もう自分を抑えきれません。
残酷なレスをも覚悟の上、一言申し上げます。
誰か私をメソポタミアへ連れていって下さい。(お仲間募集)
私もいきたい。
一段落したら一緒にいきませんか?
メソポタミアの古代都市のどれかに、キリスト教の聖地があって教皇がその聖地を訪問しようとしたことが去年あった(新聞でみた)。
旧約聖書に登場する預言者アブラハムがどうとかということで
今、延期にしているのか中止になっているのかはわからない。
訪問先は確か「ウル」だったと思う。
>>2 一段落ってやっぱアレですよね、いま巷で大流行のあの人とか
スーパーワリオそっくりのあの人とか……
いつになったら中東が落ち着いてくれるのやら
私と貴方のジッグラトがこれ以上傷つかない事を祈ってます
それにしてもほんっと、行きたいですよねー
本気で一緒に行っちゃいましょかね?
>>3 そーですね、確かにウルはアブラハムの故郷だと言われていますね
その上ウルという地名はそれ以外にもいっぱい出ていますし、聖書とは
非常に関りの深い土地だと言えると思います
しかし教皇自ら行こうとするとは……
国際情勢を考えると、中止と考えるのが妥当でしょうが、どうなんでしょ
うね〜
>>5 高校の時に古代シュメール都市はウル・ウルク・ラガシュと暗記してたものだが、
うーむ勉強させられてしまった。
バベルの塔、ノアの箱舟とかもシュメールの伝説では?
「千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)」はイギリスの探検家リチャード・バートンによって英訳されましたが
読んだことあります?
7 :
世界@名無史さん:01/12/01 01:48
スレタイトルから、>>1の並々ならぬ気迫を感じる。(藁
確かに行ってみたいなぁ、オリエント遺跡巡り。
ただ、メソポタミア地域ってモロにイ○クなんだねぇ。(藁
自由に旅行するのはまだまだ無理だよなぁ・・・。
8 :
世界@名無史さん:01/12/01 01:58
萌えでもなく悶えでもなく燃え。
へへ、あんた熱いな。
よし、俺もチグリス・ユーフラテスに燃えるぜーー!!
燃えぇーーーーー!!!
9 :
世界@名無史さん:01/12/01 01:58
>>6 千夜一夜は(アラビア語原典からの)和訳もあるよ。
10 :
世界@名無史さん:01/12/01 02:10
>>6,9
確か平凡社東洋文庫が原典版、岩波文庫・ちくま文庫がバートン版ですね。
ジャレル殿
バベルの塔というのは実際のところ、どこに建っていたのか、ハッキリとは
特定されていないらしいんですよね
なんせ当時は神殿(ジッグラト)が数多くあったとかで……
シュメール人による都市国家ウルはアッカド人、アムル人、ヒッタイト人な
どの侵入を次々に受けたのち古バビロニアを建国する訳ですが
地域や年代から推測するにやはり古バビロニアが妥当とされているようです
バグダードの南約80キロメートルあたりだと聞いたことがあります
ノアの方舟につきましては、そうですね、やはりシュメールですよね
ウルにて大洪水の後が地層からも確認されてますし
何と言ってもメソポタミア最古の叙事詩「ギルガメシュ叙事詩」では
大洪水について色々と書き記してあります
旧約聖書の創世記はまさに、シュメールの世界です
キリスト教的観点からのアプローチもなかなか楽しいだろうなと思います
ついでに
アラビアン・ナイトは挫折したクチです、お恥ずかし
かつて岩波文庫の第1巻に手を出したのですが、なんか読めなかった……
ただ、シェハラザードはいい女なんだろーなとか思った
話術だけで暴君を虜にするなんてスゴイね、大人だね
そして毎晩処女を招いては、1回やっちゃっただけで殺すという
外道もいいトコの王様、やばいよ
やっぱり中東って怖い所なのか……?
>>8 ありがとうございます、私は純粋に燃えています
ご協力に感謝燃え!!!
>>12 オランダ(だったかな?)の画家が描いた
バベルの塔がテーマの絵がありますが、
バベルの塔はああいうものだと思ってたくちです。
現存の「ギルガメッシュ叙事詩」はアッシュル・バニパルの図書館から出土した
アッカド語版の12枚の粘土版が基礎といわれていますが、
和訳されてるのあるのかなぁ。
それとアッカド市の遺跡は未発見だとか。
ジャレル殿
ブリューゲルのバベルの塔ですね。
あまりにも有名な絵ですもんね。私も昔アレなんだと思っていました。
実際はだいぶ違うらしいですが。
それにしても「空中庭園」という言葉には個人的に燃えます。住んじゃいたい。
はー、そうか、アッカドは未発見なんですか!
そういやアッカドの遺跡とか、そういう写真にお目にかかった事なかったかも
しれない……。
すみません、私も勉強不足でして、今日まで気が付いていなかった。
うーん、所詮は素人だなー。
アッカドに詳しい方がいらっしゃったら情報欲しいです。
16 :
世界@名無史さん:01/12/01 08:47
>>1のテンションの高さに免じて叩きはしない。
頑張れ、お主ら。
ジャレル殿
ウル訪問関連の記事ありがとうございます。
なるほど、結局サダム君に断られた訳ですね。
ま〜ったくあの国は……あれだけ素晴らしい遺産を抱えながらも、ロクな事しない
んだから……ぶつぶつ。
あのままでは遺跡が荒廃する一方です。心を痛めている方も多いかと思います。
アミティス王妃とネブカドネザル2世の話はなんだかいい話ですよね。
山育ちの麗しい王妃が、故郷を思っては泣いている姿を見てしまっては、こりゃー
もう山作るしかないなとか思ったんでしょうかね?
歴史上の美女というのは気になる存在です。ヘタに肖像画とか残ってないと尚更。
ジャレル殿
シュメール燃えが、どうやら私とあなただけになっているような気がします。
思ったよりシュメール人気は低いんでしょうかね?
今日、懐かしさのあまりに、山川の世界史の教科書を買ってきてしまったの
ですが、やっぱり扱いは少しだけでしたね。
もうちょっと載せてけれー。
それにしても表紙の色が変わったんだなぁ。昔は青一色だったのに。
The "Little" Tower of Babelですが、上記URLは2つとも同じものになっ
てますね。
でも、ちゃんと探し当てたので、大丈夫です。
うーん、個人的にはリトルの方が好きかもしれません。
なんか、塔が崩れて滅びるぞーって感じがして……。
よほど日本人の心を掴みやすいのか、ジグソーパズルでも出てますよね。
The Tower of Babelの方。
これを機に、苦手だけど挑戦してみようかしら。
>>20 うーむ、URLまちがえてしまった(最近多くて)。ゴメン。
とりあえず
>>19の訂正です。
「バベルの塔 The "Little" Tower of Babel」
ttp://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/bruegel/littlebabel.jpg シュメールの人気が低いということはないと思いますが・・。
世界史板の人が減っているみたいなので、見る人が少ないからかも
しれないです。それと
雑談スレを見る限りではこの世界史板は平和ではないみたい(汗
山川の教科書は高校の時におせわになりました。でも一番使っていたのは
用語集の方です(世界史の先生はめずらしく女性で、フランス近代史専攻だったかな)
教科書では情報量少ないから同じ山川の「詳説 世界史研究」をつかってます。
シュメール地方の歴史も結構のってるよ。
アッカド市未発見というネタも実はここからなんです。
"Little" の方は背景からして なんかやばいぞ! って感じがしますね。
>>18 えーと、シュメールってラピスとれましたっけ?
