ハヤテのごとく!ネタバレスレッドその4

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651名無しさんの次レスにご期待下さい
たどり着いた場所は天国だったのかもしれない……さて第48話「歌え竜宮城」


 漆黒の中に静かに浮かぶ冬の半月。凍てついたその光は弱々しく、この道路のすべてを照ら
してくれることはなかった。動くものは、ナギと彼女の足元に纏わり付いている希薄な影のみ。住
宅街は鎮まり返り、不安定な足音がたった一つだけ周囲に響いている。澄んだ空気の中で鳴り
渡るそれは、硬質ゆえに心細い。
 夜の闇が街を覆っていく。すべての痛みを覆い隠すように。忘れたい記憶を黒く覆い隠すように。
 だからだろうか――
「……ここはどこだ?」
 迷子になってしまったのは。
 ナギは一度立ち止まり、ゆっくりと周囲を見渡す。
 元より引き篭もりがちで土地感のないナギが視界の悪い中を動き回れば、当然付いてくる結
果だった。いや、数日前の朝には通学路で迷子になるという離れ技をやっているのだから、それ
と比べればこの程度で済んで幸いだろう。広い道路に取り残された寂寥など、ナギにとってはど
うということもない。
「…………」
 そんな中でふと思う。今から後戻りすれば、ひょっとすると知った道に出られるのではないか。
このまま立ち止まっていれば、前回のようにハヤテが後から追いついてくれるのではないか。
 だが、ナギがそれを実行に移すことはなかった。背後にある得体の知れないものから逃げる
ように、愚直なまでに真っ直ぐ前へと歩み始める。


「え? またお嬢様が家出したんですか?」
 屋敷の広い廊下に響き渡るハヤテの声。今まで掃除をしていたのだろう、執事服に三角巾と
エプロンというミスマッチな恰好をした彼は、花が生けられた白磁の花瓶をそっと元の場所に置
き、今まで説明してくれていたマリアへと改めて向き直る。
652名無しさんの次レスにご期待下さい:2005/09/17(土) 21:57:49 ID:Qwi0E7ep
「ええ、SPの方々が後をつけているので心配はないんですが、原因がイマイチわからなくて……」
「はぁ」
 マリアの様子から察するに、さほど深刻な事態ではないらしい。だからなのか、それともこの
屋敷で精神的に鍛えられたせいかのか、ハヤテは彼女に気のない返事を返す。
 別に実感が湧かないというわけではなかった。というより、他に気になることができたのだ。
「しかしこれは問題ですよね」
「え?」
「毎朝の登校も含めてほとんど屋敷の外に出たがらないのに、自主的に外出することの大半が
家出というのは」
 ふとハヤテの脳裏に浮かぶ、恒例となった朝のやり取り。もう八時ですよ、お嬢様!!――と彼
女の部屋のドアを必死に叩きながら大声を上げても、今日は雨が降っているから休むのだと言
われ。それを受けて何を言ってるんですかともう一度怒鳴っても、彼女は完全に黙殺してくれる。
「まぁ……確かにそうですね」
 その様子をマリアも思い描いたのだろうか。諦めたように彼女も同意してくれた。
 と、そこで俄然やる気を出すのがハヤテという男である。ナギを更生させることを命題に掲げ
ている彼としても、このまま放置しておくことは出来ない。様々な心配事を解消すべく、早速ナ
ギの後を追う準備を始めるのだった。
「ではお嬢様の執事として原因究明の意味も含めて、すぐにお嬢様の後を追ってきます!!」
 しかし。
 まあそんなことを言っている男が、毎回原因だったりするわけだが。


「まったく!! ハヤテの奴め!! なにがヒナギクのためだ!! 私よりヒナギクの方が大事だとでも言
うのか!!」
 あれから歩調は全く衰えていない。むしろ増している。理由は――などと問うまでもないだろ
