コツコツと足音を響かせて、ゆっくり後ろに回るお姉さま。
その緩慢な動作が、なぜか私の不安感を煽る。
「ほんとに綺麗な首筋ね」
耳元で囁かれた。不思議な感覚に、皮膚が一瞬にして総毛立つ。
「お、お姉さま、はやくネクタイを……」
「ええ、わかってるわよ。でも、令のほうが背が高いからやりにくいわ。
椅子にでも腰掛けてくれる?」
おとなしく言われた通りに椅子にすわると、さっそく肩越しに腕が伸びてきた。
私の肩に二の腕を預けた両腕はなぜか微妙に気だるげな、ゆっくりとした動作でネクタイをいじる。
「ん……」
されるがままにしていると、お姉さまは自らの胸を私の頭に押し当てるように密着させてきた。
「お、お姉さま……」
「……どうしたの?」
「あ、あの、頭が……頭に、その……」
「何よ。はっきりなさい」
柔らかい感触に高鳴る胸とうわずる言葉を嘲るように、後頭部の優しい圧力がさらに強まる。
「ぁぅ……」
私はうぶな男子中学生のように、目をつむり口を噤んでうつむくことしかできなかった。
「令……下を向いてたら、顔が邪魔でネクタイを結べないじゃない……」
いつのまにかお姉さまの匂いがすぐ横に感じられるようになっている。
おそるおそる瞼をあけ横目に見ると、お姉さまは美しい曲線と長さを持つ睫が触れそうになるほど近くに
体を乗り出してきていた。
「顔をおあげなさい、令……」
耳元で何度も熱く囁かれる緊張のあまり膝の上で握った拳に、細く暖かくやわらかい指がそっとあてがわれる。
それでも頑なに顔を上げようとしない私に業を煮やしたのか、お姉さまはふっと私の耳に息をふきかけた。
「……!」
思わずビクンと体を震わせ、私は顔をあげた。
間近に潤んだ瞳。少し染まった頬。柔らかそうなくちびる。
くちびる。くちびる。くちびる。
「おおおお姉さま!!」
混乱をきわめた私の意識はお姉さまの頭を両手で抑え、問答無用でその唇に自分の唇を重ねるという行動に出ていた。
「んんッ……」
ぷはっとお互い息をついて、5秒あまりのくちづけを終わらせ、見つめあった数瞬後。
「……あら」
「!?わぁぁああああっ!!」
私は何事かを叫ぶと、つぶやくお姉さまを置いて猛ダッシュで楽屋を逃げ出していた。
「……ちょっとやりすぎたかしら……ね……?驚いたわ」
わけもわからず全速力で走っていると、いつのまにか舞台についていた。
「令、遅いわよ。早く準備なさい」
「はぁ、はぁ、はぁ、ごめ、祥子。遅れて……」
「急いできたのはわかったから別にいいわ。それより、黄薔薇さまと途中で合わなかった?」
「いや、あの、あったけど、でも、別に何もやましいことは……」
「……?会ったのなら、なんでまだネクタイ結んでないのよ」
「へ?え?あ……それは……その」
「なんでも黄薔薇さまは毎朝お父さまとお兄さまたちに請われてネクタイを結んであげてるらしいわよ。
だから令のも結んであげる、って珍しく上機嫌で楽屋に向かったのに」
「ええー!!……あ、はは、あはは、はぁ……」
(前からだと上手に結べないって……)
私はなぜか途方もない疲労を感じてがっくりと舞台に手をついたのであった。