アフガンとか、インダス文明地域からの輸入品だったように思う。
少なくとも、昔からルビーの交易をしていたという跡は残っていますし。
誰か詳しい方いらっしゃいませんか?
自己レスですいません。
ラピスはMedieとかMedesと称される地域、いわゆるペルシア地方あたりから
来ていたようです。(アフガンは間違い、ということで。。)
シュメール人気の現状は知りませんが、一般的に
地名・国名が覚えづらいということはあるかもしれませんね。
個人的には「燃え」には至らないものの、このあたりの考古学史、
英仏米独入り交えての発掘合戦がらみの話に興味があります。
(今はさすがに掘りにくくなってきているようで)
というわけで、遠くから見守ってますので、大事に
このスレ育てて下さいな。
割り込んでごめんなさい。
ジャレル殿
「詳説 世界史研究」ですか〜。今度探してみますね。
そうですよね、教科書じゃあどこの文化もそれなりにしか載ってないし……。
そういや私も高校の時は、女性の先生でした。世界史。
世界史の教師やるのもいいな〜と思いつつ、現実は理想から思いっきり離れて
行きましたけどね。うん、でも教えるならやっぱ世界史だ。自分が楽しい。
そ、そして、シュメールの素晴らしさをうら若き高校生諸君に……。
はー、そんな夢もあったな〜。
>>22,23
あー、ラピスラズリに関してはそのようですねー。
シュメールは早くから交易圏をかなり広く持っていたそうですし。
間違った事を書いちゃってゴメンナサイでした。
それにしても、遠くからでもこのスレを見守って頂けるのは嬉しい限りです。
大事〜に育てます。
あ、でもまた私が間違った事書いてたら教えて下さいね〜
あ〜、泡盛美味かった。
最近は日本酒よりもめっきり泡盛だなー。
そういう訳で、一人寂しくシュメール燃え。
>>26のURL‘h消すの忘れてました。ごめんなさい。
ジャレル殿
発掘したのはウーリー卿でしたね、ルナさんもおっしゃってますが
昨年大英博物館でシュメールの工芸品はいっぱい見てきました〜
イギリスという国は、世界遺産に凄まじい興味を持っていたようです。
あれだけの量を強引に収集した結果、今日では世界各国から
「遺産をかえせ〜〜」と恨みがましく言われ続けているようですが……
大英博物館ったら入場料も無料ですし、大赤字で大変らしいです。
発掘合戦に関しては、ルナさんがお詳しそうですね〜
ルナさま
色々ありがとうございます。
ひとつ質問なのですが、結局、世界遺産等に関して、一番収集量が
多いのは、イギリスって事でよろしいんでしょうか……?
フランスとかも凄かったっぽいですけど。
それにしても、発掘したロゼッタストーンをぶん盗られたフランス
は可哀相。今や大英博物館の目玉商品ですもん。
ルナさま
すごいです!古代ウルとその財宝についての説明がこれほど詳しく載っている
HPがあるとは。画像もきれいでいい。また一つ勉強になりました。
アガサ・クリスティーが中東で発掘作業をおこなっていたのは知ってたけど
まさか古代ウルの発見者を旦那にしてたとは。
ウルウル殿
確かに詳しそうですね。発掘合戦もなかなかおもしろそう。
エジプトでは英仏米独プラス日本が参加していると聞きます。
大英博物館のHPを見てみましたがシュメール関係の展示品はみつけられなかったです。
もう少し探してみようかな。(ルーブル美術館のHPに日本語の欄があったのは驚きました)
そういえば前に芸術品返却のためにギリシア外相が下院で演説?
してたなぁ。作品の題名忘れました。ってシュメールとあまり関係ないですね。
トップがシュメール燃えならぬジッグラド燃え
画質がちょっと荒く重いページです
ttp://members.tripod.com/jaydambrosio/mesopotamia.html ウルの再現CG(日本製)が小さいのしか見つけられなかったのが残念。
たしかに大英博物館をはじめとして、前世紀から発掘にかかわっていた
国の美術館には、めまいがしそうなくらい物がありますね。
(歴史資料館スレ向きの話題かも)
歩き疲れて見疲れて、自分の脳のバッファサイズの問題はさておき、
どうにも飽和状態になったところで、さらにまだ記憶容量に割り込んでくるのは
物理的に大きいもの(城塞の門や壁のリリーフ)だったり、
ウルの財宝に代表される、色とりどりの宝物だったりします。
>世界遺産への凄まじい興味
このへんの興味は、フランスだったら革命への反動(保守化)、イギリスなら
産業革命への反感がその大きな原動力となるわけで、ロマンティズム的な
理想化(昔はよかった)や、国家主義的な義務感や危機感
(いま保存しないと消滅してしまう)、ある意味、自国のルーツや
その象徴に立ち戻るといった運動が、よそ様の文化遺産への興味へと
移行・変化していったものと理解しています。
ナポレオン軍のエジプト侵略以来、「古代」の領域がギリシャ・ローマ世界から
中東世界へと広がっていった思想的な経緯は面白いと思っています。
やはり、形あるもの、目でみえるものの効果というのはすごいもので、
珍しいものを蒐集するという、歴史的かつ幼稚な興味の方向性が、
「考古学」という学問を生むにいたる経緯などなど。
スレ違いにならない内にメソポタミアに戻りますと(笑)、
やはり、歴史実証的な意味での聖書への興味が、19世紀後半からの
発掘合戦の根底にあったようですね。上のほうにもありましたが、
ノアの箱船はあったのか、とかバベルの塔はどこだ、とか、
政治・思想的に少々偏った発掘も行われていたのが第一期。
英仏の発掘合戦が今となっては略奪と批判されるほど
度を超していたのもこの頃です。
その後、反ユダヤ運動の沈静化(ドレフュス事件)や、
フランスだと、1905の政教分離法の成立等を経て、
発掘が純粋な科学的興味・手段に基づいて行われるようになり、
1920年代からのウーリー卿によるウル発見は、学問的に信頼に足る
最初の発掘活動の一つとして評価されています。
ということで見つかったウルの財宝ですけど、古代シュメールでは
ラピス・ラズリをはじめとする、堅い石が好んで使われており、
道具も不自由だったあの時代に、ここまで緻密な細工をするのは
大変だっただろうなぁ、などと思いを馳せてみたりするのでした。
燃え〜が伝染してきてるのかもしれません。
ウルウル殿
>>29 >世界遺産等に関して、一番収集量が多いのは、イギリスって事で
数量的な根拠をみつけるのが思いのほか難しく、かつ、
「収集量」を所蔵物件の大きさ、重要さでみるのか、
純粋に数だけで決めるのか(旧石器時代の矢じりなんかも含めて)で
答えが変わってくると思います。また、遺産と称されるもののタイムラインを
どこに定めるか、という問題もありますね。最近では産業考古学という
枠内で、現代に限りなく近い時代の品々も「遺産」扱いを受けていますので。
(世界遺産というとユネスコ的な響きもありますが、そっちがらみの
質問でしょうか?)
