世界史に見る落ち武者狩り

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1世界@名無史さん
「七人の侍」とかに見えるように日本では
農民も虐げられていただけでなく、
世界史にみて図太く生きている現象というのは見られるのですか?
日本だけの現象なのでしょうか?
2世界@名無史さん:01/09/27 20:15
「日本で農民は普段虐げられてたけど非常時には落ち武者狩りしてた」
現象は世界的に見られるものか?なる設問だと理解してよろしいのでしょうか。

その前に、無知なものでご教授頂きたいのですが、
「日本の農民の実態が普段虐げられ、
非常時には落ち武者狩りをして図太く立ち回るっていた」という性格付けは
歴史的事実として証明されているのでしょうか?
3世界@名無史さん:01/09/27 20:24
>>2
「落ち武者狩り」や野武士というような言葉が存在するってことは
それなりによく見られる光景だったことをある程度証明されていることになるのではないか?
専門家でないが改めて否定する材料が無いのでなんともいえんが
4:01/09/27 21:22
「落ち武者狩り」ってそういう意味だったのか。
なんとなく、敗残兵を農民が捕らえ突き出して褒章を貰う、というイメージを
持っていました.

個人的にスレタイトルを見て思い出したのが
追放されたジロンド党議員たちが農民たちに狩られて
悲壮な最期をとげた事件でした.
5アマノウヅメ:01/09/27 21:44
日本の農民はさほど虐げられていないと思います。
戦国時代までは大百姓=武士の頭領でしたし。
豊臣秀吉が刀狩・検地を行ったのは農民の怖さを知っていたからでしょう。

非常時に儲かる事をやるのはどこも同じです。
日本の農民はふだん虐げられてなかったので平気で儲かる仕事をできたはずです。
6世界@名無史さん:01/09/27 22:24
「贅沢を禁じたのは、贅沢を出来るだけの余力があったからだ」
7ガージー:01/09/27 23:42
なんせ日本の農民は戦争ばっかしてる領主を追い出して自分達で、
国を治めることがあったぐらいだからなー
8世界@名無史さん:01/09/28 00:01
ナチハンターによる親衛隊狩り
9シモン・ヴィーゼンタール:01/09/28 00:03
>>8

おれもそれ、今いおうと思った
10:01/09/28 00:44
ここだけのはなし、ちょこっとおしえて。
「カムイ伝」の世界ってちょっと誇張されすぎじゃないの?
11リトル愚礼@ロズウェルのアレ:01/09/28 00:57
>>10さん
…あの漫画が書かれたころは、まだ
階級闘争史観に偏(以下略)
12:01/09/28 01:04
まーマンガ読む人たちはいいんだけどさ、
日本史研究者も時代や立場によって編(中途略)?
13世界@名無史さん:01/09/28 01:15
ティターンズによるジオン残党狩りなんかもある。
無論、アニメの話だけど設定としては解り易い。
14世界@名無史さん:01/09/28 01:36
・・・さーて。
15世界@名無史さん:01/09/28 14:10
百姓やユダヤ人&ロマによる戦場荒らしは結構あったようだ…
現代でも戦場跡は荒らされている…きっとアフガンで戦場成金が登場するよ…
16世界@名無史さん:01/09/28 14:15
「ワーテルロー」いう映画でも、ラスト、戦場後の略奪者あらわれるね。

