1 :
シャー・イスマーイール:
現在のイランの基礎が出来上がったとされるサファヴィー朝に
ついて心ゆくまでお話しましょう。
2 :
シャー・タフマースブ:01/12/16 00:38
2
どうせすぐに消えるだろう・・・
3 :
世界@名無史さん:01/12/16 00:46
4 :
世界@名無史さん:01/12/16 00:56
ティムール朝やオスマン朝に比べると
サファヴィー朝ってマイナーじゃないかな…。
概説書も少ないし…。
5 :
世界@名無史さん:01/12/16 01:06
イスファハンは世界の半分。
・・・・・・
実際、山川の教科書に載ってたイスファハンのモスクの写真は綺麗だったなぁ。
いつか旅行してみたいものだ。
6 :
世界@名無史さん:01/12/16 01:09
羽田正萌え〜。
7 :
世界@名無史さん:01/12/16 01:15
イスファハーンの王のモスクは世界史の教科書で、必ずカラー写真で掲載されていますよね。
中学の時に王のモスクの写真を見て感動したことを覚えてます。
サファビー朝マニアは結構いると思いますよ。
8 :
世界@名無史さん:01/12/16 01:23
なぜ栄華と繁栄を誇ったサファビー朝がいともあっさり崩壊してしまったのでしょうか。
ライバルのオスマン朝は第一次世界大戦まで生き残ったのに
9 :
世界@名無史さん:01/12/16 01:44
トルコ系遊牧部族の軍事力・政治力に頼った体制から
最後まで脱却できなかったからでしょう。
10 :
世界@名無史さん:01/12/16 04:55
サファヴィー朝の前身は13世紀以来アルダビールに存在した神秘主義教団。
その教団が武装し、ついには世俗権力を直接掌握して、国家・王朝としての
サファヴィー朝が成立する。
白蓮教の朱元璋が明朝を興したのとちょっと似ているかも。
11 :
世界@名無史さん:01/12/16 05:29
クズルバシュこわ〜い。
12 :
世界@名無史さん:01/12/16 08:59
>8
アッバース一世の後のシャーがハーレム勢力に
牛耳られる無能な君主ばっかりで、王権の衰退とともに
宗教界(12イマーム派)との微妙な協力関係に
亀裂が生じた事も原因のひとつではないかと思います。
13 :
アッバース1.5世:01/12/16 13:39
アッバース2世くらいでもうちょっと盛り返しておけば・・・
ていうよりナディールがもうちょっとうまく立ち回っていればイランも今よりましだったかも。
14 :
世界@名無史さん:01/12/16 19:29
イラン人の中華意識というか、強烈なイラン文化へのプライドが、
ヨーロッパに対して劣勢である事を認められなかったのかも。
その結果、ますます遅れをとっていった。
15 :
世界@名無史さん:01/12/16 23:40
基本的なことで恐縮ですが
サファヴィー朝君主達とキジルバシュ勢力との
関係の変遷を教えて下さい。
16 :
世界@名無史さん:01/12/17 00:13
>15
サファヴィー朝がイラン高原を統一した後、当然ながら
キジルバシには領土が分封されました。
その結果、税収は一部を除いてほとんどがキジルバシの
ものとなり、「教主に忠実な教団員」から
「自らの部族の権益を守ろうとする者たち」へと
変質していきます。
>>16 ありがとうございます。
たしかアッバース1世以降は彼らの勢力を削減するような形で
改革がなされていったのですよね。
18 :
世界@名無史さん:01/12/18 22:26
誰かネタフリして。
19 :
世界@名無史さん:01/12/18 22:55
イランの話は流行らないから駄目ですよ。
むかし、イランについてのスレッドを立てたけど、暫くしたら落ちました。
20 :
世界@名無史さん:01/12/18 23:11
そうそう、前にも立ったけどすぐ無くなった。<イランスレ
ムガル朝スレなんてもっとあっという間に消えてったよね。
やっぱり日本じゃイスラム史はまだまだマイナーだし
手に入る情報が少ないからしょうがないでしょう。
最近イスラム関係のスレが乱立したけど
世界史板としては異常事態だね。
21 :
世界@名無史さん:01/12/18 23:13
シャーの親衛隊について詳しい人いない?
