フリードリヒ2世

このエントリーをはてなブックマークに追加
1世界@名無史さん
余についてマターリと語ってくれ。
2世界@名無史さん:01/12/25 01:58
そんなもん語るより、君の堕落人生を語ってくれたほうが、面白い。
3世界@名無史さん:01/12/31 00:40
大王様!じゃがいもは好物だったんですか?
4世界@名無史さん:01/12/31 00:43
スパルタ親父の反動で、名君?になれた。
5世界@名無史さん:01/12/31 00:44
大王!フルート聞かせてください!
6世界@名無史さん:01/12/31 00:47
はい
「あ」
「た」
「ま”」
7世界@名無史さん:01/12/31 06:34
大王の曲は、フルート協奏曲第1番と3番が好きです!
8世界@名無史さん:01/12/31 07:14
あなたのの好物はオレンジでは?
9世界@名無史さん:02/01/02 06:00
>>7
外見に似合わず、可愛らしい曲が多いよね。
大王のAllegro、萌え〜。
10世界@名無史さん:02/01/02 09:27
大王は奥さんに冷たすぎです!
11世界@名無史さん:02/01/02 10:16
なんだ、神聖ローマ皇帝の方じゃないんかいな。
12世界@名無史さん:02/01/03 01:18
在位当時から大王と呼ばれたんですか?
13世界@名無史さん:02/01/03 01:24
処刑されたお友達はおホモだちですか?
14世界@名無史さん:02/01/03 04:15
バッハの音楽の贈り物って、この人へのお歳暮?
15世界@名無史さん:02/01/03 14:19
1はまず肩書きを名乗れ
>>11
が混乱してる
16世界@名無史さん:02/01/03 16:13
バルバロッサの孫かと思ったよ。

オーストリア公フリードリヒ2世とか、ヘッセン・カッセル家のフリードリヒ2世とか、
ザクセン選帝侯フリードリヒ2世とか、プファルツ選帝侯フリードリヒ2世とか、
バーデン辺境伯フリードリヒ2世とか、バーデン大公フリードリヒ2世とか、
いろんなフリードリヒ2世について語るスレッド?
17世界@名無史さん:02/01/03 23:52
フリードリヒ大王ってなんかの本で読んだら3世と書かれていた
覚えがあるがどう数えるとそうなるんだろう?
18世界@名無史さん:02/01/04 00:36
フリードリヒ1世 − フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 − フリードリヒ2世

