素材の歴史...金属、ガラス、プラスティック、繊維

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506Krt
>>504
「沈黙は金、雄弁は銀」という言葉は、古代においては金よりも銀の方が値打ちがあり、
この意味も「金でしかない沈黙よりも銀である雄弁の方が優れている」という意味だった、
とかいう話をよく聞くので、検索してみたんだが、いや、出てくるわ、出てくるわ(笑)
で、その話というのはみな、古代ギリシャの雄弁政治家デモステネスが民衆にむかって、
「市民諸君、君らも私のようにように大いにしゃべりたまえ、沈黙は金の価値しかないが
雄弁は銀の価値があるのだ」と言ったことに由来するとか。

はっきり言ってこれは「ヨタ話」ではないか思う。まずデモステネスが活躍した前四世紀
アテナイにおいては、金と銀の比価は13:1 とか 12:1 ぐらいで金の方が値打ちがあった。
これは280でも引いた一次資料、伝プラトンの「彼の金は銀の十二倍の値打ちがあるのに」
(ヒッパルコス)(231D)という記述から明かであるし、研究者も前述の湯浅以外にも
「ギリシャの古典期に至る数世紀間、金と銀の価値比率は6:1から8:1の間を変動していた。
ヘロドトスの時代(前5世紀)のギリシャでは、それはおおよそ13:1であった」アンドレイ
・アニーキン「黄色い悪魔:資本主義と金」大月書店、等と見解は一致している。
第一ヘシオドスですら時代は金、銀、青銅、英雄、鉄と次第に堕落するとしたではないか。
507Krt:03/07/14 21:38
またデモステネスが○○と言った、の○○の部分については、私が見た範囲ではこの話を
載せているサイトには出典が書いていないし、一番ありがちなプルタルコス「英雄伝」の
デモステネスの項にもそんな話は載っていない(誰か出典を知ってたら是非教えて下さい)。
で、やっとあるサイトで見つけたこの話の出元らしきものに言及しているのが以下である。
ttp://www.interq.or.jp/www1/ipsenon/p/kk6.html
>『時代考証百科』『銭の歴史』等の著者、八剣浩太郎氏の説を紹介しませう。
>たぶん人類が、自然状態に遊離していて目についた最初の金属は金だったのでせう。
>銀は方解石の中に結晶体で埋まっている自然銀でも精練して成分を遊離させなくては
>いけない。金に比べて銀の産出量が世界史的に少なかった。
>特にヨーロッパではコロンブス以前まで東洋からの戦利品で大半をまかなっていた。
>古代ヨーロッパでは、金よりも(磁石の作用を受けない)銀が尊ばれ、ギリシア史第一の
>雄弁政治家デモステネスは、「市民諸君、君らも私のようにように大いにしゃべりたまえ
>沈黙は金の価値しかないが、雄弁は銀の価値があるのだ」と、名セリフを吐いた、
>というわけです。ところが、これが室町時代末期の日本に伝わり、のちの江戸初期に
>一般通念化したときには、「沈黙は金、雄弁は銀」として、銀より金を上位にしたのです。
>ま、物言えば唇寒し徳川政権、ということなのでせう。
508Krt:03/07/14 21:39
相変わらずデモステネス話の出典は不明だが、この説の他の部分はトンデモである。
>>109で既に書いたように、銀の精錬はすでに紀元前4000年ぐらいから始まっており
(参:ジョーゼフ・B・ランバート「遺物は語る」青土社)エジプトのような例外的に、
金産出国で銀をあまり産出しない所はあったものの、このエジプトですら銀産出地域
との交易がなかった、あるいは細った時以外は、常に、金の値>銀の値であった。
(第一王朝以前、及び新王国初期において金と銀の値が同じ位だったことはある>>280
また欧州にもギリシャやドイツのような銀産国が存在し、これらの地域の経済を支えた。
新大陸の貴金属の流入は、これに先立つ時代、東方への銀流出とガーナからの金流入で
しばしば10:1位と、金安銀高だった金と銀の比価を金高銀安に傾けただけである。
(さらに金と比較して磁石の作用をうけない云々も変な話のようにみえるのだが)

なお東京堂出版の北村孝一編「世界ことわざ辞典」は「雄弁は銀、沈黙は金」について
これはタルムードに用例がある古い諺でここから世界各国に広まった、としているが
タルムードなら成立も四世紀(エルサレム)ないし五世紀(バビロニア)だろうし、
これの沈黙、雄弁関係の元ネタになったといわれる「ベン・シラの知恵」も前二世紀で、
内容的にも、口は禍の元、的な戒めが多い(旧約外典偽典2:同書28章:教文館)。
509Krt:03/07/14 21:40
そして確かに同様な諺が各国にあり、意味も常識通り(沈黙>雄弁)である。例えば
「しゃべる者は銀をつかみ、黙る者は金をつかむ」(ギリシャ)
「雄弁が1ルピーなら沈黙は2ルピー」(ヒンディー)
「口にした言葉は銀、口にしていない言葉は金」(ロシア)
「愚者の心は口にあり、賢者の口は心にある」(各地)

それゆえ今までの説明から、沈黙>雄弁、従って金>銀を前提としているのが
普遍的な発想であることがわかるだろう。つまり日本でだけ、諺本来の意味とは
異なった受け取り方をされている、という話がおかしいことはこれでわかると思う。

だからもし「沈黙は金、雄弁は銀」という諺が、沈黙<雄弁、かつ、金<銀だと
いうのなら、銀>金(同等ではダメ)であった時代を明確に特定し、その時代に
確かに「沈黙は金、雄弁は銀」という諺があったことを示して欲しいものだと思う。
またはデモステネスが何か特別な文脈でこう言ったということをきちんと説明するとか。
なのに新聞のコラムや、経済史(日本経済史)の大学教師のHPにも、典拠も挙げず
「本当は意味が逆で、デモステネスが云々」と、得意げに書いてあるんだものなぁ。