401 :
世界@名無史さん:
西洋史の大家である元東大総長・林健太郎氏がいわれるが如く、
「史料学」「文献学」というものは歴史学の基礎ではあるが、
それは歴史学研究の技術論であって、歴史学の本質ではありません。
402 :
名無し象は鼻がウナギじゃ:01/11/26 04:01
>>400 >「どこにでも普遍的に妥当する歴史の客観的法則」を君は発見したのか。
おれさまの原文↓。
>>392 >「昭和天皇独白録」という史料に含有されている「情報」、その時代の学問水準に
> よって抽出しうる「情報」は万人に共通である
脳が腐っとるのか、お前?
俺様には到底はかりしれぬ「脳内変換」能力をもっとるようだな(ワラ
>>400 >それは凄いことだ。さっそく論文にまとめて『史学雑誌』にでも発表してくれ。
>それだけすごい発見ならば査読で落とされることもないと思う。
>学会でも注目されて、一躍有名人の仲間入りだぞ。
あほか。
史料からの情報抽出とその処理は、史学科の学部生が「研究入門」「演習」
「史料購読」などで初歩からたたき込まれる初歩的な「手順」じゃ。
お前、歴史学の「学会」や『史学雑誌』をなめとるな。
>>401 >「史料学」「文献学」というものは歴史学の基礎ではあるが、
> それは歴史学研究の技術論であって、
東大元総長氏も歴史学者であるからには、↑このようなおれさまと同じ主旨の発言をする
のは当然じゃ。
>>169、
>>227あたりをみよ。
403 :
名無し象の鼻はウナギだ:01/11/26 04:09
>>399 >「歴史学」=「文献学」だと勘違いしている馬鹿がいます。
お前の芸術的歪曲を生み出す「脳内変換能力」も、爆笑モンだな。
俺様の原文↓。
>>169 > 代歴史学の根幹・基礎・土台は、この「史料」より「情報」を抽出するという作業にあ
>る。この作業は完全に「科学的」かつ「客観的」であり、その時代の科学水準に応じて >「万人に共通の結果」がでる。
> 歴史学で「説」を立てるためには、「情報」の隙間をうめる「推測」「仮説」や、こう
>して得られた「情報」に対して「解釈」を加えることが欠かせないから、誰やらが「歴
>史学」に対して貼っている「解釈学」とやらのレッテルを否定はしないけどね。
俺様は「基礎・土台・根幹」と述べておるのだな、これが。
404 :
世界@名無史さん:01/11/26 04:09
>>402さんあなたは「サムライ十字軍」さんですか?言葉がキツイです。
405 :
世界@名無史さん:01/11/26 04:13
406 :
名無し象の鼻はウナギだ:01/11/26 04:18
>>398 「どこにでも普遍的に妥当」して、かつ「一日過ごすと・・」とは違う「歴史
の客観法則」をお望みなのだな。では紹介してやろう。
「2日時間が経過すると、世界人類の日々の営みは2日分蓄積される。」
407 :
世界@名無史さん:01/11/26 04:22
>>406の「名無し象の鼻はウナギださん」一応質問に答えてください。
あなたは「サムライ十字軍」さんですか?
408 :
名無し象は鼻がウナギだ:01/11/26 04:34
>>383 :猫電波さん
>門外漢にはイメージがつかめないので、質問よろしいでしょうか?
>現代の日本についての「史料」はどれくらい隙が無いんでしょうか?
>行動諸科学が完成していなくても、解釈は一意的に定まるんでしょうか?
まじレスしますね。
私のいう「隙間」とは、『ある史実の解明の為に現時点で利用できる史料群から現時点で
抽出しうる「情報」の隙間』です。
『現代の日本についての「史料」はどれくらい隙が無いんでしょうか?』というお尋ねで
すが、現代日本におけるいかなる史実なのか、その史実の解明のために利用しうる史料と
していかなる性質・形態のものが存在しているか、によって、回答はまったくことなって
きます。
「解釈は一意的に定まるんでしょうか?」というお尋ねですが、それも「史実」の種類や
性質、あるいは現時点で抽出しうる「情報」の質・量によって違ってきます。
409 :
名無し象は鼻がウナギだ:01/11/26 04:39
>>407 このスレッドにおいては、このスレッドのテーマに沿った内容もしくは俺様の投稿の文面に関
する内容で、なおかつ俺様が回答したいあるいは回答せねばならぬと思うような質問以外に回答する
必要を認めない。
以上をもって回答といたします。
410 :
世界@名無史さん:01/11/26 05:18
>>409「名無し象は鼻がウナギだ」さんの
専攻は日本古代史ですか?(別に答えなくてもけっこうです)もしそうだとしたら日本史板でも議論をしてくださいね。
411 :
=388=390:01/11/26 07:20
>>391 >適当な例ではないかもしれませんが、ある商家の没落の研究で、
>経済の動向と当主の放漫な経営方針の二つが考えられるとして、
>主要因としてどちらを重視するのが適当かなど。
>まぁ、アーティフィシャルな例で議論してもしかたありませんが。
># 本題と無関係なのでsageときます
いえ。
実は歴史学がどういう性質の「学問」かを考えるにはよいアプローチかも
しれません。
あくまでケース・スタディとしてのお応えですが。
「ある商家の没落の研究」という主題である場合、「当主の放漫な経営方針」
という「インパクトが重く特殊な」因が重視されるでしょう。
が、その場合でも「経済の動向」という「インパクトが軽くとも広範で一般的
な因」にも言及された方が、「ある商家の没落の歴史」についての論術内容
が「深まる」と思われます。
例えば「この当主の放漫経営もこの時期でなければ没落はもうしばらく後の
ことになったはずだが」など。
これは、「対象領域」を限定しても、限定された対象領域がより広範な領域に
対して解放恒常系であるとみなさざるを得ない(解釈せざるを得ない)
歴史学ならではの事態で、
このように歴史学は科学ではありません。
科学ならば、設定された対象領域の範囲内で、完結する理論が構築されるべき
ですので。
「重視されるでしょう」
「深まると思われます」
「・・なったはずだが」
(プププ
うん、『君の考える「歴史」』は、「科学」でなくてもいいよ。
413 :
=388=390=411:01/11/26 09:52
>>412 クスクス
いぃえぇ、あなたが科学とみなす歴史が
歴史学の内で「解釈の材料を抽出整理する下ごしらえ
の部分にすぎない」と言うことで結構です。
土台の一部ですし、基礎の一部ですし、
それはそれは大事ですよねぇ(藁)
414 :
世界@名無史さん:01/11/26 14:19
>>406 >「2日時間が経過すると、世界人類の日々の営みは2日分蓄積される。」
これは「歴史的事実」でも、1のいうような「法則」でもありません。
あなたは素人ですか?