上野寛永寺戦争後も、江戸市民が、半死半生の彰義隊兵士から金品を略奪する
という記録が山ほど残ってます。

おれも近所で戦争があったら、確実にやるな(笑)
17世界@名無史さん:01/09/28 14:22
>>16
日本では1972年に旅客機成金がいたよ…
イーベイではWTCの破片販売禁止になったな…$100.00以上
の値がついてた
18世界@名無史さん:01/09/28 14:47
昭和47年の旅客機成金って誰?
児玉誉士夫?
19世界@名無史さん:01/09/28 19:47
age
20T・S:01/09/29 02:49
 日本では落ち武者って言うか、敗残の兵士を捕らえて売り買いする商売が成り立っていたんだそうな・・・・・・。
21世界@名無史さん:01/09/29 13:53
age
22アマノウヅメ:01/09/29 15:35
日本では落ち武者狩り以前に戦争見物もあったようです。
安全なところから見物すると言う話がけっこうあって、見物人からの聞き書きが
ソースになってる文献がかなりあります。
ひょっとしたら落ち武者狩りの下見も兼ねてたかも。
23世界@名無史さん:01/09/29 15:51
朝鮮人は略奪好きです。
24世界@名無史さん:01/09/29 16:12
>23 ふむふむ。何か有名な事例があったらおせーてください。
25世界@名無史さん:01/09/29 16:39
蔡焜燦氏(司馬遼太郎『台湾紀行』の中で「老台北」と呼ばれた人)の証言

心の切り替えができない私は、誰から見ても敗戦で肩を落とした日本人に見えたのだろう。また日本兵の軍服で汽車に乗り込んでいた私は、
8月15日をもって急に威張りはじめた連中(注:鮮人のこと)の嫌がらせを受けた。
座席の中に置いた新品の飯盒を朝鮮人に盗まれ、それを奪い返そうとすると、「なんだお前、朝鮮人をバカにするな!降りて来い!」と、
たちまち数人に取り囲まれてしまった。多勢に無勢、勝ち目はない。こうなっては「すみません、私の記憶違いでした」と謝り、難を逃れるしか術はなかった。
それから佐世保に到着するまでの30時間、連中は執拗に私を含め多くの日本人乗客をいびり続けた。
若い女性がトイレに行こうとすると通路を塞ぎ、次の駅で窓から降りるよう指示するなど、この連中のあまりにも情けない行状を、私ははらわたが煮え繰り返る
思いで眺めていた。ただ黙って見ているしかなかったのである。
《中略》
佐世保キャンプで私は面白い場面にも遭遇した。
あの引き揚げ列車の中で、私を含め敗戦で意気消沈する日本人をいびり続け、肩をいからせていた朝鮮人たちが、「中華民国台湾青年隊」の腕章をつけた我々に
おべっかを使って擦り寄ってきたのである。それは中華民国が連合軍の一員であったからに他ならない。弱い者には威張りちらし、強い者には媚びへつらう、
そんな彼らの極端な習性を目の当たりにした思いがした。

蔡焜燦『台湾人と日本精神』より抜粋
26世界@名無史さん:01/09/29 16:43

何故「三国人」が差別用語になったのか

(左翼系在日朝鮮人騒乱史)

本来、戦争当事国の国民ではあるが、敗戦国民でも戦勝国民でもない第三のカテゴリーの国民という意味であった
「三国人」にマイナスイメージが付着したのは、彼らが下記のような事件を続発させたことに原因があります。
これらの事件は、どう考えても内海教授や梶村教授が言うような「精力的な活動」「解放人民として生きていくために不可避なこと」
というレベルをはるかに超えており、外国人としての立場を弁えない横暴な行為であると言わざるを得ません。
彼らは事あるごとに「歴史認識の共有」なるものを主張しますが、こういう歴史的事実も共有すべきでしょう。

http://isweb34.infoseek.co.jp/school/haniwa82/meigen/crime.html
27世界@名無史さん:01/09/29 17:36
まさに落ち武者がりだな(w
28世界@名無史さん:01/09/29 20:48
>>16
「レ・ミゼラブル」でもワーテルローの落ち武者狩り
というか、死体から時計だの何だのあさる話があったよ。
29世界@名無史さん:01/09/29 22:02
>>16
>>28
戦場の残り火の気分が味わえて、実際に死体に手を触れることができ、お土産も得られ、おまけに「武勇談」を語ることが出来る。
なんかいいなあ。

テナルディエ夫妻って、自宅の近くでしょっちゅう戦闘があったのかな?
30アマノウヅメ:01/09/29 23:28
テナルディエが落ち武者狩りやってたのは結婚前の話では?
それで資金を貯めて宿屋を始めたはずです。

しかしパリコミューンの時は落ち武者のなんのといってる余裕はなかったでしょう。
問答無用で不審者は殺されるし、落ち武者ったってどうせろくなものもってないし。
31おさなぎじろう:01/09/29 23:45
そういえば、こんなハンドルの作家さんいませんでしたっけ?