話を古代考古学に限っていえば、当時、列強と呼ばれていた国々は、
諸外国に植民地や拠点を持っていましたから、
個々の地域ごとでの集計はある程度可能だと思います。
つまり、ある「なわばり」内でとれた物に関しては、
この国が一番、といった結論。
しかしまあ、一番目立つものを所有しているのは、大英博物館、
ルーブル美術館、ベルリンの考古学博物館あたりですね。
それぞれ国の威信とやらがかかってますから、どちらの側にも
真実はある、ということで、この件はお許し下さい。
>発掘したロゼッタストーンをぶん盗られたフランス
というわけで、これは言っちゃあならないこととなっております(笑。
省略されちまいました。
長文すみません。。
ジャレル殿
情報ありがとうございます。おぉ〜このページはまさにジッグラト燃えですね!
代表的な建造物や工芸品がたくさん載ってますね。
これぞメソポタミアって感じで良いですね。
ちなみに、ジッグラトの3DCGは、大成建設のとあるチームが、NHKの番組の
為に作成したものらしいですね。
NHKスペシャルで見てました。
当時としては、素晴らしいムービーでした。とてもよく覚えています。
ところで、そこのページにも載っている工芸品「ウルのスタンダード」ですが、
未だに使用目的が分からないのだとか。
一体何に使っていたのでしょうねー。
ルナさま
いつもありがとうございます。発掘合戦のお話し、参考になりました。
>ナポレオン軍のエジプト侵略以来、「古代」の領域がギリシャ・ローマ世界から
中東世界へと広がっていった思想的な経緯は面白いと思っています。
なるほど、そういう事ですか〜。
欧米諸国の発掘熱は、そういう経緯があったのですね。面白いです。
キリスト教を信仰する人々にとっては、古代オリエント世界の研究は、
自己のルーツを探るのに近い意味を持っているのかもしれませんね。
収集量についてですが、なるほど、なわばりといった見方をすれば
確かにイギリスですね。でも、他の列強もひけをとってなかったよ
うで。
あはは、ロゼッタストーンの件は業界(?)的には禁止なんですね(笑
ま、みんなお互いさまってところもあるのでしょうね。
あー、熱くなりすぎた(笑
長文になってしまってすみません!
ルナさまにももっとこの燃えがうつりますように(笑
36 :
世界@名無史さん:01/12/03 21:34
バビル2世のロデムはニムロデから取ったのだと
最近思った
ルナさま
なるほどフランス市民革命・イギリス産業革命といった旧世代から次世代への移行期
の反動から国家レベルで世界各地にある文化遺産への興味・収集はきているのですね。
植民地政策の結果得た膨大な数の遺産はいわゆる征服の証として
国民(植民地の住民含む)に示すため、国家の威信を示すためとり扱われていたと考えていました。
19世紀後半からの英仏独米を中心とした考古学上の発掘合戦にかんしては
植民地獲得合戦の延長で世界の空いた獲得できる植民地がなくなったため、行き場のなくなった領土獲得のエネルギーが学術的な競争に向かった結果、考古学発掘競争という現象が起きたと
考えていました。
>政治・思想的に少々偏った発掘も行われていたのが第一期
というのは具体的にどのように偏っていたのでしょうか?
やはりトロイの遺跡を発掘したシュリーマンが発見を急ぐあまり
第一遺構を壊したといった考古学的遺跡の破壊がメソポタミアにおいても
おこなわれたということでしょうか?
ウルウル殿
>>24 ウルウルさんも女性の先生でしたか。丁寧に教えてくれたのはよかったのですが
授業のスピード遅すぎだったのが苦い経験でした。
教諭はいいですね。問題は世界史に関していえば定員が少ないということですかね。
>>34 「ウルのスタンダード」はシュメール版タペストリーかななどと思ってしましましたが
ウルウルさんはどう思いますか?
絵の図柄がどことなくペルセポリスのレリーフに似ていた気もします。
>37
ジャレル殿
いえいえ、もちろん発掘合戦や蒐集活動の加速化は、
内政、外交にかかわらず政治とは切り離せませんです。
そもそも最初のオリエント考古学は、各地の外交官が
アマチュア考古学者として普及させたところが大きいですし。
文化的なコンテクストを少々強調しすぎたようです。
国家の威信を示すというのはもちろん正しいのですが、
表向きは侵略活動や軍事力よりも、文化国家としての威信という、
オブラートに包んだ形で提示する必要「も」あったということ。
今では事情も変わってきましたが、博物館の無料公開主義も
同じ伝統上にあると思います。
19世紀中頃(とそれ以降)に関していえば、ロマンティズムと
その延長である夢見るオリエンタリズムという風潮もまだありました。
悲劇のギリシアに心酔したバイロンの例をあげるまでもないですが、
征服の証として出土品を提示することで国民感情、とくに政治的発言力のある
文化人の反感を買うのはまずい、ということで。
もっとも同時に産業マンセー、軍拡マンセーの人たちもいたわけで、
そのあたりの状況はこっちに揺れたりあっちに揺れたり。
>行き場のなくなった領土獲得のエネルギーが学術的な競争に向かった結果、考古学発掘競争という現象が起きたと考えていました。
これは特に、普仏戦争以降のドイツ(プロシア)や20世紀初頭のアメリカに
あてはまる例ですね。どちらもこの考古学競争では英仏に遅れをとっていますが、
この二国の大きな違いは、ドイツの発掘は国家主体、アメリカのそれは
博物館や大学のメセナである財閥主体であることだと思います。
39 :
ルナ(つづき):01/12/04 04:55
>>37 >行き場のなくなった領土獲得のエネルギーが学術的な競争に向かった結果、考古学発掘競争という現象が起きたと考えていました。
これは特に、普仏戦争以降のドイツ(プロシア)や20世紀初頭のアメリカに
あてはまる例ですね。どちらもこの考古学競争では英仏に遅れをとっていますが、
この二国の大きな違いは、ドイツの発掘は国家主体、アメリカのそれは
博物館や大学のメセナである財閥主体であることだと思います。
>政治・思想的に少々偏った発掘も行われていたのが第一期
シュリーマンだけでなく、考古学的な文脈(地層や発見状況など)を
無視した、破壊をともなう発掘がしばしば行われていたというのは事実ですが、
「思想的に」と限定したのは、聖書の解釈をめぐる議論に関してです。
そもそもアッシリアという国は、19世紀初頭の西洋人にとって、
旧約聖書に出てくるだけの、いわば実体のない存在でした。
ところが、ニネヴェのアッシュルバニパル宮殿から発見された
楔形文字の粘土板が解読され、創世記で語られている「大洪水」に
相当する記述がみつかったことから、発掘の成果をアッシリアに
結びつけるような研究発表が尊重され、アッシリア以前の先行文明
の存在が無視されがちだったということ。シュメール文明発見は
もうすこし後です。
