ところで新渡戸の「武士道」を読みたいんだけど、本やで探しても見つかんない.
95 :
世界@名無史さん :02/02/25 08:26
仏映画の「サムライ」カッコイイ
96 :
世界@名無史さん :02/02/25 09:47
うーん、若者には良くも悪くもSNKのアレが 侍のイメージになってるんじゃないかな。
97 :
世界@名無史さん :02/02/25 09:56
バドミントンのイースタングリップは、 やっぱ刀の握り方からきてるのかな?
98 :
世界@名無史さん :02/02/25 20:27
>>94 新渡戸稲造の『武士道』まだ売ってるよ。奈良本辰也・訳・解説、三笠書房
Bu-shi-do means literally Military-knight-Ways-the ways which
fighting nobles should observe in their daily life as well as
in their vocation in a word,"Precepts of Knighthood,"
the noblesse oblige of the warrior class.
ブ・シ・ドゥとは字義どうりには、武・士・道である。戦士たる高貴な人の、
本来の職分のみならず、日常生活における規範をもそれは意味している。
武士道は一言で言えば、「騎士道の規律」、武士階級の「高い身分に伴う義務」
である。
99 :
世界@名無史さん :02/02/25 22:52
>>93 確かに武士道は合理的なんだけど西洋で言うところの合理性とは大きく違う。
やはり最後の一線はとてつもなく狂信的。
大石の例がわかりやすいと思う。
ギリギリまでお家再興を目指すまではとても合理的。
でもいったんお家再興が途絶えた後にあえて討ち入りするのは合理性を見出せない。
その時点で新たな仕官の道を探るのが西洋で言うところの合理性だと思う。
忠臣蔵のどこまでが史実かはわからないが、これだけ愛されている物語であるからには忠臣蔵が日本人にとっての武士としての(人としての)理想像だということになる。
堀部や大石のような武士が理想的武士(人)であり、吉良や綱吉のような武士(人)は軽蔑の対象になる。
この武人としての理想形は当然日本帝国軍にも受け継がれている。
もちろんあくまで理想であってその通りの行動が取れた人は少ない。
ただ二百三高地や硫黄島での日本軍兵士の気持は赤穂浪士に近いものがあったのではないかと思う。
日本軍の問題は堀部はいたけど大石はいなかったというとこかな。
100 :
世界@名無史さん :02/02/25 23:01
ちょっとちがった やはり日本軍にも大石はいたはずだ。 合理的に考えてどうかんがえても無駄だと思いながら作戦を指揮した司令官は多かったはず。 武士にしても日本軍にしてもギリギリのところで論理の跳躍がある。 合理的に考えたら無謀な行為でも彼らにとっては避けることが出来ない行為だ。 そこらへんが西洋人にとっては神秘的なのかもしれない。 武士道を理解しようと思う人にとっては崇高な存在に映り、理解しようとしない場合は狂信的に映るのはこの論理の跳躍の部分のせいだと思う。 日本人にはそのへんの論理の跳躍は簡単に理解できるんだけどね。
101 :
世界@名無史さん :02/02/26 22:02
初期及び戦国時代の武士道と江戸時代の武士道はかなり違う。前者は儒教の影響 がなく西洋騎士道とよく似ている。
102 :
世界@名無史さん :02/03/02 00:42
名誉、勇気、忠実、献身,というのは人間ならば人種を問わずに心を打たれる からだと思われ
103 :
ベンゼン中尉 ◆fjTeojqQ :02/03/02 01:46
武士道とは西洋の騎士道に通じる哲学である。 武士という特権階級が、貧しくともプライドを保てたのは武士道に裏づけされた精神力があったからだと思うが。
104 :
世界@名無史さん :02/03/03 17:21
武士の時代に武士道の明確な概念があったのだろうか? 式目や諸法度みたいな明文化された法典?があったとしても、 当時の日本人に確固たる遵法意識が根付いていたとは信じがたいのだが。 武士道というものは、実は反実仮想?
105 :
世界@名無史さん :02/03/03 17:24
剣道柔道が実戦技術から発生したように、 士族階級のバックボーンは武士道じゃないんじゃない。
106 :
世界@名無史さん :02/03/03 17:31
サムライは戦国時代や江戸時代には有名でなかったのか?