昭和40年代のある作家さんがパリ・コンミューンについて調べよ
うとしたら、日本ではこの人しかいなかったとう泣き言きいたような
気が
32:01/09/29 23:46
パリコミューンでしたっけ
33ど〜でもいいけど:01/09/29 23:51
>>31
大仏次郎(おさらぎじろう)ですね。
「パリ燃ゆ」という作品でパリコンミューンを扱っています。
34世界@名無史さん:01/09/30 00:01
そういうヘアスタイル
35アマノウヅメ:01/09/30 00:01
大仏次郎の『パリ燃ゆ』ですか。
私はフランス史は趣味ですが明治維新はけっこうわかる。で、あまり評価したくない。
幕末に関する大仏氏の知識は通り一遍のもので、三田村鳶魚、岡本綺堂などと
比べると素人です。
よほど深く納めて洩らさなかったという事情がない限りは、あまり知らなかったんじゃ。
36おさなぎじろう:01/09/30 00:33
>>32-35
なーるほどですねえ。大仏(だいぶつ)次郎でよかったんですね。
いや、ちょっと仏の字に自信がなくて(^^:;)

いずれにせよ「幽霊船」の作者さんですから、確かに甘いところありましょう。
まずは情報感謝いたします
37世界@名無史さん:01/09/30 00:41
>>31
鞍馬天狗の原作者と言えば少し分かりやすいかも。
ロシアのテロリストやドレフュス事件も扱ったひと
のはず。取り合わせがミョウですが、共通性はあるかな、と。
38世界@名無史さん:01/09/30 00:52
中山なんとかの大菩薩峠でも何やら革命やらナロードニキやら語られてたような。

その手をかかせる時代背景があったのでしょうね。

PS
そうそう鞍馬天狗(笑)
当方、大仏次郎を坂本九ホストのNHK児童番組内で放映された
「幽霊船」で知ったので、まずそちらの名前がでました。
中途半端な年代なんです
39世界@名無史さん:01/09/30 17:29
本論に戻したほうが、
っでネタ振りを、中国、朝鮮では>>1のいうようなことはあったのですか?
40世界@名無史さん:01/10/01 11:33
41世界@名無史さん:01/10/01 15:10
>>39
「あった」のは間違いあるまい。
「ずば抜けて多い」でなきゃどこの国でもあることだが。
42世界@名無史さん:01/10/01 18:50
というと日本が「ずば抜けて多い」ので
最低最悪な民族であると言いたいのか?
43アマノウヅメ:01/10/01 19:21
落ち武者狩りはどこでもやってたはずですが。
ただ、日本の場合江戸時代に入ると識字率が高くなるので、戦国時代を知っている
老人から子供の時に昔話を聞いた人たちが聞き書きを多数残しているため
記録としては多いはずです。
44世界@名無史さん:01/10/02 09:48
>>3
「野武士(野伏)」の意味を間違って使ってるな。
野伏というのは土豪とか地侍、同様の意味で、
農村にいる半農半武の武士を指す言葉たが、
ちなみにそういう者たちは村で指導者的地位にあった。
4544:01/10/02 09:50
日本史専攻の者です。
46世界@名無史さん:01/10/02 18:45
>>44
いや実際、野武士も略奪にせいを出していたことは確かだから、
強ち間違っているとはいいきれんがな。
47世界@名無史さん:01/10/02 19:01
ていうか武器の横流しで生計立ててた>野武士
日本は室町時代まで世界でも類を見ないほど
古戦場荒らしが多かったそうだが。
48アマノウヅメ:01/10/02 20:04
そういえば源義朝の一行が平治の乱に敗れて落ち延びるときに雪の中で邪魔だといって
脱ぎ捨てたという源氏累代の鎧はどうなったんでしょうね。
親子4人分、今残っていれば国宝級ですが。
義朝が着ていた「楯無」は武田家の家宝になっていたらしいけど真贋は不明だそうです。
49世界@名無史さん:01/10/02 21:16
去年の大河ドラマでも、関が原の決戦後に、死体や瀕死の兵士たちの
身ぐるみを剥ぐシーンがありましたね。
501:01/10/02 21:20
51世界@名無史さん:01/10/02 22:39
>源氏累代の鎧はどうなったんでしょうね。
>親子4人分、今残っていれば国宝級ですが。

