>>66 将軍が替わっているのだから今の幕府にケンカを売るのは筋違いだの、お前のしようとしていることは先生は望んでいないだのとつらつら言葉を並べたが、
高杉は全く応えない。聞いているのかいないのか。
しかし、無言なのは苛立っていたからのようで、今の将軍は存外いい人だった・・・と言ったところで、高杉の怒りは頂点に達したようだ。
突然、「てめえは何にも分かっちゃいねえ!」といってつかみかかってきた。
が、はだけた桂の着物からのぞいた素肌を見て、一瞬とまどうような表情を見せた。
そこで、その隙を逃さず桂が顔面にパンチを食らわせたところで、高杉の中の何かが切れた。
翌日、起きてきた高杉の顔を見て、万斎は大げさに驚いた。
「晋助、どうしたでござる、その顔は・・・」
「ちょっところんでなァ」
顔には青あざがあり、腫れている。短い袖からのぞく腕には幾本のひっかき傷があった。ただごとではないと思ってはみても、口に出せない。
「月子殿とケンカでも?」じろりと高杉が万斎をにらんだとき、
来島が駆け込んできた。
「万斎!月子さんみかけなかった?いつもこの時間には朝食の準備で食堂にいるはず何だけど、いないっす!
寝室にも行ったけどいなくて・・・あつっ!晋助様、ど??????したんですか?その顔!誰にやられたっすか!!!
刺客がいるっすか??!晋助様を襲撃するなんて絶対許さないっす!」
「・・・きんきんとうるせぇな。転んだだけだ。どうもねえ」不機嫌にそう高杉が応えた。
そこへ、いつものメンバーが揃ったところで、いつものメンバーの欠けていた一人が現れた。「済まない、寝坊してしまってな・・・」
と、偉くこぎれいな月子がやってきたのだ。だが、違和感があるのは、いつも結い上げている髪が下ろされて、後ろで結ばれているところか。
男の時の桂を思わせる髪型だ。とたん、「大丈夫っすか??寝室にいなかったみたいっすけど?」のぞき込むように来島が駆け寄る。
やんわり曖昧な笑みで「嫌な夢を見て寝汗を掻いたので風呂を借りていたのだ。心配させて済まない」と月子が軽くお辞儀をした。
そのとき、あっと来島が声を上げた。首筋にぎりぎり紅い出血斑がみえた。
「虫に刺されたっすか?この時期、もうでるんすね。かゆいっすか?薬あるっすよ」
その言葉に、月子ははっとして首に手をやり、
「ああ、そういえば悪い虫に刺されたようだ。痛くも痒くもないがな」と笑った。
納得したのか、来島は話を変えた。晋助様が大変なんっすよ??と青タンのある高杉を示す。「転んだっていうんですけどね」と。
月子は、高杉の方をちらりと見た程度で、「おおかた、奴の部屋にも虫がでて、格闘して転んだんじゃないか」とさらりと言った。
その日の朝食ほど、重苦しい雰囲気だったことはない。高杉の苛立ちが半端ではないからだ。ひしひしとその不機嫌なオーラを感じた万斎は、
はてどうしたものか、とかんがえていた。これは、思っているより早く桂を売った方が良いのではないかと。
万斎の不安は、杞憂に終わらずその日の昼過ぎに確信に替わった。
桂が水菓子を作ったのだ。来島と。
そして、それは吉田松陰から教えてもらったものだという。
「高杉はあまり甘いものを食べないが、これだけは好きでな」と、来島に教えた。
来島は、自分の知らない高杉の話を聞きたくて仕方ないようだ。
「今日、元気なかったから、これで晋助様に元気を出してもらうっす!」と大はりきり。
そこへ、本人登場。高杉の前へ、自慢げに来島が水菓子を差し出した。「これ、月子さんと作ったっす!」どうぞ、と。
その瞬間のこんな表情の高杉を見たのは、おそらく、この場にいた桂以外全員はじめてだったろう。
懐かしそうな、寂しそうな、うれしそうな顔をした。
「お前、好きだったろう」と月子が言うと、「甘いものはすきじゃねえ」と素っ気なく応える。そのわりに、じっとその菓子を見つめているから、なんだか可愛い。
気をよくしたのか、月子が得意げにしゃべり出す。
「銀時の家にやっかいになったときも作ったんだ。うまいと言って・・・」と桂が言い終える前に高杉が、ドン!!と、机に水菓子をたたきつけた。
そして、そのまま無言で去っていってしまった。
ぽかんとするのは、みんな一緒だ。
万斎は、そのあと、ゆっくりと邂逅する。
あの反応、白夜叉の名前が出たタイミング。あれではまるで・・・(嫉妬ではないか?)