う。がむしゃらに突き進まないと、ネガティヴな思考に侵食されそうで不安になるから。
653名無しさんの次レスにご期待下さい:2005/09/17(土) 21:58:42 ID:Qwi0E7ep
「…………」
 今も心から溢れそうになっている。封じ込めようと必死になっている。だから今までは身体を
動かすことで無理やり思考を停止させていたのだ。
 だが、それもいずれ限界が来てしまう。圧倒的な容量を持つそれは、ナギの小さな体の中に
は収まりきることはない。彼女は唐突に足を止め、ポツリと呟いた。
「ハヤテが私よりヒナギクの事を好きになったらどうしよう……」
 そう口にした途端に現実味を持って恐怖に襲われる。脳裏を埋め尽くすのはハヤテとヒナギ
クの甘いやり取り。ナギの中のハヤテが、言葉巧みにヒナギクを口説くのだった。
  「いけないわ、ハヤテ君。あなたにはナギという大事な恋人が……」
  「何を言ってるんですかヒナギクさん……僕の運命の女性はやはり君だ」
  「ハヤテ君……」
  「ヒナギクさん……」
「ふーんだ!! なんだよ、ハヤテのバーカバーカ!! そんなにヒナギクがよいのか!!」
 妄想の中ですらハヤテの浮気を許さない。いや、自分の妄想だからこそ尚更なのか。静か
な住宅街にナギの声が木霊する。
 そも、ハヤテはヒナギクのどこが良いのだろう。自分と比べてそれほど勝っているようには
思えない。
「ヒナギクなんか、ちょっと可愛くて性格が良くて頭が良くてスポーツ万能でみんなから信頼さ
れてて私だってちょっと憧れてて……」
 ほら、この程度――と続けようとしたのだが、ナギは口をつぐまざるを得なかった。改めて
考えると、これだけあれば充分すぎるだろう。何より、憧れているということは、自分がヒナギ
クを認めている事の証明でもある。
「…………」
 これでは勝ち目がない。が、決して受け入れられないのも事実だ。
「ふ……!! ふんだ!! 胸の厚みなら似たようなもんだ!!」
 想像の中のヒナギクが「何を言うか」と顔を赤くするが無視。それに、これからの成長も考え
れば期待値の分だけ自分の方が上であるはずだ。
654名無しさんの次レスにご期待下さい:2005/09/17(土) 21:59:19 ID:Qwi0E7ep
「だいたいハヤテなんて――」
「おや?」
 と。
 自己弁護が架橋に入ろうかというちょうどその時、ナギは背後から呼びかけられた。後ろを
向くと、そこには高校の制服姿の一人の女性。学校帰りなのだろうか、自転車を押しながら
近づいてきている。
「君はこの前の……ハヤテ君と一緒にいた……」
「あ……お前はこの前の……」
 女性の顔には覚えがあった。それも、不快な記憶と共に。
 初めて対峙したとき、彼女がハヤテに気があることは何となく理解できたのだ。だから彼女
はこちらにケンカ越しの姿勢を見せていたのだし、こちらもそのケンカを買った。
 ただ、元より器の大きさが違う。自分が龍だとすると、彼女はせいぜいハムスター。向かい
合ったときに、彼女はあっさりと敗退して逃げ出していった。
 だから敬意を表してこう呼んであげよう。
「どろぼうハムスター」
「な!! だ!! 誰がどろぼうハムスターかな!? あれはイメージ画像でしょ!!」
 ただでさえナギはヒナギクの件で苛立っている。それなのに、また一人ハヤテに気がある人
間が現れてはたまらなかった。まともに取り合うつもりのないナギは更なる毒を吐く。
「じゃあ不法侵入ハムスター」
「な!! だ!! 誰が!!」


 ふと彼女らを木陰から遠巻きに眺めている影が二つ。言うまでもなくハヤテとマリアだ。
「ようやく追いついたのはいいですが……」
「ええ……」
「なぜ、お嬢様と西沢さんが一緒に?」
