昭和四十五年十一月二十五日、三島由紀夫氏が市ヶ谷台上で「天皇陛下萬歳」を三唱して自決されてから三十四年を経過した。
三島氏は、深く切なる恋闕の思いを自決という行動で示した。
今の日本は、三島氏が『檄文』で訴えられた「國の大本を忘れ、國民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと
僞善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んで」いっている情況が当時以上ひどくなり、日本という國が溶解しつつあるのでは
ないかという危惧が深刻なものになっている。
國體の真姿を回復することによって国難を打開して来たのが、わが国の歴史である。
三島氏のいふ「國の大本」「國民精神」とは天皇中心の國體及びその精神である。
そうした意味で、三島氏の天皇論・憲法論は日本を再生するために重要な意味を持つと考える。
日本民族の古代からの傳統的な天皇観は現御神信仰である。
それは日本の民族信仰の柱でもある。
現御神信仰とは、「天皇はこの世に生き給う神である」「天皇は人にして神であり神にして人である」という信仰である。
しかしその「神」とはキリスト教・イスラム教の唯一絶対神即ち全知全能の無謬神ではないことはいうまでもない。
三島氏はその著『日本文學小史』で、『古事記』を「神人分離の文化意志」と位置付け、日本武尊を「本来の神的天皇」
「純粋天皇」とし、景行天皇を「人間天皇」「統治天皇」としている。
また、『討論 三島由紀夫vs東大全共闘』において、戦後あるいは近代の「天皇制」は、ゾルレン(理想としてあるべき姿)
としての要素の甚だ希薄な『天皇制』であるとし、ゾルレンの要素の復活によって初めて天皇が革新の原理になり得ると論じている。
これらは言って見れば三島氏の二元論的天皇観である。
三島由紀夫氏のこうした天皇観が、その作品『英霊の声』で「英霊」に「國體を明らかにせんための義軍をば、叛亂軍と
呼ばせて死なしむる その大御心に御仁慈はつゆほどもなかりしか。これは神としてのみ心ならず、人として暴を憎み
たまひしなり。…人として陛下は面をそむけ玉ひぬ。などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」と嘆かせ、また、
「昭和の歴史においてただ二度だけ、陛下は神であらせらせられるべきだった。何と云はうか、人間としての義務において、
神であらせられるべきだった。…何ゆゑ陛下ただ御一人は、辛く苦しき架空を護らせたまはざりしか」と語らしめたのである。
しかし、日本には<神人分離>は本来なかった。天皇が「人間」となりたまいしことはかつて一度もなかった。
「今即神代」「神人合一」が日本の傳統信仰の最重要行事である「祭祀」の精神である。
人は、神の分け御霊であり日子であり日女である。
また、人にして神であり神にして人であらせられるのが天皇の御本質である。
日本天皇に、「神的天皇」「純粋天皇」と「人間天皇」「統治天皇」という二つの面があるということは絶対にない。
天皇は人にして神であられ、天皇の統治は神ながらの御統治である。
「現御神信仰」とは、御歴代の天皇お一方お一方が天照大御神の「生みの御子」であらせられ、天照大御神の地上における
御代理・神人合一の御存在であらせられるという信仰である。神武天皇以来今上天皇に至るまで御歴代の天皇はなべて
現御神であらせられる。それは大嘗祭の意義を拝すれば明らかである。
現御神日本天皇を「ゾルレンとしての天皇」「ザイン(現実にある姿)としての天皇」と二元論的に分ける事は出来ない。
精神と肉體、祭祀國家と権力國家、神と人を、絶対に対立する存在とするのは西洋的二元論である。
三島氏は西洋的二元論の影響を受けていることは自ら認めている。
しかし、三島氏はこうした最晩年に二元論的天皇観を克服したと私は考える。
だからこそ、自決の際、三島氏は「天皇陛下萬歳」を唱えたのである。
また、晩年の三島氏の『問題提起(日本國憲法)』という文章では、「大嘗祭」の深い意義を論拠として憲法上の
「天皇」を論じている。それは、極めて正統な天皇論・憲法論になっている。
三島氏はその文章で、「大統領とは世襲の一點において異なり、世俗的君主とは祭祀の一點において異なる天皇は、
まさにその時間的連續性の象徴、祖先崇拝の象徴たることにおいて、『象徴』たる特色を擔ってゐるのである。」
と論じ、現行占領憲法では、歴史、傳統、文化の連續性と、國の永遠性を保證する象徴行事である祭祀が、
「天皇の個人的行事」となっており、天皇が「神聖」と完全に手を切った世俗的君主となってしまったと論じている。
これは三島氏による文字通り重要な問題提起である。
天皇は大嘗祭をはじめとした祭祀を行なわれることによって天津神の地上における御代理としての資格を持たれ、
現御神として御本質を顕現されるのである。
そしてその神聖君主が統治される道義國家・祭祀國家が日本なのである。
その根本を成文憲法が否定あるいは無視してしまっているところに、今日の日本のあらゆる混迷と堕落の真因がある。
天皇は<信仰共同體日本>の祭祀主であらせられるのだから、権力機構としての國家の基本法たる成文憲法の
規定以前の御存在である事は言うまでもない。