「源氏累代の鎧」とか「楯無」というのは、個別具体的な武具を指
しているのではなく、ブランドに過ぎません。
したがって、しかるべき資格を持つしかるべき血筋の人が認定すれ
ば、それが「源氏累代の鎧」「楯無」・・・になるのです。

これは「三種の神器」も同様。
52日本@名無史さん:01/10/03 16:52
>>46
違うよ・・・・
なんだか本当の野武士の意味を理解してないんだな?
もしかすると七人の侍に出てくる野武士のイメージか?
「七人の侍」自体、全く事実を無視した架空の設定の代物なんだけど。
「七人の侍」は黒沢が西部劇の「荒野の七人」をモチーフにして作った架空の世界観・設定の代物。
野武士=山賊・野盗の類というのは全くの嘘です。
53世界@名無史さん:01/10/03 17:02
>>52
違うよ・・・・
なんだか本当の野武士の意味を理解してないんだな?
野武士というのは一部傭兵的な要素もあり
正規軍でないから略奪等をよく行っていたという記録は多く見られるよ。
それに根本的な誤りがあるよ
西部劇の「荒野の七人」が黒澤の「七人の侍」をパクッってるんだよ。
「用心棒」も同じ。
知ったか厨房はこれだから始末に悪い。(藁
54日本@名無史さん:01/10/03 18:11
>>53
困った人だなあ・・・わざとやってるの?
野伏は土豪・地侍と同じ意味だよ。
野伏で盗賊の頭目とか言われた、
蜂須賀小六も実際は盗賊なんかじゃないよ。
野伏が傭兵ねえ・・・傭兵って日本の戦国の集兵システムを
根本的に理解してないみたいだね。