655名無しさんの次レスにご期待下さい:2005/09/17(土) 22:00:24 ID:Qwi0E7ep
「いや……それ以上にこのカモフラージュは……」
 手に木の枝を持ち、側頭部にも括り付けた二人の恰好は、学芸会じみてあまりに滑稽だった。
いくら隠れるためとはいえ、恥辱に溢れる。冷めた様子のマリアは控えめに抗議し、この恰好に
意味はあるのかと問うのだが。
 ただ、それも一瞬のことである。直後には、マリアの興味はナギと向かい合っている西沢へと
向けられた。
「ところでハヤテ君、前から聞きたかったのですが、あの西沢さんという方はいったい……」
「え? いや……その……」
 本来であれば何気ない普通の問いかけなのだろう。しかし、そんな問いにハヤテは言葉が詰まる。
「え〜と……」
 思い出すのは、久方ぶりに前の学校に顔を出したときのことだった。色々と衝撃を受けた一日
だったが、何より思い出深いのは西沢に告白されたことである。
 学校を辞めるしかなくなったハヤテは失意のままにそこを出て行こうとするのだが、それを阻
止したかった西沢は勢いのままに背中越しの告白。あの時は適当な理由を作って断ってしまっ
たのだが。
 しかし、それをマリアに言ってしまうのはどうだろう。照れくさい。何となく言いづらい。だからハヤ
テはこう答えた。
「と……友達です、ただの……。前の学校のクラスメートで……」
「はぁ……」
 もっとも。顔を赤くしながら顔を背けてその言葉を言ってしまっても、説得力はない。適当な生返
事を返してくるマリア。そこからハヤテも自分の劣勢に気づき、さりげなく話題をそらすことでお茶
を濁そうとする。
「でも、お嬢さまと西沢さんがいったい何の話を……」
「さぁ……?」
656名無しさんの次レスにご期待下さい:2005/09/17(土) 22:00:57 ID:Qwi0E7ep
 もっとも。マリアも詳細は知らずとも多少は勘付いているわけで。突然の話題転換には応じず、
しかしハヤテの不審な態度に追求することもせず、ナギたちの様子を静かに観察していった。
(たぶんハヤテ君の話だと思いますけど……)


「えーーーー!!」
 静謐な冬の夜空に西沢の声が鳴り響く。
 驚きの連続だった。ハヤテが学校に来なくなってからしばらく、色々と思い悩んで悶々として
いたのだ。だからこそ学校で再会したときには周囲の目がありながらも告白するという暴挙に
躍り出たのだし、偶然街で見かけたハヤテを必死になって追いかけた。
 それほど切羽詰った状況に陥らせたハヤテの事情とは――。思いがけず、その解答が目の
前の小さな少女によってすべて提示される。
「あなたがあの家の持ち主で……路頭に迷っていたハヤテ君を引き取って、あまつさえハヤテ
君を執事にして一つ屋根の下に暮らしているですってーーー!!」
「そうだよ、悪いかよ」
(く……な、なんてうらやま……いや!! なんて敗北感……不公平すぎだよ神さま)
 打ちひしがれる西沢。
 しかしハヤテとの夢のようなシチュエーションも、ナギにとっては当たり前の事実でしかなかっ
た。元より、ハヤテを執事にした経緯を教えたのも、うっとうしく彼に纏わり付く西沢にダメージ
を与えて追い払いたかったからである。
 つまり、へこませたことを確認したナギにとって、既に西沢は興味の対象ではなく。
「じゃあな庶民、これに懲りたら二度と私に近づくなよ」
 常に自分の傍にいるハヤテにも――と、暗にそういい含めて、立ち去ろうとするナギ。
 だが西沢としてはこのままでは負け犬決定となる。ハヤテのことを思うなら、黙ってナギを去ら
せてしまうわけにはいかない。
657名無しさんの次レスにご期待下さい:2005/09/17(土) 22:01:31 ID:Qwi0E7ep
「待つよろし!!」
(え!! なぜ片言?)
