「スターウォーズ」って実話だったんですか!?

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31世界@名無史さん:01/10/13 00:49
PKディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」数年ぶりに再読したけど、
作中イジドアが
「あんたらはインテリなんだよ。あんたらは物事を抽象的に考えるから」
という台詞、アンドロイド相手に吐いてます。

同作に於いてアンドロイドは<冷酷な近代的人間の暗喩>ということは前前からいわれてましたが、
この台詞の存在には、うかつにも気づきませんでした。

というのは、この台詞はそのまま
「抽象観念が現実であり、実在するものは彼らには見えない」(BY高い城の男)
の近代合理主義の鬼子としてのナチズム批評へとつながりますねえ。

いやうかつでした
32国辱戦記とは?:01/10/13 00:59
あれなんですよ。
「SS-GB」「ファーザーランド」になくて「高い城の男」北杜夫「夜と霧のすみにて」
にぼんやり漂う、<なんだか本物くさいナチス描写>の正体って何だろな?と長いこと
考えてたのですが、結局、つまるところ、zachlichkeitかなぁと最近、思い至りました。

zachlichkeitいうのはいわゆる即物性ですが、それを通り越して、
「ある観念への義務感」というのが、ナチズムにおけるzachlichkeitには付きまとうと思うのです。
これが結局、humanismに生きる欧米や日本人には理解不可能というのが、最近の結論でして、
その理解不可能なものを理解不能のまま描きだす。

理解不可能だがその背後に「人間の有限性を拒否する観念=人間存在の死をいとわぬ思想」を隠し持っている
ところがフロイド博士いうところの不気味なる物unheimlichなのかなあとぼんやり、考えてます。
33国辱戦記とは?:01/10/13 01:03
「高い城の男」「夜と霧のすみにて」に共通するのは、
ナチズムを抱いた当時のドイツ国を、ある感受性豊かなアメリカ人や
日本人の目から見た、
<どうしても理解できない、ヨーロッパの根源の精神>
を理解できぬままに提示したことであり、ゆえに生まれるナチズムの不気味さ、
非親和性unheimlichを読者に感じさせる、ということではないかなと思ってます
34世界@名無史さん:01/11/17 01:56
《戦場》
ボロディノBorodinoは、開けた、樺と松の林が点在する平原である。
北にスモレンスク〜モスクワ新道がはしり、南に旧街道が平行する。
両者は東のモジャイスク市Mozhaiskで合流する。

平野の北を流れるコローチャ河Kolochaはモスクワ河の支流である。同河は地面を深くえぐり、
重要な軍事防衛拠点となりうる険しい土手をこさえている。

ロシア軍はこの土地を無数の塹壕で強化した。26の砲門が、のちに大保塁Grea、
ないしラウエンスキー角面保Raevsky Redoubtの名で知られるコローチャ河の東側に設置された。
さらに2個砲兵中隊が計12の砲門(前列中隊9、後列中隊3)がゴーリキーGorki村に梯段配置された。

戦場の南端は無数の小川が北西のコローチャ河に向かってはしっていた。Voinak、Semenovka、KamenkaおよびStonets。
クトウゾフKutusovは、彼の砲兵隊に最大限の地形上の便宜をあたえ、かつ防御濠として河を利用するため、東岸の低い丘を選んだ。
35世界@名無史さん:01/11/17 01:58
《ボロジノに先立つ戦闘》
ラウエンスキー角面保はVの字型に両肩を短い土塁でかこまれた砲台である。
初期の計画ではVの字の後ろは開けていたが、結局、防御用の木柵によりふさがれた。
しかし角面は土塁に阻まれ(発砲用の狭間がなく)使用不可能だった。
この大失敗の原因は、9/6の戦闘前夜からはじまった工事を担当したモスクワ市民軍によるものだった。
彼らはつるはしもシャベルもなく、構築に必要な指示もなく、ただ闇雲に土を積みあげたのだ。

9/7の大会戦当日の夜明けまでに、ようやく9つの狭間が完成した。砲台は未完成だった。
地面は固く、工事は困難をきわめた。結果、砲台陣地内は、必要な面積にはせますぎた。
築城木材(粗朶)の不足は、斜面の適切な補強工事に悪影響をあたえた。
フランス軍をはばむべき防御柵やその類にかんしてはいうまでもなかった。
36世界@名無史さん:01/11/17 01:59
《ロシア軍の配備》
クトウゾフ(ロシア軍の新任総司令官)はフランス軍の主進路をスモレンスク新道と予測した。
彼はボロジノにおいてはバルクライ・ド・トーリーBarclay de Tollyを軍右翼に展開させた。
彼は、本作戦直前までロシア全軍の総司令官だったが、ボロジノ戦直前に更迭、クトウゾフにかわられた。
降職にもかかわらず、彼は西欧第1軍the 1st Army of the West(Platovコサック軍団と第1騎兵軍団)をクトウゾフの右翼で指揮した。

バガヴーBaggovout第2歩兵軍団、トルストイOstermann-Tolstoy第4歩兵軍団はコローチャ河東岸の高位置に占位した。
ドクトロフDocturov第6歩兵軍団はコローチャ河からラウエンスキー角面保に展開。
角面保自体には第7歩兵軍団Paskevitch第26師団が配備。
第2(Korff)および第3の騎兵軍団(Kreutz)は角面保と背後に配備。
角面保正面のボロジノ村には近衛猟兵連隊the Guard Jager Regimentが配置された。

クトウゾフの布陣は南側が重要だった。セミョノフカSemenovka河以外に自然障害物のない土地が2500ヤードひらけていた。
セミョノフスカヤSemenovskaya村の土地である。村自体は、軍事的観点からすべての木製家屋は燃やされた。砲撃の視界確保のためだった。
37世界@名無史さん:01/11/17 02:01
軍左翼においては「バグラチオン三矢保 Bagration Fleches」として知られる3つの野戦陣地構築がおこなわれた。
これら3つのVの字型土塁は斜め梯段(in echelon)に構築された。
その正面1マイル西にやはりVの字型でシェバルディノ保塁Shevardino Redoubtが構築された。
その方向からのフランス軍の侵攻にたいして早期警戒をおこなうためだった。

クトウゾフはラウエンスキー軍団から1個師団抽出、南のセミョノフスカヤ村に正面させ配備。
また第4騎兵軍団をラウエンスキー角面保支援に配備。
さらに南ではボロゾフ第2混成擲弾兵師団Voronzov's 2nd Converged Grenadier Divisionをバグラチオンフレッシュに配備。
ネヴォンスキNeverovski第27師団をその背後に配置した。

クトウゾフは総予備軍としては、
第1、第2胸甲騎兵師団Cuirassier Divisions、
近衛歩兵the Guard Infantry、
ツチコフTuchkovの第3軍および、
62個砲兵中隊(砲門300門)を残す。