であり、プロイセン王の3代目ではあるが、どう数えても3世にはならない。

ちなみに、フリードリヒ大王のじいさんのフリードリヒ1世が、ブランデンブルク選帝侯
としてはフリードリヒ3世にあたる。
19世界@名無史さん:02/01/04 00:37
どこの家系のフリードリヒさんでも2代目ならフリードリヒ2世。
たとえ乞食でも。
20世界@名無史さん:02/01/04 00:47
貴族以外は前後3代くらい区別できればいいので、シニアとかジュニアを
つければよろし。って、独語でなんて言うんだっけ?<親子の区別
21:02/01/04 01:41
ピピンやスキピオみたいに小を付ければイイかと
22世界@名無史さん:02/01/04 04:15
>>14
そう。
たしか、バッハの次男がプロイセン宮廷付きのチェンバロ奏者を
やったと思う。
23世界@名無史さん:02/01/26 23:34
sage
24世界@名無史さん:02/03/10 03:26
25世界@名無史さん:02/03/10 11:59
ドイツの他の領邦国家の君主とくらべたらマシだと思う。
国家の富と権力を自分のために用いなかった。
他の領邦国家では、人間(傭兵)の輸出が唯一利益をもたらした、と
いわれるような状況だった。
26世界@名無史さん:02/03/10 12:04
玉座の最初の○○人
27スラヴァ:02/03/10 12:29
でも、ロシアのピョートル3世がこの人の信奉者じゃなかったら、歴史はどうなっていたんだろうね。
28世界@名無史さん:02/03/10 12:47
奥さんと仲が良くなくて、子供もいないけど、もしかしてホモ?
29世界@名無史さん:02/03/11 02:21
>>28
犬が相手です
30世界@名無史さん:02/03/11 19:01
>>28
女性蔑視だったみたいね。しかし、即位前は
マリア・テレジアとの縁談話もあったらしい。
実際、テレジアに肖像画を送ってる。即位前は
カール六世にかわいがってもらってたのに、カール
六世の死後、オーストリア継承戦争を起こしたもん
だから、テレジアの怒りはすさまじかった。
31世界@名無史さん:02/03/11 19:17
32世界@名無史さん:02/03/11 21:01
>>28
大のお姉ちゃん子だったようです。
一般的には知られてないようですが、少年時代は軍国主義が大嫌いで、フランスの
芸術やファッションに憧れてたとか。
お姉さんが嫁いだので、縁談を進めた父親を怨み、脱走しようとして捕まり、協力
した近臣たちが処刑されたようです。
その時、オーストリア公女だったマリア・テレジアからも寛大な処置を願う嘆願状
が父王に送られたそうですが、後年この恩を仇で返したわけですね。
その後、父親と和解して軍国主義者になったそうです。
3328:02/03/11 21:08
皆さんレスありがとうございます。皆さんの話を聞くと、フリードリッヒ
大王って、ルイXI世みたいなやつですね。
34世界@名無史さん:02/03/11 21:14
>>12
シレジアを獲得したオーストリア継承戦争以降だよ
35世界@名無史さん:02/04/11 23:17
>>28
ホモだったようです。
毎朝数人の青年仕官とコーヒーを飲み、解散する時にハンカチを投げていたそうです。
受け取った人は黙って相手を務めなければならなかったとのことです。
36世界@名無史さん:02/04/23 22:27
>>28
への反応がおもろい
37世界@名無史さん:02/04/23 23:07
ハプスブルクファンって、たいていこの人が嫌いだよな。
筆頭は江村洋
38世界@名無史さん:02/04/30 10:05
サンスーシ宮殿は平屋建てのこじんまりした宮殿。
一日のうち10時間を国務に、4時間を読書と著述に、2時間を社交と
音楽に捧げるのが大王の日常。
39世界@名無史さん:02/04/30 10:37
ポーランド分割に際してのマリア・テレジアに対する感想が面白い。

「彼女は泣いた。しかし取るものは取った」by老フリッツ
40世界@名無史さん:02/04/30 13:50
>>39
マリア・テレジアは最初ポーランド分割に加わるのを嫌がっていたけど、
最後には承知したんだよね。
どういう心境の変化があったのかな?
41山犬:02/04/30 15:03
この人、結構好きだな。
朝4時に起きて、政務や軍事教練に精を出し、夜はフルートの練習。
早起きが苦手で、起きなかった時は顔に水をかけて起こすよう家来に命じてたり、
「国家第一の僕」である自分を厳しく律していたのは尊敬に値すると思う。

上のほうで、同性愛のことに関して色々と書かれてますが、
バルバリーナという舞踏家をサンスーシ宮に招いて、関係を持ったことも
あるみたいですし、まあ、全然女性に興味が無かったわけではないんでしょうね。

宮廷に招いた女性は非常に少なく、基本的には男だらけの宮廷生活ですけど。

ちなみに、新婚当時は子供を作ろうと努力はしたみたいです。
まあそれも、父フリードリッヒ1世から「子供を作れば外国へ出かけても良い」
と言われていたからなんですけどね…。
42世界@名無史さん:02/04/30 17:32
>>41
ヴォルテールを招いて、宮殿の一角に住まわせてますね。
43世界@名無史さん:02/04/30 20:08
>>41
この時代のドイツの諸侯は、国家や領民のことなど何も考えてないのが
多かったから、フリードリヒ大王は例外。

七年戦争の末期には、退位・自殺も考えたらしいけど、運良くロシアの
エリザヴェータ女帝が死去して、その後継者のピョートル3世が大王の
崇拝者だったので救われた。
サンスーシ宮殿に帰ってきたフリードリヒは、腰が曲がり、髪が白く
なっていたそうな・・・
44山犬:02/04/30 22:06
>>42
ヴォルテールとは、国王に即位する前から15年近くにもわたって文通してますね。
1750年には彼をサンスーシ宮に招き、約3年間一緒にすごしました。

>この時代のドイツの諸侯は、国家や領民のことなど何も考えてないのが
>多かったから、フリードリヒ大王は例外。
護衛の兵士が疲れないように、馬車をゆっくり進ませたり、
死ぬ間際に犬に毛布をかけさせてやったり、そういう優しさをを持っていた点が
いいですね。誰に対しても人間らしく接したというか…。

