【ネタバレ】スクールランブル School Rumble ♭64
愛は欠点を、賞賛すべきものとはいわないにしても、耐えられるものにする。
だが、それは選択なのである。私たちは奇妙な癖にいらいらすることもできるし、
それを大切にすることもできる。辣腕弁護士と結婚したある友人はこう回想する。
初めてのデートで、彼が困難を、クライアントの無理難題を乗り切れる
ride out人だってことがわかったの。二度目のデートでは、彼は自転車に
乗ることride outができないってことがわかったわ。まさにそのとき、彼に
チャンスを与えてあげることに決めたの。
このリーダーズ・ダイジェストからの引用が語る、いわゆる「愛しく思える欠点」の
教訓は、選択とはそれ自身の理由(根拠)を回顧的に基礎づける行為であると
いうことだ。知によってもたらされる諸理由の因果的連鎖と、選択の行為、その
無条件的な性格によって連鎖を閉じる決断との間には、それに先立つ連鎖からは
説明できないある裂け目が、跳躍がある。
メロドラマにおける、多分最も崇高な瞬間とは何かを思い起こそう。それは陰謀家の、
あるいは善意の友人が、主人公にそのセックス・パートナーと別れる決心をさせようと
して、彼女の欠点を数え上げていくときである。しかし、その友人は彼の意に反して、
貞節を守るべき理由を与えてしまうのだ。つまり、彼の反論は肯定のための論証として
機能してしまうのである。「まさにそれだからこそ彼女は僕をなおのこと必要としているんだ」
理由とその結果のあいだのこの裂け目こそが、われわれが転移と呼ぶもの、恋愛において
典型的に示される転移的関係と呼ぶものの基礎なのである。われわれの通常の作法の
感覚からいっても、誰かを愛する理由を数え上げるのには反感がある。「私がこの人を
愛しているのは以下の理由からです・・・」と私がいえるとしたら、その瞬間、この愛は
本物ではないということが疑問の余地無く明らかになってしまう。真の愛の場合には
それ自体は否定的な、つまり愛にとっては障害となるような何らかの特性に関して、
「まさにこの理由から、私はこの人をより一層愛している」というのである。
愛を始動させる単一の特性は、つねに不完全性(欠点)の指標なのである。
この逆説は、もちろん、実定的で、観察可能な特徴の彼方には何もない(無がある)という
事実にこそ依存する。私を恋に陥れる、この神秘的なナニカワカラナイモノは、結局のところ、
純粋な見せかけ(仮象)である。このように、「誠実な」感情が、いかに必然的に錯覚に
基づいているのかを理解することができる(私は「本当に」「誠実に」あなたを愛している。
私があなたの秘密のアガルマを信じているかぎりにおいて、観察可能な一連の特徴の彼方に
何かがあると信じているかぎりで)。