415 :
世界@名無史さん:01/11/26 14:44
>>414 せっかくだから、もうちょっと説明してよ。
>>412 >「重視されるでしょう」
>「深まると思われます」
>「・・なったはずだが」
こう書いていない歴史書が「科学的」だと思ってるのかあ?
「知と権力」について考えさせられる。
417 :
世界@名無史さん:01/11/26 15:05
>>415 歴史学が対象とする個々の「歴史的事件」を一般化出来て、初めて「普遍的法則」
といえます。様様な問題を含んでいますが、発展段階説を考えればわかりやすい
と思います。そしてこの「法則」は将来、未来に渡って貫かれていなければなり
ません。たとえば、自然科学の分野では同じ条件が整えば、同じ現象が発生する
わけで、実験をすることによってこれを確認することができます。しかし、歴史
の分野では同じ条件が整うということはありえませんし、仮に整ったとしてもお
なじ「歴史的事件」が発生するとは限りません。また実験によって確認すること
も出来ません。
>>416 えーと、私は歴史学は科学ではなく解釈だ、とみなす立場ですので。
>こう書いていない歴史書が「科学的」だと思ってるのかあ?
いいえ、そんなこと思っていません。
>>416 むむ、誤爆ししてしまいました。
418≠412で
412≠歴史学は科学ではなく解釈だ、とみなす立場
です。多謝。
質問に関しては――「こう書いていない歴史書が「科学的」だと思ってるのかあ?」
思ってるんじゃないでしょうか?
何しろ史実は科学的に分析すれば万人に共通の結果が得られるそうですから。
示唆される通り「知の権力」の体現かと思われます。
私に言わせてもらえば、「最悪の型の『知の権力』」です。
420 :
象は鼻がウナギだ:01/11/26 16:02
〉何しろ史実は科学的に分析すれば万人に共通の結果が得られるそうですから。
〉示唆される通り「知の権力」の体現かと思われます。
またまた「芸術的歪曲の脳内変換」の妙技を披露しているな(ワラ
おれ様が述べた内容は下記の如し。
「科学的に分析すると万人に共通の結果が得られる」のは「史料から抽出しうる情報」。
ある史実に対し「その史実の解明に使用しうる史料群より抽出した情報」に隙間が多い
場合、その隙間は推測・解釈・仮説で埋めねばならないから、その隙間の幅だけその史
実に対する学説に幅が生じる余地が発生する。
>示唆される通り「知の権力」の体現かと思われます。
>私に言わせてもらえば、「最悪の型の『知の権力』」です。
>むむ、誤爆ししてしまいました。
はは、自分でわかっとるようじゃのぉ。
>>420 >「科学的に分析すると万人に共通の結果が得られる」
>のは「史料から抽出しうる情報」。
あなたは史料に関する解釈学的循環を否認している型
(単に理解する能力がないだけと思えてきましたが)ですので、
>何しろ史実は科学的に分析すれば万人に共通の結果が得られる
>そうですから。
と要約してもあまり変わりません。
変わらないという以上に問題の所在を限定するという意味で
優れた要約と言えましょう。
どちらにしろあなたの唱える、科学的歴史は「知の権力」の
最悪形態を準備するはた迷惑な思想です。
422 :
ナポレオン:01/11/26 16:16
ずっとROMってますが、おもしろいっすね。
が、最近どんどんウナギ氏の柄が悪くなってますね。
そんなあなたに質問です。
私は「史料解析には科学的手続きが必要」だが、
記述には解釈が必要でありそこには個人の主観が反映される、
よって歴史は科学であって科学にあらず、
芸術にあって芸術にあらずと教えられたものですが、
それに関してご意見を。
411(便宜上)氏のご意見も承りたい。
>>388さん
悪文、申し訳ありません。
>〔歴史学では〕制度に関しても経済で〜の意味と、解釈しました。
すみません。経済学では差別等も文化的背景に「逃げ」ず、
経済学の内部で説明しようとする傾向が有る様に感じた、と言う意味です。
しかし、>388の御答えはこれについても適用することが出来ますね。
ただ、>209を読んだ印象としては文化を軽視しているとは感じませんでした。
>えぇとこちらも「歴史学も呼び方はともかく〔説明理論〕としては
>成功している」の意味でしょうか?
>はい、そうですね。
はい、そう通りの意味です。
解釈学と仰っているのは、精神分析の人が「心理学」の人に反論するような意味でのものかどうかが良く解らなかったもので質問しました。
基本的には、実在探求のモチベーションがある、と理解させていただきます。(内部実在論とかそう言う話は置いておいて)。
>>408(うなぎさん
では、日本人のアメリカ観と言うお題でお願いします。
地域差、階層、ジェンダー、世代によって違うでしょうが、史料がどのクラスを反映しているかも歴史学ですよね?