「シャーの友」とか何とかいう名前だったらしいが。
(本宮ひろしのマンガで知ったネタなので、あまり信用ならない)
22 :
世界@名無史さん:01/12/18 23:56
羽田正の『勲爵士シャルダンの生涯』はなかなか
おもしろいよ。
23 :
世界@名無史さん:01/12/19 00:05
>21
アッバース一世の改革で、軍事力をキジルバシだけに頼るのを
やめて、グルジア・アルメニア・チェルケス人などからなる
軍団をつくりました。
もうひとつの近衛軍団は「コルチ」と呼ばれ、キジルバシの中から
優秀な若者を集めて教育した上でシャーに忠実な軍団に編成したものです。
あと、シャー直属の銃兵部隊や砲兵部隊も新たに組織しました。
24 :
世界@名無史さん:01/12/19 00:26
サファヴィー朝やオスマン朝の時代、クルド人は
どういう立場に立たされてたの?
クルド出身の有名人て、十字軍の時代のサラディンぐらいしか
思いつかないけど。
25 :
世界@名無史さん:01/12/19 15:32
>>24 たしかクルド人たちは自分達の共同体を持つことを許され、
自治権を有していたと思うんだけど・・・。
26 :
世界@名無史さん:01/12/19 16:44
共同体っていうか、要するに部族自治。
パキスタンのトライバル・エリアみたいなものを想像すれば良いでしょう。
トルコもイランもその後中央集権化に傾いちゃったから
自治が狭められてって、クルド問題に繋がる。
27 :
ヴァノモテッチャス1世:01/12/19 18:39
なんでオスマンなんかに負けたのかねぇ・・?
オスマンなんかに負ける国じゃなかったはずなんだけどねぇ・・・?
アッバース1世がさぁ、たいして攻めなかったからだよねぇ・・・・?
28 :
世界@名無史さん:01/12/19 18:51
>27
アッバース一世の時代にはシャイバーニー朝やオスマン朝と
戦って、ホラーサーンやアゼルバイジャン、メソポタミア平原の
奪回に成功しましたけど。
この時代は創建時のイスマーイール一世時代の領域を回復してます。
>>28 だから、それじゃ足らんのよ・・
アゼルバイジャンなんての初めて聞いたけど、もっとこう、
小アジアへ!!
みたいなさぁ、
ヨーロッパへ!!
みたいなさぁぁ!!
30 :
世界@名無史さん:01/12/19 23:27
>25、26
この時代のクルド人勢力はその時々の情勢でサファヴィー朝についたり
オスマン朝についたりしてますね。
ちょうどローマ帝国とパルティア・ササン朝のあいだのアルメニア
みたいなもんかな?
>29
サファヴィー朝が小アジアやヨーロッパヘ進出するなら、まず
クルド人勢力を完全に味方につけなければいけないけど、
サファヴィー朝やオスマン朝はクルド人をいつ自分たちを
裏切るか分からない信用の出来ない連中と考えていましたからねえ・・・
31 :
世界@名無史さん:01/12/20 23:47
イギリスと国交結んだんだっけ?
32 :
世界@名無史さん:01/12/21 11:02
>31
そうです。
英国は17世紀初頭にホルムズ島のポルトガルの拠点を陥落させて、
湾岸南部に力を伸ばし、以降、英国が商館を置いたバンダル・アッバースが
栄える事になります。
英国の勝利に貢献したのはサファヴィー朝の協力でした。
イギリスはオスマン帝国への牽制のため、
イスファハーンに専門家を送り込んで銃砲の製造技術を伝授したりしています。
33 :
世界@名無史さん:01/12/21 15:38
あのー、ココはサファヴィー朝についてかたるスレですけど、
カージャール朝時代の事についても書き込んでいいですか?
イランをめぐる英国とロシアのつばぜり合いなんかも書きたいんですけど。
あと、レザー・ハーンのこととかも。
34 :
世界@名無史さん:01/12/24 00:08
>>33 自分でスレ立てるか、イスラーム史総合スレで書き込んだら?
別にここに書き込んでも問題ないと思うけど。
35 :
世界@名無史さん:01/12/25 00:09
サファヴィー朝とムガル朝の関係は基本的にどうだったのか?
カンダハール攻防戦などアフガンでの抗争は絶えなかったようだが。
36 :
世界@名無史さん:01/12/25 17:32
ムガール帝国ですが、初代バーブルの子のフマユーンはベンガル遠征で
スール朝(アフガン系スール族が建てた王朝)に敗れ、イランに逃れて
サファヴィー朝の保護を受けています。
4代目のジャハーンギールの時代にカンダハールがサファヴィー朝のものに
なります。
その次のシャー・ジャハーンはサファヴィー朝からカンダハールを一時奪回します。
もっとも、民間レベルでの人とモノの交流は盛んだったようです。
38 :
世界@名無史さん:01/12/29 15:14
なんでここでアッバーズ一世とかでてくんの?
