1. 第一段階:「否認と孤立」
* 病などの理由で、自分の余命があと半年であるとか三ヶ月であるなどと知り、
それが事実であると分かっていて、しかし、敢えて、死の運命の事実と拒否し否定する段階。
それは冗談でしょうとか、何かの間違いだという風に反論し、死の事実を否定するが、
否定しきれない事実である事が分かっているが故に、事実を拒否し否定し、
事実を肯定している周囲から距離を置く事になる。
2. 第二段階:「怒り」
* 拒否し否定しようとして、否定しきれない事実、宿命だと自覚出来た時、
「何故私が死なねばならないのか」という「死の根拠」を問いかける。
この時、当然、そのような形而上学的な根拠は見つからない。
それ故、誰々のような社会の役に立たない人が死ぬのは納得来る、
しかし、何故自分が死なねばならないのか、その問いの答えの不在に対し、怒りを感じ表明する。
3. 第三段階:「取り引き」
* しかし、死の事実性・既定性は拒否も出来ないし、根拠を尋ねて答えがない事に対し怒っても、
結局、「死に行く定め」は変化させる事が出来ない。死の宿命はどうしようもない、と
認識するが、なお何かの救いがないかと模索する。この時、自分は強欲であったから、
財産を慈善事業に寄付するので、死を解除してほしいとか、長年会っていない娘がいる、
彼女に会えたなら死ねるなど、条件を付けて死を回避の可能性を探ったり、死の受容を考え、取引を試みる。
4. 第四段階:「抑鬱」
* 条件を提示してそれが満たされても、なお死の定めが消えない事が分かると、
どのようにしても自分はやがて死ぬのであるという事実が感情的にも理解され、閉塞感が訪れる。
何の希望もなく、何をする事も出来ない、何を試みても死の事実性は消えない。
このようにして深い憂鬱と抑鬱状態に落ち込む。
5. 第五段階:「受容」
* 抑鬱のなかで、死の事実を反芻している時、死は「無」であり「暗黒の虚無」だという今までの考えは、
もしかして違っているのかもしれないという考えに出会う事がある。あるいはそのような明確な考えでなくとも、
死を恐怖し、拒否し、回避しようと必死であったが、しかし、死は何か別の事かも知れないという心境が訪れる。
人によって表現は異なるが、死んで行く事は自然な事なのだという認識
いみわかんねぇよボケ
これは NetHackってフリーゲームに出てくる“虐殺の巻物” って書いてあるに違いないな!
と思って開いたのに
ジェノサイドの巻物
今週号のヤングサンデーの喜国のマンガ
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真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