【ネタバレ】スクールランブル School Rumble ♭64

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609名無しさんの次レスにご期待下さい
愛は欠点を、賞賛すべきものとはいわないにしても、耐えられるものにする。
だが、それは選択なのである。私たちは奇妙な癖にいらいらすることもできるし、
それを大切にすることもできる。辣腕弁護士と結婚したある友人はこう回想する。
初めてのデートで、彼が困難を、クライアントの無理難題を乗り切れる
ride out人だってことがわかったの。二度目のデートでは、彼は自転車に
乗ることride outができないってことがわかったわ。まさにそのとき、彼に
チャンスを与えてあげることに決めたの。

このリーダーズ・ダイジェストからの引用が語る、いわゆる「愛しく思える欠点」の
教訓は、選択とはそれ自身の理由(根拠)を回顧的に基礎づける行為であると
いうことだ。知によってもたらされる諸理由の因果的連鎖と、選択の行為、その
無条件的な性格によって連鎖を閉じる決断との間には、それに先立つ連鎖からは
説明できないある裂け目が、跳躍がある。

メロドラマにおける、多分最も崇高な瞬間とは何かを思い起こそう。それは陰謀家の、
あるいは善意の友人が、主人公にそのセックス・パートナーと別れる決心をさせようと
して、彼女の欠点を数え上げていくときである。しかし、その友人は彼の意に反して、
貞節を守るべき理由を与えてしまうのだ。つまり、彼の反論は肯定のための論証として
機能してしまうのである。「まさにそれだからこそ彼女は僕をなおのこと必要としているんだ」

理由とその結果のあいだのこの裂け目こそが、われわれが転移と呼ぶもの、恋愛において
典型的に示される転移的関係と呼ぶものの基礎なのである。われわれの通常の作法の
感覚からいっても、誰かを愛する理由を数え上げるのには反感がある。「私がこの人を
愛しているのは以下の理由からです・・・」と私がいえるとしたら、その瞬間、この愛は
本物ではないということが疑問の余地無く明らかになってしまう。真の愛の場合には
それ自体は否定的な、つまり愛にとっては障害となるような何らかの特性に関して、
「まさにこの理由から、私はこの人をより一層愛している」というのである。
愛を始動させる単一の特性は、つねに不完全性(欠点)の指標なのである。

この逆説は、もちろん、実定的で、観察可能な特徴の彼方には何もない(無がある)という
事実にこそ依存する。私を恋に陥れる、この神秘的なナニカワカラナイモノは、結局のところ、
純粋な見せかけ(仮象)である。このように、「誠実な」感情が、いかに必然的に錯覚に
基づいているのかを理解することができる(私は「本当に」「誠実に」あなたを愛している。
私があなたの秘密のアガルマを信じているかぎりにおいて、観察可能な一連の特徴の彼方に
何かがあると信じているかぎりで)。