1 :
アヤソフィア大好き:
イスタンブールのセント・ソフィア聖堂。
かつては東方正教の総本山であり、ビザンチン帝国滅亡後はモスクに改築された壮大なドーム構造建築。
あのドーム構造だからこそ、容易にモスクに改築できたのだろう
ところで、なぜユスティニアヌスは、あのようなドーム構造建築をキリスト教の総本山に採用したのだろうか?
キリスト教化以前のローマ帝国ではああした建築は、神殿用の建築としてスタンダードではなかったはず。(例外はパンテオンくらい)
またひるがえって、モスクもなぜ必ずドームが伴う構造をしているのだろうか?
セント・ソフィア聖堂とモスクは、ともに同じの文化圏(ユダヤ?ペルシア?)の建築の影響を受けたのだろうか?
あるいは、セント・ソフィア聖堂は純粋にキリスト教化以前のローマ建築の末裔なのだろうか?
モスクは、イスラム教成立以前から威容を誇っていたビザンチン帝国のドーム建築教会の影響を受けたのだろうか?
どなたか教えて。
2 :
アヤソフィア大好き:01/10/25 00:25
ラヴェンナのサンヴィターレ聖堂もドーム構造だった。
日本人ツアーガイドが「イスラム教の影響を受け、このような形をしていおります」
とか言ってたけど、サンヴィターレ聖堂出来たのって、イスラム教成立以前じゃん!
本当のことが知りたい!
3 :
世界@名無史さん:01/10/25 01:09
イスラムのアラブ人が勃興して、パレスチナ、エジプト、小アジアに制覇したとき、
そこにあったキリスト教の聖堂を真似て、モスクの形はできあがった。
モスクはもともとキリスト教聖堂を元にしている。
そんで、正教会のバシリカ様式の聖堂にドームを載せるのは、ペルシアの影響と言われている。
ラベンナはイタリアの中でもギリシアの影響が大きいからドーム様式だと思われる。
2のガイドはいいかげんだな。
4 :
アヤソフィア大好き:01/10/25 01:21
おおおお!
ありがとうございます!
>モスクはもともとキリスト教聖堂を元にしている
なんて刺激的な話だ。
セント・ソフィアとモスクが似ているのは当然だったのか。
>正教会のバシリカ様式の聖堂にドームを載せるのは、ペルシアの影響と言われている
正教に影響を与えたペルシア建築の実例って残ってますか?
残っているなら是非みたい。
それにしても、ペルシアに影響を受けてセント・ソフィアのデザインが出来上がったのだとしたら、東ローマ帝国って本当にオリエント文明まみれだったってことですよね。
キリスト教だってオリエント宗教。聖堂デザインもオリエント起源。
そういや、ヴェネチアのサン・マルコに残されてるビザンチン帝国からの分捕り品見たら、ペルシア製の水差しとビザンチン製の水差しのデザインがそっくりだったなあ。
5 :
世界@名無史さん:01/10/25 01:32
東ローマとペルシアとは長年、戦争しあった仲。
戦争こそ最高の交流・・・だと思うけど、どうかな。
6 :
アヤソフィア大好き:01/10/25 01:39
>戦争こそ最高の交流・・・だと思うけど、どうかな。
そうかもしれないっすね。
そういえば、聖像禁止令の後、セント・ソフィアに描かれたモザイク絵画の中には、皇帝がイエスの前で土下座のようにひれ伏している構図のものがありますよね。
あれって、ムスリムのアッラーへの祈りとそっくりじゃん、って思いました。
ビザンチンとイスラム圏もずっと戦いつづけた仲だから、似てきたのかもしれないっすね。
7 :
世界@名無史さん:01/10/25 01:52
うーむ、正教会では聖体機密の聖変化のときにみんな平伏すねぇ。
おおもとはオリエントの流儀で源流は同じなのかもね。
そういえば、聖像禁止令はイスラムの影響だったんだよなぁ・・
8 :
世界@名無史さん:01/10/25 01:58
そうそう。
ペルシア建築はイスラム時代にかなり変質したと思うから、そのまんまでは残ってないんじゃないかなぁ。
像を書いたり造ったりするのを公には禁止したお国柄になってしまったから。
せいぜい、ペルセポリスの廃墟やダリウスの墓とかが残ってるくらいじゃない?