成文憲法の条文どおりの國家であらねばならないなどというばかばかしい議論があるが、全く逆であって、
成文憲法というものは國家の本質どおりに作られていなければならない。
その意味において現行占領憲法は失格である。全くの欠陥憲法である。
現行憲法が、占領憲法といわれるゆえんはまさに國體精神を忘却し日本の傳統を隠蔽する憲法であるからである。
今日の日本において成文憲法は必要不可欠であるとすれば、憲法に正しき國體条項をつくり、現御神日本天皇・
祭祀國家日本の本質を正しく成文として規定しなければならない。
祭祀という天皇のもっとも重要な行事を「天皇の私的行事」にしまっている現行憲法は一日も早く破棄されねばならない。
扶桑社教科書を東京都の養護学校が採用したことについて、ノーベル文学賞作家の大江健三郎が朝日新聞のイン タビューで、次のように述べている。
「「つくる会」の教科書は、市販されベストセラーになりました。もちろん中学生が早く読みたいと思ったからではない。
「日本は優れている」「誇りと自信がいる」と思い詰める大人に空元気をつける癒(いや)し系の本だからでしょう。
子どものためによく考えられた本ではありません。でも、教科書の実物をこれほど多くの大人が読んで、考えたことは ない。その結果、
公立で採択したと公表した教育委員会はこれまで一つもなかった。父親や母親の反省が、日本人の世論として、力を 持ったのです。
東京都教委の結論は、これに真っ向から対立しています。」
この文章を読んで「誤植ではなかろうか?」と思ったかた、あなたの感覚は正しい。つまり大江は、
扶桑社教科書の市販本がベストセラーになったという事実と、公立校のほとんどがこの教科書を採択しなかった(でき なかった)という事実と を結び付けて、
「市販本を読んだマジョリティが扶桑社教科書に反対する世論となり、採択を阻止した」と結論付けているのだ。
これ以上の欺瞞はなかろう。
市販本の読者の大多数は、この教科書を好意的に受けとめている。版元が公開している「読者の反響」を読んでみ ろ。
お手盛りの「大本営発表」だと言うなら、各紙各誌の書評を読め。日教組の幹部ですら、うかつにも(笑)「おもしろい」 とほめてしまい、
組織内からの突き上げを食らったではないか。扶桑社教科書に反対しているのは、ごく一部の反日左翼勢力だ。声の みはかしましいが、
日本国民の中では圧倒的少数派である。彼らは、扶桑社教科書を読む前から反対し、読みもせずに反対し、批判本を 鵜呑みにして反対し、
反対せんがために反対してきた(笑) 扶桑社教科書の市販本が話題になり、好評をはくし、ベストセラーになって、左 翼勢力の危機感は頂点に達した。
そして、単なる「批判」の域をこえ、なりふりかまわぬ力ずくの反対運動に走ったのだ。
扶桑社教科書を採択しようとした教育委員会に対しては、左翼お得意の組織動員で妨害活動を行った。
委員の自宅にまで手紙、電話・ファックス攻撃をかけ、デモ、アジテーションなどを展開した。粛然たるべき教科書採択 現場に混乱を持ち込み、
委員に扶桑社教科書を忌避させ、
採択できない状況へと追い込んでいったのではないか。
大江はそうした現状を知らないのだろうか? ノーベル文学賞をゲットするほどの「知性」において、まさかそんなことは あるまい。
現状を知った上で、意図的に歪め、捻じ曲げて、
正反対の結論を導き出しているのだ。これは、もはや評論ではない。卑劣なデマゴギーである。
大江自身の息子が知的障害者で養護学校出身であるという事実も、このデマに説得力を付加しよう。
だからこそ、朝日は大江にインタビューしたのだろうし、大江もそのことは計算済みだろう。
そのことを考えると、大江の心の闇を覗き見たようで、慄然たる思いにかられる。
かつてヤスパースは、誠実さを欠いた知性はナチス的であると喝破した。大江のごとき、白を黒と言って平然たる卑劣 な「知性」こそ、
ヒトラーを、あるいはスターリンを、 ポルポトを支持した「知性」と同様ではないか?
書く者と書かれる者という単純な図式をたててみる。
そして「小説」(と、便宜的に呼んでおく)とは、「無名のものたち」に名前を与えようとする運動だったと、
これも単純に定義してみる。
19世紀からの小説とは無名のものたちに名前を与え、その生に軌跡を与える言葉の試みだった。
小説家は無名のものたちとその生に名を与える存在となり、或いは同情に満ちた言葉の視線となる。
だからここに小説の…「文学」の良心がかたちづくられることになる。
しかし、このことは同時に、ある問題を抱え込んでしまう…。
小説≒文学は無名のものたちの生に名前を与えることによってそれを忘却の中から救い出すが、
同時にそれらの生を作品の言葉の中に閉じ込めてしまい、或いは監禁してしまうことになるのだ。
つまり、小説は近代警察組織に酷似したものになる。
あらゆる無名の細部を監視し名付け閉じ込めるものとしての臨床的良心の警察。
書く者の臨床的良心によって書かれる者はある救済を施されるが、同時に書かれる者はそれによって
作家の言葉の世界に監禁されてしまうことにもなる。
20世紀以降の文学が引き受けなければならなかったのはこの良心的矛盾であるだろう…。
無名のものたちに名前を与えながら、なおそれらを支配し閉じ込めることのない言葉は可能だろうか?