39 :
世界@名無史さん:01/12/29 16:24
>>38 アッバース1世はサファヴィー朝のシャーですが?
40 :
世界@名無史さん:01/12/29 18:37
サファヴィー朝時代は、建築や工芸は栄えたけど、
文学はイマイチ。なぜ?
41 :
世界@名無史さん:02/01/01 19:01
age
42 :
世界@名無史さん:02/01/03 17:16
age
43 :
世界@名無史さん:02/01/09 00:49
サファヴィー朝って最期はどうなったのかなあ?
アフガン族にイスファハーンを落とされた後も暫く存続したんでしょ?
44 :
世界@名無史さん:02/01/09 22:41
イラン上げ!
45 :
世界@名無史さん:02/01/10 17:24
「世界の半分」って呼ばれたのってイスファハンだっけ?
バグダットだっけ?
46 :
世界@名無史さん:02/01/10 23:10
>>45 イスファハーンだよ。
そういえばNHKスペシャルの新企画
『アジア古都物語』でイスファハーンがとりあげられるみたいだね。
今から楽しみです。
47 :
世界@名無史さん:02/01/11 09:36
48 :
世界@名無史さん:02/01/11 10:46
>>43 イスファハンを落としたマフムードを従弟が暗殺して
その従弟をナーディル=シャーが倒してアフシャール朝建てる。
たしかそんな感じ。
49 :
世界@名無史さん:02/01/11 21:04
>>48 43はサファヴィー朝の王族がその後どうなったかについて
質問しているのでは?
イランは中国以上に異民族に支配されたかもしれない。
イラン:Safavi→Azerbaijan(Shar IsmaiはAzerbaijan出身)
Qajar→Turkmen
中国:元→mongol
清→満州人
50
>>50訂正
×Shar Ismai
○Shar Ismail
イラン人内ペルシア人が日の目を見るのはパフレヴィ朝以降かな?
Shar Ismailはアゼルバイジャン出身のペルシア人でした。
あらしてスマソ。申し訳ない。
厨房は即刻引き揚げます。
55 :
世界@名無史さん:02/01/15 12:44
age
56 :
世界@名無史さん:02/01/17 13:41
age
>>51Shah Ismailじゃないですか?
サファヴィー家自身の出自はペルシア系らしいですが
(自称アリーの子孫だけど)、
たしかイスマイルの母は白羊朝の姫だし、
トルコ系の血は強いと思います。
イスマイル御製のトルコ語の詩も残ってるそうです。
アゼルバイジャンの史学界では
サファヴィー朝は「アゼルバイジャン人の王朝」と規定するらしいです。
(このへんのことは羽田正さんが書いています。)
>>49タフマースプ2世はアフシャール朝に擁立、
イスマイール3世はザンド朝に擁立された。
だからサファヴィー朝は1722年か36、73のいつ滅びたのか
よくわかねー。どれが正しいのですかね?
59 :
世界@名無史さん:02/01/18 20:32
イランでは長い間、
「預言者ムハンマドの子孫の家系には、サーサーン朝最後の王
ヤズデゲルド二世の娘、シャーフ・バヌーの血が入っている」
と信じられてきたそうですが、これって事実ですか?
それとも、ただの伝説?
60 :
世界@名無史さん:02/01/19 01:07
>>59たしかムハンマドの四男のアリーの母はそうだったという気が…
だからペルシア人はアリーを信奉するシーア派を信仰しているって読んだ気が…
あやふやな記憶でスマソ
61 :
世界@名無史さん:02/01/19 01:24
>>60
アリーはムハンマドの子供じゃなくていとこでしょうが。
ヤズデゲルド3世の娘とケコーンしたとされているのはアリーだけど
たぶん伝説だろう。
62 :
世界@名無史さん:02/01/19 01:28
アリーの妻はムハンマドの娘ファーティマじゃなかったっけ。
夫妻の子、フサインの話では?
63 :
世界@名無史さん:02/01/19 09:52
>>61フサインと結婚したのがシャハル・バーヌーだと思いますよ。
だから
>>59さんがイランでは・・・というのは
サファヴィー家のサフィーのことだと思いますが。
64 :
世界@名無史さん:02/01/19 16:21
イスラム世界では「預言者ムハンマドの子孫」というのは
日本で「源氏の子孫」というのと同じらしいです。
ヨルダンやモロッコの王家も預言者の子孫と称していたと
思います。
つまり、誰にも確かめようが無い。
65 :
世界@名無史さん:02/01/24 23:02
サファヴィー朝研究するならどこがいい?
