1 :
世界@名無史さん:
長篠の合戦は織田の圧勝というイメージがあるが
武田の死者10000に対し織田の死者6000
(本当かどうか知らない)とかなりの接戦だったらしい。
またこれは稀に見る激戦であったらしく、
あの関が原の戦いでさえ、双方の死者はそれぞれ数百
だったとか。(これも本当かどうか知らない)
上は日本史板ぽいけど
まあ、世界の戦争について語って
カンネーの包囲殲滅戦では随分と死んだんじゃないかな。
あんまり詳しいことは知らないんだけど。
ハンニバル軍4万に対しローマ軍8万で、ローマ軍は殲滅されたけど
この戦闘の死者ってどれくらいだろうね。
>>3 確かローマ軍は4万から5万程度の死者じゃなかったっけ?
誰か補足キボン
5 :
世界@名無史さん:01/12/26 07:00
兵力が
カルタゴ軍約5万(騎兵1万、重装歩兵1万2000、軽装歩兵2万8000)
ローマ軍約8万(騎兵6000、重装歩兵2万4000、軽装歩兵5万)なのに対し
死者数は、
カルタゴ軍約8000
ローマ軍約5万だそうな。
6 :
世界@名無史さん:01/12/26 09:06
イタリアかどっかの戦争では、数千人が丸一日戦いつづけても死者は一人、それも落馬によるものしか出なかったらしい。
7 :
世界@名無史さん:01/12/26 09:38
>>1 まずウソだなその数字…14万が6時間に渡り衝突した関ヶ原で
両軍併せて4千人強しか戦死していない。
>>6 ルネッサンス時代の話だね。
当時、戦争する前にどちらが勝つか取引があったそうだ。
>6
人命を尊重するイタリア軍では無駄な抵抗はしない。
第二次世界大戦でのパンテレーリア島防衛戦では、
艦砲射撃で兵士1名が戦死しただけで降伏した。
「最初の一兵で手を挙げる」これがイタリア式戦争!
古代ローマとはえらい違いですな・・
11 :
世界@名無史さん:01/12/26 11:46
12 :
世界@名無史さん:01/12/26 11:53
>11
そうそう、エチオピアでは毒ガス使ったんだよね。
エチオピア兵はなぜ人間がバタバタ倒れて死んでいくのか
分からなかったらしい・・・
>12
ピエトロ・バドリオ陸軍総参謀長です。
マキャベリ曰く「勝ったもんの勝手でしょ!」よ。ガハッハ!
14 :
世界@名無史さん:01/12/26 14:01
前近代のとある将軍が、戦場の自慢話。
「我々は、兵力2千の敵軍に襲われたのである。しかし不屈の我が軍は……」
話すうちにだんだん高じてきたこの将軍。
「……そして我が軍は、この時、敵兵3千人を倒す大勝利を上げた!」
15 :
世界@名無史さん:01/12/26 18:11
>>6 1106年のTinchebrayの戦いも死者は1人。
中世の戦争は身代金目的だったから、殺さなかった。
でも貴族VS平民とか、階級的な要素が加わると、残忍な殺し合いに。
(1302年、Courtraiの戦い)
16 :
世界@名無史さん:01/12/26 19:06
>>15 中世でも宗教がらみの戦いだと、虐殺なんて平気であるけどね。
第1回十字軍なんてその代表例。
かすり傷でも、化膿して死んじゃった。
18 :
世界@名無史さん:02/01/16 17:55
「近代兵器」とは具体的にどこからを指すのでしょうか。
気になったものですみません。
19 :
世界@名無史さん:02/01/16 18:08
>>18 日本人の感覚だと鉄砲じゃないかなぁ。世界史的な感覚だとわからないけど。
20 :
世界@名無史さん:02/01/16 18:08
>>18 多分WW1に登場しはじめた兵器じゃない?
21 :
世界@名無史さん:02/01/16 18:25
>>19-20 こんなに早く回答をもらえるとは思いませんでした
ありがとうございます。
私も少し調べてみたんですけどお二人の言うとおり
日本史では戦国時代の記述から使われ、鉄砲等を指してい、
世界史では第一次世界大戦からのようです
22 :
世界@名無史さん:02/01/16 18:38
しかし、WWTの時塹壕戦においてモーニングスターまで持ち出して血まみれ男汗まみれの泥仕合いをしたやつらなんだよね。
23 :
世界@名無史さん:02/01/16 19:02
三国志とかだと数万単位の軍とかがバンバン戦うけど、死者はどれくらいだったんですか?