これでも、頓珍漢な質問ではあるだろうと思いますが、御容赦下さい。
>423
文化を軽視しているとは→文化を重視する見方と相反するとは
>>422=ナポレオンさん
>歴史は科学であって科学にあらず、
>芸術にあって芸術にあらず
私は「歴史学は科学ではなく解釈学だ」の立場ですので、
「科学にあらず」は、もちろん構わないのですが、
「芸術にあって芸術にあらず」は、レトリックとしては許容できても
文字どおりの命題としては同意しかねます。
「解釈学」と言いますのは、西欧の文献学のメイントレンドだった
「古典解釈学」に、ガダマーが哲学的基礎をつけた分野、と一応は
されています。
それは批評文芸――文芸批評ではなく、社会批評や思想・哲学批評を
含んだジャンルで、自覚的で高度な方法論を駆使するものを意味し
ます。
必要に応じて科学的手法も活用される分野です。
従って、「解釈学⊃歴史学」の立場では、歴史学は芸術とは
みなしません。
「高度な方法論を自覚的に用いる批評文芸」の一類となります。
ちなみに、私は
>>1の人でもありませんで、ガダマーの唱える
解釈学はそれはそれで保守的で問題が多いと考えています。
強いて言うならば、M.フーコーの言うエピステーメーを解剖する
学として解釈学をこうちくしてゆくべきと考えています。
426 :
=411=425:01/11/26 19:09
>>422=ナポレオンさん
>「史料解析には科学的手続きが必要」だが、
>記述には解釈が必要でありそこには個人の主観が反映される、
〔歴史論述の〕記述には解釈が必要であり、の意味と解釈します。
残念ですが「歴史学は科学か解釈学か」の問題焦点の表明としてはやや
不明瞭と思われます。
ここで、ある、古代シリア語で書かれた未知の内容が記された古文書の
断片が発見されたとします。
考古学的手法で、古文書の媒体が作成された時期、文章が記された時期
は限定されます(情報の抽出)
また、歴史言語学的手法により、語彙からおおよその執筆時期が推測さ
れます。(情報の抽出)
同様に文体研究から、筆者の思想背景もおおよその推測がなされます
(情報の抽出)。
さて、「古文書媒体の作成時期限定」、「文章が記された時期限定」、
「語彙解析」、「文体解析」がすめば、歴史学の論術にとりかかれるか。
とりかかれはしないですね。記された文書の内容吟味が必要です。
文章の内容吟味を経ずに「科学的に分析すると万人に共通の結果が得ら
れる」情報とやらでだけ満足のゆく歴史論述ができるか? と言うと
そんなものもできはしません。
ところで、このシリア語古文書には、初期グノーシス的な語彙が、全体
の25〜30%というかなりの頻度で含有されていたとしてます。
ユダヤ教の教養が豊富な研究者とキリスト教の教養が豊富な研究者と
(どちらにせよ信徒という意味ではありません)文書を解釈した内容は
同じになるでしょうか?
なりはしません。
仮に、断章のない古文書のすべてが発見されたとしても、文書内容の
吟味は「科学的に抽出された情報」などでは完了しません。文献の内容
吟味自体に解釈学の方法論が必要です。
批評の学としての解釈学の手法を駆使して、より妥当な解釈を提出し、
異なる視座にもとづく解釈の間で対話を重ね、さらに妥当な解釈を
検討してゆくしかありません。
問題の焦点を強調するために、「宗教古文書」の事例を挙げましたが、
事情は、政治家の私文書(日記類、書簡類)であろうと、外交文書であろ
うと大差ありません。
強いて言えば、歴史的な統計類(納税記録や倉庫の帳簿)の類が、情報だ
けで評価し得る古文書でしょうか。
この類は、歴史学が取り扱う史料の一部にすぎません。
というわけで「史料解析には科学的手続きが必要」だが、それだけでな
く「史料解析にすら解釈学の方法論も必要なのです」
ウナギ式科学的手法は、あくまで科学・的であるにすぎず
解釈学たる歴史学の土台・基礎の一部にしかすぎない所以です。
427 :
世界@名無史さん:01/11/26 19:21
科学ではないからといって歴史学の魅力が失われるといったわけでもなし、
科学ではないからといって出鱈目な論述をしていいわけでもないんだが、
歴史の科学性にこだわる歴史家というのはなにか僻みっぽいんだよね。
(ただし、ある論者はどのような解釈も妥当とし、
ある論者は解釈に回収し得ない客観的事実があるはずだという、その種の論争はあるが)
428 :
ナポレオン:01/11/26 19:23
丁寧なレス、ありがとうございます。
>>426の途中からは、何というか、
ごく普通の内的批判の話に近い内容だったように思いますが、
確かに内的批判は解釈に関わる事柄ですからね。
芸術にあって芸術にあらずというのは、
叙述の問題に関連することでしょう。
おっしゃる通り、一種のレトリックだと私は受け取っています。
429 :
名無し象は鼻がウナギだ:01/11/26 22:25
ある史実の解明に対して、ある史料が含有する「情報」は万人に共通であり、その時代に
おいてその史料より「抽出しうる情報」も万人に共通。「その時代において抽出しうる情
報」の中から、その時代のある歴史学者が「実際に抽出」できる情報は、その学者の素
養・力量にかかっている。
**************
という主旨は何度もくりかえしているが、
>ところで、このシリア語古文書には、初期グノーシス的な語彙が、全体
>の25〜30%というかなりの頻度で含有されていたとしてます。
>ユダヤ教の教養が豊富な研究者とキリスト教の教養が豊富な研究者と
>(どちらにせよ信徒という意味ではありません)文書を解釈した内容は
>同じになるでしょうか?