 西沢は背後からがっしりとナギの肩を掴む。
「このまま引き下がったら、私はみじめな敗北者のまま……」
 そして振り向かせ、指を突きつけ、想いをそのまま言葉にした。
「だから私と、ハヤテ君を賭けて勝負よ!!」
 勝手に盛り上がる西沢に呆れるナギ。だが――
「ほぉ……勝負か……」
 よく考えればナギにとっても悪い話ではない。勝ち負けが決まったところで全く意味がないのは
承知していた。が、いじめっ子のナギにとってハムスターは絶好のストレス解消の相手であるの
も確かである。
「いいだろう。ちょうどムシャクシャしていたところだ。面白い……返り討ちにしてやる」
 かくして舞台は決戦会場へ。


 カラオケBOX、MAIHIME――そこは、それこそ庶民が通うようなどこにでもあるようなこじんま
りとした店だった。六畳程度の部屋に、窮屈に並べられたソファーが三台とテーブルが一つ。
テーブルの上にはマイクと何かの操作端末、一冊のカタログが置かれ、それ以外に目に付くよ
うなものが何もない。壁の一角にはテレビに似た大きな機器が置かれているが、特に異質なも
のでもなく、カラオケBOXではごく普通のものである。
 だが、そのどれもがナギにとっては目新しい。というより、奇異のものとして映っていた。眉を
顰め、ポツリと一言。
「……なんじゃここは?」
「何ってカラオケボックスよ。知らないの?」
「ほぉ、ここが噂の……。こんな妙なところに来たのは生まれて初めてだ」
「……ふーん」
658名無しさんの次レスにご期待下さい:2005/09/17(土) 22:02:04 ID:Qwi0E7ep
 問いかけを受けて感慨深げに呟くナギだが、その視線は西沢へと向けられることはない。室
内のあちこちに視線を送り、吟味していく。
 そして一通り見た後に出した評価は――
「しかし、うちのトイレより狭いな」
「な!!」
 思ったままとはいえ、あえて辛口で。
 これには当然西沢が反発する。ただ、あの豪邸を見てしまった後では反論などできようはずも
なく。彼女に出来る反撃といえば、それを上回るような度量に広さを見せることのみである。
「と……!! とにかく、飲み物を注文したら早速勝負よ!! 何が飲みたいかな? 別に一品くらい
なら料理を注文していいわよ」
「ん〜……」
 ただ、気張って見せた対抗心も、ナギには効果がなかった。必死な様子の西沢を相手にする
ことはなく、言われたとおりにメニューへと視線を送る。そしてナギは、遠慮の類をする人間でもない。
「じゃあ紫雲抹茶のグリーンティーとペリゴール産フォアグラのテリーヌを」
 メニューから顔を上げ、聞き覚えのない品を注文するナギ。しかし、その声は極々自然で。
「な、ないんじゃないかな? そんな高そうなのは……」
 今度は明らかに素だ。これには西沢も対抗心の持ちようはなく、呆れることしか出来なかった。


「うーん。なんだかよくわかりませんが、カラオケをするみたいですね」
 ナギたちがカラオケBOXの一室でそんな会話をしているとき、ハヤテたちも当然その場所に
足を運んでいた。入り口のドアのガラス越しにハヤテが二人を観察し、現状を口にする。
 ただ、このまま覗いているわけにもいかない。ここは歌って楽しむための場所であり、廊下で
所在無げに佇んでいては周囲から奇異の視線を向けられることになるだろう。
「どうしましょうか、マリアさん」
 対策を講じる必要がある。ゆえに一緒にナギの様子を窺っているはずのマリアに問いかける
のだが――
659名無しさんの次レスにご期待下さい:2005/09/17(土) 22:02:37 ID:Qwi0E7ep
 ハヤテが振り返ると、そこには落ち着かない様子で周囲を見渡しているマリアの姿があった。
先のハヤテの言葉などまるで聞いておらず、ものめずらしそうに周りのものを検分していく。奇