クトウゾフのこれらの戦術配置は、彼の「フランス軍の南からの侵攻の可能性」をまったく理解していなかったことを伺わせる。
彼は側面防御には、ほとんど努力をはらわなかった。
現実にフランス軍が件の方面のあらわれたとき、彼の唯一の反応は、
ツチコフ第3軍団から8000、コサック1500騎、市民兵7000をおくっただけだった。
部隊はUtitsa丘陵周辺に進出した。
38世界@名無史さん:01/11/17 02:02
クトウゾフは、部隊に丘陵の高位置を占領するよう命令しなかった。これが(ボロジノ戦当日初期の)戦術上のあやまりだった。
しかしながら彼はツチコフ軍に森にはいり、もしフランス軍が急速に進出してきたら待ち伏せ攻撃をかけるように命令した。
彼はフランス軍が予備軍すべてをバグラチオン軍の側面攻撃につぎこんだら、ツチコフ軍をさらに外まわりさせ、背後から攻撃できるだろうと望んだ。

ツチコフ軍とバグラチオン軍南側面を連絡させるため、
クトウゾフは4個猟兵連隊(軽歩兵)jager (light infantry) regiments に散兵線を展開させた。
開戦の直前、ベニグセン将軍Gen. Bennigsenがこのエリアを通りかかると、彼は野戦指揮官たちから、この配置にかんして苦情の総攻撃をうけた。
ベニングセンは彼自身の権限で、クトウゾフの命令を反古にし、ツチコフに待ち伏せをやめ、
猟兵指揮官たちの恐怖をおさめるため遮蔽物のないひらけた平原への散兵も中止させた。

クトウゾフにはこの変更は知らされなかった。ツチコフ(9/7戦死)の待ち伏せ配置は完了していると彼は考えていた。
ベニングセンの変更を知ると、彼は激怒した。
39世界@名無史さん:01/11/17 02:03
開戦のごく直前、クトウゾフは再度、軍内の上級指揮官を変更した。
ドクトロフDocturovが、戦線中央軍(第6歩兵軍団、第3騎兵軍団)を指揮。コンスタンティン大公Prince Constantine は予備。
ミロラドヴィッチMiloradovitchは右翼軍(第2、第4歩兵軍団、実質は騎兵軍団)
ゴルチャコフ公Prince Gorchakovは左翼軍(ほぼ西欧第2軍Armyすべてをふくむ)を指揮。
以上を、命じた。

これらの配置はロシア軍においてはけして異常ではなかったが、ウェリントンが同種の陣形をとるときとクトウゾフでは著しい対照をしめした。クトウゾフは丘陵斜面の前方に密集戦列を配置したのだ。
結果、彼らはフランス軍およびその砲兵の視界のまんなかに立つことになる。
おそらくクトウゾフはウェリントンのように、丘の反対斜面に味方を配列することで敵の視界と砲撃から保護する戦術を、知らなかったか、軽蔑していたと思われる。

もちろんフランス軍は、その種の配置の欠点をよく認識していた。ダヴーDavoutは、砲兵隊に、この無防備なロシア軍の密集戦列を第1目標と指示した。
このクトウゾフの錯誤と、フランス軍砲兵の組み合わせは、いうまでもなく数千人のロシア兵への死刑宣告だった。
例えば、PreobragenskiおよびSemenovski近衛歩兵連隊は会戦当日、一発も発砲していないにもかかわらず、フランス軍の砲撃により273人の死傷者を出した。
40世界@名無史さん:01/11/17 02:04
クトウゾフの決定は友軍の将軍たちを狼狽させた。有名なプロシアの軍事評論家クラウゼヴィッツCarl von Clausewitz は、のちにこれらを批判的に論述している・・・。

『最大の戦力を有するにもかかわらず・・・右翼は、左翼の苦戦を救うことはできなかった。全体的な配置を見るに、左翼軍は、
フランス軍を右翼軍にむかわせる側面補助をつよく志向している。
しかし結果は、右翼は戦力を消耗することなく、終日、ただ配置されている土地に立っているだけだった。
おそらく右翼は、ゴールキー村ではなくその隣のコローチャ河まで進出し、モスクワ新道を監視するか、占領するふりでもしたほうが、遥かに役にたったであろう』

クラウゼヴィッツはまた、トール将軍Gen. Tollの影響力がロシア軍の愚かな陣形の原因と記述している。このプロシア人は、
普段はこの種の(クラウゼヴィッツが述べる)縦深陣形に賛成するところ、この種の戦術原則を主張しなかった。
それどころか彼は、ロシア軍はまとまりすぎで、予備軍が前線に近すぎるとクレームをつけさえした。
41世界@名無史さん:01/11/17 02:06
クトウゾフは戦列に、ナポレオンの仏軍が攻撃してくるのを、受身で待った。9/5午後早く、彼は個人的に敵軍を偵察すべく前線に出た。
シェバルディノ保塁Shevardino Redoubtの12門の大砲配備は戦術的に大した価値はないが、
ナポレオンによるロシア軍戦列の偵察阻止と、友軍による仏軍配置の観測拠点としては有効である。
しかしながら、ナポレオンはすでにコローチャ河沿いのロシアの重点配備をみて、ロシア軍左翼に大陸軍を集中しつつあった。

さらにロシアの戦列を偵察した結果、ナポレオンは攻撃第一撃のプランをつくった。
彼はポニャトフスキーPoniatowski第5騎兵軍団に、敵左翼を包囲するため南に移動するよう指示した。
同時に、コンパンCompans第5師団にシェバルディノ保塁を攻撃するよう命じた。

シェバルディノ守備指揮官のゴルチャコフ将軍Gen. Gorchakovは、3個猟兵連隊を保塁の前に展開、
Doronino峡谷に沿ったAlexinkaからFomkina、およびYelniaの森まで散兵線をひかせていた。
彼はさらに第27師団を保塁の背後に、同保塁の12ポンド砲の支援下に配置していた。
その左翼歩兵戦列の背後にはロシア第2胸甲騎兵師団。他にもさまざまな支援部隊があった。
カルポフ将軍Gen. Maj Karpovとコサック軍は、スモレンスク旧道において、ポニャトフスキーの仏軍を監視していた。
42世界@名無史さん:01/11/18 00:44
《9/5 Shevardinoの戦い》
(省略)

《会戦の準備》
9/5夜から9/6早朝にかけて、ロシア軍幕僚はきたるべき大会戦の展開を熱心に討議した。
イェルモロフYermolovはシェヴァルジノ保塁をさして「防御および維持にまるで意味はない」と主張した。
彼は、孤立拠点の攻撃はフランス軍には容易かつ危険なくおこなわれるであろうと率直にのべた。
バルクライもこれに同意し、攻撃が行なわれる前に、友軍は拠点を放棄しすみやかに撤退すべきと主張。
バグラチオンは撤退には猛反対したが、おそらく彼が拠点位置を選定したことと、面目のためであると推測される。
結局、シェヴァルジノの放棄が決定されたのは、深夜だった。


幕僚たちはさらに、側面包囲の危険のある、スモレンスク旧道の配備の弱点について議論した。
ベニグセンとクトウゾフはモスクワ市民軍の手により(左)側面をささえるのは可能であり、
万が一、突破されそうになっても、これを第3歩兵軍団の支援により補完できるとかたく信じていたのだ。

フランス軍の本営においてはそのような方針の分裂はなかった。9/6夜明け、ナポレオンは再度、ロシア軍の布陣を調査した。
とくにロシア軍左翼および中央に弱点はないか、ロシア全軍がみえる敵の前哨地点ぎりぎりまで、彼は出かけた。
ポニャトフスキーは南において、ほとんど敵の抵抗が無かったことを報告した。
しかし皇帝はロシア軍左翼に対して、大側面包囲をこころみる戦術には躊躇していた。