その後、さまざまな発掘の過程で実際に大洪水跡を思わせる地層が
見つかっていますが、多くの調査隊は洪水層を発見したところで
満足するきらいがあって、前出のウーリー卿のように、遺跡の処女層まで遡るような
実証的な発掘は行われていなかった。とまあ、そういう含みの発言でした。
問題の大洪水層が旧約聖書の伝承以前に遡るということは今こそ
常識となっていますが、地動説や進化論のように、はじめは教会筋の
反発を買う説でして、1870-80年前後の学会誌などでは、ずいぶんと
激しい論議が交わされています。
少し時代を戻すと、ケニャール・ド・ソールシーという学者のパレスチナ発掘の
発表が学会の総すかんを食い、じゃあ証拠を見せるよ、とばかりに
写真家をお供にもう一度現地に戻ったのは一部では有名な話です。
(当時はデッサンによる記録が主流でしたので)。
長文になった上、うまく説明しきれないところが、どうももどかしいです。
メソポタミア燃え、の話題から脱線しちゃってごめんなさい。
省略された上に、コピペがだぶってしまって、
心底、申し訳ないきもち。
41 :
世界@名無史さん:01/12/04 05:18
熱いねー。
俺もなんか書き込みたいが、知識が・・・。
もっと後代のとかはだめ?アケメネス朝以後とか・・・。
ジャレル殿
ウルのスタンダードについては、う〜ん、個人的には何かの入れ物にしか
見えないんですよねぇ
中学生の時から写真眺めてるのに、未だにそんな感じでして(笑
進歩してないなー、自分……
それにしても、日本でも大々的にこう、「メソポタミア展」とかやって
くれませんかね。ムリかなー。
古代オリエント博物館(池袋サンシャイン内)とかは、おもしろ
そうな時は行ってるんですけど、いかんせん量が少ない!!うぬー
ルナさま
毎度興味深いお話、ありがとう御座います。
いや〜、熱い!発掘合戦、熱いですね!!
欧米諸国のシュメールに対する思い入れとゆーか、認識は、やはり日本
とはケタ違いなのでしょうね。羨ましい限り(?)
ルナさんの熱さ、伝わってきました。感謝です。
>>41 一応ここはシュメール燃えの場となってますが、アケメネス朝以降でも歓
迎致します。
ただ、私はペルシアの知識はかなり薄いんですよ、興味はあるものの。
もし良かったら、面白いネタなど提供してくれませんか?
勉強したいな〜とは思ってますんで……宜しくお願いします。
ところで、個人的な話なのですが、
実は今週末、大本命のソフトウェア会社の最終面接なのです。
そこは一応世界史関連のソフトなどを出している会社でして、私にとって
は長年あこがれていた会社なのですが……
私にとっては命懸けの面接です。好きな事を仕事にしたいですからね。
この前の面接で、「世界史がお好きだという事ですが、どちらの文明に
興味がおありですか?」と質問されたので、
「メソポタミアの都市国家と、マヤ・アステカです」
と意気揚々と答えたところ、
「あ、そうですか〜〜」と返答も素っ気無く、その質問はアッサリ終わっ
てしまいました。
う〜ん、やっぱり中国とかエジプトって答えた方がウケは良かったので
しょうか?
でもなぁ、自分にはウソはつけんし……。
とりあえず、そんな一瞬でも私のシュメール燃えが分かってくださった
のか、最終面接のお呼びがかかった訳です。よかった〜
と、こういう訳でして(なんか長くなっちゃったなー)、最後の追い込
みの為、数日このスレにあまり書き込みができないかと思います。
私がいない間も、どうかこのスレを宜しくお願いします。
ジャレル殿とルナさまの燃えは、私の心の支えです。
私も週末に向けて、思いっきり燃えて来ますね。
一晩寝て昨日のレスを見直したら、時制は滅茶苦茶だし、
話は脱線しまくってるし…。通史を書ける歴史家って、
心から尊敬します。
さてそろそろメタな話はやめて、と。
>ウルのスタンダードについて
まあ箱は箱で、それを言ってしまえば身も蓋もありませんが、
それまで破片の形で出土していたリリーフ群の全体像がわかっただけでも
ひとつの進歩、ということにしましょうよ。
たしか、これには絵入りの面がふたつあって、一つは戦争のシーン、
もうひとつは戦争後の平和をあらわしたものでしたよね。
様式・スタイルについては端折りますけど、この情景には
神様がいない、というのが一番の特徴らしいです。
神の不在というところから類推して、これが神話の一シーンではなく
実際の戦争、つまり歴史を叙述したものなのか、
それともギルガメシュのような叙事詩、つまり物語を描いたものなのか、
これについても皆が納得するような結論は出ていないようです。
手元の資料をめくっていてひとつ面白かったのは、「ウルのスタンダード」
が人類最古の漫画的表現である、というくだりです。コマ割りこそないものの、
一枚の平面を三段に分割し、それぞれ左から右に読ませることで、
連続する物語の経過を表現している、という趣旨の説明。
出典は、フランスの考古学者でルーブルの古代オリエント部門主任でもあった
Andre Parrot著、『Sumer』(1960, Gallimard)です。
もっと新しい本をあたれば、別の解釈がみつかるかもしれませんね。
ウルウルさん。
メソポタミアが中国、エジプトに人気の上で劣るか、という問題はさておき、
歴史がらみの商品を出しているような会社では、何に興味があるかよりも、
興味のあることを客観的に伝える、いわば情報の大見出しと小見出しを
つける能力が問われているのではないかと思います。
マイナーなネタに偏ることなく、大筋を守りつつ、面白い話を
散りばめていくような…。
面接がんばってください。
ウルウル殿
>42
「ウルのスタンダード」はネット上で見たものが最初でして、なにかの置物、女王の墓から
出土したものだから、王の権威を象徴したものだろうと考えてタペストリーなどと
答えてしまいましたが発掘品の解釈はむずかしいです。
古代オリエント博物館はいったことないのです(なにせ地方在住でして)
いってみないといけないですな。
どうも最近まで知的な関心が薄れていまして、
2チャンネルの世界史板に来るようになってからようやく関心を取り戻したと
いったところなんです。
大英博物館あたりが出張展示会でもしてもらえばいいんですけどね〜。
前の自分のレスについてですが
>>30のHPはまずかったかもしれないです。
自分のPC環境で2チャンからいこうとすると確実にトラブルが発生します。
トラブル起こしていたらスイマセン。
ついでに大英博物館サイト・メソポタミアコーナーのURL載せときます。
大英博物館HP・メソポタミアコーナーメニューの入り口
http://www.mesopotamia.co.uk/index.html 大英博物館HP・メソポタミアコーナーのメニュー
http://www.mesopotamia.co.uk/menu.html >43
世界史を扱うソフト会社というとやはり教育関係の会社ですか?