あと「荒野の七人」は確かにこっちのミスだった。
参考文献を誤読した。
しかし、黒沢の七人の侍は西部劇がモチーフでそれを
戦国に置き換えたところ、様々な矛盾が出たんだよ。
それは「居合い抜きの素浪人」などという明らかに江戸時代のキャラが紛れ込んでることからもわかる。
55世界@名無史さん:01/10/03 18:28
よく、わかんないので、
日本史板に質問しておいたよ。
56アマノウヅメ:01/10/03 18:45
>>51
平安末期はまだ言葉にも物にも茶間しいが宿ると考えていた時代ですよ。
しかるべき権威が認めればすべて本物というわけにはいきません。
義経が壇ノ浦で三種の神器を二位の尼に道ずれにされて責任を問われたのも
藤原氏の忠通・頼長兄弟が氏の長者の証である朱器、台盤をめぐって争ったのも
代用品が利かないからです。
壇ノ浦で三種の神器が失われたため、このあとは模造品のようですが。
単に認めさえすればいいなら南北朝の乱で北朝はあんな苦労はしていません。
明治天皇だって北朝であるため先祖は正統ではないということになってます。
心中はさぞかしと思われます。
57アマノウヅメ:01/10/03 18:47
茶間しいは魂の間違い。すみません。
58世界@名無史さん:01/10/03 18:48
>>54
困った人だなあ・・・わざとやってるの?
野武士の本来の形態としては、間違ってはいないが、
略奪等も行っていたのも事実。
記録も残っているしね。
ここで問題になっているのは盗賊行為があったかなかったか
なんだよ。本来の意味は関係はない。
盗賊行為を全くやってなかったという証拠でもあるの?
そこまでいうのならそれを出さないと説得力ないよ。
よくある「信長の野望厨房」が蜂須賀小六ネタ等
よくいうが実際に盗賊行為をやってなかったという証拠には
なっていないということが理解できてないらしい。
本業はどうだったかのレベルのはなしということが理解できてないらしいね。
それに「かまり」などゲリラ戦や情報収集など
日ごろから盗賊行為もやっていた野武士に頼るのが実際の
日本の戦国の集兵システムだよ。
根本的に理解してないみたいだね。
それに日本史板でも戦国の様態としては「七人の侍」
が絶賛されていた記憶があったが。
(確かに細部ではいろいろ当然違うところが出るだろうが)
59世界@名無史さん:01/10/03 20:10
下層民衆の元気の良さは、その国の鉄の総生産量に比例するとかいう論文があったような気がするが。
60T・S:01/10/04 00:28
 >56
 平安時代末期とはいっても、武士階級はどうなのかなぁ。そりゃあ三種の神器とかは
天皇家に関わる宝物だから義軽は責められた訳で・・・・・・それとも、アレは義軽を責める
口実が欲しかったからとか。それはないか。

 
61世界@名無史さん:01/10/04 01:11
土豪とか地侍的なものを野武士というのだったら、そりゃ略奪もやってた。
藤木久志の世界だね。最近は傭兵が云々ということもいってた気がする。
62世界@名無史さん:01/10/04 01:11
>>56
>平安末期はまだ言葉にも物にも茶間しいが宿ると考えていた時代ですよ。
>しかるべき権威が認めればすべて本物というわけにはいきません。
それは話が逆では?
言葉に魂が宿るからこそ、しかるべき権威が「この鎧は楯無なんだ」と認めさえすれば、
その辺のヘボ鎧でも楯無として通用するのでは?
63世界@名無史さん:01/10/04 13:15
しかし、七人の侍のような
作り話を土台にしている、
このスレは寒いよな。
64世界@名無史さん:01/10/04 16:46
63のような作り話云々ということだけでスレを評価する馬鹿厨房が随分と増えてきたな。
65アマノウヅメ:01/10/04 17:18
>>62
千利休が認めれば朝鮮の農家の食器がナントカの茶碗という名器になり
フィリピンの尿瓶がルソンの壷と呼ばれてありがたがられるようになったのは
戦乱ですべての権威が一旦力を失ったからです。
源氏累代の鎧は日常雑色に保管させて「塵などをはらはんとても精進潔斎して
取出しけるとなり」というほど大切なものです。
富裕な武士が国風文化の最盛期に技術の粋を集めて作らせたものなのでヘボ鎧
では代用がききません。どだいモノが違うので。
66世界@名無史さん:01/10/04 18:26
神器それ自体に取り替えはきかなくもない、という点では、
どちらかというと>>62氏に同意だが、
>しかるべき権威が「この鎧は楯無なんだ」と認めさえすれば
これはややプラグマティックにすぎると思う。

神道=アニミズムの原則論によれば、
神器・宝器には魂が宿っているものの(orゆえに)、これは移動させることもできる。
が、しかるべき人・しかるべき手続きによって「御魂移し」の儀式を行わねばならない。
(例:伊勢神宮の式年遷宮。遷座祭の儀式によりいったん仮の宮に御霊を移す。)
67世界@名無史さん:01/10/06 18:27
やはり44は厨房だったようだな
68IQ75
下町の玉三郎