しくもナギと似た行動ではあったのだが、落ち着きのない分、マリアの方は上京してきたばかり
の田舎者然としか見えない。
「マリアさん?」
「へ? あ!! す!! すみません!!」
 もう一度のハヤテの問いかけ。そこでようやく我に返ったマリアは、顔を赤く染め、狼狽する。
いかにも何か思うところがあったというその様子ではあったが、しかしここで追求するのは愚である。
 ハヤテは特に気も留めず、自分の意見を述べることを優先した。
「とりあえずここにいても怪しまれるので、お嬢さまたちの手前のボックスに入りませんか?」
「そ……そうですね」
 これ幸いと従うマリアと共に室内へ。
 そして、ようやく一息つけたとホッと一息をつくハヤテだが。
「しかし……なんで西沢さんはお嬢さまをカラオケボックスなんかに――」
「ハヤテ君、ハヤテ君!!」
 さてこれから話し合いをしようかという時、ハヤテの声を遮ったのは興奮気味のマリアの声だっ
た。何事かとハヤテが向き直ると、そこには手の平に曲番入力のリモコンを収めた彼女の姿。
「こ、この機械はいったい……」
「は? それは番号を打ち込んで曲をリクエストする機械で……」
「へー、そういう仕組みになってるんですかー」
 聞き、感心の声を上げるマリア。そこからは、たがが外れたのか、ハヤテの視線も忘れて他の
珍しいものへと飛びついていく。
「へー、思ったより狭いし……あ!! この本で歌いたい曲を探すんですね」
 そんな様子を見ては、さすがのハヤテもマリアの思惑に気づいた。
 つまるところ――
660名無しさんの次レスにご期待下さい:2005/09/17(土) 22:03:08 ID:Qwi0E7ep
「あの、せっかくですからマリアさん……歌ってみます?」
 そういうことなのだろう。あれだけ興味を示していては、歌いたくないはずもない。ナギのこと
を完全に忘れ去っていることが何よりの証拠だった。
 だが、自己主張をすることに慣れていないマリアは、せっかくの提案も素直に受け入れること
は出来ない。狼狽し、何とか本心を繕おうと躍起になっていた。
「え!! な!! 何、言ってるんですかハヤテ君!! だって私……流行の歌とか全然知らないし!
ナギのことも心配ですし!!」
 言い、ハヤテから顔を背けるマリア。ならばなぜナギの部屋を一度も覗こうとしないのか。
とってつけた言い訳がむなしく響く。
 そんな様子に見かねたハヤテが救済の手を差し出すのも、当然の流れだった。
「洋楽とか古い歌も色々ありますし……。お嬢さまの方は僕が見ときますから……」
 マリアの本心はわかっているが、おくびにも出さない。少しでも匂わせれば、確実にマリアは
歌うことを拒否するはずだから。
「それに、マリアさんの歌も聞いてみたいですし……」
 それが決め手だったのだろう。しばらく逡巡を繰り返すマリアではあったが、沈黙してハヤテ
の言葉を反芻すると――
「じゃ、じゃあちょっとだけ……でも笑わないでくださいよ?」
「はい♥」


「さぁそれでは点数はぁーーー!!」
 一曲歌い終えた西沢。気分を良くした彼女は、ドラムロールの効果音が鳴るモニターを背景
に、意気揚々と司会をする。
 ここに表示される点数によって、ライバルであるナギを失意の中に叩き込むことが出来るのだ。
ただでさえ歌ってストレスを発散できた上に目的も同時に果たせるとあっては、ハイにならない
はずもない。余裕を見せ、直後に表示された点数を疑うことなく大声で発表した。
661名無しさんの次レスにご期待下さい:2005/09/17(土) 22:03:49 ID:Qwi0E7ep
「じゃん!! 35点!!」
 だが、その点数は予想とはかけ離れたもので。挙句にその画面には、無情にも「へたくそ!!