この時代の為政者は人を人とも思わないような人が多いですしね。
45世界@名無史さん:02/04/30 23:06
>>37
うん、私はフリードリヒ二世が嫌いです。だって、テレジアが好きだから。
46世界@名無史さん:02/04/30 23:45
>>44
ある戦闘で自軍の兵士に戦況を尋ねた際、その兵士に「我が子よ、お前は
傷ついているではないか」と言って自分のハンカチを与えたとかの
エピソードもあるね。
あと宗教的にも寛容だったし、刑罰にも合理的運用を求めた。

実際どこまで徹底されたかはともかく、拷問も廃止してるし。
47世界@名無史さん:02/05/01 20:44
フリードリヒの育成したギャロップで攻撃する軽騎兵中隊だけど、
他国の騎兵がせいぜい700メートルのところを、プロイセン騎兵は
一気に1800メートルも駆け抜け、先制攻撃を仕掛けたとか。
中退ごとにインターバルなしに一気呵成に攻撃。
48世界@名無史さん:02/05/01 23:43
>>47
よくそんな感じの話し聞くけど、
1800mもギャロップで駈けたら戦闘どころじゃないぞ。
訓練したって言っても限度があるだろ。
だって約2kmだぜ。更にその後戦闘だろ、
敵にたどり着く頃には、へろへろのふらふら、
陣形もあったもんじゃないと思う。
せいぜいトロットから順次ギャロップに移って1800mだと思うぞ。
大王は専門外だが、前におれが読んだ本には、
数百ヤード駈けるとか、150mまで近づいたら
最大戦速に移るとかかいてあったし・・・。
49世界@名無史さん:02/05/02 12:43
>>48
半分近くが撃たれ、塹壕や窪地に落ち、首の骨を折ったりしたというのは
本当ですか?
止まれば後続の部隊に振り落とされてしまうので前進するしかなかったとか。
50無心高校生:02/05/02 19:45
フリードリヒ大王についての本には
ヴォルテールが金にセコくて結局それが元で宮殿から追い出された
とか書いてあるのに

ヴォルテールについての本には
フリードリヒ2世も所詮はただの専制君主で意見があわなくて宮殿を出た
とか書いてあった。
どうなの?
51世界@名無史さん:02/05/02 21:30
>>50
ヴォルテールは投機家。んでもって風刺家。
そこが問題。
投機で裁判沙汰、風刺書で大王と喧嘩沙汰。
そしてグッバイ。犬猿の仲になりました。めでたしめでたし。
52山犬:02/05/02 22:14
それと、ベルリンアカデミー総長のモーペルテュイとヴォルテールの間で
行われた論争を通じて、フリードリヒのヴォルテールに対する尊敬の念が
失われたのも、ヴォルテールとフリードリヒの関係が冷え込んだ原因では
ないでしょうか。

まあ、フリードリヒもフリードリヒで、国王即位前の「反マキャベリ論」
なんてものを書いていた頃とは、物の考え方が全く変わっていたのは
確かでしょうけどね。

この人1740年に書いた「反マキャベリ論」の中で侵略戦争を非難しているにも
かかわらず、それから1年も経たないうちに、オーストリア継承戦争に参戦
してるんですよねえ。かっこいいなぁ…(はぁと
53世界@名無史さん:02/05/03 02:19
54世界@名無史さん:02/05/03 02:22
55世界@名無史さん:02/05/03 12:37
>>52
そうそう、数年前まで批判しまくってたことを堂々とやってみせるんだよね。
萌えるな〜(はぁと
56世界@名無史さん:02/05/03 13:10
>>52
第二次ポーランド分割のときは「フランス民主主義の精神」
と戦うという名目でヴェルコポルスカ地方を占領している。
57世界@名無史さん:02/05/04 04:01
七年戦争は侵略にあらず!とか書いてみるテスト
58世界@名無史さん:02/05/06 19:58
「バイロイト竜騎兵」という虎の子部隊を作ったというのは
本当ですか?
59世界@名無史さん:02/05/09 18:32
>>35
フリードリヒが同性愛者だったという話は良く聞くけど、この時代(ロココ時代)
はそれほどモラルが厳しくなかったと思う。
当時の人にとっては、それほどショックな話ではないのでは?
厳しくなったのは、19世紀に市民社会が成立してからじゃないかなあ。
60世界@名無史さん:02/05/17 22:29
age
61世界@名無史さん:02/05/17 22:50
>59
「プロイセン王国以来あの悪名高き刑法第175条によって、
男子同性愛が禁じられていたこの国では、同性愛をテーマにした
文学作品は破棄され、公文書からは抹殺され」