107 :
世界@名無史さん :02/03/03 18:43
>>105 何をいいたいのか意味不明。あんた武士道知らんのだろう?
108 :
世界@名無史さん :02/03/03 18:55
>>107 なに噛み付いてだよw
体系化されたものは武士道の為の武士道だろ
所詮はあとから意味づけされるものなんだから
武士道という言葉は開国してから本格的に西欧に伝わったけど、 それ以前から来日した外国人例えばケンペルやツンベルグは日本人の名誉心に ついて賛嘆している。ツンベルグは日本人は文明人だと言っているが その理由の一つに名誉を重んじる心をあげている。 今から見ればバカバカしいことに拘っているように見えるけど、 今我々が失いかけている「自らを律する精神」を持っていたのは 認めざるを得ない。楽と得だけの生き方を自分に正直に生きるという 言葉で正当化している現代人とは対極にあると思う。 信仰によって自らを律してきた西欧人には宗教なしでそれ以上のことが できた武士に関心を示すのも無理はない。 あと、蛇足だけどセオドア・ルーズベルトがポーツマス条約の斡旋をした理由に ついて「昔、赤穂浪士の討ち入りの話を読み感動したからだ。」と言った とのことだ。ゴローニンの日本俘虜記(講談社学術文庫)の奉行の言葉として 「各国さまざまな習慣を有していらが真に善いものはいずれにおいても 善と認められる。」とあるのを思い出した。
110 :
世界@名無史さん :02/03/03 20:02
誉め殺しとか、オタメゴカシとか、社交辞令とか、 プライドが高いとかいいながらお世辞に弱いとか。
111 :
世界@名無史さん :02/03/03 22:55
>>110 謙譲の美徳ってやつですな。
だがそれはサムライにおける無私の精神とは別物なのかも?
112 :
世界@名無史さん :02/03/03 23:02
武士道の経典というか教科書みたいなものをあげてみてくれ。読んでみて江。 ただし葉隠れなど知ってる奴はのぞく。頼むチン。
>>112 「士道要論」斎藤拙道
「武士道叢書」井上哲次郎
とかあるけど集大成した経典のようなものはない。
読んでも面白くなかろう。
図書館に行けばあるかもしれない。
入門書というか、読みやすいのが
①「武士道の系譜」奈良元辰也 中公文庫
②「救国 武士道案内」大橋健二 小学館文庫
こんなとこらからいかがでしょうか。
114 :
世界@名無史さん :02/03/03 23:56
他にもあるだろう。江戸時代人が書いた奴。頼むチン。
115 :
世界@名無史さん :02/03/03 23:58
116 :
世界@名無史さん :02/03/04 00:39
117 :
世界@名無史さん :02/03/04 00:41
侍の語源は、半島からきた渡来人のことを呼ぶうちに変化して、侍になったらしいね。 変化もとの半島の言語って、どういう言葉だったのだろう。
118 :
ベンゼン中尉 ◆fjTeojqQ :02/03/04 00:56
日本文化は恥の文化だと以前外人の誰かが言っていたね。 恥があるから、切腹などを盛んに行なったということらしいが、日本人の名誉心を外人は理解出来ないのかも知れないね。 日本兵が捕虜の辱めを受けないという教育をしたのも武士道に起因すると思われる。
119 :
世界@名無史さん :02/03/04 01:00
>>117 侍の語源は「さぶらう」だよ。
「傍に仕える者」から来た言葉。
ハン板とかでそんなこと言ったらチョンとか言われるから気をつけてねw
120 :
世界@名無史さん :02/03/04 01:02
>>117 出た! 侍半島起源説
荒れる予感・・・・・
121 :
ベンゼン中尉 ◆fjTeojqQ :02/03/04 01:07
別にそんなの関係ないよ。半島に武士道はないからね。道教どまりじゃないのかな。 日本の武士道と西洋の騎士道はよく似ている様だ。向こうの学者も驚いているね。 鎖国をしながら、西洋式の中央集権国家を作り上げたことにね。
122 :
世界@名無史さん :02/03/04 01:50
なんと、まじで、侍は半島起源と思ってたよ。 なんで、うちの先生は、そんなうそつくんだ。理由がわからん。
123 :
世界@名無史さん :02/03/04 01:54
さむらいをもののふともいうが、それは物部氏にもとづくという。 その話から渡来人系という話に誤ったんじゃないのか。
124 :
世界@名無史さん :02/03/04 01:56
>>122 日教組はそういう嘘つくから気をつけてね。
たぶんその先生は「サウラビ」ってのが半島にあったんだと誤解してるんだよ。
これは韓国のある学者が戦後につくった造語で、決して昔からあった言葉じゃない。
武士道、すなわち侍は日本独自のものだから騙されないように気をつけてね。
半島に興味あるんだったらハン板に行ってみるといいかも。
差別用語が飛び交ったりするときもあるけど、良スレもけっこうあるよ。
125 :
世界@名無史さん :02/03/04 01:59
おおっと、
最初から読んでみればネタ並みのうそだったのか?
