「スターウォーズ」って実話だったんですか!?

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42世界@名無史さん
《9/5 Shevardinoの戦い》
(省略)

《会戦の準備》
9/5夜から9/6早朝にかけて、ロシア軍幕僚はきたるべき大会戦の展開を熱心に討議した。
イェルモロフYermolovはシェヴァルジノ保塁をさして「防御および維持にまるで意味はない」と主張した。
彼は、孤立拠点の攻撃はフランス軍には容易かつ危険なくおこなわれるであろうと率直にのべた。
バルクライもこれに同意し、攻撃が行なわれる前に、友軍は拠点を放棄しすみやかに撤退すべきと主張。
バグラチオンは撤退には猛反対したが、おそらく彼が拠点位置を選定したことと、面目のためであると推測される。
結局、シェヴァルジノの放棄が決定されたのは、深夜だった。


幕僚たちはさらに、側面包囲の危険のある、スモレンスク旧道の配備の弱点について議論した。
ベニグセンとクトウゾフはモスクワ市民軍の手により(左)側面をささえるのは可能であり、
万が一、突破されそうになっても、これを第3歩兵軍団の支援により補完できるとかたく信じていたのだ。

フランス軍の本営においてはそのような方針の分裂はなかった。9/6夜明け、ナポレオンは再度、ロシア軍の布陣を調査した。
とくにロシア軍左翼および中央に弱点はないか、ロシア全軍がみえる敵の前哨地点ぎりぎりまで、彼は出かけた。
ポニャトフスキーは南において、ほとんど敵の抵抗が無かったことを報告した。
しかし皇帝はロシア軍左翼に対して、大側面包囲をこころみる戦術には躊躇していた。

ナポレオンは、バグラチオン軍と(仏軍にたいして)右翼のロシア第3歩兵軍団のあいだに間隙がないか、2回目の敵陣偵察をおこなった。
彼がボロジノの対岸の丘に立つと、ダヴー元帥Marshal Davoutが上ってきて、 第1、第5軍団によってロシア軍左翼を側面包囲するよう提案した。
おそらくその結果は、ほぼ確実にロシア軍左翼の壊滅できるであろう。しかしナポレオンは側面包囲にかかる時間で、
ふたたびロシア軍が決戦をさけて後退するか、あるいは軍を分割することでロシア軍の逆襲をうける可能性を恐れ、このアイディアをしりぞけた。
彼が必要としたのはただ一度の攻撃でロシア全軍が潰滅するような大勝利だったのだ。

ナポレオンの攻撃最終計画は9/6の残りまるまる1日をかけてようやく決定された。
彼は、ポニャトフスキーの第5軍団をスモレンスク旧道沿いに限定的な側面包囲をおこなわせ、
そのあいだに主力軍をロシア軍戦線中央にぶつける腹だった。彼は攻撃のために、第1軍団3個師団、第1第2第4騎兵軍団(予備)、計85,000を打撃軍として編成した。
第1軍団のうしろにネイNey第3軍団、ジュノーのウェストファリア軍団Junot's Westphalians、近衛騎兵師団、近衛若年師団、近衛老師団が配置。
この近衛老師団は最終予備軍とされた。攻撃陣形は全体で1.5マイルの長さにわたった。

ナポレオンは第4軍団、ジェラルドGerard師団(第1軍団)、第3予備騎兵軍団をコローチャ河の北に配置。
彼らの担当は、ボロジノ村およびラウエンスキー保塁の攻略だった。
43世界@名無史さん:01/11/18 00:46
《ロシア軍の最終準備》

ナポレオンによって与えられた猶予を利用して、ロシア軍は、9/6は終日、陣地強化と部隊の配置をおこなった。
ロシア軍は軍団単位で布陣した。全砲兵部隊は大半が総予備に回され、各軍団は砲数門のみで支援される。
各軍団のまえに2個師団づつ展開。2個連隊を残して、猟兵jagerはすべて各師団の正面に散兵線をしく。
騎兵は基本的に連隊単位で2列にならび、歩兵のうしろに配置された。