ナポレオンは、バグラチオン軍と(仏軍にたいして)右翼のロシア第3歩兵軍団のあいだに間隙がないか、2回目の敵陣偵察をおこなった。
彼がボロジノの対岸の丘に立つと、ダヴー元帥Marshal Davoutが上ってきて、 第1、第5軍団によってロシア軍左翼を側面包囲するよう提案した。
おそらくその結果は、ほぼ確実にロシア軍左翼の壊滅できるであろう。しかしナポレオンは側面包囲にかかる時間で、
ふたたびロシア軍が決戦をさけて後退するか、あるいは軍を分割することでロシア軍の逆襲をうける可能性を恐れ、このアイディアをしりぞけた。
彼が必要としたのはただ一度の攻撃でロシア全軍が潰滅するような大勝利だったのだ。

ナポレオンの攻撃最終計画は9/6の残りまるまる1日をかけてようやく決定された。
彼は、ポニャトフスキーの第5軍団をスモレンスク旧道沿いに限定的な側面包囲をおこなわせ、
そのあいだに主力軍をロシア軍戦線中央にぶつける腹だった。彼は攻撃のために、第1軍団3個師団、第1第2第4騎兵軍団(予備)、計85,000を打撃軍として編成した。
第1軍団のうしろにネイNey第3軍団、ジュノーのウェストファリア軍団Junot's Westphalians、近衛騎兵師団、近衛若年師団、近衛老師団が配置。
この近衛老師団は最終予備軍とされた。攻撃陣形は全体で1.5マイルの長さにわたった。

ナポレオンは第4軍団、ジェラルドGerard師団(第1軍団)、第3予備騎兵軍団をコローチャ河の北に配置。
彼らの担当は、ボロジノ村およびラウエンスキー保塁の攻略だった。
43世界@名無史さん:01/11/18 00:46
《ロシア軍の最終準備》

ナポレオンによって与えられた猶予を利用して、ロシア軍は、9/6は終日、陣地強化と部隊の配置をおこなった。
ロシア軍は軍団単位で布陣した。全砲兵部隊は大半が総予備に回され、各軍団は砲数門のみで支援される。
各軍団のまえに2個師団づつ展開。2個連隊を残して、猟兵jagerはすべて各師団の正面に散兵線をしく。
騎兵は基本的に連隊単位で2列にならび、歩兵のうしろに配置された。

きたるべき会戦にそなえて、クトウゾフは全軍にスモレンスクの聖母の聖画を祈祷させた。
彼は兵士にむけに宣言を読み上げ、階級にかかわりなく、告戒を奨励した。
ロシア正教会司祭が聖水をまき、聖歌を歌いながら、全部隊に祝福と加護をあたえた。
これによって兵士たちは、母なるロシアの神聖な土地をふみにじる侵略者たちをおいはらう宗教的情熱を与えられた。

クトウゾフの作戦計画は、最後の命令の瞬間まで、ごく限定的なものだった。
彼の意図は、戦術の大半を前線指揮官たちの自由裁量にまかせることだった。
彼はただ、全軍団は可能な限り戦力を維持すること、砲手は弾薬を節約することのみ、命令した。
彼はとりわけ、旧ロシア軍人らしく、「基本戦術だ」と銃剣bayonetによる白兵戦を主張した。

西欧第1軍砲兵司令官コウタイゾフ将軍Gen. Koutaissofは砲兵に以下のことを命じるよう指示された

『砲手は敵を照準することなく発砲してはならない。全士官は敵が射程内にはいるまで、1歩ものいてはならない。
結果、貴官はまちがいなく撃たれるだろうが、寸土も撤退することは許されない。砲兵は自己犠牲の精神を発揮せよ。
諸君たちの怒りを敵にたたきつけよ。砲兵はこの損失に耐えてはじめて、予測される砲の損失をうわまわる犠牲を、
敵に強いることが可能になろう』
44世界@名無史さん:01/11/18 00:48
《フランス軍最終作戦計画》

9/6午後、ナポレオンのもとに、Marmon将軍がサラマンカSalamanca(スペイン)においてウェリントンWellingtonに降伏したとの急使がとどいた。
この悲報にもかかわらず、彼は各軍団の準備と作戦命令書をしたためていた。
彼はダブー軍団より新たに抽出された2個砲兵中隊に、夜明けとともに、対岸のバグラチオン保塁1号2号(the fleches )を砲撃せよと命じた。
彼はまだ三つ目の保塁(バグラチオンフレッシュ3号)の存在を知らなかった。

彼の戦闘計画は、おもに砲兵の各軍団への割り当てと配置に主眼がおかれた。
62門の大砲が、第1軍団の進撃正面に位置する敵砲兵を粉砕する。
第3、第7軍団は左翼の敵保塁に、砲40門の支援のもと共同攻撃をかける。
その間、近衛軍団の全曲射砲が敵のいずれかの保塁を砲撃する。
砲撃中にポニャトフスキー軍団は敵を南に陽動し、コンパン師団Gen. Compansは第1保塁(バグラチオンフレッシュ)を包囲すべく森に散兵線をしく。
ウージェーヌはボロジノ村に進出。モーランド将軍Gens. Morand とジェラード将軍Gerardは、ラウエンスキー角面保の占領を命じられた。

9/6午後は、こうして両軍ともに命令の準備と移動で静かにすぎた。ただロシア軍ボグダノフ中尉Lt. Bogdanovの工兵部隊は別だった。
彼らはラウエンスキー角面保の偽装を担当した。
(セミョノフスカヤ村の)解体された家の木材を材料に、彼は角面保正面の障害物の高さを2倍にした。
現場を視察しながら、ラウエンスキー将軍はいった。
『諸君。これで守りは万全だ。明日の夜明けとともに、ナポレオンはスパイをはなっても1個砲兵中隊しか発見できないはずだ。
しかし敵軍は、実質、仮想上の要塞砲火に飛び込むのだ。
敵軍の接近は200門の砲門(銃火もふくむ)によって一掃されるだろう。濠はふかく、斜面はのぼりにくい』

夜の訪れとともに、武器のぶつかる音や馬のいななきはしだいにおさまり、数万の人間が野営火のまわりで眠りについた。
空のどの方向をみても、野営のあかりで夜の底が明るかった。
両軍の数万の人間がたてるイビキ以外、静寂をやぶるものはなかった。
だが常人より神経質なナポレオンは、ロシア軍がまだそこにいるか、何回も起きては、一晩中確かめた。
結局、午前3時に起床し、占領したばかりのシェバルディノ砲台にのぼって、ついてきた幕僚にこういった。
『鼻風邪をひいたようだ。しかし太陽が昇れば暖まる。アウステルリッツの太陽が』
45世界@名無史さん:01/12/05 13:42
STAR WARS がやっぱり好きな奴の数→
http://tv.2ch.net/test/read.cgi/movie/1000464434/l50
16 :名無シネマさん :01/09/21 18:46 ID:jUXGDtss
Episode V                   エピソード5
THE U.S. STRIKES BACK          米国の逆襲

It is a dark time for the Taliban.     タリバンにとって暗黒の時期であ
る。
Although the Twin Tower has been    ツイン・タワーは破壊されたが、
destroyed, the U.S. troops have      米国軍は反乱軍を
driven the Rebel forces from their    秘密基地から追い立て、
hidden base and pursued them across   世界中を追跡した。
the world.

