アステカとインカの交流は?

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同じ時期に、中米と南米に栄えた両文明の相互の交流はどこまであったものなんでしょうか?
距離的にはそんなに離れていないので人的、物的に活発にあったと思うのですが。
2世界@名無史さん:01/11/11 13:49
インカ人がアステカに来る→珍品のいけにえとしてテスカトリポカに捧げる
アステカ人がインカに来る→珍品のいけにえとしてビラコチャに捧げる
3世界@名無史さん:01/11/19 00:33
コロンブスが1502年、ホンジュラス沖でガレー船ほどもある長さのカヌーを目撃している。
カヌーの中央には草ぶきの船室があり、銅製の手斧や鐘などを積み、
25人のインディオが乗船していたという。
その後も似たような報告が続出したと言うから、アステカでは船による交易は頻繁に
行われていたらしい。
アンデスのチチカカ湖畔に住むウル族も根っからの水上生活者で、彼らが使う四角帆の葦船は
そっくりの模型がなぜかイースター島で見つかっていると言う。
10世紀頃に栄えたマヤ文明のティカルは異民族の受け入れに寛容だったというから、
同時期に南米沿岸部に栄えていたチムー帝国との船での交易はあった可能性あり…かな。

アステカとインカは…両者の宗教観から言ってとても仲良く出来るとは思えないなあ〜
4世界@名無史さん:01/11/19 00:48
中央アメリカのチナンパ農法と、チチカカ湖畔で行われているカメリョネス農法は
高原の湖や川に浮島を作り、耕地にするという非常に良く似た農耕技術で、
ごく近所にある両文明がお互い独自に似たような農法を編み出したとは考えにくいので、
太古に何らかの交流はあったと見るのが妥当だと思う。
5世界@名無史さん:01/11/19 15:08
言語体系的にはどうなんすか?
6世界@名無史さん:01/11/19 15:48
>>3
キリスト教圏とイスラム圏は仲が悪くても文化、物資の交流は続いたので
政治的な有効度合いは関係無いと思われ。
7世界@名無史さん:01/12/03 05:21
インカとアステカには全くといっていいほど交流はなかったらしいです。
アステカ征服をしたときに原住民に他の地域のことを聞いても、解らない
とのことで、ほとんどアステカの版図近辺のことしか解らなかったそうです。

交流がなかった他の理由としても、コルテス配下のアルバラードが、グァテ
マラを征服したとき、アルバラードの進軍より早く天然痘がこの地に蔓延して
いたとのことです。ピサロがインカに入ったときはまだなかったですよね。
また、インカにアステカが滅ぼされたことが伝わっていれば、ピサロの征服事
業はかなり困難になったのではないでしょうか?

インカ人は北方面はパナマまでは(ほとんどコロンビア北部くらいまで)行かな
かったらしいです。
アステカ人も南はグァテマラくらいまでしか行かなかったらしいです。
ただ、コスタリカあたりの微妙な地域の人は両方のことを知っていてもおかしく
はないと思われますが、両国家には互いの情報が伝わっていないため、この地域
の人は、完全にどちらかの文化圏に属して、片方としか接しなかったのでしょう。

国家間では互いに認知することはなかったらしいです。
インカ・アステカ時代は、民間でも交流はなくなってはいましたが、4さんの
言われるとおり、それより古い時代には交流があったと考えるのが当然でしょう。

もし認知していれば、互いに皇帝の権威が高かったのと、国家の性格上、あまり
友好的にはいかないような気がしますね。
8世界@名無史さん:01/12/30 11:39
age
9世界@名無史さん:01/12/30 19:59
アンデス地方のチャビン文化で信じられていた神と、同時期にユカタンで栄えたオルメカ文明の神は
何故かどちらもジャガーの神で、そのため紀元前1500?頃には文化的交流があったのではないかと言われている。
10世界@名無史さん:02/01/25 01:26
あげる
11世界@名無史さん:02/01/25 03:20
16世紀にスペイン人が来なかった、と仮定して南北アメリカが独自の歴史を辿った
とすると,いつか両者は激突するよね?どっちが勝つだろう..,
12ようわからんが:02/01/25 03:38
文字を持っている方が勝ったのではないだろうか・・?
しかしアステカは人肉食を国家システムとして持っていいたということを
考えると、国家を巨大化させるには限界があったかもしれない。
それを考えると、インカに歩があるような気もする・・・。
13世界@名無史さん:02/01/25 04:26
人種的にアメリカンインディアンと違うの?この両帝国。
14世界@名無史さん:02/01/25 06:18
>>12
インカのキープは主に数字を表すが、文字に近いとする説もあるよ。
もし真正面から激突したらインカが勝つに一票だな。