就職決まってたってもきてくださいね。
軽やかな文が見れないのは寂しいでーす。
スレッド立て逃げは許しません!(ウソ
面接頑張ってください。
ルナさま
ヨーロッパの前近代から近代への移行期の反動だけでなく
当時、知識人たちの間で流行したロマン主義が
発掘合戦・(世界中の文化遺産の)蒐集活動を加速させ、
さらに初期のころはアマチュアの考古学者が中心的に活動し
バックには中東方面の外交官ついていたということですね。
文化国家の威信というオブラートでつつむ必要があったのは
他の諸国や植民地の人々に侵略活動や軍事力の誇示しか
しない野蛮な国ではないということをしめすためだと考えました。
思想上偏った発掘というのは教会勢力の圧力が大きく
地動説・進化論の時のように教会筋の圧力があったということですか。
ウル発見にはアッシュルバニパル宮殿で発見された「ギルガメシュ叙事詩」
が最大の根拠であったのですね。
うーむ勉強になります。
>>46の訂正 (ゴメン)
×就職決まってたってもきてくださいね。
◎就職きまってもきてくださいね。
ジャレル殿
場所が場所だけに、話をはしょって書かなければいけないのが
もどかしいですが…。一応のフォローということで。
(不明な点がありましたららその旨お伝えくださいな)
>>47 >さらに初期のころはアマチュアの考古学者が中心的に活動し
考古学者を歴史家と言い換えてもいいですけど、はじめはまだ、
プロの考古学者というものが成立していなかったのです。
学会らしきものはありますけど、閉鎖的(これは今でも同じ)
なだけでなく、多分に同人的な雰囲気がある、サークルのようなものです。
>バックには中東方面の外交官がついていたということですね。
実際、1840-60年頃のフランスベースの発掘をを指揮していたのは
現地の外交官です。
政治家にも知識人的要素や文才が要求される時代でもあったのですが。
なお、第一次大戦終了までは、現地での発掘許可を得るのに
それなりのコネが要求された、という背景もあります。
中東各国の政治家にとって、何を許可して何を却下するかの基準が
ないに等しいものだったのと、まあ、歴史には書かれない類のこととして、
利権、つまり賄賂のやりとりという理由ががあったのではないかと
想像されます。公的な基準が設けられたのは1918-19年頃のことです。
>思想上偏った発掘というのは教会勢力の圧力が大きく
実際ヴァチカンの態度がどうだったかは知りませんが、
聖書研究会等の自称「学会」のプレッシャーは激しいものでした。
>ウル発見にはアッシュルバニパル宮殿で発見された「ギルガメシュ叙事詩」
が最大の根拠であったのですね。
ウル発見の夢をかきたてたのは例の粘土板ですけど、
発掘にあたったウーリー卿は、あちこちで大洪水跡が発見されている
らしい、という情報を根拠に行動してたようです。
ルナさま
ウルウルさんが今週末まであまり参加できないということなので、
以下のことを計画してみました。
メソポタミアのイラクで世界遺産に登録されている遺跡が
たった一件(パルテリアのハトラ遺跡1985年登録)しかないのはどうも
不自然です。そこでイラク国内にある世界遺産に登録されておかしくない
と考えれれる遺跡をこの場を借りてあげてみようかななんて思ったのですが
どうでしょうか?とりあえずはシュメールからアッシリアまでを限定して。
以上のことです。
おはようございます。
明日、いよいよ面接試験です。いや〜、落ち着かないもんですな、ほんと。
このスレも無事に守られているようで、お二人には感謝してます。
ジャレル殿
古代オリエント博物館は、規模自体がけっこう小さいので(オリコグループがやっている
ものなのです)、東京に来たついでに寄られる事をオススメします。
オリコ→オリエントコーポレーションという名前だけに、まぁ、社長の趣味なんでしょう
かね。たまに、インドの美術品やら、地中海世界なんかの展示もやってるみたいです。
就職決まっても、ちゃんと来ますよ〜
おそらく、会社に入れたら、膨大な知識量が要求されるでしょうからなおさらです。
それにしても、履歴書送ってから、二カ月も経っているのにまだ2回目の面接。
噂によるともう1回面接あるとか……。精神的にもちません(笑
ルナさま
メソポタミアの研究については、かつてはカルト的なとらわれ方をしていたのでしょうね。
興味深いお話しです。
アマチュアの研究が、公の力を借りるに至るまでは、いろいろと試練があったのでしょう。
そうですよね、歴史に関してはまず物証ありきですから……。
現在で言うと、古代アトランティス大陸の研究みたいな感じですかね?宗教ガラミではな
いですけど。
ここの板でスレ立てても、「板違い」とか言われてますもんね〜
面接、頑張って来ます。ありがとうございます。
ジャレル殿
>>50 >メソポタミアのイラクで世界遺産に登録されている遺跡が
>たった一件しかないのはどうも不自然です。
今回の「世界遺産」はユネスコ的な意味ですよね(確認まで)。
85年以降の登録がないとしたら、手続きに不可欠な国際調査団の
入国が難しくなった、という社会的背景(湾岸戦争その他)で
説明できるのではないでしょうか。
>そこでイラク国内にある世界遺産に登録されておかしくない
>と考えれれる遺跡をこの場を借りてあげてみようか
そうですね。
メソポタミア周辺の古代史は中高の世界史でも扱いが小さいですし、
一度まとめておいた方がレスも付きやすいと思う。
あと、地理・時代区分に関して、少々の疑問が…。
下限のシュメールから、というのはシュメール先史文明からか(エリドゥ期)、
その後の都市国家時代からはじめるのかとういう問題。
上限は新アッシリア時代で切るより、ネブカドネザルの新バビロニアあたり、
できたら前イスラム時代全般、ということでササン朝ペルシアまで入れてあげると
個人的には気持ちがいい。
年表等、教科書的なまとめをするのはめんどくさいので、どっかに
いいサイトがあればいいのですが。。
まえのスレ
>>50の訂正します。
パルテリア→パルテリア(アルケサス朝のことです)
ルナさま
はしょって書くのはしかたないですよね。でないと話がわかりにくです。
>1840-60年頃のフランスベースの発掘をを指揮していたのは
現地の外交官です。
フランスの外交官ポール・エミール・ボッタのことですね?
