「私ナマエ、セキウツ・タロウ」
小柄な褐色の女の子は、顔いっぱいに無邪気な笑みを湛えて私にたどたどしく名乗った。
「ワタシ、マツシタ」
「ワタシ、ホンダ」
「ワタシ、ソニー」
すぐに彼女の後ろで控えていた不法入国者たちがめいめいに声を上げた。風浦さんが
そんな彼らの前に立ち、得意げな笑みを見せる。
「みんな日本名でしょ。だからこの人たちは不法入国者じゃなくて帰国子女なの。
委員長なんだからクラスメイトの事くらい覚えてて下さいよ」
しっかりして下さいよもう――ぽんぽんと肩を叩かれ、私はつい怒鳴ってしまった。
「松下とか本田はともかく、ソニーなんて日本人の名前聞いた事もないわよ!
知っている会社のブランドを思い付くまま言ってるだけじゃない!明らかに偽名でしょーが!」
反論が終わると、私は肩で息をした。風浦さんはどこ吹く風だ。
「でも生徒会の役員だって菊正宗とか白鹿とか剣菱とか、有名な会社と同じ名前じゃないですか」
どうしようもない疲労感が肩に圧し掛かった。
「ここは有閑倶楽部の舞台じゃなくて現実なの!きっちりした現実にはそんな人いません!」
デモ私ホントの名前だヨ――関内太郎を名乗る少女が私たちの会話に割って入る。風浦さんへの
突っ込みも忘れ、私は黙って太郎にその先を話すよう促した。
私と風浦さんとの間に流れる空気を窺いながら、太郎は上目遣いに遠慮がちな様子で言った。
「ミドルネームあるカラ――正確にはセキウツ・マリア・タロウネ」
そう言って見上げる様子は本当に愛くるしい。一瞬名前なんてどうでもいいから
ぎゅっと抱き締めてやりたい、などと考えてしまう。
頭の中に浮かんだそんな妄想を振り払い、私はつとめて冷静な態度で彼女に訊いた。
「ところで何でウチのクラスにいたの?それに本当の名前ってどういう事?」
エットネ、と実に幼けない態度で彼女は口を開いた。
「ソレハ――」
つたない日本語で太郎――いやマリアが語ってくれた所によると、こういう経緯だった。
コンテナで日本に入国したばかりのマリアにとって、必要なのは身の安全を保障する物だった。
出席番号さえあれば学校の生徒だと主張する事ができ、太陽の下を堂々と歩ける身分になれる。
そう考えて彼女が目を付けたのが、関内太郎という二年へ組の生徒だ。クラスメートにも関わらず
『という』と付いているのは、私も彼の存在を今まで知らなかったからであるが。
既に人生を投げ、売れるものは臓器でもプライドでも売り尽くしていた彼と、出席番号が
喉から手が出る程欲しかったマリアとの間で、利害関係はさしたる調整も要らずに一致した。
彼からへ組の出席番号を買って、以後彼女は関内太郎の名を借りているのだった。