちまちで、中には大納言になりうる家すらあった。
これらの家の格は大体以上の通りだが、厳密には摂家筆頭の近衛家以下、各家ごとの明確な
序列が決まっていた。詳しいことが知りたい人は上記の「女官通解」等に当たられたい。

さてここまででわかると思うが、基本的に西洋では「貴族の地位は金で買うもの」なのだ。
従って「タイトル・ビジネス」にしても、その発行元が優良か不良かの違いがあるだけで
まるきりインチキとまでは言い難い。だから貴族に対する強い憧れのある人にとっては、
一応の伝統があるマルタ騎士団の爵位など、意外とお買い得かもしれないよ(笑)。
55世界@名無史さん:02/01/19 23:09
非常に、詳しいご高察に、感服。
結論としては、怪しげな騎士団とか怪しげな爵位でも
例えば、〜男爵とか名乗っても、相手からは「どちらの?」
とか「どこから貰った称号ですか?」と
ねほりはほり聞かれないということですか?
それなら出来るだけ安いとこがいいけど(藁)
56世界@名無史さん:02/01/20 00:58
余計な補足
イングランドにも辺境伯 Earl of March がいた。
スコットランドやウェールズとの辺境地帯をMarchと称していた。
ただし、詳しくは知らないが単なる地名として扱われていて、
特に格が上ということはなかったっぽい。
それとチェスターなど州全体が一人の伯の封土だった場合
Palatine Earlというドイツなら宮中伯に相当する呼称で
呼ばれた。中世にはたしか自前の議会とかがあったりしたはず…。
57会員募集・騎士団員:02/01/20 01:18
当会では、 華麗なる中世のヨーロッパのイメージ
の会です。文化、美術、芸術、政治、衣装、音楽、暮らしなど いい部分だけを とって
いろいろな目標を もって活動したいと考えています。当面は 学術面から会を 正式な会にしたいと 思っております。
日本人では 爵位は 受けられませんが われわれの会では 会の中で 爵位を
会員に与えて活動していきます。まだ会員が少ないですが 当面は 1000人を 目標とします、 
要するに 会の中でミニ王国を作るということです。最初は パーティーなど
会議などしかできませんが すぐに外交活動、事務所、政治団体など やることがあります。
会員は 会議の結果 爵位が与えられます。勲章授与あり ヨーロッパ衣装着用 洗礼などで 貴族として 会の中、同盟
の中で 貴族とします。 会の活動資金は 会員からの 気持ちの寄付金と 会自体で 会社を 設立し収入を得ます。
その後 会員数、資金がたまれば 限りなくいろいろなことができます。
建築物やいろいろなことが

入会対象は 中世ヨーロッパが 好きで 会合が好きであれば どなたでも入会できます。
一般市民でも 早く入会した順で ナイト、男爵以上の権利が与えられます。

詳しいことの知りたい方下に書き込みしてください
あと まだ名前は 決めていませんが 騎士団員も 募集いたします。
58世界@名無史さん:02/01/20 01:18
労作感謝。パチパチ
59世界@名無史さん:02/01/20 01:29
どうでもいいが勲章ができたのはつい最近のことで
中世にはなかったんだが
60会員募集・騎士団員:02/01/20 01:35
勲章は 18世紀あとと 存じますが いい部分であれば
取り入れていきたいと思います。
61世界@名無史さん:02/01/20 03:39
>54
>基本的に西洋では「貴族の地位は金で買うもの」なのだ。

そりゃそうだが、「スチュアート王朝前期における伯爵位
の相場は一万£程」ってのはべらぼうな額だぞ。
当時の庶民は年数十ポンドで暮らしていたし、ジェントリーだって
数百ポンドだ。一万£も出せるってことは相当の社会的地位が
前提になっているはずだ(当時は稼ぐ手段だってそれほど多く
なかったし)。逆に言えばそれだけ社会的地位があるなら
それだけの爵位を持っていて当然ということだと思うが。
62棄教者 ◆witdLTi2 :02/01/20 09:42
>>57
入団きぼんぬ
会の名前は2ちゃんねる騎士団でOK?
(ラテン語に直すとどうなるんだろう)
63棄教者 ◆witdLTi2 :02/01/20 09:46
とりあえず必要なもの
0. 騎士団名
1. 広報手段(この擦れでOK)
2. 広報手段(気が向いたらホームページを作ります)
3. 騎士団の紋章(壺とモナーをあしらった柄きぼんぬ。
 あと、紋章学の本、日本語でもいい本あるので、今日本屋で買ってきます)
4. 会員規約
5. 騎士団の知識(誰か参考書を紹介きぼんぬ)
6. その他もろもろ

というわけで、2.3はやるかもしれません。
64会員募集・騎士団員:02/01/20 17:47
当会は 念のためですが正当な会として活動いたします。
今の段階では 中世ヨーロッパの会と直訳ですが 今年の四月ごろに 正式名を決定したいと思います。
英語、フランス語、ラテン語から適切で 教養のある名前を付けます。

もう一度 申しますが 当会は まじめな会です。 そのうちに 政治的に 議員などの支持団体に
なりたいと思います。 

入会されたい方は ニックねーむでいいので 名前と住んでいる 都や県の名前を書いてください

65会員募集・騎士団員:02/01/20 17:48
63番の方 まじめに 入会したいのでしたらもう一度書き込みお願いいたします。
66世界@名無史さん:02/01/20 18:03
>>64

「正当な会」の意味をお聞きしてよろしいですか?
67中世ヨーロッパの会:02/01/20 18:12
まじめで 正式に活動し団体として 行政・手本とする 国の大使館、外務省などに
会の活動を知らせて やり取りをします。
とにかく インターネット上の仮想の集まりではなく 事務所を設立して活動します。
68雷怒:02/01/20 18:57
>>64
マムルーク傭兵隊長、もしくは
イェニチェリ十人頭希望!!!
あっ、ドバイに住んでるから御馬頭がいいかも。
爵位は要らん!仲間に入れてちょ〜。
69世界@名無史さん:02/01/20 20:28
>>67
いまの時期、さすがにそんな手広く
活動しらせると、公安からチェック入るんじゃない?
70中世ヨーロッパの会:02/01/21 00:20
68番の方へ 当会は まだ正式に 決まっている部分とそうでない部分がありますが
 基本的に 上層部で 決定されますので 早く入った順と元の身分、教養などで 決定されます、
騎士団は 信念を持ち 非武装で会を 守り抜くことです。 隊の衣装等は作りますが
あと (男爵はいらん)とのことですが 貴族を 受け入れ信愛できなければこまります。
そのうち ほかの会などとの 外交の経過に よりあいては 国などは 違いますが 貴族もいます。
 当会は 会の中で基本的に 貴族の暮らしを することを基本とします。
幕府当時の武士の身分も会の中で 考慮され 位をあたえます。
71中世ヨーロッパの会:02/01/21 00:25
70番の方え
当会は 美術的、文化的に 楽しく集まって 活動する会ですので
過激な物とは 一切無関係です。 それにちゃんと 活動をこうかいします。
要するに 文化会なのです。
民主主義を 年頭に起きます。絶対にありません
72中世ヨーロッパの会:02/01/21 00:28
訂正 70番ではなく69です。
73世界@名無史さん:02/01/21 00:46
>63
森護の本ならあまり信用しない方がいいぞ。
74世界@名無史さん:02/01/21 05:35
>>51の追加