>今回の「世界遺産」はユネスコ的な意味ですよね
そうです。ユネスコの世界遺産です。説明不足ですいません。
>手続きに不可欠な国際調査団の
入国が難しくなった、という社会的背景(湾岸戦争その他)で
確かに85年以降のイラクは戦争とクーデターの繰り返しで混乱してたから(今もかな)
世界遺産登録どころではなかったというこで説明できますね。
>地理・年表区分に関して
前イスラム時代(ササン朝ペルシアの滅亡)までということでお願いします。
>年表等、教科書的なまとめをする
この時代まで現在のイラクでおこったできごとまとめてみるのには時間がちょっとかかります。
といっても書籍からの移ししかできないけど。これでよければまとめてみますけど。
あと見つけた年表サイトだけでものせときますね。
下記はササン朝ペルシア滅亡までの、メソポタミア地方の年表が載ってるサイトです。
古代オリエント史の年表
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/8154/ 「世界史年表図書館」より
もひとつ確認。
あくまでもメソポタミア燃え、であって、シュメールに限定するわけじゃ
ないですよね。地理・人種区分でかなりの制限ができてしまうので。
56 :
世界@名無史さん:01/12/07 02:58
>>1オモロイ、ワラタヨ
>>1よ、頑張って楔形文字が打ちこめるパソコンソフトでも開発してくれ。
健闘を祈る。
>>55 ルナさま
メソポタミア燃え、であると思ってます。
メソポタミア地域の世界遺産登録予測に関してはシュメール限定ではないです。
時代 前イスラム時代(ササン朝滅亡まで) 地理・人種 メソポタミア地域
でいいと思います。
了解。
ウルウル殿は元気かな?
こんばんは、お久しぶりです……ゼエゼエ
私はまぁ元気です、つうかあんまり元気ではないのですが
とりあえず面接を終え、死に絶えておりました
怖かった、怖かったよ……会社社長って奴は
何でああも威圧感があるのだろうか
日頃は緊張しないタチなのですが、さすがにヤラレました
合否は来週中に分かります
それまでは、ハッキリ言って生きた心地がしないってヤツです
あ〜〜〜〜〜怖かった!!!
ウルウル殿、お疲れ様です。
面接受かるといいですね。
疲れた時は温泉に入るのが一番です。
がんばれウルウル。あんたオモロイ。
予定より復活遅れました。スンマソン。
お、お、お陰様で、無事に就職決まりました〜〜〜ラッキー!!!
いやぁ我が人生において、滅多に無い頑張りようでした。
そして何とか、希望の職種にありつけましたのです。
とりあえず世界史関連のソフト開発をやる事になりました。
あ〜〜〜満足。奇跡だなー。
ジャレル殿
そゆ訳でして、応援ありがとうございました。
暫く慌ただしくなるのですが、ちょくちょく書き込みますので宜しくお願いします。
ルナさま
お元気でしょうか?ネタの提供できなくて済みませんでした。
宜しければまた何か教えて下さいね。
ウルウルファンさま
泣けてきました。自分は単純ですので、そういう一言にとても弱いです。
頑張ります。
そして改めて……
やはりメソポタミアは燃えでいいのです!!
この燃えっつう訳の分からない執着が、人生を切り開く事もあるのです。
今後も燃えていきたいと思います。さあ皆さんもご一緒に燃え。
自己満足って事でオヤスミナサイです。
ウルウル殿、おめでとうございます。
うらやましいで〜す。
仕事の方も2チャンネル世界史板の方も、も,も,も,燃えますか。
では、お仕事頑張ってください。
ウルウルさん、おめでとう。好きな事を仕事にできるなんて幸せだな〜。
私の場合は、才能、努力共に著しく欠如していたものでして・・・
本当にうらやましいです。きっと“天は自ら助くる者を助く”なんだね。
私もこのスレにいろいろ書き込みたいんだけど、いかんせん知識が・・・
“バビル2世”に毛が生えた程度なものなんで許してね。
あまりここにカキコできないけど、影ながら応援してるよ。
ウルウルがんばれ〜!
フォフォフォ。頑張ります。
応援ありがとうございます。来週から出勤です。
さて、たまにはメソポタミアの話をしましょうか???
古代オリエント世界の中でも、日本人にとってイメージしやすいのはやはり
バビロニアでしょうか?ウルウルファンさんもおっしゃっている様に、まぁ
バビル2世とか……関係ない?
バベルの塔。
素敵ですね。割かし小さい頃でもイメージしやすかった気がします。
そもそも塔というものは、メソポタミアが起源なのだそうです。
森本哲郎氏によると、
「エジプトにはピラミッドがあるが塔はない。古代中国の殷にしても、インダス
文明のモヘンジョ・ダロにしても、塔はつくっていません。塔はメソポタミア地
方特有のものといってもいいと思いますが、そもそも塔をつくるようになった動
機はどういうことだったのか……(中略・以下より板倉勝正氏)……
そうですね、シュメール人は、東方の山岳地帯からメソポタミアにやって来まし
たが、故郷では山のてっぺんに神を祀っていた。そこで平地に来てからは、山に
見立てられるような塔を建てて、そこに神を祀ったといわれていたんです。
↓につづく
つづき
ところが、それを考古学的に跡づけてみると、はっきり塔の形をとり始める
のは、ウル第三王朝(紀元前2100年ごろ)のころからなんです……(中
略)……土台を高くしっかり築けば、洪水を防げるというのでだんだん高く
築いて塔になっていったんだと思います。」
という訳で、憶測ではあるらしいのですが、そもそも塔というものが作られ
た理由のひとつに、やはり度重なる洪水があったようなのです。
旧約聖書のノアの方舟伝説も、あながち嘘ではないようですね。
紀元前2100年の頃には、もう既に塔を建てる技術があった。
なんだか、しみじみと考えると凄い事ですよね。
現代人の自分にゃ、そんな技術は全く無いのだし……。
遅ればせながら、就職おめでとう。
祝いのオフでもやりませうか?
ルナさま
ありがとうございます。
自分で立てたスレながら、ここのスレの方達がだいすきです。
オフ、やってみたいですねー。
私、生きてます。
でも年末年始、休みありません。
72 :
世界@名無史さん:01/12/28 01:51
>>72 危険度5……当然と言えば当然でしょうが、どうにかならんもんですかねー
生きている間に一度行けたら良い方?
