漫画家は編集部の支援がなければなれない。
ゆでたまご
http://manganohi.jp/2008/02/10463.html ――親御さんは反対されなかったんですか?
嶋田:母子家庭だったんですごく反対されましたね。
中井:「そんなもので飯が食えると思っているのか!」ってさんざん言われました。
――やはり、時代的に「まんが家なんてまともな職業じゃない」という風潮があったんですか?
嶋田:そうですね。あと、本当に原稿料が安かったんですよ。しかも僕らはそれを折半しないといけない(笑)。
折半しなければ、普通の高卒よりよかったんですけど、半分にしちゃうと全然生活できない。
中井:けっこうキツかったですよ、あれは。
嶋田:だから僕は『キン肉マン』連載中に3ヶ月くらいバイトしてましたよ。
社内販売のお兄さんになって牛乳とかパンとか売ってました(笑)。
――それじゃあ親御さんは心配ですよね。結局、どうやって説得されたんですか?
嶋田:当時の編集長である西村さんと、
「アデランスの中野さん」のモデルにもなった担当の中野さんが
大阪までスカウトに来てくれて、親を説得してくれたんですよ。
結局、「もしまんががダメになったら、東京で就職の世話をする」
って条件をつけてもらって、親が折れましたね。
――編集長と担当さんがわざわざ大阪まで来てくれるというのは
異例だと思うんですが、やはり「ゆでたまご」に光るものがあったということでしょうね。
中井:この間、相棒の結婚式の主賓挨拶で西村さんがおっしゃっていましたが、
当時、どうしてもジャンプに低学年向けのギャグまんがが欲しかったらしいんですよ。
「ゆでたまご」は、分かりやすいのがいい、絵はヘタだけど、って(笑)。