1 :
ユーグ・カペー:01/11/29 16:50
ハプスブルク関連スレが有って、フランス王家のスレが無いのは
おかしいぞ!!皆で偉大なフランス王国について語ろうではないか!
ジャンヌ・ダルクやナポレオン、オルレアン家、イタリアやスペインの
傍系もO.K.じゃ!!
2 :
世界@名無史さん:01/11/29 23:27
最初にふさわしいネタを少々。
ユーグ・カペーはロベール家で最初の王ではない。
すでに何度か選挙王制でカロリング家に勝利した実績があったからこそ、選挙王制を克服して
息子ロベールを後継者に指名できた。
「フランス王国」という国号は、ユーグ・カペーの「フランス公」という爵位に因む。
なお、ロベール・ル・フォール → ロベール1世 → ユーグ・ル・グラン → ユーグ・カペー
というのが先祖の系図ね。
ロベール・ル・フォールの先代はパリの肉屋だったという伝説はホント?
3 :
世界@名無史さん:01/12/01 23:55
ロベール家最初の王はオード王だっけ。
ロベール・ル・フォールの先祖は一応系図上では
数代遡ることができる。
4 :
世界@名無史さん:01/12/02 00:24
西フランク系カロリング家の家系は完全に断絶したの?
5 :
世界@名無史さん:01/12/02 00:55
確か、カロリング家出身の王妃がいたはずだ。
ルイ6世とかだっけか?
6 :
世界@名無史さん:01/12/02 01:04
そうか。ではブルボン家の現スペイン王なんかもシャルルマーニュの血を
引いてるんだな。
7 :
世界@名無史さん:01/12/08 12:16
去年か一昨年ボナパルト家の人がコルシカの市長選挙に立候補したと新聞にあったけど
結局当選したのか落選したのか分からない。誰か情報をください。
8 :
世界@名無史さん:01/12/12 22:01
ハプスブルク家とフランス王家、どっちが名門だと思う?
9 :
プリンツ・オイゲン:01/12/13 00:00
そりゃ、あんた、神聖ローマ皇帝を代々輩出したハプスブルク家の方が名門じゃ!
10 :
世界@名無史さん:01/12/13 01:36
ブルボン朝フランスは名宰相たちによって築き上げられ、バカ殿たちによって崩されていった国だ。
11 :
世界@名無史さん:01/12/13 01:46
そのハプスブルグ家の上をいく名門がいくつかあるのがヨーロッパのいいとこ。
12 :
世界@名無史さん:01/12/13 10:18
>11
具体的な家名を教えてください。
13 :
世界@名無史さん:01/12/13 23:55
メディチ家ってどんなもん?
14 :
世界@名無史さん:01/12/14 00:08
選挙王制を撤廃できたカペー朝と、できなかったハプスブルク家。
よってカペーの勝ち。
15 :
世界@名無史さん:01/12/14 01:12
この3王朝って結局全部男系で繋がってるんだよね?
16 :
世界@名無史さん :01/12/14 01:20
マリーアントワネットはハプスブルグ家出身だけど
嫁いだ時点でブルボン家の人になるの?その子供達は
混血児?
ハプスブルグ家も皇帝だしたのは相当後世だよな。ルターの頃。
18 :
世界@名無史さん:01/12/14 01:44
ザクセン・コーブルク・ゴータとかルクセンブルクとかナッサウとかが名門。
19 :
世界@名無史さん:01/12/14 18:04
「ナッサウのアドルフ」ってのもドイツ国王にいたっけ?
20 :
アマノウヅメ :01/12/14 19:24
>>17 ハプスブルグ家は1477年にマキシミリアン1世とブルゴーニュ公の跡取のマリアが
結婚するまで貧乏で領地も少なかったけど、神聖ローマ帝国皇帝にはしばしば
選出されてます。
16世紀のハプスブルグ家の年表はカール5世の年で覚えておくといいですね。
1500年生まれなので。
21 :
革命的ハプスブルク派:01/12/15 00:56
ハプスブルク家はドイツ系だから「ハプスブルグ」じゃなくて「ハプスブルク」
まあこれはどうでもいい。「マクシミリアン」を「マキシミリアン」と言うのも
まあ許そう。だが、
>>17よ、ハプスブルク家が神聖ローマ皇帝(含む「ローマ王」
=「ドイツ国王」)を初めて輩出したのは1273年のルドルフ一世からじゃ!
それ以来、アルプレヒト一世・アルプレヒト二世・フリードリヒ三世・マクシミリアン一世を
カール五世の前に輩出しておる。ルターの頃には神聖ローマ皇帝位はハプスブルク家の
世襲になっておったわい!カール五世の皇帝選出の経緯については突っ込むでないぞ!
22 :
世界@名無史さん:01/12/19 22:37
フリードリヒ3世の愛称を教えてください。
黒王でしたっけ・・?
23 :
世界@名無史さん:01/12/19 22:41
ごめんさい。
フランスでそ。
24 :
おサル ◆XIyjiLAc :01/12/19 22:55
>>20 ちなみに二人の間に生まれた子がフィリップ(美男王)で、
彼がアラゴン・カスティーリア連合王国を継承するファーナ王女と
結婚したことで、ハプスブルク家はスペインまで領有するようになり、
さらにフィリップ美男王とファーナの子・カール五世がポルトガル王女
イザベラと結婚することで、ポルトガルまでも併合することになりますね。
まさに家訓「他国は戦争せよ。われは結婚する」
25 :
世界@名無史さん:01/12/20 17:03
(~O~)/~~age
フィリプ(美談子)絵ォ見たが 打つくし顔していた
27 :
世界@名無史さん:01/12/21 17:11
フランスがヨーロッパのスタンダードになったのはルイ14世の時からだ
と聞いたけど、それ以前、カペー・ヴァロア時代はどうだったんだろ?