66 :
世界@名無史さん:02/01/24 23:08
>65
テヘラン大学なんかがいいと思います。
>>66 そりゃそうかもしれないが俺は高校生。
もっと現実的なアドバイス頼むよ。
68 :
世界@名無史さん:02/01/24 23:39
現地よりフランスあたりのほうがいいんでないの?
69 :
世界@名無史さん:02/01/27 23:56
上げ
70 :
世界@名無史さん:02/01/28 02:58
サファヴィー朝の滅亡期に関して研究している人っていないのでしょうか?
授業のレポートでサファヴィー朝について書いたのですが
日本の研究者のでは見当たらなかったです。
コルチはモンゴルのケシクに由来するものではないかと思うけど
ゴラームは独特なものですね。
オスマン朝のイェニチェリとも違うし。
71 :
世界@名無史さん:02/01/28 19:00
ペルシャは歴史的に見て、
イラン系・トルコ系の2民族国家である、と言えます。
72 :
世界@名無史さん:02/01/28 23:09
73 :
世界@名無史さん:02/02/01 10:36
ペルシア史の転換期っていったらいつ頃ですかね。
いくつかあると思うのですが・・・
74 :
世界@名無史さん:02/02/01 11:01
>>73 たうぜんながらイスラム化が一大転換期でせう。
つまり、正統カリフ時代に、2代目カリフのウマルがササン朝ペルシャを撃破した
642年ニハーヴァンドの戦いあたりか?
76 :
世界@名無史さん:02/02/01 11:16
77 :
世界@名無史さん:02/02/01 11:19
ただ、イラン人が一番郷愁を抱いているのはやっぱり
アケメネス朝とササン朝みたいです。
いわゆる「大ペルシア帝国の栄光」。
78 :
世界@名無史さん:02/02/01 11:29
>>77 イラク人(というとちょっと変な気分だけど)がネブカドネザル時代の
新バビロニアに郷愁を抱いているのと一緒ですねい。
ターヒル朝はアラブ人の支配下だったペルシアで
ササン朝以来ペルシア人の独立政権だから転換期だと思うけど。
後のサッファール朝やサファヴィー朝にも影響はあったと思う。
80 :
世界@名無史さん:02/02/01 16:55
ティムール朝の誕生はペルシアにおけるトルコ的要素の
定着期と考えてよいだろうか?
81 :
世界@名無史さん:02/02/01 22:25
>>72 ありがとうございます。
今日見てみましたが、外国人研究者に対しての
史料紹介のレベルで終わってたかなあ。
決定的というか目を引くような滅亡要因みたいなことは
やはり書かれてはいないようですね。
自分はイスラーム史やってないので
よくわからないのですが。
82 :
世界@名無史さん:02/02/05 13:19
age
83 :
世界@名無史さん:02/02/25 23:46
やっぱ現地の大学でしょ。
その風土で学ぶほうが本格っぽい。
遺跡とかあるし。
イラン史マンセー
85 :
世界@名無史さん:02/03/04 19:42
そういえばイラン(ペルシア)史のスレってないな。
86 :
世界@名無史さん:02/03/04 20:59
>>85 以前あったけどすぐ落ちた。
このスレは長持ちだ。
87 :
世界@名無史さん:02/03/20 16:07
このスレは落とさないよ。
88 :
世界@名無史さん:02/03/20 22:04
サファヴィー朝って、日本にたとえれば江戸時代ですか?
(現在のイランの基礎が出来上がったと仮定して)
89 :
世界@名無史さん:02/03/23 10:17
>>88 もうちょっと前ですかね。内藤湖南だったか、日本史は応仁の乱で大きく2分できるみたいなことを言った人がいましたが、イラン史の場合は、それがシャー・アッバース時代にあたるような気がします。
全然学界の定説ではないですが。
イラン人にとっての時代劇の時代はカージャール朝期。
90 :
世界@名無史さん:02/03/23 10:20
世界史の教科書にササン朝以来久しぶりのイラン民族王朝と
書いてるけどブワイフ朝とかサーマン朝とかは違うんだろうか?
