アンジュー伯領について

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1世界@名無史さん
フランスのロワール川沿いにあるアンジェの町を中心として支配する
アンジュー伯。この家から出たヘンリー2世はのちにイングランド王
として、君臨しプランタジネット朝を開き栄華を極める。しかし、仏
王フィリップ=オーギュストと対立し、ブーヴィーヌの決戦で一時親
王領(アパナージュ)へ。1246年ルイ8世の次男シャルル・ダンジュー
が伯家を継承。その後ジャンヌ・ダルクにも縁のある、アンジュー
伯領(あるいは家)について語りましょう。
2世界@名無史さん:01/10/02 23:59
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  |  / 从从) ) ヘノ)                 |_|||_||_||_| |  \ヘ
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3世界@名無史さん:01/10/03 00:24
シャルル・ダンジューってシチリア王になった人だっけ?
4世界@名無史さん:01/10/03 00:25
まず指を折りたいのはヘンリー2世の先祖の
フルク・ネラ(Fulk Nerra)(971-1040)だな。
アンジェを中心とした小領主だった伯家を、
隣接するトゥーレーヌ、メーヌの獲得によって北フランスの強国にした英雄。
軍事史では、中世フランス史上はじめて、複雑な支城システムの構築によって
領土保全をはかった点でも著名。
(le grand batisseur(大城塞建築者)という異名を持つ。)
5世界@名無史さん:01/10/03 02:15
シャルル・ダンジューがシチリア王になってから、
アンジュー伯領はどうなったんや?
6世界@名無史さん:01/10/03 02:30
シャルルがそのままアンジュー伯だったみたいだけど…。>>5
どうやって統治してたんでしょうね。
7ドイツにん:01/10/03 20:09
【アンジュー伯家】
アンジェルジェ
    :
フルク1世赤毛伯(929-942)
    │
フルク2世善良伯(942-960)
    │
ジョフロワ1世グリゾゴネル(960-987)
    │
フルク3世ネルラ(987-1040)
    │
  ┌──────────────┐
ジョフロワ・マルテル       エルマンガルド=ジョフロワ・フェレオル(ガティネ伯)
(1040-1060)                    │
                     ┌─────┐
.               ジョフロワ3世   フルク4世・ル・レシャン(1067-1109)
                (1060-1067)     │
                      ┌─────┐
                ジョフロワ4世   フルク5世(1109-1128)
                (副伯1104-1106)    │
                             . ...│
                   マティルド=ジョフロワ5世美男王(1128-1151)
          (イングランド王ヘンリTの娘)      │        │
                       ヘンリー2世・プランタジネット
                           (イングランド王:1154-1189)
8ドイツにん:01/10/03 20:55
【ブーヴィーヌの戦い以後のアンジュー伯(公)家】
【カペー家】
         フィリップ・オーギュスト(仏王:1180-1223)
                  │
         ルイ8世(仏王:1223-1226)
                 .. │
    ┌─────────┤             
 聖ルイ9世     シャルル・ダンジュー(アンジュー伯:1227-85)
(仏王1226-70)         │
             カルロ2世(ナポリ王:1285-1309)
                  ..│   
    ┌─────────┤       【ヴァロア家】
カルロ・マルテル   マルゲリータ=シャルル1世
(カーロイ・マルテル            .│  (ヴァロア伯:1285-1325)
ハンガリー摂政)            .│   (アンジュー伯:1290-1325)
                    .│
                   フィリップ6世(仏王:1328-50)
                    │
                   ジャン2世善良王(仏王1350-64)
                    │
       ┌───────────────┐
   シャルル5世賢王            ルイ1世・ダンジュー
 (仏王:1364-80)               │    (アンジュー公:1356-84)
                       ルイ2世=イヨランド・ダラゴン
(ナポリ王、アンジュー公:1384-1386).│    
                       │
          ┌────────┼──────────┐
     ルイ(ージ)3世     ルネ・ダンジュー(善良公)    マリア=シャルル7世
(ナポリ王:1414-34)    (アンジュー公1435-80)             (仏王:1422-1461)  
9世界@名無史さん:01/10/03 21:36
>>7 >>8
おお、マジにありがたい!!
10>>6:01/10/03 23:09
巡回裁判所
巡回徴税人
11世界@名無史さん:01/10/04 00:29
>>7
おお、すばらしい!
で話題。
ジョフロワ5世は、西ヨーロッパではじめてギリシア火を実戦投入したらしい。
(1151年、Montreuil-Bellayの攻囲。)
父のフルク5世がイェルサレム王になったから(1131-1143)、その関連で技術が伝わったようだ。
12ドイツにん:01/10/04 00:41
>>11
お褒めいただき、ありがとうございます。(藁
>>8に関しては在位年およびタイトルに関してちょっと自信がありません
ので、お詳しい方はぜひとも、ご指摘の上訂正していただければたいへん
有難く思います。
13素人:01/10/05 20:25
アキテーヌ公領(あるいは公家)との関係はどうなのですか?
(的外れなこと言ってるか?)
14世界@名無史さん:01/10/05 23:07
>>13
12世紀あたりまでの事情ですが、一応調べた感じでは・・・(かなり適当ですが)

婚姻関係
ジョフロワ・マルテルの妻=アキテーヌ公ギヨーム5世の寡婦アニェス
フルク・ル・レシャンの妹イルドゥガルド=アキテーヌ公ギヨーム8世の妻
ヘンリー2世の妻=アキテーヌ公ギヨーム10世の娘エレオノール

ヘンリー2世の登場に至るアンジュー伯家の伝統政策は
メーヌ伯領への北進(→ノルマンディー公がライバル)
トゥレーヌ伯領への東進(→ブロワ〜シャンパーニュ伯家がライバル)であった。
(そしてアンジュー・ノルマンディー・ブロワの3家に
 ノルマンディー公家の北方の勢力:フランドル伯家
 ブロワ家の東方の勢力:カペー王家
 が加わって、おおよその北仏の勢力分布が成立していた。)

一方、南仏ではポワトゥー伯家が10世紀末にアキテーヌ公位を巡る争いに勝利したものの、
公領内にリュジニャン家やアングレーム家のような反抗的な下位領主を抱え、
また外部の領邦君主としてガスコーニュ公家・トゥルーズ伯家が敵対したので、
自ずとその政策は南フランスに限定されることになった。

以上のことから、背中合わせになったアンジュー家とポワトゥ〜アキテーヌ公家は、
利害がほとんど衝突しなかったので、かなり友好的な関係を持ったのではないでしょうか?
(若干の境界紛争などはあったにせよ。)
何度かに渡る婚姻関係がそれを証しているように見えます。

付記。ところが、この図式が
ヘンリー2世のイングランド王即位、エレオノール・ダキテーヌとの婚姻によって
大きく変動するわけですな。
ヘンリーは、アンジュー・ノルマンディー・アキテーヌ(及びイングランド)の支配権
(+ブルターニュ・トゥールーズの宗主権)
を握って、いわゆる「アンジュー帝国」が成立します。
フランス内の均衡が崩れた結果、
アンジュー家(プランタジネット家)とカペー家の激突が不可避になったのは周知のとおりです。
15世界@名無史さん
age