この刑法はいつできたんだ?
62世界@名無史さん:02/06/04 00:46
age
63世界@名無史さん:02/06/19 08:50
AEG
64世界@名無史さん:02/06/19 17:22
この人物に限らず、歴史上の人物が戦争を起こすと
その結果がその人物の評価の大部分を占めてしまう傾向はどうにかならんか、
と思う。

戦争抜きで語っても結構名君だと思うけど。
65世界@名無史さん:02/06/27 01:40
>61
その文の本ネタは?

>64
自分もそう思われ!
66世界@名無史さん:02/06/27 03:53
啓蒙思想主義万歳!!
67世界@名無史さん:02/06/27 16:27
結局この人、男色説も、純粋な人間嫌い説もあるけど、
どっちが正しいんだろう?
元々は男色家で、後年男も嫌いになったんだろうか?
68世界@名無史さん:02/06/27 22:21
>65
織田杏奈「概論ドイツにおけるホモエロス文学」。
「耽美小説・ゲイ文学ブックガイド」(wに収録。
書名はアレですが、論文はまともです。
作家ハンス・ズィームゼンの175条批判も同論文で引用されています。
69世界@名無史さん:02/06/27 23:50
ブランデンブルグ=プロイセンが王国として認められ、
プロイセン王国となったのは何年か。
70世界@名無史さん:02/06/27 23:53
財政改革と軍備拡充により絶対王政を確立した、
18世紀前半のプロイセン国王をいえ。
71世界@名無史さん:02/06/27 23:55
官僚制を整えて富国強兵に勤め、
プロイセンをヨーロッパの強国とした18世紀半ばの国王をいえ。
72世界@名無史さん:02/06/27 23:57
71の人物はフランスの有名な思想家と文通し、新しい時代の文化を吸収した。
この思想家とはだれか。
73世界@名無史さん:02/06/28 00:00
71の人物は司法制度の改善や重商主義による産業保護を行うなど、成果をあげた。
このような近代化に勤めた君主を何というか。
74世界@名無史さん:02/06/28 00:02
71の人物のほかに、代表的な啓蒙絶対君主を二人あげよ。
75世界@名無史さん:02/06/28 00:04
71の人物が啓蒙絶対君主としての立場を示した、有名な言葉をあげよ。
76世界@名無史さん:02/06/28 17:50
親友とか言われてる、フォン・カッテは少尉だが、どうして仲良くなれたのだ?
子供の頃の、生活を見るとそんな余裕があるとは思えない。

77世界@名無史さん:02/07/07 17:48
とにかくこの人はマキアベリを毛嫌いしていたようだな。
確か、反君主論みたいなものを書いた思想家でもあったはずだが。
78世界@名無史さん:02/07/11 01:38
>77
若さ故の潔癖という奴かな?
反君主論・・・読んでみたい。
79世界@名無史さん:02/07/12 09:50
いや・・・実際君主論の抜き書き幾つか読んでみれば分かるけど、
(それこそ塩婆のでもいい)
実はフリードリヒ大王は、それに相当影響受けてる節がある。
ただ、彼のやった政策を見ていると、「啓蒙主義的人道主義
或いは合理主義」、要するに理性の結果として行なっているわけで、
「きつねとライオン(つまり野獣)」に注目すべし、とした
マキャベリを嫌っているのは、多分彼の「人間の理性に対する信頼」
から来ているように思う。

方法論でなくて、それを支える精神の問題かと。
80世界@名無史さん:02/07/21 02:00
戦争の天才、ナポレオンの先駆者というイメージを持ってたから、
このスレ読まなきゃよかった。
81世界@名無史さん:02/07/21 02:18
理性をつきつめると20世紀ではナチズムに至るよ
82世界@名無史さん:02/07/21 21:01
テレジアというライバルが、彼を引き立てている
83世界@名無史さん:02/07/23 21:11
ホモ大王の話って続かないのね。

