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世界@名無史さん:
第1章
1990年8月、リヤドの空はいつにもまして青く澄み渡っていた。
夜明けに続き、ウサム・ビーン・ラディソは、2回目のアラーへの祈りを終えた。今日もサウジアラビアが、そして自分の一家がつつがなく存在する事への幸福を神に感謝しつつ。
ラディソ家はサウジアラビアでも富める家としてかなり名が知れ渡っていた。
多くの名門の人々は驚くほど謙虚で高潔である。ラディソも、自己の富をサウジアラビアの、そしてイスラムの人々のためにいかに適切に使うかを考えるのに決して時間を惜しんだりしなかった。
2回目の祈りの後の、このささやかな午前中のひとときに、イスラム世界の向上について考察するのがラディソの日課であった。
ラディソは、邸宅の2階バルコニーから、棕櫚の樹と噴水を多数配した庭園を眺めて物思いに耽るのだった。
今、ここで自分と自分の一族はここに幸運にも富裕に暮らしている。しかし、イスラムの同胞の大多数はそうではないのだ。
ラディソは、子供の頃、父に連れられてメッカのカーバ神殿に巡礼に行った時の事を思い出した。
神殿では、老いも若きも、富める者も貧しい者も区別なく、聖壇の前に祈りを捧げるのだった。その中に、一際貧しく、一際敬虔な表情の一団があり、幼いラディソは目を見張った。父が言った。
「ご覧、よく見ておくのだ。あれがパレスティナの人達だ」