週刊少年サンデー総合スレッド181冊目

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679名無しさんの次レスにご期待下さい
まとめ(改定6)

●何のためにまとめるの?
・信者どもがキチガイすぎて、まとめておかないと主張内容を都合よく忘却するため
・何度も同じ説明をするのが面倒なため
・こちらの主張に一貫性があることを示すため

●いつまでいるの?
・俺が飽きるまで
・信者達が客観的な根拠を踏まえた理屈で俺の全ての主張を論破できるまで

●なぜここで議論するの?
・このスレはサンデー作品について語るスレ。西森や若木はサンデー作家。以上

●「〜乙」と返す基準は何?
・作品内容について関係ないレス: 「無意味な意見乙」
・↑で、アンチの人格批判に”のみ”躍起になっているレス: 「批判の批判乙」
・根拠が乏しく反論する価値がないレス: 「無根拠な意見乙」
・脱線へと誘導するレス: 「下手糞な誘導乙」

●どんなレスになら意味のあるレスを返すの?
・作品内容に関係があって、客観的根拠が明示されているもの

●西森のBSと若木のブログ解説
http://websunday.net/backstage/nisimori.html
・西森は作品の説明を、「最低」で「謝罪するレベルの行為」だと言っている。つまり、”ベテランである西森”に言わせれば、若木は最低の行為をしていることになる
・西森の発言は絶対ではないが、「西森がそのような発言をしたこと」は不動の事実
・若木は毎週の如く作品解説をしている。メールで注意したからか、最近は確信に迫る話の割合は減少する傾向にある
・「作者の人間像と作品の関係」に対して直接的に主張しているわけではない。あくまで、「作者が自身の作品を解説する行為」について指摘しているだけ
・例1)自分の私情を作品に込めるため、読者はチンプンカンプン
ブログを読んでいた読者でさえ「わかりにくい」と評価しているのだから、ブログを読んでいない読者も同様に理解できていないと考えられる
http://blog.wakakitamiki.coolblog.jp/?eid=1208537
>と思ってたんですけど、ブログに来たメールを見ると、「わかりにくい」と評判でね!むしろ評判悪いっすよ。覚悟はある程度してやりましたけど、やっぱり主人公が中心にいてくれないと、筋が追いにくいのかな・・・。
>ところが、お祭りが終わって、みなみが独白するところで、僕の心に、僕の人生の「終わった瞬間」が山のように押し寄せてきまして。
>大好きだったマンガが終わった瞬間、長年続いた人間関係が終わった時、3年考えに考えた初連載がたった11ヶ月で打ち切りを食らった時・・・・。この時に初めて、みなみが失ったものの気持ちがやっとわかったんです。
>若いとか、全然関係ない。人生の重要な一部を失ってしまうってどういうことなのか。それは「いい思い出で終わろう」みたいな軽いものでは決してありませんでした。
>そうしたら、桂馬が上の立場からみなみと同じ場所に下りてきて、勝手に話始めて、ああいうエンディングになりました。
・例2)キャラに対する作者の意図を暴露
http://blog.wakakitamiki.coolblog.jp/?eid=1138471
>えー今回は久しぶりにキャラものというか、いわゆる「ありもの」路線です。作品内ではこの言葉は使いませんが、ジャンルで言うとツンデレということになると思います。
>ちひろ、長瀬と、心の内面を描く「メンタル」ものが続いたところで、今シリーズは「フィジカル」なものを指向しました。まあ、文字通り、1話でいきなり身体が小さくなるというモロ肉体的な展開になりました。これからどうなるかは、まあ見ていただくとして。
・例3)前作が打ち切られたことへの言い訳、西森の文より分量が多く、言い訳の量も多い。また、円満終了であった西森とは異なり、若木は打ち切り
http://blog.wakakitamiki.coolblog.jp/?search=「聖結晶アルバトロス」総括
>その結果、行き場を失い、ページ内に入りきれなくなった設定がどんどんと崖から転げ落ちていきました。かと言って、残った設定も他の設定とのしがらみから独り立ちできず、もやもやを残したままの状態になってしまったっ。
>最後の方は読者の方々も気づかれたと思いますが、女の子の姿もほとんどありません。どうなってんだ、こりゃ。最初のコンセプトは完全に霧散していたのです。
>もちろん、週刊連載というのは物語のその時のノリや読者の反応で、どんどん構想が変わっていくことは必然ではあるにしても・・・。
>いやはや、力不足でした・・・いや、ここは経験不足だったと言い換えさせてくれ!

●敗北の定義
・「一旦触れておきながら、反論できなくなったからといってスルーに走る」=敗北宣言と同義
・敗北ととられたくなければ反論してみせること。そうでなければ説得力がない