男爵になりたいんだけど。 (22)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/990/990325846.html
イギリス貴族はつらいよ (50)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/977/977606016.html
フォンの称号
http://mentai.2ch.net/whis/kako/965/965404039.html
騎士はプラトニックな愛をを守ったか (43)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/965/965026642.html
ドイツ騎士団 (105)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/990/990011782.html
「カントの町」ケー二ヒスベルク (52)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/954/954506873.html
75棄教者 ◆witdLTi2 :02/01/21 09:53
>>64-65
ハンドル名は棄教者、住んでいるところは東京都です。
>>70
貴族の暮らしということですが、サラリーマンしていて、一人暮らしで、
貧乏なので外食といえば吉野屋で大盛りネギだく玉くらいですが、
問題ありますか?
あと教養が必要とのことですが、英語しか話せません。
ラテン語とフランス語はちょっと。。。
76Krt:02/01/21 13:51
>55:いや逆に「どこの貴族ですか?」と聞かれさえしなければ、今の外国貴族の称号には
学位なんかと違って法的な特権などないのだから、与える方も名乗る方も「原理的には」インチキ
とは言えないだろう、というだけの話。ただ「2ちゃんねる騎士団伯爵」とかを冗談ではなく
マジで名乗れば明らかに可笑しいのだし、その点で称号の発行元の権威が問題になるのは当然だね。
言いたかったのは現存の貴族のうち中世以来の貴族など極く一部でしかなく、大半はブルジョワが
金で手に入れた地位であり、その実質にしても単なる金で買える称号や、すでに滅びた国の爵位の
ようなものが珍しくなかった、ということ。だが新貴族のいかがわしさも富あればこそ補えたので、
本音を言えば我々のような小市民は、この手のタイトルビジネスには関わらない方がいいと思うよ。

>56:どうも補完ありがとう。とにかく英仏のような先進国の場合、英では16世紀、仏では
17世紀以前と以後とでは貴族とブルジョワとの関係を含む社会制度が随分違っているのだと思う。

>61:どうも話がかみ合っているのかどうか不安なのだが、もちろん当時の一万£は大金であり、
ダイアナ妃の先祖で、当時スペンサー家の当主で富豪だったロバートすら高すぎると思ったのか
この時は二の足を踏んでいるほどである。だが問題は君の言う以下の部分なのだ。即ち、
>一万£も出せるってことは相当の社会的地位が前提になっているはずだ
>(当時は稼ぐ手段だってそれほど多くなかったし)
実は土地だけが富を産んだ中世とは異なり、既に十六、七世紀以後「稼ぐ手段」は多様化しており、
しかも王室や国家は財政難だった為、たとえ封建的価値観とは異なる仕方で蓄財を行った者でも
金さえ出せれば貴族になることが可能となっていった。結果、現存貴族の大半は封建貴族のではなく、
実業・虚業による富で爵位を得たブルジョワの子孫なのである。羊飼いをしながら金と地所を入手し
富豪となったスペンサー家などは爵位を得る以前に既に地方名士になっていたから筋の良い方で、
混ぜ物入のワイン商売で蓄財し、修道院財産の払い下げで巨富を築くと同時に爵位をも得ていった
ベッドフォード公家や、始祖は貧しい商家の手代だったリーズ公家。名門ノーサンバランド公家も
先祖は薬局の番頭だった等、成功した市民階級と高位貴族との距離は意外な程小さかったのである。
もちろん彼らの内には金以外の国事において功績のあった者も多いが、出世の最初の一歩は金銭で、
中には詐欺まがいの手段で入手したロンドン近郊の土地からの地代が「ヴィクトリア女王の収入を
上回ったという功績の為」ウエストミンスター公となったグローヴナー一族の例すらあるのだ。
フランスの場合も同様で、祖父や父が一杯飲み屋、古ズボン商、使い走りだった貴族など、
十八世紀にはごろごろいたという事が前記のゾンバルトの本を読んで貰うとわかると思う。
77世界@名無史さん:02/01/21 16:48
途中まで読むとなんか「フーコーの振り子」みたいでおもしろいなと思ったが。
わけわからなくなってるな。
78中世ヨーロッパの会 会員募集・騎士団員募集:02/01/21 17:12
ハンドル名棄教者さんへ
サラリーマンでも 問題ありません 
当会で どのようなことを したいです?
一般会員の方では 文化、美術など学術めんでの 会議、運営がおもになります。 貴族のほうでする

騎士団の方では 会に 愛会心をもち 維持することで 活動は ユネスコ国連機関(世界遺産)のヨーロッパ方面の募金活動や
会の 会合、パーティーなどの監視員など いろいろな活動を 騎士団長の下活動していただきます。
華麗に 衣装をまとい 信念を持ち活動してください

あと 64-65 70 ということですが 私がかいたものです。


79世界@名無史さん:02/01/21 17:35
でも、それってなんか上のほうで出てきた
セントアンドリューオブエルサレム騎士団日本総領事部と
あんまり変わらないような気が・・・
HP見てると、彼らも皇族といっしょにパーティだとか
デビル夫人とかの芸能人、
各国大使館・総領事館の大使・領事とか
となかよさそうだし・・・
ユニセフに寄付して既に表彰されてるし・・・
政治家との写真も多いし・・・
で、どういった会になるんですか?
いまいちよく分からないのですが??
騎士団が爵位授けるのは、怪しいなりに
わかるんだが、「会」が位を授けるのって
複雑です。
80中世ヨーロッパの会 会員募集・騎士団員募集:02/01/21 18:10
当会は 基本的に中世ヨーロッパの 文化、美術、芸術、暮らしなどを
好きな人が集まって 活動する会です。
その中で 爵位をつけて 活動するだけです。 

騎士団は 会の維持、監視員としてと ユネスコの世界遺産のヨーロッパの物に対して
募金活動をするということです。
セントアンドリューオブエルサレム騎士団日本総領事部は 騎士団の部分では 恐れながらも いい手本になるのでは
ないかとがんがえております。
81世界@名無史さん:02/01/22 00:44
>76
>実は土地だけが富を産んだ中世とは異なり、既に十六、七世紀以後「稼ぐ手段」は
>多様化しており、しかも王室や国家は財政難だった為、たとえ封建的価値観とは異なる
>仕方で蓄財を行った者でも金さえ出せれば貴族になることが可能となっていった。結果、
>現存貴族の大半は封建貴族のではなく、実業・虚業による富で爵位を得たブルジョワの子孫なの
>である。羊飼いをしながら金と地所を入手し
(適当に改行を入れた)