>なりはしません。
これ俺様への「反論」のつもりか?(ププ
俺様が上記で述べていることが別の表現で言い換えられているただけだね。
その「シリア語古文書」とやらを解読する訓練を受けたものと受けていないものでは、「解釈」以前に「実際に抽出できる情報」の内容は全然異なるからね。
古代シリア語とやらの訓練を受けていない中国史の碩学が、その「シリア語古文書」とや
らより「情報を抽出」したり、その「情報を解釈」する能力は、古代シリア語とやらの訓
練を受けた出来の悪い学部生にも劣る、ということは充分にありうる。
430 :
=411=425=426 :01/11/26 22:30
>>429 >俺様が上記で述べていることが
>別の表現で言い換えられているただけだね。
まったく違います。
この違いが理解できない点があなたの限界と判断しましたので
別にあなたの惰説への反論を意図したものでもありません。
431 :
世界@名無史さん:01/11/26 22:33
歴史の一般法則を発見しました。
どの民族も成文あるいは不文のルール(法律)を持つ。
432 :
名無し象の鼻はウナギだ:01/11/26 22:46
※「史実」と「史料」の関係に関する俺様の発言↓。
>>227 >ある史実が後世に残した痕跡(=史料)は、(後略)
※俺様が「万人に共通」と述べる対象
>>169 > 現代歴史学の根幹・基礎・土台は、この「史料」より「情報」を抽出するという作業にあ
>る。この作業は完全に「科学的」かつ「客観的」であり、その時代の科学水準に応じて
>「万人に共通の結果」がでる。
※俺様の発言を要約したと称するバカの記述
>>421 >何しろ史実は科学的に分析すれば万人に共通の結果が得られる
>そうですから。
と要約してもあまり変わりません。
バカにとっては「史実」と、「史料からの情報の抽出」が「あまり変わりません」だ
そうな(ププ
>変わらないという以上に問題の所在を限定するという意味で
>優れた要約と言えましょう。
自分のバカさを「優れた」だとさ(ギャハハ
>どちらにしろあなたの唱える、科学的歴史は「知の権力」の
>最悪形態を準備するはた迷惑な思想です。
俺様が唱えたとされている「科学的歴史・・はた迷惑な思想」とやらは、俺様の発言に対
しバカが「優れた要約」を加えてでっち上げた、バカちゃんの創作物。
433 :
名無し象の鼻はウナギだ:01/11/26 22:55
>>426 「史料に対する科学的解析」には、とうぜん「文章の内容吟味」も含まれておる(ギャハハ
434 :
世界@名無史さん:01/11/26 22:58
象の鼻はウナギだ=arasi
435 :
世界@名無史さん:01/11/26 23:00
>>433 >「史料に対する科学的解析」には、
>とうぜん「文章の内容吟味」も含まれておる
ほう、そうすると、文章の内容吟味の結果も
客観的で万人に共通だとウナギ殿は言われるわけですな。
その辺が知の権力ではた迷惑と言われるところでしょうな。
436 :
世界@名無史さん:01/11/26 23:45
>>431 それは「歴史学」じゃなくて「社会学」のテリトリーじゃないの?
437 :
世界@名無史さん:01/11/27 00:04
>>431 >どの民族も成文あるいは不文のルール(法律)を持つ
これもやはり「歴史学」でいうところの「普遍的法則」ではありません。
また、歴史のように人間の「生」に着目されるものは、やはり「傾向」「趨勢」
と解しておくのが妥当でありましょう。
438 :
世界@名無史さん:01/11/27 00:09
>>436 でも歴史学でも重要だと思うぞ。
漏れは≠431だけどな。
だいたい歴史的過去なんてみんな異文化みたいな
もんだろー。
その辺も科学的に情報が抽出できるとかコカれても
そんなもんじゃおっつかねーだろ、とか思うとこだわな。
ちなみに「普遍的法則」ではあんめーって
>>437には、
まー賛成かな。
439 :
世界@名無史さん :01/11/27 00:10
>>437 わからないなあ。なんで普遍的法則じゃないの?「社会あるところに法あり」
という言葉があるけど、これは傾向や趨勢なんていうレベルの浸透性じゃないよ。
440 :
世界@名無史さん:01/11/27 00:17
質問!どんなものならば普遍法則となるんでしょうか?
441 :
世界@名無史さん:01/11/27 00:22
>>441 統計的なものはダメってことですか。熱力学第ニ法則は?
それとも還元可能なものですか?
心理学なんかの法則はどうですか?
443 :
世界@名無史さん:01/11/27 00:28
歴史学は人文科学なのか社会科学なのか?
うまく説明できるひといます?
失敬、統計的はちょっと違うか。
445 :
世界@名無史さん:01/11/27 00:31
>>443 人文科学などというものはなぁい(藁)。
んなのは、翻訳語の混乱で生じた日本語的幻想。
446 :
世界@名無史さん:01/11/27 00:32
>>439 歴史学が対象とする普遍的法則とするならば、まさしく、カーの
いうように「歴史的事実」に着目されなければなりません。
「絶対的権力は絶対的に腐敗する」「歴史は繰り返す」などの
格言がありますが、仮にこれらが「法則」とされているのならば、
それは比喩的に「法則」とされているのではないでしょうか。
447 :
世界@名無史さん:01/11/27 00:35
>>439=431
多分ね、文化人類学で言う「親族の構造」みたいに
基本的なパターンからあらゆるヴァリエーションを
キレイに説明できると「普遍的法則」って呼ばれると
思うな。
「社会あるところに法あり」は間違いじゃないけど、
では、どんな社会ならどんな法があるでしょうか?
と問うても「いろいろでんがね」としか言えないだろ?
それは法則って言うより諺っぽい。
448 :
世界@名無史さん:01/11/27 00:42
「社会あるところに法あり」って言うよりむしろ法が
あるところを社会というような。
>>447 >基本的なパターンからあらゆるヴァリエーションを
>キレイに説明できると「普遍的法則」って呼ばれると
>思うな。
法制史の役割は十分にそのヴァリエーションを説明しているの
ではないですか。ともかく未開民族にすら慣習に基づくルール(ノルム)
があったことは「歴史的事実」であったし、3歳の子供ですら
自分の玩具を取られたらこれを取り戻そうとします。所有権や法意識
が人類社会に存在していることは歴史上の一般原則だといって差し支え
ないと思いますが。
>>443 人も社会も両方、研究対象になるから、
半々じゃない?