きたるべき会戦にそなえて、クトウゾフは全軍にスモレンスクの聖母の聖画を祈祷させた。
彼は兵士にむけに宣言を読み上げ、階級にかかわりなく、告戒を奨励した。
ロシア正教会司祭が聖水をまき、聖歌を歌いながら、全部隊に祝福と加護をあたえた。
これによって兵士たちは、母なるロシアの神聖な土地をふみにじる侵略者たちをおいはらう宗教的情熱を与えられた。

クトウゾフの作戦計画は、最後の命令の瞬間まで、ごく限定的なものだった。
彼の意図は、戦術の大半を前線指揮官たちの自由裁量にまかせることだった。
彼はただ、全軍団は可能な限り戦力を維持すること、砲手は弾薬を節約することのみ、命令した。
彼はとりわけ、旧ロシア軍人らしく、「基本戦術だ」と銃剣bayonetによる白兵戦を主張した。

西欧第1軍砲兵司令官コウタイゾフ将軍Gen. Koutaissofは砲兵に以下のことを命じるよう指示された

『砲手は敵を照準することなく発砲してはならない。全士官は敵が射程内にはいるまで、1歩ものいてはならない。
結果、貴官はまちがいなく撃たれるだろうが、寸土も撤退することは許されない。砲兵は自己犠牲の精神を発揮せよ。
諸君たちの怒りを敵にたたきつけよ。砲兵はこの損失に耐えてはじめて、予測される砲の損失をうわまわる犠牲を、
敵に強いることが可能になろう』
44世界@名無史さん:01/11/18 00:48
《フランス軍最終作戦計画》

9/6午後、ナポレオンのもとに、Marmon将軍がサラマンカSalamanca(スペイン)においてウェリントンWellingtonに降伏したとの急使がとどいた。
この悲報にもかかわらず、彼は各軍団の準備と作戦命令書をしたためていた。
彼はダブー軍団より新たに抽出された2個砲兵中隊に、夜明けとともに、対岸のバグラチオン保塁1号2号(the fleches )を砲撃せよと命じた。
彼はまだ三つ目の保塁(バグラチオンフレッシュ3号)の存在を知らなかった。

彼の戦闘計画は、おもに砲兵の各軍団への割り当てと配置に主眼がおかれた。
62門の大砲が、第1軍団の進撃正面に位置する敵砲兵を粉砕する。
第3、第7軍団は左翼の敵保塁に、砲40門の支援のもと共同攻撃をかける。
その間、近衛軍団の全曲射砲が敵のいずれかの保塁を砲撃する。
砲撃中にポニャトフスキー軍団は敵を南に陽動し、コンパン師団Gen. Compansは第1保塁(バグラチオンフレッシュ)を包囲すべく森に散兵線をしく。
ウージェーヌはボロジノ村に進出。モーランド将軍Gens. Morand とジェラード将軍Gerardは、ラウエンスキー角面保の占領を命じられた。

9/6午後は、こうして両軍ともに命令の準備と移動で静かにすぎた。ただロシア軍ボグダノフ中尉Lt. Bogdanovの工兵部隊は別だった。
彼らはラウエンスキー角面保の偽装を担当した。
(セミョノフスカヤ村の)解体された家の木材を材料に、彼は角面保正面の障害物の高さを2倍にした。
現場を視察しながら、ラウエンスキー将軍はいった。
『諸君。これで守りは万全だ。明日の夜明けとともに、ナポレオンはスパイをはなっても1個砲兵中隊しか発見できないはずだ。
しかし敵軍は、実質、仮想上の要塞砲火に飛び込むのだ。
敵軍の接近は200門の砲門(銃火もふくむ)によって一掃されるだろう。濠はふかく、斜面はのぼりにくい』

夜の訪れとともに、武器のぶつかる音や馬のいななきはしだいにおさまり、数万の人間が野営火のまわりで眠りについた。
空のどの方向をみても、野営のあかりで夜の底が明るかった。
両軍の数万の人間がたてるイビキ以外、静寂をやぶるものはなかった。
だが常人より神経質なナポレオンは、ロシア軍がまだそこにいるか、何回も起きては、一晩中確かめた。
結局、午前3時に起床し、占領したばかりのシェバルディノ砲台にのぼって、ついてきた幕僚にこういった。
『鼻風邪をひいたようだ。しかし太陽が昇れば暖まる。アウステルリッツの太陽が』