Evading the dreaded U.S.           オサマ・ビン・ラディンに率いら
れた
Fleet, a group of freedom          自由の戦士たちは、恐怖の米国艦
隊を
fighters led by Osama bin Laden has    逃れ、遠く離れた砂漠の世界
established a new secret base on     カンダハールに新しい秘密基地を
the remote desert world of Kandahar.   建設した。

The evil lord George W. Bush,       邪悪な支配者ジョージ・W・ブッ
シュは、
obsessed with finding young        若きビン・ラディンを
Bin Laden, has dispatched         見つけ出すことに躍起になり、
thousands of spies into           世界の隅々にまで
the far reaches of the world...       幾千ものスパイを送り出した...
46通行人:01/12/18 11:50
保全かきこ

つづけてよ
47世界@名無史さん:02/01/01 00:21
ありゃ・・・ごめん
48世界@名無史さん:02/01/01 01:06
期待age
49世界@名無史さん:02/01/01 01:07
失敗sage
50世界@名無史さん:02/01/03 00:54
キューブリックの幻の企画「ナポレオン」のシナリオっす
すいません。こっちの翻訳に燃えてしまいました。
・・・ああ。正月が終わってしまいます

http://www.indelibleinc.com/kubrick/texts/Napoleon.pdf
51世界@名無史さん:02/01/26 01:03
llllllllllllllllllllllllllllllllllllll


llllllllllllll
52倉庫がわりっす:02/01/26 15:15
Sキューブリック
シナリオ「ナポレオン」(Sep.29 1969)
◆Opening:コルシカの子供部屋
Main Title
◆(Non-title:幼年士官学校時代)
◆Title:1789-革命(p9)
◆Title:第1次イタリア遠征(p35)
◆Title:エジプト(p44)
◆Title:Coup D'Etatクーデター?(p60)
◆Title:帝国(p68)
◆Title:落日(p89)
◆Title:敗北(p99)
◆Title:フランス侵攻(p123)
◆Title:エルバ島(p129)
◆Title:セント・ヘレナ島(p145)
◆Ending
プロダクション・ノート/Nov.22 1968(p148-155)
上映時間180分(15シークエンス/1シークエンス平均12分)

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53倉庫がわりっす:02/01/26 15:16
◆Opening:コルシカのベッドルーム

テディ・ベアをかかえた4歳のナポレオンが、母レティチアに枕元で
御伽噺をきかされてる様
Na(ナレーション)とナポレオン自身のVo.(ボイス・オーバー)で生年月日と
母の無私の愛情を語る

◆Main Title

◆(Non-title:幼年士官学校時代 1779-1784)
・ブリエンヌ兵学校
冬、南国コルシカ生まれのナポレオン(9歳)が生まれて初めて氷を見て驚く様を
語る。同級のフランス人貴族子弟がこれをあざける
・ブリエンヌ農場
校庭で孤独に本を読む、コルシカの田舎者ナポレオン少年。上級生たちはこれを嘲り
喧嘩になる。とっくみあいになる
・練兵場
パリ士官学校を卒業し、16歳で砲兵少尉になる。
・砲撃訓練
つぎの3年間でナポレオンは軍事技術全般をきわめる。またdu Teil,
Bourcet,Guibert等の軍事理論(当時の砲撃技術かなにか?)を学ぶ
・南仏ヴァランス(Oct.1785)
少尉として赴任
・居室
軍事。歴史。地理。哲学の本で囲まれた陰鬱な部屋の描写。
ナポレオンのVo.で憂鬱症の人生に価値を見出せぬ青年の心境が語られる
・森にて
ナポレオン17歳。夏。初恋の人カロリーヌとの牧歌的なデート。清い恋。正直、青い山脈。
・南仏リヨンの通り
冬。ナポレオン、Lisette La Croixという名の娼婦を買う
54倉庫がわりっす:02/01/26 15:17
◆Title:1789-革命(p9)
・街角(ブルゴーニュ地方スール?)
バスチーユ襲撃直後、Varlacという革命派が300人ほどの民衆を扇動している。
そこへ3列25人横隊の中隊(鼓手1名)をひきいたナポレオンが騎馬で鎮圧にやってくる。
Varlacは民衆の力を誇示するが、ナポレオンは問答無用でVarlacを射殺し
これを静める
・パリ・テュイルリー宮殿(20 June 1792)
ジャコバン党の暴徒が、ルイ16世の寝室におしかけ、王にジャコバンの赤帽をかぶせる。
この無秩序を目撃したナポレオンの歴史的セリフをはく。
「ばかものどもめ。どうして賎民どもに王宮への侵入をゆるしたのだ?大砲ででも一掃するべきだ。
そうすれば皆、風を食らって逃げ出すだろうに」
・ツーロン港攻撃(1793 恐怖政治時代)
イギリス・スペイン艦隊が支援する反革命派最後の拠点ツーロン港。
共和派に任命されたパリの元ペンキ職人のCarteaux将軍は無能。
なかなか攻め落とせない。
そこへパリから、督戦に国民公会議員バラスが近衛兵とともに到着。
上官をとびこしナポレオンは自らの攻撃計画を、バラスに売りこみ知己をえる。
映画では、アニメーションも駆使したエギレット岬(ツーロン港を砲撃可能な戦略拠点)奪取
を主眼とする彼の作戦計画がかたられる。

戦闘場面はなく?、奪取後の岬からの港内砲撃と炎上する英国船のカットあり
・パリ・ロベスピエール邸(1794/7)
自殺に失敗したロベスピエールのカット。Naはジャコバン独裁の終結をつげる
・パリ・バラス邸サロン
娼婦もまじえた退廃的な雰囲気の中で、バラスの愛人で、ナポレオンののちの妻、
ボーアルネ子爵未亡人・ジョセフィーヌとの出会いのシーン。ポルノグラフィックな場面あり。
・パリの街頭(1795/10)
ジャコバン独裁の終焉とテルミドール反動の政治的混迷のなかで、エミグレ(亡命貴族)の暗躍もあってパリ司令官ムノウーが反革命反乱をおこす。街頭は混乱につつまれる。
・バラス邸
強硬な鎮圧を国内最高司令官バラスにつめよるナポレオン。
55倉庫がわりっす:02/01/26 15:19
・パリ、サン・トノレ街(1795/10/13)
白昼夢のごとくスローモーションで、反乱軍民衆を砲撃する国内軍副司令官ナポレオンの砲兵。
ミュラーの騎兵隊が民衆をけちらし、銃剣をかまえた歩兵がこれにつづく。
ナポレオン、Na.で残酷なまでの民衆蔑視のセリフをはく。