ウチの教授は、そういってる
451 :
普遍性って :01/11/27 01:17
なんぞや?芸術にも普遍性ってあるらしいな。
時間的空間的に遍く通用するものか?
分野によってちがうのか?同じか?
>>449 「とられたものを取り返えそうとする」って歴史学の対象じゃなの?
453 :
名無し象は鼻がウナギだ:01/11/27 01:27
>>432 >考古学的手法で、古文書の媒体が作成された時期、文章が記された時期
>は限定されます(情報の抽出)
>また、歴史言語学的手法により、語彙からおおよその執筆時期が推測さ
>れます。(情報の抽出)
>同様に文体研究から、筆者の思想背景もおおよその推測がなされます (情報の抽出)。
>さて、「古文書媒体の作成時期限定」、「文章が記された時期限定」、「語彙解析」、
>「文体解析」
こーゆーのも、俺様のいう「史料に対する科学的解析」に含まれておる。
>>435 >
>>433 > >「史料に対する科学的解析」には、
> >とうぜん「文章の内容吟味」も含まれておる
> ほう、そうすると、文章の内容吟味の結果も
> 客観的で万人に共通だとウナギ殿は言われるわけですな。
>その辺が知の権力ではた迷惑と言われるところでしょうな。
※俺様が「万人に共通」と述べる対象
>>429 >ある史実の解明に対して、ある史料が含有する「情報」は万人に共通であり、その時代に
>おいてその史料より「抽出しうる情報」も万人に共通。「その時代において抽出しうる情
>報」の中から、その時代のある歴史学者が「実際に抽出」できる情報は、その学者の素
>養・力量にかかっている。
※ここで俺様の発言と称して提示したバカの文章をあらためて吟味してみよう。
事例1:「文章の内容吟味の結果も客観的で万人に共通だとウナギ殿は言われる
わけですな」。
あほ。
ある漢文史料に対し、中国史の碩学と、お前のようなバカちゃんが「文章の内容を
吟味した結果」は当然いっしょにはならんわい。
事例2:その辺が知の権力ではた迷惑と言われるところでしょうな。
バカちゃんのいう「はた迷惑」な「その辺が知の権力」なるものは、これも俺様の発言に対
しバカが「優れた要約」を加えてでっち上げた、バカちゃんの創作物。
454 :
象の鼻はウナギじゃ:01/11/27 01:49
こちらはまじレスモードで。
>>429 > 私は「史料解析には科学的手続きが必要」だが、
> 記述には解釈が必要でありそこには個人の主観が反映される、
> よって歴史は科学であって科学にあらず、
> 芸術にあって芸術にあらずと教えられたものですが、
> それに関してご意見を。
「記述には解釈が必要でありそこには個人の主観が反映される」という部分に異存はありません。
ある史実に対し、その史実の解明のために使用しうる史料群より抽出しうる「情報」には隙間が存在し、その隙間を埋めるために推測・仮説・解釈が必要である、とは私自身も繰り返し述べているところであります。
>>449 =439
>ともかく未開民族にすら慣習に基づくルール(ノルム)
>があったことは「歴史的事実」であったし、3歳の子供ですら
>自分の玩具を取られたらこれを取り戻そうとします。所有権や法意識
>が人類社会に存在していることは歴史上の一般原則だといって差し支え
>ないと思いますが。
「所有権や法意識が人類社会に存在していること」が「歴史的事実」であり、「人類社会の一般原則」というのには異存はありませんが、「歴史の一般法則」とよぶのはいかがなものかと。
455 :
世界@名無史さん:01/11/27 02:30
>>449 結論から申しますと、人間の「生」を基礎にしている限り、歴史学の対象とする
「歴史的事実」を一般化して歴史の普遍的法則として統一することは、
形而上学か信仰において他ないと思います。これが伝統的に説かれている
歴史と自然科学の大きな違いなのです。ただし注意しなければならない
のは、このとき使われている「法則」という言葉の概念が「自然科学」
でいうところのものであるということです。そういう意味で言えば、
さきほど挙げられた「社会あるところに法あり」というものも極めて
不完全といえます。といいますのも、歴史上、同じ社会、同じ法が
過去・現在・未来とわたって存在するわけがないからです。
我々はまず、歴史上、同じ現象が生じるということはない、と考える
べきではないでしょうか。
>>455 私は歴史というものは人間と世界との関わりあいの中で起こった出来事を記録
に残し叙述していくということだと思います。もしそこに法則があるかと問われた
ならば、やはりその叙述してきた出来事の中から人間一般に当てはまるような普遍的
な物や事、制度や文化等を挙げるほかありません。自然科学にいう純粋な法則を
歴史の中から抽出するという営みは今のところ私の想像の範囲外のことです。
ともかく455さんの説明はよくわかりました。そのことには感謝します。
457 :
名無し象は鼻がウナギだ:01/11/27 03:21
猫電波さん
>>383 :
>門外漢にはイメージがつかめないので、質問よろしいでしょうか?
>現代の日本についての「史料」はどれくらい隙が無いんでしょうか?
>行動諸科学が完成していなくても、解釈は一意的に定まるんでしょうか?
>>424 >では、日本人のアメリカ観と言うお題でお願いします。
>地域差、階層、ジェンダー、世代によって違うでしょうが、史料がどのクラスを反映
>しているかも歴史学ですよね?