知ってるよ。つーかその辺が私の専攻だから。しかし16世紀というのはちょっと
早すぎるね。収入源が多様化しているのはたしかにそうだが、土地が一番確実
だったのは変わらないしね。本当に土地以外の収入のみをあてにできるように
なったのはだいたい王政復古以後じゃないかな。それから細かいがグローヴナー
Grosvenor 家は中世以来のジェントリーだと思うが。ジェントリーというのは
基本的には地主で地方の名士だ(釈迦に説法だと思うが)。

で、私が言いたいのは金で爵位を買えるのは、たしかにそうだけど、
それはあまりに話を矮小化というか単純化しすぎてないかってこと。
82中世ヨーロッパの会 会員募集・騎士団員募集:02/01/22 20:41
興味ある方質問をどうぞ
83あう:02/01/22 21:22
貴族は市ねYO!!
84世界@名無史さん:02/01/22 23:23
>>83
そういえばだが、
フランス革命前に既に「貴族制度」自体が
死んでいたという意見がある。
フランソワ・フュレによると
売官などによって
何某かの爵位をもつものは増大し、
爵位は実質上の譲渡可能な債券
のようになっていたとされる。
そのこと自体が封建制つまり
貴族制の崩壊を示しているのでは
ないかというのが彼の見解。
85棄教者 ◆witdLTi2 :02/01/23 07:58
>>83-84
きょう日, 貴族って言っても特権階級じゃないのよ. 氏ねって言われても...
86世界@名無史さん:02/01/23 08:43
>>85
そのとおり
特権があるとすれば、社交界で名乗って
それらしく扱って貰えるぐらい
まあ、それに命かけれる人がいるのが
おもいしろいが。。
87世界@名無史さん:02/01/23 09:05
>>79
>デビル夫人
ワラタ
棄族はブタなのだよ!!
89Krt:02/01/24 22:08
>81:>しかし16世紀というのはちょっと早すぎるね。
>収入源が多様化しているのはたしかにそうだが、土地が一番確実だったのは変わらないしね。
>本当に土地以外の収入のみをあてにできるようになったのはだいたい王政復古以後じゃないかな。
十六世紀において土地が一番確実だったことに別に異論はないし、清教徒革命以後においても
土地税制の変化によって、土地所有はより有利になっていったとさえ言えるだろうが、その事と
十六世紀に様々な新産業が発達し、それによる富の形成が可能になった事とは別に矛盾しない。
だからこそ、ヘンリー八世が、没収した修道院財産を疲弊した封建貴族の救済や、新貴族の創設に
使った時、ジェントリ上層だけでなく、ラッセル一族やキャヴェンデイッシュ一族のような
「下々から引き上げ」(ゾンバルト)られて爵位を与えられた人間達も出現し得たわけだ。
この動きは、成功した商人等が、社会的身分の上昇をもたらすだけでなく有利な投資対象でもある
土地を購入してジェントリ化しようという志向と平行する形で起こっているが、こういう形で
富と名望を蓄えたジェントリ上層が十七世紀初頭にジェイムズ一世が財政難を乗り切るために
爵位売買を始めた際主役を演じたのだし(この王の時代に有爵者は以前の倍以上の121に増えている)
またフランスなどと同様、丁度この王の頃から(シティ在住者のような)富裕な市民層と貴族層とが、
婚姻関係によって結合し始めるのである(ゾンバルト)。そしてこうして出来た新貴族達は、
古い家柄や国政上の顕著な功績、あるいは国王との非公式な姻戚関係のいづれによってでもなく、
自らの経済力を爵位に結びつけた、換言すれば「爵位を金で買った」人間達に分類できると思う。

>で、私が言いたいのは金で爵位を買えるのは、たしかにそうだけど、
>それはあまりに話を矮小化というか単純化しすぎてないかってこと。
過度の単純化はいけない、というのは大抵の場合真理だが、その主張が行き過ぎると、今度は
大勢が見えにくくなると思う。私の言っている事に大きな誤りはないつもりだし、少なくとも
「現存する西欧貴族階級の少なからぬ部分が中世以来の封建貴族の末裔である」等といった、
(西洋中世に憧れるロマンティックなタイプの人々が陥りがちな)誤りに対する解毒剤にはなる。
更に言うと、そういう誤解をしていた人たちにはイギリスの二十世紀末時点における約750人の
世襲貴族の大半が、実は二十世紀になっての受爵者であるということも知って欲しいと思う。
前世紀は大戦争が続いたから、その勲功で爵位を得た者も多かっただろうが(例えば第二次大戦後
労働党のクレメント・アトリーは98の爵位を創設した)、同時にロイド・ジョージが首相時代の
五年間に91の爵位を創設し、それによって300万£にも及ぶ保守党の政治資金を集めるなどといった、
いわば形を変えた爵位売買が最も盛んだったのもこの世紀の出来事だったのである。(参:海保)
90世界@名無史さん:02/01/24 22:40
>52

余談ですが、昔は英国で"Prince"という称号を許されるのは
"the Prince of Wales"だけだった、という話を思い出しました。

本来は、王子といえども"prince"とは呼ばれなかったのを、ビク
トリア時代(記憶が曖昧ですが)あたりに皇太子以外の王子達も
"Prince"と呼ばれるようになり、いつしか"prince"が「王子」の
意味でも使われるようになったとか。
91世界@名無史さん:02/01/24 23:42
博識な方に教えていただきたいのですが、
イギリスで「騎士Knight & Dame」を貰った
人がSir&Ladyで呼ばれるのは知っていますが、
他の、例えば怪しげな騎士団から「騎士」の
称号を貰った場合でも、Sir&Ladyの称号で
呼ばれるのですか?
使用規則みたいなものがあったら教えてください。
92Krt:02/01/25 00:39
>90
Princeを王族の男子、特に子供の意味で使う用法は中世に遡ると思う。
子供の場合も別に長子に限られる呼び名ではない。
これは元々フランス語だが、フランスでも王族の男子をこう呼ぶので
その話はちと眉唾っぽいのだが。(ヴィクトリア朝というのは論外)
9390:02/01/25 01:38
OEDをもう一度確認してみました。下に、sense6(男子の王族)の解説を引き
ます。なお、ここでsense 5と言っているのは、「公国の君主」の用法です。

In this sense originating in the title Prince of Wales, which,
in the first instance, was simply a continuation of sense 5,
as title of the deposed native Welsh princes; but being, from
the reign of Edward III, customarily conferred upon the eldest
surviving son of the King or Queen of England, came to be associated
with this relationship. The Prince of Wales was at first the only
"prince" in England (see quot. 1577); but in the reign of James I
"prince" was extended to all the sons of the sovereign, and under
Victoria (with "princess") to all the grandchildren, being children
of sons (quot. 1885).