カエレ!」とのコメントも。
 まさしくピエロだった。落差の分だけいっそう際立った哀れなピエロ。西沢はがっくりと膝をつく
ことしかできず、うな垂れる。
 こんなはずではないのだ。本来なら、今頃は立場が逆のはず。自分がナギを見下ろし、ナギ
は四つん這いとなって敗北を認めなければならない。どうしてこうなってしまったのだろう。
 現実を認められない西沢は、何度も点数の表示されたモニターに視線を送った。
 しかし。傍から聞いていたナギにとっては自明のことだったらしい。彼女は白々しい視線と共
に温かい言葉をプレゼントしてくれた。
「そりゃそうだろ。あんなに音外してたら」
 あまりに端的な言葉。配慮の欠片もない言葉。そも、ナギにとって西沢は憎き倒すべき敵で
ある。配慮をする必要などまるでなく、思ったままを口にすればいい。そうすれば、自然と西沢
の傷をえぐることに繋がるのだから。
 だが、それは逆効果だった。後がない西沢は、それによってモチベーションを何とか維持し、
ナギともう一度対峙する。
 ここで勝負が決まったわけではない。自分のたたき出した点数は絶望的だったが、それ以上
にナギがひどい点数を出せばよいのだ。
「じゃあ次はあなたの番よ!! いったい何を歌ってくれるのかな!?」
 そんなわけで意趣返し。自分を酷評するならナギはどうなのかと、意気込む西沢だが――
 ナギは意に介した様子もない。元から自信家の彼女が臆するという態度を見せるはずもなく、
強気なまでに宣言して見せた。
「ふ……決まっている。お前のように上っ面だけの流行歌ではない曲……炎転のオープニン
グテーマだ!!」
 ただ。
 そんなマイナーな曲に西沢が聞き覚えがあるわけもなく。カタログを探しても、目的の曲を探し
当てることは出来なかった。何度ページを繰っても結果は同じ。
662名無しさんの次レスにご期待下さい:2005/09/17(土) 22:04:24 ID:Qwi0E7ep
「ないんじゃないかな? そんな曲」
「な!! ちっ!! 使えない機械め!! なら虹色のス○ーカーで」
「虹? ま、まぁいいけど……」
 これまた聞き覚えのない曲である。やや不満が残る西沢だが、無いと言って嫌がらせをする
わけにもいかないだろう。素直にカタログの中を探し、どうにか件の曲を発見、不慣れなナギ
に変わって番号を入力していく。
 その際には知れず笑みが零れていた。最早、先ほどの失態など忘れてしまったかのように。
ありえないほどみじめな点数を取った西沢ではあったのだが、実は勝算があるのだ。
(ふ……でも、初めてカラオケに来た子がそんなに上手く歌えるわけがないはず!! さっきのは
たまたま点数が低かっただけ。何曲も歌えば結局私の勝ち!!)
 皮算用ではある。しかしそう大きく予想を外れることはないであろう。ローティーンのナギが自
分を上回る成績を出せることなど想像できず、自身も先ほどの点数を更に下回る結果は想像
できず。主観のみでなら、数時間後に笑っているのは自分だった。
(見ていて、ハヤテ君!! 私の歌声できっとあなたを救って――)
 曲が始まる。そして歌い始めるナギ。
(救って――)
 今までは自分の価値を確信していた西沢だったが――
「え?」
 まず最初は耳を疑った。現実を受け入れることが出来ず、ただただ傍観する。
 まぐれ。まだ出だしだから。たまたまうまく噛み合っているだけ。しかし、そんな言い訳は永遠
に湧き出てくれるはずもない。ついに尽きたとき、西沢は目の前の受け入れた。いや、受け入
れざるを得なかった。
(何これーーー!!)
 一体なんと表現すれば良いのだろう。ナギに掛けるべき相応しい言葉を、西沢は咄嗟に思い
つくことが出来なかった。あえて表現するのなら――
663名無しさんの次レスにご期待下さい:2005/09/17(土) 22:04:56 ID:Qwi0E7ep
(彼女の歌ってるその背後に……はっきりと見える!! 七色の声を持つ声優さんの姿が!!)
 そう。「七つの海のレミ」という台本を手に持ち、マイクに向かって声を吹き込んでいる女性の
姿が見える。全身からオーラのようなものを発し、不気味に眼を光らせている様が、まるで某
漫画の幽波紋のように。
 否、「憑かれている」の間違いかもしれない。言葉どおりに身体に声優を光臨させ、神がかっ
たナギの歌を聞かされれば、そう思いたくもなるだろう。
(ていうか、この子……!! すごい……う、うまい!!)
