80 :
世界@名無史さん:02/02/01 16:55
ティムール朝の誕生はペルシアにおけるトルコ的要素の
定着期と考えてよいだろうか?
81 :
世界@名無史さん:02/02/01 22:25
>>72 ありがとうございます。
今日見てみましたが、外国人研究者に対しての
史料紹介のレベルで終わってたかなあ。
決定的というか目を引くような滅亡要因みたいなことは
やはり書かれてはいないようですね。
自分はイスラーム史やってないので
よくわからないのですが。
82 :
世界@名無史さん:02/02/05 13:19
age
83 :
世界@名無史さん:02/02/25 23:46
やっぱ現地の大学でしょ。
その風土で学ぶほうが本格っぽい。
遺跡とかあるし。
イラン史マンセー
85 :
世界@名無史さん:02/03/04 19:42
そういえばイラン(ペルシア)史のスレってないな。
86 :
世界@名無史さん:02/03/04 20:59
>>85 以前あったけどすぐ落ちた。
このスレは長持ちだ。
87 :
世界@名無史さん:02/03/20 16:07
このスレは落とさないよ。
88 :
世界@名無史さん:02/03/20 22:04
サファヴィー朝って、日本にたとえれば江戸時代ですか?
(現在のイランの基礎が出来上がったと仮定して)
89 :
世界@名無史さん:02/03/23 10:17
>>88 もうちょっと前ですかね。内藤湖南だったか、日本史は応仁の乱で大きく2分できるみたいなことを言った人がいましたが、イラン史の場合は、それがシャー・アッバース時代にあたるような気がします。
全然学界の定説ではないですが。
イラン人にとっての時代劇の時代はカージャール朝期。
90 :
世界@名無史さん:02/03/23 10:20
世界史の教科書にササン朝以来久しぶりのイラン民族王朝と
書いてるけどブワイフ朝とかサーマン朝とかは違うんだろうか?
一応イラン系だと思うんだけど・・・・・
91 :
世界@名無史さん:02/03/23 10:35
>>90 確かにブワイフ朝やサーマーン朝はイラン系ですが、
そもそも民族王朝なる概念が曖昧ですよね。
サファヴィー朝の宮廷ではトルコ語が話されていたのは有名な話だし、
『アゼルバイジャン国家サファヴィー朝』なる本があって、アゼルバイジ
ャン人にとっても、民族国家であるようですし。
92 :
世界@名無史さん:02/03/23 11:18
サファヴィー朝ってアッバース1世以外に偉大な君主というのがいないという
イメージ。
王権の衰退とともにウラマーの勢力が強まっていったし。
(12イマーム派のことね)
93 :
世界@名無史さん:02/03/23 11:38
「邪悪なほどに美しい」イスマーイールはどうですか?
94 :
世界@名無史さん:02/03/24 18:39
>>93 イスマーイールは、サーサーン朝と預言者ムハンマドとビザンツ皇室の血を
引いていたというのは本当ですか?
95 :
世界@名無史さん:02/03/24 19:40
>>94 そうなるね。
サファヴィー家は自称アリーの子孫(ただし疑義アリ)だけど、
アリーの息子の妻がササン朝の血筋だったとされてるから
伝説上ではアリーの子孫はササン朝の子孫でもある。
また、イスマーイールの母は白羊朝のウズン・ハサンの娘だが、
ウズン・ハサンの后はトレビゾンド帝国のヨアンネス4世の皇女だから、
母の母を通じてビザンツ帝国のコムネノス朝の血を引いていることになる。
96 :
世界@名無史さん:02/03/26 00:28
そうだとすると、ササン朝の血が一番遠いことになるね。
(藁)
97 :
世界@名無史さん:02/03/26 09:59
イランでは、ササン朝の王族や貴族の子孫はもう残ってないのかな。
98 :
世界@名無史さん:02/03/28 08:43
「サーサーン」というコーラはあるけどね。
99 :
世界@名無史さん:02/03/28 19:22
12イマーム派では、12代目のイマームは死んだのではなく、「隠れ」の状態に
入ったのであり、世界の終末に「時の主」として再臨し、正義を実現するという
ことになってるけど、これはゾロアスター教の影響なのかな?
100 :
世界@名無史さん:02/03/29 22:13
必ずしもそうとは言えないでしょう。
スーダンのマフディーの乱をどう説明します?
101 :
世界@名無史さん:02/03/29 23:09
マフディの乱はスンナ派系だよ?
102 :
世界@名無史さん:02/03/30 09:45
そりゃそうだけど、ゾロアスター教とシーア派に縁のなさそうな
ところでもマフディー思想がある証拠にならないかなあ?
103 :
世界@名無史さん:02/04/03 18:59
イランも含めたイスラム世界には、「ルーティー」とか「アイヤール」と
呼ばれる任侠の徒がいるんだよね。
イランでは「ズール・ハーネ」と呼ばれる格闘技の道場で体を鍛えたり
してたらしい。
104 :
世界@名無史さん:02/04/06 00:09
>>103 できればアッバース朝のスレに書き込んで
欲しかったけど、ヤクザみたいなものなんですかね?
105 :
世界@名無史さん:02/04/06 01:58
>>104 そのものズバリ『イスラム世界のヤクザ』という本があるね。
読んだことないけど。
106 :
世界@名無史さん:02/04/06 23:01
『イスラム世界のヤクザ』って本探したけど見つかんね。
かわりに『イスラム社会のヤクザ−歴史を生きる任侠と無頼』
ってのがあったけど、題名からしてつまんなさそだな。
108 :
世界@名無史さん:02/04/15 19:19
サファヴィー朝は、オスマン帝国に対する牽制のために、ハプスブルク帝国
と手を組もうとしたことがあったのですか?