でも、ドーム建築はペルシアが最初と、ものの本に書いてあったから、
(古代)ペルシア>東ローマ>アラブ>(イスラム)ペルシア
巡り巡ってモスクとしてペルシアに帰っているのは、面白いと思う。
9 :
アヤソフィア大好き:01/10/25 02:21
>(古代)ペルシア>東ローマ>アラブ>(イスラム)ペルシア
>巡り巡ってモスクとしてペルシアに帰っているのは、面白いと思う
同意。
面白い。
しかし、どこかにイスラム化以前のペルシアのドーム建築残っていないかなあ。
モスクのアーチなどは石が一個置きに白色、灰色と石が違うけど、セント・ソフィア聖堂
をモスクに改築した時は崩れないように白い石を引き抜いては直ぐさま灰色の石を挿入し
てたのかな? んな訳ないよね。(笑
うちの近所のモスクと云えば、代々木上原の井の頭通り沿いにあるモスクかな?
名前まで判らないけど、小じんまりとしてますが、威厳があってなかなかです。
代々木上原のモスクは東京回教寺院でした。
ただね、すぐそばにバカ小田急の線路があるのがよろしくない。
小田急線ってホント馬鹿、踏切りとかなんであんなに頭悪いんだろうって思う程。
12 :
アヤソフィア大好き:01/10/25 03:13
>モスクのアーチなどは石が一個置きに白色、灰色と石が違う
それは、全てのモスクに共通しているのですか?
あんまり関係ないけど、ビザンチン帝国後期の皇宮のって、そんな感じでした
13 :
世界@名無史さん:01/10/25 03:23
>>1 トルコがコンスタンティノープルを征服した時にハギアソフィア聖堂をモスクに改築したんだけど、
その外見があまりにも立派だったから、以後様式として定着したからではないでしょうか。
ドームの形に関しては、レンガで作りたかった(前の聖堂が二カの乱で焼けた)し、でかい建物にしたかったので
木造のバジリカ式では限界があり、小規模建築に使われていたドームを馬鹿でかくして使うことになったのです。
14 :
世界@名無史さん:01/10/25 03:31
>>9 ササン朝のクテシフォンの宮殿は…ヴォールト(奥行きのあるアーチ)だし。
古いドームといえばローマ帝国のパンテオン。
15 :
アヤソフィア大好き:01/10/25 04:16
>ササン朝のクテシフォンの宮殿は…ヴォールト(奥行きのあるアーチ)だし
うお、貴重な情報だ!
それは残っているのですか?
>古いドームといえばローマ帝国のパンテオン。
パンテオンも見てきました。
でも、あのタイプの建築って、キリスト教化以前のローマでは主流ではなかったですよね。
パンテオンの存在は、ローマが伝統的な建築技法だけで大きなドームを作れたことの証拠ではあると思うのですが、あれがセント・ソフィアのデザインのもとになったかと言えば、それは違うかなあ、と。
>木造のバジリカ式
これって、壁が煉瓦、天井が木造っていう作りの奴ですか?
コンスタンティヌス帝が作ったっていう、最初のサンピエトロ聖堂みたいな。
16 :
アヤソフィア大好き:01/10/25 04:19
文脈からすると、残っているということですね。すみません。
>ササン朝のクテシフォンの宮殿
みてーなー。
ヴォールトの内壁にはモザイク絵画があったりするのかな?