上記の二つのご質問を綜合して、
*******************
「現代の日本におけるアメリカ観」というテーマにおける「史料」が含有する「情報」に
はどの程度の隙間が存在するか、その情報に対する「解釈」は「一意的に定まる」かどう
か。
*******************
をお尋ねになっているものと理解して、回答いたします。
※前おき
「現代の日本におけるアメリカ観」というのは、現代歴史学のテーマになることは殆どな
さそうなのですが、未来の歴史学においては「21世紀初頭の日本におけるアメリカ観」
が研究対象になることはあるかもしれません。そんなテーマのための史料ですが、日々発
行されている新聞・雑誌・書籍に加え、日々製作し放送されているラジオ・テレビの諸番
組、映画・テレビ等の諸作品などが史料になります。
そして後世に史料として伝えられることなく消える確立が極めて高そうですが、私やあな
たなど、現代日本にいきる一人一人が抱いている「アメリカ観」も、「21世紀初頭の日
本におけるアメリカ観」というテーマの史料といえます。
文献化されていない個々人の「体験」も歴史学の研究素材であって「史料」としての呼称
としては、「オーラルヒストリー」とか「体験史」等が提唱されています。
458 :
名無し象は鼻がウナギだ:01/11/27 03:22
猫電波さん。
回答に入ります。
※回答1:「情報の隙間」について
「21世紀初頭の日本におけるアメリカ観」というテーマに関して「史料より抽出しうる
情報」の「隙間」は、現時点では極めて少ないといえると思います。ただし量的には膨大
であり、偏ることなく抽出し、整理・提示することは大変に難しいでしょうが。
※回答2:情報に対する「解釈」について
「ある史実における個別的・具体的項目」ならともかく、「21世紀初頭の日本における
アメリカ観」というテーマの場合、客観的にいえることは「21世紀初頭の日本人の間に
は様々なアメリカ観が存在する」ということであって、「史料」より「情報」として抽出
した「各種のアメリカ観」に対していかなる「解釈」を加えるかは、どのような立場から
「21世紀初頭の日本におけるアメリカ観」というテーマに取り組むか、によって、いろいろに存在しると思います。
*****************
ご質問が抽象的だったので漠然としかお答えできませんでした。
猫さんのお尋ねになっているポイントとずれているようでしたら、またご質問ください。
459 :
名無し象の鼻はウナギだ:01/11/27 03:41
>>399 >「歴史学」=「文献学」だと勘違いしている馬鹿がいます。
「馬鹿」はお前。
歴史学における史料操作の対象は「文献」だけではないぞよ。
漢代の墓から出土した貴婦人の胃の内容物とか、寄生虫とか、リュウマチによ
る骨の変形、髪・骨などの水銀の含有量。
あるいは縄文時代・弥生時代のトイレから出土する古代人のウンコ。
これらの物品も歴史学の「貴重な史料」じゃ。
俺様はこのスレで「史料からの情報の抽出」について懸命に語っておるが、
「史料」=「文献」と等号で結んだことは一度もないぞ。
お前にとっては寄生虫やウンコも「文献」なのか?
460 :
世界@名無史さん:01/11/27 03:45
>>459 >あるいは縄文時代・弥生時代のトイレから出土する古代人のウンコ
これがなんで「歴史学」の史料なわけ?
461 :
世界@名無史さん:01/11/27 03:48
>>459 それなら「史料学」=「歴史学」ですか?
>>439 >>基本的なパターンからあらゆるヴァリエーションを
>>キレイに説明できると「普遍的法則」って呼ばれると
>>思うな。
>法制史の役割は十分にそのヴァリエーションを説明しているの
>ではないですか。
残念ですが、法制史は不充分です。
「親族の基本構造」(←これが正式な用語です)は、単純な群論の
数式で表され、数学的な変換手順で、無数のヴァリエーションが
構造的に同一であることが示されています。
こういうのが「科学的」ですね。
比喩的にいって、法制史が示すヴァリエーション間の関係は
“キレイ”でない。
>>454 >「所有権や法意識が人類社会に存在していること」が「歴史的事実」であり、
>「人類社会の一般原則」というのには異存はありませんが、
>「歴史の一般法則」とよぶのはいかがなものかと。
歴史とは、人類社会の遷移の様相の再構成であるはず。
従って、歴史の一般法則は、人類社会の一般法則を内包するもの
であるべきでしょう。
こーね、せせこましい、区分は止めてよね、カガクテキなんでしょ?
だったら一般的に言ってみてちょーだい(藁)
>>460 >あるいは縄文時代・弥生時代のトイレから出土する古代人のウンコ
これは人類学の資料ではあるでしょ。
ということは人類史の史料にはなりますよね。
考古学/歴史学って旧弊な区分にもハンターイ(
>>54)
465 :
象は鼻がウナギだ:01/11/27 06:51
>>460 中国の史書には弥生人を指して「倭人は沈没して貝やサカナを獲る」という記述が
ある。弥生人のウンコを分析した結果、そのウンコが貝やサカナに由来することが
証明されたなら、中国の史書の記述を裏付ける証拠となる。
>>461 等号では結べないな。
>>462 文献史料と考古史料は相補って史実解明の証拠になるんだよ。
466 :
世界@名無史さん:01/11/27 06:51
>>464 >あるいは縄文時代・弥生時代のトイレから出土する古代人のウンコ
たとえばどういった史料として用いられるんですか?
467 :
世界@名無史さん:01/11/27 06:59
>>465 「史料学」と「歴史学」は何が違うんですか?
468 :
世界@名無史さん:01/11/27 07:02
>>465 歴史学者が縄文時代・弥生時代のウンコを調べているんですか?
469 :
世界@名無史さん:01/11/27 07:18
>>465 >中国の史書には弥生人を指して「倭人は沈没して貝やサカナを獲る」という記述が
>ある。弥生人のウンコを分析した結果、そのウンコが貝やサカナに由来することが
>証明されたなら、中国の史書の記述を裏付ける証拠となる。
ちょっと気になったんだけどさ、どうしてウンコ調べて「沈没して貝や魚を獲る」
って証明されるわけ?
>>466 例えば、縄文人の食性や健康状態を推定する史料になります。
471 :
世界@名無史さん:01/11/27 07:21
>>470 縄文人のウンコはどこで見学できますか?
472 :
464=470:01/11/27 07:22
>>469 >ちょっと気になったんだけどさ、どうしてウンコ調べて「沈没して貝や魚を獲る」
>って証明されるわけ?