ウルウル殿、お久しぶりです。
オフ会はできるのかな?もうされたのかな?
イラクの海外渡航危険度は10年くらい前はどうだったんでしょうね。
当時は小学生くらいだったんです。
10年後には一般人でも旅行できるようになっているといいんですけどね。
「NHKスペシャル四大文明メソポタミア」を買ってちょっと読んでみましたが
昔再放送であった「シルクロードの旅」を思い出しましました。
世界史の教科書はもっとこの文明について触れるべきだと考えてしまいました。
>>74 10年前じゃ湾岸戦争だから、当然ながら退避勧告…
80年代はイラン・イラク戦争でしたし、比較的安全に行けたのは
イラン・イラク戦争終結後から湾岸戦争開始にかけての短かい間
じゃないかなぁ。
ジャレル殿、お久しぶりだす。
入社してイキナリ修羅のようなスケジュールです。
今のプロジェクト(なんか偉そーな響き)で手掛けているソフトの発売が
間近なのです。
売れるといいな〜ははは……。
下手すりゃ大晦日も仕事ですわ。
でもやっぱ、歴史に関れるのは嬉しい事ではあります。
っていうか、ジャレル殿って私より年下???
大人っぽいからテッキリ年上かと思っていたのですが。ふむぅ……。
>>75 旅行業界自体が苦しい状況ですし、仮に危険度が下がったとしても
イラクに行ける手段はかなり限定されるでしょう。
ツアーなんてとんでもないって感じでしょうな。
コッチは旅人として純粋に遺跡巡りしたいだけなのに……。
ボディーガードでも連れていかんと(w
高そ。
そうそう
オフ会やる暇なんてありません
78 :
ウルウルファン:01/12/29 01:10
ウルウルさんきつそうだな。頑張れ。
他に言葉がみつらない。ごめん。
ウルウルファン様
貴方の言葉が、あちきの心の灯火さ
あちきは燃える女さね
ウルウル殿
年末年始大変そうですね。頑張ってください。
どういったソフトの詳細を聞きたい気もしますが、
よしときます。個人情報をネット上で公表することに
なってしまうので。ソフトといっても色々あるし、
しかも世界史関係となると……。うーむ、知りたいけど聞けない。
>…殿って私より年下???
そうなるんですかね。20代前半となっております。はい。
前のレスで年上の人に対する語り方ではなかったことがある点は反省。
ウルウルさん、がんばってるようですね。
よいお年を。
82 :
世界@名無史さん:01/12/29 09:41
みんなでメソポタミア脳内初夢オフをやろうっ!!
ジャレル殿
年の事は気にせんといて下さい。
自分は歴史好きは皆アミーゴだと思うとります。
つうか、私も気持ちだけはハタチそこそこです。
ルナさま
お久しゅう!
このスレが再び燃え上がる(?)時が来たら、
また色々なお話しを聞かせて下さい。来年もよろしく。
うむうむ、そうです
みなさん年を越すにあたって、
ほんのすこしでもいいからチグリス・ユーフラテス両河に囲まれた
あの素晴らしい土地の事を思って下さい(行ったことないけど)
ウルウルからのお願いですわ
日本人にとっては遠き幻想の国、欧米人にとっては憧れのバイブル・ランド
「メソポタミア」に栄光アレ。みたいな。
85 :
世界@名無史さん:02/01/24 22:50
このスレ終わっちゃったの?
なんか寂しい。
みんな逝ってしまいました。
あぁ・・あのときあんなことが無ければ・・・
さようならチグリス・ユーフラテススレのみんな
安らかに眠れ・・・
まだ残ってますけど…。
「備忘録」というサイトでこのスレの紹介をみつけました。
「備忘録」というサイトはこのスレだけでなく、
他の世界史板のスレッドも紹介しています。
週に一回ほど更新している。
89 :
世界@名無史さん:02/01/25 01:51
良スレage
91 :
世界@名無史さん:02/03/24 21:13
終わり?
92 :
世界@名無史さん:02/03/29 09:56
ROM専ですがたまに遊びにきてますよ。
93 :
めそぽたみあー:02/03/29 18:14
メソポタミアもえです。はじめてきたけどスレ終了してるじゃ。
ウルウルどの、イラク旅行俺もほんと行きたいけど
気をつけられよ。おれの爺ちゃんの友だちが
企業の出張か出向でイラクに行って方々観光してたら
地理を調べてるとかのスパイ容疑で投獄、20年くらい捕まって
やっと日本に帰ってきたら早死にされた。
恐ろしいのは米軍の空爆だけではない。気をつけられたし。
94 :
世界@名無史さん:02/03/29 18:20
なんと、こんなスレがあったとは。
95 :
世界@名無史さん:02/05/13 00:25
age
96 :
世界@名無史さん:02/05/13 22:17
ageagaggagagaga
97 :
世界@名無史さん:02/05/19 01:14
あげ
98 :
世界@名無史さん:02/05/19 10:37
このスレ読んでるとうるうるしてくる。
99 :
世界@名無史さん:02/06/05 00:29
age
空アゲ反対
アゲるなら何か実のある事書くの推奨
101 :
世界@名無史さん:02/06/17 17:24
102 :
世界@名無史さん:02/06/17 20:27
メソポタミア地方って大昔はジャングルで、ライオンとかウジャウジャいたらしい。萌え
103 :
世界@名無史さん:02/06/17 20:30
>>102 まぁ、エジプト古王朝時代の遺物にもライオン狩りとか、カバ狩りのレリーフはあると言うし。
メソポタミアの場合、大昔っていつ頃を指すでしょう(?)
104 :
世界@名無史さん:02/06/17 20:54
大昔っていうか、これぞ純正メソポタミアって言えるのは、ペルシア人が来る前までだと思う
メソポタミアにズボン姿は似合わない
105 :
世界@名無史さん:02/07/04 14:11
あげ
106 :
世界@名無史さん:02/07/31 04:43
あげちゃう
空アゲ続くのみっともない、と言ってみるテスト
108 :
世界@名無史さん:02/07/31 14:39
アッシリアのシャムシ・アダドはアムール人。
(在位、前1813〜前1781)
都市国家アッシュルをメソポタミア史の表舞台に引きずり出した人物で、
北メソポタミア全域を支配した王。北部に展開したアムール諸族の王になった。
都市国家アッシュルの王名表にアムールの部族長の系図を紛れ込ませ、
後世、“アッシリアの”偉大な王とされて、
紀元前6世紀に新アッシリア帝国が滅亡するまでの1200年間に、同名の王が6人は出たとか。
なんでか知らないけど国士舘大学がイラクで発掘してるらしいよ。
さすが体育大学?
一緒につれてってもらったら?
110 :
世界@名無史さん:02/08/03 21:48
それでもあげてみよう
111 :
世界@名無史さん:02/08/09 02:29
>109
メソポタミアの西外れ、マリ市遺跡の発掘のことですな?