(それはないか)
あのようなモスクがあるのはイスタンブールなどトルコだけだよ
1は設問が逆だな
18 :
世界@名無史さん:01/10/25 06:06
中公新書の羽田正『モスクが語るイスラム史』を昔読んだんだけど詳しいこと忘れてな…。
記憶で書くと、トルコの大ドーム建築はビザンツの影響だよ。
イスタンブールのスレイマニエ・モスクとか、ブルー・モスクなんて
ドームで有名だけど、あれはみんなアヤソフィヤの模倣。
中東のあちこちでドームが見られるのは、
オスマン支配時代に新しく作られたから。
(例:エルサレムの岩のドーム)
そもそも、イスラム世界のモスクはみなドームというわけではなく、
アラブ世界のモスクは回廊式の地味なものが多い。
(例:メッカのカーバ神殿と附属モスク)
建築技術が発展した後は礼拝のために広い空間が持てる多柱様式が好まれた。
(例:セビリヤのメスキータ)
その中で残るドームはローマの神殿や教会から始まった。
(例:ダマスカスのウマイヤ・モスク)
ドームを利用して天井を支える形式は、ペルシアの影響を受けて東方で発展した。
(例:イスファハーンのシャー・モスク)
ペルシア経由でやってきたトルコ人は、アルメニア文化などの影響も受けて、
ドームをたくさん連ねて広い空間の天井を支える独特のモスクを作った。
(例:ブルサの緑のモスク)
そういう伝統がビザンツの伝統と結びついたのがトルコの大ドームであるらしい。
>>11 代々木上原のモスクはトルコ様式だよ。
なにせあのモスクはトルコ政府のお金で建てられたので。
19 :
アヤソフィア大好き:01/10/25 11:12
岩のドームって、オスマン・トルコ支配下で作られたものだったのですか?
7世紀くらいに作られたような気がしたのですが。それとも、今の形はオスマン・トルコ支配下で再建されて出来たのかな?
20 :
アヤソフィア大好き:01/10/25 11:17
モスクはドーム型ばかりではない、というのはなるほどその通りですね。
欧米で見た近代のモスクもドーム型が多かったけど、あれがスタンダードになったのは、オスマン・トルコがイスラム世界の覇権国になってからか。
>中公新書の羽田正『モスクが語るイスラム史』
面白そうな本なので探してみます。
情報をありがとうございます
>>19 「岩のドーム」はご指摘の通り7世紀末にウマイヤ朝によって建造されました。
しかし、現在の美々しい壁やドームは、オスマン朝時代に補修されたものです。
22 :
アヤソフィア大好き:01/10/25 14:23
そのウマイヤ朝建造時の「岩のドーム」(という名前だったのか?)は、やはりドーム型なんですかね?
23 :
世界@名無史さん:01/10/25 15:02
ヘレニズム文化みたいなもんだろ、たぶん。
異国の文化が戦争や交易などで影響しあい似ている、と。
いいかげんでスマソ。
代々木上原のモスク。
気になったので、今日、会社帰りにバイクでよってみた。施工は鹿島建設。(笑
おもてっ面は、ぶ厚い総ビアンコ大理石で気合い入ってました。
25 :
先生、質問!!:01/10/25 19:35
モスクワって都市の名前とお寺が多いこと、何か関係あるの?
>>2 ペルシアの影響って?メソポタミアまでさかのぼれば
考えられるけどペルシアの影響ではないと思いますが。
ギリシアの影響はかなりあると思いますよ。
アトレウスの宝庫とか。
>>22 >そのウマイヤ朝建造時の「岩のドーム」(という名前だったのか?)は、やはりドーム型なんですかね?
そーいえばどうなんだろ。
知りませんねぇ。
(少なくとも現在の)正式なアラビア語名は「マスジド・アルクッバ・アッサフラ」、
すなわち「岩のドームのモスク」らしいです。
>>24 無料で見学できますよ。
興味があるなら。
>>25 「モスク」はアラビア語で「礼拝を行うところ」という意味の「マスジド」のなまり。
「モスクワ」は町の側を流れる「モスクワ川」に由来。
よって関係なしと思われ。
>>21 >代々木上原のモスクはトルコ様式だよ。
>なにせあのモスクはトルコ政府のお金で建てられたので。
>無料で見学できますよ。
>興味があるなら。
なんか聞いてもないのに気持ちの悪い妙な絡み方してくるな。
ボクが「トルコ様式じゃない」とでも書いた?