横レス失礼。
私は、「歴史学は解釈学だ」の方なんですけど。
ウナギが言ってるのはこうゆうことです。
人類学的な手法で推定された縄文人の食性は
文献資料の記述の正確さを推し量る「傍証」「状況証拠」になる。
ウナギ式カガクテキ情報だの、文献の内容吟味だのってのは
所詮その程度の、状況証拠を史料から抽出するって作業にすぎません。
一連の議論で言われている史料内在的批判(批評)とは別レベルなんです。
473 :
世界@名無史さん:01/11/27 07:28
>>472 いや、私が知りたいのは、@縄文人のうんこが残っているのか。
A本当に当時のうんこを調べているのか。Bうんこを調べて
どうして「沈没して貝や魚を獲った」とわかるのか。
素朴に気になったまでです。
>>473 化石になったやつならあると思いますが、「沈没して〜」
がわかるかどうかはちょっと・・・。
475 :
=464=470=472:01/11/27 07:50
>>473 なるほど。
えーと、実は私は縄文人の排泄物についての事例は知りません。
けれど、古生物の排泄物についての学術的な論術を参照すると
次のようなことあるだろうと推定して構わないと考えます。
(1)縄文人の糞石が残っていた場合(仮定)
(2)成分の分析や出土環境の分析から、脱糞された凡その年代は
一定の誤差の範囲内から限定される。
(本当に当時のうんこを調べているのかはわかる)
(3)糞石の内容分析から、何を食していたかはわかる。
(貝や魚を食していたかどうかはわかる)
「沈没して貝や魚を獲った」かどうかは糞石からだけはわからない
はずですね。
そこで「所詮その程度の、状況証拠を史料から抽出するって作業」
ってことになります。
一応書いておくと、糞石が出土した集落から潜水用と推定される
錘石などが発見されれば「沈没して貝や魚を獲った」との推定
精度もグッとあがりはするでしょう。
しかし、ウナギが理解していない、一連の議論の焦点は
そんなところにはないんです。
「カガクテキに抽出される情報」は状況証拠であり
「文献内在批判(批評)」に関しては、どこまで行っても傍証にしか
ならない、ってとこですね、焦点は。
糞石っていうんですよね。考古学ですけど。
477 :
世界@名無史さん:01/11/27 07:53
478 :
=464=470=472=475:01/11/27 07:58
考古学ですけどね。
考古学と歴史学を別ジャンルとして区別するのなんてもう旧弊だから
止めた方がいいですよ。
歴史考古学の手法がこれだけ発展してるんだから。
文献史家も考古学的手法で抽出される傍証、状況証拠は無視できないし、
無視すべきではない。
それどころか、状況証拠・傍証の類も積極的に文献解釈の材料として
活用すべきと思われます。
479 :
世界@名無史さん:01/11/27 08:03
時代が近いならそういうところがあるかもしれないけど、一般的にはどうなのかな?
480 :
世界@名無史さん:01/11/27 08:07
ちょっと確認したいんですけど、「過去の事実」と
「歴史学が対象とする歴史的事実」は違いますよね?
481 :
=470=472=475=478:01/11/27 08:12
>>480 えーと、私でしょうか?
(ご質問の意図がよくわからないのですが)
「過去の事実」一般と、「歴史学が対象とする歴史的事実」
そうですね、質が違うとは思います。
482 :
象の鼻はウナギだ:01/11/27 14:39
>状況証拠・傍証の類も積極的に文献解釈の材料として
>活用すべきと思われます。
文献も非文献も、歴史学の対象となる情報を含有するものは全て「史料」であり、
キミのいう「活用」は、おれさまのいう「科学的史料解析」の1手法に含まれて
おるのぢゃ。
>「過去の事実」と
>「歴史学が対象とする歴史的事実」は違いますよね?
ちがいます。
過去の「事実」群のうち、後世になんらかの形で「痕跡(=史料)」を残したものしか、
「歴史学」の対象にはなりません、というかできません。
483 :
象の鼻はウナギだ:01/11/27 14:48
俺様の
>>465につまらない揚げ足とりが入ったから、下記のごとく修正しておく。
>>460 中国の史書には弥生人を指して「倭人は沈没して貝やサカナを獲る」という記述が
ある。弥生人のウンコを分析した結果、そのウンコが「沈没しないと採取できない
場所に生息している貝やサカナ」に由来することが証明された場合、あるいはその
弥生人の集落のゴミ捨て場から「沈没しないと採取できない場所に生息している貝
やサカナ」の骨やカイガラがでてきたなら、中国の史書のその記述を裏付ける証拠
となる。
まとめは訂正の必要がないから単に繰り返すにとどめる。
※「史料」は「文献」だけではないぞ。
以上。
484 :
>>475:01/11/27 14:51
>>482 >キミのいう「活用」は、おれさまのいう「科学的史料解析」の
>1手法に含まれておるのぢゃ。
ハイハイ。私の方もあなたが含めていることはとっくにわかってますし。
そんなことは当然なので、問題にはしてないんですよ。
問題の焦点は別のところにあるんですから。
いつまでもつまんないダダこねてないで(苦笑)。
485 :
世界史板最大のなぞ:01/11/27 14:53
「象の鼻はウナギだ」氏の職業。
486 :
世界@名無史さん :01/11/27 17:30
万古不易の歴史法則
歴史事象は一回である。(一回性の法則)過去において、また未来に
わたって同一の歴史事象が起こることはあり得ない。
歴史の観察において、過去・現在・未来にわたって、いかなる場所に
おいても、均質に時間が流れる。(均質時間の法則)
それゆえに、ある事件とある事件が起きた時間を相対的に較べることができる。
487 :
こんなのもあるか:01/11/27 17:38
(因果性の法則)ある事件は、時間的にそれより前にさかのぼった時点で
起きた事件の原因となることはない。時間的に後の事件にのみ影響
しうる。
---
しかし、歴史学でこういう理論体系を考案すると、業績として評価
されるの?