・ナポレオンのパリ司令部
イタリア侵攻作戦を練るナポレオンのもとに、マルモーやオージュローが出入りする。
そこへジョセフィーヌの子ウージェーヌ(16歳)が初訪問。
武装解除したパリ暴徒の没収武器のなかに、亡き父ボーアルネ子爵の剣があるはず。
形見をかえしてほしいといいだす。
・ジョセフィーヌ邸
ナポレオンは剣をさがし、それを土産にジョセフィーヌ邸を訪問。
ふたりは恋仲になり、ベッドをともにする
・公証人事務所
ふたりはささやかな結婚式をあげる
・マルセイユのボナパルト家台所。
無言で人参をきる母に、事後承諾でジョゼフィーヌとの結婚を説明するナポレオン。
ナポレオン哀願口調。母は背中をみせ無言。
・ナポレオンのジョゼフィーヌへの手紙の朗読カット。
史実に残された無数の書簡がナポレオンのV.o.で読み上げられる。
ナポレオンのやや一方的な熱愛に、ジョゼフィーヌが倦み、やがて浮気にはしる予感を
観客におもわせる内容である
・イタリア遠征軍総司令部
けんめいに妻への恋文をかくナポレオンのカット
・ジョゼフィーヌ邸寝室
手紙に目もくれぬアンニュイなジョゼフィーヌ
・ジョゼフィーヌ邸サロン
ル・クレール将軍の紹介で、ジョゼフィーヌの有名な浮気相手ヒュポリッテ・カルロス大尉登場
ふたりは、遠征準備中のナポレオンを歯牙にもかけず、ベッドをともにする
56倉庫がわりっす:02/01/26 15:20
◆Title:第1次イタリア遠征(p35)
5000人のフランス軍が行軍するスペクタクルなショットからこのシークエンスは始まる。
ナポレオン「諸君を世界一肥沃な平野につれていこう!」のVo.にかぶさり
アニメーションがイタリア遠征の作戦計画を説明する。
Na.が防衛戦争から侵略戦争への転化と、戦略機動maneuverと18世紀型戦争から19世紀型戦争の違い(荷馬車を連ねた長い補給線から、現地調達方式へ)の変遷を語る
・イタリアの小村
100人規模のフランス部隊が包囲し、住民を臨検、手紙や新聞を没収するカットや
農家を略奪し補給する(農民の平静な顔から、バリーリンドンの全く同様のカットと推測)
カットが挿入される。
・行軍
少年鼓笛隊、200人の砲兵部隊の渡河シーン、兵隊のペットの描写など
・戦場
望遠で平原でフランス軍とオーストリア軍が対峙するカット。
一斉砲撃でこれを蹴散らす様を、木の上の物見からながめながら、ナポレオンは
「The Art of War」について思いをめぐらす。それは単純かつ明瞭でなくてはならないとのこと
その間にも、フランス軍散兵が敵の逃走地点まで進出。敵を射撃。
馬匹牽引の砲兵が、近接射撃のため移動。
歩兵横隊が陣形をかえつつ、蹂躙すべく前進する。
騎兵はtrots(遅がけ?)でその側面をまもり、突撃のチャンスを狙い、
軍楽隊は音楽で戦場をみたす。
士官たちは優雅な姿勢で、横隊の脇をあるく。

このような攻撃陣形を維持し、ゆっくり近づくことは、敵を威圧し、銃剣突撃より
防御側の士気をくじくのに効果がある。

彼我の距離が100ヤード(90m)をきったとき、司令官はHymn to Victory(勝利の賛美歌?)
を唱和し、3色の飾りのついた大きな花形帽章をかぶる。そして抜刀し、全部隊から見えるように、
敵を指し示し前進を続ける

彼我の距離が50ヤード(45m)をきったとき、オーストリア軍は最初の斉射をおこなう。
第1斉射は低く。第2斉射も低く。第3斉射も低く。

フランス兵はあちこちでばたばたと倒れるが、陣形も歩速もみだれることなく前進をつづける。

そろそろ戦闘の帰趨をきめる分岐点である。防衛側は逃げるか、踏みとどまり
攻撃側を斉射し、銃剣突撃に備えるか決めねばならない。
防御側にこれをくりかえす時間的余裕はない。

いまやフランス軍横隊は20ヤード(18m)の距離まで接近してるが、なおも射撃は
しない。そのように訓練されているからだ。
理由は、停止して発砲後マスケット銃を装填している間に、横隊の攻撃精神がおちてしまうからである。
横隊は敵・防衛側の自壊と逃走を待つ。

オーストリア側でついにパニックがはじまる。横隊が乱れ逃走がはじまる。
フランス軍は歩速を乱すことなく、なおも前進をつづける。
オーストリア軍の後衛で潰走がはじまる。
フランス軍士官たちの剣の合図で、鼓手が突撃太鼓をたたく。
空は突貫の喚声でみたされる。

騎兵が突撃し、逃げるオーストリア歩兵を背中からきりつける。
フランス軍の勝利である。
潰走するオーストリア歩兵に対して、フランス軍歩兵横隊は、その日、はじめて
一斉射撃をあびせる
57倉庫がわりっす:02/01/26 15:21
・ミラノ
市街を凱旋するフランス軍。街は三色旗と歓声でおおわれている。
(※ミラノはアンシャン・レジームに反対する啓蒙主義国民軍の支配化だった)
Na.がナポレオンのパリ総裁政府へのロンバルディア征服の報告と、イタリア軍政における
彼の絶大な権力を語る。
ナポレオンの自信に満ちた豊富がVoではいる
・ミラノ夜・寝室
ジョセフィーヌとナポレオンのベッドシーン。
ジョゼフィーヌのVoでナポレオンから愛人イポリットへの心移りが語られる
・ミラノ・ナポレオン公邸
ジョゼフィーヌの愛人イポリット大尉(24歳)とナポレオンが出会う。
ナポレオンは大尉を検分する。
ジョゼフィーヌの女中(※ルイーズ・コンポワン)からの密告の手紙により、彼は妻と大尉の浮気を疑っている。
しかし兄ジョゼフとジュノーに相談すると、密告なんか信じるなといわれ、彼らはあえて目をつぶることに擦る。(※ちょっとシュニッツラーの夫婦小説っぽい)
58倉庫がわりっす:02/01/26 15:21
◆Title:エジプト(p44)
・スフィンクス(1798/7/19?)
スフィンクスを背にナポレオン、ウジェーヌ、ジュノー、マルモン、ミュラーや科学者たちがたたずむ。
Naが「1798/6/2、4万の軍隊とともにエジプトに上陸したフランス軍の遠征も経緯(英国侵攻の代替案)」を語る
・ピラミッド(7/19)
朝日のなかで輝く、ギゼーのピラミッド群。
Naがスエズ運河掘削の事前調査もふくめた仏エジプト遠征学芸委員会の業績を語る
・ロゼッタストーン(7/19)
ヒエログラフ文字(古代エジプト象形文字)の遺跡をまえに少年鼓笛手が「共和国よ永久に」を
叩いている。カメラがひくと、兵士たちが古代文字をきりとっている姿がうつる

・砂漠(7/21 ピラミッドの戦い)
カメラはマムルーク騎兵の襲撃をうけつつあるフランス軍師団の方陣(※行軍中)のなかにはいる。
四辺は3列の横列歩兵で構成され四隅に砲兵が配置されている。
方陣のなかはフットボール競技場ほどの広さである。
中心には、ナポレオンや幕僚たち、科学者(学芸委員会)たちがヨーロッパの厚ぼったい服装のまま
日傘をさしラクダにまたがってる