関係無いけど、弟二人は炉利とホモ。王太子アウグスト・ヴィルヘルムはロリ。
軍人としては無能。指揮官を解任された。ホモ王子のハインリヒの軍事的才能は
高い。劣勢の軍団を指揮して、ザクセン方面の防御を見事に果たす。

七年戦争勃発当初は両人とも連隊長なのに、その後はえらい違い。
ホーエンツォレルン家では、ホモと軍事的才能の相関関係ってあるのかいな?
84世界@名無史さん:02/07/23 21:19
でずにーらんどについて どお おもわれますか?
85世界@名無史さん:02/07/24 21:44
童貞王のあだ名については どお おもわれますか?
86世界@名無史さん:02/08/13 23:11
少しあげて様子を見る。
87世界@名無史さん:02/08/21 00:54
age
88世界@名無史さん:02/08/22 23:04
上の方の話を蒸し返すかもだが、
このひと、ジョージ2世だかの従姉妹が好きだったってどこかで読んだなぁ
そのへんあんまり恵まれなかった(って言うのかどうだか)ようで…
89軍事おた:02/08/23 08:14
7年戦争といえば斜行戦術
90世界@名無史さん:02/08/30 00:38
あげてみたり。
91世界@名無史さん:02/09/06 22:45
age
彼は戦争では実に強運の持ち主だったようですね。
彼はそれまでの家柄による役員の決定をせず、個人の能力を評価して取り上げたそうです。
93世界@名無史さん:02/09/17 08:26
age
94アマノウヅメ:02/09/17 08:45
マリア・テレジアとヴォルテールが好きなんでこの人は評価しづらい。
しかし、やはり名君でしょう。
ヨーロッパでホモの名君(ギリシャ・ローマは別として)ほかにいますか?
95世界@名無史さん:02/09/29 21:35
7年戦争後国土は荒廃したが戦費を国債に頼らなかったため復興は早かったそうな。
クラウゼヴィッツ曰く近代ヨーロッパでは2倍以上の軍を破った唯一の将帥とのこと。

>>89
ロイテン会戦の斜行前進は有名だよね。
96世界@名無史さん:02/09/29 22:36
>94
>ヨーロッパでホモの名君
獅子心王リチャード1世(名君ではないが)
97世界@名無史さん:02/09/30 01:12
>>47-49
傭兵の二千年史とか言う本だっけ?
拉致まがいで使えそうなのを強制的に、プロイセン軍に入れちゃうんだよね。
98世界@名無史さん:02/09/30 11:43
ジェームズ1世は同性愛者だったらしい。寵臣バッキンガムとの関係が有名。

君主ではないが、プリンツ・オイゲンも同性愛者の噂があった。
結婚歴なし+女っ気なし+芸術の愛好家。
興味深いのはフリードリヒ大王が若い頃(ポーランド継承戦争)、オイゲンの軍に従軍していること。

オイゲン「王子に軍事以外のことも教えて挙げよう。」
フリードリッヒ「ああ、閣下・・・・・」
てな話もあったかもな。オイゲンはもう爺さんだったが。
99世界@名無史さん:02/09/30 20:08
ホモ説は多分に敵側が流した誇大情報で、現在ではほぼ否定されているようです。
どうも女性を蔑視する傾向があった上に気の合う男友達と有意義な会話をする
ことを好んだことからそんな噂が広まったようだが。
100世界@名無史さん:02/10/02 07:59
100ゲットしてみる。
101世界@名無史さん:02/10/02 13:53
軍部内ではものすごい厳しい規律だったそうだね。
逃げ出そうとすると、
上司が下士官にリンチ、焼き入れ、処刑なんかで死ぬ場合も少なくなかったとか。
一方で懐柔策も取ったわけだけど、これも脱走を防ぐため。

結構戦争で兵士を死なせてるし、名君とはいいがたいな。
102世界@名無史さん:02/10/02 18:17
>>101
いや、戦争をして国土を広げることこそが重要だった時代なんだから
名君でしょ、やっぱり。
103世界@名無史さん:02/10/02 19:00
鉄の規律のおかげで国力を大幅に伸ばしたプロイセンだが、やはりその規律のおかげで停滞しナポレオンに叩きのめされると…。
104世界@名無史さん:02/10/02 20:01
しかしワーテルロー会戦勝利の立役者はプロイセン
105世界@名無史さん:02/10/03 01:27
>>101-102
プロイセン国民から見れば名君かもね。
106世界@名無史さん:02/10/06 09:31
フリードリヒ2世の親父がフリードリヒ1世だと思ってるヤシは素人
(フリードリヒ・ヴィルへレム1世)
107世界@名無史さん:02/10/07 00:40
>>106
ハインリヒ6世ですが何か?
108世界@名無史さん:02/10/10 09:28
「音楽の捧げ物」、夜中に聴くとカナーリ怖いんですが
109世界@名無史さん:02/10/10 11:15
ある美少女(お見合い記録あり?)に恋した青年が、
その彼女が既に他の男にご執心であることをしり、
可愛さ余って憎さ百倍で継承戦争を起こしたとすると、
太りまくった醜いテレジアをみる晩年の彼の心中はいかばかりであろうか
110世界@名無史さん:02/10/10 12:44
プロイセン、ザクセン、ミュンヘン。
ヒットラーはよくナショナリズム植え付けたな。


111世界@名無史さん:02/10/11 16:18
>>109
しかも彼女の息子には慕われたんだよな……
112世界@名無史さん:02/10/11 20:10
>>111
親父からモナー

マリア・テレジアの12、3歳くらいの肖像画見たことあるけど、ほんとにかわいいね。
113世界@名無史さん:02/10/22 22:56
>>106
確か、両方ともおじいさんに当たるんだよね。

【ホーエンツォレルン】
フリードリヒ1世→フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(軍人王)→フリードリヒ2世(大王)

【ホーエンシュタウフェン】
フリードリヒ1世(赤髭王)→ハインリヒ6世→フリードリヒ2世
114世界@名無史さん:02/10/22 23:49
あれ?
なぜマリア・テレジア、このひとを憎悪したんだっけ?
115世界@名無史さん:02/10/26 12:52
マリア・テレジアとポンパドゥール夫人、エカテリーナ2世のことを
「スカートを穿いたペテン師」と呼んで不倶戴天の仲。
しかし、ホーエンツォルレルン朝のフリードリヒ2世も変りモンやね
ぇ〜。女好きのところは同好の士ではないけど。
116世界@名無史さん:02/10/26 13:04
>>114
肥沃なシュレジェン地方を継承戦争で奪われたことが、
そもそもの憎悪の発端では。関係無いけどマリアテレジア
の夫フランツ1世ってメディチ家最後の当主ジャン=ガストン
大公よりトスカナ大公位を継承してるんだよね。ということは
ハプスブルグはメディチ家の末裔でもあるのかな。
117世界@名無史さん:02/10/26 14:22
マリア・テレジアは16人の子持ちだったけど、娘のマリー・アントワネット
は処刑されるわ、息子のヨーゼフ2世はフリードリヒ2世ファンになってしま
うわで、可哀想なおふくろさんでしたねぇ。
118世界@名無史さん:02/10/28 01:01
>>114
デブ呼ばわりされたから
119世界@名無史さん:02/10/28 01:06
>>117
たくさん子供がいすぎて全体に目が届かなかったのかもね。
個人的にはマリー王妃の最後を見なくて良かったのがせめ
てもの救いかな。
120世界@名無史さん:02/10/28 02:18
シュレージェンの場合は最終的には勝ってるけどモルビッツの戦いでは
負けたと思って部下置きざりにして逃げてんじゃん。
自分も捕虜になるとこだったし。
まあこの時の失敗を二度と繰り返さなかったのが偉いんだろうけど。
121啓蒙主義って何?:02/10/29 03:02
なんつうのかな。理性の世紀、啓蒙主義いうけど、語源や起源がわからんね。
わからんけど、その理性をつきつめたのが斜行戦術やプロイセンの過酷な規律をもって
戦争機械として稼動する兵隊だと・・・。

ラプラスやデカルトを生んだ世紀についてレクチャー欲しいぞ
122世界史@名無史さん:02/10/29 09:04
>>114
神聖ローマ帝国初の女帝に即位する際、当然様様な方面からの反発は必死。
現にハンガリー、ボヘミアはこれ見よがしに民族運動を起こす。こういう
本当に困っている時に足元を見るような行動をとられたら一生恨むと思います。
フリードリヒも女性であるからと半分なめてかかっていた部分が多分にあると
思いますが、相手がハプスブルグ史上有数の名君であり、内政外交に長けた
英明な君主であることが判明してきた時、きっと彼女を敵に回したことを一度
は後悔していたでしょうね。


123世界@名無史さん:02/10/29 11:40
>>122
反発は必至と言うけど、その割にハプスブルク家側も有効な予防策を
取っていたとは言えないような。
プラグマティッシェ・ザンクティオンだけで十分だと思っていたとすれば、
ちょっと読みが甘かったと言えなくもない。
あれは極論すればただの紙切れに過ぎないわけで、
その実行を担保するだけのものがなければ。
まあ、これはむしろ父親の方の失策とは思うが。
124世界@名無史さん:02/10/29 23:21
マリア・テレジアの代わりに皇帝になったカール7世って極めてマイナーな
存在だよね。伝記等もあまり見ないし。
125世界@名無史さん:02/11/01 14:39
中世の方のフリードリヒ2世は
人間の根源の言語はなんであるかを調べようとして
赤ん坊を沢山集めて、言葉をいっさい聞かせずに
育てたら、どんな言語をしゃべるかを研究したが
結局、赤ん坊はみんな死んでしまったそうだな
126YAHOOO情報:02/11/01 14:44
127フリードリヒ大王が:02/11/02 08:23
揮下の将軍にたいし男場・・・いやお言葉があるようです
The King of Prussia's Military Instruction to his Generals.
http://tetrad.stanford.edu/Frederick.html

とりわけ士官にお言葉があるそうです。おそらく騎兵の運用についてでしょう
Particular Instruction of the King of Prussia to the Officers
of his Army, and especially those of the Cavalry.
http://tetrad.stanford.edu/hm/FredPart.html
128世界@名無史さん:02/11/02 08:24
ごめん。メモ代わり。あとで、じっくり読んでみます
129世界@名無史さん:02/11/02 08:39
>>125
それってチョムスキー
がやりたくて仕方なかった実験だね
130世界@名無史さん:02/11/02 09:28
エーコの本ではほかにも「ヘブライ語ですた!」とか「ペルシア語ですが何か」
という実験結果が晒しageされていてワラタ
131世界@名無史さん:02/11/18 15:21
フリードリヒ大王全集(全10巻)
日獨軍事同盟三周年記念出版
譯者 外山卯三郎
発行所 噛民社

わずかに、全集第3巻 七年戦争史第一部(昭和19年11月)
出版したのみで中断 (T_T)

132世界@名無史さん:02/11/18 15:45
第1巻 ブランデンブルグ王家の歴史
第2巻 わが時代の歴史
第3巻 七年戦争史 第一部
第4巻 七年戦争史 第二部
第5巻 ?
第6巻 戦争の大原理
    戦争の考察とその一般原理
第7〜10巻 ??
(ToT)

133世界@名無史さん:02/11/22 21:29
134世界@名無史さん:02/11/22 21:37
赤髭。溺死。
135世界@名無史さん:02/11/23 14:42
>127

糞。amazonでFrederick the Greatの著作集発注かけちまったよ。
勿体無い・・・
136世界@名無史さん:02/11/24 14:45
>122,124
フランツ一世の話も出ているので別にあえて言わなくても
いいかもしれませんが一応マリア・テレジアは皇帝にはな
ってないので(戴冠する気も)……国事詔書が今のイギリ
スの女王制ぐらいに整備・運用されてればよかったんで
しょうけど。
まぁボヘミア国王・ハンガリー国王ではあったわけですが。



19世紀の軍事オタクって必ずフリードリヒ大王信奉者か
ナポレオン信奉者ですよね、たいてい。
137世界@名無史さん:02/11/24 19:32
>>136
大モルトケ信奉者ですが何か?
138世界@名無史さん:02/12/06 15:13
フリードリヒって名前の王様は何人いるんだ?

たしかヴィルヘルム帝も、ヴィルヘルム・フリードリヒ・ホーエンツォルレン
だったような気が・・・。
139世界@名無史さん:02/12/06 16:34
>>125
 ムガール朝 インドのアクバルが唖の人を世話係にしてその実験をやったら、
 赤ちゃん達は身振り手振りで意思疎通する人々に育っちゃったらしい。
140大王:02/12/07 14:48
戦争は儲からんよ。シュレジエンが手に入らなきゃ、誰が20万人も
自国民を殺すものか
141メモがわりね:02/12/08 02:42
It would require a great historian to explain the causes
of famous the Seven Years War in this Europe engage
to which Bary's regiment was now on its way.

Let it suffice to say that
England and Purrsia were allies
and at war against France,Sweden,Russia and Austria.

Bary's first taste of battle was only a skirmish
against a small rearguard of Frenchmen
who occupied an orchard beside a road
down the Englishmen force wished to pass.

Thought this encounter is not recorded
in any history book,
it was memorable enough for those who took part
142メモがわりね:02/12/08 02:58
(『』内は映画字幕)

『7年戦争は歴史の謎である。それは全欧州を戦争に巻きこみ、バリーの連隊も参加
当時、英国はプロシアと同盟。敵はフランス、スウェーデン、ロシア、オーストリア』

もし歴史家たちが(いままさにバリーの連隊が向かおうとしている)
かの名高き7年戦争の原因を述べようとすれば、
英国とプロシアが同盟し、フランス、スウェーデン、ロシア、オーストリアと
戦った・・・としかいいようがない。

『バリーの初陣は小戦闘であいてはフランス軍。彼等は果樹園を背に
英軍を奇襲しようとたくらんだ』

バリーの初陣は前衛として、果樹園を守備するフランス軍後衛との
戦闘だった。英軍本隊が、果樹園の脇の道をとおるためだった。

『戦史にも残らぬ戦闘だが、殺し合いにはかわりない』

歴史書には記されぬ小戦闘だが、当事者にとっては記憶に残るに
十分だった。
143メモがわりね:02/12/08 03:01
ま、映画字幕のほうが、あの流れるようなNa.の雰囲気、うまくだしているけど、
2節目の『仏軍が果樹園を背に英軍の奇襲をたくらんだ』って、

・・・7年戦争当時のそりゃ近代戦に比べりゃスローモーな雰囲気、揶揄しているのは
わかるけど、字幕翻訳者が独自のアイディアで筋を創作しちゃあれですな
144メモがわりね:02/12/08 03:08
すまん。ちょっと、そのうちキューブリックの『バリーリンドン』ネタに
7年戦争関連、調べて書きたい思ったけど、それのメモ代わりに
書いておく。

この連隊単位の戦闘における前衛と後衛の問題って、クラウゼヴィッツも
『戦争論第5篇-第7章』で一章書いているけど、ちょっと面白いんだわ。
最終的にはナポレオンのバタイヨン・カレー(方形大隊 Le Bataillon Carre)
につながる話なので・・・
145メモがわり:02/12/11 04:32
http://www.napoleonseries.org/articles/military/doctrine.cfm

スペイン継承戦争〜7年戦争の敗北のあとのフランスの軍事改革について。
当初、プロイセン軍のコピーをもって改革となす案もあったが、幾多の論客が
でる。けしてギベールやグリボーヴァルいった理論家のみでなく無数の士官が
情熱を持ってイノベーションにあたった。
それは1770年代からはじまり、革命後もつづく。
ボナパルドもその「改革派士官」の弟子である。そしてのちの鋼鉄元帥ダブーも
その直系の弟子である。

【The Maneuvers at the Camp of Vaisseux】
Mesnil-Durandの理論に基づく機動戦maneuversのフランスにおけるテストは
1775年、メッツ守備隊2個連隊をつかいはじまる。
本格的な演習は1778/8月の歩兵44大隊、竜騎兵6連隊、砲兵隊の混成による
ノルマンディVaisseuxキャンプを嚆矢とする。(演習自体は9.sep-28.sep)
演習はうち32歩兵大隊を4個師団編成(1師団=2旅団=8大隊)

縦隊VS横隊の演習にあけくれたと。
演習の結果、旧理論派の横隊戦術と、縦隊混成の新戦術派のあいだで優劣論争がおこり
その後何回か演習がくりかえされた、と。

この論争は、1791年、すでに革命軍が前衛散兵線による援護射撃のした、
決死の縦隊突撃で外国干渉軍あいてに戦った頃にもつづいたが、この史実と
ほぼ「無縁!」だったと・・・。

なるほど
146ペーター:02/12/27 23:53
>>108
J.S.バッハの「音楽の捧げもの」ですか。
名作ですねぇ。

6声のリチェルカーレがいい。
そもそもあのテーマは、フリードリヒが創ったものだ。

たしかにちょっと神秘的で不気味な下降メロディー。
親しく胴衣。
147山崎渉
(^^)