一応イラン系だと思うんだけど・・・・・
91 :
世界@名無史さん:02/03/23 10:35
>>90 確かにブワイフ朝やサーマーン朝はイラン系ですが、
そもそも民族王朝なる概念が曖昧ですよね。
サファヴィー朝の宮廷ではトルコ語が話されていたのは有名な話だし、
『アゼルバイジャン国家サファヴィー朝』なる本があって、アゼルバイジ
ャン人にとっても、民族国家であるようですし。
92 :
世界@名無史さん:02/03/23 11:18
サファヴィー朝ってアッバース1世以外に偉大な君主というのがいないという
イメージ。
王権の衰退とともにウラマーの勢力が強まっていったし。
(12イマーム派のことね)
93 :
世界@名無史さん:02/03/23 11:38
「邪悪なほどに美しい」イスマーイールはどうですか?
94 :
世界@名無史さん:02/03/24 18:39
>>93 イスマーイールは、サーサーン朝と預言者ムハンマドとビザンツ皇室の血を
引いていたというのは本当ですか?
95 :
世界@名無史さん:02/03/24 19:40
>>94 そうなるね。
サファヴィー家は自称アリーの子孫(ただし疑義アリ)だけど、
アリーの息子の妻がササン朝の血筋だったとされてるから
伝説上ではアリーの子孫はササン朝の子孫でもある。
また、イスマーイールの母は白羊朝のウズン・ハサンの娘だが、
ウズン・ハサンの后はトレビゾンド帝国のヨアンネス4世の皇女だから、
母の母を通じてビザンツ帝国のコムネノス朝の血を引いていることになる。
96 :
世界@名無史さん:02/03/26 00:28
そうだとすると、ササン朝の血が一番遠いことになるね。
(藁)
97 :
世界@名無史さん:02/03/26 09:59
イランでは、ササン朝の王族や貴族の子孫はもう残ってないのかな。
98 :
世界@名無史さん:02/03/28 08:43
「サーサーン」というコーラはあるけどね。
99 :
世界@名無史さん:02/03/28 19:22
12イマーム派では、12代目のイマームは死んだのではなく、「隠れ」の状態に
入ったのであり、世界の終末に「時の主」として再臨し、正義を実現するという
ことになってるけど、これはゾロアスター教の影響なのかな?
100 :
世界@名無史さん:02/03/29 22:13
必ずしもそうとは言えないでしょう。
スーダンのマフディーの乱をどう説明します?
101 :
世界@名無史さん:02/03/29 23:09
マフディの乱はスンナ派系だよ?
102 :
世界@名無史さん:02/03/30 09:45
そりゃそうだけど、ゾロアスター教とシーア派に縁のなさそうな
ところでもマフディー思想がある証拠にならないかなあ?
103 :
世界@名無史さん:02/04/03 18:59
イランも含めたイスラム世界には、「ルーティー」とか「アイヤール」と
呼ばれる任侠の徒がいるんだよね。
イランでは「ズール・ハーネ」と呼ばれる格闘技の道場で体を鍛えたり
してたらしい。
104 :
世界@名無史さん:02/04/06 00:09
>>103 できればアッバース朝のスレに書き込んで
欲しかったけど、ヤクザみたいなものなんですかね?
105 :
世界@名無史さん:02/04/06 01:58
>>104 そのものズバリ『イスラム世界のヤクザ』という本があるね。
読んだことないけど。
106 :
世界@名無史さん:02/04/06 23:01
『イスラム世界のヤクザ』って本探したけど見つかんね。
かわりに『イスラム社会のヤクザ−歴史を生きる任侠と無頼』
ってのがあったけど、題名からしてつまんなさそだな。
108 :
世界@名無史さん:02/04/15 19:19
サファヴィー朝は、オスマン帝国に対する牽制のために、ハプスブルク帝国
と手を組もうとしたことがあったのですか?
>>107 あっ、すいません。
『イスラム社会のヤクザ』のことを言ってました。
ただの論文集なのかな?
著者は一線のイスラム史研究者で揃えているようですが。
110 :
世界@名無史さん:02/04/23 20:13
語るがよい。
111 :
世界@名無史さん:02/04/25 21:39
古代のイランでは、シャー、あるいはシャーハンシャーという称号を使って
いたけど、ササン朝の滅亡後いったん途絶えて、シーア派のブワイフ朝時代
に復活。ブワイフ朝の滅亡後はふたたび用いられなくなったけど、
サファヴィー朝がイランを統一すると、再度復活。
シーア派では統治はムジュタヒドが行うことになっていたが、サファヴィー朝の
シャーは、「ムジュタヒドに代わって王国の統治を担当する存在」
として位置づけられていたらしい。
112 :
世界@名無史さん:02/04/27 20:20
>>111 サファヴィー朝のシャーは、「現世での神の化身]を自負していたらしいけど。
実際には宗教界との間に微妙な見解の相違があったのかな?