>>107 あっ、すいません。
『イスラム社会のヤクザ』のことを言ってました。
ただの論文集なのかな?
著者は一線のイスラム史研究者で揃えているようですが。
110 :
世界@名無史さん:02/04/23 20:13
語るがよい。
111 :
世界@名無史さん:02/04/25 21:39
古代のイランでは、シャー、あるいはシャーハンシャーという称号を使って
いたけど、ササン朝の滅亡後いったん途絶えて、シーア派のブワイフ朝時代
に復活。ブワイフ朝の滅亡後はふたたび用いられなくなったけど、
サファヴィー朝がイランを統一すると、再度復活。
シーア派では統治はムジュタヒドが行うことになっていたが、サファヴィー朝の
シャーは、「ムジュタヒドに代わって王国の統治を担当する存在」
として位置づけられていたらしい。
112 :
世界@名無史さん:02/04/27 20:20
>>111 サファヴィー朝のシャーは、「現世での神の化身]を自負していたらしいけど。
実際には宗教界との間に微妙な見解の相違があったのかな?
113 :
世界@名無史さん:02/04/30 21:09
微妙なところですね。
シャー・イスマイールは確かに神の化身だったかもしれませんが
12イマーム派ではそれは認められなかったのでは。
114 :
世界@名無史さん:02/05/13 22:18
iiiiiiiiiuuuuuuu
115 :
世界@名無史さん:02/05/19 12:13
今晩9時から放送のNHKスペシャルはイランのイスファハンを取り上げる。
アジア古都物語 第5集 楽園を夢見る王都
>>115 チャハルバーグをCG再現してましたな。
117 :
世界@名無史さん:02/06/04 15:35
>116 でも、あんまりサファヴィー朝の話はなかった。
アナウンサーの「楽園」「楽園」が耳についたし。
118 :
世界@名無史さん:02/06/23 12:32
age
119 :
世界@名無史さん:02/07/03 20:46
サファヴィー朝の中でよく出てくるトゥルクメンって何人ですか?トルコ系?
120 :
世界@名無史さん:02/07/03 21:28
121 :
世界@名無史さん:02/07/03 23:12
トゥルクメン(トルコマン、テュルクメン)は
セルジューク朝期以来イスラム化してイラン地域に住み着いたトルコ系遊牧民のこと。
混血などを考慮していないでおおざっぱにとらえると、
一番東でロシアの統治下に入った連中がトルクメニスタンのトルクメン人、
一番西でオスマン帝国に入り定住化していったのがトルコ共和国のトルコ人、
間でサファヴィー朝に入ってシーア派を受け入れたのが
イランのアゼルバイジャン人などのトルコ系少数民族になった。
122 :
世界@名無史さん:02/07/24 02:41
キジルバシュあげ
123 :
世界@名無史さん:02/07/24 15:10
>119
現在の中央アジアのテュルク系諸族は
モンゴル時代〜ティムール朝までに、各地に投下された各軍団に起源するらしいのですが、
テュルクメンがモンゴル時代から続く由緒ある名称かどうかは未見。
ちょっと『集史』を調べに逝ってきます。
お、まだカキコがないな。ということで情報のupをば。
14世紀のイラン、イル汗朝の史書、
ラシードゥッディーン・ハマダーニーの『集史』によりますれば、
>(テュルク系の諸部族は)各々が(その)原因と理由によって名前とあだ名を得ている。
>オグズはその部族全体を(指す場合)この時にトルコマーンと言っている。
>va har-yek be sababii va `ellatii esmii va laqabii yaafate maanand
>'ogouz ke majmuu`-e aan qoum raa iin vaqt torkmaan miiguuyand
と言う風に「部族誌」テュルク系諸部族にかんする
「テュルク諸部族の出現」という項目に書いてありました。
ラシードの言葉によれば、
トルコマーンとはオグズ族全体の異称だったと言うことになります。
テュルクメンがトルコマーンのことだとすればですが。
下手くそな翻訳ですが何かのお役に立てれば幸いかと。
125 :
世界@名無史さん:02/07/25 21:59
>>124 お調べの通り、turkmanの初出は10世紀で
当時イスラム世界に流入し始めたオグズ諸部族のことを指した模様です。
参考・平凡社新イスラム事典「トゥルクマン」の項。
>124
>参考・平凡社新イスラム事典「トゥルクマン」の項。
最新情報を調べていませんでしたね。
岩波の方のイスラム辞典のにも同じ事が載っていました。ナントモオハズカシイ(__;;)
マフムード・カシュガリーも述べていましたか。調べるのが大変だ。(苦笑
127 :
世界@名無史さん:02/08/01 19:52
サファイア朝ルビー皇帝?
128 :
世界@名無史さん:02/08/21 10:13
サファヴィー朝シャー・タフマースブ陛下の方が
通りがよろしいかと。
129 :
世界@名無史さん:
なんでペルシアがシーア派にこだわるのかよくわかんなかったけど
世界史的には結局シーア派ってイスラムとその前の古代帝国をつなげる考え方だよな。
イスラムは完全にそこを断とうとするんだけど。
エジプトとペルシアでシーア派王朝が出来たのは良く判る。