メソポタミアの平原部は地平線まで点々と小さい丘が一面に広がっていて、
それが全て都市遺跡なのだと習いました。
ちなみにフリ人の国ミタンニ王国の首都ワシュカンニは未発見だそうです。
もう一つ、カッシート王朝時代にバビロニア地方はカルドゥニアシュと呼ばれていたとか。
112 :
トトメスV世:02/08/09 03:22
>>111 >カッシート王朝時代にバビロニア地方はカルドゥニアシュと呼ばれていたとか。
後の『カルデア』の語源ですね。
>111
そうそう。マリ遺跡は国士舘大学パリ校が発掘してるんだよね。
って、んなわけあるかー!
キシュ遺跡というらしい。ホームページにあった。
114 :
トトメスV世:02/08/09 14:31
古レスで申し訳無いですが
>>6 >>11 バベルの塔は、新バビロニア王国のネブカドネザル2世がバビロンに建てた
『エ・テメン・アン・キ』の事だと言われてますね。
バビロンで遺構も発見されてます。
発見当事は再建計画とかもあったようですが、今ではどうなってるのかな?
無理なんだろうな、やっぱり(笑)
>>13 アッカド市は、アッカド帝国滅亡時にグティ人によって完膚なきまでに破壊
されている為、テル(遺丘)としても残っていないんだとか。
現在、候補地はいくつか挙げられているものの特定は難しいそうですね。
>113
うぎゃあ! 普通に間違えた!
キシュっていったらアッカドのサルゴン大王の出身地じゃないですか。
何処で取り違えたのやら・・・。鬱ぅ〜
アガデ市ってサルゴン大王が作った新都でしたっけ?
記憶があやふやで良く覚えてない・・・。
116 :
トトメスV世:02/08/09 16:20
>>115 >アガデ市ってサルゴン大王が作った新都でしたっけ?
そうですね、ルガールザゲシを破って帝国を築いた後、都として
造営したのがアガデ(アッカド)市だったと記憶しています。
117 :
世界@名無史さん:02/08/09 18:37
こんな良いスレがあったとは。
今『世界の歴史1 人類の起源と古代オリエント』中央公論社を読んでいます。
ウル第3王朝で作られた「王朝表(王名表)」というのが出てきますが、これは
・シュメール及びアッカド地方を支配する覇権都市が一つある。
・その都市の王を「シュメール及びアッカドの王」と認定する。
こういう歴史観でBC3100からBC2000年の歴史をつづったもののようですね。
で、サルゴン王の統一までの経緯を見ると、時代順に
・ラガシュのエアンナトゥム、ウンマを破って「キシュの王」を名のる。
(実際に支配したわけではないようです=アッカドの王宣言?)
・ウンマのルガルザゲジ、勢力を伸ばして「ウルクの王」を名のる。(シュメールの王)
・サルゴンがキシュから独立してアガデを建設。
・サルゴンがルガルザゲジをやぶってメソポタミヤを統一。
イマイチすっきりしないのですが、こんな感じでしょうか。
(執筆者は前川和也氏)
>112
後の『カルデア』の語源ですね。
私もそのように思い講師の先生に伺ったのですが、どうやらそう単純ではなさそうです。
紀元前10世紀頃からアラム人がメソポタミア全域に侵攻を開始します。
この時アラム系カルデア諸部族が、相次いでバビロニア地方南部に定住しました。
これが旧約聖書に出てくる「カルデア人」「カルデア」地方の由来になったのだそうです。
「バビロニア」と「カルドゥニアシュ」の関係で言えば、
そもそも「シュメール」地方+「アッカド」地方=「バビロニア」地方だと習いました。
それでカッシート人がメソポタミアに侵攻して、紀元前1550年頃にはアムール諸王朝に取って代わりバビロニアを中心にカッシート諸王朝が都市支配をするようになった頃になりますが、
これ以降、彼らカッシート人は彼らの言葉でこの地方を「カルドゥニアシュ」と言ったのだそうです。カッシート人は自分たちの言葉を文章化することは無かったので、
カッシート語で「カルドゥニアシュ」がどういう意味なのかは全く不明だそうです。
「バビロニア」地方=「カルドゥニアシュ」だとは判りましたが、
「カルドゥニアシュ」⇒「カルデア」の関係はあまり無さそうな様に仰っていました。
判ったことはこの程度でして、正直詳しいことは殆ど私には知らないことばかりです。
119 :
世界@名無史さん:02/08/11 21:06
海外旅行板かなんかに「イラクにいきます。」とか
なんとかゆうスレがあったよ。5人集まればビザが
とれるみたいです。観光でいってる人もいるみたい
ですが、当然ツアーはない。メソポタミアで有名な
町だとイランに1つあったと思います。確か、ハムラビ
法典が見つかったところ。
120 :
トトメスV世:02/08/12 00:48
>>118 成る程、ありがとうございます。
私が習った時は、カルドゥニアシュが、ヘブライ人によって訛って伝えられたのが
カルデアの語源となっていると言う話でしたので。
121 :
世界@名無史さん:02/08/12 01:29
>当然ツアーはない。
厳密に言うなら、「日本の旅行会社はツアーを主催してない」というところでしょう。
現地のツアー会社がやっているツアーですね。
無理矢理イラクに行かなくても、「ティグリス・ユーフラテス河を観るだけで我慢
してやる!」ということならば、格好の場所があります。かつてセレウコス朝に
よって建設された都市、ドゥラ・ユーロポスの遺跡から、ユーフラテス河を見る事が
出来ます。
レス違いだな・・・
ビストゥン碑文の写し
どこにあるか知ってる方いませんか
(古代ペルシア語)
>120
シャッル・キンが、サルゴンになったり
ナブー・クドゥリ・ウツルが、ネブカドネザルになる世界ですから(笑
ヘブライ人たちがメソポタミア系の知識を入手したのは、先学たちの研究が言うように
バビロニア捕囚が大きく絡んでいるのは間違いないでしょう。
私個人の感想からすると、カルドゥニアシュ→カルデアはそんなに突飛には思えないのですが、
カルデア諸部族が元から自身を「カルデア」と呼んでたか判らないので、
もしもう少し具体的に知る機会があれば、後でカキコしようかと考えています。
>122
西アジア系の古代を扱っている大学、研究施設では、置いてあるかも知れません。
首都圏では、東大や慶応、早稲田あたりが持っていそうです。
中央大学や東海大学などが意外にも持っているかも知れません。
西日本であれば京大、大阪大、関西学院大、龍谷大や大谷大、天理大はどうでしょうか?
各大学の付属図書館のサイトで検索されてみてはいかがでしょうか。
あるいはNACSISで検索というのもありでしょう。
125 :
世界@名無史さん:02/09/22 21:44
あげ
126 :
世界@名無史さん: