>>141 胡惟庸(丞相)っていよいよ謀反を起こしたときに、日本(九州)に援軍を
もとめていて、実際に400名程度の「日本軍」が援軍として派遣されてい
ます。
#どうやら明朝初期の地理感覚では九州が本体で本州は付属の島のような
#扱いだったらしい。
で、当時九州を支配していたのが懐良親王。
親王はもともと8歳で九州平定のために派遣されたんだけど、半独立勢力として
南朝方北朝方問わずに人物を用いて、30歳のときに九州全域を統治下におきま
した。その後畿内で南朝が落ち目になる中、40年にわたり九州に君臨した。
で、明朝と何の関係があるかというと、明朝成立直後に(勝手に)朝貢して
「日本国王」の称号を受けている。ちなみに次の日本国王は15歳年下の
足利義満。
良い意味で食えない政治家だけどなぜかあまり注目されていない・・・
「日本」という枠内だけだとだたの地方政権だけど、アジア史全体からみる
と面白い政権