方陣のそとでは、マムルーク騎兵が決死の突撃をくりかえし、そのたびにフランス戦列歩兵のマスケット銃で撃退される。
ただしカメラはあくまで方陣のなかからだけで、フランス歩兵の頭の上から、かすかにマムルーク騎兵がのぞくだけである。
ナポレオンは学芸会員モンジュ(※解析幾何学の権威ガスパール・モンジュ伯。のちの理工科大学学長)
「マムルウク軍団頭領ムウラッド・ベイ」は人命の計算が出来ない」
と方陣の全能と敵突撃の愚を笑う。

画家のヴィヴィアン・ドノンが戦闘を懸命にスケッチしている。ナポレオンは絵をのぞきこみ、
これを所望する。

・ギゼーのムウラッド・ベイ邸 夜宴(同日 夜)
ピラミッドの会戦に勝利したナポレオン軍。
カイロ入城を目前にして、逃走した敵の総大将の別宅を本営に、ミュラ、マルモン、ベルティエ、モンジュの幕僚たちが祝宴をひらく。
しかしナポレオンは加わらない。
彼は別室で副官ブリエンヌとともに公務をつづける。彼の机には常時2ft(60cm)の高さの手紙、公文書、報告書が処理をまっている。
ナポレオンは兄へ、ポナパルド家とジョゼフィーヌの反目を解消してほしいと懇願の手紙を後述している。
泥酔状態のミュラがやってきて、反目の原因はジョゼフィーヌの浮気だといってしまう。
判ってはいたがショックをうけるナポレオン。

そこへブリエンヌが「ネルソン艦隊がアブウキール沖でフランス艦隊を撃破。仏提督ブリュエイは戦死。喪失艦11隻」の急報をつげる。
(※アブウキール海戦1798/8/1)

・南仏トゥーロン東方フレジュス港(1799/10/9)
1年後。
Naがエジプト遠征軍から単身脱出、6週間かけてフランス本土に帰還したナポレオンの姿を描写する。フランスは経済的混乱と対仏同盟軍による本土侵攻の予感におびえる時期、彼の帰還は熱狂的歓迎をうける。

総裁政府の五頭目のひとりゴイエが、ナポレオンの単身帰国をなじるが、ナポレオンは詭弁でこれを誤魔化す。
(ナポレオン、セリフでアプウキール海戦敗北から、シリア遠征、対トルコ戦闘、そしてアブウキール陸戦の勝利を語る。彼は、フランス艦隊潰滅後、欧州と連絡がとれなかった。
英海軍シドニー・スミスとの休戦交渉(1799/June-Aug.)のさい、マルモン将軍経由でうけとった独新聞(※『仏版フランクフルト新聞』と『ロンドン・フランス通信』)で、第2次対仏同盟の成立を知り、急遽、帰国を決意した)

Na。がナポレオンがフランスの権力を掌握したプリュメール18日のクーデタ(1799/11/9)にいたる総裁政府の政治力学を語る(※省略)

・パリ市内。
ナポレオンと兄ジョゼフが馬車で密談。
内容は妻との離婚。兄は「いまは権力奪取の重要な時期だからやめろ」と諌める。
「どうせ、本気じゃないんだろ?」

・ジョゼフィーヌ邸鏡の寝室・夜
ナポレオンとジョゼフィーヌ。浮気をめぐり、離縁も視野にいれた夫婦の陰鬱な会話。
結局、別れられない
59倉庫がわりっす:02/01/26 15:22
◆Title:クーデター(p60)
・パリ深夜。某サロン
ナポレオン、シェイエスとロジャ・デュコス(ともに総裁政府総裁職)、ジョゼフ(ナポレオンの兄)、
リュシアン・ポナパルド(同次兄)、タレイラン(のちの帝政時代の外務大臣)と、プリュメール18日の
陰謀家たちがつどう
・パリ昼間。フーシェ邸
Naが総裁政府警察大臣フーシェ(のちの帝政警察長官)が、クーデターの原案を練るようすを語る
・深夜
寝巻き姿のフーシェの元に、明1799/11/9(革命暦8年プリュメール18日)、午前7時の元老院緊急召集の報せがはいる。むろん、クーデター派の陰謀である。すべて予定どうりである。

・元老院(上院)(1799/11/9)
シェイエス(※史実ではその腹心のレニエ議員)がジャコバン過激派の政府転覆の陰謀が発覚を報告。
反対派議員欠席のうちに、「議会を保安のためサン・クルーに移転すること」と「ポナパルド将軍を本決議の執行と警護にあたらせること」の2法案を可決させ、合法的クーデターへの道をひらく
・パリ市内
議場警備のためにチュイルリー宮にむけて行進するミュラーの騎馬部隊
・バラス私邸サロン
総裁政府の実力者、ナポレオンのツーロン港における後見人だったバラスが、タレイランとポナバルド派士官の見守るなか、死の脅迫をもって辞表に署名させられる。
・リュクセンブルグ
おなじく陰謀に加わらなかった総裁ゴイエとムイエは、豪華な昼食つきで、やはり軍に軟禁されている。
60倉庫がわりっす:02/01/26 15:30
・下院議場(1799/11/10)
軍部独裁クーデターにジャコバン派議員デルベルが猛烈な、巻き返し演説をおこなっている。
下院議長リュシアン(ナポレオンの弟)が、懸命に議長権限で発言をおさえようとするが演説がやまない。
・下院サロン(同時刻)
ジャコバン派はナポレオンをはじめとするクーデター議院の法外追放
(オール・ラ・ロワ 逮捕。即決裁判、24時間以内処刑)の動議を提出しようとしている。
シェイエスは「ギロチンだ!」とパニックにおちいるが、ナポレオンはリュシアンの薦めにもかかわらず、軍隊の議会突入に迷っている
・下院議場
擲弾兵に守られナポレオンが入城するが、ジャコバン派議員たちの「軍人独裁を許すな」の野次と拳に圧倒されてしまう。
「ナポレオンを法外追放しろ!」
の動議に彼は蒼白になる。議員たちに床にたおされ蹴られるナポレオン。擲弾兵たちは懸命に彼を議場の外に救出する。
・下院議場
もはや、実力行使のみ。ミュラーに率いられた議場警護隊が進軍太鼓とともになだれこんでくる。
彼は銃剣をふりかざし、議会を散会させる。これにはさすがの議員たちも、かなわず退散する。
・下院(夕刻)
警護兵に囲まれた傷だらけのナポレオン。ともかくクーデターは成功した。
ミュラが議会の解散を告げる
・サン・クルー(※ 同日夜9時)
上院議員の大半と、居残った下院議員の手により総裁政府の解散と臨時執政府の成立が議決される。
ナポレオンは神経質な顔で、執政府第1頭領に就任する。
Naが第2、第3頭領のシェイエス、ロジェ・デュコの有名無実と30歳にして、彼が、独裁権を握ったことをつげる。
61倉庫がわりっす:02/01/26 15:31
◆Title:帝国(p68)
・テュイルリー宮(1804年)
ボール紙製の人形をならべたノートルダム寺院の模型をまえに、ナポレオンやジョゼフィーヌ、側近たちがきたるべき戴冠式の式典打合せをしている。画家ジャック・ルイ=ダヴィド(※「皇帝ナポレオン1世と后妃ジョゼフィーヌの戴冠式」の作者)もこれに参加している。