24 :
世界@名無史さん:02/01/17 00:42
25 :
世界@名無史さん:02/01/17 08:52
>>24ありがとうございます。
数千万人規模で死ぬなんて大陸はスケールが違いますな・・・。
ほら、中国で「穴埋め」ってあったじゃないですか。
投降兵の処理が面倒なんで10万人穴埋めしちゃった、とか。
あれはどの程度信用していいの?
27 :
世界@名無史さん:02/01/18 22:10
>>26「坑」といいますね。焚書坑儒で有名ですが、項羽が秦の降兵20万を坑したという
記録が史記にあったと思います。
支那には、この手の大量殺戮の伝統があり、日本人の感覚と違うところですね。
「屠城」という言葉もあり、これは篭城していた相手を皆殺しにすることです。
日本では、織田信長が多少やってますが、都市の構造が違うので、完全な皆殺し
というのは少ないです。
支那の「城」は、日本のような軍事施設という意味ではなく、都市を囲む壁を意味し
ますから、日本的な城に立てこもった相手を殲滅するというのではなく、1つの都市
の住民を皆殺しにするということで、日本的発想とは違います。
ちなみに「坑」というのは、本来は黄土地域に出現する大きな地割れ、幅数m、深さ
十数m、長さ数kmの地割れに相手を誘導して落し、埋めるというやり方で、簡単に
万単位の人間を殺して始末できる殺害方法です。
南京事件については、その実情について意見が分かれていますが、中国側は南京
事件とか南京大虐殺という名称ではなく「南京大屠殺」と呼んでおり、明らかに屠城
のイメージで語っています。
また、普通の日本人は知りませんが、中国政府は日本軍の残虐行為として「万人
坑」という大量殺戮現場が支那各地に存在すると主張しています。
これも、支那の歴史で繰り返された虐殺事件の連想だと考えられます。
つまり、自分達がやってきた残虐行為を日本軍もやったと主張しているのですが、
まぁ、城壁に囲まれた都市住民の皆殺しだとか、万単位の人間を地割れや穴につ
き落として埋め殺すなんてやり方を日本人が知っていたでしょうか。
ローマ人も何度か都市を壊滅させてるけど、
彼らは「都市を完全破壊、全住民を奴隷化」というのが基本。
非戦闘員や、武装解除された軍隊を手作業で大量に殺すって、凄い手間だよねえ。
もっとも、アステカには数万人単位の生贄を数時間で全員「処理」した記録があるそうだが。
29 :
世界@名無史さん:02/01/19 04:54
確か戦国末期の秦VS趙の長平の戦いでは
趙軍40万皆抗殺。おかげで趙には大人の男がいなくなったそうな。
実際に戦場付近を掘ると人骨がまとまってゴロゴロ出てきます。
ただ戦死、ではなく処刑に近いモノだからまぁ参考程度で。
戦闘での戦死者が爆発的に増えたのは日露戦争あたりからって話もあるね。
30 :
世界@名無史さん:02/01/19 05:12
>>29その話中国特有の白髪三千条だと思っていたんですが、(例・南京大虐殺せいぜい5〜6万人)
人骨が大量に出てくるということは、もしかしてほんとかも。
詳しく、知りたいです。
いったい古代に四十万の成人男子をどうやって処理したんですか。
武装解除されていたとしても、四十万も若い男がいて、
そいつらが自分が殺されること知り死ぬほど抵抗したら、
殺すほうも相当の被害がでそうだけど。
31 :
世界@名無史さん:02/01/19 06:35
うむ。
近代のように銃器を持った小数の人間による大量虐殺(アルメニア人大虐殺とか)
っていうのとは違うからね。どうやって抵抗を阻止したのか知りたいところ。
32 :
世界@名無史さん :02/01/19 08:00
中国もそうですが、古代ローマも特に敗者の死者数は相当のものですが、これも中国
同様の誇張表現でしょうか?