90で「ビクトリア時代」と書きましたが、ジェームズ1世の間違いでした。
(ビクトリア時代に王孫にまで広げられた、というのを覚え違いしていま
した。すみません。)
9490:02/01/25 01:54
なお、93で引いた部分の後には、
「Englandの例の後、ドイツ、スウェーデン、デンマーク、日本、フランス
帝国、…の各国でも同様の用法が見られるようになった云々」
というような文章が続いていますが、最後に
(This sense may have been partly influenced by Roman usage under
the empire, in which the title princeps juventutis "chief"
or "prince of the youth", which was bestowed by the Equites
upon the two grandsons of Augustus, was afterwards customarily
conferred upon the probable successor to the throne on his first
entry into public life.)

という文章がありますので、英語としての用法はともかく、帝位継承者
候補の最初の称号として"Prince"を与えるというのはローマ帝国にさか
のぼることができるようです。
(揚げ足を取るようですが、princeの語源はフランス語でなくラテン語
ではないでしょうか。イタリア語の君主も同根ですよね?)
95Krt:02/01/25 10:44
>93
なるほど、これは面白いことを教わった。
フランス語でprinceを王族男子の意味で使う方が英語より後なのだね。
だがOEDの権威にたてつくわけではないが、少々腑に落ちないところがある。例えば、
ハムレット(1601、ちなみにジェイムズ一世の即位は1603)における、ポローニアスが王の前で
娘のオフェーリアに言って聞かせた、と称して吐く台詞、

"Lord Hamlet is a prince, out of thy star." (Hamlet act,2sc.2,1)

を「ハムレット様は王子、身分違いだ、ならぬ」福田恆存訳
と訳しては間違いで「王長子」と訳さなくてはならないという、決定的な根拠はあるのかな?
たしかにハムレットは前王の長子だと思うのだが、現王にとって彼は甥にあたるわけだ。
だから現王の目の前で王の忠臣ポローニアスがこう言っているのに「ハムレット様は王長子...」
と訳するのは何か変な感じがする。この場合、prince を王族男子の「王子」の意味で取れば
しっくりするのだけれどね。まあ、この場合、前王の后であり、ハムレットの母である
ガートルードをこのクローディアス王は后にしており、共同統治という形態を取っているので
「ハムレット様は王長子...」と訳すことも論理的に可能ではあるのだが。

>(揚げ足を取るようですが、princeの語源はフランス語でなくラテン語
>ではないでしょうか。イタリア語の君主も同根ですよね?)

おいおい、人の発言は良く読むものだよ。私は語源だ、などとは一言も言っていない。
princeという語はもともとフランス語だ、と言っているのだ。それこそ辞書を見れば

L. princeps → (O)Fr. prince →英語
という風に書いてあるではないか。
9690:02/01/25 22:37
>95
>おいおい、人の発言は良く読むものだよ。私は語源だ、などとは一言も言っていない。
揚がってもいない足を取ろうとして、一人で転んでいたようです。失礼しました。

で、本題ですが…。
 恥ずかしながらハムレットなどの古典は読んでいないので、なんともお答えしかねます。
 ただ、特に93にあるように、"prince"に新たな意味が付け加わったかどうか微妙な時期
の事であれば、"prince"が既に「王子」の意で使われていた事を確認した上で、つまり、
「王子と訳して良い事の確認」こそ必要ではという気がしますが。

 後、ここで"prince"を「王子でなく王長子とせねばならぬのか」とい
う話がなぜ出てくるのか、わかりかねるのですが。
 93、94で引いたOEDの説明のうち、「王子」の意味への転化を除いた部分
は、Krt氏の>>52の記述

>ここでは一つの位階を意味している。ただし外国と違い英国ではこの称号は稀で、王婿か、
>皇太子にしか与えられない別格の称号だと思われる。ただよく誤解されるのだが、皇太子の
>正式称号が Prince of Wales なのではない。単にWales大公国滅亡後、民心を宥める為に
(中略)
>ただ余人が任じられる訳でもない為、事実上皇太子の別称になっているだけで、この点は

と基本的には同じ事、すなわち英国での"Prince"が元来は「公」の称号であ
り、皇太子以外には許されていなかったために、太子の別称となっていた、
と述べているのだと思います。
 ですから、ここでの"prince"という事であれば、王位継承権者としての
「デンマーク公」とするのか、それとも「王子」が適切なのかということ
はあっても、「王長子」が出てくることはないんではという気がしますが、
どうでしょうか。
(そもそも、"Prince"が"the Prince of Wales"に限定されているのは、
イングランドの慣例であって、作者がそれをデンマークにそのまま当ては
めたのかどうかも、私にはわからないんですが。)
9796:02/01/26 11:46
96は無駄に長くて、我ながら読みにくい…。申し訳ない。

93に引いた部分を私が理解したところでは、

1)英語での"prince"の王子の意味での用法は、「公国の君主」という"prince"
 の原義に由来する。
2)イングランドでは、エドワード3世の治世以降、王の(生存している)長
 男子がウェールズ公(the Prince of Wales)に叙せられることが慣例とな
 った。ここでの"prince"は、>52にあるように、位階である。
 イングランドでは、長い間"the Prince of Wales"以外の"prince"はなく、
 "prince"に叙せられるのは太子に限られていたため、
 イングランドのprince=太子
 の用法が事実上通用した。
3)James1世のとき、"prince"の称号を与えられる範囲が全ての王子にまで広
 げられ、Victoria時代には王子の子供達(王孫)にまで広げられた。

という流れだと思いました。
3)で範囲が広げられた時にも、本来の意味は位階としての"prince"であるけ
れども、イングランドでのprinceが原則的には王子に限定された称号である
ため、prince=王子の用法が事実上成立し、やがて「位階」としてのprince
とは独立の、「王子」の語義が成立したのかな、と。

 "prince"が王族に限定されていたと言っても、要するにイングランドで
余人を"prince"に叙する事はないというだけですから、他国で正式に
"the Prince of X"の称号を持っている人は、やはり"Prince"だろうと思い
ます。
(しかし、こうなると"Prince"が「王子」なのか「公」なのか、ややこし
いですね。「串刺し公」の評伝の副題"the Prince of Walachia"を、「ワ
ラキアの王子」とやったんじゃ、まるでできそこないのライトノベルみた
いだし。)
98Krt:02/01/26 23:33
>>96:95の内容は説明不足だったと思うのであそこで言いたかった事をもう一度丁寧に説明しよう。
まず、シェイクスピアの「ハムレット」には十二世紀末に成立した「デンマーク国民史」の中の話に
元ネタがあり、これが様々な民間伝承を経た後、1582年に仏文で内容が紹介され、80年代末には
トマス・キッドという劇作家がこれを元にハムレット劇を書いている。この劇は今では既に失われ、
内容もわからないのだが、十二世紀の原初の形態においても人物名や筋書きはシェイクスピアの作品
と良く似ている(参:新潮文庫巻末解説)。ただこれはデンマーク王家の話ではなく地方領主家の話
として設定されているので原作におけるハムレット(アムレス)はいかなる意味でもPrinceではなく、
シェイクスピアは自作を自国の観衆にわかるように自国の制度に合わせて書いたと考えて良いと思う。