で、交流があったかどうかという話だけど、征服後の文献による推測以外は
調査不足だからとしか言えない。なぜなら考古学・人類学で文化的中間領域
と呼ばれるあたり(ホンジュラス・コロンビア等)は、近年の政情不安のため
アメリカ人などの研究者による発掘調査がほとんどできない状態だから。
個人的には、もしかすると長距離交易などで接触があったかもしれないと思うが。
15世界@名無史さん:02/01/25 07:34
エルドラドは実在した?
16世界@名無史さん:02/01/25 10:50
>>15
人間の住むところにはどこにでもあるんじゃないですか?
17世界@名無史さん:02/01/25 20:53
儀礼的な戦争ではなく、異文明がぶつかり合う殲滅戦争をやるのだとしたら
インカの方がかなり有利だと思う。
アステカは好戦的で勇猛果敢ではあるが、どこかカミカゼ的というか、
尊大で頑迷、狂信的で人命軽視という旧日本軍ぽい所があるし…
先進的な官僚機構とよく整備された街道を持つインカの方が、
がっぷり四つに組んだ本格的な戦争には強いんじゃなかろうか。
山岳文明だから、地の利に長けているというのもあるね。
18世界@名無史さん:02/02/24 14:09
人種的にアメリカンインディアンと違うの?この両帝国。
19世界@名無史さん:02/02/24 16:53
>18
同じ。だがインカはポリネシア系が混血しているとの説もあり
20世界@名無史さん:02/04/05 20:49
age
21世界@名無史さん:02/04/05 22:02
コスタリカの博物館にはコロンビアからの金製品があるよね。
22世界@名無史さん:02/04/05 22:47
>>19
コンチキ号で南米とポリネシア間の交流を証明しようとした学者がいたね。
23世界@名無史さん:02/04/05 23:29
>>22
まあ海岸沿いに栄えてるからね。交流があったとしても別におかしくないと思う。
北米から南下してきたモンゴロイドが起源にしては、中米と文化的に類似が少なくて不自然なものを感じる。
24世界@名無史さん:02/04/05 23:32
数で勝ってたんだから戦えばよかったのに。
25世界@名無史さん:02/04/13 21:26
距離的にはそんなに離れていない
26世界@名無史さん:02/04/13 22:08
そもそも地峡で隔てられ、おまけに密林で遮られた両帝国が戦争する意味が
まるで見出せないが…
まあ、インカが勝つだろうな。
というか、アステカが外征なんかやってたら、その隙にトラスカラとかトトナカとかが
反乱起こすだろ。
27世界@名無史さん:02/04/13 22:32
つうか、牛・馬はいないし
船もイカダくらいしか無いし、車輪が無いので荷車も無いし
外征する事自体がどっちも無理だったと思われ。
28世界@名無史さん:02/04/13 22:51
アフリカから南米に渡った民族がいたんだよ。
実はこうなんだよ。
黒人→黄色猿→トルコ系→白い天才

俺の結論として言っておく。
黄色人種は南米で生まれた人種だ。
よく覚えておけ糞共が。
29世界@名無史さん:02/04/13 23:00
江戸時代に士農工商ってあっただろ?
武士は農民の反乱を押さえる為に農民を武士の次の階級にしただろ?
これを頭に叩き込んでよ〜〜く聞きやがれ!!

モンゴロイドは人種的にはコーカソイドよりも進化してるって言われてるな。
これはだな、黄色い猿共が白人様にたて突かないようにする為の嘘なんだ。
人種的に一番進化してるのは白人様だ!!糞共が!!
30世界@名無史さん:02/04/18 03:24
文字がない。
馬も牛もない。
生け贄、迷信の電波政治。

中国で言えば夏ぐらいですか?
31世界@名無史さん:02/05/01 01:21
馬や牛がいないのは別に彼らのせいではないのだが
32世界@名無史さん:02/05/01 02:18
ttp://www.asahi-net.or.jp/~pd9k-nrzk/index.htm
このチャビン・デ・ワンタルのレリーフ、マヤ文明の絵文字そっくりに見える。
アンデスにはあまり派手な彫刻をする文化は無いはずだが…
33世界@名無史さん:02/05/01 02:18
アンデスじゃなかった、後年のインカでした
34世界@名無史さん:02/05/17 00:41
age
35世界@名無史さん:02/05/17 06:09
密な交流は文明的な要件から考えるとありえないには一票かな。
家畜の不足(ロバくらいしかいない)と車輪がなく馬車などが発明されなかった
点はやはり大きいと思う。

トウモロコシだったかの原産種の伝搬から考えると古代においてはゆるやかな交流はないとおかしいんだけど。
36世界@名無史さん:02/06/03 13:00
age
37世界@名無史さん:02/06/03 20:04
アンデス神話では、インカ初代皇帝のマンコ・カパックが南米に初めてトウモロコシを伝えた事になっているそうだけど。
マンコ1世と中米には何らかの関係があり?
38トラメメ:02/06/20 08:16
車輪は発明されてたらしいが、地形の影響が大きくて荷車にまで大型化されなかったらしい。
動物の人形の足に車輪が付いた子供のおもちゃなんかが発掘されてる。
39世界@名無史さん:02/06/22 22:22
age
>>37
工房のころ、テストにマンコと答える問題を出して、「女子の回答率が低かった」とニヤニヤしてたクソ教師がいたなあ……。