それに、全部じゃないけど中にも入って見学してきたっちゅーねん。
なんなんすか?『興味があるなら』って。
じゃ-ね。
絡んだつもりじゃなかったんだけどなぁ…。
あなたのレス見てぼくが連想したことを
ちょっとした話のタネだと思って書いたつもりだったんだけど。
ま、怒られたのですっこみます。
すいませんでした。
31 :
世界@名無史さん:01/10/26 00:11
32 :
アヤソフィア大好き:01/10/26 00:31
>31
ありがとうございます。
ドームって、キリスト教化以前のローマでは、ワンノブゼムの建築様式なのに、キリスト教化以降、突如ローマを席巻しますよね。
ローマっていうか、ビザンチン帝国の方だけど。
その突然ぶりが私にはとてもミステリアスに思えて、興味がつきません
ビザンツは西ローマより偶像崇拝禁止
の運動が徹底してたからじゃない?わからんけど。
34 :
アヤソフィア大好き:01/10/26 09:06
>33
いや、アヤソフィア建造は、偶像崇拝禁止以前のことです。しかも、偶像禁止令の原因となったイスラム教の成立以前でもあります。
『イスラムの影響』というわけにはいかないんです。
イスラム教化以前のオリエント文化の影響ならわかるのですが。
それでも、東方の文化の影響が、国教の総本山のデザインにまで影響を与えてしまう点が興味深いんですよ
ほんとだ。537年竣工かー。
じゃあ、宗教的な意味では?ドームにはキリストや預言者の絵が描いて
あるよね。あれはパンテオンのオルクスのように神に通じる空間って
ことかも。ぜんぶ創造で根拠ないけど・・・
続きだけど。
40もの窓がドームに空けられているのは
そこから入る多くの光が床の大理石や壁のモザイク
と反射して>34で言っている空間を作りだしてる
のかも。だからキリスト教化以降に増えてるかもね。
ながくてすいません。
37 :
世界@名無史さん:01/10/27 16:13
>>29 何を怒っているのでしょうか、変な人ですね
>いや、アヤソフィア建造は、偶像崇拝禁止以前のことです。
意味不明。
>>38 え?レオン3世が発布した聖像禁止令以前ってことだろ?
意味わかるけど・・・
模倣と言うよりは、特に初期は「占領した地域の寺院を取上げたのでその地域の様式になった」
という面があるんじゃない?
ウマイヤモスクには洗礼者ヨハネの墓があるし、イランでゾロアスター教の遺跡が
少ないのは、上にモスクが立っているせいと言われている。
近年インドでは、過激ヒンドゥー主義者が「過去ヒンドゥーの聖地で現在モスクが立っている所」を打ち壊してしまった。
41 :
世界@名無史さん:01/10/30 00:27
オレ、建築史を学び始めたところ。
教科書によると、ローマのパンテオンは円柱+ドーム。
アヤ・ソフィアは正方形に外接する円の上に立つドーム。
どうも、基本設計が違うようだ。教科書には「オリエントの
建築技術を総合し」とあるが、よくわからない。
建築家はトラレスのアンテミウスとミレトスのイシドロス。
ドームの直径33メートル、床からの高さ55メートル。でかい。
これで、技法が完成してしまい、その後の発展はないとある。
ヴェネチアもビザンチン様式だよね。
43 :
世界@名無史さん:01/10/30 01:00
サン・マルコ寺院のことでしょ。
中期ビザンチン建築の傑作だそうだよ。
この建物は8mドーム5個を十字に配している。
後期になると、さらにドームは小さくなり、
高いドラム(円柱)の上部に立つ採光塔に
なりさがってしまうとのこと。
44 :
アヤソフィア大好き:01/10/30 01:26
>教科書によると、ローマのパンテオンは円柱+ドーム。
>アヤ・ソフィアは正方形に外接する円の上に立つドーム。
>どうも、基本設計が違うようだ。教科書には「オリエントの
これまた貴重な情報だ。
アヤ・ソフィアは、純粋にはパンテオンの後輩という訳ではないんですね。
同じ旅行で、パンテオンとアヤ・ソフィアのどちらにも訪れましたが、やっぱり、印象は違いました。
まあ、素人意見なので、印象の違いというもの、単にパンテオンのてっぺんの穴のせいだった気もしますが・・・
>教科書には「オリエントの建築技術を総合し」とあるが、よくわからない。
やはり、ここの解明ですよね。
いずれにせよ、当時としては斬新な設計だったのかな?