さてそうすると、このポローニアスの台詞における"Prince"には三つぐらいの意味が考えられる。
(1)(Prince of Walesに対応する)「大公」(2)そこから出た「王の長男子」(3)王族男子たる「王子」
OEDの説明を素直に受け入れれば(1)の意味ではないか、と思いたくなるのだが、少々問題があるのだ。
というのは、そもそもシェイクスピアの時代は長らく Prince of Wales なるものが存在しなかった
時期だからである。歴史を振り返ると、エドワード三世の皇太子(黒太子)が叙位されてから連綿と
皇太子がこの地位に叙位されてきたとはいえ、1504年にヘンリー八世がこの地位に叙位されて以後は
事情が変わる。即ち彼は1509年に即位している為、その後彼がこう呼ばれる事は(イングランドでは)
あまり無かっただろうし、さらに彼は皇太子エドワード六世をこれに叙位せず、その後も女王が続き、
さらにエリザベス一世の後、王位がスコットランドのジェイムズ六世(イングランドのジェイムズ一世)
に渡ったため、1610年にジェイムズがこの休眠状態の制度を復活し、子ヘンリーをこの地位に叙位
するまでの約百年間というのはPrince of Walesなるもの、そして爵位としてのPrinceなるものは、
事実上英国には存在しなかったのである。そしてシェイクスピアや、その劇の観客たちはまさにこの
Prince of Walesなんて見たこともない世代に当たるのだ。従って当時の大衆が"Prince"の一言で
「英国のPrince of Walesにあたる大公」を意識できたかどうかは疑問で、そこから詩人が本当に
Princeという語の(1)の用法でこの台詞を書いたのか、という疑いも出てくるわけだ。

となると問題は(2)と(3)だが、(2)の意味でPrinceを使うのがどうもしっくりこない理由、さらには
(3)の意味がこの時点において成立しているなら全てが問題なく説明できる、ということについては
95で述べたとおりである。となると、OEDの(3)の用法はジェイムズ一世時代以後、というのは慎重
すぎる見解ではないかと思うのだ。まあ、この問題についてはこれ以上のことはいえないけれどね。
9990:02/01/27 00:29
>98
96でも述べた通り、私のレベルを遥かにこえた話なんで、93-94の後ろに
ついている引用のうち、1600年代までのものの転記でお茶を濁させて頂き
たい。(このうち、1577年のものが、「princeはイングランドでは…」
の記述で引かれている。)
よく読むと、OEDでは「王子」の用法がいつ頃成立したかは明言していな
いが、あの記述を素直に読むと、少なくとも"prince"が全ての王子に与え
られて以降だと言っているんだろう、というのが私の解釈。
OEDの記述の当否を確認するのは荷が勝ち過ぎるので、「こういう話があ
った」ということでご勘弁願いたい。

(以下、転載)
1305 Flem. Insurr. in Pol. Songs (Camden) 194 [f] the Prince of Walis his lyf habbe mote.

1455 E. Clere in Four C. Eng. Lett. (1880) 5 The Queen..brought my Lord Prynce [of Wales]
with her.

1475 Harl. Contin. Higden (Rolls) VIII. 433 Edwarde sonne of kynge Edwarde, prince of
Wales, saylede to Caleys.

1548 Hall Chron., Hen. IV 32 b, The prince his sonne..entered into the chamber and toke
away the crowne.

Ibid., Leuyng behind him by the lady Marie..Henry prince of Wales, Thomas duke of
Clarence [etc.].

Ibid., Hen. VIII 9 On Newyeres daye, the first day of Ianuary, the Quene was deliuered
of a Prince.

1563, etc. [see Black Prince].

1577 Harrison England ii. v. (1877) i. 106 The title of prince dooth peculiarlie belong
to the kings eldest sonne... The kings yoonger sonnes be but gentlemen by birth (till
they haue receiued creation of higher estate, to be either visconts, earles, or dukes)
and called after their names, as lord Henrie, or lord Edward.

1597 Shakes. 2 Hen. IV, iv. iv. 83 Health to my Soueraigne,..Prince Iohn, your Sonne,
dothe kisse your Graces Hand.

1610 Temp. iii. i. 60, I am, in my condition A Prince (Miranda), I do thinke a King.

1611 Wint. T. iv. iii. 13, I haue seru<cq>d Prince Florizell,..but now I am out of seruice.

1614 Selden Titles Hon. 178 After the Conquest, no speciall title more then Primogenitus
filius Regis was for the Prince, vntill the name of Prince of Wales came to him.

1624 Massinger Parl. Love i. iv, Next unto the princes of the blood, The eyes of all are
fixed on you.
100世界@名無史さん:02/01/27 00:51
100頂き
101Krt:02/01/27 22:16
>99
引用どうもご苦労様。ただこれを見ると先の主張「prince が(次男以下の)王族男子一般に使用される
ようになったのはジェームズ一世以後だというOEDの見解は少し慎重すぎる」は正しいと思わざるを得ない。
というのは、君が抽出してくれた1597年の用例はシェイクスピアのヘンリー四世からの引用なのだが、
ここでprinceと呼ばれているIohnは、物語の事実上の主役である皇太子ハル(後のヘンリー五世)の弟で、
ヘンリー四世の四男にあたるジョン王子(後のベッドフォード公(Duke of Bedford)になる人物)
のことだからだ。

ということは、遅くとも十六世紀末(エリザベス朝末期)には、Prince of Wales ではない(次男以下の)
王族男子をも、単なる「王子」の意味で「Prince」と呼ぶ慣習が成立していた、というかprinceという語が
既にそう言う意味を持っていたと考えざるを得ない。やっぱりちょっと矛盾してるぞ>OED(笑)

もっとも、言葉の意味は、ある日一斉に変わるわけではないのだから、完全にprinceに「王子一般」の
意味が浸透したのがジェームズ一世の時代、と言うことなのかも知れないけれどね。
10290:02/01/27 22:54
>101

しつこいようですが、James Iの時代にうんぬんというのは、"prince"の位階が全王子に与えられる
ようになったのが、という記述であり、単なる「王子」の意味でいつからつか
われるようになったかについては、OEDには記載されていないと思いますが。
(おそらく、個々の文脈で「王子」か「公」かを明確に分離できない場合が
多いからだろうと想像しています。)

で、OEDに矛盾というか誤りがあるとお考えなら、Oxford University
Pressに言っていただけないでしょうか。修正が出たら是非入れたいと
思いますので。
(誤解されそうですが、この部分は真面目にそう考えていますので。)
10390:02/01/28 22:36
スレ違いの話題を続けて申し訳ないので、sageときます。

無知をさらにさらけだすようですが、
101で1597年の用法での"Prince"が単なる「王子」の意味だと断定された
根拠がよくわからないのですが。
"Prince Iohn"というのは、Earl Brownlow, Earl Cowperなどと同様に、
(位階として)PrinceであるIohnという意味に思えます。
(もっとも、このPrinceが「王子」か「公」か区別するというのは、おそ
らく不可能ではないでしょうか。要するに"prince"という称号を、日本の
親王号と似たような意味で流用したところに由来しているようですから。)
もちろん、ヘンリー4世を読めばすぐわかるということかも知れませんが…。

(丁度よい機会でもあるし、そのうちに読んでみようとは思います。)
104:02/01/29 02:08
>>90
カンタベリー物語も忘れずに。
ちょいと特殊っぽいPrinceもそうだけど、
それぞれの位階がどのように出来てきたか,というのを考察すると面白いかもしれないですね。

序列は絶対的なものだったんでしょうかね?