Na.「(クーデタから)5年たった。ナポレオンは国家の経営、管理、組織に天賦の才をしめした。
彼は効率よい安定した行政府をつくりあげ、経済をたてなおした。
ヴァンデーの宗教反乱を終了させた直後(※反乱指導者ベルニエ司祭を、ナポレオンは帰順直後からローマとの交渉担当にあてた)、ローマ法王ピウス7世とconcordat(政教和議の条約 1801/7/15)を結んだ。

左右両政治勢力の対立をやわらげ、才能に応じた公職登用への道をひらくとともに、
彼は亡命貴族の追放解除
(※1802/2 「革命は終了した」の原則のもと国外追放貴族名簿145000人を3300人に縮小)、
さらには革命期の生き残りの政府への登用もおこなった。
彼は革命の、社会的、物質的成果を保護することで、既成の秩序を破壊し、国家の近代化をはかった。これらの変化により、彼はブルボン家よりはるかに強力な独裁権をえた」

・ノートルダム寺院(戴冠式1804/12/2)
法王ピウス7世がシャルルマーニュ大帝の王冠をかぶせようとすると、ナポレオンはそれをとり自ら戴冠してしまう。つづいてひざまづくジョゼフィーヌに王妃の冠をかぶせる。

ナポレオンがV.o.で、皇帝用の王座とそれを囲むアームチェア6座製作のために60万フランの国庫支出をDurocデュロックに命じる声がかぶさる。(※ちなみに戴冠式の費用は600万フラン)
62倉庫がわりっす:02/01/26 15:32
・チュイルリー宮・晩餐会
貴紳・閣僚たちのいならぶ晩餐会。ナポレオンは得意満面に一同に「革命は常に失敗する」という持論を展開している。
ナポレオンは
「社会改革と維持は個々の人間が本来、性善であるという希望的観測に頼っている。
しかし人間の本性は貪欲である。善意にたよる革命はかならず失敗する」
性悪説を展開。
タレイランが
「陛下は人間というものに冷笑的だ」
と非難すると、
「わたしは美点を発見しようと思わないね」
とこたえる

(※ 多少、浅薄の印象をうけるセリフだが、ヴァンデミュールの虐殺におけるナポレオンの大衆蔑視にもとづく
キューブリックのオリジナルと推測される内容である。人間の行動を欲望に還元する機械論的世界観はデカルトの二元論的哲学に端をはっする。
キューブリックはこの手のヴォルテール風世界観が好きで時計仕掛けのオレンジ等でも、主題としている )

・チュイルリー宮・クローゼット
このあと、人間の欲望むきだして、ナポレオンは列席のタレイラン夫人を別室にさそいこみ誘惑、手篭めにしようとする寸劇がつづく。
晩餐会から消えた夫とタレイラン夫人を不審に思い、ジョゼフィーヌが密室の扉をたたくが、ナポレオンは「5分で戻る」と扉越しに誤魔化す。
不承不承、ジョゼフィーヌが去ると、じゃ5分ですまそうと、ナポレオン、ふたたびタレイラン夫人に挑む。

・チュイルリー宮・ジョゼフィーヌの寝室 夜
夫の浮気を怒りジョゼフィーヌは涙するが、もはや昔日の純真なナポレオンではない。
皇帝ポナパルドは、「タレイランの妻と寝るだと?何をバカな」と強引にごまかす。
「わたしはもはや、自由なのだ。」
と妻との過去の拘泥にわかれをつげ、ついでに「ベッドもべつにしよう」と提案する。
驚くジョゼフィーヌ。
ナポレオンはさすがに強くではないが、妻の懇願にもめげず自説を通す。

・チュイルリー宮・後日の夜。
ナポレオンが別居中の妻をたずねる。ジョゼフィーヌは喜んで迎えて、ナポレオン2世受胎のための努力を話す(医者や薬)。
ジョゼフィーヌはじつは不妊症である。
ナポレオンは怒り、妻への見限りを感じる。
63私見っす:02/01/26 15:45
(※ ジョゼフィーヌの不妊症は重大である。ブルボンを国民の総意のもとに廃絶した
共和国憲法を改正Senatus-Consultesiし、第1頭領ナポレオンは世襲皇帝となったが、
事実は、『路傍にころがっている王冠を剣先でひろあげた』無主物占有にすぎない。
カペー朝以来、王権はフランスにおいて「神の恩寵」と「出生の権利」のふたつにもとづくが、
ナポレオンには正統を明かす「王者たる出生の権利」が不在である。彼はジョゼフィーヌと離縁し、
欧州王室との縁組を検討を始める・・・)

ちなみにナポレオンの皇帝就任は頻発する王党派・ジャコバン派・反革命派の第1頭領暗殺計画に、
共和政体の存続がひとえに彼の手腕に頼っている頭領政府として、
「<世襲王朝(=ナポレオンひとり殺しても共和政はくずれない)>にすれば、暗殺はやみ、ひいては共和政も護持される」との
発想でおこなわれた。
むろんナポレオン自身の闇雲な権力欲も否定できないが、「革命の守護者としての専制君主」という倒錯はちょっと面白いと思う。

で、ナポレオン2世の出産がいそがれるわけで、そのためにジョゼフィーヌとあえて離婚するわけだが、
じつはロシア遠征の留守のとき、パリで共和派マレー将軍の王党派と合同のクーデター未遂事件(1812/10/23)が発生する。
ナポレオンがロシアで死亡し臨時政府が樹立されたとする偽のSenatus-Consultesi(すまん。前述だがフランス語わからん)
を触れ回って、あやうくパリが制圧されそこねた事件だが、このとき、誰も
「ナポレオン死亡時の後継者ナポレオン2世(ローマ王)」を思い出さなかったのですね。

彼の王朝の危うさをしめす一事件です
64世界@名無史さん:02/01/27 04:48
・英国の原野
ジョージ3世が赤服英国部隊を閲兵している。
Na.が1069年から100年戦争をふくむ計152年にわたる英仏抗争史を語る。
(※シナリオでは1069年だが、
征服王ウィリアム1世がヘイスティングズの戦いに勝ちイングランド王になったのは1066年。
デーン系貴族とヨークの街の支配権をめぐって抗争したのが1066-68)
Na.はさらにアミアンの和約(1802)のさなかにも海上覇権をめぐり、英仏の衝突の必然性を説く。

・ドーバー海峡(フランス側)
ナポレオンとその取り巻きが、沖合いのイギリス艦隊を検分している。
彼方にドーバーの白い崖(英国本土)がのぞめる
アニメーションが、ナポレオンの海洋戦略を解説はじめる。
Na.「ナポレオンはフランス艦隊をふたつに分け
(※ヴィルヌーブのツーロン艦隊とガントムGanteaumeのブレスト艦隊)、
優勢な英国艦隊をまず西インド洋におびきだし、同時に英仏海峡に再集結して、
(※ブローニュ駐留の侵攻軍渡洋のための)海峡制海権をとるよう指示した。
そもそも実現性の低い計画だった。結果的に、これはトラファルガー海戦の大惨劇を生んだ」