113 :
世界@名無史さん:02/04/30 21:09
微妙なところですね。
シャー・イスマイールは確かに神の化身だったかもしれませんが
12イマーム派ではそれは認められなかったのでは。
114 :
世界@名無史さん:02/05/13 22:18
iiiiiiiiiuuuuuuu
115 :
世界@名無史さん:02/05/19 12:13
今晩9時から放送のNHKスペシャルはイランのイスファハンを取り上げる。
アジア古都物語 第5集 楽園を夢見る王都
>>115 チャハルバーグをCG再現してましたな。
117 :
世界@名無史さん:02/06/04 15:35
>116 でも、あんまりサファヴィー朝の話はなかった。
アナウンサーの「楽園」「楽園」が耳についたし。
118 :
世界@名無史さん:02/06/23 12:32
age
119 :
世界@名無史さん:02/07/03 20:46
サファヴィー朝の中でよく出てくるトゥルクメンって何人ですか?トルコ系?
120 :
世界@名無史さん:02/07/03 21:28
121 :
世界@名無史さん:02/07/03 23:12
トゥルクメン(トルコマン、テュルクメン)は
セルジューク朝期以来イスラム化してイラン地域に住み着いたトルコ系遊牧民のこと。
混血などを考慮していないでおおざっぱにとらえると、
一番東でロシアの統治下に入った連中がトルクメニスタンのトルクメン人、
一番西でオスマン帝国に入り定住化していったのがトルコ共和国のトルコ人、
間でサファヴィー朝に入ってシーア派を受け入れたのが
イランのアゼルバイジャン人などのトルコ系少数民族になった。
122 :
世界@名無史さん:02/07/24 02:41
キジルバシュあげ
123 :
世界@名無史さん:02/07/24 15:10
>119
現在の中央アジアのテュルク系諸族は
モンゴル時代〜ティムール朝までに、各地に投下された各軍団に起源するらしいのですが、
テュルクメンがモンゴル時代から続く由緒ある名称かどうかは未見。
ちょっと『集史』を調べに逝ってきます。
お、まだカキコがないな。ということで情報のupをば。
14世紀のイラン、イル汗朝の史書、
ラシードゥッディーン・ハマダーニーの『集史』によりますれば、
>(テュルク系の諸部族は)各々が(その)原因と理由によって名前とあだ名を得ている。
>オグズはその部族全体を(指す場合)この時にトルコマーンと言っている。
>va har-yek be sababii va `ellatii esmii va laqabii yaafate maanand
>'ogouz ke majmuu`-e aan qoum raa iin vaqt torkmaan miiguuyand
と言う風に「部族誌」テュルク系諸部族にかんする
「テュルク諸部族の出現」という項目に書いてありました。
ラシードの言葉によれば、
トルコマーンとはオグズ族全体の異称だったと言うことになります。
テュルクメンがトルコマーンのことだとすればですが。
下手くそな翻訳ですが何かのお役に立てれば幸いかと。
125 :
世界@名無史さん:02/07/25 21:59
>>124 お調べの通り、turkmanの初出は10世紀で
当時イスラム世界に流入し始めたオグズ諸部族のことを指した模様です。
参考・平凡社新イスラム事典「トゥルクマン」の項。
>124
>参考・平凡社新イスラム事典「トゥルクマン」の項。
最新情報を調べていませんでしたね。
岩波の方のイスラム辞典のにも同じ事が載っていました。ナントモオハズカシイ(__;;)
マフムード・カシュガリーも述べていましたか。調べるのが大変だ。(苦笑
127 :
世界@名無史さん:02/08/01 19:52
サファイア朝ルビー皇帝?
128 :
世界@名無史さん:02/08/21 10:13
サファヴィー朝シャー・タフマースブ陛下の方が
通りがよろしいかと。
129 :
世界@名無史さん:
なんでペルシアがシーア派にこだわるのかよくわかんなかったけど
世界史的には結局シーア派ってイスラムとその前の古代帝国をつなげる考え方だよな。
イスラムは完全にそこを断とうとするんだけど。
エジプトとペルシアでシーア派王朝が出来たのは良く判る。