33 :
世界@名無史さん:02/01/19 08:18
郷に入れば郷に従えだ!!!
>日本人の感覚と違うところですね
>日本的発想とは違います
武烈天皇(第25代)の事績
2年秋、妊婦の腹を割いてその胎児をご覧になった。
3年冬10月、人の生爪を抜いて、山芋を掘らせた。
4年夏4月に、人の頭髪を抜いて梢に登らせ、樹の根本を切らせて、登っていた者が
落ちて死ぬのを眺めるのを楽しみとされた。
5年夏6月に、人を池の堤の樋(ひ)に伏せて入らせ、外に流れ出てくるのを三つ又
の矛で刺し殺してはそれを楽しまれた。
7年春2月に、人を樹に登らせ、弓で射落としてお笑いになった。
8年春3月に、女を裸にして平板に座らせ、馬を全面に引き出して交接させた。
女の陰部を見て、潤っているものは殺し、潤っていないものは召し上げて官婢
とされた。そしてそれを楽しまれた。
35 :
世界@名無史さん:02/01/19 09:36
武烈-継体の王朝交代によって、武烈が商の紂王的な扱いになっているのかな?
37 :
世界@名無史さん:02/01/19 09:40
38 :
世界@名無史さん:02/01/19 10:11
日中戦争の虐殺って南京事件ばかり取り上げられて
論争が延々と続いているけど
「各地において中隊単位で村、町を占領した時の住民の死者、強姦の被害者数」とかを
積み上げて行くだけで相当な数になると思うがね・・・。
「南京事件の死者は30万人じゃない」っていうのは分かるけど
それで中国本土に侵攻したことが免罪されるわけじゃないだろ。
中共の謀略云々とよく言うが、乗る方も・・。
合戦の死者数って互いに敵方の死者数を誇大に伝えるだろうから
正確な数はなかなか出せないだろう。
>>30項羽が秦兵20万を坑にした時は
夜分に急襲して穴の方に追いこんでいったんじゃなかったかな?
>「南京事件の死者は30万人じゃない」っていうのは分かるけど
>それで中国本土に侵攻したことが免罪されるわけじゃないだろ。
>中共の謀略云々とよく言うが、乗る方も・・。
戦闘行為での巻き添え被害、兵士の個人的犯罪、戦争
と
戦争犯罪
を
混同するのは違うと思うぞ。
まぁ、それなりに意見がないわけじゃないけど、世界史レベルから見れば、
戦争犯罪なんていう概念自体が現代の虚構なんだし、スレのテーマから
はずれてる南京事件についてはここで触れる必要もないだろ。
それと、倫理的に侵略がとか戦争の加害者として、といった視点を入れる
のはヤメとけ。
古代ローマで大量の死者を出した戦いというと、
マリウスがテウトネス族の軍勢十万を壊滅とか、
カエサルがヘルヴェティ族四十万を壊滅とかそういうやつ?