ホントに信じてた、おれは、ばか者だ。
>>123 その、もののふ説は、否定されていたような。
先生は物部氏とは関係ないみたいいなことを
言ってたような。
126 :
世界@名無史さん :02/03/04 02:00
↑先生のいったことばかり信用しないほうがいい。特に高校の教師のいうことは でまかせ多し。 自分で色んな本を読んで考えたほうがいいよ。
「サウラビ」という朝鮮語は、1983年に韓国の数学者・金容雲が自著
『韓国人と日本人』(サイマル出版会)の中で
>韓国語で戦うということを「サウル」といい、男を「アビ」という。「戦う男」を韓国語でじかに表現すると、「サウルアビ」に
>なる。飛躍がすぎると叱られるのを覚悟で、アマチュア式思考でいうと、日本の「サムライ」と、韓国の「サウルアビ」と、
>なにかつながりがありそうに考えられる。
と書いた時に、歴史上初めて発生した言葉です。それ以前に「サウラビ」と
いう単語(またそれに類する単語)が朝鮮語(や日本語やシナ語)の文献に
登場したことは一度としてありません。
それからたった10年余りで、「サウラビ」の実在を疑わない大作映画が作られる
ほどに、韓国社会は病んでいるのです。
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/3249/samurai.html
129 :
世界@名無史さん :02/03/04 06:16
朝鮮人はサムライなど国際的に受けがいいものは、全部半島起源と捏造して パクろうとする卑劣な輩。
結局サウラビは嘘だったんだろ。 日本刀作る技術も無く、七支刀が剣術が伝わった何よりの証とか ほざいていたからな。 韓国の戦士の絵を見たことがあるが片手剣に盾をもってたぞ(対馬に 攻めたぐらい時期)
131 :
世界@名無史さん :02/03/04 11:03
日本刀作る技術も無いっていうか日本刀に使われる技術って世界でも独特なのよね。 まあ鉄の使い方なんだけど。 有史以来ずっと中国の属国だった朝鮮には、唐剣を作る技術はあっても 日本刀を作る技術があるわけないんだよね。 もしも朝鮮にそんな技術があったら中国にもあるはずだし。 なんたって朝鮮は中国の田舎なんだから。
132 :
アマノウヅメ :02/03/04 11:47
>>123 >>125 物部氏が「もののふ」の語源というわけではなく、「もののべ」(もの+の+へ)と
「もののふ」(もの+の+ふ)が同じ起源の言葉ということです。
物具(もの+の+ぐ)も同じですね。
ここの「もの」は、軍事や刑罰を直接いうのを避けた表現で、物部氏は軍事・刑罰を
担当した部民の統率者です。
律令では、刑部省に属し刑罰の執行を担当した下級官吏を「物部」と呼びます。
133 :
世界@名無史さん :02/03/04 14:57
>>126 ちなみに、私の言ってる先生というのは、某関西有名私立大学の教授だったか、助教授
だったかの人のことです。
そんな奴のいるところに行っていた事がお恥ずかしいです。
134 :
世界@名無史さん :02/03/05 02:58
挙げ
135 :
世界@名無史さん :02/03/05 03:26
>>132 さすがはアマノウヅメさん・・・。勉強になります。
136 :
世界@名無史さん :02/03/05 14:01
戦前か昭和20年代生まれくらいまでの人は知らず知らずに武士道精神を教えら れていた。「弱い者がいじめられていたら、必ず身をていして助けろ。見て見ぬ ふりをするとしたら、お前自身が卑怯なのだ」「お前は卑怯だ」と言われること は、「お前は生きる価値がない」と言われるのと同じであった。 卑怯がいけないのに理由はない。「だめだから、だめなんだ」という教えであった。 会津の藩校日新館には「ならぬものはならぬ」というおきてがありまさにこれだ。 武士道精神には、卑怯を憎む心のほか、誠実、忍耐、勇気、慈愛、正義、惻隠、 名誉などがあった。日本人の行動規準、判断基準になる素晴らしい形だった。