488 :
世界@名無史さん:01/11/27 18:05
>>486 >歴史の観察において、過去・現在・未来にわたって、いかなる場所に
>おいても、均質に時間が流れる。(均質時間の法則)
>それゆえに、ある事件とある事件が起きた時間を相対的に較べることができる。
「均質時間の法則」は否定しません。
が、歴史研究においては、「均質時間の法則」だけでは
研究結果が一面的になる、ならざるを得ない、との指摘をします。
物理的時間流は、均質ですが、実は時間感覚は文化に
よって異なると推定されます。
すなわち、同じ言語を共有する異文化の社会システムは
現代型社会とは異なる時間感覚を前提として運営される。
具体的には、ある言語共同体が共有する言語の文法(時制)や
語彙によって推定されます。
一般に歴史学では、現代の尺度だけで過去の社会的事象の
価値判断をするべきではない、とされますが、同様に、
「均質時間」だけで、異文化たる歴史的過去の社会的事象を
裁断しますと、事象生成のメカニズムが見誤れます。
すなわち、より、公正な歴史理解のためには、「均質時間の法則」を
補完する別の法則、方法論が必要とされる所以です。
この件は、具体的にはアフリカ史などの研究において問題と
されています。
489 :
世界@名無史さん:01/11/27 19:13
>>486 それって「法則」じゃないんじゃない?
同じ条件が整えば同じ現象が起こらなきゃ「法則」になんないじゃん。
490 :
世界@名無史さん:01/11/27 19:15
>>486 「均一に時間が流れる」なんて歴史学の対象なの?
例えば西暦と中国の暦を換算するときには、確かに
「均一に時間が流れる」という「原理」を使ってる。
492 :
世界@名無史さん:01/11/27 19:26
「均一に時間が流れる」って「歴史学での歴史的事実」なの?
そこがよくわかんない。
493 :
世界@名無史さん:01/11/27 19:28
>>482 そもそも「痕跡」が残っている過去の事実ならば、すべてが「歴史学
での歴史的事実」になるんですか?
物理の時間ですか。
495 :
世界@名無史さん:01/11/27 23:56
>486
>歴史事象は一回である。(一回性の法則)過去において、また未来に
>わたって同一の歴史事象が起こることはあり得ない。
それが適当なモノサシを使えば同一と見なしていいということに
なれば万々歳なんでしょ
>科学ではないからといって歴史学の魅力が失われるといったわけでもなし、
>科学ではないからといって出鱈目な論述をしていいわけでもないんだが、(
>>427)
まずはこれを前提にするとよいと思います。
例えば、臨床医学は科学に基づいているけど、科学だけでは割り切るべきでない、
と言われて怒るお医者さんは、いるのかもしれないけど、そんなに多いと思えないし。
怒るお医者さんは、いてもやっぱりエキセントリックだと思う。
次に、科学っていうのは、設定された対象領域の範囲内で一貫するもので、
ニュートン力学は、ニュートン力学の前提の下で絶対正しい。
もっと別の力学の下では、ニュートン力学は特殊解になる。
これに対して歴史学の成果には「例外が多すぎる」。
また、分析手法(の一部)が科学的だからと言って、学問全体が科学になるわけではない。
これは「科学」と言うものの基本的な性格です。
一方、解釈学の方は分析手法が科学的だって全然構わない。
貪欲に活用するだけ。
497 :
世界@名無史さん:01/11/28 07:18
アプローチの仕方と方としてアルチュセールの理論は如何かな?
「設定された対象領域の範囲内」とは?
或る限定された時間的空間的範囲内か?
特殊解とは或る限定された時間的空間的範囲内での法則のことか?
499 :
名無し象は鼻がウナギだ:01/11/28 09:39
>>493 >そもそも「痕跡」が残っている過去の事実ならば、すべてが「歴史学
>での歴史的事実」になるんですか?
はい。「史料という史実の痕跡」が残っている過去の事実は、すべてが「歴史学の
分析対象となる歴史的事実」になります。
>>463 >歴史とは、人類社会の遷移の様相の再構成であるはず。
>従って、歴史の一般法則は、人類社会の一般法則を内包するもの
>であるべきでしょう。
「歴史の一般法則」とやらに対する君のべき論として、別に否定はしないが、歴史
学の「基礎・土台・根幹」たる成果から帰納的に構築され、かつ世界史のいかなる
事象にも「普遍的に適応可能な」「歴史の一般法則」なるものが提示されたような
ことは、寡聞にしてしらないな。演繹的に構築され、歴史学者に大きな影響と、歴
史学に大きな混乱・ひずみ・歪曲・ムダな労力の浪費etc.をもたらした挙句、10年
ほどまえに破綻が世界的に露呈されたものについては、おぼろげに知識はあるが。
>「歴史の一般法則」とやらに対する君のべき論として、別に否定はしないが、
>歴史学の「基礎・土台・根幹」たる成果から帰納的に構築され、かつ
>世界史のいかなる事象にも「普遍的に適応可能な」「歴史の一般法則」
>なるものが提示されたようなことは、寡聞にしてしらないな。
〔中略〕
に大きな影響と、歴
>10年ほどまえに破綻が世界的に露呈されたものについては、
>おぼろげに知識はあるが。
要するに、あなたの知識では、歴史学は科学として完遂されることに
失敗している、ということですね。
ところで
>>463で言及している「親族の基本構造」についてはどうで
しょうか?
これは歴史学の「基本・土台」には据えられないのですか?
また据えられないとしたらなぜなのでしょうね??
#私の方は、基本・土台が根幹であるという考え方は
#とってないことにご注意ください。
#根幹は歴史哲学だと考えていますので
#あなたが方法論を基本であり、土台であり、同時に根幹であると
#考えるのはあなたの思想の自由ですが、別の立場もあり得ることに
#想像力を働かせるように。