あげちゃう


105Krt:02/01/29 23:30
>103
>無知をさらにさらけだすようですが、101で1597年の用法での"Prince"が単なる「王子」の意味だと
>断定された根拠がよくわからないのですが。"Prince Iohn"というのは、Earl Brownlow, Earl Cowper
>などと同様に、(位階として)PrinceであるIohnという意味に思えます。
それは「歴史的事実として、ジョンは四男坊だし位階としての Prince の叙位も受けていない」からだ。
長男ではないからPrince of Wales の連想でprinceと呼ばれたこともないし、それ以外のPrinceでもない。
ジョンがなったのはまずはバース騎士団騎士で、青年となって後に Duke of Bedfordを叙位されている。
とにかく王室の男子とて、基本的に叙位されないで爵位を得ることはない。たとえその手続きが極めて
形式的な物に過ぎなくてもである。だからこの場合のPrince Iohnは、prince Andrew 等と同じく
「ジョン王子」でしかない。詩人が十六世紀末の同時代人に分かりやすい表現をとったまでである。
物語自体の舞台は十五世紀前半であるが。(参考:森護「英国王室史事典」大修館)

>(もっとも、このPrinceが「王子」か「公」か区別するというのは、おそらく不可能ではないでしょうか。
>要するに"prince"という称号を、日本の親王号と似たような意味で流用したところに由来している
>ようですから。)もちろん、ヘンリー4世を読めばすぐわかるということかも知れませんが…。
これは(上記のような)ある程度詳しい人名辞典でその人物の経歴を見ればわかることである。
残念ながらシェイクスピアのテキストだけを読んでもわかるわけではないが。

>3)James1世のとき、"prince"の称号を与えられる範囲が全ての王子にまで広げられ、
>Victoria時代には王子の子供達(王孫)にまで広げられた。という流れだと思いました。
>3)で範囲が広げられた時にも、本来の意味は位階としての"prince"であるけれども、
>イングランドでのprinceが原則的には王子に限定された称号であるため、prince=王子の用法が
>事実上成立し、やがて「位階」としてのprinceとは独立の、「王子」の語義が成立したのかな、と。(97)
>よく読むと、OEDでは「王子」の用法がいつ頃成立したかは明言していないが、あの記述を素直に読むと、
>少なくとも"prince"が全ての王子に与えられて以降だと言っているんだろう、というのが私の解釈。(99)
上に引いたように君は、(1)位階としてのPrinceが(ジェイムズ一世時代に)全ての王子に与えられ、、
「その後で」(2)それとは独立の「王子」という語義が成立したと考えている、と述べている。
となると、当然君は「王子」の意味が成立したのはジェイムズ一世時代以後だと考えている訳だろう。
ところが現実にOEDには、王の四男が Prince Iohn「ジョン王子」と呼ばれている1597年の例文が
存在するわけで、それゆえ上に挙げた君の(97,99)における主張は既に崩れているわけだ。
106Krt:02/01/29 23:31
ところが君はあくまでprinceなる位階が、次男以下にも与えられていると信じているように見える。

>しつこいようですが、James Iの時代にうんぬんというのは、"prince"の位階が全王子に与えられる
>ようになったのが、という記述であり、単なる「王子」の意味でいつからつかわれるようになったか
>については、OEDには記載されていないと思いますが。(101)
 ((以下、あくまで理解のためだが、便宜的にprince とPrinceとを書き分けて表現してみる))
だが93で君が引用した内容はあくまで男子王族としてのprinceの意味の成立について述べている箇所では
ないのか。したがってここは位階などとは一切関わらない、単なる(女)王男子、さらには男孫を示す
語義としてのprinceが成立していった過程をこそ記述しているのだと思う。私はジェームズ一世以後、
全ての王子がPrinceに叙せられたなどという歴史的事実はないと信じているが、そうではなく、あくまで
これは次男以下に与えられたPrinceという位階(君の表現を借りるなら「Earl Brownlow, Earl Cowper
などと同様に、(位階として)Prince」)についての記述だというのなら、明確な根拠を示して欲しい。

もともと君は叙位を伴わず単に男子王族を意味する(だがその意味の延長として呼びかけに使えるので
慣例的な称号とはなりうる)princeと、叙位を伴う(爵位の)Princeとを混同しているように思える。
だが現在のCharles皇太子は生まれた時から prince Charles「チャールズ王子」だったが、これは彼が
成人と同時に叙任された Prince of Walesと同じ意味での prince という位階なのか?次男 Andrew は
生まれたときから prince Andrew だったが、この prince は後に彼が叙位された Duke of York の Duke
と同じ意味で位階なのか?また現在の王婿(The Queen's Consort)エディンバラ公(Duke of Edinburgh)
フィリップ殿下は、prince Philip と呼ばれるが、この prince は Duke と同じ意味での位階だろうか?
違う。ここでの(小文字の)prince の方は正式な位階ではなく単に「男子の王族」の意味内で与えられる
慣例的称号に過ぎない。例えばVictoria女王の夫 Prince Alberは、王婿で唯一正式なletters patentに
より Prince Consortとなった人だが、以前から慣例的には prince Albertと呼ばれていたにも関わらず、
そのPrince Consort叙位時まで正式には何の英国の位階をも持っていなかったのである。(以下参照)
In 1856 the queen drew attention to his(Albert) equivocal position : he had received special
precedence by letters patent but still held no titular rank by law. (Britanica:Prince Albert)