開高健という作家がいる。好き嫌いはおきます。下品なりにもっとも美しい
文章を書く人といわれています。なぜ悪質かといいますと、開高健という人も
現実経験がなければ書けない人だった。三島由紀夫が生前、非常に開高健の
ことを嫌ったんですね。それはなにかといいますと、開高健の場合は書くために
経験を探すんです。たとえば、彼は芥川賞が欲しくて欲しくてしょうがなくて、
もらうわけです。じつはその後書けなくなってしまう。そこで彼はなにをしたか
というと、大阪の朝鮮部落での経験を小説に書くわけです。また書けなくなる。
そうすると、彼はベトナムに新聞記者の特派員として行くわけです。実際彼は
そこでひどい経験をするわけです。百数十人中数人しか生き残れない戦争に
巻き込まれるわけです。でもそれは立派なものだといってもいい。
そこでベトコンの銃殺もみる。ところが三島由紀夫は怒るわけです。
戦争経験を小説にしなければならぬのであろうアンドレ・マルロ−は許すと
三島はいってませんが、ところが開高健は小説の題材を探しに戦争へ行った。
つまり、小説に利用するためだけに経験を使っていった、ということです。
これは晩年までつづくわけです。たとえば、『夏の闇』などは、わざと
タイで放蕩生活をするわけです。その経験を小説にする。彼は現実を利用する
ことで自分史を書きあげるタイプの作家になっていった。
では、大江健三郎はどうかという問題がでてくる。じつは大江さんと中上さんは
仲が悪いんです。死んでから 大江さんは「中上君」なんていってますが、
中上健次を生前から許してなかった。ただ中上さんは不思議な人で、年長の
作家には非常に礼儀正しい人で、大江さんにも一応礼儀正しくしている。
ただ対談なんかを読みますと、大江さんにそうはいったが、本当は賛成して
なかった、とあとでいってるんですけど、それは三島由紀夫の解釈で喧嘩に
なったらしいんですね。つまり、大江さんはどういう人かというと、彼も
自分のことを題材に書くんですね。少なくとも『個人的な体験』以降は露骨に
自分の体験だけで小説を書ける。彼の場合は中上さんとどこが違うかといいます
と光ちゃんを巡っての自分にとっての歴史ですね。あれは非常に真摯だし、
ある意味美しい小説といっても構わないんですけど、ただ要するに大江さんの
あれも中上さんと違って自己確認なんですね。大江さんという人は自分の人生に
なにかが起こって、たとえば問いとしてあらわれて、問いを自分の人生の
ジャンプとしてそれを使う作家。逆にいえば、そういう問いが現れたら書かずに
いられない作家なんですね。だから、唐突ですけど、『燃え上がる緑の木』を
書いたら小説を書くのはやめるといいながら、突然書くといいだした。
それはなぜかといいますと、武満徹という大親友というか、マエストロといって
いる大先生が死んだということが、彼の人生の問いになった。彼は自分の
人生に答えをださなきゃいられない人なんです。中吊りの状態には耐えられない
人なんです。だから書くといっている。これは悪口いってるわけではないんです。
大江さんは非常にすぐれた人です。けれども大江さんの自分を題材にした
書くこと、個人史という以上、我々は結局書くことが題材とならざるをえないんで、
だから個人史を書くことはなにかというひとつの文学的な問いというか、大げさに
いえば存在論的な問いになるからだろうとおもってこうしてしゃべってきた
わけですが、大江さんの場合も結局自己救済という問題を一生懸命引用し
ながら、普遍的な問題に広げようとする力を持った人で、自分という問いを
充満させることによってすべてを自分に収斂させてしまう。大江さんという
現実の個人はどうかは別にして、そういうタイプだろうとおもいます。
最近の言葉遊び小説の一部は、この世界とは別の可能世界を考え、
それもこの世界と同じ現実性を持っていると考えるような議論を背景にしている。
それはたんなる妄想です。むしろヴィトゲンシュタインの言ったように、
この現実がこのようにあるということこそが神秘なのだと言わなければならない。
この現実とは別のポッシビリティを妄想するのではなく、この現実を直視しながら、
それを驚くべきヴァーチュアリティにおいてとらえかえさなければならない。
もっとも悲惨な現実をそのまま肯定しつつ、それを圧倒的に豊かな言葉の宇宙へと
生成させた中上健次のテクストは、コンピュータ・ゲームやSF、あるいは宗教もどきの
うすっぺらい妄想を超えて屹立する、真にヴァーチャルな深みを持った
マルチメディア空間であるといえるのではないか。