137 :
世界@名無史さん :02/03/05 16:03
日本刀って綺麗だよなぁ・・・ マジデ
138 :
世界@名無史さん :02/03/05 22:45
先日会津に行ったら、白虎隊の墓と同じ場所に、ドイツ政府や ローマ市から戦前に贈られた石碑が建っててびっくりした。 しかもローマ市のはポンペイ遺跡から掘り起こされた石柱を 使ったって話だし。 まあ・・・戦前っても1930年代だから実質は戦中だし、 日独伊で友好を深める意図もあったんだろうけど、 それにしたって何故会津。何故白虎隊。 国内では当時さえ「会津藩=逆賊」扱いだったって 言うのに。 やっぱり忠誠とか忠義とか自決とか言うのは受けるんだろうか。
>135 物部氏のモノについては祭祀面を重要視してモノノケのモノ、霊的な意味で あるとする説もあります。「霊力を秘めた武器」、あるいは強い(霊)力と 武器が同義語の様に扱われていたのかも知れませんが。 >138 ムッソリーニが白虎隊に感動したとか、オリンピックの開催権を譲ってくれ る様に(病をおして)頼み込んで来た日本大使を「サムライ」と呼んでその 要望を受け入れたという話もありますからね。 イタリア軍といえば「怖くない」というイメージしかありませんが。
140 :
世界@名無史さん :02/03/06 00:01
パリの万国博覧会の後、ちょっとしたジャポンブームがあって アジア系の役者を使った日本を舞台にした映画が沢山作られたってのは概出?
141 :
世界@名無史さん :02/03/24 10:53
>>140 ていうか明治初期には、欧米に巡業に行った旅芸人一座が多数いたらしいよ。
で、当時の芝居といえばやっぱり侍チャンバラだったろう。
142 :
世界@名無史さん :02/03/24 11:50
ボーイ・スカウトを創設したイギリスのベーデン・パウエル卿は、日本に来て その武士道精神を学ぼうとし、薩摩の少年に対する「郷中教育」や会津に行き 白虎隊の精神を学び深く感動し、日本にはかつてヨーロッパ人にもあった 「騎士道精神」が生きているとし、ボーイ・スカウトのスピリットには日本の 武士道が取り入れられた。また彼は上村海軍大将を尊敬しており、日英関係の 古き良き時代に生きた人物であった。
143 :
世界@名無史さん :
02/03/25 06:30 万延元年(1860年)江戸幕府が派遣した「遣米使節団」の一行が太平洋を 渡りニューヨークのブロードウェイを行進していた。ブロードウェイは「東方の 神秘なる国から来た日本人」を一目見ようとする市民たちで、黒山の人だかりだ った。 彼らはニューヨーク市がお膳立てしてくれた四輪馬車に乗り、正装である紋付き袴 を着て、腰に日本刀を下げて、歓呼の中を粛々と行進した。 アメリカ人たちはそれ以前に中国人を見ていたが、日本人を見るのはこれが最初 だった。彼らは顔をまっすぐに正面を向け、背筋をピンと伸ばした毅然たる サムライの姿に、他の外国人とはくらべることができない”気品のよさ”を発見 するのだった。 その黒山の観衆の中に41歳になるウォルト・ホイットマンの姿があった。 彼はその日見たサムライの感想を『草の葉』の中に書きのこしている。 「西の海を越えて遥か日本から渡来した、頬が日焼けし、刀を二本手挟んだ礼儀 正しい使節たち」で始まるその詩は、タイトルを「ブロードウェイの華麗な行列」 (A BROADWAY PAGEANT)といい、彼ははじめて見るサムライの 印象を、考え深げな黙想と真摯な輝く目であったと、最高の賛辞を贈っている。