従ってOEDにおけるジェイムズ一世の時代に云々という記述は(世間の後追い的に)この時代に王室でも
その位階に関わらず王男子をprinceと呼ぶ慣例が成立した、という事なのだと思う。だからこれをもって
「王族男子」の意味の成立とするなら(先に用例があるだけに)「慎重にすぎる」と述べたのである。
107世界@名無史さん:02/01/29 23:46
>105
バース騎士団は1725年?設立だよ。
それ以前はバース=Bathで沐浴によって騎士になったというだけ。
108Krt:02/01/30 00:09
>107
それはジョージ一世が1725年5月18日に古いバース騎士団を復活して、
Modern Knights of the Order of the Bath を創設したことを言っているのだろう。
私がここで述べているのはヘンリー四世が戴冠を記念して1399年10月19日に始めた騎士団で
チャ−ルズ二世の戴冠まで続いた Ancient Knights of the Order of the Bath のことである。
たしかにこの騎士団は入浴してから叙位式に臨んだそうだし、古い時代のことなので、
これの創設者がヘンリー四世が創設したかどうかについても異説はあるそうだが、
前記の事典にはそう書いてあるし、ジョンの叙位についても事情は同じだ。
だから別にバース騎士団を前者に限定する必要はないと思うのだが?
109世界@名無史さん:02/01/30 01:02
>108
だから、その事典自体が誤りだってば。
「復活」という考え自体が後付けで、1725年以前は単に国王の戴冠式のとき
などに入浴してから騎士になるという儀式があっただけ。
110109:02/01/30 01:16
付言すると、ガーター騎士団は15世紀初頭以来、騎士団の記録係がいたし、
それ以前から定員が決まっていて騎士団の体裁をとっていたが、それと
同じ体裁をとるのが1725年ということ。1725年に「復活」したときに
初めて定員36名が定められて(これは19世紀に変更される)、騎士団の
記録係や系譜学者も設置された。
それ以前はバース騎士(あるいは勲爵士)はいたが、騎士団 Order は
存在しなかった。

ちなみに「復活」は首相ウォルポールの肝いりだが、彼が何を考えていた
のかは、息子のホレースが回想録に書いているらしい。読んだことはない。
11190:02/01/30 01:24
93で引いた文章をもう一度読み直してみたが、97(1)-(3)での解釈が誤りだとは思えない
し、99のうち、
> よく読むと、OEDでは「王子」の用法がいつ頃成立したかは明言していない
も、間違っていないと思う。あの説明に出ていたのは、
>The Prince of Wales was at first the only "prince" in England (see quot. 1577);
以外は、「○○王(女王)の治世下で"prince"が××にまで広げられた」という制度的な事実
だけだから。

ただ、105、106での指摘を受けて読み直してみると、特に97では「位階」と「称号」を
完全に混同しており、このために

> 3)で範囲が広げられた時にも、本来の意味は位階としての"prince"であるけ
>れども、イングランドでのprinceが原則的には王子に限定された称号である
>ため、prince=王子の用法が事実上成立し、やがて「位階」としてのprince
>とは独立の、「王子」の語義が成立したのかな、と。

の部分以降で、全く誤った解釈をしていたように思える。

いずれにせよ、
・"The Prince of Wales"に由来する"prince"という「称号」が、James I時代に、太子以外の王子
 達にも「正式に」許されるようになった、
という記述から、短絡的に

> いが、あの記述を素直に読むと、少なくとも"prince"が全ての王子に与え
>られて以降だと言っているんだろう、というのが私の解釈。

と結論づけてしまったが、106の最後にあるような、
・"Prince"の「位階」を持たない王子たちに対しても、敬意の表明として"prince"と呼びかける習
 慣が、遅くとも16世紀末までには(どの程度の範囲かはともかく)それなりに広がっていた。
 Henry Ivの引用文はその例である。(三国志辺りで、やたらと「将軍」「大王」と呼びかけるよ
 うなものだろうか?)
という解釈でも、「(いわば追認の形で)正式に認められたのがJames I治世下」という記述とも
矛盾はないし、用例との整合からしてもこちらの方が納まりがはるかに良い。

Henry IVでの"Prince Iohn"がそういう用法であれば、訳語として「ジョン王子」が良いかどうかは
ともかく(「殿下」の方が敬称らしくてよい様に思えるが)、現代の(敬称としてでなく、単なる
「王子」としての)"prince"の用法も、この時期にはすでにあと一歩のところまで成立していたと
いうことなのだろうと思える。
112Krt:02/01/30 23:52
>109
ご教示に感謝する。確かに Britanica の Knighthood の項目を読むと君の説の方が正しそうである。
だが先に挙げた事典以外にも、例えばグラント・オーデン「西洋騎士道事典」原書房:のような本でも
あちこちで「バース騎士団」(もちろん近代のではなく)という書き方をしているんだなあ。
もしこの問題に関する決定的な資料をご存じなら、重ねてご教示願いたい。

とはいえ、いずれにしてもバース騎士(勲爵士)自体が存在したことにおいては相互の認識の相違は
ないようだし(Britanica の記述もそれは認めている)、十五世紀にバース騎士団が存在したか否か
は本筋の議論とは関係のないことなので、私としてはこの問題にこれ以上深入りする意志はないが。

>111
うん、だから君の97における、1)から2)までの部分に関しては君の解釈に全く異論はないし、
「3)James1世のとき、"prince"の称号を与えられる範囲が...にまで広げられた。」の部分に関しても、
後で述べたような、その称号の性格に関する留保意見があるだけで、あとは異論がない。
私がはっきり反対なのは「3)で範囲が広げられた時にも」以下の部分だったのだ。また、
> よく読むと、OEDでは「王子」の用法がいつ頃成立したかは明言していない
も「明言」の定義にもよるが、否定はしない。たしかに示されているのは筋道だけで「何時か」は
正確にはわからないのだろう。「王子」の語義成立に関する私の主張は、1597年の「ヘンリー四世」に
おける用例は(たぶん以前挙げたハムレットのも)この語義での用例で、少なくともエリザベス朝末期
には「民間先行」で、この「王子」という語義が成立していたことを物語る、というものである。

 だがよく考えてみるとこれは無理もないことなのだね。というのは、イングランドにおいては、
エドワード六世が即位してからジェイムズ一世がイングランド王になるまでの1547〜1603年の間、
「皇太子=王長子」も「次男以下の王子」も存在しなかった訳で、殊に「次男以下の王子」に至っては、
ヘンリー七世の次男で弟もいたヘンリー八世の1509年の即位以後、百年近く存在しなかったのだから。
(スコットランドにおいても問題となる次男以下の王子がいたのは十六世紀前半の話だと思う)
だから次男以下の称号がイングランドの宮廷でどうなるのかが問題になったのがジェイムズ一世の時代
だというのはある意味で当然なのだね。つまりジェイムズが1603年イングランド王になったとき、
1600年生まれの次男坊チャールズ(後の一世)の称号が改めて問題になったんじゃないかな。それで、
民間の(文学的?)用例に倣い、彼をも prince と呼ぶことにしたんじゃないかと思うのだけどね。
113世界@名無史さん:02/01/31 01:04
『西洋騎士道事典』はあんまりあてにならんらしいよsage
11490:02/01/31 01:07
>112
なるほど。興味深いご教示ありがとうございます。

いずれにせよ、もう少し古典の勉強もしておくことにします。
115109:02/01/31 01:09
>112
決定的な資料は、知っているけどそれを書くと身元がばれるし、
どうせそんな簡単には手に入らないから書いても多分無駄。