 ただ、それは当然のことなのである。幼い頃からナギは英才教育を受け、その中には当然超
一流の教師によるボイストレーニングや歌唱訓練もあったわけで。
 楽譜だって読めるし、ピアノも弾ける。お忘れなのかもしれないが、一応ハイパーお嬢さまな
のである。カラオケが初めてでも、そんじょそこらの女子高生に負けるはずなどない。
 と――
 そうこうしているうちに歌い終えるナギ。表示された点数は、西沢の感じたに相応しいものだった。
 つまりは百点。
「な!!」
「ふ……どーだ」
 ありえない数字だ。どうやったらこれほどまでの点数を叩き出せるのか。モニターを見つめて衝
撃を受ける西沢だったが、対してナギは、絶対の自信に裏づけされた余裕を見せていた。百点
という数字も当たり前のように受け入れる。
 元々格というものが違うのだろう。西沢も、ようやくそれを理解していた。が、ここで西沢がそれ
を受け入れてしまえば、今度こそ本当の負け犬になる。ハヤテを諦めることになる。
 だからせめて心だけでも折れたくはなかった。決意を胸に、西沢は再度マイクを握る。
「く!! でも歌は愛情!! 勝負は始まったばかり!! 負けるもんですか!!」
「ふ!! 面白い!! ギタギタに叩きのめしてやる!!」
 こうして二人のカラオケ勝負は夜遅くまで続き、結局――


「ん……!! 何だかいっぱい歌ったらすっきりしたな」
(くすん……結局全敗なんて私オンチなのかな……)
664名無しさんの次レスにご期待下さい:2005/09/17(土) 22:05:29 ID:Qwi0E7ep
 支払い所の前で気持ち良さそうに伸びをしているナギ。そして、諦念の涙を流しながら財布か
ら札を取り出す西沢。
 勝敗は明らかだった。結局最初の結果が覆ることはなく、西沢はナギのストレス解消の相手
として終始させられてしまっていた。もはや西沢に負け惜しみを言う気力はなく、失意のままに
店員と向かい合う。
 と。
「あ、お金……私のカード使うか?」
 そこでナギがさりげなく口を挟んできた。金持ちの彼女としては、この程度のはした金を出し
惜しむ理由はないとでもいいたげに。余計な感情は抜きにして、あっさりと負担を口にする。
 いや、実際は西沢の被害妄想なのだろう。ナギの声や表情を見てもそれは明らかだ。ただ、
どちらにせよ西沢にとっては快いものではない。
「いい!! ライバルに借りなんて作りたくないから、これくらいおごってあげるわよ!!」
 負けた上に散財は確かに辛かった。しかしこれだけは譲れない。何度も負けを認識させられ
た西沢だが、今度こそ本当の最後通牒だ。ナギの言葉を受け入れてしまえば、ライバルの資格
は消え失せる。
「ライバル?」
 だが、ナギにとってはどうだろか。
 無意識の上ではあるのだが、既に彼女は西沢をライバルとしては扱っていなかった。少なくとも、
ハヤテを自分から奪えるような相手とは認識していない。西沢の口から出た「ライバル」という
言葉に疑問を持ったことからも、それは明らかである。つまり敵ではない雑魚に格下げ。
「お嬢さま、お迎えに上がりました」
 と、ちょうどその時、ハヤテたちとは別の場所から様子を窺っていたSPたちが姿を現した。
 唐突ではある。が、不自然な登場の仕方ではない。おそらく、この瞬間を狙っていたのであ
ろう。ナギが機嫌を直したことを察したゆえに、ここでようやく声をかけることにしたのだ。今な
らば、ナギは自分たちの言葉に素直に従ってくれるはず。
665名無しさんの次レスにご期待下さい:2005/09/17(土) 22:06:05 ID:Qwi0E7ep
「お、ごくろう。よくここがわかったな」
 完勝したから――というよりは、散々歌い倒したおかげで気分を良くしたナギは、SPの思惑
通りに動いてくれる。あっさりと従い、彼らの背中についていった。
 ただ、その様子が癪に障るのが西沢である。彼女から見れば、ナギの後姿はまさに勝ち逃げ。
 だから捨て台詞を吐くことも忘れない。
「つ……!! 次は別のことで勝負するからね!!」
「ははっ!! いつでも来い!! また……返り討ちにしてやる」
 去り際の楽しげなナギの言葉を、西沢は憮然としながらも静かに見送るのだった。


 こうして二人の勝負は幕を閉じ――
 メイドと執事はまだ歌っていた。

終わり