・海底
フランス船2隻の沈没のショット

・Adomiralの船室
水没した部屋を漂うフランス軍Adomiralの死体のカット。
(※ちなみにフランス艦隊指揮官ヴィルヌーブVilleneuve,Pierre Charles Jean Baptist deは1806年に自殺。
シナリオのAdomiralが誰かは筆者には不明)

・閲兵式(オーストリア)
楽観的なオーストリア皇帝フランツ2世が彼の白服部隊を観閲している。
Na.が英国海軍によるトラファルガーの戦勝と、ロシア、およびオーストリアとの第3次対仏同盟による英本土侵攻の失敗を語る。
オーストリアはナポレオンのイタリア併合(※1805/3/17 パリにおいて諮問会議が彼のイタリア王即位を宣言)に抗して、
フランスと戦争状態に突入する。

・閲兵式(ロシア)
憂鬱症のロシア皇帝アレキサンドル1世(29歳)が緑服部隊を観閲している。
Na.が彼の24歳の若さでの即位と、その原因となった父パーヴェルの近衛兵による惨殺
(※1801/11 対仏接近のため主流派親英ロシア貴族によるクーデタ)、
そしてヨーロッパの覇権をめぐるナポレオンのライバルとしての登場を語る。

・アウステルリッツ会戦(※1805/12/2)
ロシア皇帝が呆然とたっている。側近たちは、皇帝に距離をもち、彼を囲む。
(※おそらくキューブリックお得意のカメラがひくショットで徐々に全景がはいり)
さらにその周囲には、見渡すかぎり、会戦におけるロシア軍の犠牲者が倒れている。

Na.が戴冠式(1804/12/2)のちょうど1周年におこなわれた会戦におけるロシア軍の大敗を語る。

・ナポレオンの野戦司令部(※アウステルリッツ 1805/12/4)
50騎のオーストリア軽騎兵をつれて、フランツ2世が露営のナポレオンを訪れる。
丘の上にフランス軍騎兵が整列。軍楽隊が歓迎の吹奏をおこなう。
これはナポレオンと主要な欧州君主とのはじめての会合である。

ナポレオンはやっと会えたと挨拶をし、フランツ2世は会うのが怖かったと述べる。
オーストリア皇帝は風邪を引き、会話のなかではげしく咳き込む。
ナポレオンはブランディを薦め、焚き火に薪をもっとくべるよう兵士に命じる。
(※会話自体は、ごく平凡な社交辞令。
キューブリック映画におけるシャイニングのニコルソンのホテル支配人面接や、
2001年月面基地における会議同様、無意味に近い会話か?)
(フェイドアウト)
65世界@名無史さん:02/01/27 04:49
・フランス大使館(ベルリン)
プロシア近衛兵が整列し、フランス大使の赴任を祝っている。
Na.がアウステルリッツ戦後のオーストリア・ロシア連盟の有名無実化と
ドイツにおけるナポレオンの影響力の増大(※彼お手盛りのライン連邦のこと)を語る

・練兵場
プロイセン王妃ルイザとヴィルヘルム王が、プロイセンの青服部隊を閲兵している。
Na。が反仏派王妃の好戦的性格と王のお飾り的性格。
および彼らがいまだ、フレデリック大王の頃のプロイセン軍の栄光がナポレオンに抗しうると信じていること。
ヴィルヘルム王が60種類もの特注軍服をこさえ、
さらに個人的にプロイセン軍の制服をデザインしていることも語る。

ナポレオンはVo.でこれを皮肉る。
「もしイェナ・アウエルシュタットでフランス軍が洋服屋に指揮されていたら、
プロイセン王が確実に勝利したことだろう」

・オペラハウス
ドン・ジョバンニを観覧するナポレオン。そこへタレイランからの急報が届く。
「プロシア外相Haugwitzから、開戦の危機が迫っていると通告を受けた」と。
(※Haugwitz, Chretien-Henri-Charles de (1752-1832)
Fragment des memoires inedits du comte de Haugwitz,
ministre d'etat et du cabinet de S.M. le roi de Prusse.
Reimpression tire du journal La Minerve (Jena, 1837))
ナポレオンは舞台にめをむけながら、腕を組んでじっと対プロシア戦略を練る・・・。

Na「プロシアは前年(※1805アウステルリッツ会戦のこと)、
オーストリアがロシア軍の到着を待たず単独でフランス軍と決戦したのと同じ過ちをくりかえした。
7日間の激戦の後、プロシア軍は壊滅的打撃をうけた」
(※何をさして7日間は筆者には不明。大陸軍がフランケンヴァルトの森でブラウンシュバイク軍と対峙したのは10/8。
イェナ・アウエルシュタット会戦は1806/10/14。この期間か?)
66万子:02/02/08 01:42
A long long ago,
昔々の大昔、
Far away space,
遠い空の向こうで、


そんなこと、実話かどうかわかるわけが無い。
古史古伝の類でしょ。
67世界@名無史さん:02/02/24 02:02
つまり東日流外三郡史とか竹内文書とかそういう奴みたいなのか。
68世界@名無史さん:02/03/09 00:10
主人公は、伏見工業高校のラグビー部監督の山口先生だ。「泣き虫先生」と言うのは本当のあだ名だそうです。
よく感極まってなくとか。
69中華@名無史さん:02/05/06 22:08
保全age
70世界@名無史さん:02/05/06 22:11
ダースベーダーの服が伊達政宗の鎧をもとにデザインされた
という話は聞いたことがある。
71    :02/05/06 23:00
ヨーダはジョージルーカスが通っていた学校の恩師である、日本人の依田
という人からとったというのは有名な話。
72世界@名無史さん:02/05/07 03:53
いや・・・依田伝説はもしかしたらリップサービスのような気が・・・
73世界@名無史さん:02/05/07 04:05
実話です
「A Long time ago,In a galaxy far far away...」
で実際に起きた戦いのノンフィクションです
74蛍雪ジェダイ:02/05/07 04:07
わたし、暗黒卿の子供なら喜んで孕みます
75世界@名無史さん:02/05/07 05:14
確かに実話なんだけどな。
劇中のタイファイターの多くが翼端TSRe3を装備しているのはおかしい。
翼端TSRe3はデススター修復期の暫定装備であって、
それ以前のタイファイターにはHRSDしか付いてないはず。

ちょっと詳しく帝国史をやった人なら誰でもわかるはずの考証ミス。
その他にもいろいろあって結構萎え〜
76世界@名無史さん:02/05/08 00:18
>75
ああ、宇宙史詳しい人はみんなそう言うね
俺が聞いたのでは
エピ4のモス・アイズリーで当時まだ開発されてないはずの
ドロイドがいるって
77世界@名無史さん:02/05/09 02:13
>>76
DF0002の事だったらそれはデマ。
モス・アイズリーで実験的に投入されていた。
くわしくは「銀河帝国興亡史」第二巻(創元版)を精読のこと。
78世界@名無史さん:02/05/09 13:33
>77
確かに帝国軍タトゥイーン軍管区直属のドロイド公社が
がエピ4の三ヶ月前から管区内の主だった都市でテストを開始してるね
79川俣軍司:02/05/10 05:14
よもやこのスレが再浮上するとは思わなかった。
何が起こるかわからないのが世界史板だ。
80世界@名無史さん
飛んだらやけに下がっているなぁ〜