もちろんヨーロッパにおける強大国の一つだけど、全ヨーロッパが憧れ
る存在ではなかったのかな?
28 :
世界@名無史さん:01/12/21 22:49
カペー朝の「カペー」ってどういう意味?
29 :
世界@名無史さん:01/12/21 23:38
日本語にすると「合羽」だな。<Capet
合羽自体はポルトガル語のcapaの音訳だが、capetも同系統の言葉。
っつーわけで、どうやらユーグは合羽というか外套がトレードマーク
だったようだ。
30 :
イルドフランス:01/12/26 16:33
何時の間にかハプスブルクが…
31 :
世界@名無史さん:01/12/26 17:57
フランス史では「第三家系」と言ったりするね。
メロビンガー・カロリンガーに続いて。
32 :
世界@名無史さん:02/01/03 07:07
フランク王国スレってあったか?
33 :
世界@名無史さん:02/01/03 10:19
「メロヴィング朝」という名は、フランク族の王クロディオン
の息子メロヴェウスに由来しています。
>>33 ふつーはクローヴィスの爺さんという言い方をしますね。<メローヴィス
カロリング朝はカール大帝に由来するというのが定説。ただし、元祖カールは
その祖父のカール・マルテル(マルテルはあだ名)だけどね。
35 :
イルドフランス:02/01/03 16:20
(~o~)/age
36 :
リトル愚礼@ロズウェル逝きます!:02/01/03 21:28
>>27さん
むむ…
誤解を恐れず言えば
ルイ九世からフィリップ四世の頃に
スタンダードになりかけたが。
ヨーロッパのこの頃のゴシック建築
ほとんどがフランス様式と聞くし。
アンジュー家の人間は、ヨーロッパのあちこちの王位を
持っていたしね。
ちなみに、神聖ローマの
シュタウフェンをぶっ潰したもの
フランス(=アンジューのシャルルダンジュー)。
37 :
世界@名無史さん:02/01/04 04:33
Hugues Capet
38 :
世界@名無史さん:02/01/04 19:30
Capet
Valois
Bourbon
39 :
世界@名無史さん:02/01/04 23:41
メロヴィング朝初代の王クローヴィスと
フランス王家でもっともよく使われたルイという名前、
語源が同じだそうな。
古ゲルマン語でフルオドヴィヒと呼ばれた名前が
一方では、フルオドヴィヒ→クロドヴィヒ→クローヴィスとなり、
もう一方では、フルオドヴィヒ→ルートヴィヒ→ルイとなったそうな。
腐乱寿司って変換されたときはびびったアルヨ。<フランス史
41 :
世界@名無史さん:02/01/09 08:09
こいつら1番十字軍に熱心だったね。
なんで?
42 :
世界@名無史さん:02/01/09 14:32
>>41 皇帝位持ってないし、シャルルマーニュの血を引いているわけでもない。
中世王権に必須の「武勲」についても今ひとつ。(領土がショボいから。)
というわけで、カペー家は「キリスト教的君主」という
中世王権のもう一つの側面を鮮明に打ち出していく方針をとった。
ある時期まで教皇権との争いが比較的少なく、教皇の優等生を通したのも、
十字軍に熱心だったのもその現れ。
43 :
世界@名無史さん:02/01/10 01:48
>>42 ルイ6世だかの王妃がカール大帝の血を引いてなかったか?
44 :
世界@名無史さん:02/01/10 17:19
ルイ六世肥満王の?
たしか、奥さん何人かいなかった?
45 :
世界@名無史さん:02/01/14 20:13
46 :
リトル愚礼@ロズウェル逝きます!:02/01/14 23:07
>>42さん
追加して言うなら、ローマ教会を守るのは
神聖ローマ皇帝の使命で、フランス王はその義務はなかった。
にしては確かに熱心だったな、十字軍。
もっとも、フィリップ二世はそうでもなかったみたいだが(w
余である。
ルイ六世の2番目の王妃はサヴォイ家の出身。
(彼には王位継承前に結婚したんだか?の
ロシュフォール家出身の妃もいる)
まあカロリング家の血も入っていたはず。
しかしカペー家とカロリング家の血筋云々でいえば
ルイ七世の3番目の王妃。
シャンパーニュ家の出身でその子はフィリップ二世。
フィリップ二世の最初の妃が
エノー(ヘンネガウ)家の出身であることなど
カペー家はカロリングの血筋を引く一族との
関係を深める。
カロリング家の血筋を最も重視したのは・・・
当然のことながらルイ9世。
ヘ、陛下!お懐かしゅうございます。私のスレにもご来訪下さいませ!
最近、下がりっぱなしでして……
へ、へいかぁぁぁあぁぁぁぁあ。
50 :
世界@名無史さん:
>>41 長子相続制の確立も一因だと思うけど、
貴族の次男・三男坊が新天地を求めて十字軍に加わるというムーヴメントがあり、
(ノルマン・コンクエストや、オートヴィル一門の南伊征服もその一環として説明できる)
フランス王権もそれに突き動かされた、という点も挙げられる。
「聖地」はフランス人にとっての「満州」だったということですね。
あとカペー朝としては、有力諸侯が十字軍で不在にしてくれるのは
王権の伸張に関して非常に嬉しいことだったわけです。
(ルイ尊厳王は、フランドル伯ボードワン某の不在により英王ジョンとの抗争を有利に進めている。)