たしかに正確な数かどうかは疑わしいが、
彼らは軍隊というより民族単位の大移動集団なわけで、
尋常ならざる大群だったのは確かじゃないかな。
あと、数が多ければそう簡単には殺せないって発想はあるけど、
会戦っていうのはコマの動かし方でほとんど勝負が決まってしまうというな。
たとえば、全員が正面を向いて隊列を組んでいる場合、
そう簡単に個々の兵士が向きを変えることなどできないから、
横から奇襲を受けるとなすすべもない。
特に、前後左右から包囲されてしまった場合、
たとえ何万人いようと一方的な殺戮状態。
巨大な軍隊同士が全面的にぶつかりあう会戦では、
塹壕に篭って銃を撃ち合うような戦いではあり得ない惨劇が起こりうる。
カンネでローマ軍七万が壊滅というのはそういうことだったらしい。
44 :
世界@名無史さん:02/01/19 18:49
>30
秦の白起に砦からおびき出されて砦を奪われた上に包囲されて餓死寸前まで追い詰められたので大将の趙活が戦死した時点で降伏したのだと思います。
確か助けてやるから穴掘れって穴を掘らされてその穴に入らされ上から掘った土をかけられて生き埋めにされたと思います。
みんな餓死寸前だから穴掘った時点で抵抗できる力は無かったらしい。少年兵だけ帰したそうです。
それでも40万は大げさですね。正確な数字はわかりません。
45 :
世界@名無史さん:02/01/19 18:55
>>44想像で否定しないで、
>>27をよく読んでミソ。
穴掘らせて生き埋めにするなんて、できっこないだろ。
過去レスくらいヨメや。
46 :
ベタ藤原 ◆94Ls6/3E :02/01/19 20:44
昔の戦争は、直接戦闘で死ぬより、病死が多かったらしい。
47 :
世界@名無史さん:02/01/19 22:34
>>43もっとも、WW1 での「塹壕に篭って銃を撃ち合うような戦い」のほうが
それ以前の戦争よりも遥かに大量の死者を出したりしたけどね。
48 :
世界@名無史さん:02/01/19 22:46
>>45なんで出来っこないんだよ。
ただ負けた方に労役として穴掘らせて
、入り口塞いで生き埋めにしてしまえば簡単に。
>>48はいはい、んじゃ、ちょっとだけ考えてみましょうね。
前提条件として、捕虜が5万人、比較的掘り易い黄土地帯としましょう。
捕虜の監視をしているのが、武装兵士5千人程度ってところかな。
で、どういう手順でやるんだね。
労役として穴を掘らせるのに、道具は何を使わせるつもりだい。まさか素手で掘るって
考えているんじゃないだろうに。
鍬にしても鉄製の掘削用具は簡単に武器に転化できるということを忘れてはいけない。
集団で大きな竪穴を掘らせて、一旦全員を上にあげて道具を取り上げてから穴に下ろ
して、監視兵が埋めるのかい。それとも、他の捕虜に埋めさせるのかな。
掘削道具を持った大量の捕虜というのは、自分たちが殺される運命にあると気が付い
たら、確実に反乱を起こすし、その場合は素手ではなく、白兵戦では十分に武器として
使える道具を持っているんだよ。
第二次大戦でも、日本兵は弾薬が無くなった後の白兵戦で塹壕掘削用のスコップを
振り回して戦ったという記録があるくらいで、軍刀などよりも実際の威力はあったらしい。
少人数に分割したのでは、万単位の捕虜を全部生き埋めにするまでに秘密が漏れるだ
ろ。やはり危険だな。
それとも、横穴を想定しているのかな。数万が入れる横穴を掘るのは簡単じゃないぞ。
>47
たしかに世界大戦は一千万からの死者が出てるけど、
広大な地域で何年もかけてやってるし。西部戦線とか。
会戦は、ほんの数時間で数万人の死者が出る。
大量の非戦闘員を効率的に処刑するのに一番効率がよいのは、
やはりガス室であると思われ。
(・∀・)アイヒマーン
あ、もう一つある。
リトルボーイでまとめてあぼーん。
……洒落になってないので、ほどほどにしておきます。
>>29それ、「戦国策」に書いてあったことでしょう。
当時、
「ヘエ、中国、われら、黄色人種、すばらしいなあ、偉大だな」
と思ったが、今となっては眉唾物。
>>49う〜ん、そういう論拠もわかるんだけれど、シベリア抑留の俘虜記とか
読んでいると、内部リンチが横行するわ、栄養失調と事故で死亡者が続出
するわ、しかも何十年も帰国できないって言われていたのに整然と収容
されているんだよね。連合赤軍の総括もそうだし。
組織行動力を欠いた後には人間は家畜になる可能性はあるかも。
理屈で考えると「何で抵抗しない!?」って思うけど、ルワンダ、カンボジア
文革の中国、スターリンの反抗民族弾圧なんかを見るとね。
>49
廃坑とか使えばいけないかな?
何万人とか生き埋め。
>>55だから、過去スレを読んでね。
生き埋め=「坑」による大量殺害が存在しなかったと言っているんじゃなくて、
その具体的方法は、
>>44 >>48が考えているように、何もない土地に穴を掘ら
せてから、生き埋めにしたのではなく、
>>27が説明しているように、黄土地帯
に自然に存在する大規模な割れに誘導して落ちた捕虜を上から生き埋めに
したのだろうと推測されているということ。
元の話題が秦末、紀元前のことだから、近世・近代のような坑道方式による
鉱山というのがあったとしても、万単位の人間を追い込むのは難しいのでは。
現在の中国政府のプロパガンダに出てくる旧日本軍の「万人坑」については
世界史板で扱うようなものではないと思うのでコメントはなしね。
57 :
世界@名無史さん:02/01/20 19:00
近代兵器登場以前の戦傷者を考えるスレが、途中から
近代日本軍の捕虜殺傷能力考察に変わってきてる。
やめれ
58 :
世界@名無史さん:02/01/21 03:20
あげ
59 :
世界@名無史さん:02/01/21 03:49
>>50まず数万という数字が眉唾だと思うのだがそれはいいとして、
「壊滅」と言った場合、軍が壊滅したという意味ではないの?
そういう場合、全員死んだことにはならんと思うのだが。
捕虜になったものもおるだろうし、逃げ出したものもいると思う。
〜万死んだ、ってのは、残った数しか兵士が帰ってきませんでしたよ、って意味では?
とりあえず虐殺論者は失せろ。特に言い出しっぺの肯定論者は。
やるならもっと相応しい板なりスレなりがあるだろう。
「スレ違い」という常識から覚えろよ。
61 :
世界@名無史さん:02/01/21 04:11
>>59軍隊の場合、死者が2割で壊滅状態っていうのはよく聞く話だね。
もうそれ以上組織的な行動を行なえなくなるんで。
>59
カンネの場合、ローマ軍八万六千が壊滅して、
戦死者が四万人、捕虜となったのが一万人。
ハンニバル軍は四万五千、戦死者六千人。
もっとも、古代の記録では戦死者七万となっているそうで、これでも下方修正がかかっている。
資料よって数値に若干の異動はあるが、「本当は一万人も死んでないはずだ」とする根拠があるのか?
ちなみにローマ軍の場合、二個軍団が一万五千人と決められており、百人隊を基礎とするその部隊編成も現在に伝わって明らかだ。
63 :
世界@名無史さん:02/01/21 08:48
>45
史記に書いてあります。
長平の戦いでは趙の正規軍(ほとんど全軍)が30万で
他に上党という地方の住民が15万参加している。
その15万は一応軍民?となっているが戦力外のようなもの
秦の総兵力は20万くらい
ちなみにその頃の中国の全土の人口は把握しているだけで2000万位で
15〜50歳を徴兵したとして総人口の1/4は徴兵できる。でも実際は人口の
5%ぐらいが限度らしい。
65 :
世界@名無史さん:02/01/21 13:18
66 :
世界@名無史さん:02/01/25 08:02
ローマの資料ってやっぱ中国の資料より信頼度高い?
67 :
世界@名無史さん:02/01/25 10:55
すみません、クリミア戦争のバラクラーヴァの戦いで、
指令伝達の観覧から軽騎兵の部隊が、背後に大軍を
擁するロシア軍の砲列に突撃するという事態がうまれて、
なんとかロシア軍の砲兵陣地は破壊したものの、みずからも
壊滅的打撃をこうむったという事件があったんですが、
このときの死者はどのくらいだったんですか?
68 :
Thin RedLineとは別だが:02/01/25 11:55
673騎突撃で、247人戦死、馬は615騎喪失です。
1854/9/28
テニスンの詩で有名なバラクラバの600騎突撃ですね。
69 :
世界@名無史さん:02/01/25 14:00
>68
ありがとうございます。
それにしてもテニスンの詩とかよむと、
結構西洋でも戦死を賛美したりしてますね。
70 :
世界@名無史さん:02/01/25 15:46
普仏戦争のとき、スダンで総攻撃をうけたフランス軍は
1万7000人の死傷者を出し、翌日ナポレオン三世は
8万3000人の将兵とともに降伏。
これだと死傷者は二割。
71 :
世界@名無史さん:02/01/25 17:22
古代中国(戦国、三国)の動員数(死亡者数)は書かれたものの10分の1以下と
見積もって間違いなさそうです。
72 :
世界@名無史さん:02/01/25 23:15
>>71 オレは中国史は門外漢だが、聞いた話では正史に記載されている数量は
概ね正確で、兵数などは本当は半分から10分の1程度と判断されるなら
○○万と号す、というように書き、史書を記述した段階で正しいと考えられた
数ならそのまま○○万というように書き分けて、分かるようになっていると
いうことだったが。
一律10分の1以下と見積もるというのは、どのような説に基づくものなのだ
ろうか。
現代線では兵力全体の何パーセントが稼動しなくなると作戦が
続行できなくなるのでしたっけ?
これは近代兵器出現以前でも同じじゃないのですか?
誰か教えて下さい。
75 :
世界@名無史さん:02/01/26 14:15
>>71 ということは、赤壁の戦いの曹操軍100万とかいうのは
実際には10万以下なんだ?
76 :
世界@名無史さん:02/01/26 14:25
実際に怖いのは飢餓と疫病だなぁ。
なにせ、逃げようがない。
77 :
世界@名無史さん:02/01/26 14:42
もっと怖いのは税金だよな。
78 :
世界@名無史さん:02/01/26 15:40
>>71 日本も似たようなもんじゃないかな。
10分の1ってことはないだろうけど。
79 :
世界@名無史さん:02/01/26 15:46
>>71 中国の数字が本当なら、中世ヨーロッパの戦争なんて
小競り合いにしか見えないよな。
80 :
世界@名無史さん:02/01/26 15:50
81 :
世界@名無史さん:02/01/26 16:41
ローマ数字とか漢字で数えてたら、
100以上の数になると数えんの大変だっただろう。
82 :
世界@名無史さん:02/01/26 16:49
中世以降のヨーロッパだと、補給って現地補給(要は略奪)がメインじゃ
なかったでしたっけ? ナポレオンなんて現地補給の権化でしたし。
83 :
世界@名無史さん:02/01/26 16:51
内線作戦と外線作戦いうのって、どういう意味でしたっけ?
それかな・・・
84 :
世界@名無史さん:02/01/26 17:10
30年戦争を全盛とする傭兵じたいが、「補給を含む戦争事業全般の請負業者」でしたから。
いわゆる国王の軍隊、教会の軍隊、党の軍隊とかになると、単なる傭兵部隊より規模が大きくなって、
それなりに兵站維持が困難になってきます。
制限戦争時代、結局は略奪ないし物資運搬請負業者(海運もふくむ)の活躍の場がありましたが
ナポレオン時代になると、どうなんでしょうね
85 :
世界@名無史さん:02/01/27 01:33
現代戦では、補給は中央策源地からの輸送で行っている、現代戦の補給で
最も優先されるのが弾薬
次に燃料、予備部品、食料などと続く。
補給品の総重量では、燃料と弾薬がもっとも大きいだろう。
しかし、昔の戦争では、最も重要な補給品は食料だった。
当然輸送は、使役獣を使った陸送が主力だが
使役獣はそれ自身が、大量の糧食を消費する
そのため、長距離輸送においては輸送重量の大半を
使役獣の食料が占めることになり、大軍の長距離機動は
兵站の制限から、きわめて難しいものだった。
現地調達制が行われるまでは。
86 :
世界@名無史さん:02/01/27 02:26
>>83 後方連絡線を内に保持するか外に保持するかの違い
87 :
世界@名無史さん:02/01/27 03:01
>>85 ローマ軍とかどうなんだろうね。
カエサルは数万人単位の軍隊連れてたけど、
現地調達ってもヴァレンシュタインとかのやってた略奪は
それほどやってなかった風な感じがする。
一年目で補給についてハエドゥイ族と大もめしてるし、
敵地ってもローマの場合は支配が目的だから、略奪やって
敵の恨み買ったらその後に響くと思う。
やっぱり補給線長かったんだろうか?
88 :
世界@名無史さん:02/01/27 03:06
ヴァレンシュタインは略奪を禁止する代わりに組織的に
軍税とり始めたのではなかったっけ?
>87
カエサルに限っていえば、後方からの補給はしてないだろう。
何しろ、元老院との関係も微妙だったしな。
カエサルのガリア軍は同盟関係にある現地の部族に食糧を出させていたが、
なかなか交渉がうまくいかず、しかもしまいには裏切られたりして大ピンチ。
ただ、ガリア戦記を読むと、「征服」ではなく「殲滅」された敵が結構いるから、
その場合は根こそぎに食糧も奪っているだろうと思われる。
>>72 当時の人口規模から見て、三国志にかかれているような動員力は
ありえないというのが常識的な見方です。
兵卒を率いるにはそれなりの社会経済基盤が必要で、根こそぎ動員
などはできません。
100万人を率いるのにどのくらいの食料、備品が必要と思われますか。
出征を義務化し手弁当を持参させたとしても、一日で終わる出征では
ないのですから。人間は2日食べないと飢餓の初期状態になります。
赤壁100万は10万どころか、数万程度がせいぜいだと思います。
91 :
世界@名無史さん:02/02/25 13:55
>>90 三国時代の中国の人口規模は大したもんだと思うけど。
92 :
ちちんぷいぷい:02/02/25 14:12
信長の初陣では10人単位だったような..
93 :
世界@名無史さん:02/02/25 19:11
>>91 10万人こえたら世界的な大都市だった時代ですよ。
単位面積当たりの農産物収穫量も低いし、交通の便も
悪いだろうし。
空想で語るなよ。
誰か古代中国の社会情勢についての研究に詳しい人はおられませんか?
俺が知ってるのは、中国では春秋戦国時代に農業革命が起きていること、
秦代に大規模な街道の整備があったこと程度だが。
中国はそれ自体が世界の中でも特異な性質をもつ一代文明。
何しろ尋常でなく国土が広大なので、概して人口が半端じゃなく多い。
95 :
世界@名無史さん:02/02/25 20:39
三国時代の人口はたしか2000万人程度。
近世のような組織的な動員が果たして何処までできたか多いに疑問。
いずれにせよ、10万単位での軍隊を集結させるのは不可能だろう。
よって「死者数」なるものも講談話のような規模にはならない。
ゲームマニアには悪いが。
人口二千万が3分割で一国の軍隊が100万ではナニだな。
しかし、疑問というのは、
「当時の資料や考古学的証拠を鑑みるに、
それほどの社会体制があったとは考えられない」
とかそういうことを背景としてるのか?
「そんな昔にそんなことが出来たわけはないと思う」では説にならんぞ。
「ゲームで百万人って言ってたから百万だ」というのと変わらん。
97 :
世界@名無史さん:02/02/26 02:26
>>96 クラウゼヴィッツの戦略論のうち
行軍・舎営・給養のところを読んでみては?
>90あたりの云わんとしてることが分かりますよ。
けして「当時の資料や考古学的証拠を鑑みるに、
それほどの社会体制があったとは考えられない」
という理由ではないことが。
そもそもの問題として、三国志演義は小説。
正史三国志にも動員100万人という法螺が書かれてるのだろうか。
99 :
世界@名無史さん:02/02/26 03:10
三国志演義が成立したのは明の時代ではなかったですか?
宋の時代には文民がちまたにあふれて日本でいうと江戸時代のような
文化が花開いたらしいですが、その頃に講談話として流布し、
演義に通じて今日のようなオーバーな話になったのでしょう。
100 :
100get!:02/02/26 22:30
合戦でなくて恐縮だが、
モンゴル軍のサマルカンド攻略時における
虐殺市民80万人はどの程度ホント?
死体の山から逃げたやつがいるってんで、
とりあえず死体もなにもみんな首すっとばしたっていう。
あれ?隣のニシャプールだったっけ?
101 :
世界@名無史さん:02/02/26 22:36
ニシャプールじゃない?
どっちにしろオアシス都市にはそんなに人住んでないと思う。
ヘロドトスはペルシャ軍700万と書いている。本当?
ペルシャ戦争を見てきた人、教えてキボン。
103 :
世界@名無史さん:02/02/26 23:21
項羽軍が反乱を企てた元秦軍20万を虐殺、とか
垓下の戦いで勝った漢軍の死者が数十万、とか
項羽の戦果って何で過大なの?
104 :
世界@名無史さん:02/02/26 23:35
>>103 項羽を倒した劉邦はもっと偉大だと示したいからでは?
105 :
世界@名無史さん:
勝った方が書き残した記録は信用できないね