3.5名前のない感情
(桂視点)
その日の夜、風呂を借りに高杉の部屋へ行くのが、何だか億劫で仕方なかった。かといって、行かなければ入りあぐねてしまうし・・・と、
葛藤の後、高杉の私室のドアを開けた。そこには、主の姿はなくて、ほっとする。そして、机の上に置いてある紅い簪を見つけて、また安堵した。
やはり高杉が持っていたらしい。贈り主を聞いてきたのは自分のくせに、銀時にもらった、と言ったことが気に障ったのか、朝起きると何処にもなかった。
お陰で、今日は髪が結えずに結んでいた。
主が戻ってくる前に風呂に入ってしまおうと、そそくさと風呂場に向かう。
そこにある、小さな鏡には既に見慣れた女の身体と、見慣れぬ紅斑が写っている。
まさか、こんな事になるとは・・・と、ため息をつきながら、身体を洗い流した。
突然、自分に押し入ってきてかき回し、嵐のように通り過ぎた奴のことを思い出す。訳の分からない奴だ。ほんとに。
昨日、あいつのしたことの目的が測りかねる。俺の言ったことにかっとなったことが発端であろうが、だからといって殴る蹴るの暴力ならいざ知らず、
まさかこんな暴力をする奴だとは正直思っていなかった。
風呂から出ると、いなかったはずの主が戻ってきており、いつもその部屋でそうしているように窓枠に半分腰掛けた姿勢で煙管をくゆらせている。
無意識に乱れてもいない襟を正した。
「そんな、おびえんなよ」クク、と、高杉がこちらを見もせずに笑うのが分かる。反射的に、「怯えてなどいない」と言い返していた。
「そうかい。昨日は随分ふるえていたみたいだったが」
「武者震いという奴だ。貴様相手に俺が怯えるわけがなかろう」
「そうだったな、痛くも痒くもねえんだろ」と、いつになく饒舌な風情に苛立つ。
「お前の考えていることは、昔からわからん。俺は貴様のそう言うところが嫌いだ」
と言えば、
「嫌いな男に」と何か言いかけて、また煙管を吸い始めた。気にはなったが、その場から立ち去りたいと思う方が強かった。
部屋を出て行こうとすると、珍しく呼び止める声がある。「何で責めねぇんだ?」と言った。
回りくどい言い方はこの男の特徴だと思うが、言いよどむのは珍しいことだ。この男なりに、罪悪感を感じているのかもしれない。
「きにしていないと言ったろう。昨日のこと、俺は別に怒っていない。ただ、不思議に思っていただけだ」
振り向いたとき、今日初めて高杉と目があった。
「貴様は、昔から、派手で一見して無茶な戦い方をする男だ。だが、それは無鉄砲で考えなしというわけではない。
貴様なりの緻密な計算合ってのものだったことを俺は知っている。お前は、無謀に見えて、その実誰よりも計算高い。
だから、俺とは戦略方法で衝突することも多かったが、半面、お前のすることに間違いないと信頼もしていた。
けれど、一方で貴様は目的のためには手段を選ばない男だ。ひどく言えば、自分の目的、計画のために仲間をも平気で自分の駒に出来る奴だ。
俺は、貴様の、そう言うところが本当に嫌いだ」
「・・・フン」にやりといつもの笑い方をする。
「紅桜に飲まれたあの男のことも、お前の計算のうちなのだろう。・・・哀れなものだ」
「あれは、奴が望んだことだ」
「そういうもっともらしい理屈付けをするところも嫌いなんだ」
「嫌いなとこばっかりだな」クク、と、楽しそうに高杉が笑った。
「昨日は、・・・俺のことも、あやつと同じなのだろうと思った」
「・・・・」
「貴様はそう言う男だ、昔から。だから、別に怒ってはいないし、責めるつもりもない。だが、なんの目的なのかが釈然としない。
俺と身体を合わせることで」何の得があるのか。そう言おうとしたら、最後まで言い終わる前に、話の腰を折られた。
「お前は、相変わらずなんだなぁ、ヅラ」
「人はそうそう変わらぬよ・・・狂ってしまう奴もいるようだが」じろりと奴を見ると、
何がおかしいのかクククと、また笑った。
「男が女に興味を示すのに、理由なんかありゃしねぇだろうが」
「得意の理屈付けか。そんな甘いものではなかったと思うがな」
キッと睨み付けると、高杉が嫌に真剣な面持ちで見据えてくる。なんだというのだ、一体。おおかた、俺をかくまったのは幕府にでも高額で売りつける気だろう事は予測していた。
しかし、俺に対してああいった行動に出る意図が今ひとつわからない。俺の理解を超えている。
超えているところで、こいつが良からぬ事を考えていて、その為に俺を利用しているのだとしたら、その計画を暴いてやりたい。
そして、阻止せねばならない。