>サン・マルコ寺院のことでしょ。
見てきたっす。
アヤソフィアと同じ暗さの中に、ラヴェンナと同じ雰囲気のモザイクがある、という感じでした。
聖像禁止令以前のアヤ・ソフィアもああいうモザイクだったのかなあ。
45 :
アヤソフィア大好き:01/10/30 01:35
>模倣と言うよりは、特に初期は「占領した地域の寺院を取上げたのでその地域の様式になった」
>という面があるんじゃない?
いろいろなご指摘のおかげで、モスクの形状の起源についてはだんだん分かってきました。
あとは、アヤ・ソフィアのあのデザインの源流となったオリエント建築を知りたいところですね。
46 :
世界@名無史さん:01/10/30 01:57
>>45 アンティオキアあたりの教会とか?>オリエント建築
よく知らんけど。
47 :
世界@名無史さん:01/10/30 02:09
>43
あれは内部から見るとビザンツ/トルコ風ドームだが外部から見るとちょっと違う(2重ドームなので)。
48 :
アヤソフィア大好き:01/10/30 02:22
>46
アヤ・ソフィアに先立つドーム構造の教会というのも興味ありますが、それ以上に、なぜドームがキリスト教会(東方教会)のひとつのスタンダードになっていったか、に興味があります。
49 :
アヤソフィア大好き:01/10/30 02:24
アヤ・ソフィアを目の当たりにすると、これを真似したくなったスルタンの気持ちが少しわかります。
オリエントには、これをキリスト教の教会に採用したいなあ、と末期のローマ人に思わせるようなドーム建築があったのか、それが一番知りたい。
50 :
世界@名無史さん:01/10/30 13:10
ニカの乱で焼けたアヤ・ソフィアを再建した時、皇帝ユスティニアヌスは
「ソロモンよ、我は汝に勝てり」と言ったとか。
51 :
アヤソフィア大好き:01/10/31 11:51
図書館で探してみたけれど、アヤ・ソフィアより年代が遡るオリエントのドームって見つからないですね。
ちょっと話題ずれますが・・・。
私も疑問があります。
モスクにもキリスト教会にも見られる、白と黒(または白と赤)の縞模様デザインです。
アーチがしましまだったり、壁がしましまだったりしますよね。
イスラムが真似たのだとは思うのですが、だとしたら起源はどこなのでしょう?
あのしましまデザインが大好き(エキゾチックだから)なので、起源が知りたいです。
ご存じの方、よろしくお願いします!
53 :
アヤソフィア大好き:01/11/19 00:06
1です。
いろいろ調べてみましたが、アヤソフィアよりも遡るオリエントのドームは見つかりませんでした。
ヴォールトはドームではない、と考えての結論ですが。
キリスト教化以前のローマ帝国において、浴場、皇帝廟、一部の神殿に使われていたドーム建築が、『教会に向いている』として転用されていった結果、アヤソフィアの大ドームが誕生したと考えるべきなのかな?
54 :
アヤソフィア大好き:01/11/19 00:13
ラヴェンナに残る最古の洗礼堂は、キリスト教化以前の浴場跡に建てられたというけれど、
浴場⇒体を水につける⇒洗礼堂
という連想ゲームはあったのかなあ・・・
55 :
世界@名無史さん:
>54
施設の流用ってこと?