その日の夕方、西日がまぶしい時に、一仕事終えた高杉がデッキにたたずんでいる。
万斎は、たまたま通りかかったのだが、はて?と、違和感を感じた。
高杉がいる場所は、船の先端近くの端。手すりを越えれば空、と言うところにいる。
これは、いつも煙管をふかして悠々としている高杉の定位置だ。だが、おかしいのは、煙管を持っていない。かわりに、なにやら紅い・・・簪を持っている。
“あれは確か・・・月子殿の?”その表情は、ちらりと横顔しか見えなかったが、なんとも、つらそうな、切なそうな表情に見えた。
時折、手すりの向こうへ簪をかざしてみては、また手元へ戻す。そんなことを繰り返している。ただ、もてあそんでいるようにも見えるし、
捨てようかどうするか、悩んでいるようにも見えた。どちらにしても、その悲壮感あふれる光景は、万斎に見ては行けないものを見てしまったような気にさせた。
それから、二人の間に溝が深まるかと思っていたが、これまた意外なことに、そうではなかった。高杉にその後傷は出来なかったが、
月子が高杉の私室に泊まることが多くなっていたのだ。昔話に花を咲かせているのか、はたまた・・・
月子が来て、三週間が経ち、江戸はついに幕府が一人の女のために懸賞金をかけて捜索を開始した。もちろん、月子には伝えていない。
そろそろ頃合いかと万斎は高杉に話を持ちかけた。そして、どうしても気になった事も確認したかった。
「予定の変更もあるのでござろうか」
「万斎。もし、将軍がめとった女がすでに孕んでいたとしてよぉ・・・知らずに、幕府がその子を時期将軍にしたとしたら、面白いとおもわねえか?」
「・・・それが狙いでござるか」恐ろしい男だ、と万斎は思う。
「だが、それじゃあ、この世界をぶっ壊すことにはならねえよ。俺はそんなに気が長い方じゃねえ」
あえて確信を言わない話し方はこの男特有のものだ。もし、高杉の言った面白いこと、が、事実であったとしても、この男の望む形ではないだろう。
むしろ、桂のとく、体制を替えるだの、中から替えていくだのの方法に近い。ここ数日の、二人の関係が双方納得の上だったと仮定すると妙に現実味がある話だ。
同時に、幼なじみでかつての仲間であった関係を飛び越えてまで手に入れようとするものの為に動く、攘夷志士の奇妙な絆にぞっとする。
「折を見て、将軍に使いを出すが、今はまだその時期じゃねえ」クク・・・と高杉が低く嗤った。
今日は、何かの記念日だとかで、鬼兵隊の主要メンバーで宴会が行われた。万斎と高杉で三味線を弾く。そうしたら、月子が踊ると言い出した。
「てめえが踊りたあ・・・どうしたい?えらくあか抜けたじゃねえか」などど馬鹿にする口調なわりに楽しそうな高杉。
「事情合って、西郷殿に教えて頂いたのでな。」と、センスを片手に舞出す。元々が美人なだけに、立ち姿も舞姿も見事だ。みな、見ほれた。
万斎さえも。消すのは惜しい存在でござる・・・などと思ってしまった。
まるで、花のようだ。
すこしして、高杉が、歌を替えた。
突然、調子を変えた。
そして、詠んだ歌は・・・「あだしのの、たとえこの身は くちるとも・・・」
「とどめおかまし大和魂・・・」
月子の手から、ぽろりと扇子が落ちた。
その様子さえ、美しかった。
そして、くるりと高杉を振り返ったときの顔は、一生忘れることが出来ない。
悲しげで、寂しげで、儚い笑顔・・・
美しすぎて、この世の者とは、思えなかった。
交わし合う二人の無言の視線の中に、一度は切れたであろう絆が見えた気がした。