以下は推測だが、1725年以前に「騎士団があった」という説は、
1725年の「復活」時に出版された騎士団の由緒を解説した本
(『バース騎士団の歴史』とかいう感じのタイトル、いま失念)の
プロパガンダ的言説にだまされているだけじゃないかと思う。
その本を直接見たわけじゃないけどね。
116世界@名無史さん:02/01/31 11:07
>>9
セントアンドリューオブエルサレム騎士団は怪しいと書いてたけど
伝統ある「テンプル騎士団」はどうですか?
Googleとかでテンプル騎士団と入れたらHPが
沢山でてきますが???
これも、途絶えたテンプル騎士団を
突然20世紀あたりに再興したものですか?
もし入団したら人に自慢できるものですか?
ご存じの方教えてください。
117世界@名無史さん:02/01/31 12:27
>>116
面白そうなんで、テンプル騎士団HPのアドレス希望
118世界@名無史さん:02/01/31 12:55
119Krt:02/01/31 22:31
>115
立場には同情するが、私が根本資料にアクセス可能なら(実際に読んでいようといまいと)
「○○によれば、どうも××というのが根本資料らしい。現物は見たことがないが」ぐらいに、
とぼけて書くぐらいの芸は見せるがね(苦笑)。


>90
Prince の話でイギリスの十六世紀をにわか勉強していてつくづく思ったのだが、結局この時代は
prince の不在の時代だったのだね。これに起因する女王たちの統治と、当然帰結する王朝の交代が
16〜7世紀のイギリスにおける政治的な混乱や発展に大きな影響を与えていることを改めて痛感した。
もしこれが噂されているようなヘンリー八世の梅毒に起因するものだとしたら...

歴史とは本当に難しいものだと思う。90氏の今後の学業の発展を祈る。
12090:02/02/01 01:40
>119

>90氏の今後の学業の発展を祈る。

ありがとうございます。
私の場合全くの素人で、OEDは趣味の範疇で半分勢いで買ったものがたまたま
手元にあった、というのが実際の所です。
"Prince"は、そのころ読んだ「ヴラド公伝」の副題"the Prince of Walachia"
が"the Prince of Wales"と同じ語順なので、気になって引いてみた訳です。
今回、「そういえばprinceの語源が(90)だ」っていう話があったなとおもって、
ネタ振りくらいのつもりで書いた(おかげで、斜め読みと誤読ぶりを露呈して
しまいましたが…)んですが、予想以上に深い話だと驚いている次第です。
やはり、 OEDといえども、基礎的な知識のない状態で辞書をみただけでは、
猫に小判も同然、まともに理解できないと痛感しました。
121世界@名無史さん:02/02/01 08:54
>>118
テンプル騎士団のHPみた。
写真多数だが、かなり怪しげ。
たしかにセントアンドリューオブエルサレム騎士団日本総領事部
なみだ、こりゃ
みんな正装してるが、どうも上流階級に見えない。
これよりゃ
まだバロンオカベのほうが貴族にみえる
このテンプル騎士団も新騎士団だな
122世界@名無史さん:02/02/02 18:28
童貞が条件ってほんとですか?
123世界@名無史さん:02/02/02 18:30
たしか澁澤龍彦の
『秘密結社の手帖』にはそう書いてあった。
でもこの新「テンプル騎士団」がそうかは
しらない
(どう考えてもみんな妻帯そうなので
ちがうとおもうが・・・)
124世界@名無史さん:02/02/02 18:50
>>122
危ない危ない。ギリギリセーフだった。いや、今日晴れたら友達と風俗に逝く予定だったから。
125世界@名無史さん:02/02/03 04:48
「童貞」たって、アナールはよいとかそういう話?
まじめな話、性風俗史で信用できるのはどういう本があるんでしょうか?

126世界@名無史さん:02/02/03 05:02
>>124は童貞かつテンプル騎士団員所属希望か?
性風俗史で信用できる本?…う〜ん。
127棄教者 ◆witdLTi2 :02/02/03 09:41
>>122,124は漢だ!!!
UNIX板で漢はよく見るけど世界史板で見るのは初めてだage
このまま薄汚いイスラム教徒の手から聖地を守れ!!>122
128世界@名無史さん:02/02/03 14:12
Baronオカベが我らが英雄だ!
129世界@名無史さん:02/02/03 14:16
主にお使えする訳だから、マジで童貞でなければならないのでは?
要するに聖職者になるわけでしょ。マルタ騎士団になるって事は?
130世界@名無史さん:02/02/03 17:30
>>128

Baronオカベってだれ?

>>129

騎士団員は厳密には聖職者ではない。
もちろんかつては聖職者以上に厳密であったが
現在では、どちらかといえば
互助会のような組織になっている。
もちろん世界で80カ国ぐらいは
「国家」待遇でマルタ騎士団のパスポート
を発行しているし、HPを見ても
わかるように女性の入団を認めている。
131age:02/02/07 16:14
age
132世界@名無史さん:02/02/07 18:34
>>130

>>29
に詳細

マダム大谷だけでなく、マダムデヴィとも
親交が深いらしい・・・・・
133世界@名無史さん:02/02/12 04:09
>>127
>122,124は漢だ!!!
おぬしはゲームラボマンか?(w
*注1 ゲームラボ 三才ブックスが出版しているアングラ系?のゲーム雑誌
*注2 ゲームラボマン うえの雑誌で「漢」というものを認定する酔狂なおじさん
134age:02/02/19 08:15
1
135世界@名無史さん:02/02/24 14:42
>>133
「漢だ」「ゲームラボマン」ってなに?
情報きぼーん。
136a:02/03/06 22:17
ageてもいいですか?
137トレビサン:02/03/06 22:23
オレはヨハネ騎士団にはいって、ロードス島で迫りくるオスマン勢をばったばったと
切り倒したい。串刺し公と呼ばせてやる。名前の後にツェペシってつかせてやる。
138世界@名無史さん:02/03/06 22:31
>137
このドラキュラめ。
139トレビサン:02/03/06 22:43
そのとーり!何故彼ブラド・ツェペシュ公が串刺し公などと銘打たれて非難されねば
ならんのか。確かに彼は皆殺しにして、串刺しにしたオスマン兵を自分の城まで並べる
なんていう少しお茶目な一面ももってはいたが、それは彼が率いるドラゴン騎士団の、
ひいてはカトリックの神敵であったからだ!おのれブラム・ストーカーめ!小話ではあるが
今現在のルーマニアは観光事業に力を入れていて「ドラキュラ」は一番の外貨獲得
手段らしい。本当に恐いのは吸血鬼なんだか、それを飯の種にしている人間なんだか・・・
140世界@名無史さん:02/03/09 00:05
>139
ドラゴン騎士団はルクセンブルク家時代の神聖ローマ帝国
の騎士団でブラドが率いていたわけではない。
父のブラド2世は騎士団員だった。
141世界@名無史さん
騎士団age